第三章 天使の章

 (四) パヌエル大天使
 私はこの科学万能の時代にありながら、
五、六年前より突如として霊の問題が世界各国に取り上げられ、
あたかも時代の脚光を浴びて科学文明華やかなりし二十世紀が、
それを裏切るかのように暗躍する霊の暗示、
原始時代の遺物の如き霊的託宣によって徐々に占められてゆき、
世の知識階級に時代錯誤の感を与え、人々に戸惑いを覚えさせているのではないかと思います。
 
 しかし何時の世紀、何時の時代にも宗教は日常の生活から切離されたことはなく、
科学者といえども、究極に於ては自分達の力及ばざる神秘の世界が存在し、
三次元の常識では計り知れぬ謎が、あたかも真理の発見を待つが如く
人々にその世界を匂わせているとそう解釈されてきました。

 そしてその神秘のベールが今降ろされ、謎の世界が明らかにされているだけなのです。
 昨今の現象は原始宗教の名残りでも何でもなく、昔から常に隣接していて人々の側に在った

その世界が明らかにされただけなのです。
 それが余りにも一目瞭然に目の前に在るが故に信じ切れないのでしょう。
 日本の科学者は尚も、その奥に未開発の探求されざる神秘の世界があるのではないだろうか、
と疑っています。
 何ゆえ今まで求めてきた神が人々の前に現れた

のに、それに対し、一言も発言をせず、半信半疑のままでいるのか。
 それが私には不思議でなりません。

 世界にはまだまだ怪しげな宗教が蔓延(はびこ)り、
霊示の偽物が横行していることは否めません。
 しかしそれだからといって、科学文明の先端を行く専門家に、技術の権威に、
医学者に何が真実のものであり、納得し得る理論であり、何が虚偽で曲論であるか、
その是非が解らない筈はないのです。


 知識は蓄えて切り売りする為だけにあるのではなく、それを用いて判断の目安となる、
真理探究の、真理を発見するゲージとならなければなりません。
 只、専門分野に於てだけそれをするならば、科学者は世界が調和して一つのことをなす、
例えば理想郷を作ること、に参加していないことになるのです。

 私は『天国の扉』が世に出た時、多くの科学者が先を争って読み、
少なくともそこに啓示されたことによって、

科学する者の心構えが変ってくるものと期待していました。
 科学者は常に神、霊魂、天国、に関心を示し、
その神秘の向こう側を覗きたいと思っているものと考えておりました。
 その通り、今まで出た九千冊のうち六千冊は科学関係者に売れたとの報告を
四次元で受けております。
 そして科学者を啓蒙、啓発し、善なる心、良心というものが研ぎ澄まされて、
それが彼等の日常の行動、仕事の上の発見として表れてくるものとばかり考えていたのです。
 六千冊のうち十三人だけ読者から手紙を受け取りました。
 そして化学関係の方では五人、医学関係は六人、
物理学関係は二人の読者の名前を知ることになりましたが。
 六人だけでした。何もこちらから申し上げない前に使命に目覚め、その為に何か致しましょう、
何かしなければ、とご相談を受けたのは。
 正法流布の為集いを持ち、正法を説いて下さいとお願いしてその為積極的に勉強されるのは、
却って文科系の識者か、或いはごく普通の学歴を持つ社会的に困難を乗越えてこられたかた ー
の方が多く、そして正しい反応がありました。

 私達は宗教というものの虚しさ、宗教団体の愚かしさについて説きました。
 そのことを他の方々に伝えて頂きたかったのです。
 勿論内容は進化論に言及し、宇宙の法則を解明し、
何ゆえ人は一人一人がその責任を義務を呼び覚されねばならぬかということから、
徳を高めることが如何に大切であるかまで

一つ一つ説いてゆかねば聞く人を納得させ得ないでしょう。
 そしてこれは宗教運動ではありません。寧ろ宗教反対への動きと取って頂きたかったのです。


 でなければ私達はもっと私達の大いなる力を用い、恐れと服従を強いて
あなた方や他の人々にこうすべきであると述べたでしょう。
 
科学的な心を充分備えた人の多く生きるこの世紀であるからこそ、私達は事を分けて説明し、
理論的手法を用いて神と人との繋がり、天国と地獄とはどのようなものか、
その実在性について充分解き明かし、納得して頂けると思ったのです。

 又読者の中で科学の分野にある人が、率先して私達に連絡し、
いろいろな疑問を率直に打ち明けて私達と話し合って下さり、
地球の滅亡を防ぐ手段はと問うて下さる気持にもなられるかと思いました。
 少なくとも天上界は、特に日本の科学陣に期待し、合体した霊の奨めと励ましにより
(意識を通して)使命に目覚めたと連絡して下さることを望んでいました。

