第二部 神と人類の交流
第二章 (霊道の開かれた)古代人類に証された神の顕現と御意志、
    及び真実を封印されるのも、
    その解かれるべき時にそれを為すのも神である。
     預言されたものを成就するは神であることを、
    神の証するに時があることを、
    神が現れる時、人類は悟るであろう

三節 現天上界と古代日本(「古代日本と七大天使」より)
 地球人類の誕生以前から地球に存在した唯一の霊の世界である太陽系霊団の王であられた方が、
地球人類誕生後は神という存在を以て地球人類に神の概念を理解し得る知恵へと導かれた。
 神が人類を導くのは、人が神の心を育て得るのはその一生に掛かっているからであり、
その心を育て得る世にすることも、今を生きる人々に掛かっているからであった。
 そして善なる心を持った霊が、その霊の世界を守る王が存在したように、
悪なる心を持った霊が、その霊の世界を支配する王が存在した。

 日本人の歴史を遡る時、ある時期を境にそれ以前の歴史を
(日本以外の国に於て記録が残されているにも関らず)日本にあっては不明であるのは何故であるか、
その歴史を伝えるものの存在を消すのではなく、
その存在を、真実が如何なるものかを、ある目的を持って明らかにすべき時まで隠されてきた
(理解されないように機密文書の如くに暗号化されていた、
これは古代イスラエルにあっても同様な目的から黙示形式として伝達されたが、
その手段は全く日本独自のものであった)のであり、現代にあってその隠蔽を解き明かす、
それは神の命によるものであり、
それを封印した方法を知る者の介入なくして解き得ぬものであり、
古代日本歌謡、和歌集がその真実を封印された対象ですが、
それ等の文章がその文意とは何の関係もない真実を暗号化したものであること、
その日本語の発音が、ほぼそのままヘブライ語の発音であり、それをヘブライ文字にした時、
現れた文意が、数千年の間天上界に在って封印されてきたものが、
現天上界の存在と共に明らかにされたのでした。

『古代日本と七大天使』に、隠されてきた日本の歴史の真実が明らかにされ、
その封印が、そしてその解明が神によるものであり、
日本民族が真に神に導かれてきた証であることを、
(その封印と解明される時を告げられた)その理由を、
またその為に取られた方法(同時にどうやって解き明かされたか)も
天の光の下に明らかにされました。
 その概要をお伝え出来ればと思います。
 原典に当たられることでエル・ランティ様自ら伝えようとされた、
天上界の(人類救済の、救済の妨害者との戦いの)歴史を是非知られることを望みます。

(一) 倭奴(ユダ)国(ヘブライ語)の封印、日本国(日本語)の誕生
"何故日本民族はユダヤ民族の末裔であることが隠蔽されたか"
 「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」165頁
大和朝廷のヘブライ色隠蔽について
 では何故、大和朝廷の前身、倭奴(ユダ)国は、
自国の持てるヘブライ色を国を挙げてまでして隠蔽しなければならなかったか。
 その原因の一つとして、偶像仏教の導入が挙げられます
 聖徳太子(ラグエル元大天使の本体)の生まれる以前から、
仏教伝来の勢いは高まってきており、崇仏派と排仏派の対立がしばしば起こり、
排仏派の物部(もののべ)氏は崇仏派の蘇我(そが)氏によって滅ぼされたことは
日本書紀の語っているところですが、
この偶像仏教導入の勢いは、サタン・ダビデによって齎されたと、
千乃先生(天上界)は述べておられます。
 そして、このまま進めばヤハウェ様の説かれた法は一体どうなるのか?
 いずれ踏みにじられるだろうことは想像に難くない。

 天上界ではそのことに憂慮され、聖徳太子を育てた、と想定されます。
 聖徳太子が生まれた当時の大和朝廷(正式な国号は、倭奴(ユダ)国、
ヘブライ色隠蔽後の史書である古事記や日本書紀には当然この名称については述べられていない。)
には、霊媒(霊能者)を通じて説かれたヤーウェ様の法話を記したヘブライ文書が多くあった筈で、
偶像仏教が幅を利かして行く中で、
これらの文書の行末が案じられたのは言うまでもないことでしょう。
 排仏派の護持するヘブライ文書を
サタンの息吹のかかった崇仏派が焼き打ちすることは目に見えている。

(注。ヤーウェ様の法話を隠蔽するとは、その法話を残すために隠すのであり、
その法話の内容のみならず、
過去より天上界が日本を導いてきたことが明らかにされるに相応しい環境となった時に、
天上界がその封印を切る能力を人に与えさえすれば、すべてが明らかになる、
それが封印するということだと思います。
 このような考えの下に神の教えを隠蔽しようと考える者とは、
隠蔽したものの本来の姿を知る者であり、
如何なる方法、法則の下に隠蔽されたか知ることなくしては、解読は不可能であり、
それを伝えることの出来る存在、
即ち、そのような方法を過去から未来に掛けて、
知り得るのは永遠の存在である真の天上界以外に存在しない、
ヤーウェ様の法を蘇らそうと望む者もまた、天上界以外にあり得ぬことです。)

 しかし何としても後世に、このヤーウェ様の説かれた法話を伝えなければならない。
 これらの文書が正しく引き継がれ後世に伝えられるよう何らかの手段を講じなければならない。
 そこで、当時の倭奴国の心ある人々と天上界が考えた末、一計を案じたのです。

 仏教の導入を公式に認め、一切のヘブライ色を払拭し、新しく国を塗り変えること。
 仏教を公式に認め、遣隋使等の留学生を派遣して外国の文化を大いに取り入れる。
 この政策は功を奏し、崇仏派の圧力を緩和させることに成功し、
サタンの勢いを半ば、かわすことにもなったのです。
 今日、仏教導入を公式に認めたのは、推古天皇と聖徳太子と言われており、
太子は法隆寺の聖徳太子、仏教の大家のように言われていますが、
けっして聖徳太子の本意とするところではなかったというのが事実なのです。
 これまでの拙稿をご覧になられれば判るとおり、
太子はヘブライ語を理解し、ヤーウェ様の忠実な下僕だったからです。

 次に、ヘブライ語で述べられたヤーウェ様の法話をどのようにして伝承するかが、
課題となった
訳ですが、まず内容が判らないように極秘裡に伝えるのが条件となり、
これまでのヘブライ文字文を、漢字または仮名まじり文に、母音を操作して作り変える、
そして作り変えたものを、
神楽(かぐら)歌や催馬楽(さいばら)のような宮中雅楽の歌詞として、
また古事記や日本書紀の歌謡や、万葉集、古今和歌集のように、代々天皇の作成した歌、
或いは貴族や歌人の誦んだ歌とし、宗教とは無関係のものとして、
これらの歌集、歌謡集を編纂したという訳です。

