現象テープ№8 「正法講座」
 77年12月14日 イエス様現象(霊媒 土田展子)

 あなた方がこれから学ばなければならないのは、敵を愛し、迫害する者の為に祈れという、
私が広めた愛について、悟らねばなりません。
 迫害する者を愛し、呪う者を祝福し、辱める者に親切にするということが、
あなた方は出来ますか。
 恐らく、今のあなた方には、それを実行するのは無理ではないかと思います。
 何故ならば、あなた方が、もし辱められたり、迫害されたり、
或いは嫌いな人に悪口を言われた場合などには、何時も怒りが先に立ってしまって、
中々許すということは、出来ないように思われます。
 ですが、あなた方は罪を憎んで人を憎まず、とあるように決して人を憎んではなりません。
 もし、あなた方が人を憎めば、同じようにあなた方は憎まれるでしょう。
 そして、あなた方が人を裁けば、同じようにあなた方も裁かれるでしょう。
 そして、あなた方が、もし誰かを秤で量るならば、
あなた方も同じように秤で量られるでしょう。
 ですから、あなた方はすべての者を許し、すべての者を愛しなさい。
 あなた方は、自分の兄弟だけを愛するのではありません。
 あなた方の隣り人、あなた方と同じ境遇に置かれている人々、
置かれていない人々をも愛しなさい。
 人を愛するということは、あなた方が愛されるということの始まりであり、
そこからあなた方の幸せは始まるのです。


 真理の為に働くならば、家を捨て、兄弟を捨て、親を捨て、畑を捨てねばなりません。
 又、そうした者には、必ず後からそれに相応しい報復を受けるでしょう。
 一時の悲しみに敗けてはいけません。又、一時の誘惑に敗けてはいけません。
 あなた方は、誘惑や悲しみに打ち克ってこそ、大きな喜びが待っていることを知って下さい。
 愛は大きくて広く、そして寛大なものです。
 憎しみが伴う愛とは違います。
 何度も言うように、あなた方が人を愛せば、同じだけ愛されるでしょう。
 同じだけ愛されるのならば、あなた方は神の愛を持って、人々に接しねばなりません。
 神の愛ということは、あなた方は既に勉強して、理論では既に知っていると思いますが、
中々実行には移せないものです。
 決して、人を憎んだり、裁いたり、嫌ったりしてはいけません。

 私は罪人は許せと言いましたが、真理を知っていながら、
それを実行しない人、又信仰しない人は、忌み嫌うべきです。
 そういう人を許してはいけません。
 偽善者を許してはいけません。

 偽善者達は、自分の目の中に梁があると気付かないまま、
他人の目にある塵を落とそうとします。
 この意味が解りますか?
 自分に非があるのに、他人の間違いを正そうとすることです。
 盲人が盲人の手を引いて歩くことは出来ません。
 同じように、あなた方もそういう人に導かれたならば、
地獄の火炎があなた方を待ち受けているでしょう。
 又そのような偽善者はあなた方が落ちて行く地獄よりも又、
より酷い所に落とされて行くでしょう。
 
 ですが、そういう人にこそ、光りは与えられるべきです。
 日本の親鸞も説きましたが、善人は勿論、その神の光を仰ぐことが出来ますが、
悪人には尚更それが必要です。
 あなた方も道を選ぶならば、容易い方の道を選ばないで、難しい方の道を選びなさい。
 そうすれば、あなた方は神の子と仰がれるでしょう。
 又、その道は真理に沿ったものでなければなりません。
 何時までも何時までも、心貧しく、柔和で清くありなさい。
 又、鳩のように素直でありなさい。

 私が十字架に付けられ、罪の贖いとなった時、それは何の為かというと、
それはすべての人の犯している罪の、神に対する懺悔の気持ちからでした。
 すべての人々が犯した罪を、私が背負って十字架に立ち、
そして神の民衆に対する怒りを解いたのです。
 多くの人が言うように、現在は末法の世であり、
ヨハネの黙示録に記されているようなことが起こるかも知れません。
 ヨハネの黙示録に書かれてあることは来るべき近い将来のことを予言しているのであり、
決して被害妄想に満ちたものではないのです。

 あなた方はまだ小さく、よく物が解らないのだから、
偽善者に惑わされたり、汚い悪に染まっていったり、妥協を許してはいけません。
 何時までも何時までも自分の信念を曲げず ー それは正しいものでなければなりませんが ー 
勿論、真理に沿ったもので、その真理については妥協を許してはなりません。
 そのことを、何時までも頭に置いて、これからの人生を歩でゆきなさい。
 私は最早、肉体を持っていないし、あなた方に直接に慰め掛けることも、
肉体を通じて接し合うことは出来ないが、こうして何時でも語り合うことは出来るであろう。
 私は何時の世でも、あなた方のような心の清い者を愛し、そして正義を愛し、

