現象テープ№38 「ユートピアについて」
 82年1月17日 ウリエル様現象

 私は、ウリエルです。
 今日はユートピアについて、お話ししましょう。
 あなた方が集い来たって作るユートピアとは、どんなものを言うのか。
 それを考えずして、私達は何を作っていけるのでしょう。
 物事を成す為には、方針が必要です。
 何の為に、どのようなものを作ろうとしているのか。
 どのようなものを作ろうとしているのかを考えることから、私達は始めなければなりません。
 どのようなユートピアを作ろうとしているかにより、
何が許されてはならないか、それが判ると思います。どのようなものが許されないか。
 それを考えなくては、何事も出来ないでしょう。

 まず、私達が作ろうとしているユートピアとは、如何なるものか。
それぞれの考えがあると思います。
 理想郷と言われるものは、如何なるものか。
 殺人や強盗は起こらないものであろうか。
 人々は仲良く手を取り合って暮らしているものでしょうか。
 人の好き嫌いもなく、戦争もなく、平和のみが支配する世界でしょうか。
 そう思っている人がいたら、それは間違いです。
 そのような世界は、物語の上だけの世界でしかないのです。
 まず、私達はそのような世界は作れないということを、意識しなければなりません。

 何故ならば、心の中というものは、何時も何時も動いているものであり、
悪い心が起こるのを止めることは仕方がないのです。
 それを許されないというのならば、一体如何なることが出来るのでしょうか。
 如何なる欠点をも許されない。そのような事に耐えられますか。耐えられはしないでしょう。
 私達はそういうことを、直していかなければなりません。
 ですが、何時も余裕を持って、いかなければならないのです。
 追い詰められて、追い詰められて直すのでは、それは一体、何になりますか。

 偽我になりはしませんか。
 
 私達が作ろうとしている世界では、強盗や殺人は起こるでしょう。
 喧嘩も争いも起こるでしょう。
 だけど、それを修正する方向へ動くということで、ユートピアなのです。
 殺人や強盗が起こっても、人々の心に救いがあること、
何かの理由で追い詰められても救いがあるということ。
 そこに私達の答えがあるのです。
 どのような救いでしょうか。単に、情に訴えるのみの救いでしょうか。そうではありません。
 その人を本当に生かすものでなければ、ならないのです。
 その救いを人々の心に植え付ける為に、私達は正法をやらなければなりません。
 
 私達は、強盗や殺人も、他から争いが起きぬ世界を作ろうとしているのではありません。
 そのような世界はあり得ないでしょう。
 あなた方、一人一人の心を覗いてみても判るように、
あなた方一人一人の心で、争いが一つもない、
人を恨む気持ちや、妬む気持ち、そういう心が全くない、そういう状態を想像出来ますか。
 ユートピアとは、何であったでしょう。
 一人一人の心によって、成り立っている筈です。
 ならばユートピアとは、強盗も殺人も起こらない、そのような世界を言うのでは、ありません。
 お解り頂けたでしょうか。

 単に、殺人や争いが起こらない世界ならば、
天上界が神の権威を以てして、あなた方の頭を押さえ付ければ、それでよいのです。
 それでもよいものですか。あなた方はそれで幸せになれますか。
 沸き起こってくる人を羨む気持ち、そのようなものを、頭から押さえ付けられて、
それであなた方は進歩しますか。そういった気持ちがなくなりますか。
 消しても消しても、拭い去ることが出来ない汚点として、何時迄も心に残り続けるでしょう。
 共産主義と一緒ではありませんか。

 これで私達が何故あなた方に、一人一人の活動を要求するのか、
して下さいとお願いするのか(※1)、お解りになったと思います。
 一人一人の心が、そういった状態にならなければ、ユートピアは出来ないのです。
 言葉だけの問題、概念だけの問題ではありません。現実問題がこれなのです。
 どういったものが、本当に救いなのか、情に訴えるだけが救いですか※2)。
 違うと思います。それでは人は救われません。甘やかされるだけでしょう。
 そういった人々が集まって、正しいことが出来ますか。
 今の社会で、何故正しいことが通らないのか。
 情に訴えるという救いだけが、手段となっている為に、そうなっているのです。
 その先は一人一人で考えていって下さい。

 ユートピア、私達が求めるユートピア、
そしてあなた方が念願しているユートピアというものは、こういう世界なのです。
 そしてこういう世界のあり方が、一番正しいのです。そうではありませんか。
 あなた方の湧き起ってくる心を、それを天上界は、常に権威で押さえ付けて、
幸せは何処にもありません。
 何ものにも縛られず、押さえられず、自由に出てくるもの、それを重んじるのです。
 たとえそれが悪い気持であったとしても、

それは自分で変えていかなければならないのです。
 最後迄、自分でやって行かなければなりません。
 私達がそうであるように、あなた方も又、そうなのです。
 ユートピア作りも、あなた方の力でやって行かなければなりません。

 それでは、これで私の話を終ります。
 どうも有難うございました。

※1注。
 真の意味で自らを救い得るのは己自身でしかないのだから、
彼等が真の神であることを、真に高貴な魂であることを理解出来ないでいる
盲いた人類に頼まれているのです。 
 それを何とも感じることのない人というのは、
本当に人間としてどうかしているのではないでしょうか。)

※2注。
 「現代訳 論語(雍也第六の二四)」下村湖人訳
『(弟子の)宰我が孔子に尋ねた。
 「仁者は、もしも井戸の中に人が落ち込んだと言って、騙されたら、
直ぐ行って飛び込むものでしょうか」
 孔子が答えられた。
 「どうしてそんなことをしよう。ー 君子は騙して井戸まで行かせることは出来る。
 しかし、陥れることは出来ない。
 人情に訴えて欺くことは出来ても、正しい判断力を失わせることは出来ないのだ」』
  

 理性を忘れて感情で判断してはならない。
 感情に動かされぬ、理性に立脚する者(曾て君子と呼ばれた真の正法者)でなければ、
真理に適った正しい判断は出来ないことを伝えておられます。)