 これは日本の科学者の消極的な日頃の在り方に起因するのかも知れませんが、
私個人としては大変失望の時を味わったことを告白せずにはいられません。
 静かに各々の研究に没頭し、日を通し、一生を終える内に世界は滅びるかも知れないのです。
 『天国の扉』という本の題材は単なる霊現象から取られたものか、
或いは新しい宗教の運動の類であるとでも思われたのでしょうか。
 素直に偏見を持たずこの書に書かれてあることを読まれれば、
その内容が一個人のものから出たのでないこと、
厳然たる宇宙を支配する真理が語られていることを直感せざるを得ない筈です。


 何ゆえ三次元のみを最高の文明の展開せる舞台と見做し、
四次元は原始的な世界であると結論を下すのか、私達には理解出来ません。
 それは与えられたものを素直に解釈し、納得すべきは納得し、疑問を持つべきは問うて解明し、
一人の社会人として、文化を担う者として、

新しき世紀を迎え入れる一員としての資格を明らかにする、
そのエネルギーに欠けているからではないでしょうか。
 向学心があり余る程ありながら、真理に目を背けるのは何故か。

 私達には理解出来ないのです。
 世界が動く方向に動き、世界が求めるものを与える為学識の分野で努力し、
ノーベル賞受賞を最大の夢とする。それ一つを見れば平和な生き方、人となりかも知れません。

 しかし見方を変えれば、人類が破壊を求めれば、
科学者はその破壊の材料を唯々諾々と提供するのです。
 "核エネルギーの平和利用を"と課題を出されれば、
その為に一生を懸けて研究するかも知れません。
 しかし核エネルギーが平和に役立つでしょうか。
 その弊害は地球人類の滅亡へと導くだけのものです。
 只兵器として大量殺人に用いられるのを防ぐ為だけの効果しかありません。
 結局は時間を掛けて人類に害を及ぼす。果してそれで良いのでしょうか。
 それを見極め、断言するだけの判断力と予知能力を与えられていない筈はないし、
知識も有していない筈はないのです。
 私は決して日本の科学者の穏健思想を糾弾しているのではありません。

 世界の某最大強国間に於ける秘密裏の軍事拡張競争、
軍事産業の発展による巡航ミサイルや中性子爆弾の改良、開発に大統領の公式許可を申請する、
或いはヨーロッパの某国に於ては、小規模ではありながら大っぴらに実験を行う、
などという無謀な企画が表面化されてきていますが、これらの大型核兵器製造に参加、
関与しているのは何時も科学者、技術部門の専門家なのです。
 官僚機構に追従する科学者の良心は、
これら大国の良心と並び批判されるべきものと私は思います。

 私は特に日本の科学者が優秀であるが故に期待しているのです。
 核爆発による被害を受けなかった、
却って加害者の立場にある大国の識者によるものではなく、
日本の科学者が率先して軍縮委に働き掛けることも出来る。
 世界の良心となり、残虐な兵器使用が何に至るかを説き、平和を推進することも出来るかと。
 今までの日本の科学者の良心について、私の率直な意見を述べますと、
全体に於て自分の良心に従って世界を善なる方に向け、
平和を築く為に発言をする勇気がないように見受けます。


 そして赤軍派のテロリスト、都市ゲリラと同義にしか私達天上界の者には解釈されないような、
三次元の法を破壊する若者を甘やかし、そのシンパとなり、
ロシアや中国の広大な国土と人口を持て余す国が支持する、
そういった国であるが故に指導力を発揮するに至った、
しかし極端に歪められたり、或いは変革を余儀なくされた、
そしてやはり正しい形ではないマルクス・レーニン主義思想を、理論の優劣をのみに言及して、
知識人の多くは後の続く者に賞賛し、伝承するような人もおります。

 封建制から軍国主義、そして共産主義政治へと国家の体制は推移しても、
本質的には非個人的、非人間的、人権無視思想には変わりがない全体主義国家であるという、
その欠点が見抜けないのです。
 彼等は何が善で何が悪か見極めることも出来ないのでしょうか。
 行動におけるものと、理論におけるものとその正邪を判断しなければ、
真に知識を得たものとは言えません。
 私達は決して今の社会が理想的だとは言っておりません。

 しかし世界基督教統一教会のような性道徳の退廃を推奨するようなこの団体に、
共産主義の識者、科学者が多く入団し、理論を弄び、議論に時を費やす。
 そしてしていることはヒッピー族と同じ。
 多分科学的社会主義、共産主義の理論とこの教団の教義は相通ずるものがあるのでしょう。