愛を実行してゆくだろう。

 現在のクリスチャンは、最早その心を失っており、
只、神に祈りを奉げることがすべてと思っているような有様であるからである。
 私は決してクリスチャンを愛さない。
 寧ろ、あなた方のような宗教を知らない幼い者達を多く愛す。
 私は真理を勉強し
(ていながら)、真理に沿った生活をしていない者達よりも、
あなた方のように真理を勉強していなかった時でも、

真理を実行していたような者を愛するであろう。
 だから、あなた方も何時までも何時までも、自分の生き方を変えず、愛を持って、
私が言った通りに隣り人を愛し、敵を愛し、あなたが真心を持って、
人に尽くすということを実行してゆきなさい。


 あなたの右の頬を打とうとする者には、左の頬を向けてやり、
あなたが、上着を取ろうとする者には下着をも与えてやり、
あなたを1マイル行かせようとする者には、共に2マイル歩きなさい。
 あなた方から奪おうとするものを、取り戻そうとしてはいけない。
 あなた方は求められたならば、すべて与えなさい。
 あなた方がしてほしいと思うことを、あなたの隣り人にしてあげることが、
一番良いことでしょう。
 あなた方は何時でも、隣り人の為に尽くしなさい。
 自分の為に思い煩う必要はないのである。
 野の花を見なさい。野の花は自分の為に何一つ働かないが、自然に沿って生きている為に、
自然の法則に沿って生きている為に、あのように美しい姿をしているのである。
 あなた方は自分のことで、何を食べようか何を着ようかということを、
思い煩うのではありません。
 あなた方は神によって、自然の法則によって生かされているのだから、
野の花が何も自分のことを考えずに、あのように美しいのだから、神もあなた方に同じような、
或いはもっと素晴らしいことを、ものを与えて下さるであろうということは、
あなた方も解ると思います。

 何かほしいと思うならば、求めなさい。そうすれば与えられるでしょう。
 門を叩きなさい。そうすれば開けて貰えるでしょう。
 あなたが望むものは、すべて用意されており、
あなた方が質問するものは、そのまま答えとなって、弾き反ってくるでしょう。
 
 何時の世になっても、あなた方のような、心の貧しい清純な乙女が、清純な子供達がいる限り、
私達は希望を失わずにいることができるのだから。

 人の世には、何時も、正義と悪が付き纏い、暖かさと冷たさが付き纏う。
 只、あなた方は冷たさに遭っても、悪に遭っても、決して正義の心や愛の心を失ってはいけない。
 周りに毒されてしまってもいけない。
 何時でも周りがどのように冷たくとも、周りがどんなに悪くとも、
あなた方だけは正義の心を持って、愛の心を持って、人々に接すれば、
あなた方は金色の明日へと向かって伸びている道を踏みしめていることになるのである。

 一九七七年は間もなく終わり、
ミカエル大天使長の予言された奇蹟の年は終わりを告げるでしょう。
 ですが、真理の道はこれからです。
 後、4年経てば、いえ、それはもっと近くに来るかも知れませんが、
大いなる奇蹟があなた方の目の前に現れるでしょう。
 それが、どのような形になるかは、あなた方の働き次第、
いえ、心の持ち方次第にあるかもしれません。
 兎に角、天上の意志をそのまま実行し、そして天上の意志が存在するのは、
この集まりだけであり、他のどのような場所に於ても、私達はそこにはあり得ないということを、
あなた方に言って置きましょう。
 私は何時でも、あなた方の味方であり、あなた方の良き理解者となって、
これからの人生を歩んでゆくでしょう。
 GLAは間もなく没落して行き、のち五年、十年経てばあなた方が頭角を現し、
その才を世に謳われる時が来ましょう。
 それまで、あなた方はしっかりと勉強し、真理を身に付け立派な人格になってほしいと思います。
 今は小さく幼いあなた方でも、大人になれば世の人の光となるでしょう。
 あなた方は地の塩である。
 地の塩であるからこそ、その利き目があるからこそ、世の人々に珍重されるでありましょう。
 あなた方は又、世の光であり、山の上に輝く1件の家であり、
海の上に立つ灯台のようなものでもあります。
 人々はあなた方を捨てては置かないでしょう。
 あなた方はどのような目に遭おうとも、自分の心を疑わず、自分の才能を疑わずに行きなさい。
 今私達があなた方に言うのは、それだけです。これで私の話は終わります。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法