「慈悲と愛」79年2月号 「最後の審判」 ラファエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」31頁掲載)

 一昨年十月より約一年間、天国シリーズを除いては天上界より私達が意見を述べ、
法を説く機会は与えられなかったのですが、昨年十一月の、
「慈悲と愛」という素晴らしい名で以て呼ばれるこの機関誌の発足と共に、
この誌が真の意味における正法の流れの源となり得たことを心から喜び、
又、その編集発行の責任者である方々の勇気と天への信の深さに敬意を表するものです。

 さて私ラファエルがこの号に於けるメッセージを伝える役目を与えられ、
皆様に改めてお伝え致したいことは、天国シリーズの読者、
特に素直に天の証に従えない読者、或いはそれを読むように奨められた人々の中で、
殊にしばしば口にされる疑念は"消滅"と"裏切り"に関してです。
 "消滅"とか"善霊の裏切り"といったことを私達が口にするから変だ。信じられない。
 というのがその主な表現であり理由なのです。

 天が裁き、従って、それに準じて消滅という、世界を浄化する為の悪を断つ手段が取られ、
そしてその意に従わぬ愚かな善霊が浅薄にも天の意に反し悪の側に立ち、悪霊と化す。
 それ故にその悪霊を"最後の審判"の場に於て、
厳正なる天の法の名の下に消滅、即ち死刑に処す。
 それが何故、一部の三次元の人々の疑念を生ぜしめるのか私には理解出来ません。

 天なる国の法に従い、幾度も警告を与え、三次元の人々にも善霊が守護、指導し、
反省と更生の機会と場を与えてきた。

 しかしながらそれに従わず、サタンの惑わしと誘惑に負け、
この世の名誉と地位と金銭に目が眩み、己の偽我と欲心の世界に生き、
その己が醜さにも気付かぬ腐った魂を育て、
それが増上慢と偽善と自己欺瞞という白壁で己が人生の城を塗り立てる。
 三次元の世界に於て崇められ尊敬を勝ち得て、遂に真の我、
即ち真我は如何なるものかについては全くの盲目であり無知である生涯を終えて、
天に迎えられるは当然のことといった傲慢な心を持って死を経て死者の世界に来る人々 ー

これらの人々を待ち受けているのは、厳正な徳の裁きであり、
その徳とは、悪を鋭く見抜き斥ける強さを有し、しかも善であり義であるもの、
常に真理に聡く、真理のみを愛し、美しきもの優しきものを喜び、涙するもの、

万人に分け与えるもの、三次元の名誉や地位や財に驕らぬもの、
人の僕となり得る謙虚さを有するもの
そのような豊かなしかも偏らぬ心を持ち、生き生きした知性を備え、
しかも理性に於ては、悪なるもの過てるものを正す天の裁きに心乱されぬ、
そのような人徳を基盤とした、

三次元の世界に於ても四次元の天なる私達の世界に於ても敬うべき人格 ー 
それを指すのです。

 その厳正な徳の秤にかけて裁かれ、
全人口の九〇%が地獄に落ちる国と高橋信次氏を通して警告を与えたその国に於て、
その価値なき悪と偽我の魂と天に背く善の意識の定かならぬ魂であり人間である人々が裁かれ、
消滅され(私達はそう警告し続けてきたのです。二千年の昔より)、
そして裏切る者と呼ばれてそれに疑いが生ずる人々、
天は裁かず、只許すのみであるといった甘い考えで、自己保存の欲心を捨て切れぬ人々に、
私達は再び語らねばならないのです。

 あなた方は"末法"や"人類の滅亡"はどのようにしてサタンと人々の手によって齎され、
その危機を招いているか立ち止まり、省みたことはあるのですか。
 只、平穏無事な日々が自分の周囲にだけあれば良しとするあなた方にとって、
"末法"や"人類の滅亡"は何の意味も危機感も与えぬのですか。
 それを是正してゆこうとする天の真意が解らぬのですか。

 そのような人々であるからこそ私達の今為している裁きに対し、
批判的になり疑いを持つような自己保存の偽我を捨て切れず、
又その偽我に気が付きたくないのです。
 正定を語りつつ、それを以て自己を断つ勇気がない。
 真の己が如何に醜いものであるか、
諸々の自己保存と欲望の壁を剝ぎ取り、それを正視する決断の心がない。

 己を正しとし、完全であり、己の過ごしてきた人生に徳ありと誇る人々こそ、
その偽善の中に天は鋭く真理とそぐわぬ傲慢な心を見通し、指摘するものであり、
そのような人々には永遠に天の法も心の浄化も学び取る機会はないことを

知らしめねばなりません。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法