現象テープ№37 「メッセージ」
 82年1月10日 イエス様現象

 私はイエスです。
 今日はもう一度あなた方に、"冷たさ"を説明致しましょう。
 あなた方が冷たいと言ったのは、あなた方に熱意がないからです。
 熱意がないというのは、どういうことを言うのか、お解りですか。
 又、あなた方は、"厳しさと優しさ"そして
"強さときつさ""温かさと優しさ"が解らない。
 すべてを併せ持とうとするが故に、すべてを失ってしまった。
 強くなろうとして、あなた方はどうなりましたか。
 厳しくなろうとして、あなた方はどうなりましたか。
 答えはこうです。
 強くなろうとした余り、優しさを忘れました。
 厳しさの中には温かさがなければならないのであり、
強さの中には優しさがなければならない。
 それでなければ、何の厳しさですか。
 あなた方に申し上げておきますが、天上界の言う強さ、厳しさというのは、
相手のことを思ってからでこそでなければなりません。
 もしあなた方の心の中に、互いを思う気持ちがあるならば、
強さや厳しさの中にも、温かさや優しさがあった筈です。
 強さ、厳しさを求める余り、あなた方はきつくなってしまっただけなのです。
 互いに対する思い遣りがない。温かさがない故に、こうなってしまったのです。
 
 あなた方の心の中に、今熱意がありますか。
 冷めてしまっている人が、多いのです。
 正法に初めて巡り会った時、心の中はどうでしたか。
 泳ぐ魚のように、飛ぶ小鳥のように軽やかであった筈です。

 今、何故そうなってしまったのか。
 あなた方の心は重く、そして冷たい。何をやるにも苦痛が伴っています。
 何故苦しくなったのか。
 悟ることに於て、苦しさは必要ですが、
今、あなた方が感じている苦痛は、悟りへとは繋がらない。
 脱落へと繋がるのです。お解りでしょうか。

 正法とは、どのようなものであったか。
 あなた方の心を解放するものの筈ではありませんでしたか。
 なのに、何故あなた方の心を縛って放さない、そのようなものになってしまったのでしょう。
 それは、もう法ではありません。単なる鎖と縛りです。

 正法はどのようなものにも結び付き、どのようなものにも解答が得られるもの故に、
あなた方の体に入った時、どのようなものにも変化します。
 悟りが一人一人に於て、差があるのはその為なのです。
 周囲を見廻してご覧なさい。軽やかな人がいるでしょう。
 正法の仕事をしながらも、明るい人がいるでしょう。
 何故、あなた方はそうならないのでしょう。考えたことがありますか。
 ですが、あなた方の心の中に、温かさを戻すのは簡単です。
 優しさも戻ってくるでしょう。どうすればよいでしょう。
 今、あなた方の心は空白です。まず、一から考え直して見なさい。
 どういうふうに考えるか。

 もし今、天変地異が起って、あなた方の家族がバラバラになり、家は崩れ、
あなた方の生活が駄目になりそうになったとします。
 その時あなたは何を考えますか。何をしようと思いますか。
 あなた方はそう考えて、心の中に熱い思いが入ってきませんか。
 是非、助けてやりたい、残った人を助けてやりたい、

死にかかっている人を、助けてやりたい、
苦しんでいる人を助けてやりたいと、そうは思いませんか。
 それが正法の原点なのです。

 たとえそれが、友人や知人ではなくても、見知らぬ者であっても、
苦しんでいれば、手を差し伸べて、少しでも、この酷い状況の中から救ってやりたいと、
そう思うのが原点なのです。
 そう思った時、あなたは隣の人に対して、どう思いますか。
 出来るだけ優しくしてあげよう、
出来るだけいい方向へ向かわしてあげよう、そうは思いませんか。

 ならば、天変地異の起こらぬ現代でも、同じではありませんか。
 何が正しいか分らず、何が間違っているか分らず、何が悪いか分らず、迷っている人は、
天変地異に遭っている人と、同じではありませんか。
 ならば、その人達に、少しでも救いを、正しいことを教えて上げよう、

そうは思いませんか※1
 確かに、仕事は多いです。
 ですが、そういった人の為と思えば、少しは気持ちが楽になるでしょう。

 あなた方に言いたいのは、体が縛られていても、心は縛られてはいけないということです。
 心が縛られてはいけないというのは、どういうことを言うのか。
 もう一度考えましょう。分らないことがあれば、聞いてきなさい。
 だが、ここまで言って、分らぬ人はまず、自分で考えてみなさい。
 自分は、なぜ分らないのか。なにゆえに、分らないのか。
 どういう所に疑問を感じているのか。
 言葉にするのです。言葉にして考えなさい。
 何も分からないままに、靄(もや)に包まれたままにしているから、
益々その疑問は大きくなり、心に重くのしかかり、やがては、仮死をしてしまうのです。

【※1注。
 神を見失ったが故の苦しみであることを悟れないばかりに、
偽りの救いを、幸せを約束する悪魔を神と信じた人々の心に、
真の神の救いから零れて行く絶望を天は見られました。

