第三部 「天の奇蹟(天上界への質問と解答)」
「天の奇蹟・上巻(80年10月初版)」 第一章 ヘブライ民族揺籃の地・メソポタミア
 章末・天上界への質問と解答
 質問者:著者 岩間文彌先生  解答者:ラファエル様

問一 聖書は『旧約』でも、のちに述べるように、本格的に編集され始まったのが、
 紀元前九世紀であり、ダニエル書などの「諸書」に至っては前二世紀の終りごろと、
 予想以上に後世に成立しました。
  それはヘブライ民族が関与した土地や国の諸々の、風土・神話・伝承・祭儀の影響を受けつつ、
 預言者達やそれに近い教養人、それに祭司出身者、歴史家、学者、知恵ある教師等が、
 それぞれの時代の要請と制約の下に編集したが故に、
 時には偏見や誤解さえも混入したであろうと考えられます。

  にも拘らず聖書に一貫性があり、世界の文化に大きな寄与をし、
 今も人々の指針となるものを湛えているのは、
 聖書が、神がヘブライ民族ひいては全人類を、
 歴史を通して救済しようとされたと理解する人々の「救済史観」に貫かれており、
 又聖書には、実際に人類救済とユートピア建設を意図される
 天上界高次元の神々の言葉が誌(しる)されている
からだと思います。

  そこで聖書は、「霊感の書」と言っても、
 一字一句が全て神の手によって書かれたものではなく、誤った観念も混じっており、
 又特定の時代には是とされても、今の世には肯けない観念も入っていること、
 しかし基本的には霊能者である預言者や、賢人・智者を通じて、
 天上の言葉がそこに溢れていると結論出来ます。
  聖書についてこのような考えでよいか否かお答え下さい。
  又天上界の聖書観について、これに加えて明らかにして頂くと幸いです。
問一解答  聖書は一般に三次元で知られているように、一民族の歴史でもあり宗教書でもあります。
 又、神と人との契約の履行が如何に正確に為されたかを述べ、
 それを神と人との大いなる絆と互いへの信仰即ち信義の証として、
 神を信ずる者同士の心の支えともし慰めともしてきた書です。
  旧約新約を通じて貫かれた神の愛と、人の神への絶対的信仰が読む者、信ずる者の力となり、
 励ましともなってきた証言の記録でもあるのです。


  神という超人的力を備えた人格神に、如何なる時も救われるという希望を持ち事を為す時、
 人は父親に守られた子供のように日頃出来ぬこともやる勇気が出ます。
  聖書は正にその勇気を得た子供の日記でもあるでしょう。

  又、預言者や、神に選ばれた者をして、人の見えぬ未来を予言させ、
 信じ難い奇蹟を行わせる超人的(三次元で可能でない事を可能にするという点で)力を持つ
 (旧約の時代には"超自然的力"と考えられていた)神への信仰は、
 人類の幼児の如き純真な驚きを伴う"力への信仰心"であり、
 超能力への信仰でもあるでしょう。
  神の救いと奇蹟に満ちた聖書がかくも長く人類の注目を浴び、
 二千年いや四千年の昔のヘブル人の祖アブラハムと同じ深さと強さの信仰を
 かき立てる動因でもあるのです。

  今述べたように、聖書とその背景にある神即ち私達の代表する天上界への信仰と固執は
 他ならぬ"力"への信仰です。
  従ってこれが必ずしも理性に基づくものでなくても良く、
 多少常識を超え、科学の約束事を逸脱した物語の羅列であっても、
 芝居じみた訓話(旧約に顕著)であっても、
 科学者をも含めて充分に理性的な人々にも抵抗なく受け入れられ、
 人生の全てをキリスト教信仰に徹することを可能にするのです。

  特にイエス様への信仰は、キリスト教学者の説によれば
 "原罪無き処女懐胎により産まれられた原罪無く、穢れ無く、
 無垢な救い主イエスの贖いの子羊としての死"及び、
 超自然の力を以て死から生を呼び戻した偉大なる神への
 新たなる信頼とその神を戴く誇りの形を取り、
 旧約時代にもいや増して強くキリスト者を神に結び付けることともなったのでしょう。
  信仰は理性に基づくものではない。
  それが故にまた、最も過激思想と見られる共産主義にキリスト者の転向、
 或いは左翼思想のキリスト者がかなり見出され、
 矛盾無く闘争運動に身を投じるといったことも起こり得るのです。
  キリスト教は財産共有制を歓迎する立場にあり、
 信仰の為の死を喜ぶという共通な要素を持つからでしょう。

  勿論この聖典を伝えた民族が文化が低く、大部分が稚拙な表現や、
 ヘブル人特有の民族性、習慣を通じて伝えられたものであろうとも、
 私達天の与えた真理は永遠のものであって、私達がそれを否定する者では決してないことは、
 イエス様が旧約の律法を否定される立場になかったと同様のものであると

