現象テープ№20 「再び愛について」
 80年4月6日 ミカエル大王様現象(霊媒 土田展子)
(「天上界メッセージ集・続(86年1月初版)」86頁掲載)
 唯今より、私ミカエルの現象を始めたく存じます。
 今日は、再び愛について、その意義について説きたく思います。
 愛という意味に関しても、民族性により様々な違いがあり、
特にあなた方日本人には、愛という意味は曲解されることが多いようです。
 仏教が古くから根付いている国ゆえ、その意味は慈悲と混同され易いのですが、
真意は、慈悲も愛も同じようではありますが、少し違う面があります。

 それは、キリストの言う愛の厳しさがあるからです。
 真実の愛とはどのようなものか。
 愛を愛をと、世間では誰でも言います。
 しかし、真実の愛とは、果して口に容易く出る程易しいものでしょうか。
 愛は限りなく優しいもの、限りなく寛容なもの、そのようなものに定義され、
それを行う母性の象徴のようなものが愛情深いとされています。
 しかし、真実はそうではありません。
 寧ろ、厳しさを伴い、苦痛を伴い、それを行う者は、多大な勇気が必要とされるのです。

 あなた方の間に、愛の行為の成功者として知られている
イエス・キリストはどうだったでしょうか。
 その一生は、あなた方の間で愛情深い人とされている人のように、
裕福で平穏だったでしょうか。
 イエス様は、勇気を持って語られた故に迫害されました。
 何時の世でも、勇気を持って愛を行う者は、周りの人々に不安を与える為、

それは何故かというと、今現在のあなた方の生活を脅かすからです。
 何故ならば、ぬるま湯に浸かり、偽りのものが横行し、

偽りの奇蹟や、偽りの神が横行する世の中では、常に真実の者は迫害を受けるからです。
 慈悲は、誰にも太陽のように与えられるべきものとされていますが、

愛はそうではありません。
 受くるべき存在が決まっているのです。

 愛を受けるに相応しい人、それのみが愛を受ける資格があるのです。

 反感を持つ人があるかも知れません。ですが、愛を受ける資格の無い者に、
何故それに対し、反感を持つことが出来ましょうか。それを身勝手と言うのです。
 私達は、機関誌を通じ、天国シリーズを通じ、
愛について厳しい厳しい解釈を加えてきました。
 それは真実のものであるのですが、
何時の間にか惰性の愛に流されてしまったあなた方に関しては、
それと相容れないことが多いようです。

 善の定義も又、愛と等しい。
 善は、何処までも善でなければなりません。
 それを行うことによって、結果が悪と出れば、それは善ではないのです。

 善を行う為には、限りない愛と、海のように深い勇気が必要です。

 勇気とはどのようなものか。
 大勢の人の前で、いい事をするのが勇気ではありません。
 寧ろ、敵視され、迫害する者の中で、真実を行う事が勇気なのです。
 宗教者の中には、愛を、慈悲をと言う者が多いが、
その行為の中に、果して本当の愛が含まれているかどうか。

 私は、日本の宗教界でこれ程堕落しているにも関わらず、
それを拝み崇める人達がいるのが不思議でならないのです。


 愛の定義は、様々なものであってはなりません。一つのものに他ならないのです。
 それは、誠実と勇気を伴います。
 又、その愛の形にも、理解というものが加わらなければなりません。
 理解を伴わない愛は、誰に向けても撥ね付けられるものでしかありません。
 ブッタ様が、"人を見て法を説け"と言われたのもここにあります。
 如何に愛が深かろう人でもその相手に対する理解が無ければ、

それは何の役にも立たないことを知って置いて下さい。

 あなた方の中で、今日の集いで得る所があり、私の話に少しでも心を動かされたのならば、
明日から少しでも心を磨き、愛を行い、詰り、その愛とは何かということを常に深く考え、
寛容とは何か、慈悲とは何か、そういったものを深く考えて欲しいのです。
 様々な問題に対し、正法は適用されなければなりません。
 それでなければ、解決には成らないのです。
 今迄の宗教のように、その場限りの、現実から逃避するだけの宗教であってはなりません。
 これから正法は、表に向って飛び出すものでなければならないのです。
 正しき者を救い、悪しき者を切り捨て、絶対的なものを信用し、悪は許してはならない、
そういったものでなければならないのです。


 あなた方の中に於ては、仏教の、誰でも救われるという式の考え方を捨て、
寧ろキリスト教の、信じる者が救われる、詰り、神を信じる者だけが救われる、
という厳しさが加わらなければならないのです。
 モーセ様の時代に、"ヤーウェは、妬む神である"と言われたのはここにあります。
 お解りでしょうか? 
 これからの正法者が、真実の為に迫害され、義の為に非難を受けることがあろうとも、
それは後には喜びと変るでしょう。
 ですからあなた方は、今現在の他宗教からの攻撃にも負けないようにして下さい。
 私達は、常に反宗教の立場に立つ為、
これからは様々な波風が立ってくることに違いないのです。
 でも、それに逐一負けていては、正法は広まりません。
 あなた方が、何かの為にここに集い、正法を学び、自分の心を浄化し、
そして世の中を、末法の世を救おうと考えたのならば、
あなた方は、その目覚めた一人として行動しなければならないのです。
 一人一人がイエス・キリストのような勇気を持ち、