 そして、これらを確実に伝承させる為にはいかなる場合でも、
ヘブライ語であることが判ってしまってはならなかった。
 その為には、この地の果ての島から、
ヘブライ語を一掃してしまう必要があったのです。
 ヘブライ法話を歌集としたことにより、
神道と仏教の宗教的対立抗争からの安全圏に置かれた訳で、
この計画は成功したと言えるでしょう。
 ましてや、仏足石歌のような、ヘブライ法話を仏教風歌謡にアレンジして、
薬師寺に石碑として建立させる等、人の意表をついたやり方は、感動さえおぼえます。
 古人の苦心が伝わってくるかのようです。

 ヤハウェ様のヘブライ法話が、はっきりそれと判るものであれば、
サタンの息吹のかかった者達に隠滅される恐れがあり、

またこれが仮に歌謡として隠蔽したところで、ヘブライ語の解る者に気づかれた場合、
疑念を呼び起こす可能性があるのです。
 従って隠蔽する側からすれば危険きわまりないものだった
ということが言えるでしょう。
 それ故に、神(ヤーウェ)の命により、当時の大和朝廷(倭奴国)は、
ヘブライ色を一掃し、ヘブライ法話を隠蔽し、
新しい国、日本国に備え、新たな国語を起したということが言えます。

 そして、これらの総てが、完遂されるまでに、数百年を要したでしょう。
 当時の大和朝廷(現在の天皇家)は、この神(ヤーウェ)の命に忠実に従い、
実行に移したのです。

(注。
 紀元前1700年頃 ヨブ渡来、紀元前700年頃 
 月読尊、天照大神(ヘフジバ)、素戔嗚尊 渡来
 日本に大和朝廷(倭奴国)を興したユダヤ民族は、
唯一神ヤーウェの教えをサタンの破壊から守る為に、
神の教えに生きる民としての証を守る為に、
真の神の民で在り続ける(神の御意志に生きる)為に、
倭奴(ユダ)国を、ユダヤ人であることを捨て、
日本国を興し、ヘブライ語を捨て日本語を作り出し、日本人になった。
 神に生きる心を守る為であった。
 それが神の民として生きることであった。
 神のメッセージを伝える為であっても動こうとしない現代のこの国にあって、
かつてこの国に生きた民は、神への信義からその教えを隠蔽する、
神の御意志を真に理解し、神の教えを、神の存在を語るを忍んだということです。
 悪(サタン)を知り、悪への怒りにあって、悪を許さぬ神の善への信義を通した、
神を見失うであろうこの民を必ず神は、神として救われると信じて疑わなかった。
 この真実を知って、知らないでいる時のままに生きる、
そのような心に耐えられる者はいないと信じます。

 世界中の国家の民族として生きるユダヤ人はその国民であることよりも、
ユダヤ民族の国家(建設)を優先した。
 大統領(ルーズベルト)自ら率いたニューディール(共産主義者)が
ユダヤ民族であることを、ユダヤ民族の生きる国家を尊重し、
その為に米国が犠牲になることを顧みない心に生きたのです。
 神に生きる心がどのようなものか伝えることが出来なくなった、
取り戻さねばならないのは国ではない、神の心であることさえも解らない、
このような心しか持たないのがユダヤ人だったのではなかったのです。
 真の神の民が神の命に生きた時代があったことを知らされたのです。
 何故知らされたのか、知らねばならない時が、天がそれを明らかにする時が来たからです。
 そのような時を天上界が備えられたことを知らされました。
 神に生きる民に帰る義務があると思われることでしょう。
 神がこの国を導いてこられたことを知ったのですから。注終)

 物部氏の後裔である藤原氏の日本書紀編纂の歴史観について、
物部氏を善、蘇我氏を悪とするとらえ方はおかしいと、指摘する歴史家もありますが、
そうではなく藤原氏の見方は正しかったということが言えます。

(ならば、蘇我氏の先祖でもあるとされる聖徳太子が、
蘇我馬子(そがのうまこ)と摂政に当たったことはどうなのか、
といった疑問が起こってきます。
 しかし、太子がヤーウェ様と蘇我氏とどちらをとるかと、問われた場合、
勿論前者であったであろうことは想像に難くなく、
どの程度気を許し、国家機密を知らせたかは、
一万にも及ぶと推定されるヘブライ歌謡が今日、
解読されるのを待つべく現存している事実を見る時、
心では蘇我氏を敬遠していたと思わざるを得ません。
 太子は蘇我氏の力を借用したのにすぎないのです。)

 ヤハウェ=エホバ様の育てられた日本国に於いて、
偶像仏教を導入する必要など、まったくなく、
サタンの働きかけによって強引に持ち込まれたとしか、言いようのないものだったからです。

 そして、このヘブライ色隠蔽政策は、最初は隠密裡に進められていたのですが、
隋へ留学生等の派遣と、交流が盛んになるにつけ、
これらの極秘事項は、留学生などによって隋に漏らされていたということです。
 六、七世紀の古代中国の史書「隋書倭國伝」には、
史臣によって記された次の一文があります。

 疎而不漏 簡而可久 化之所感 千載不絶
 そして終わりの方に「兵志有之日」とありますので、
倭人の中で兵を志す者が話したと受け止められます。
 「疎而不漏」は、倭人は、秘密を漏らさないが、しかし秘密を守るには疎(うと)い。
 「簡而可久」は、倭人は覆うことに同意したが、それは書物の如きである。
 「化之所感」、感ずるところ、これを化(ば)かしている。
 「千載不絶」、(この書物は)後から載せることが多く、絶えない。

 つまり、これらの記載が述べるように、ヘブライ法話の隠蔽は隋に知れており、
また見方を変えると、この記述は、一万にも及ぶと推定される古代和歌が
隠蔽されたヘブライ法話であることを裏付けるものでもある、と考えられます。

 そして、隋書倭國伝は、その内容についても触れていますが、
サタンの霊示に関するものであり、詳細は別稿にて述べます。
 六一八年、隋は滅び、唐が興ります。
 そして、倭奴(ユダ)国は国号を日本国と改めたことを唐に承認させ、
唐書には、古倭奴国は、日本国として掲載されることになります。
 六四五年、サタンに動かされた蘇我氏の滅亡と共に、大化の改新が叫ばれ、
この時から現在の国語が徹底され始めたと推定されます。
 しかし、仮名文字が充分滲透するまでにはかなり歳月を要したであろうし、
しばらくは書庫で眠っていたかも知れません。
 その理由としては、ヘブライ文字で造字したことが知られない為であるとも推察されます。
 つまり国策は慎重に行われたのです。
 その手始めとして、漢字文による文書、古事記
(七一二、一説には、平安時代、つまり七八二年以降に作られたとする偽書説がある)、
日本書紀(七二〇年)、万葉集(七五七頃)、のようなものを編纂させる。
 そして続万葉集と呼ばれる平仮名で書かれた古今和歌集が、
醍醐天皇の勅撰和歌集とされたのが九〇五年のことですから、
その計画は年月を要したものであることが推察されるのです。

