第三部 「天の奇蹟(天上界への質問と解答)」
「天の奇蹟・中巻(82年9月初版)」 第五章 モーセの出現
章末・天上界への質問と解答
質問者:著者 岩間文彌先生  解答者:ミカエル大王様

問一 ヨセフについてお尋ねします。
  ヨセフは実在し、ヒクソスの下エジプト占領時の名宰相であったとしましたが、
 宜しいでしょうか。
  又ヨセフの天上界での位置、合体者、人となり、夢解きなどについて、
 付言されることがありますか。
問一解答 宜しいです。ヨセフは天上界に於ては、菩薩界の上位でした。
  合体霊は上位の天使で、カシエル( Chassiel 又は Cassiel )です。
  ガブリエルが指導霊であったという説もありますが、
 バビロン捕囚期にヘブル人がバビロンの伝説から採り入れたものや、誇張や、
 天使が霊能を持つ者に与えた部分などが混じり合って、
 旧約のドラマに於ては実に50%が人間の捏造になっております。
  
  (従って今悪霊が凡人を起用して種々のメシヤ作り、教団作り、
 奇蹟の記録作りをしていることは、
 只、歴史を惑乱し、真実と真理を埋没させてしまう目的を持つものであり、
 現在既に偽ものに惑わされてしまっている盲目の愚かな人々は
 永久に天を見出すことはないという傍証にもなります。)
 
  人となりは天使の合体ですから正しい人でしたが、夢解きは50%は割引いて考えて下さい。
  豊作と飢饉に関してファラオが似た情報を占い師から得て、
 その対策をヨセフが教示したのみです。
  給仕長や料理長の予言は実現し得ることですから可能です。
  ヨセフ物語が聴き手や読者を満足させる為に作られたのです。
  現代と違い訓話的な意味も含めてです。

問二 モーセ様の誕生についてお尋ねします。
  精神分析創始者フロイト(モーセ様本体)は種々の理由を挙げて、
 モーセ様はエジプト人であったのではないかと推測しています。
  これに対し筆者は、モーセ様が長くエジプト人として育ったという点で
 エジプト人と言えないこともないが、ヘブライ人の血が流れていればこそ、
 ヘブライ人への愛から生命を賭した救出行為が可能であったとしましたが、
 宜しいでしょうか。
問二解答 宜しいです。その通りです。

問三 モーセ様エジプト人説の根拠の一つに割礼があります。
  これはイスラエル人がカナン入りしてから、又はバビロンに捕囚となってから、
 民族のアイデンティティ(自己同一性)を確立する為に、
 エジプトから受け継いだ風習を指導層が利用したものであって、
 モーセ様の時代に天上界が律法として特に与えたものではないと結論しましたが、
 これでよいでしょうか。
問三解答 宜しいです。
  但しサタン・ダビデの人を軽んじ、私達の計画を戯画化する企みです。

問四 モーセ様がエジプト第十九王朝のラムセス二世の治世に生まれ育ったことは、
 王の性格、ラムセス市の建設等が聖書の記述と一致すること、
 ラムセス市がヘブライ人の居住地デルタ東部にあったこと、
 ラムセス二世の建築狂がヘブライ人の強制労働の背景に相応しいこと、
 その他年代学的考証によっても、年齢上の考察によっても、
 まず間違いないことと結論しましたが、これでよいでしょうか。
問四解答 その通りです。
  ラムセス二世の人となりについての著書も他に出ておりますが、
 幼児殺し、ヘブル人が耐えられなくなる程の強制労働、
 非常に長い治世などの聖書の記述及び貴方が考証し、論証しておられる通りの王であり、
 時代の背景であることを読者も納得されるでしょう。

問五 モーセ様の誕生から成長期迄の推定を試みましたが、他に加えることがありますか。
  モーセ様は本当にパピルスの箱舟に入れられ、エジプトの王女に拾われたのでしょうか。
問五解答 ありません。
  現在も大変物語的なモーセ様に関する本が堀田和成氏などによって書かれておりますが、
 あれに類したドラマチックな添削は行われましたが、70%は真実だと思って下さい。
  イエス様と同じく真の民の指導者ともなるべき方への守護と奇蹟は充分に与えられました。
  棄子伝説も故事に倣って行わせ、且つ王女の一人に拾わせたのです。
  それが唯一の安全な方法でしたから。

