「慈悲と愛」79年4月号 「民主主義と共産主義」 ウリエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」40頁掲載)
「天国の扉」が一昨年十二月、「天国の証」が昨年八月に出されて以来、
続々と読者からのお便りが千乃様の所へ届き、私達も共に読ませて頂いておりますが、
一つ興味あることは、共産主義思想を理念とするグループの人達から何の異存も反論もなく、
至極素直に私達の説く民主主義思想をそのまま受け入れていられるかに見え、
私は少しく戸惑っておりました。
ところが、最近判明した事柄が一つあります。
それは共産主義思想そのものが自由社会に於ける民主主義思想と相反する方向へ歩んでいるのか、
歩み寄っているのか判然としないままに、第一次大戦後から今日に至るも尚、
民主主義と名付けられた政治原理の占有権を巡って自由主義陣営と社会主義陣営が争い続け、
"民主主義"という言葉自体は両陣営共通の言葉となり、
しかも解釈は両極端の対立するものであるという奇妙な現象が通念となっているということです。
人間の持つ思想や信念に別に規制はなく、
いかようにも変革し改善していくことはそれこそ自由です。
しかし現実に共産圏諸国や共産政権に切り換えた、
曾て植民地であるとはいえ自由諸国の一員であった国々を見てみると、
彼等にまず要請されるものは全体主義的統一国家であり、
個人の意思や意見が尊重されるというものではなく、
個人はあくまで全体を構成する一単位にしか過ぎず、
権利も全体の為には無視されるといった政治形態に変化してしまうのです。
詰り無意志の大衆が国の方針と計画に従って生活することが、
生活の安全と保証の引換えに要求されているのです。
第一次大戦後初めてレーニンによって提唱されたプロレタリア民主主義は、
同じ民主主義ではあっても自由社会に於ける民主主義とは質を異にし、
労働者・農民を基礎とする独裁制にしか過ぎず、
社会全体への個の為の便宜を図り、言論の自由を認め、
その人権を必ずしも保障するものではないという所に、
私達天上界の求める真の民主的社会、
理想郷には程遠い理念であることを明らかにしなければなりません。
なるほど私達が現在説くものは
唯物論及び科学的社会主義を推奨するが如くに外見は見えるでしょう。
しかし微細な点に於て、且つ又その根本理念に於て
個により形成される全体(自由民主主義思想)と、
全体の中の個を語る思想(プロレタリア民主主義)とは全く逆の立場にある
ことを賢明な人々は識別し、
どちらが個にとって無害であり、どちらが有害になり得るものであるかを認識して頂きたいのです。
私達は個を常に重視してきたのであることも。
又私はよく刷新だとか革命といった言葉を用いるので、
左翼思想に傾倒している人々には区別し難い所もあるのでしょう。
しかしこれは単に言葉として必要な場所に適宜に用いているのであって、
そこを混同して頂きたくはないのです。
更に現正法の説くものはマルクス主義思想の如く、唯物論に偏るのではなく、
神に対する信仰心を持ち、心や魂といった唯心論の世界にも言及する、
詰り唯物的な概念が科学と宗教の一致という論旨に於て、
唯心論とも合致するものであることの立証ともなるのです。
思想に於ても政治形態に於ても中道を行くものである訳です。
共産主義は唯物論に徹するのであって、
神に繫がる心とか魂といったものについては決して興味を持ち、
語る思想ではないことは識者である方々は、ご存じであると思います。
私達の説く民主主義思想は、共産主義思想の如く暴力革命を肯定するものではなく、
しかし古代ギリシャに於てプラトンやアリストテレスにより
衆愚政治と評されたものでもないのです。
現在の多義的に用いられる"民主主義"という表現で
ユートピアの基礎となる理念を説くのは非常に難しく、
又誤解を生みやすいものであることは否定は致しません。
しかしあくまで私達天上界の見解は、
真に民主主義の原理を生かし得るものは自由主義思想の中に於てであり、
人身、内心、言論、表現、学問、等の自由を保障し、
人間が神の前に平等に有する権利は、国家に先立つもの(※)であり、自由たるべきものとし、
如何にプロレタリアートが数に於てその権利が保障される社会が
真の民主主義政治形態であると(誤導)し、
国民の選出した機関であるソビエトへの権力集中をマルクス主義が唱えたとて、
その原理の優劣のみを盾に取り、しかるが故にソ連は世界を支配し、
その侵略的態度を正当化するものとはなり得ないことを改めて説かねばならないのです。
共産圏諸国に住む人々の目は輝いているでしょうか。
その魂は自由に躍動しているでしょうか。
聖書を禁じ、心を語らず、神と人とを遮断する思想は、
形と数の上に於てのみ民主的であるとしたすり替えの理論であり、
天上界には通用しないサタンの理念であることをここにはっきりと断言するものです。