 この計画故に、今日、仮名文字は平安時代に作られたということが、
通説になっているのです。
 おそらく、或る期間を経過するまで、仮名文字は公開されず、
平安に入ってから、解禁されたと思われます。
 このことは当時の天皇家にとっては機密事項であった筈であります。
 この頃になると、ヘブライ文字のことは、すっかり忘れ去られ、
仮名文字は漢字から作られたとする説はゆるぎないものとなったのです。
 解禁の為には、少なくとも百年は要したろうと、推察されます。
 すべては、神の命、つまりヤーウェ様も含む現天上界の指令によって行われたのです。

「太古に文字はなかった」に、もう一度触れますと、
「隋書倭國伝」には、「始有文字」の一文があり、これは一般的には、
「始めて文字が有るようになった」と意訳されてますが、
大きな間違いであると言わざるを得ません。
 文字を始めれば有るに決まってますから、
これは明らかに「始めは有った、文字は」の誤りなのです。
 隋書の史官は、無駄な文字の使用は極力避け、
他の国々に於ける記載にも、文字の無い国については「無文字」で片付けておりますから、
文字を始めたなら、この場合「始文字」で充分だったのです。
 隋書倭國伝の「始めに有った文字」とは、勿論ヘブライ文字を指します。
 いずれにせよ、天皇家、大和朝廷(倭奴国)を指導した嘗てのその同じ神が、
この二十世紀、千乃先生のそばに来臨されておられることを理解し、
悟るべき時が今、来ているのです。」

「天の奇蹟 下巻(87年7月初版)」157頁
 著者(岩間先生)の質問へのガブリエル様による解答より

「常にサタン・ダビデとその輩下に操られる弾圧者、圧制者の迫害を避ける為には、
信仰深き者の霊能を通じて、天の者達はどのようにしてでも
黙示形式の伝達と伝承が必要であったのです。
 それは本書掲載の西澤徹彦様の解読された日本の古代文書や古謡
(主にエル・ランティ = ヤハウェ様のなされたお仕事)にもある通りです。
 誰かが解読する迄は伝達、伝承した者にも判らぬように暗号化しました。
 それによって、悪意ある者により歴史が書き換えられようとも、天の真理と真実は残り、
人類は究極のものとして何を求め、得るべきかを如何に時代が変ろうとも覚り得る為です。

 幻や表象の形を取る黙示や預言は天が与え、或いは書き手の脳裏に働き掛けて、
必要な場合には、大天使が霊能を持つ著者や預言者に直接解明したり、解読させました。」

「天の奇蹟 下巻(87年7月初版)」169頁
「黙示文は捕囚期の頃に確立されており、それを変化させて伝えられました。
 しかし事は単純ではなく、サタン・ダビデも片方で同じ人々に
天意を歪める霊示と黙示を与えました。

「天の奇蹟 下巻(87年7月初版)」343頁
西澤徹彦様が日本の古謡と古文に託されたエル・ランティ様の膨大なメッセージを解読し、
ジェイアイ社から出版
(『古代日本と七大天使』)されますから、是非読んで頂きたいと思います。
 中野裕道の「日本神学誌」からエル・ランティ様のメッセージが締め出された時に、
"必ず他の場所で私達の意志を伝える機会を探すだろう"との決意を表明されましたが、
その強い御意志通りに古代日本に於て、エル・ランティ様御自身が、
天の正しい御方針を巧みに伝えるあらゆる場を捕らえて実行なさっておられたのを、
私達は少しも知らなかったのです。

 世界中であれほど善と義なる意志を持たれ、賢明な方は居られない、
天の父として真に相応しいエル・ランティ様を、無策だと少しでもなじった私達は、
天上の愚か者の代表のような者です。
 それを見るにつけ、私達元大天使は何をしていたのだろうかと ー
只、断腸の思いが募るばかりです … 。」

注。
"偶像仏教を日本に齎そうとしたサタン・ダビデの目的"
 サタン・ダビデは自らをイスラエルの神である主を名乗り預言することで、
ダビデが人類を誘導(支配下に置く)し、やがて預言の実現されるを以て、
自らの存在とその存在の意味を、即ちダビデが彼等の唯一の神(悪魔)であること、
及びその神に抗う者の存在を許さぬを以て、彼等を支配するを以て
存在するものが神(悪魔)であることを知らしめて行きます。

 善と悪を峻別するのは理性、神の心であり、神はその指針
(神の法を、神の法に、神の価値観に生きる心の徳、美しさ)を教えることは出来ても、
その道標に注がれる光の下を歩むのは、人自らの意志だけである、神の心だけである。
 人の神の心にその思いを、熱意を伝えることが出来るのは、
同じ心(波動)に生きる、常にその者と共に生きる善霊だけが可能なのであり、
善霊がそれを為すのは、神々の御意志に従う神の心を以て、
自らが神に生きる善なる霊であることが出来ることを知るからです。
 悪霊による憑依は天使が悉く滅していきました。
 それが天上界の人類を救ってきたことを証するものです。
 神の心を見出した者は皆それを理解する知恵に与ることの出来た者です。

(自らの心を神の心へと育てる、愛の行為である徳を、愛なき心にあって為そうとする、
愛なき心を知る知恵が、真理の道へと導くのです。
 自らの心を神の心に育てようとするのです。
 愛を求める心は愛を与える心へと昇華して行くことが出来る、
それも神の人類を導く為に伝えられた教えです。)

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」289頁
「ダビデは、偶像仏教を強引に日本へ導入させることにより、
十戒を破った者として、島(日本)を災害によって壊滅させる
(罰する)一つの理由付けを設けたわけです。
 そして、日本建国とヘブライ隠蔽政策を、イスラエルの偽装と見做し、
日本国として単一民族となる民を、一つに固まり偽っているとしたのです。
「あなた方は日本国と偽っているのだから、自分達の国、イスラエルに帰りなさい」と、
こういう理屈になるのでしょう。

(注。
 人の非を咎めずにはいられない心というのは、
自分が正しい人間であることを人に認めさせないと安心できない
(自分に非があったら人から非難されるに違いない、
そう思わずにはいられなくする被害妄想という心は、
人の善我を理解出来ない(自分にないから)、
人の偽我を恐れる心であり、愛を知らない病んだ心です)、
自分が有利な立場であることを確認したいが為に、
人の罪の証拠を押さえられたら、猛然と人に襲い掛かる、
本人は正義感のつもりであるかも知れないが、自己保存(自己肯定)の塊であり、
思いやりや、自分を律する規律や、何が人を生かす心か、
そう言った善を、善なる心を顧みることが出来ない精神です。
 どうしてそういった心になるかは、嫉妬心、
つまり、自分の方が優れているのに、自分は認められず、他が認められていると思い込む時、
嫉妬心に駆られることになります。
 嫉妬の対象に非や弱点を見つけると、引きずり降ろすチャンスとしか思わないのです。
 ダビデが陰で天上界の計画の妨害をするのも、天上界に、エル・ランティ様に、
知恵がないからこうなったとそう思わせるものを彼は作ろうとしていたのです。
 だから、ダビデは相手に非がなければ、非を作らせた上で、人間を堕落させた上で罰する、
あくまでもダビデは神の如き正義を以て神の正義に抗う者を罰したと、
自分の行動こそ神であると、それを認める者を彼は信じたのではないか、
と思います。)(2025.9)

