現象テープ№18 「魂の研磨について」
 80年2月10日 ガブリエル様現象(霊媒 土田展子)
(「天上界メッセージ集・続(86年1月初版)」79頁掲載)
 私はガブリエルです。本日は、魂の研磨について少しだけお話をしようと思います。
 人類は、自然から完全に独立して、自分で歩き始めるようになった時、
何故そうなったかといえば、知性即ち知識を持ち始めたからでした。
 知性を持つが故に、悩みが出来、苦しみが生まれ、歪みが出てきました。
 そして神は、知性を持つと共に理性をも与えられました。
 理性とはどのようなものか。
 それは種々の感情や欲望を制御するものとしての働きを持つものです。
 理性とは、単に本能的な欲望を抑える為のものではありません。
 知性から出る欲望をも抑えなければならないのです。

 曾て、キリスト教が世界に広まり、教会が巨大な権力を握った時、
科学は暗黒の時代を迎えました。
 そして、その次の時期に、ルネサンスが訪れ、人々は人間解放の時とばかりに、
人間性の回復を叫びました。
 その次に来たのが現代へと繋がっている啓蒙思想の時代です。
 人類は、この時代に神を捨て去ったのです。
 人間は危機に立った時に、神に救いを求めるか、
それとも自分自身に対して、理性に対して救いを求めるかのどちらかと思ってまいりました。
 そして現在は、人間がどちらの方へ進もうかと迷っている時期であり、
それだからこそ、混迷の時期が訪れているのだと思います。
 神か理性か、その選択はあなた方に於ては、もう答えを与えられているのです。
 神も理性もどちらもなければなりません。
 もし知性のみでは、善悪、いずれの方向へ向かうか分からない程の危険を孕んでいるからです。

 又、人間は決して一人では大地に立つことは出来ません。
 それは、あなた方人類の歴史を見ても明らかであるし、
あなた方個々の人生を見ても明らかでしょう。
 一時は悩みから解放され、苦しみを克服したと思っても、
その次の瞬間には、もうその確信が崩れてしまう。
 些細な人からの一言、或いは世の中の現象が、あなた方の心を容易く変えてしまうからです。
 人間とは本当に弱い。
 何か一つの確信を持たなければ、

人間の持つ善性、即ち善我などは直ぐに崩れ去ってしまいます。
 それはあなた方自身でもよく経験するところの事だと思います。
 しかし、悪に弱いということが、人間の一面だと理解してはいけません。
 それが人類の歴史を誤らせて来た一端でもあるのです。

 それは人間の業(カルマ)かも知れません。

 天を信じ、自分の力を超えるもの、人間の存在を超えるものを知る時、
人間には、安らぎが訪れます。
 これもあなた方の人生に於て、経験済みでしょう。
 まして、正法を知ったあなた方ですから余計だと思います。

 しかし、正法を知ったからといって、完全にあなた方が苦しみから解放されたとは信じません。
 勿論、根本的な苦しみからは解放されたでしょう。
 何故なら、神があり、善は必ず報いられ、悪は罰せられるという法則が、
あなた方の前に呈示されているからです。
 それによって、善を敢然と行うという勇気が、あなた方に出て来る筈です。

 しかし、神を信じることによってのみ、
自分の悩みや苦しみを克服してしまったと思ってはいけません。
 神は悩みや苦しみを隠すもの、隠させるものではなく、それから解放させるものだからです。
 魂の解放、悩みからの解放、苦しみからの解放、
それがあなた方人類の永遠のテーマの一つでもあります。
 又その事は、魂の研磨にも繋がるのです。解放されるという事は決して楽ではありません。
 魂の研磨も幾度も言うように決して楽なものではありません。
 自分を厳しく見つめるという事、それが一番難しいのです。
 他人を厳しく見つめる事は簡単です。
 ですが、自分自身を、第三者の目から厳しく見つめる、
言葉で言う事は簡単ですがこれ程難しい事はないのです。
 八正道、愛や慈悲の行い、魂の研磨、自分を見つめること、
これらは一度に徐々に行われてゆくべきものであって、
どれか一つを一つ一つ得てゆくというものではありません。
 努力も必要ではありますが、徒に神を信じれば良いというものでもないのです。
 
 解放とは難しい、本当に難しいのです。
 ましてやあなた方の心の中に於て、偽我の部分があるならば、それは尚更でしょう。
 自分を厳しく見つめるという事は、それだけ自分に対して批判を加える事であり、
自分に批判を加えるという事は何と辛い事でしょう。

