現象テープ№17 ①「愛について」
79年12月23日 イエス様現象(霊媒 土田展子)
(「エルバーラム(82年4月初版)」16頁掲載)
私はイエスです。今日はようこそいらっしゃいました。
今日は愛の教えについて、あなた方に再び説きたく思います。
愛とはどのようなものであるか。愛はあなた方の中に於てどのような位置を占めるか。
又、あなた方の間で愛ほど使い古され、
色々な意味合いを持ってしまった言葉は無いと思います。
愛は一つの意味しか持ちません。愛は二つの意味を持つことは出来ません。
又、愛と憎しみを一緒にすることは出来ません。妥協とも住むことは出来ない。
愛とは如何なるものであるか。それは真理に他なりません。
愛とはどのようなものであるか、答えることが出来る人がいるでしょうか。
又、それを身を以て具現していると誇ることが出来る人がいるでしょうか。
あなた方の周りを見廻しなさい。
僧侶、牧師、神父、あなた方が触れることが出来る人によって、
愛を具現していると己を誇っている人があるならば、それは愛を知らない人だからです。
あなた方に言います。あなた方の中で一番力を持っているものは何であろうか。
愛であろうか、善であろうか、それとも神への忠誠か、それとも真理か。
そのようなものでは決して無い筈です。
この世を見てみなさい。あなた方の中で力を持っているのは金銭ではありませんか。
こう言えば厳しくなりますが、
現実の世の中では金銭があなた方の中で一番力を持っているのです。
そして天上界の愛する愛は、最もあなた方の中で力弱い。
口では、綺麗事では、幾らでも愛を愛をと言うことは出来ます。
それはあなた方も一番よく知っていることだと思います。
愛とはどのようなものであるか。
あなた方が、身が裕福であって心が平静な時は、愛を叫ぶことは易しい。
又、他人に愛を施すことも易しい。
何故ならば、それは自分に余裕があるからである。しかしその愛は金銭と同じである。
これが解りますか。
本当の愛はそのようなものではありません。
自分の身が最も貧しい時、最もどん族に落とされた時にこそ発揮されるものが愛なのです。
その時にこそ他人に与えられる優しさ、寛容、正義、その他あらゆる正しいものが愛なのです。
あなた方が身が貧しく、そして身寄りも無く、何も無く本当に何も持たない時、
他人に示されるものが愛なのです。
愛は深く厳しい。そして愛は驕ることを知りません。そして飽きることを知りません。
これは自由も同じです。
そして正法を知った幸せもそのようであった筈です。
正法を知った幸せは決して驕ることがありません。又、飽きることもありません。
けれど一般に言われている幸せについてはどうでしょうか。
例えば、金銭によって齎された幸せ、他人からの崇拝によって齎された幸せ、
そのようなものに永遠の喜びがあるでしょうか。
金銭は儚(はかな)く、人の崇拝も又短い。しかしあなた方の魂の中にあって、
永遠の愛の喜びは尽きることが無いのです。
それは体験した人にしか解りません。
愛は深く厳しい。このことをあなた方はよく心に置いて下さい。
人にやたらに優しくする程易しい愛がどこにありましょうか。それは愛とは言いません。
困っている人を見て、手を優しく差し伸べることが愛ではないのです。
そのようなことなら誰にも出来ます。
しかし本当に助けの要る人に、只手を差し伸べるだけが愛でしょうか。
時にはその人を厳しく突き放すことも愛なのです。慈悲にしてもまた然りです。
愛は多すぎると、又天上のものでは無くなります。
時にはその人を厳しく突き放すことも愛なのです。
あなた方日本人は慈悲魔に左右され易い。
そのことは民族性なのであなた方はこれを超越せねばなりません。
又、私達の言う消滅に関しても、あなた方と相容れない所が多い。
これはあなた方の民族性による所が多いと思います。
愛とはどのようなものであるか。
例えば私が地上に生きていた頃、法を説いていた頃、どうだったでしょうか。
思い起こしてみて下さい。
私があなた方の前に現れたのと同じように、地上に肉体を持って現れた時に人々は、
私を素直にメシヤと認めたでしょうか。