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」291頁
「彼(ダビデ)は自分の息吹きかかった者達を世界中からパレスチナの地、
現イスラエルへ集めて一つの民とするということなのです。
 勿論、北イスラエルの子孫(北イスラエルはダビデが神を名乗り、
ダビデを神と信じて従いました。
 南ユダ王国はイザヤ一族がダビデの迫害に屈することなく、エホバ神への信義を貫きました)
として、パレスチナの地へ来る為には、
北イスラエルの子孫であることが証しされなければなりません。
 つまり、北イスラエルは、まとまって移住しており、
証しされるものを持っているということなのです。
 それがつまり、現イスラエルのユダヤ人達が、
預言が成就されることを信じ、北イスラエルの子孫を探している理由なのです。

 エゼキエル書三十七章二十三節では、
その民は偶像崇拝をすることはない。
 その背信から救い出すことが述べられますが、
その北イスラエルは、ダビデに救い出されるまでは偶像崇拝をしていると言うのです。

(エゼキエル書第二十章三十九節)
ー あなた方のうちから、従わぬ者と、私に背いた者とを分かち、
その寄留した地から、彼らを導き出す。しかし彼らはイスラエルの地に入ることは出来ない。
 こうしてあなた方は私が主であることを知るようになる。
 それで、イスラエルの家よ、主なる神はこう言われる、
あなた方は私に聞かないなら、今も後も、おのおのその偶像に行って仕えるがよい。
 しかし再び供え物と偶像とをもって、私の聖なる名を汚してはならない。ー
(エゼキエル書20 38~39)
 このイスラエルの家とは、勿論北イスラエルのことで、
「今も後も偶像に仕えるがよい」とは、二十世紀の現在も偶像崇拝を行っている国、
いや行わせている国であるということです。ダビデがです。
 この節からも、ダビデが偶像仏教を日本へ強引に導入させた理由が解ります。
 この預言の成就の為でもあったからです。

 日本国は、仏教の盛んな国として、色々な功罪言われますが、
一つはダビデの働きかけもあったこと。
 明治開国以来も、ダビデは大本教を興し、多くの法華経系統の新興宗教を乱立させたのも、
一つには、ダビデの預言成就の為でもあったわけです。
 日本国に偶像崇拝がすたれば、ダビデの預言が成就しなくなるからなのです。

 そして、ダビデは、エゼキエル書三十七章二十三節で、
その偶像崇拝を行っている北イスラエルの民を救い出すと述べるのです。
 高橋信次氏存命中のGLAにおいて、ダビデは、多くの仏教系の信者達を、
その偶像崇拝から離れさせたことを、これもダビデの預言成就に一役買ったのです。
 高橋氏のGLAでは、瑞法会と称する仏教系の宗教団体が
教団ぐるみでGLAに帰依したことが知られています。
 天上界が、高橋信次氏に、ブッタ様の本体として、日本国の偶像仏教を批判させたことは、
ダビデの思惑にも適っていたのです。

 彼が最初、おとなしくしていた理由がこれでよく解ります。
 次に、三十八節ですが、寄留した地とは、この日本国を指すことになります。
 この民の中から、従わぬ者、ダビデに背いた者をえり分け、
従う者のみ、モーセ様の再来と呼ばれる者に従わせ、導き出し、
現イスラエルの地に連れて行くということです。

 前掲の和歌、ダビデの霊示のイスラエルを連れ出す、或いは帰る、
とはこのことだったのです。
 従わぬ者は、パレスチナの地に入ることは出来ず、島で災害によって滅びる、
とこういう段取りだったわけです。注終)

"その封印が現代に解かれた訳"
 現代に天上界が現れた理由と同じです。
 最後の審判が真実であることを告げる、
善を守ろうとする者と善を滅ぼそうとする者が存在する、
そのどちらかに与せずして、存在することは不可能であるということを告知する。
 如何なる宗教が本物であるか、神の認める宗教は何であるか。
 そういった宗教で解決される問題なのではない、
自らの善を突き詰めて考えなければならない。
 彼等の語る善が、真理が真の神の心から齎されるものか、判別せよ。
 それしか自らの神の心を悪から守ることは出来ない、神はそう語られたのです。

 自らが滅びようとも神を滅しない限り悪魔の王国を作ることは出来ない、
人類の心から神の心を滅し去る、
これから生まれて来る人間に善なる心を養う世界(観)をすべて破壊するを以て悪魔の王国を齎す。
 彼等の魂は善を滅しない限り己の安心を失ったのです。
 善に徹する存在に遭遇して、彼は自分を滅する者ではないと考える余裕など持ちようがないのです、
一人の心だけの被害妄想ではなく、彼等は皆その世界に生きている故に、
天上界は心の休まる日はないのです(平和があるのはこの世の平和主義者の頭の中だけでしょう。
 ダチョウの頭と中身は変らないのです)。
 常に自己保存からくる不安が破壊衝動に駆り立てられるのです。
 サタン・ダビデの死によって、彼等の心の支え、
安心という心を完全に失った精神異常者が悪霊なのです。
 神にも悪魔にも与しないなどという人間を悪霊が信用するとでも思うのでしょうか。
 悪魔に従いさえすれば生かしてやると言われて、嘗ての善霊が悪魔に従ったのは、
自分を滅する力のある者を前にして、自分はどちらにも従わないなどと言って放任されると、
そういう人間を一人でも許せばどういうことになるか、
それが解らない馬鹿者が神に抗っていられる訳がないことを
嘗ての善霊で知らぬ者はいなかったからです。

 左翼が戦争はいけない、軍隊はいけない、憲法九条を守れと言っているのは、
悪霊に憑依されているか、憑依されるまでもない馬鹿者であるかのどちらかに過ぎません。

 天上界の救いに従わない心、善を愛する心を持たぬ心を神は救えないのです。
 最後の審判で悪なる魂を滅するとは、悪魔の試み、誘惑から守るのは、
自らの善を愛する心しかないことを、
神に救えない魂は、悪魔に支配されないではいられないことを、
その魂、悪なる魂を滅しないならば、天は滅びることを、神は告げられたのです。

第二部 神と人類の交流
第二章 (霊道の開かれた)古代人類に証された神の顕現と御意志、
    及び真実を封印されるのも、
    その解かれるべき時にそれを為すのも神である。
     預言されたものを成就するは神であることを、
    神の証するに時があることを、
    神が現れる時、人類は悟るであろう
三節 現天上界と古代日本

(二) 日本民族を導き続けた神の真実
ー 神が真理を封印した(神の心に生きた人々が神に従って為された)手順を辿ることで、
 神(に生きる人々)が何を守ろうとしたか明らかにされた
 ー

"何が封印されたのか、封印されてどうなったか"
 ヘブライ語で語られたエル・ランティ様の法話が、
ヘブライ語の音と似ているだけの、意味の全く異なる歌謡、和歌になった。