とはいえ私個人として秘かに明かしますならば、
日本に於ては元大天使であった七人の者はどの政党を支持するかと問われれば、
逆説的ではあるのですが、
宗教人の名の下に権勢欲と支配欲を巧みに隠し、善人の仮面を被る公明党でもなく、
個人の欲望を露わにし、民主主義の堕落を推し進め衆愚政治の温床となりつつある自民党でもなく
寧ろ民主社会党を敢て選ぶ者であることを申し上げたいと思います。
(真の)神への信仰を認めることを前提とし、
純粋な理想社会制度の実現を目指し続ける限りに於て。
(注。言うまでも無いことと思いますが、現在の天上界の御見解ではありません。
ただ利権や権勢欲の偽我まみれの人格を忌み嫌われる天上界の御性格は不変です。)
(※注。
『「アンティゴネーの決意」江藤淳 産経新聞平成九年五月五日掲載 「月に一度」120頁
「(前略)いうまでもなく『アンティゴネー』とは、
国禁に背いて戦死した兄の屍(しかばね)を手厚く葬り、
その廉(かど)によって石牢に生き埋めにされ、
自ら縊(くび)れて死んだテーバイの王女アンティゴネーの悲劇である。
オイディプース王の二人の息子のうち、弟のエテオクレースはテーバイの王になっていたが、
王位を弟に奪われた兄のポリュネイケースが、復讐のためにアルゴスの軍勢を糾合し、
テーバイの市門に押し寄せてくる。
凄惨な激戦の結果、兄弟は共に刺し違えて戦死する。
そのあとを継いでテーバイの王となったのは、二人の叔父に当たるクレオーンであった。
クレオーン王は直ちに勅令を発し、
テーバイの七つの門を守り抜いたエテオクレースは最高の礼を以て葬るが、
不義に与した反逆者ポリュネイケースの遺体は野ざらしにし、
烏や禿鷹のついばむままにせよと厳命した。
これに背いた者は、石打ちの刑に処するというのである。
ところでオイディプース王には、刺し違えて死んだ兄弟のほかに二人の王女がいた。
姉がイスメネー、妹がアンティゴネーである。
アンティゴネーは、王の厳命とはいえ戦死したのは自分の血を分けた兄弟である。
弟が義戦を戦ったからといって栄誉を以て葬られ、
兄が不義の戦いに与したという理由で野ざらしにされるのは納得できない。
「お姉様、お手をお貸しください。
ポリュネイケースの屍に礼を尽くして葬りましょう」と訴える。
王命には抗えないと、イスメネーがそれを拒むと、
アンティゴネーは、それならもう頼まない、自分一人で兄を葬り、
死罪になることも厭(いと)わないと、決意を告げる。
「生きている人の気に入られようとしても、時間はあまりにも短い。
でも死者を愛する者は、永劫の時間の中で愛するのです。私はそこに行きましょう。
お望みなら生きておいでなさい。生きて、最も神聖な神々の法に背きなさい」
やがて登場し、国禁の絶対を説くクレオーンに対して、アンティゴネーは昂然と言う。
「そんな禁令は神の思(おぼ)し召しではありません。
冥界の神々とともにある正義は、そんな法を認めていません。
あなたの勅令には、どこにも記されず、
変えられもしない神々の法を無効にする力などありません。
あなたは只の人間で、勅令は昨日今日のものですもの。
神々の法は永遠で、人間にはその起源すら確かめられないのです」
ここでアンティゴネーのいう「神々の法」「冥界の正義」とは、過去現在、宗教宗派、
勝者敗者の別や習俗の違いを超えた人間の死者を悼む心情にほかならない。
殊に「義戦」か否かに拘らず、戦死者は手厚く葬らねばならず、
いかなる国法といえどもこれを妨げることはできないというのである。
去る四月二日、最高裁判所大法廷が下した
いわゆる「愛媛県玉串訴訟」に対する違憲判決の報道に接したとき、
私がとっさに思い浮かべたのはここに紹介した『アンティゴネー』の一節であった。
先の大戦は連合国側の「義戦」であり、敗戦国日本の戦死者は、
そちら側から見れば不義の戦いに斃(たお)れたポリュネイケース同様に、
追悼に値しないというのかも知れない。
そして、「義戦」の勝者アメリカが書いて与えた
現行憲法第二十条が「政教分離」の原則を謳っている以上、
愛媛県が靖国神社春季例大祭のために支出した玉串料十六万六千円は、
当然違憲ということになるのかも知れない。
だが、そのとき、私の脳裡で最高裁大法廷の多数判決を支持した十三人の裁判官が、
俄にクレオーン王の末流に変貌したことだけは記して置かなければならない。
現行憲法の禁令のごときは、人の、それも外国人の定めた「昨日今日」の法令ではないか。
ソポクレース以来、
自国の戦死者を、威儀を正し最高の儀礼を以て追悼することを禁じられた国民が、
この地上のどこにあっただろうか。
国人よ、誰に謝罪するより前にこのことを嘆け。そして、決して屈するな。」
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様