私を神の子と素直に認めたでしょうか。決してそんなことはありませんでした。
私はぼろを纏(まと)い、髭も髪も乱れ、汚れていました。
顔も埃で汚れ、そして足には傷を負い、手は引っかき傷がいっぱいありました。
人々は私の身なりを見て信じようとしませんでした。
人々は立派な服を着た僧侶の方を尊敬しました。
又、人々は如何なる奇蹟を、
私が神の力によって行ってもそれを信じようとはしませんでした。
あなた方の中にあって奇蹟は珍しいものではありますが、
決して神のものとは信じることが出来ないようです。
何故なら悪霊の奇蹟も多いからが、その一つの理由にあると思います。
奇蹟を見て信じるならば、私はゴルゴダの丘へ連れて行かれたでしょうか。
奇蹟を見てもし人々が真理に目覚めたならば、私を死刑にと求める声の中に
声を和らげることが出来た筈です。
そして私を、ゴルゴダの丘へ連れて行くローマ人の鞭にも少しは優しさが、
いえ鞭の回数を減らすことが出来た筈です。
人々は私の奇蹟を見ても、それを神のものとは信じようとはしませんでした。
それは一種の方便に過ぎないのです。だからあなた方も悪霊による奇蹟もあるのですから、
決して徴(しるし)によってのみ信じてはなりません。
徴を見ないで信じる者は幸いである。それは神の意志を見たからである。
私達はあなた方に告げます。
今私がこうして話していても、私をイエスと信じない人がいるかも知れない。
それは二千年前に私が神の子であると自覚して世に現れた時と同じです。
人々は絵や彫刻に描かれている私を信じはしても、
この今現れている私を信じないのと同じです。
信じない者は如何なるものを以てしても信じません。
愛とはどのようなものであるか。あなた方の心の中にもう一度呼び起こして下さい。
これはあなた方は驚くかも知れませんが、「目には目、歯には歯を」と同じ原理なのです。
自分に与えるものは他人にも与えなさい。
しかし、自分に与えるものも時には考えなければならない。
甘えや徒(いたずら)な許し、偽り、そのようなものは人に与えてはなりません。
偽りの愛、愛ほど難しいものはないのです。何故ならそれは目に見えないから。
目に見えないものを信じるのは如何に難しいことか。それを私は一番よく知っております。
何故なら今あなた方の中で崇められている、私の十二使徒を見なさい。母、マリヤを見なさい。
私が地上に現れている時、彼等に真のメシヤだと、神の子だと信じられたでしょうか。
母、マリヤは違いました。あなた方の中では聖母として崇められていますが、
母、マリヤは私が三十歳になって法を説き始めた時に、
兄弟を連れて来て私を取り押さえに来ました。
気が狂ったと思ったのです。
母、マリヤは私を身籠った時に、天のいと高き御使い達によって、
その生涯を知らされていながらも、三十年という年月の流れにそれを忘れてしまいました。
如何に心弱いものであったか。
母が私を信じたのは何時の時だったでしょうか。それは死後、私が復活してからです。
即ち、私が霊体となって弟子達の前に、マクダラのマリヤの前に現れてからです。
弟子達も又そうでした。
私が生きている間心弱く、何時も私は「これで本当に私の説いた法は広がって行くのだろうか」、
と絶えずその念に悩まされていました。
人間は本当に心弱い … 。そして私も又心弱かったのです。
何故なら、私もあなた方と同じ人間だったからです。
私は今でこそあなた方に、そして世界中の人々に神の子であった、
奇蹟の人と崇められてはいますが、
実際はどうだったでしょうか。人々からそのように扱いを受けたでしょうか。
人々は、私が神について証をしたのを、私について証をしていると勘違いしました。
それは何時の時代にあってもそうです。
そして今の千乃裕子様の時代にもそうではありませんか。
私も又普通の人であった。
そして普通の人として生を受け、そして神により、三十歳になった時に啓示を受けてから、
神の子であると自覚しました。
神の子であるというのは、神より法を授けられた者、
地上に法を広める者としての自覚なのです。
そうでなければ何の意味があるでしょうか。
私が初めから、生まれた時からあなた方と違う人間である、神の子であると、