 エル・ランティ様に導かれて南ユダ王国から日本(倭奴(ユダ)国)に渡来したユダヤ民族に
(霊媒を通して)伝えた神(エル・ランティ様)の教え(勿論ヘブライ語)を、
サタンに導かれ偶像仏教を導入しようとした崇仏派から、
エル・ランティ様の解かれた法話(の書物)を(焼かれないように)守る為に、
大和朝廷は仏教を承認し、攻撃をかわす。
 そして神によってその民であることを明らかにする時まで、
真実を守る為に、南ユダ王国の末裔であること(及びヘブライ語によって明らかにされる真実)
が封印された。
 大和朝廷の指導によって、ヘブライの神の民であることを知らない民族へと、
倭奴(ユダ)国から日本に国の名前が変えられ、
言葉もヘブライ語から日本語へと何世代に亘って変えられていった。

 ヘブライ語による教えを、その発音が同じでも意味はその音の日本語の意味しかない、
ヘブライ語によって伝えられた意味を成さぬ日本語による歌謡、
和歌が天皇の指導によって作られた。
 西澤先生はその歌謡、和歌(すべて漢文)からヘブライの発音とした場合、
ヘブライの文字(単語)を探り出すのですが、ヘブライ語の母音操作などが為されており、
その発音から言葉が掴めない、その原因が隠蔽の際、
ヘブライ語と日本語の両方を理解するものが、
エル・ランティ様の語られたヘブライ語の母音を操作していたことを発見、
正しい言葉の下に文章を読み取る。
 更にその文章も暗号化されている為に、真意を掴み取る為に、何百という歌謡、和歌を通して
エル・ランティ様が伝えられた思いが明らかになるまで読み込まれ、
エル・ランティ様が用いられた黙示形式の法則性を掴むことが出来たのでしょう。
 エル・ランティ様が語られたヘブライ語による法話の真意を理解することに成功されたのでした。

"エル・ランティ様による封印の手順"
 その逆が西澤先生の取った解読の手順です。
 西澤先生が『古代日本と七大天使』で解読を試みられた歌謡、和歌は二百五十首に及びます。
 その一例を掲載します。
 その歌謡に関して、法則性を判り易く示した図と、出典元の書物の写真を文末に添付します。
 それは現代まで伝えられ、日本国家となった君が代です。
 この歌を国家にされた日本人は神に導かれた者に違いありません。
 これを伝えることが出来るのは、本当に素晴らしいことです。

 ① 日本国家「君が代」に歌われるイエス
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」35頁
「国家「君が代」は、「和漢朗詠集」の古謡に由来し、
三番まであるという事が以前「サンケイ新聞」に掲載されておりましたが、
そのヘブライ語の訳出を紹介します。
「君が代」は、「和漢朗詠集」の古謡をそのまま国家の歌詞としたのではなく、一部分、
「わが君は」のところを「君が代は」に置き替えられたものとされています。
「和漢朗詠集」は平安時代の歌人藤原公任によって、一〇一三年頃集成されたものです。

〈和漢朗詠集七七五〉〈古今和歌集巻七 - 三四三〉
27(本書の通し番号)わが君は 千代に八千代に さざれ石の巌(いはほ)となりて
  苔のむすまで

〈雜歌・皇太神宮年中行事〉六月十五日贄海(にへうみ)神事歌
28 我が君の 御坐(おはしま)さむことは 細石(さざれいし)の 苔の生(む)すまで
   和加君ノ 於波志万左牟古止者 左左礼石ノ 伊波保止奈利テ 古遣の牟須万天

〈雜歌・皇太神宮年中行事〉 右 同
29 我が君の 命を請はば 細石(さざれいし)の 苔の生(む)すまで
   和加君ノ 命ヲ乞ハ 左左礼石ノ 巌ト成テ 苔(コケ)ノ生(ムス)万天
 「石の」は、「私達のイエス」の意味である「イシェヌ」の訛ったものと考えられるのです。

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図27、28、29参照)
27 私は、あなたの立ち向う者(ダビデ)を批判するだろう。
  彼はかならず、私を決めるだろう。
  (同じ)血統であるところの私達のイエス。
  あなたは完遂させたしるしに、告げるだろう。
  私達のこのような証言による救い主。
28 私は、私達の立ち向う者(ダビデ)を批判するだろう。
  彼を悲しませるような知らせは、私はさえぎるだろう。
  (同じ)血統であるところの私達のイエス。
  あなたは完遂させたしるしに、告げるだろう。
  私達のこのような証言による救い主。
29 私は、私達の立ち向う者(ダビデ)を批判するだろう。
  あなたは傷つけられ苦悩した。
  (同じ)血統であるところの私達のイエス。
  あなたは完遂させたしるしに、告げるだろう。
  私達のこのような証言による救い主。

 「私」とは、ヤーウェ=エホバ=エル・ランティ様を指し、
「私を決めるだろう」とは、証言の内容についてのことで、
エル・ランティ様についてイエス様は証言するということです。
 この予言は『天国の扉』において成就されています。
「完遂させた」はイエス様の"茨の道から復活"を指しており、
「傷つけられ苦悩した」と合わせて、
この歌謡は天上界へ昇られた霊体となったイエス様を指していることは明白です。
「引き出す」とは、霊となったイエス様に霊能者を通じて証言させる、
つまりこの世、三次元の世界に引き出すという意味です。
 イエス様がユダヤ人であったことは知られていますが、
「血統である」とは、このエル・ランティ様の霊言を語られた民が、
同じ血統であることを示唆しており、古代日本にユダ部族が居住していたことを示しています。
「救い主(メシア)」とは、この歌謡にあるように、
天上界善霊の方々の霊能者を通して出される証言によるものであり、
一人の生身の肉体を持った人間を指したものではないのです。

 ところで、この三首の歌謡は、おのおの一部分のみ替えられ、あとは皆同じ内容です。
 しかも、互いに独立しており、相互に矛盾しない。
 このことは、これら三つの小文が、意図的に作られたことを意味しています。
 勿論伝承する為の手段であったことは言うまでもありません。
 これはどういうことかというと、霊媒を通じてエル・ランティ様が現象(霊言)した時、
ヘブライ語の書記が居たことを示すものであると思われるのです。

 おそらく長いメッセージを、おぼえやすい短文に区切り、
一つ一つの短文が誰について述べているのか独立したものとして、
一人歩き出来るよう工夫されて作られたと推定されます。
 それが数千に至る数作られ少し位消滅してもビクともしないように
配慮されたと考えられるのです。」

〖備考
 ニューディール(ユダヤ人共産主義者)は、
世界共産化に邪魔であった天皇制を破壊させるために、日本国憲法を作った。
 そしてニューディールのエピゴーネン(傀儡)である日本共産党は
日本国憲法を守ろうとしてきたのであり、天皇を讃えるもの思われてきた「君が代」を拒絶、
公務員(教師)である日教組は、国歌「君が代」を生徒に歌わせなかった。

