「慈悲と愛」79年7月号 ②「正法を学ぶ人々の為に③ 善我と偽我について」 ミカエル大王様
(現象テープ№12①からの転載)
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」56頁掲載)
私はミカエルですが、今日は善我と偽我について詳しくお話ししたいと思います。
まず善我というのは、善なるものについて深く追求し、
偽らざる善の心を披歴することを理想とする生活態度をいいます。
それは色々な意味を含み、色々な表現法がありますが、
「天国の扉」第三章"ある日の高校生クラスの討議より"の中で述べた善我の定義が、
自然であるがままの気取らぬ自己を感じ取るということに始まり、
偽らざる自己であり、また他と全面的に強調し、調和する心に終るということ。
これは名人達人と言われる人の虚心坦懐の心情と相通ずるものがあるのです。
即ち、善なる心という安定した曇りのない良心に支えられ、何ら心を乱すものなく、
流動的で如何なる人にもその心情を等しく合わせてゆく事が出来る、
水の流れにも似た心であり、少しも片寄ることも、歪むこともない。
真理を常に求めて真理を学ぶことに喜びを見出す
心の余裕をも持つことの出来る精神のあり方なのです。
正しきを喜び、自己の過ちを認め、悪びれず、
素直に正してゆく事の出来る、柔軟な心構えなのです。
ところが善人であろうと欲し、その如く振る舞い語りながら、
己の非を問われたら忽ちにしてプライドと虚栄心が取って代り、
出来得る限り己を隠して欠点を見せまい、弱点を悟られまい、
過ちを知られまいと自己保存に専念する。
そうなれば事の正否ではなく、只言い張り拒否し続けることによって相手が諦めるのを待つ、
相手の追及が終ればそれで自分は安全であるというこのような善人もあります。
これは何と呼びましょうか、善人は善人でしょうが、愚か者であり小人なのです。
そしてこれは善我と呼ぶには余りにも人間としての欠点を持ち過ぎた人です。
これは偽我と呼ばねばなりません。自己保存という偽我です。
霊界の意識です。
又、如何にも善意に満ちておりながら、
何を於ても善行を人より以上に励み他に尽くすことが生き甲斐といった人もおります。
人にも又、大きく宣伝します。
自信を持って自分は悪い事はしたことがない、
良い事のみを為してきたとその善事を数え上げます。
所謂、大変積極的な性格です。
このような人に頼むと物事が大変はかどる、と思わせるような人です。
ところがこのような人に何かを頼めば、何時もそれを過大に評価し、
感謝を繰返し言わねばならず、心の重荷となるような場合さえあります。
剰(あまつさ)えこの人の行為は何時も感謝して受けねばならず、
少しでもそれを迷惑がったり拒否したりすると、大変気分を害するのです。
このような人は善人でしょうか?
善人どころかその反対で、大変押し付けがましい、他人の心や思いが目に入らぬ人であり、
自分の考えしか胸中にないのです。これこそ偽善者の代表と言わねばなりません。
これは自己顕示という偽我なのです。
これも霊界ですね。
又、穏かで如何にも優しく善意そのものといった印象を与えるにも関らず、
人から真の愛情や友情を得られない人もいます。
こういった人は、得てして完全主義者であり、如何に人に良い印象を与えるか、
善人であると言われる為にはどのように振舞えば良いか、
といったことにまで神経を使い計算して行動します。
スターがファンに対して注意深く振舞うのに似ていますね。
このような人は外見に注意を払う余り、肝心の人の心を見抜き、
人が何をしてほしいと願っているか悟ることが出来ないのです。
詰り、表面は神経が細やかで言葉にも注意して
完全な人格者としての印象を与えようと望んでいるが、
自己を繕う余り、愛情に欠けてはならない他への思い遣り、
どうすれば他(ほか)の人を喜ばすことが出来るか、
幸せな思いを与えることが出来るかなどについては悟り得ないのです。
そこ迄行き届かないといった方が解り易いでしょう。
詰り、自己中心的で他人の事など考えていない人です。
これも善人と言えません、暖かい思い遣りに欠けるからです。
それに相応しく他(ほか)からの愛も友情も得ることは出来ないのです。
これは偽我であって善我ではありません。エゴイズムという偽我です。
我が儘勝手というのは、エゴイズムの派手な表れ方ですが、
冷たい性格で他人の気持ちが解らないのはエゴイズムの陰性の表れ方です。
幽界か知識階級であれば神界の域を出ません。
また善人であると自称し他にも強制的に認めさせる人もいます。
おおよそ徳と名付けられる事はすべて行い、
如何なる法にも反せず細かい所まで正しいと思われ、語られることはすべて為している。
完全な徳の持ち主で非難すべき所は少しもない、自分が正しく徳に適うことを為しており、
言葉に於ても行いに於ても非の打ち所がないが故に、他人の欠点やいたらない所が気になり、
