現象テープ№20 「再び愛について」
80年4月6日 ミカエル大王様現象(霊媒 土田展子)
(「天上界メッセージ集・続(86年1月初版)」86頁掲載)
唯今より、私ミカエルの現象を始めたく存じます。
今日は、再び愛について、その意義について説きたく思います。
愛という意味に関しても、民族性により様々な違いがあり、
特にあなた方日本人には、愛という意味は曲解されることが多いようです。
仏教が古くから根付いている国ゆえ、その意味は慈悲と混同され易いのですが、
真意は、慈悲も愛も同じようではありますが、少し違う面があります。
それは、キリストの言う愛の厳しさがあるからです。
真実の愛とはどのようなものか。
愛を愛をと、世間では誰でも言います。
しかし、真実の愛とは、果して口に容易く出る程易しいものでしょうか。
愛は限りなく優しいもの、限りなく寛容なもの、そのようなものに定義され、
それを行う母性の象徴のようなものが愛情深いとされています。
しかし、真実はそうではありません。
寧ろ、厳しさを伴い、苦痛を伴い、それを行う者は、多大な勇気が必要とされるのです。
あなた方の間に、愛の行為の成功者として知られている
イエス・キリストはどうだったでしょうか。
その一生は、あなた方の間で愛情深い人とされている人のように、
裕福で平穏だったでしょうか。
イエス様は、勇気を持って語られた故に迫害されました。
何時の世でも、勇気を持って愛を行う者は、周りの人々に不安を与える為、
それは何故かというと、今現在のあなた方の生活を脅かすからです。
何故ならば、ぬるま湯に浸かり、偽りのものが横行し、
偽りの奇蹟や、偽りの神が横行する世の中では、常に真実の者は迫害を受けるからです。
慈悲は、誰にも太陽のように与えられるべきものとされていますが、
愛はそうではありません。
受くるべき存在が決まっているのです。
愛を受けるに相応しい人、それのみが愛を受ける資格があるのです。
反感を持つ人があるかも知れません。ですが、愛を受ける資格の無い者に、
何故それに対し、反感を持つことが出来ましょうか。それを身勝手と言うのです。
私達は、機関誌を通じ、天国シリーズを通じ、
愛について厳しい厳しい解釈を加えてきました。
それは真実のものであるのですが、
何時の間にか惰性の愛に流されてしまったあなた方に関しては、
それと相容れないことが多いようです。
善の定義も又、愛と等しい。
善は、何処までも善でなければなりません。
それを行うことによって、結果が悪と出れば、それは善ではないのです。
善を行う為には、限りない愛と、海のように深い勇気が必要です。
勇気とはどのようなものか。
大勢の人の前で、いい事をするのが勇気ではありません。
寧ろ、敵視され、迫害する者の中で、真実を行う事が勇気なのです。
宗教者の中には、愛を、慈悲をと言う者が多いが、
その行為の中に、果して本当の愛が含まれているかどうか。
私は、日本の宗教界でこれ程堕落しているにも関わらず、
それを拝み崇める人達がいるのが不思議でならないのです。
愛の定義は、様々なものであってはなりません。一つのものに他ならないのです。
それは、誠実と勇気を伴います。
又、その愛の形にも、理解というものが加わらなければなりません。
理解を伴わない愛は、誰に向けても撥ね付けられるものでしかありません。
ブッタ様が、"人を見て法を説け"と言われたのもここにあります。
如何に愛が深かろう人でもその相手に対する理解が無ければ、
それは何の役にも立たないことを知って置いて下さい。
あなた方の中で、今日の集いで得る所があり、私の話に少しでも心を動かされたのならば、
明日から少しでも心を磨き、愛を行い、詰り、その愛とは何かということを常に深く考え、
寛容とは何か、慈悲とは何か、そういったものを深く考えて欲しいのです。
様々な問題に対し、正法は適用されなければなりません。
それでなければ、解決には成らないのです。
今迄の宗教のように、その場限りの、現実から逃避するだけの宗教であってはなりません。
これから正法は、表に向って飛び出すものでなければならないのです。
正しき者を救い、悪しき者を切り捨て、絶対的なものを信用し、悪は許してはならない、
そういったものでなければならないのです。
あなた方の中に於ては、仏教の、誰でも救われるという式の考え方を捨て、
寧ろキリスト教の、信じる者が救われる、詰り、神を信じる者だけが救われる、
という厳しさが加わらなければならないのです。
モーセ様の時代に、"ヤーウェは、妬む神である"と言われたのはここにあります。
お解りでしょうか?