 しかし「君が代」に託されていた神のメッセージは、神が導いてきた倭奴王国の民に、
神自ら語り聞かせた、神の遣わされた救い主イエスについての証言であり、
日本国民が倭奴王国の末裔であることの証でもありました。
 イエス・キリストについての神の証を、悪魔の破壊から守る為に、天皇を讃える歌に変えた。
 神の民を天皇を敬う民として、その心を神は守り導いてこられた。

 その天上界の導きで、その事実が解明されたのです。

 それを知っても尚、この悪魔の息のかかった憲法から神の民を解放する、
神の法に従う憲法に生きることを望む、
神が天皇を通して日本人を守ってきた、神の法に従う心へと導いてこられた、
その思いに応える神への信義の証として、神の法を、
神の心を敬う憲法を作らねばならないとの思いを抱くことが出来ないのでしょうか。
(2025.10)備考終〗

 ② 神によって古代日本人に証されたキリスト
 キリスト教がザビエルによって伝えられる遥か昔から日本人は、
神に遣わされた救い主・イエスによって人々の知るところとなった神の教えを、
当時の日本人は(同胞のこと故に関心を持っていたことでしょう)知っていました。
 ヘブライ語の隠蔽により、南ユダ王国の民であることの、
自分達の神であるヤーウェ神に生きる民であることのアイデンティティ(の自覚)を見失うことで、
神もモーセもイエス・キリストも見失ったのでしょう。

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」42頁
「〈古事記13歌謡〉
38 神風(かむかぜ)の 伊勢(いせ)の海(うみ)の 大石(おひし)に 
  這(は)ひ廻(もとほ)ろふ 細螺(しただみ)の 
  い這(は)ひ廻(もとほ)り 撃ちてし止(や)まむ

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図38参照)
 私達の砦としての起(た)つ方。
 私達の同族、私達のイエス。
 私は私達を沈黙させ守らせるだろう。
 あなたは彼に怒りを燃やし、熱くなるだろう。
 神のその強い熱で、私達はサタンを滅ぼさせた。
 民からの洞察と共に、あなたは怒りを燃やすだろう。

 この歌謡の中で『沈黙させ守らせる』とあるのは、
このエル・ランティ様の霊媒による霊言の後は、
今世紀において千乃先生を通じて名乗りをあげるまでは、天上界は沈黙すると、
述べられている。
 例えば霊能者を通してイエス様やミカエル様として名乗りをあげない、
ことを述べられているように思われます。

〈日本書紀79歌謡〉
39 神風(かむかぜ)の 伊勢(いせ)の 伊勢の野(ぬ)の 榮枝(さかえ)を
  五百經(へ)る懸(か)きて 其(し)が盡(つ)くるまでに 大君(おほきみ)に
  堅(かた)く仕(つか)へ奉(まつ)らむと 我(わ)が命(いのち)も
  長(なが)くもがと 言(い)ひし工匠(たくみ)はや あたら工匠(たくみ)はや

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図39参照)
 私達の砦としての私達の起(た)つ方。
 私達のイエス。
 彼を待ち望んでいるところの私達の証言する方、私達のイエス。
 同胞、あなたのそのエル。
 そのエルとしての威光であるところの茨(いばら)。
 私達の起つ方(七人)の同胞、私達の割り当て。
 あなたの茨、欺(あざむ)きの故にあなたは正しいとされるだろう。
 私は私達を引き出すだろう。私達の潔白を。
 私の治療によるあなたの死に絶え。
 私は沈黙しているだろう。
 回復したことにより、あなたは正しいとされるだろう。
 霊のあなた、回復したことにより、あなたは正しいとされるだろう。

 この歌謡の「茨」とは、勿論、イエス様の十字架への道、復活を指すものです。
 では「欺き」とは何を指すのでしょうか。
 まず、イエス様という生身の体を持った人が、一人処刑されたことにより、
人類の罪が贖われたとする欺き。
 これは、イエス様を十字架につけたユダヤ人側から発せられた言葉であって、
当時ローマ帝国の支配下にあった中で、ローマ帝国の顔色を伺いつつ、
彼らにとって邪魔であったイエス様を葬り去る為のこじつけだったのです。
 ところが、ユダヤ人を迫害する立場にあったキリスト教徒が、
何ら信ずるに価しないこのこじつけを信じきり、
皮肉なことに、今日この"こじつけ"が、キリスト教の要(かなめ)となっており、
キリスト贖罪説が取り去られた場合、キリスト教の存続意義が無くなるとして、
盲信者は頑なに固執するのです。

 もうひとつの「欺き」は、サタン・ダビデの発案によるイエス様の処刑、
復活というサディスティックなシナリオです。
 エル・ランティ様に圧力をかけ、遂行せしめた後は、
さぞかしサディスティックな快楽に酔ったことでしょう。
 天王に屈辱を与えたのですから。
 新約聖書によると、イエス様は生前すでにこのシナリオを知らされており、
お弟子達にも話していられます。
 非常に苦悩され盃を返したいとまで言われたのです。
 しかし、エル・ランティ様の御意志であるということ故、従われたのでしょう。
 潔白な方であったことが解ります。
「治療によるあなたの死」とは、天上界の働きかけによって
苦痛なく昇天されることを配慮されたこと、を指していると思われます。
 これらのことについては『天上界メッセージ集・続』
"イエス様は何故苦痛なく昇天なされたか?(Ⅰ・Ⅱ)"に詳しく論証されています。

〈日本書紀83歌謡〉
40a 稻筵(いなむしろ) 川副楊(かはそひやなぎ) 水行(みづゆ)けば
  靡(なび)き起(お)き立(た)ち その根(ね)は失(う)せず

40b 倭(やまと)は そそ茅原(ちはら) 淺茅原(あさぢはら)の
  弟日(おとひ) 僕(やつこ)らま

40c 石(いそ)の上(かみ) 布留(ふる)の神榲(かむすぎ) 本伐(もとき)り
  末截(すゑおしばら)ひ 市邊(いちのべ)の 宮(みや)に 
  天(あま)の下治(したし)らしし 天萬國萬(あめよろづくによろづ)
  押磐(おしは)の尊(みこと)の 御裔(みあなすゑ) 僕(やつこ)らま

 この83歌謡は三つに分けられており、共通の内容ですが、
各歌謡との間には、若干飛躍があります。

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図40参照)
40a 指導者イザヤとして、シロから彼は証言した。霊媒としてのイザヤ故に。
  彼は待ち望んだ預言者だった。
  だが、彼は粉砕された。
  助けを求めて彼は私達を叫んだ。この火を待ったのだ。