実在の人間とは違う人間であると、何か神格化された人間であると広められていたならば、
何の価値がありましょうか。
私は神への愛を貫き、人々への愛を貫き、処刑されてこそ私は成就されたのです。
行く街々では石を持って投げられたこともありました。
石を持って追い返されたこともありました。
けれど、常に神は私と共にあると考えたので、少しも辛くはありませんでした。
神はあなたと共にある、私はあなたと共にあるというのは、このようなことを言うのです。
如何なる苦難に遭っても、真理はあなたと共にあるのだから、
あなたの心の中にあるのだから、 あなたが人間である限り何時も付き纏う、
そして良心(天の聖霊に繋がる心)が命じるものだから一人ではないのです。
何時も何時も心正しき者には、心正しき霊が守りを与えます。
私達天が、千乃裕子様の下に集まる者を何故このように幼き者を選んだか、
それが解る人がいますか。
彼女等は幼く、まだ物も分かりませんが偽りを言いません。嘘を知りません。
それだからこそ選んだのです。又ここに集まっている若い人々は幸いです。
これからの人生で、人生を幾らでも変えてゆくことが出来るでしょう。
又老いた者も幸いです。今迄の人生を体験として記憶出来るからです。
そして若い人を導いてゆきなさい。若者には希望があるが体験が無い。
そしてあなた方に今月のメッセージとして言います。
「自分自身を見つめなさい」とミカエル様が仰しゃいましたが、それはどのようなものか。
まずあなた方自身で、自分で長所だと思っている点を日の下に、
天の光の下に晒してみなさい。
忽(たちま)ち萎んでゆくでしょう。
自分で長所だと思っていることのみが、本当は短所であるのです。
長所だと自認する所に長所は何もありません。
寧ろあなた方が分からない所に長所は隠れているのであり、また罪もそこにあります。
自分で自覚する罪よりも、自分で自覚しない罪を恐れなさい。
又、人を裁くなと言われているのはこのような為です。
人を裁くということは、
既に自分が相手より有利な立場に立っているということに他なりません。
私達天はあなた方に告げます。
誰でも師のようになろうとする者は、その僕以上の者になってはいけません。
常に僕に対しても、師のように振舞ってはならないのです。互いに得る所が必ずあります。
どんなに低き者と見做した者でも必ず得る所があるから、
あなた方は天の者がするように、その者を突き放してはならないのです。
天から見れば、どんぐりの背比べのようなものなのですよ。
ここへ来なさい … さわってごらん … 分かりますか、
私の愛の証が … (はい、感じます(※))… 戻りなさい …(有難うございました)…
これが私の証です。
それではこれで天上界よりのメッセージを終りたく思います。
どうも有難うございました。
(※注。
イエス様に手を取られて、証を受けられた滝村宏子様の証言
「お手からは愛のお心、言葉では言い表せない程のお力と暖かみを感じました。
お姿は二倍大に真白に輝いておられました。」
(「慈悲と愛」80年2月号))
現象テープ№17 ②「クリスマス・メッセージ」
79年12月23日 ミカエル大王様現象(自動筆記)
(「エルバーラム」25頁掲載)
私はミカエルです。私達が、あなた方に何度も繰り返してメッセージを送っている理由は、
あなた方地球人類が、平和で仲良く暮らしていって欲しいからで、他意はございません。
私達は、今まで数多くの天上界よりの認められた正しい後継者を通じて、
この目的の為に、何度も警告を繰り返してきましたその本当の意味は、
真の幸福とは何か、人間はいかに生きるべきか、を伝えて頂きたかったからなのです。
あなた方人類は、めくらがめくらの手引きをし、
どの方向へ進んでいったら良いのか、光を見出せずにいたからです。
希望は、いつの時代にも持ち続けなさい。
何故なら、私達天上界は、心正しき者、義を行う者に、常に付いているからです。
これで私のメッセージを、終わります。
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様