「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」50頁掲載)
今日は思い遣りと尊敬について私の思うことを述べてみたいと思います。
人間は動物と異なり、
エロスの愛即ち本能的な愛からナルシシズム即ち自己愛へと感情が揺れ動くのではなく、
どのような人であっても、心の余裕さえあれば人の心を思い遣り、
傷付けるような言葉や行動は差し控えるのが健全な反応であると言えましょう。
それはアガペーの愛の基本となる、理性によって制御された高等感情と呼ばれるものです。
"思い遣り"は先月号で述べたような"律法と愛"、
"戒律と慈悲"の中に組み込まれた美しい感情の一つなのです。
"己に厳しく他には寛容に"とは、あなた方の間で言い古された古人の教えですが、
他への愛であり、慈悲であるのが"思い遣り"として現れる感情です。
その中には憐れみというよりも自分と他を同一視し、
人の気持ちを傷付けることは、己も同じく傷付ける事であり、
人が何らかの不幸や悲しみにあって心が痛む時、
それを知る自分も同じ不幸と悲しみを感知することであり、
その度合いがどの位のものであるか正確に知る事なのです。
(注。このような心を養えた者か、
常に天を思い、神のご意思に従うことを求め続ける者でなければ、
天上界の声が心に伝わって行かないのかも知れません。)
それを知る能力 ー 心の優しさと感受性がある時、
他への思い遣りから出る慰めの言葉と行動は、
その悲しみにある人を正しく立ち直らせ、
希望を与えることが出来るのです。
他と共に泣き、涙さえ流す事の出来る美しい心の持ち主となるのです。
これには自分を中心とし、自分が他に与える印象や体裁、プライド、虚栄、
そして自己を顕示する気持ちといった偽我の感情の入り込む余地はありません。
他への思い遣りと自らの誠意と愛を与える時、初めて心の余裕があると言えるのであり、
"心が清められている"と私達が表現する状態なのです。
他への負担とならぬ為に自らの心身の健全を計り、
その上でそれ以上の自己への関心を持たぬ時 ー
即ち完全にナルシシズムの気持ちを捨て去る時、
魂は深奥から光り輝き、真の人間としての価値を持つのです。
初めて私は四次元に於ても尊敬を得る心であり、魂であると申しましょう。
高橋信次氏の教えはあの方の私見をも交え、
粗削りで多くの偽我を抱えながら近づく人々の表面のみを見、
繕った言葉のみを聞き、只そのオーラの色や量のみで、善我の物差しとしておられた。
それが故に、一旦GLAに籍を置く人々は俗人と全く変わらぬ、
人間としての厭味と生(なま)の感情を心に隠し持ち、高橋氏の不在の場所では、
地獄の亡者そのままに、俗的な新興宗教に籍を置く人々と何等変わらぬ
低級な意識と我執が言動として現れていました。
高橋氏の死と共にダビデの扇動も激しくなり、それが一層制御出来ぬものとなったのです。
私達が誠意と真実を以て語り掛けても、その深い意味を悟らず、
心に響く人は片手の指にも満たぬものであったでしょう。
私は側にあって、サタンダビデと悪霊の干渉と戦いつつ、
皮肉な思いでそれらの人々を眺めていました。
他の大天使方々も同じ事です。
イエス様、ブッタ様、モーセ様も同じ気持ちでいられたのでしょう。
何も口に出しはなさいませんでしたが。
残念なことに、高橋氏は天より大いなる権威と自信を与えられ、
慈愛に満ちた言動の人として現れてはいられましたが、
私達天上の者が常に鈍ってはならない感受性と心の琴線の音色には
もう一つ感ずる所のない人でした。
只、熱意と感動の人であったのです。
そして正しく偽我を浄めることを教えられず学ばず、悟ることもなかったGLAの人々は、
今や内外に分かれてしまったのですが、今以て"有難や有難や"の気持ちしか持たず、
誤りがあろうがなかろうが、従来の如く教祖や始祖を奉るように、
高橋氏とその語る所を完全に偶像化しているのです。
只、目に見える派手な"徴(しるし)"と、大仰な儀式ばった言葉と、
寄せ集めのような浅慮な宗教的表現しか知らず、私達から見れば真に意識が低く、
奇異な迷える人々の群としか映らなくなってしまいました。
それらの人々にとって私達の今語る真理と真実は理解することの出来ぬ高等感情であり、
悟ることの出来ぬ心の美しさなのです。
にも拘らず、天国シリーズを読めと奨められ、又彼等の非を指摘されて、
その言葉が"心に響かない""悟りがない"と嘯(うそぶ)く人々もこれらの中にいます。
その響きとは、モーセ様の現わされた奇蹟のような、落雷の如きものであり、
"私は悟りを開いた。宇宙即我を悟った"といった言葉だけのものに過ぎないのです。
それ程に荒々しい、精妙な心の音色に応ずる所のない、
即ち天の波動には合わぬものとなってしまっているのです。
高橋信次氏の下に私達を求めてきた人々が、
今は私達に石を投げつけ、唾(つばき)しているのです。
"天に唾す"とは正にこの事でしょう。私達の警告に耳を貸さぬ、
俗人と何等変わりのない偽我に生きるこれらの人々に私自身も最早救う意思を持たず、
只現正法者の(天国シリーズの下に集う人々の事を指し、
他の自称"正法者"の事ではありません)慈愛の心が私に寛容な態度を与えているのみなのです。
世に言うヒステリー性格という気質があります。
これは神経質で感情的で派手で、自己顕示が強く、虚栄心が強く、独創性に欠け、没個性的で、