問六 エジプトの知恵文学やピラミッドテキスト等を読むと、
 霊魂不滅、正義、真理、法、中庸、裁き、救済者等の概念が出そろっております。
  言わばエジプトは最も古くから、正法を説かれた地に違いない。
  それ故古代エジプトの或る時期には、天上界高次元がエジプトの上にあったと思われます。
  例えばエル・ビルナビル様が合体され、
 最も古くに霊魂不滅などの教えを説いたアモンとはどのような人物だったのでしょうか。
  後に神として崇拝されたアモン(アメン)神とは、アモンその人を指すのでしょうか。
  高橋信次氏は、キリスト教の「アアメン」はこのアモンに由来すると書きましたが、
 ヘブル語の「真実(まこと)に」に由来するのではないでしょうか。
  又B・C・二千二百年頃、エル・ルネラエル様が合体されたクレオ・パローターという方が、
 エジプトのメンフィスのアモン神の祭司長として道を説いたと知らされております。
  アガシア大王、クラリオ等と共に、これらの方達は天上界でどのような位置にあり、
 又当時どのような法を説いたのでしょうか。
問六解答 アモン神はアモンその人を指します。
  アアメンは"かく在らんことを"という意のヘブル語です。
  アモン様は如来界に、クレオ・パローター様は神界の上位に、アガシア大王は菩薩界の上位に、
 クラリオ様は菩薩界の下位に迎えられました。
  この方々はビルナビル様やルネラエル様の指導される如く、
 正義や人の生きる道、同国人同志の争いを止めて和を説き、
 永遠の生命について、神に従うべきことについて譬えを用いて教えました。
  不服従に対する神の怒りについても勿論です。

問七 エジプトで主神として信仰された太陽神ラーとは、
 前天王エル・ランティ様に他ならないと思われますがどうでしょうか。
  又前七大天使方も神としての役割をされましたか。
問七解答 その通りです。勿論です。
  古代の人に取っては自分達の能力を超えるものは皆神です。
  現代の人もその精神構造に於ては余り変わらないですが。


問八 第十八王朝のファラオ、イク・エン・アトン王についてお尋ねします。
  ある学者はこの王の宗教改革の影響をモーセ様が直接受けて、
 ヤーウェ一神教を興した、と主張しますが、年代的にも両者は繋がらず、
 場所的にも上エジプトに下エジプトと、離れていて直接の影響はありえない。
  しかしその理念はヘリオポリスの神学等を通して間接的にモーセ様が学んだかも知れない。
  天上界のご計画から見ると、
 一神教の運動を、ラー信仰アトン信仰と発展させる過程で強め、
 次にもっと本来の形で顕そうとされた順序は充分考えられる。
  その意味ではアトン一神教運動は、ヤーウェ一神教運動をある程度準備し得た。

 と結論しましたが、これでよいでしょうか。
  又イク・エン・アトン王及びその宗教改革への天上界の評価をお聞かせ下さい。
  王を大変に高く評価する学者もありますが。
問八解答 私達天上界は現代の狡猾で人もなげな、神を軽んじ真理を疎んずる人々と違って
 素朴で純真な古代の人々、特にその中でも天に目を向け、心正しき人々をこよなく愛し、
 大切に致しました。

  イク・エン・アトン王は真に正義と真理と平和を愛した人として高く評価しております。
  只余りに精神的過ぎて理想家で、反核・反戦・反安保運動と同じ結果になり、
 不本意に植民地の人々の生命を失わせ、無責任な王となってしまいました。
  現実を忘れたが為に、愚かな治世に終ったのです。