 それは、若い人には簡単でしょうが、歳を取った者になる程、それは難しくなるようです。

 よく、革命を好む若者や、指導者の間に、解放、解放と言われますが、
果たして真の解放が為されているでしょうか。
 私達の目から見ると、解放、解放と言う人々は
何かお祭り騒ぎの好きな人々のような気がしてならないのです。
 共産主義者も解放、解放と言いますが、それは束縛にしか繋がりません。
 共産主義というのは、純粋な経済面に於てのみ活用されるべきであり、
政治体制に用いられるべきものではないのです。
 自由なき解放が何処にありましょうか、自由なき体制の何処に解放があるでしょうか。

 魂の研磨、そして自己を超えるもの、自分の存在を超えるものへの信仰、
それを神とも自然とも呼べるでしょう。
 それから、あなた方自身の理性の確信、それを確り持っていて欲しいと思います。
 善は何があっても貫かなければならない。
 たとえ、あなた方の生命が脅かされるような危険に遭おうとも、
決して善を捨ててしまってはならないのです。
 悲しいかな、あなた方の世界に於ては、善よりも悪の方が強い。悪の方が良く見える。

 口では善行しよう、愛を持とう、慈悲を持とう、隣人愛は大切だ、などと言えますが、
実際にそれを行っている人がいるでしょうか。
 平生から気を付けることも大事ですが、
一番大切なのは、あなた方自身が窮地に追い込まれた時、
それこそイエス様の仰しゃる愛が為されなければならないのです。
 そこから出るものが、本当のものなのです。

 
 八正道を行わなければならない、美しい心を持とう、清らかでいよう、
正しく見なければならない、言う事は簡単です。
 又、抽象的に並べる事なら誰でも出来ます。
 しかし、ここで大切なのは、今迄そういった美辞麗句が、あなた方の歴史の中で、
様々な人が言ってきたにも関らず少しも為されてはいないという事。
 それが一体何を意味しているのか。そういう抽象的なことではもう間に合わないのです。
 あなた方個人の悟り、あなた方個人の考え方による悟り、それが必要なのです。


 メシヤ信仰というものは、二千年前、三千年前、
四千年前の人々が必要としたものであって今のあなた方に必要なものでしょうか。
 単に美辞麗句を並べるだけの宗教家なら、教科書を読む方がましなのです。
 今本当に、為されなければならないのは、実践に依る悟り、
自分を厳しく見つめる事から出来る本当のものを見つめる力なのです。
 本当のもの、本当のもの、私もこのように形容詞を並べますが、
あなた方はこの形容詞も注意して聞かなければなりません。
 あなた方自身で苦しみ、
あなた方自身によって克服されなければならないものだからです。

 心の指針が失われた、私達は大事なものを失ったと、
あなた方自身の間でもよく言われています。
 しかし、今のあなた方の価値基準が崩れようとしているのは、
過去に持っていた良いものを失ったせいなのでしょうか。
 それは違います
。それは失われたのではなく、役に立たなくなったのです。
 二千年前の宗教は、二千年前の生活規準、二千年前の状況によって語られたものでした。
 今のあなた方に、二千年前のものを適用しても少々のズレがあるのは仕方ないのです。
 失われてしまったのは仕方ありません。
 それは意味をなさなくなったのです。
 寧ろあなた方に必要なのは、それら過去に失ったものを取捨選択して、
いいものだけを取り出す事。
 わざわざ二千年前に為された生活形態を、現在に適用する必要は全くないのです。
 科学文明、物質文明はいけないと言われる、それは確かにそうです。
 しかし、かと言って、それを全面的に否定していいものでしょうか。
 医学の進歩は、あなた方に不幸な面を齎したと言う人が沢山います。
 しかし果してそうでしょうか。
 少し悪い面があるからといって、全面的に否定するのはどうでしょうか。
 良いものは良いと認め、悪いものは捨てなければならない。それが大切なのです。
 メシヤ信仰など必要ないのです。
 あなた方は、一人一人、悟りを開けるように、
十分教育も得ていますし情報も盛んに交換されており、天の力もあるのですから。

