現象テープ№34 ①「天による現象と霊体の構成」
81年10月18日 ミカエル大王様現象(霊媒 千乃裕子)
(「エルバーラム(82年4月初版)」62頁掲載)
異言 … 。
私はミカエルです。皆さん今日は。
さて先程の二種類の異言を皆さんは、何処の国の言葉だとお分かりになりましたか?
最初のものは今から約四千五百年前のフェニキア語であり、
その次二番目のものは、約二千年前のヘブライ語と見なされているものです。
しかし往々にして異言は、少しもその言葉を知らない人が喋ると、
なかなか何を喋っているか分からないというのが学術的な調査の結果であり、
それは日本語がウラルアルタイ語族に属しており、
前述の二つの語がセム語族に属しているということで、
全然発音の仕方、或いは言葉の並び方、そういったものが全く異種のものであるということで、
異言といってもそれは完全な異言ではなく、それに近いものと言うより他はありません。
セム語族がハム語族の言葉を喋る、或いは、
インドアーリア語族が互いに別れている分派語の言葉を喋る、
そういった事ではなく、全然違った種類の日本語では、日本に生まれた人々は、今のパレスチナ、
昔のカナンに住む人々の言葉を仲介することは、これは不可能と言わざるを得ません。
私がGLAにいた当時は、色々な人々に異言を喋らせ、
又それがその人々の転生を示すものとして霊能者は誇りを持っていたようですが、
転生という事自体が、今回私達が現正法者を通じて解説したように、実は生まれ変わりではなく、
単に霊体が人間に合体して色々な事をやらせる、行なわせる、喋らせる、書かせる、
そういった現象と申しましょうかそういった状態を指すものであって、
GLAで理解されていたものとは全然異質のものであるという事は、
皆さん正法者の方々は既に学ばれてお分かりになっていることと思います。
ですから異言と申しましても、
単に霊体が人間の発声器官を借りて発音をさせ、又喋らせることですから、
今、千乃様を通じて喋らせたように、日本語を喋る千乃様が、フェニキア語を喋る、
或いはヘブライ語を喋るという事は完全には出来ないのです。
勿論文字に書けばはっきりした言葉、即ち私の生まれた星の言葉、そういうものは書けますが、
又それに近いものは、英語を知っている千乃様にとっては表現は却って易しいのですが、
フェニキア語や、ヘブライ語のような全然異質の発音、又言語の種類というものは
このように難しいものなのです。
曾て猪飼縷衣香というエセ霊能者が、千乃様の霊能について、中傷誹謗の文書を撒き散らし、
天国シリーズが、千乃様の創作であるというようなデマを飛ばしましたが、
それをGLA内外の人々は利用し、或いは信じて私達天上界に対して、唯一の攻撃材料とし、
又人々に私達の語る言葉を総て無視するようにする手段としてきました。
そして又、ついこの十月十二~三日の頃ですが、
千乃様に園頭広周という正法会の教祖級のリーダーである人物が、これもGLA外部にあって、
色々な正法を説く人々、偽正法を説く人々のグループに属しており、
又互いに連携しておる人物ですが、その人物が、千乃様が霊能が有るという事を証明すれば、
天上界を信じよう、とそういう挑戦状を突き付けてきました。
それでご存知の通り、千乃様は病身であり、又心臓を病んでいられるので、
そういった人達に会わせて心臓の負担になり、
体にもしものことがあってはいけないので断って頂き、
土田展子さんを通じて私が会おうということになりましたが、
それは気に入らなかったようでそれには応じてきませんでした。
そういった事で、その最初の挑戦状というのが、千乃様が会わなければ霊能が無い、
という事を全国に公表する、といった性質のものでありましたから、
やはりこちらも千乃様の霊能を証明する何らかの方法を採らなければいけないという事で、
今迄は暫く現象から遠ざかっておられたのですが、
今日こういった異言と、並びに色々私が霊体について、
或いは霊能、又霊体の構成、大きさ等について証明する事によって、
千乃裕子様の霊能を証明する手段としたくこういった企画を致しました。
まず霊体である私達が、霊能や霊体、霊現象の限界などについて語る事は、
人間が語るよりも明確であり、又証言ともなるのであろうと思っております。
まず園頭氏が申してきたことには、自分が光を当てると霊能が無くなるのが常であって、
そういった人間は、真の天上界を仲介する者ではないということ、
そして千乃様と力比べをして、光を自分が当てて霊能が無くなればそれは真の天上界と認め難い、
というようなことを言ってきましたが、
そもそも霊能というものは、一旦霊道を開いて霊の言葉を仲介出来るような能力が付きますと、
その人間は霊能が突然に無くなる、ある日突然に霊の言葉を仲介出来なくなる、
ということは無いのでありまして、一旦霊能を持てば、その後はずっと、
悪霊が来ようが善霊が来ようが、その霊能者は霊の言葉を仲介する事は出来るということ、
それは死ぬまでその能力を与えられた事にになっているのです。
ですから、ある団体、例えばGLAなどで高橋佳子氏が霊能が無くなった、