40b 彼らは揺らぐだろう。
  あなたはそのエルに導かれた。
  この火、私達のそのエルに。
  彼らは、彼と共に正しいことが立証され、あがめられるだろう。

40c 私の起つ方、私達のイエス。
  私の起つ方、私達のそのエル。
  彼は、私のそのエルのもとから大きくなった。(育った)
  彼の仲間の背信、私達の預言者と共に彼らは同じようであった。
  私達の民は、私達の神より三度誘い出された。
  その民は消滅されるだろう。
  私は私達を途絶えさせるだろう。
  証言し、終わらせるべくして、用意の出来た時を待つべく。
  彼らは正しいことが立証され、あがめられるだろう。

 a 古代歌謡では、天上界高次元の霊を「火」と表現していますが、
今世紀に於ける『天国の証』の天使の詩集で、ガブリエル様も同じく、
「溶鉱炉の火」と表現しておられます。

 b の「彼らは揺らぐだろう」の彼らとは、おそらく、
エルサレムに残されたユダヤ人を指したものでしょう。
 イエス様の死後、彼らはキリスト教徒により、迫害を受けます。
 b の最後の一節は、「彼ら」は元七大天使、「彼」はイエス様を指します。

 c では、イエス様も預言者イザヤも、仲間に裏切られ惨殺されたという点に於て、
似ていたと述べています。
 私達の民とは、ヘブライ民族、渡来ユダ民族指します。
 天上界により三度誘い出されたその一度目は、アブラハムの子孫によるエジプトへの移住、
アブラハムの子孫によるエジプトへの移住、または日本を含む東南アジアへの移住、
二度目は、モーセ様率いるエジプトからカナンへの移住、
三度目は、古代イスラエル王国が南北に二分割した後、
滅亡直前の南ユダ王国のヤハウェを真に慕う者のみの日本への移住。
 この後天照大神によって正法は継承されてきた。(『天上界メッセージ集』「正法の歩み」参照)
 何故、ヤハウェを慕う者のみであると言えるのか、という問いに対するひとつの答えとして、
サタンの発案である、割礼の儀式が日本には伝承されていないこと、が挙げられます。

(注。
 聖書や宗教の教義の中に忍ばせた、神を偽ったサタンの教えを、神の教えと受け入れた心は、
真の神の心の伝わらぬ、理解されないことを明らかにしています。
 渡来した古代イスラエルの人々は、
ユダヤ教の教えを神の教えと理解した人々であったにも関わらず、
真の神ヤーウェ様の心に直に接した彼等の心は、
(ユダヤ教徒の義務である)割礼が神の求めるものではない、
偽りの神が齎してきたものであることが理解されたのでしょう。
 真の神の心を見出した者に、偽りの神の齎した邪悪は見抜かれるのです。

 古代日本人に、神の遣わされたキリストの存在を信じることが出来たのは、
真の神が、現天上界の神々自らその心を神と証する唯一の波動を以て人々に伝えられる時、
偽りの神の教えに縛られてきた自らの邪念(波動)から解放されることを示すものです。

 宗教は神へと導く道に過ぎません。神の心を見出すためのものです。
 神自ら人に神の思いを伝える、神の心に目覚めさせる時、
人は自らの内に歩むべき道、神の道を見出すのです。
 神の道を導く神の心が自らの内に生きているのです。
 神の心に生きている者は、生ける神を証する、神が齎した宗教そのものです。
 人の心を目覚めさせぬ死んだ宗教など無用です。
 ヤーウェ=エル・ランティ様が臨まれた古代日本人は
神の心を見出すことが、神の心に生きることが出来たことを知らされたのです。

 注終)(2025.9)

「イザヤ書」にある「東の地の果ての島々」とは、日本を指します。
 では、このユダヤの民が消滅されるとは、どういう意味か?
 これは、日本の歴史からユダヤ渡来を消滅させてしまうことであると受けとめられます。

 次の「用意の出来た時を待つべく、途絶えさせる」とは、何を指すのか?
 前述の古事記歌謡の沈黙を守るということと合わせて、
「証言が終わるまで」というのは、古代日本歌謡その他が解読される為には、
立証させる為の証言が出揃わなければならない、ということです。」

第二部 神と人類の交流
第二章 (霊道の開かれた)古代人類に証された神の顕現と御意志、
    及び真実を封印されるのも、
    その解かれるべき時にそれを為すのも神である。
     預言されたものを成就するは神であることを、
    神の証するに時があることを、
    神が現れる時、人類は悟るであろう
三節 現天上界と古代日本(「古代日本と七大天使」より)

(三) 南ユダ王国後裔の日本渡来
 紀元前七〇九年以降(「古代日本と七大天使」247頁)、
ヒゼキヤ王妃ヘフジバ(サリエル元大天使本体)はエホバ神(エル・ランティ様)の命を受け、
夫(セゼキヤ王)、子(マナセ王子)、父(預言者イザヤ)に別れを告げ、日本に渡来した。
 神の法を伝え、天照大神と敬われ皇室の祖となられた。
 彼女に従って助けたのは、イザヤの長男、シャルヤシュブ、すなわち月読尊(つきよみのみこと)
(ラファエル元大天使本体)
 イザヤの次男、マヘル・シャラル・ハシュ・バズすなわち素戔嗚尊(すさのをのみこと)
(ギリシャ神アレス本体、アレスはウリエル元大天使本体)

〖神への信義を通す者と神に信頼された者、神が思いを掛けてこられた者が、
神の御心に生き、神の命と信じ、応える心を以て、神に選ばれた者になるのだと思います。

 天への道とは人の心を神の心へと育てるものです。
 その為に神の備えた苦難の道を、天の導きと信じて歩んだ者だけが、
天に迎えられるに相応しい研磨された魂であるということ、
神の救いに選ばれるとは、神に導かれた者だけが迎えられる、
その導きとは魂の研磨に他ならないのです。

 苦難の中にあって神を信じる心を失わない魂を、
求めていると天上界が言われるのは、
苦難にあって正しい心を持ち続けることの出来ない者を、
天上界に迎えることは出来ないからです。
 苦難に遭って神を信じる心を失うのは何故か。
 苦難から神は守ってくれなかったと、
信じる心を否定する疑う心が神の心を見失わせるのです。
 病んだ心とは信じるべきものも信じられなくなる心なのです。
 精神を成長させることの出来なかった者は、
自分を成長させようとされる神の思いが理解出来なかった、
自分を守ってくれると信じていたに過ぎない、
自分に執着する限り、精神の成長はない、精神の自由はない、
自分に執着する心に愛は生まれない、神の愛は伝わらないのです。

 神に救われるに値する人間になるように自らを律するしかないのです。
 神に救われるか否かは、神の光りの内に生きているか、
分かりやすく言えば神の法に生きているかにかかっているのです。〗

 ① 日本渡来の背景
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」224頁
「(イザヤ書)二十四章は、明らかに、ユダの民の島々への移住成功を喜び、讃えたものです。
 一部のユダの民の日本への脱出は、預言者イザヤの生存していた時、
ヒゼキヤ王の時代と推定されるものです。
 ヒゼキヤ王のユダ王国は、アッシリア王、セナヘリブによって来襲を受け、
それが失敗に帰した為、セナヘリブはダビデによって命を奪われたことは、別述しました。
 そして、そのユダの民の移住は、セナヘリブ来襲前後のことであったろうと推定されます。
 北イスラエル王国が、アッシリア王シャルマネセルによって滅ぼされ、
駆逐されたのが、ヒゼキヤ王の治世第六年(BC七二一年)のことで、
南ユダ王国が、セナヘリブの来襲を受けたのが、ヒゼキヤ王第十四年(BC七一三年)の時、
と旧約聖書には、記されておりますから、この一部のユダの民の日本列島への移住は、
この時期の可能性が最も高いということが言えます。
 準備は、それ以前から、かなり周到に行われていたでしょうし、
セナヘリブの来襲が、ヒゼキヤ王に、或る決心をさせたとも言えるかも知れません。」