一人一人がブッタのような慈愛を持ち、
一人一人がモーセのような行動力を持たなければならないのです。


 私達天上の霊は、天上に於て、そしてあなた方の傍らに於て、
あなた方を指導し、導くことしか出来ません。
 それは、流布の過程に於ても、あなた方個人の悟りに於ても、同じような意味を持ちます。
 私達は、あなた方の助けにはなるが、根本的な悟りは自分自身で悟らなければなりません。
 あなた方自身で深く考え、私達の語る言葉から真実を汲み取り、
自分で更に発酵させ、自分のものへとしなければならないのです。
 私達の言葉を只暗記し、只繰り返し覚えるといったことでは悟りは開けません。
 それから深い意味を探り、何が言いたいのか、
私は何をしなければならないのだろうということを考えなければならないのです。

 正法を学んで、あなた方一人一人に道が開けるでしょう。
 あなた方一人一人に違う道が待っているでしょう。
 その中に於て、あなた方自身の人生を歩んで、正法を広めていって欲しいのです。

 あなた方の生き方が正しいならば、あなた方は幾人かの人を救うことになるでしょう。
 己の悟りと他人の救い、そして又、正法の流布と自分への悟り、
或いは又、愛と真実と、勇気と真理と、八正道と中道と、
これらは、只一つ一つを解決してゆくといったものではありません。
 一つ一つが一体となり、融合して全部が一緒に進んで悟らなければならないのです。
 融合された形で悟ってゆくのであって、一つ一つを悟ったというのではないのです。
 お解りでしょうか?
 それでは、私の現象は最初で終わる筈でしたが、また後程、
会の終りに再び現象したく思いますので、最初はこれで終らせて頂きます。
 有難うございました。

 再び講座を持ちたく存じます。
 さて、今日の講座は善と悪についてでしたが、それは果たしてどのような事なのか、
そういう事を少しお話しして私の話も終りたく存じます。
 一度、あなた方が今の生活の視点から目を転じ、目を閉じてごらんなさい。
 母なる大地の鼓動が聞こえ、父なる法則性のリズムが聞こえるでしょう。
 それは何故か。
 それこそが、神と呼ばれ、宇宙の法則と呼ばれ、
私があなた方に伝える所の、具体的な神と呼ばれるものなのです。
 才能のある者は、詩人となり音楽家となり、
天分のある者は、自然科学者となりました。
 それぞれに自然の喜びを享受していったのです。

 そして又、あなた方人類も、その自然から発生したのであり、
あなた方が今直面している様々な問題に関しても、
今あなた方は進化の途中にあるということで、決して行き詰りではないのです。
 末法思想は、終末思想とは違います。
 終末思想には、文字通り終りであり、先がありませんが、末法思想には次があるのです。
 新たな未来が控えているのです。
 末法思想とは、人類のあなた方の心の面による進化という意味に他なりません。
 あなた方は、今の混乱の時を経て、進化しなければならないのです。
 あなた方人類は、もう進化し終ったのではありません。
 肉体的な、生態学的な体の進化は遂げ終えましたが、
あなた方には重要な、心の進化がまだ終ってないのです。


 古くから、人類の文明は滅びては栄え、栄えては滅びしてきました。
 その度に一つずつ、人類は英知を学び文明を築き上げ、
高度な物質文明を造り上げてきました。
 しかし、その反面、心の文明、詰り、あなた方が良心と呼び、道徳と呼び、神と呼び、
宗教と呼び、私達があなた方に呈示してきたもの、それらの発達が無かったのです。
 もし、あなた方がそれらのものをその時代に理解したならば、
それらの宗教は今残っている筈はないでしょう。


 人類の心の面が少しずつ変化してきたように、神の概念も又少しずつ変化してきました。
 私達の今の正法が説く、愛の厳しい概念についても同じことが言えるのです。
 よく動物保護、自然環境保護団体等で、人類は自然から発生してきているのに、
人間だけが自然破壊を行い、動物を殺戮しているから人間は駄目だ、という意見を聞きます。
 ですが、私達は、少しそれに異を唱えなければならないのです。
 人間は、今の状態がもし最高の進化の状態であるならば、何故私達人類は、
己の造り出した文明の弊害に目を背け、心を傷めなければならないのでしょう。
 もし、これが最高の進化の形であるのならば、私達は良心に何の呵責も感じない筈なのです。


 それを克服することが、今のあなた方に与えられた進化の条件なのです。
 末法を経て、あなた方は新たなるユートピアの時代、詰り、
人類の新たな進化の局面を経なければなりません。お解り頂けるでしょうか?
 今の行き詰りは、生まれ変わる為の行き詰りでしかないのです。

 末法思想になり、地球が滅びるから、人類はもう駄目になるから、
それだから神に縋って生きよう、そういう甘い心、そういう卑しい心では、
天はそういう者いは救いの手を差し伸べません。お解りでしょうか?

 それでは、あなた方は今日、この私の話を聞き、そして講師方の話を聞いた後、
家に帰ったら、先ずこの事をよく考えて下さい。
 個々の人生に於て自分の心の進化とは何なのだろう、私はどういう変化を経て進化してきたか。
 進化という言葉は、生物学にのみ当てはまるものではないのです。
 それは、屡々成長といった言葉でも使われてきましたが、今新たなる言葉で、
進化という言葉で考えてみて下さい。それがあなた方の今月の宿題です。
 飛ぶ鳥は何故美しいのか、海を泳ぐ魚は何故清々しく見えるのか、それをよく考えて下さい。
 人間は、どうあるのが一番人間らしいのか、それを個々で考えて欲しいのです。

 これで私のお話を終わらせて頂きます。有難うございました。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法