という事は実は真実ではなく、霊現象をしてくれる霊体が側にいなくなったということだけで、
私達がGLAへ出かけて高橋佳子を通じて霊現象をしようと思えば、昔してもらったように、
同じように出来る訳です。
又千乃様も、霊道を開いているのですから、
今こうやってテープに録音して私の現象をして頂いているように、
これは死ぬまで能力を持っておられるのであって、
それは他の何れの霊能者にしても変わらないものです。
詰り、現象を一度行った人は、死ぬまでその能力を持っているという事であって、
光を当てたらその能力が無くなる、霊能が無くなるという事は、
単に背後霊のそういった話し合い、或いは力の強い者が力の弱い者を追い出す、
そういった形で、その相手の霊能者が霊現象をしなくなった、霊の仲介をしなくなった、
そういったことに過ぎない訳です。
それでお分かりになったでしょうか。
それから次に、霊体ということについて、
天国シリーズや『慈悲と愛』今は『JI』に改称しております現正法グループの機関誌に
色々説明しておりますが、それに少し付け加えますと、
まず霊体の大きさは、高次元など色々飛び廻る霊体というものは、
死んだ直後の、色々な雑物が構成要素の中に含まれている霊魂とは違って、
そういった物が、燃焼したり、取れてしまって小さくなり、
そしてぎりぎりの限界である大きさ、即ち私達の維持している大きさというものは、
直径5cm位のほんの小さなものであって、勿論それは人間の目には見えません。
写真に写すことは出来ます。
そしてまたそれが、不思議なことに、身体機能を果たす要素ではなくて、
寧ろ大脳の中の細胞、神経細胞、そういったものの集まりではないかと私達も考えるのです。
ですからそれは、原子というよりも、原子に分解してしまえば、
もう人間の今迄用いて来たような思考表現能力というものは失われますから、
やはり分子レベルで残っているのではないかという事が、私達討議の結果判明したようなことです。
勿論、分子レベルといっても空気位の希薄なものであって、数も少ないものであろうと考えます。
詰り、余分な物はすべて取り去られて、しかも必要不可欠な要素だけが残っている。
分子だけが構成要素として残っている。
そしてそれが生前に色々な機能を果たしていたそのままを再現し、思考、意志、
言語表現に何等差し支えのない生活を四次元に於て、ここ天上界に於て果たしているという事は、
私達にとっても非常に驚くべき現象であり、
又あなた方にとっては信じ難い事でもあるかも知れません。
特に科学者にとっては、科学的に立証されなければ、
色々な検査器具を通して、探知器具を通して、
或いは数字の上でそれが証明されなければ信じ難いといった、
そういった人々も多くいられると思います。
しかし事実は事実であって、私達はこの永い永い年月、
三億六千万年という年月をも生き続けて来たのであり、
そして今後も何千億年生きるかも分からない。
そういった状態でありながら、少しも機能の変化は無く、歳を取ったというような事も無く、
魂となった状態のままでずっと生存し続けているということは、
これは驚くべき現象と言わねばなりません。
又、その霊体としてのエネルギーは何処から取り入れるかと申しますと、
私達が何かをしようと意志する、そしてその通りに行動する、
即ち大脳の機能を働かせると、自然にそのエネルギーが意志に伴って吸収されてくる訳です。
そのメカニズムは何であるかと言いますと、
まず私達に考えられるのは、直径5cmという霊魂の塊の中に凝縮されている分子、
それは一つの磁石の役割りをし、電磁場の役割りをしている。
そして、私達が色々思考したり、言葉を用いたり、行動したりする時に、
そこに生前にあったような活動電流が流れ、
そして反射的に機能し、反射作用が機能し自然にエネルギーの交換が行われる、
そういったものであろうかと思われます。
又、分子と申しましても、ナトリウム、或いはカリウム、
そういったものを含んでいるという事は最早無いと思われます。
そういったものは、空中で消失され、
ですからそれによって生ずる電位差によって、活動電流が流れるという事では無く、
即ち生体の思考、自己表現に際しての大脳の活動、そういったものとは違って、
いえ、その機能或いは作用が違って来るのではないかと考える次第です。
その違いと申しますのは、
最初の頃は少しは電位差というものがぎくしゃくしていたかも判りません。
しかし、まず自分達の意志がしっかりしていて自己を表現しようとする場合に、
それを意識せずに行うと、そこにやはりエネルギーの交換が行われ、
自然に電位差が起きるのではないかとそういうふうにも考えられます。
或いはそのままエネルギーを吸収し、又放出する、
そういった形で自己表現が為されているのかも判りません。
そういった事は、未来の科学者の証明を待たねばならないと、私は思っております。
又、霊体が霊体である場合、そのままの形でいる時には人間の目には勿論見えません。
そして又、不便な事には霊体にも互いの形は見えないのです。
と申しますのは、私達人間は、生きていた時も、霊体となってからも、
それは生前の反射機能の条件反射の存続ですから、