 理解して頂かねばなりません。

問二 聖書中の奇蹟現象はかつては(或いは今も)、聖書中に書かれていることは、
 神の霊感によっているが故に、すべて真実であると信ずるキリスト教やユダヤ教の信者にとって、
 疑う対象ではありませんでした。
  ところがルネッサンス期以後、時代が進むに従い、科学的合理思想の浸透と共に、
 常識を超える現象と考えられる奇蹟の記述に戸惑い、悩み、或いは否定する人も増えて来ました。
  これは長年信じられて来た聖書の権威に係わる問題です。
  そこでこの問題を解決すべく努力した学者達の結論もしくは立場が三つ程あります。
  
  一つは、基本的には古来通りの、決して聖書の記述に誤りはなく、
 奇蹟もその通り起こったものだとし、やたらに人知で聖書を分析することに反対し、
 たとえ分析しても、自分達の信念の正しさを裏付けんが為にする立場です。
  
  次に、知性で不明なものはそのままにしておこう。
  例えば神話化されたかも知れないイエス様の生涯を、
 学問的に解明してその史実を浮き上がらすこと自体が本来不可能で無意味なことである。
  それよりも奇蹟等を通して聖書記者が、というよりイエス様などが何を訴えたかったのか
 を感知する方がより重大であるとする立場です。

  もう一方は、聖書の奇跡を、考古学、歴史学、言語学、神話学、祭儀史学、地球物理学、
 地質学、精神分析学等、それぞれの分野から、
 又総合的に徹底的に合理的に分析しようとする立場があります。
  
  こうした三つの立場に対して筆者は、三つのそれぞれの中心思想を是認しつつも、
 それらの行き過ぎや考え違いを指摘し、正そうとするものです。
  まず、奇蹟は多くが実際に起こった、その数々のものは天上界(神)の力によってなされた
 ものであるとする点のみは、第一の立場と同じです。
  神話的なものが過去の事件を反映していることは、
 シュリーマンやエバンスによる古代ギリシャ遺跡の発掘その他で明らかになってきております。
  しかしだからと言って、古代人の書いたものを、一字一句そのままに信ずることは、
 頑迷の謗りを免れません。
  そこに、古代人特有のものの観方、誇張、美化、決めつけなどの、
 人間の心理に対する理解不足が指摘出来ると共に、
 真実追及の意欲と勇気不足が指摘出来るからです。

  次に、奇蹟そのものに目を奪われて、何を言わんとするかの本道を見失ってはいけない
 とする点で第二の立場に同意します。
  しかし、だからと言って、
 奇蹟そのものを率直に受け入れる態度が意識から剝離してしまうのであるとしたら、
 神が奇蹟に託したメッセージの意味を充分には理解し得なくなるという点で、
 そうした奇蹟現象への消極的態度は、正しいこととは思われません。
  同様に奇蹟がたとえ事実でないとしても、それが心に響き、真実として感得されれば、
 「宗教的真実」として認めるべきだとする説も、そういう面があることは否定出来ませんが、
 それで十分とは言えません。
  
  考古学その他の面から奇蹟を解明しようとする第三の立場は、
 本書に於ても実際に活用している立場であり科学的解明の道として十分に尊重致します。
  只それぞれの学問分野の者は、自己の学問的視野からのみ、
 例えば、何でもかでも神話で、自然現象で、精神分析の手法で、或いは最近ではUFO、
 宇宙人の線で解釈しようとする傾向が目立ちます。
  我々は奇蹟を霊的現象ととして解明することがあります(実際そうですから已むを得ません)
 が、全体を通して、諸々の立場を考慮して、
 多角的・客観的にアプローチする総合的且つ批判的立場に立とうとしております。
  以上のような基本的立場が正しいかどうか。
 又天上界の抱いておられる聖書の奇蹟に対する基本的な考えを、お聞かせ願えれば幸いです。
問二解答 質問がかなりの所まで正しい奇蹟の把え方に近付いておられるので、
 私はその通りであるとお答えするのみで良いような気が致します。
  しかし只一つのみ附け加えておきたいのは、
 実際に奇蹟というものは神と呼ばれる人間の霊による作意であり、
 人為的に拵え上げられた舞台及び演出効果であるということ、それ以外にはないのです。

  私達が霊であるが故に、人間の身体という衣を着ている間は可能でなかった
 かなりの能力を会得し、それを駆使してあなた方人類に畏敬の念を起こさせ、
 それによって天の権威と言葉と法に従わせ、あなた方を正しい方向へ導く。
 
  その為の演出であり、舞台設定であるのですから、
 悪霊やサタンの力が威を振い、只人を傷付け不幸に陥れ、天から引き離す為の誘惑的、
 且つ破壊的奇蹟とは自ずから質を異にするのです。
  勿論、奇蹟の現出はあくまで私達天の声を人々に素直に聴かせ、
 受け入れて貰わんが為のもの以外にはありません。

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