問九 シナイ山に於ける燃える柴の奇蹟についてお尋ねします。
  これについては柴の木の自然発火説、
 エジプト・アカシアに真赤な花が咲いたとするアカシア説があります。
  しかし実際は、
 大天使級の強力なオーラをモーセ様は霊視されたとしましたが正しいでしょうか。
  その際、当時のミカエル大天使長が関与されたとするユダヤの伝説を紹介しましたが、
 実際にそうだったのでしょうか。
問九解答 そうです。炎が揺らいでいるように見せるのは一つのテクニックです。
  方法は申し上げる訳にはいきませんが。

問十 神名ヤーウェについてお尋ねします。これについては、「(イスラエルの民と)共にある神」
 という意味を持つ名と解釈すべきだとしましたが、これで宜しいでしょうか。
  しかしこれは本名ではありませんでした。
  何ゆえ今日までエル・ランティなるご本名が伏されていたのでしょうか。
  又ヤーウェ一神教は、シナイ地方を遊牧していたミデアン族ケニびとから祭司であり岳父である
 エテロを通して学んだとする「ケニびと説」があります。
  確かにモーセ様は、ケニびとから山岳信仰的な素朴な自然信仰を学んだに違いない。
  又エジプトで倫理的な一神教的要素を学んだであろう。
  そうであったからこそ、
 本格的なヤーウェ一神教を受け入れる基盤がモーセ様にあったと言える。
  そこで最終的にはシナイの地で、天上の神自らがモーセを通して、
 ヤーウェ一神教の概念を与えることが出来たのである。ー 
 と結論しましたが、これで宜しいでしょうか。
問十解答 宜しいです。その通りです。
  アブラハムは他の者と違い、アニミズム信仰を取らず、
 "エル・シャダイ"と呼ばれる山岳の神 ー 全能の神を信じ、従ったことを思い出して下さい。
  アブラハム → ヤコブ → ヨセフとエジプト、シナイ周辺に迄その子孫が増え、
 分散して住んだこと。
  モーセ様の義父、妻チッポラの父エテロ(リウエル)はミデアン族ケニ人の祭司であり、
 そのミデアン族 の祖はアブラハムとケトラの間に生まれた第四子ミデアンで
 アブラハムとは血縁関係にあるのです。
  全能の神への信仰がヤーウェ一神教に形を変えて、意義は変わらず、
 モーセ様に伝えられたのは自然な事であり、私達はそのような環境をモーセ様に与えました。


問十一 出エジプト時の王については、
 モーセ様がラムセス二世に対して、義理の孫に相当すること、
 ラムセス二世の統治が六十数年間に及んだことを基に、年齢について考察し、
 この圧政王が死んだ直後辺りが、
 モーセ様が行動を起こすチャンスとなったと考えられること等を考慮すると、
 聖書中の「長い年月のあと王は死んだ」という文は、その通りに受け取ってよいと解し、
 ラムセス二世の十三番目の王子であった次王メルエンプタハ王その人であったと結論付けました。
  これでよいでしょうか。
問十一解答 宜しいです。その通りです

問十二 十災についてお尋ねします。
  これについては、最後の長子の死という現象を除き、全て自然現象として説明出来る。
  恐らくサントリーニ島の何回目かの爆発に伴う天災の発生を、
 天上界が利用して劇的な効果を与え、
 ファラオに心理的圧力を掛けたのが実際であったろうと論じました。
  長子の死については、初穂や家畜の初生児を、神に奉げる儀式の反映であり、
 儀式を重んじる祭司記者が、後世に挿入したものであろうとしました。
  以上で宜しいでしょうか。
問十二解答 長子の死以外にも家畜のペストや腫物は創作です。
  しかしサントリーニ島附近の噴火は断続的に小規模のものからかなりのものがあり、
 その影響もありました。
  天災が出エジプトを助け、リビア人の侵入という人災もこれを可能にならしめたのです。
  直接紅海(葦の海)の奇蹟とは関係ありませんが ー 。