 救った者の愛が信じられた時、救われたことを知るのです。
 本当の救いが何であるか知るのです。
 自らが救う者となる、愛に生きることを知るものとなることが真の救いなのであり、
真の救いを齎してこられた天の思いに繋がるのです。

 真の愛に生きる心を得た者は、人を救わんとする愛に生きる心は、
既に自らを救っているのだと、
愛に生きる心が神の救いに与る、神と共に生きる心であることが解るのです。
 神は愛すべき者を愛する、愛を受けるに値する者だけが神に愛される
(神と共に在ることを喜びとする心だけが、天の光(慈愛)の下に来るからである)
とはそのことです。
 愛は愛に生きる心に於てのみ在るのだから、愛に生きない者が、
「愛されないのは不当である、それは神の愛ではない」と非難する時、
彼等はその憎しみを満たすことに、神を否定することに喜びを得ているのです。
 
 あなた方が、その気になりさえすれば、冷たさや空白感は消えるでしょう。
 だが、それも待っていては、何も出来ません。
 自分で始めなければならないのです。
 まず、そういう状態が苦しいと思ったならば、努力しなさい。
 何時迄も何時迄も、私達があなた方一人一人に、手を差し伸べていることが出来るでしょうか。
 あなた方は自分で、救われなければならない。
 そして、まだ救われぬ人に、手を差し伸べなければならないのです。

 
その為にも、賢くならなければならない。
 そうではありませんか。

 今日は、これから、沢山の人が現象をするでしょう。心して聞いておいて下さい。
 同じことを繰り返して、いろんな方が、お話をなさいます。
 ですが、同じことを繰り返して天上界が言うということは、どういうことなのか。
 本当に、本当の意味が、天上界の悟ってほしいと思っている意味が、
あなた方に伝わっていない
とみているからです。
 少しの機会も、無駄にしてはいけません。努力して下さい。
 あなた方一人一人に、お客さんになってほしくないからです。仲間ではありませんか。
 私が生きていた頃に、法を広めようとしたように、
あなた方も又、私達の仲間ではありませんか。
 分らぬことがあれば、聞いてきて下さい。分らずともよいのです。
 一回で分らぬ者を、馬鹿者と怒鳴りつける程、天上界は狭義ではありません。
 ですが、その前にまず、あなた方は考えなければなりません。
 考えて、考え抜いて、それから私達に聞いて下さい※2)。
 そうすれば、自分のどのような所が間違っていたか、分るでしょう。
 それではこれで、私の現象を終ります。

【※2注。
「現代訳 論語(述而第七の八)」下村湖人訳
「私は、教えを乞う者が、まず自分で道理を考え、
その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。
また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引きを与えてやらない。
むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。
しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、
二度と繰り返して教えようとは思わない」

 我執から逃れられずに苦しんでいる者なら、現天上界を信じている者なら、
彼等のメッセージの中に答えが与えられていることを知らない筈がないのです。
 それでもメッセージの中から、求めていた真理を見つけられない者は、
真理についての理解力を養ってこなかったのだから、何度でも解るまで読み返すことです。

 このようなメッセージを学べる機会を得て尚、それを為そうと欲しないのなら、
真理に、自らの意志で生きんとする自我に目覚めないのなら、
真理に生きようとする意志を持たない、
自ら生きぬ故に責任を担う苦しみがない代りに、克服しようとの精神の目覚めもない。
 如何なる結果となろうとも自らの人生を自分の意志で生きることよりも、
自ら考えることを捨て去り、責任の自覚も、
人に言われるままに生きる精神の隷属にも痛む心を持たない、
自らの意志で立てねば滅ぶ恐怖も、神に救いを見出す心も知ることなく依存の内に、
肉体の生命しか理解せずに終わるなら、
真理に生きる精神の齎す真の幸せも、精神に於て見出される神に齎されたあらゆる真理の観念も、
ただ言葉(知識)だけのものに終わるでしょう。

〖備考
 悩みを克服出来ずにいる、疑問を解決出来ずにいる者が、
克服して、解決して来られた人を知り、学ぶことが出来るのはすばらしいことです。
 しかし肝心なことは、精神を成長させねば解決には繋がらないということです。
 知識を知恵にしなければ、そのように生きられない。
 悩まなくなりさえすればいいのではありません。
 感受性を鈍くすれば、人の神の心に繋がることがない。
 人の思いも感受出来なければ、
自分の喜びしか感じない心は自分の為だけに生きるしかなくなります。

 疑問が解けたからと見出した真理に生きられなければ、
真理を見出した喜びに、そのような真理を求める心に生きる者となれなければ、
真理を感受しない精神に堕することになるのです。

 真理を見出し、真理に生きるにはどうすれば良いか天上界メッセージに語られています。
 後はメッセージを読む者が、彼等の思いを理解さえすれば、
彼等がその導きの内に明らかにされた神の愛を自らの内に見出されるでしょう。
 彼等が自ら生きられた真理を、メッセージの内に見出すことが出来るでしょう。〗

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法