「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」50頁掲載)

 今日は思い遣りと尊敬について私の思うことを述べてみたいと思います。
 人間は動物と異なり、
エロスの愛即ち本能的な愛からナルシシズム即ち自己愛へと感情が揺れ動くのではなく、
どのような人であっても、心の余裕さえあれば人の心を思い遣り、
傷付けるような言葉や行動は差し控えるのが健全な反応であると言えましょう。
 それはアガペーの愛の基本となる、理性によって制御された高等感情と呼ばれるものです。
 "思い遣り"は先月号で述べたような"律法と愛"、
"戒律と慈悲"の中に組み込まれた美しい感情の一つなのです。
 "己に厳しく他には寛容に"とは、あなた方の間で言い古された古人の教えですが、
他への愛であり、慈悲であるのが"思い遣り"として現れる感情です。

 その中には憐れみというよりも自分と他を同一視し、
人の気持ちを傷付けることは、己も同じく傷付ける事であり、
人が何らかの不幸や悲しみにあって心が痛む時、
それを知る自分も同じ不幸と悲しみを感知すること
であり、
その度合いがどの位のものであるか正確に知る事なのです。

(注。このような心を養えた者か、
常に天を思い、神のご意思に従うことを求め続ける者でなければ、
天上界の声が心に伝わって行かないのかも知れません。)

 それを知る能力 ー 心の優しさと感受性がある時、
他への思い遣りから出る慰めの言葉と行動は、
その悲しみにある人を正しく立ち直らせ、
希望を与えることが出来るのです。
 他と共に泣き、涙さえ流す事の出来る美しい心の持ち主となるのです。
 これには自分を中心とし、自分が他に与える印象や体裁、プライド、虚栄、
そして自己を顕示する気持ちといった偽我の感情の入り込む余地はありません。

 他への思い遣りと自らの誠意と愛を与える時、初めて心の余裕があると言えるのであり、
"心が清められている"と私達が表現する状態なのです。

 他への負担とならぬ為に自らの心身の健全を計り、
その上でそれ以上の自己への関心を持たぬ時 ー
即ち完全にナルシシズムの気持ちを捨て去る時、
魂は深奥から光り輝き、真の人間としての価値を持つのです。
 初めて私は四次元に於ても尊敬を得る心であり、魂であると申しましょう。

 高橋信次氏の教えはあの方の私見をも交え、
粗削りで多くの偽我を抱えながら近づく人々の表面のみを見、
繕った言葉のみを聞き、只そのオーラの色や量のみで、善我の物差しとしておられた。
 それが故に、一旦GLAに籍を置く人々は俗人と全く変わらぬ、
人間としての厭味と生(なま)の感情を心に隠し持ち、高橋氏の不在の場所では、
地獄の亡者そのままに、俗的な新興宗教に籍を置く人々と何等変わらぬ
低級な意識と我執が言動として現れていました。
 高橋氏の死と共にダビデの扇動も激しくなり、それが一層制御出来ぬものとなったのです。

 私達が誠意と真実を以て語り掛けても、その深い意味を悟らず、
心に響く人は片手の指にも満たぬものであったでしょう。
 私は側にあって、サタンダビデと悪霊の干渉と戦いつつ、
皮肉な思いでそれらの人々を眺めていました。
 他の大天使方々も同じ事です。
 イエス様、ブッタ様、モーセ様も同じ気持ちでいられたのでしょう。
 何も口に出しはなさいませんでしたが。

 残念なことに、高橋氏は天より大いなる権威と自信を与えられ、
慈愛に満ちた言動の人として現れてはいられましたが、
私達天上の者が常に鈍ってはならない感受性と心の琴線の音色には
もう一つ感ずる所のない人でした。
 只、熱意と感動の人であったのです。

 そして正しく偽我を浄めることを教えられず学ばず、悟ることもなかったGLAの人々は、
今や内外に分かれてしまったのですが、今以て"有難や有難や"の気持ちしか持たず、
誤りがあろうがなかろうが、従来の如く教祖や始祖を奉るように、
高橋氏とその語る所を完全に偶像化しているのです。
 只、目に見える派手な"徴(しるし)"と、大仰な儀式ばった言葉と、
寄せ集めのような浅慮な宗教的表現しか知らず、私達から見れば真に意識が低く、
奇異な迷える人々の群としか映らなくなってしまいました。
 それらの人々にとって私達の今語る真理と真実は理解することの出来ぬ高等感情であり、
悟ることの出来ぬ心の美しさなのです。

 にも拘らず、天国シリーズを読めと奨められ、又彼等の非を指摘されて、
その言葉が"心に響かない""悟りがない"と嘯(うそぶ)く人々もこれらの中にいます。
 その響きとは、モーセ様の現わされた奇蹟のような、落雷の如きものであり、
"私は悟りを開いた。宇宙即我を悟った"といった言葉だけのものに過ぎないのです。

 それ程に荒々しい、精妙な心の音色に応ずる所のない、
即ち天の波動には合わぬものとなってしまっているのです。
 高橋信次氏の下に私達を求めてきた人々が、
今は私達に石を投げつけ、唾(つばき)しているのです。
 "天に唾す"とは正にこの事でしょう。私達の警告に耳を貸さぬ、
俗人と何等変わりのない偽我に生きるこれらの人々に私自身も最早救う意思を持たず、
只現正法者の(天国シリーズの下に集う人々の事を指し、
他の自称"正法者"の事ではありません)慈愛の心が私に寛容な態度を与えているのみなのです。