 憂うべきことに、科学者の良心が麻痺したが故に
この地球の危機を招いたとさえ言える程の現状なのです。

 科学者は宇宙の構造、仕組みの精緻であること、
その神秘なまでの秩序に触れて何ら感動を呼び覚まされることはないのでしょうか。
 心を打たれる所はないのでしょうか。
 その感動が生き生きと波打っているならば、
その美しく整えられた宇宙の秩序と法則を破壊するものからはすべて手を引き、
お互いに戒め合う位の良心がなければなりません。
 他国の科学者はそれをなしています。

 私達は、この国の科学者がまだまだ精神的に甘やかされた子供であり、
(世界的にも科学者は得てしてそうですが)子供であるが故に純真で、
そして必然的になすことの善悪の判断に欠けているのだということを認めねばならないのです。
 科学者達もそれを謙虚に認め、今後の職場に於ける、研究所に於ける職種、研究対象の選択、
生産の制限、改善に努めることこそ反省(正定)と言うべきものでしょう。
 宗教と科学を切り離して考えないで下さい。切り離す所に大きな人間的欠陥が出てくるのです。
 科学者こそ神とは何か、人間とは何か、その在り方、なすべきことを常に認識し、
人に問われれば説けるものでなければなりません。


 人間に対して無責任で、学問をのみ追求するが故に、
道徳心が歪められ薄められてくるのでしょう。
 発明、発見結果に対して責任を負わない人格が出来上がるのです。

 ことの正確さをのみ問うていては、果してそれが善悪の基準に当てはめる時、
どのような性質のものであるか ー
その事に関して第二義的にならざるを得ないでしょう。

 善悪を知り、それを選択し、行為に表す。
 それを可能ならしめるのは人間のみに与えられている知能の高さです。
 原因、結果を究明出来るのは人間のみです。その対応策を考え得るのも又しかりです。
 最高の知識を得ていても、道徳心が欠如していては、
知能犯と同じであると結論を下されても反論出来ないのです。
 そして如何に学識者に徳の心を欠く人が多く見られるか

それは嘆かわしい限りなのです。


 それ故に天上界に於ては、善悪を追及する僧職、宗教家がずっと高次元を占めてきました。
 人類に寄与するのは僧侶の徳の心、神の教え、の方が大きいものがあったからです。
 徳が養われなければ、知識だけでは世の中は改善されません。
 そして今まではそれで一つの秩序が保たれていました。

 しかし天上界の極高次元を占める方々が実は科学者であり、
科学者の転生であるという説をなるほどと納得されたならば、
これからは科学者は考えを改めて頂かねばなりません。
 事実、私達七大天使(ミカエル大天使長を含む)及び最高権威であるエル・ランティ様は、
ベー・エルデでは科学者(物理学者、医者)が多く、又その転生の過程でも、
科学の知識を出来得る限り身に付けました。それは『天国の扉』では発表致しませんでしたが。
そしてもし、私達が地上に平和が齎された時を境にこの地球を離れ、他の星に行くとすれば、
(或いは地球上の平和を諦めて只去るとすれば)
後は再び地球人類の手に天上界と地上は委ねられるのです。

 四次元と三次元の平和は心のみではなく、多く科学的処置を必要とするのは事実です。
 森羅万象物質の世界に私達は住んでいることを忘れてはなりません。
 それを観念的に解釈しているだけなのです。宗教家といわれる方々は。
 しかし宗教家だけでは科学知識の豊富な悪霊と戦い、滅ぼすことは出来ません。
 私達は物理学者がサタンと化した者の為にそれを如実に知り得ました。

 地上の平和を維持する為に科学者の知識が絶対に不可欠のものであることは、
千乃様の書かれます"超物理学上の謎の解明"にて明らかにされるでしょう。
 勿論私達もあらゆる情報、知識を提供致します。
 そして繰り返して科学者として世にある方々に申しますが、
宗教と科学は共に人間の知識と知能から出たものであり、
天国と地獄が人間の作ったものであると同様、
それは一元的に解釈すべきものです。

 決して別個に存在するものではありません。
 これは宗教家にも言えることですが、
科学と宗教が対立し、宗教が科学文明の進展を阻害する、躓きとなる。
 そのような暗黒の十六世紀がこの現代に再び繰り返されてはなりません。
 そして同じ人間の二面である以上、科学者も又その良心に於て、
最後の審判の対象とされていることを忘れてはなりません。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法