問十三 エクソダスの場所については、いろいろ検討した結果、
 スエズ運河の中部の都市エル・カンタラが魅力があるがコース上ここは無理があり、
 ビッター湖とスエズ湾との間に曾てあった砂州をイスラエル人は渡ったとしましたが、
 これでよいでしょうか。
  尚北方ルート説の、地中海とバルダビル湖間の細い陸橋を渡ったというのは、
 サントリーニ島爆発による津波を海の奇蹟の原因とするもので興味深いのですが、
 これも非常に無理があるとしましたが。
問十三解答 その通りです。
  竹内均氏や金子史郎氏の考察による出エジプトを
 サントリーニ火山大爆発による津波の利用とすれば、
 葦の海(紅海)でも、地中海とバルビダル湖間の細い陸橋でも、
 五千人のイスラエルびとが羊も豚も馬も子供もすべて無事に渡り終えてから
 一旦引いた海水が運良く大波となって押し返して来たという推定は、空想の類です。
  幾ら天の勢いが多くても、火山帯の陥没による津波は制御出来ません。

問十四 海(湖)の奇蹟についてお尋ねします。
  筆者はこれに関する、聖書記事の不可侵説(そのままの奇蹟が起ったとする)、
 UFO・宇宙船の電磁力原因説、(サントリーニ島大爆発による)自然現象原因説を紹介し、
 真実は自然異変に伴う諸現象を、天上界が効果的に利用し、奇蹟を起こさせたもの、
 と結論付けました。
  何かコメントございますか。
問十四解答 何もありません。
  雲や雷を利用したり、風を利用することは何時もやっておりました。

問十五 本文で述べたような歴史・考古学的考証から、
 出エジプトは、メルエンプタハ王治下第四、五年頃の紀元前千二百二十年頃起こったであろう、
 としましたが、如何でしょうか。
問十五解答 その通りです。
  厭でも記憶させられたラムセス二世の時代に出エジプトは計画され、
 モーセ様にその為の備えを授けました。聖書はそういった事件はかなり正確に記述しております。

問十六  シナイ半島を通ってカナンに至る荒野の道については、
 種々の理由から南ルートを採用しましたが、これでよいでしょうか。
  又シナイ山に於ける余りに激しい神の顕現は、後世の聖書記者の誇張面が強く、
 実際はもっと素朴なものと考えますがどうでしょうか。
問十六解答 宜しいです。
  メルエンプタハのカナン遠征時も軍隊はシナイを横切り、
 中央ルート説なら南方ルートよりも忽ち発見される可能性が大きくなります。
  シナイ山の神の顕現の情景は、私達が雲や雷雲をかなり自由に操っておりましたから、
 50%は真実です。
  古代人は雷、稲妻、嵐といった理解を超える現象を恐れたので、
 私達は天の象徴としてそれらを用いたのです。

問十七 マナ、うずら、メリバの水、及びメラの泉の奇蹟についてお尋ねします。
  マナは通常シナイ地方に見られるタマリスクの木に寄生するカイガラ虫の吸った樹液が、
 夜の冷気に触れて球状に凝固したもの。
  うずらについては、その群れが毎年季節風を利用して低空を飛翔する習性があり、
 そのコースにシナイ半島が入っていて、今でもベドウィンが捕まえているように、
 シナイで通常の鳥である。
  又メリバの水については、このような水の湧出現象も、シナイでは、自然現象としてあり得る。
  そしてメラの泉の件については、
 マメ科の常緑喬木「いなごまめの木」が塩水を中和する効果を持っている。ー
 などから、これらの奇蹟と書かれた現象は、自然現象なのであり、これらに天上界が関与し、
 自然現象を利用して、天上界がイスラエル人の飢えや渇きを救ったものである。
  聖書で特別な奇蹟として描かれたのは、
 記者が自然現象を神の恩寵と信じて書いたが故である ー 。
  このように結論付けましたが、コメントがございますか。
問十七解答 何もコメントありません。その通りです。

問十八 シナイ山で、直接モーセ様に「十戒」を授けたのは、
 エル・ランティ(ヤーウェ)前天王だったのでしょうか。
  その方法や意図について付言ありますか。
  ヤーウェ神が「妬む神」であると書かれたのは、後世の挿入と思われますが、
 この語は聖書記者の(集合的)無意識層の表出とか、
 サタンの作用によって記されたと考えてよいですか。又は何らかの意義を持つのでしょうか。
問十八解答 ヤーウェ(エル・ランティ)前天王です。
  妬む神はサタン・ダビデの人々への顕われがそういった印象付けをしました。
  より権威ある神として恐れと服従を人々から得んが為です。ダビデ王とサタンは別人です。