人真似が上手く、人の中心となりたがる、それでいて他人の気持ちなど解らず鈍感で、
しかも人を惹き付けるようなアクセントのある喋り方をする非常にエゴイスティックな性格ですが、
その上に依頼心強く動物的恐怖が常に心に不安を齎し、
変化に耐えられず単純で付和雷同型で、自主的に行動することの出来ない、
大変厄介な人格で、こういった人々がどの国に於ても狂信・盲信宗派の中心となっています。
一口で言えばデリカシーや感性の美しさ、情操の豊かさといったものとは縁遠い人々であり、
そして又、あらゆる犯罪に関与しているタイプでもあるのです。
虚言、盗み、殺人、謀略、破壊へと、
宗教的狂信から思想、イデオロギーの狂信者に至る迄の共通する一つの性格類型であることが
心理学者、精神分析医のデータに於て明白でしょう。
即ちイランを暗黒へと導く狂信的イスラム教徒と左翼思想を信奉する狂信的共産主義者は、
性格的に同じパターンに属するのです。
彼等は各々自分達が献身するものが最高の理念であると信じて疑わず、
振り返ってその理念の誤りを冷静に分析することすら出来ない。
彼等にとって、"思い遣り"、"慈愛"、"天の波動"、"感性や情操の質の高さ"
といったものは遥か遠く無縁のものであり、愚かな感傷といった程度にしか理解していない。
そのような非情な教育しか受けていないのです。
GLA内外の人々も彼等と質に於て大差はありません。
恐らく私達天上の言葉には彼等の理解し、語るものとは共通の表現がないのでしょう。
又、尊敬といった高等感情もありません。
互いの人格を重んじ、心に尊敬の念を以て接する、その意味や重要性を理解出来ないのです。
なるほど狂信的な人々は、彼等自身を愛している訳でもなく、
自己の人間としての価値について振り返ってみた事もないのでしょうから、
他を真の意味に於て愛することも尊敬することも出来る筈はありません。
愛や人間の尊厳がある所に虚言も、盗みも、謀略も、殺人も起ころう筈はないのです。
只言葉遣いのみ丁寧であっても、心の底に人を軽んずる気持ちがあれば、
それは真の尊敬ではなく、偽我に過ぎないのです。
彼等が外見上穏かで円満に見えるのは、"偉大な偶像"や"メシヤ"に縋って、
小児の如く安心しているからです。嘆かわしい病的精神構造です。
私が今ここに集い、天の波動に合う為、日々魂の修業をと決意を新たにして善に徹し、
心の浄化に努めていられる人々にお願いしたいのは、
先に述べた未熟な性格の人々のようでなく、
個人の尊厳を意識し、互いに真の尊敬と、思い遣りを持ってほしいということです。
魂の修業に励む人々を立派だと思いませんか?
もしあなた方の中に自分の修行の方が立派だと他を見下す人がいるならば、
それは天上人となる資格を持たぬ人です。
又もや偽我の世界を自分で作り出し、如何に心の立派な人々と交流し、
最高の徳の教えに接し、善のみを実践しようと、
他の人々の徳が目に入らず、敬うべきを敬わず、判断の基準を狂わせて偽りの対象を敬うならば、
あなた方は知らずにGLAの再現をしようとしているのであり、
私達は再びあなた方を離れてもっと真なる善我の世界を求めて出て行かねばならないでしょう。
相手を敬う心を持つ事は徳ある人となる為の初歩の心得であり、
その気持ちがなければ互いを高め合うことなど出来ないのです。
もし自分がなべて人を軽んじて呼ぶ資格があると思う人は、それだけで傲慢な心を持つのであり、
対する人の謙虚な言葉遣いや態度が、自分より弱者であるからなどと思う人は、
余りにも物事の表面をしか見抜くことが出来ず、
そのような人々を私達の"集い"に参加させているだけでも、天の恥となります。
GLA内外であろうと、私達の"集い"であろうと、単なる読者であろうと、
主宰をなじり、千乃様を軽んじ、或いは善意を持って馳せ来たった正法者であり仲間に、
魂の修行への温かい思い遣りを持てず、敬意を払えない人は、
私から同じものを受けるであろうことを覚悟して頂かなければなりません。
特に千乃様に関しては、GLAに於ける高橋信次氏や佳子氏の場合と違い、
千乃様を通じて出るものは、単なる連絡であろうと考えであろうと意見であろうと
或いは他への批判であろうと、言葉遣いであろうと、その判断の誤りなきよう、
すべて私ミカエル及びラファエル、ウリエル、他の九次元の方々、
時にはエル・ランティ様、イエス様、ブッタ様、モーセ様の検閲と同意、
並びに許可なくして出されるものはないのです。
千乃様は公正であらんが為、その態度を最初から持しておられるのです。
この事実から、千乃様に対する軽視や侮辱は、
全天上界に対する軽視であり侮辱であると私達は受け取り、
対処するものである事を心して頂きたいと思います。
昭和五十三年一月八日の土田展子さん現象の、
千乃様を通じての人々へのメッセージ(「慈悲と愛」1978年11月創刊号掲載)に
"おがみ、あがめるな。後継者はそなたらの僕である"と述べたのは
メシヤ信仰を廃する為であって、単純にその通りに行い、
千乃様の真の価値を見抜けず、その悟りと洞察の深さを計り得ず、
自己の偽我を正見・正思と思い誤り、千乃様のみならず、私の手紙にさえ唾する事は、
それが己に返ってくること覚悟して頂かねばならないのです。
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様