叱らずにはいられない、文句を言わずにいられない、このような人も勿論善人とは言えません。
聖書では律法学者と呼び、一人で社会の掟と道徳を作っているような人で、
それがこの人の生き甲斐でもあるのです。
しかしこれとて裏面から見れば、
自分の納得がいく形で自己の完全主義的傾向を満たす為に行うのであって、
他人の思惑や感情などどうでもよいのです。
詰り、自分が他からなじられる非がなければよい、欠点や弱点がなければよい、
といった自己中心的な自己保存的な気持ちを一歩も出ていない偽我なのです。
少しでも過ちを為すと不安になる。
机が少し曲って置いてあっても真直ぐに直さないと気になる。
埃が少し溜まっていても気になる。
すべてが完全な状態でないと気に入らない、強迫的な偽我なのです。
神界の意識です。
もう二つあります。
それは人間としてありとあらゆる欲と灰汁(あく)を持ち、
不道徳なこと、人に嫌われるようなことも、
社会で成功する為、名誉を得る為、平気でやってきた人が、
成功と名誉を勝ち得た時に世評が急に気になり出し、
その醜い人間的な過去を世人に忘れさせる為に、やたらに善行を施す人がいます。
何々に寄付、何々の養護といったことに必ずその名を連ね、目立つことをします。
これは後ろめたい自分の良心をごまかす、自己欺瞞的なやり方で、
明らかに偽善者的な性格を持ちます。
偽善者に共通の嘘を吐くことが平気で、
それが後には本当であるかのように錯覚してしまうような人です。
自己欺瞞という偽我です。
霊界の次元です。
終りにこれは善も為さず悪も為さずという人で、
大変に気が小さく、他人の評判が気になるのに、非常識的で、
爪に火を灯してもなりふり構わず倹約な生活を送りたい、詰り吝嗇家であって、
こういった人には善も悪もなく、
従って徳とは何か、人格とは何か、自由な魂とは何か、を知ることに永久に無縁であり、
只、気が済むように倹約して大金を貯めることを生き甲斐とする。
これは善我ではなく偽我の塊りなのです。こういった人には平和も調和もユートピアも無縁です。
勿論幽界の次元です。
詰り自己の表れ方に於て、そこに自然な感情・愛情の流れを感じさせないもの、
ギクシャクと不自然な感情が本人を覆っているもの、真理や真実を受け入れず背を向けるもの、
これは偽我であり、
反面、自然で暖かく飾り気なく、装ったものなく開けっぴろげで、心から素直に笑うことの出来る、
信頼して間違いないと人に確信を与える、これを善我といい、
又、良心の曇りなきにより自由な魂ともいえるのです。
ギリシャの自然哲学者に共通する心であり禅僧の悟りにも似た心でしょう。
大自然の法側・成り立ちというのもこれに似ていて、
環境を形造る上に理想的なもののみが良しとされ、
理想の条件に合わないものはどんどん形を変え、姿を消してしまう。
調和という円やかな流動する様相、そこにはバランスという大切な要素があります。
自らの内なる生命のバランス、他とのバランス。
己を生かし他を生かす、その規律の内になければ、
忽ち一つの環境を形造っていたもの全てが破壊され、
その中にあった生物は植物をも含めて、生存不能となってしまう。
詰り、大自然そのものが歪みや不自然なバランスを好まずに
自己調整をするが如くに見えるのです。
調和のとれた永続性を持つ自然環境は決してその中に余分な片寄り過ぎた要素を含みません。
過度に過ぎず過少に過ぎず、自然の中に含まれる動植物の数のバランスさえ一定の数を保ち、
多く増え過ぎたものは天敵という自然の与えた自己調整法があります。
詰り、過度に過ぎるものは調和のバランスを崩すものであり、
地均(なら)しをされねば常に流動する地球という惑星上に棲息出来ず、存在出来ないのです。
恒星と惑星間の引力のバランスが崩れれば惑星の様相は一変します。
その時、惑星上のあらゆる有機物、無機物はその釣り合いの数が変化します。
従ってそれは生態に変化を及ぼし、
現在地球という惑星上に保たれている自然の法則と数の釣り合いは一度に変化し、
環境は破壊され、平衡を失うでしょう。
このようにすべてに於て調和と、過度に過ぎぬこと、詰り中庸が、自然と宇宙の法則であり、
延いてはその宇宙に含まれる有機物、無機物、そして生態の法則でなければならず、
又そうすることを余儀なくされてきたのです。
これを広義に於ける善といい、人間に当てはめると、
同じような自然の法則に心身を従わせることになります。
己の節制を図り、心のあり方を律すること。
それが大自然の中の一環である人類の為すべき勤めであり、又責任でもあるのです。
その自然と同じ心のあり方を狭義に於ける善我の解釈にも用いて、善我は自然の成り行き、
即ち自然の法則と同じようなものであると、そう「天国の扉」第三章で述べたのです。
お解りになりましたでしょうか。
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様