 世に言うヒステリー性格という気質があります。
 これは神経質で感情的で派手で、自己顕示が強く、虚栄心が強く、独創性に欠け、没個性的で、
人真似が上手く、人の中心となりたがる、それでいて他人の気持ちなど解らず鈍感で、
しかも人を惹き付けるようなアクセントのある喋り方をする非常にエゴイスティックな性格ですが、
その上に依頼心強く動物的恐怖が常に心に不安を齎し、
変化に耐えられず単純で付和雷同型で、自主的に行動することの出来ない、
大変厄介な人格で、こういった人々がどの国に於ても狂信・盲信宗派の中心となっています。
 一口で言えばデリカシーや感性の美しさ、情操の豊かさといったものとは縁遠い人々であり、
そして又、あらゆる犯罪に関与しているタイプでもあるのです。

 虚言、盗み、殺人、謀略、破壊へと、
宗教的狂信から思想、イデオロギーの狂信者に至る迄の共通する一つの性格類型であることが
心理学者、精神分析医のデータに於て明白でしょう。
 即ちイランを暗黒へと導く狂信的イスラム教徒と左翼思想を信奉する狂信的共産主義者は、
性格的に同じパターンに属するのです。

 彼等は各々自分達が献身するものが最高の理念であると信じて疑わず、
振り返ってその理念の誤りを冷静に分析することすら出来ない。
 彼等にとって、"思い遣り"、"慈愛"、"天の波動"、"感性や情操の質の高さ"
といったものは遥か遠く無縁のものであり、愚かな感傷といった程度にしか理解していない。
 そのような非情な教育しか受けていないのです。
 GLA内外の人々も彼等と質に於て大差はありません。
 恐らく私達天上の言葉には彼等の理解し、語るものとは共通の表現がないのでしょう。
 又、尊敬といった高等感情もありません。
 互いの人格を重んじ、心に尊敬の念を以て接する、その意味や重要性を理解出来ないのです。

 なるほど狂信的な人々は、彼等自身を愛している訳でもなく、
自己の人間としての価値について振り返ってみた事もないのでしょうから、
他を真の意味に於て愛することも尊敬することも出来る筈はありません。
 愛や人間の尊厳がある所に虚言も、盗みも、謀略も、殺人も起ころう筈はないのです。
 只言葉遣いのみ丁寧であっても、心の底に人を軽んずる気持ちがあれば、
それは真の尊敬ではなく、偽我に過ぎないのです。
 彼等が外見上穏かで円満に見えるのは、"偉大な偶像"や"メシヤ"に縋って、
小児の如く安心しているからです。嘆かわしい病的精神構造です。

 私が今ここに集い、天の波動に合う為、日々魂の修業をと決意を新たにして善に徹し、
心の浄化に努めていられる人々にお願いしたいのは、
先に述べた未熟な性格の人々のようでなく、
個人の尊厳を意識し、互いに真の尊敬と、思い遣りを持ってほしいということです。
 魂の修業に励む人々を立派だと思いませんか?
 もしあなた方の中に自分の修行の方が立派だと他を見下す人がいるならば、
それは天上人となる資格を持たぬ人です。
 又もや偽我の世界を自分で作り出し、如何に心の立派な人々と交流し、

最高の徳の教えに接し、善のみを実践しようと、
他の人々の徳が目に入らず、敬うべきを敬わず、判断の基準を狂わせて偽りの対象を敬うならば、

あなた方は知らずにGLAの再現をしようとしているのであり、
私達は再びあなた方を離れてもっと真なる善我の世界を求めて出て行かねばならないでしょう。

 相手を敬う心を持つ事は徳ある人となる為の初歩の心得であり、
その気持ちがなければ互いを高め合うことなど出来ないのです。

 もし自分がなべて人を軽んじて呼ぶ資格があると思う人は、それだけで傲慢な心を持つのであり、
対する人の謙虚な言葉遣いや態度が、自分より弱者であるからなどと思う人は、
余りにも物事の表面をしか見抜くことが出来ず、
そのような人々を私達の"集い"に参加させているだけでも、天の恥となります。
 GLA内外であろうと、私達の"集い"であろうと、単なる読者であろうと、
主宰をなじり、千乃様を軽んじ、或いは善意を持って馳せ来たった正法者であり仲間に、
魂の修行への温かい思い遣りを持てず、敬意を払えない人は、
私から同じものを受けるであろうことを覚悟して頂かなければなりません。

 特に千乃様に関しては、GLAに於ける高橋信次氏や佳子氏の場合と違い、
千乃様を通じて出るものは、単なる連絡であろうと考えであろうと意見であろうと
或いは他への批判であろうと、言葉遣いであろうと、その判断の誤りなきよう、
すべて私ミカエル及びラファエル、ウリエル、他の九次元の方々、
時にはエル・ランティ様、イエス様、ブッタ様、モーセ様の検閲と同意、
並びに許可なくして出されるものはないのです。
 千乃様は公正であらんが為、その態度を最初から持しておられるのです。
 この事実から、千乃様に対する軽視や侮辱は、
全天上界に対する軽視であり侮辱であると私達は受け取り、
対処するものである事を心して頂きたいと思います。

 昭和五十三年一月八日の土田展子さん現象の、
千乃様を通じての人々へのメッセージ(「慈悲と愛」1978年11月創刊号掲載)に
"おがみ、あがめるな。後継者はそなたらの僕である"と述べたのは
メシヤ信仰を廃する為であって、単純にその通りに行い、
千乃様の真の価値を見抜けず、その悟りと洞察の深さを計り得ず、
自己の偽我を正見・正思と思い誤り、千乃様のみならず、私の手紙にさえ唾する事は、
それが己に返ってくること覚悟して頂かねばならないのです。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法