物を見る、即ち光のエネルギーが網膜の感覚細胞に対して、刺激となって生ずる感覚、
そういうものには限界がありまして、虹の七色、即ち人間の目に色となって見えるもの、
四千オングストロームから七千オングストローム迄、
その限界の電磁波しか色や形となって人間の目には映じてこない訳です。
それと同じ条件反射を霊体も備えておりまして、
生きている間に見えなかった物は、霊体になっても見えない。
それは機能は同じなのであります。
又、霊能者が霊道を開いて常人の聴覚よりはやや優れた感覚を持っている場合、
非常に微細な物音に対して意識の声というような小さいエネルギーに対しても、
ちゃんと反応するようなそういった能力を備えている人間は、
天上界に上がって霊体となっても同じような能力を備えており、
生前に霊能者でなく霊道が開いておらない人間は、
天上界に上がって霊能者と同じ能力を持っているかというと、それは少し疑わしい訳であります。
案外死んでからそういった能力を備えるのは非常に容易く、
霊同志の意識交換、意識での言語の交換というものは容易に行われるのかも知れません。
さて、その霊体が互いに見えないということでありますが、
霊能者の前に色、形を伴って霊体が自分を見せる場合には、
生前の自分の顔形、或いは記憶している自分の衣装、
そういった物はそのまま自分のあがままで変化して見せることが出来ますが、
自分以外の、例えば動物に化ける、化身する、そういった場合にはそれは無理なので、
そのままそっくり変わるという事は不可能でありますから、
例えば私ミカエルに悪霊が化けようと思っても、
直ぐにその化けたままの形が悪霊の素顔に戻ってしまう。
そういった場合が多いのです。
それを防ぐ為に悪霊のやっている事は、
長い間ミカエルとしての形を現しておく為に、
恐らく幻燈か映写の様にエネルギーを投影する。
そういった形で人間の意識下に、網膜にその映像を映して見せる。
或いは空間にそういった幻燈をスライドのように映像を映して見せる。
そういった事をやっているのではないかと思います。
実際私達もそういった事は可能であるという事は既に知っております。
以上のような事が、最近私達がいろいろ討議を重ね、霊体自身の構成、
並びに能力というようなことについても結論を下した訳でもありますが、
こういった事も何時か科学というものが、
四次元の世界が三次元に存在するものであって、
電子などの素粒子研究を行うと同じく、
霊体というものを何らかの機会に被験体として登場させて、
人間と霊体が話をする、そういった形でテストをする、能力をテストする、
霊体の存在を確認する。
そういった未来科学が現実のものとなって欲しいと私達は常々望み、
そしてその希望を持ちつつ、現在はそれが叶えられていないままに、
霊能者を通じて私達の希望や計画を皆様にお伝えしたいと思い努力している訳です。
今日は随分長い現象になりましたが、
何時ものようなメッセージではなくこういった講議のようなものの形なので、
まず物を読んでいるとか、暗記しているとか、そういった中傷は外部、
内部の心ない人々によって為されることはないであろうと思い、
又これが一つの千乃様の霊能を証明するものとなって欲しいと望んでいるものです。
長い現象でしたが、これをもって私ミカエルの現象を終わりたいと思います。
一九八一年十月十八日 (現象)千乃裕子
天の現象と霊体の構成(補足) 千乃裕子
千乃裕子ですが、ミカエル様にご依頼を受けて、
ミカエル様の現象の時にお忘れになった事を一つ付け加えさせて頂きます。
園頭氏が手紙の中で消滅というのは高次元の霊が言う事ではないと断言してこられましたが、
消滅というのは今更に始まったことではなく、
聖書の中で多分ヨハネの黙示録だったと思いますが、
"二度目の死を懼れよ"というような事を二度程言っております。
それは土田さんも言っておられましたし、探せばその箇所が分かると思います。
(私はまだ見ておりませんが)又合体という事も、
天国シリーズで初めて天上界が言われたのではなく、
外典偽典の中で既に"人の中に入り込む霊"とか、
"入ってしまう魂"とか、そういう現象がございました。
正法者の皆様は御存知と思います。色々お勉強されておりますから。
でも外部の方、GLA関係の方々は知らないからそういう事を言うのだと思いますが、
消滅というのは、
一旦人間の体を持っていた人が死を迎えてそれから霊魂として存続するのではなく、
その霊魂が天上界から裁きを受けて取り上げられてしまう。
即ち霊魂の死を迎えて永遠の生命を与えられない、そういう事であるということです。
そしてこれは最後の審判であるから、審判の時期であるからそういう裁きが下るのであって、
それまでは永遠の生命というよりも霊魂のままで生かされてきた、とそういう事なのです。
〖注
"第二の死" ー ヨハネ黙示録第二十章十三~十四節、第二十一章八節(新約聖書)
"合体" ー 人の中に住む魂 ー パウロの黙示録第十四章(新約外典)〗
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様