問十九  「十戒」が石に刻まれた方法は、天上界の神が、モーセ様の自動書記形式であった、
 としましたが、これで宜しいでしょうか。
  又そこに書かれた文字は、エジプト神聖文字か、
 アッカド楔形(せっけい)文字の可能性があり、更に天上語であったかも知れない、
 と述べましたが、果して何語であったのでしょうか。
  天上語であればその原形は、どう書かれたのでしょうか。
  十戒の石板はまだ地上の何処かに残っているのでしょうか。
  最後に十戒が人類に与えられた意義についても付言がありますか。
問十九解答 十戒が石に刻まれた方法は天のエネルギーによるものです。
  又、モーセ様がよく理解し得るように神聖文字(ヒエログリフ)を用いました。
  日本にあるというような説もありますが。
  神聖文字であったからこそ多くの者も読むことが出来、モーセ様と私達天を信じたのです。
  意義は今、正法者のあなた方が法を私達から与えられ、教えられているのと同じものです。

問二十 金の子牛事件のような背反事件は起こったに違いないが、
 金の子牛自体は、北イスラエル王国のヤラベアム一世時代の反映であろう、としましたが、
 実際はどうであったのでしょうか。
  他にもカデシに於ける斥候(せっこう)に関する事件、
 コラ等による反抗事件などの背反事件が繰り返し記されています。
  その罪に対する罰は、聖書記者によって、自然現象と結び付けられていて、
 必ずしもそのままの罰現象があったのではないにしても、
 実際にモーセ様の時代にも幾つかの背反事件があったに違いないとしました。
  そのようなのでしょうか。その場合に処刑もあったのでしょうか。
問二十解答 ありません。
  隠し持っていた偶像を一部の人が拝み、エジプトへ帰れるよう祈ったことが誇張されています。
  "鞭打ち"で罰せられたのです。背反を繰り返す度に。
  勿論ローマ人のような残酷な方法ではありません。
  私達の下した罰の方が寧ろ重いものです。

問二一 メリバの水の奇蹟に於て、どう見てもモーセ様やアロンに罪はないのに、
 それが両人の罪に帰せられ、罰として約束の地カナンに入れないように聖書に記されているのは、
 カナンに老齢の為入り得なかった事に対する、聖書記者の理由付けの為である、としました。
  これで宜しいでしょうか。
  尚終るに当り、天上界から見た当時のモーセ様の人となりについて、何か付言ございますか。
問二一解答 その通りです。
  モーセ様は背の高い方でしたから立ち姿に威厳があり、指導者としての寛容を備えた方でした。
  謙譲な方でもありましたから、私達は尊敬の念を持って接しておりました。
  イエス様の方は若いだけに気性が激しく、ねじ曲がった心の者の怒りや復讐心を招き、
 サタン・ダビデが巧みにそれを利用し、扇動してあの悲劇を生ぜしめたのです。
  又、その民を弁護する点に於ては、現在の(集いの)主宰達を思い起こさせるものがあります。

問二二 モーセ様の昇天についてお尋ねします。
  聖書は、モーセ様が、モアブ平原のネボ山を一人登って行き、その後を誰も知らない、
 というように書いています。
  これは肉体そのものが四次元に移行したような印象を与えますが、
 そうではなくそこでモーセ様が自然死を待って、霊が天上へ赴いた、とすべきと思います。
  真相をお知らせ下さい。
  或いはあの描写は聖書記者のフィクションで、実際は当時きちんと墓も作ったのではないですか。
  又、「ユダの手紙」や外典書「モーセの昇天」にあるように、
 モーセ様の遺体をサタンとミカエル大天使長が争ったようなことは起こったのでしょうか。
  宜しければモーセ様昇天の際の様子をお知らせ下さい。
問二二解答  モーセ様の心臓は大分弱られていましたから山登りは発作を容易にしました。
  静かな死でした。 遺体を争ったというようなことは捏造です。
  その他天使との出会い、問答などは、天使が人を介して伝えたのでしょうか、
 事実と異なる所もありますが、私及びガブリエル並びにウリエル、ラファエル、
 メタトロン、ザグザエルなど五名が側におり、他の天使・大天使は少し離れ、
 エル・ランティ様やアブラハム様も囲んでおられて、
 サタン・ダビデ及び悪霊の介入から守ったのです。