これからの正法者が、真実の為に迫害され、義の為に非難を受けることがあろうとも、
それは後には喜びと変るでしょう。
ですからあなた方は、今現在の他宗教からの攻撃にも負けないようにして下さい。
私達は、常に反宗教の立場に立つ為、
これからは様々な波風が立ってくることに違いないのです。
でも、それに逐一負けていては、正法は広まりません。
あなた方が、何かの為にここに集い、正法を学び、自分の心を浄化し、
そして世の中を、末法の世を救おうと考えたのならば、
あなた方は、その目覚めた一人として行動しなければならないのです。
一人一人がイエス・キリストのような勇気を持ち、
一人一人がブッタのような慈愛を持ち、
一人一人がモーセのような行動力を持たなければならないのです。
私達天上の霊は、天上に於て、そしてあなた方の傍らに於て、
あなた方を指導し、導くことしか出来ません。
それは、流布の過程に於ても、あなた方個人の悟りに於ても、同じような意味を持ちます。
私達は、あなた方の助けにはなるが、根本的な悟りは自分自身で悟らなければなりません。
あなた方自身で深く考え、私達の語る言葉から真実を汲み取り、
自分で更に発酵させ、自分のものへとしなければならないのです。
私達の言葉を只暗記し、只繰り返し覚えるといったことでは悟りは開けません。
それから深い意味を探り、何が言いたいのか、
私は何をしなければならないのだろうということを考えなければならないのです。
正法を学んで、あなた方一人一人に道が開けるでしょう。
あなた方一人一人に違う道が待っているでしょう。
その中に於て、あなた方自身の人生を歩んで、正法を広めていって欲しいのです。
あなた方の生き方が正しいならば、あなた方は幾人かの人を救うことになるでしょう。
己の悟りと他人の救い、そして又、正法の流布と自分への悟り、
或いは又、愛と真実と、勇気と真理と、八正道と中道と、
これらは、只一つ一つを解決してゆくといったものではありません。
一つ一つが一体となり、融合して全部が一緒に進んで悟らなければならないのです。
融合された形で悟ってゆくのであって、一つ一つを悟ったというのではないのです。
お解りでしょうか?
それでは、私の現象は最初で終わる筈でしたが、また後程、
会の終りに再び現象したく思いますので、最初はこれで終らせて頂きます。
有難うございました。
再び講座を持ちたく存じます。
さて、今日の講座は善と悪についてでしたが、それは果たしてどのような事なのか、
そういう事を少しお話しして私の話も終りたく存じます。
一度、あなた方が今の生活の視点から目を転じ、目を閉じてごらんなさい。
母なる大地の鼓動が聞こえ、父なる法則性のリズムが聞こえるでしょう。
それは何故か。
それこそが、神と呼ばれ、宇宙の法則と呼ばれ、
私があなた方に伝える所の、具体的な神と呼ばれるものなのです。
才能のある者は、詩人となり音楽家となり、
天分のある者は、自然科学者となりました。
それぞれに自然の喜びを享受していったのです。
そして又、あなた方人類も、その自然から発生したのであり、
あなた方が今直面している様々な問題に関しても、
今あなた方は進化の途中にあるということで、決して行き詰りではないのです。
末法思想は、終末思想とは違います。
終末思想には、文字通り終りであり、先がありませんが、末法思想には次があるのです。
新たな未来が控えているのです。
末法思想とは、人類のあなた方の心の面による進化という意味に他なりません。
あなた方は、今の混乱の時を経て、進化しなければならないのです。
あなた方人類は、もう進化し終ったのではありません。
肉体的な、生態学的な体の進化は遂げ終えましたが、
あなた方には重要な、心の進化がまだ終ってないのです。
古くから、人類の文明は滅びては栄え、栄えては滅びしてきました。
その度に一つずつ、人類は英知を学び文明を築き上げ、
高度な物質文明を造り上げてきました。
しかし、その反面、心の文明、詰り、あなた方が良心と呼び、道徳と呼び、神と呼び、
宗教と呼び、私達があなた方に呈示してきたもの、それらの発達が無かったのです。
もし、あなた方がそれらのものをその時代に理解したならば、
それらの宗教は今残っている筈はないでしょう。
人類の心の面が少しずつ変化してきたように、神の概念も又少しずつ変化してきました。
私達の今の正法が説く、愛の厳しい概念についても同じことが言えるのです。
よく動物保護、自然環境保護団体等で、人類は自然から発生してきているのに、
人間だけが自然破壊を行い、動物を殺戮しているから人間は駄目だ、という意見を聞きます。
ですが、私達は、少しそれに異を唱えなければならないのです。
人間は、今の状態がもし最高の進化の状態であるならば、何故私達人類は、
己の造り出した文明の弊害に目を背け、心を傷めなければならないのでしょう。
もし、これが最高の進化の形であるのならば、私達は良心に何の呵責も感じない筈なのです。
それを克服することが、今のあなた方に与えられた進化の条件なのです。
末法を経て、あなた方は新たなるユートピアの時代、詰り、
人類の新たな進化の局面を経なければなりません。お解り頂けるでしょうか?
今の行き詰りは、生まれ変わる為の行き詰りでしかないのです。
末法思想になり、地球が滅びるから、人類はもう駄目になるから、
それだから神に縋って生きよう、そういう甘い心、そういう卑しい心では、
天はそういう者いは救いの手を差し伸べません。お解りでしょうか?
それでは、あなた方は今日、この私の話を聞き、そして講師方の話を聞いた後、
家に帰ったら、先ずこの事をよく考えて下さい。
個々の人生に於て自分の心の進化とは何なのだろう、私はどういう変化を経て進化してきたか。
進化という言葉は、生物学にのみ当てはまるものではないのです。
それは、屡々成長といった言葉でも使われてきましたが、今新たなる言葉で、
進化という言葉で考えてみて下さい。それがあなた方の今月の宿題です。
飛ぶ鳥は何故美しいのか、海を泳ぐ魚は何故清々しく見えるのか、それをよく考えて下さい。
人間は、どうあるのが一番人間らしいのか、それを個々で考えて欲しいのです。
これで私のお話を終わらせて頂きます。有難うございました。
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様