 それから、もう一つ私達があなた方に言って置きたいのは次のような事です。
 世紀末と言われるこの現在、世界中に予言占いが流行しております。
 しかし、占いや予言といったものが、あなた方に一体何の役に立つでしょう。
 救世主が生まれたからといって何の役に立つでしょう。メシヤ信仰をして何になるでしょう。
 予言や占いが当たるからといって、あなた方の人間性の不幸な一面が克服されるでしょうか。
 人間の持つ残虐な戦争への本能が解消されるでしょうか。
 占いが当たったからといって、あなた方の苦しみが克服されますか?
 何の解決にもならないのです。
 未来への不安が募る現在、占いや予言に、
あなた方が救いを求める気持ちは解らないではありません。
 しかし、占いや予言を求めてもどうにもならないのです。
 未来の事を当ててみせても、それがあなた方の一体何の役に立ちますか。
 よく考えてみて下さい。

 今、あなた方に必要なのは、隣人に対する愛、
自分を殺して他に尽くす愛をみんなが行う事なのです。
 人の事を考えること、人の為に尽くす行動、そういうものを行っていって欲しいのです。
 他の宗教にあるように、自分の繫栄を望むだけのものであってはなりません。
 人の幸せを考える事、これが必要なのです。お解りでしょうか。

 
 今、あなた方に必要なのは、世界中に溢れている難民の為に少しでもお金を出したり、
慈善活動や福祉活動に参加する事なのです。
 或いは又、正法の流布にも力を入れて欲しいと思います。
 あなたも正法を得て幸せになったのなら、その分だけ正法を知らない人にも教えて欲しい。
 あなた方が幸せを得たのなら、他の人にも幸せを分け与えて欲しいのです。

 愛とはどのようなものか、一人一人が考えてゆかねばなりません。

 私達が何度現象を行おうとも、
あなた方が一人一人考えようとしなければ、何にもなりません。
 又、私達がどんなに言葉を尽し、愛を語ろうと、自由を語ろうと、慈悲を語ろうと、
あなたの心の中に人を思う心が湧かなければ、何にも役に立ったとは言えないのです。
 私達が説くのは、あなた方自身の心の悩みや苦しみの解放という事もあります。
 それと同時に、他の人に対する愛、隣人に対する思い遣りのある行動、

理解を示すことを訴えるのです。
 勿論、自己愛も大切です。その意味で両方過不足なく行っていって欲しいのです。

 占いや予言は、何の役にも立ちません。これだけははっきりと申し上げて置きます。
 占いや予言が当たったからといって、その人の悪い性格が直った、
その国の悪い不幸な事が無くなったということを私達は知りません。
 寧ろあなた方個人の悟りに於て、その人の不幸な一面が回復されるのです、
克服されるのです。
 先の事が分からないからといって、
不安がってオカルト的なものに逃避する事は尚更いけません。
 それこそ逃避であり、何の解決にもならないからです。
 未来への不安が生まれたら、まず確りと自分を見つめ直す事、この社会を見つめ直す事、
それが大切です。

 現在の正法の使命は、あなた方の個人個人の苦しみの解決もありますが、
それと同時に社会問題にも適用されなければならない。
 今迄の宗教で社会問題に即応出来るものであったでしょうか。無かった筈です。
 この正法はその意味で様々な広がりを持ち、無限の輝きを持つものです。
 あなた方は一人一人、筋金入りの論客になって、
世の中の不正を正してゆかなければなりません。
 それには勇気が要りますが、あなた方はそれを与えられているのです。
 社会がこうだからといって諦めてはいけません。
 正法がそういうものから逃げる場であってはならないのです。
 寧ろ正法から始まるものでなければなりません。
 正法は自己満足であってはなりません。
 他人の幸せを願うもの、社会の調和を望むものでなければならないのです。

 その為には、うやむやに社会問題を扱ってはならないのです。
 現実的に即応出来るものでなければなりません。
 それは、八正道や愛、慈悲といった、そういったものからの総合的な判断から生まれます。
 更に、八正道や愛、この抽象的な言葉を悟るにはあなた方の苦しい実践以外にないのです。

 その為には、なるべく具体的な例を挙げて話し合ってゆきましょう。
 それだからこそ、私達と一緒に、社会の調和へ踏み出してゆこうではありませんか。
 私達は思うのですが、本当に、もう本当に地球が滅びるかも知れない瀬戸際に、
どうしてあなた方人類はこんなにのんびりしていられるのであろうと、

不思議で仕方がないのです。
 どの問題を取ってみても問題は複雑であり、深刻です。
 生態環境、或いは大国間の核武装競争、社会観の不安、社会意識の退行。
 どれを取ってみても、溜息を付かざるを得ません。
 それだからといって逃げる事は、決して許されないのです。
あなた方の社会なのですから。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法