問二三 「天使の辞典」に収録されている天使名についてお尋ねします。
  まず前七大天使の一人サリエル様の項も、Sarakiel などではなく
 ちゃんと Sariel として載っておりますが、男性として説明されていたり、他の天使名
 テリエル、ダニエル、アリエル、セリエル、サミュエルが出ているのは素晴らしいことですが、
 一方で堕落天使の一人、などと書いてある部分もあります。
  これは編集者があらゆる資料を集めて、選択の基準もないままに
 載せたことに起因すると思いますが、他にコメントがございますか。
  又テリエル前ベー・エルデ星大天使長名は Teriel でなく Teiaiel 、
アルエルは Arel でなく Ariel 、サミュエルは Samuel でなく Samiel となっていますが
同一人ですか。
  セリエル天使はサリエル前大天使と名が似ていますが、無論別人ですね。
問二三解答 サリエルが男性ということについては、千乃様にも二度程、一九七八年の三月、
 サタン・ダビデ勢との最終死闘の最中にお教えしましたが、
 昔は男性であったのがダビデに殺されて、レイナ・エル・カンタルーネが襲名したのです。
 He でも She でも正しいのです。
  堕落の天使に関する記述は、
 これこそサタン・ダビデの暗躍と天上界の真実を伝える証言の歴史です。
  霊能ある人間を通して霊は伝えたいことを伝え得るのですから、
 ダビデは共産主義者と全く同じように、正しい心の天使達や大天使方を中傷し、
 デマを流したのです。
  私達がGLAや正法会や多くの背反者及び悪霊に操られる若者から
 悪霊と誹謗されているように。

  ダビデの魔手に掛かり、密かに殺された天使や聖人の霊も数知れず、
 一九七七、七八年のサタンとの大決戦に於て失った義人、聖人、天使達は数知れずあります。
  その名を公開するのは避けたいのですが、
 代表的な所ではジャンヌ・ダルク、アブラハム、エリヤ、マホメットなども
 現在に至る長い期間に暗殺されて、自らが証言出来ない立場にあります。
  ダビデ王は勿論、古代の預言者達、その他多くの大天使達も天の戦いに於て。

  私達七人が生き永らえたのは、
 サタン・ダビデや、幸いにもエル・ランティ様の親族ですから、
 エル・ランティ様の報復を恐れたのと、
 モーセ様、イエス様、ブッタ様等は 何時も私達と共に居られたから
 暗殺の機会を免れておられたのです。
  立派であればあるほどダビデの嫉妬心は燃え上がり、
 その方を消滅することで自らの権力欲と支配欲を満たしていたのです。
  そのような者でも私達が親族を殺害する事は大罪に値し、
 ソラッティア前ベー・エルデ王という祖父の孫の一人を失う悲しみを

 与えることが出来ませんでした。
  戦いによってようやく消滅し得たのです。
  ユダヤ教が共産主義を産み、キリスト教が呪われたのは

 (ひとえ)にこのサタン・ダビデの故であり、呪われた宗教を私達は解体し、
 三次元の人々との交流を再び新しい形で持ちたいと願っているのです。
  天に顔を反(そむ)けた多くの人々には私達の真意は通らないかも知れませんが ー 。

  天使名アルエル、サムエルは貴方の言われる天使と同一人物です。
  セリエルは現在サリエルとは別人として別の天使に与えられた名前です。
  天国シリーズに出された名はすべて土田展子さんや川上恵子さん、
 本原歌子さんなどに伝えられたもので、多少の聞き違えはそのままにしておきました。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法