 ② 日本渡来の開始
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」232頁
「まず月読尊は、日本列島への移住に関し、先陣を切った方であると同時に、
島に渡った一人の証人として、イザヤやヒゼキヤ王のいる
ユダ王国本土へ帰還した人であるということです。
 その故をもって、イザヤ書には、イザヤの長男シャルヤシュブ
(「残る者は帰る」の意)として記されました。
 すなわち、月読尊は、預言者イザヤの長男であったのです。

ー 「その時エホバ、イザヤに言い給ひけるは
今なんぢと汝の子シャルヤジュブと共にいでて
布をさらす野の大路(おほぢ)かたはらなる上池(かみのいけ)の樋口にゆきて
アハズを迎え之に告ぐべし」…
ー 「イザヤ書第七章三節」から…

 アハズは、南ユダ王国ヒゼキヤの前の王ですが、この第七章によると、
イザヤと月読尊が、アハズ王にユダ王国の危機を伝えたというものです。
 そして、ヒゼキヤ王の代になって、
北イスラエルは、アッシリア王のシャルマネセルに、南ユダ王国はセナヘリブの来襲を受け、
いずれもダビデの奸計によるものであったことは前述したとおりで、
このような中で、新たなユダ王国の再建が、イザヤ一族によって叫ばれたのです。」

 ③ 月読尊について
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」234頁
189 〈萬葉集第十四 - 三三五一〉
 本書の採り上げた歌に付けられた通し番号〈歌の出典元〉
 歌詞とヘブライ語訳
(本意を暗号化、黙示形式化されたヘブライ文と、その発音から作られた日本語の歌)
 の掲載は割愛しました。

(註釈) 歌から解読されたメッセージの内容
([天上界の意志に従い、大和朝廷は
 エル・ランティ様によって語られてきたヘブライ語による霊言を黙示形式にした歌に変えた。
 黙示形式の解読により古代日本歌謡、和歌から現われたエル・ランティ様のメッセージ]
 の註釈

 月読尊は、ユダ王国の民達と別れを惜しんだ。
 彼は、一緒に旅立つ者、移住する者を秘密にした。
 彼女、ヘフジバは、あなたと別れを惜しんだ。
 彼は遠ざかった時、十戒を復唱した。
 天上界は、月読尊を任命し、彼は、天上界の意識を通して、おのおのメンバーを割り当てた。

 原文には、十戒とは、書いてはありませんが、和歌や歌謡に時折出てまいります復唱とは、
ユダの民にとっては、十戒以外考えられないので、一応十戒の復唱としています。
 移住メンバーの設定は、秘密裡に行われ、
旅立ちも、ヒゼキヤ王の項で述べられている如く、極秘裡に行われたようです。
 或る決められたメンバー以外は。
 そして、この移住は、モーセ様の時の出エジプト、
民族大移動のような大規模なものではなかったのです。
 イザヤ一族が中心となって、移住メンバーが拡大されました。
 そして、月読尊率いる第一陣によって、日本列島移住の第一歩が記されます。

 190 〈萬葉集巻二十 - 四四九二〉
(註釈)
「月読尊は、日本島に上陸し、生活を始めた。
 ユダ王国の刈られた後に残った株である彼は、先住の島民に調べられた。
 島民は、私(ヤーウェ様)の贈り物であった月読尊をひどいめに会わせた。
 彼は、泣き悲しみ、あなた(ミカエル様?)は怒り、月読尊を助けた。
 謙遜な彼は、島民(の悪意)に打ち勝つことが出来た。

 島への上陸第一歩は、月読尊にとっては、けっして生易しいものではなかった。
 以下はその内容について述べられます。

 191 〈萬葉集巻十五 - 三五九九〉
(註釈)
 私の豊かに肥えた島で、私達の月読尊は、先住島民によって、
私達倭奴の民が噂に聞くように、そのグループを代表する生き神として調べられた。
 そのことによって、彼はヤハウェを嘆き悲しんだ。
 天上界の意志、計画と共に、月読尊は踏みつけられた。

 聖徳太子の時代に於ても、勿論、月読尊についての様々な伝承があり、
移住当初も生き神のように思われ、調べられた。
 そして、踏みにじられたことによって、同じく傷つき踏みにじられたヤーウェ様を思い、
そのことを月読尊は嘆いた。

 そして、月読尊が、島に対してどのような期待を抱いていたかが次に述べられています。

 192 〈萬葉集巻十五 - 三六二二〉
(註釈)
 島の所有者、民を司るのはヤハウェである(注。神自ら語られたのです)。
 月読尊は、島民にヨブ
(おおよそ紀元前千七百年に最初の日本島の王として、エル・ランティ様より使命を受け、
この島へ渡来した人であること。
 それは、アブラハムの後裔、ヤコブの十二人(実際は十人)の子供ヨセフらが
エジプトへ移住した時と時期をほぼ同じくしていたのです(206頁)。)
を期待した。
 島民は、月読尊を中心とするグループが異邦人である為に、不正をした。
 月読尊は、立ち向かって行った。

 月読尊は、島はヤハウェ様の所有するものであり、昔、ヨブが渡来したことを知っていた
 それ故に、先住島民達に、ヨブのような(神に忠実な)人間を期待したのだが、
ものの見事、それは裏切られた。
 島民達は、月読尊らが、外者(よそもの)であることをよいことに、不正をした。
 そのことに、月読尊は、立ち向かって行ったのです。

 193 〈萬葉集巻四 - 六七〇〉湯原王の歌一首
(註釈)
 先住島民達は、私達グループを、強制労働させるべくして調べた。
 そして、天上界によって定められたものを踏みつけた。すなわち、彼等の神を。
 月読尊は、我慢出来なかった。

 先住島民は、所有者である私達天上界に代って、そのすべてを月読尊になすりつけた。
 
 月読尊らは、島民にとって異邦人である故に、強制労働が決められた。
 島民達は、その定められたことによるその不都合から、
天上界によって定められたものすべてを月読尊一人に帰した。

 194 〈萬葉集巻十一 - 二八一一〉
(註釈)
 再建する者(月読尊)は、私の贈り物である、霊聴、霊からの声をひどく嫌った。
 島民達は、月読尊を屡々だました。
 強制労働から離れて彼は泣いた。
 或る日、月読尊は、私達天上界の霊示、現象を行い、告げた。

 意外にも、現代日本に於て、霊現象を喜ぶヒステリー霊能者の多い中で、
月読尊は、霊からの声を嫌った(偽りの神に唆されるのを恐れるからです)のです。

 195 〈萬葉集巻十一 - 二八一〇〉
(註釈)
 証(しる)しとなる霊現象を月読尊は行った。
 そして、私の声を霊現象する彼は、それをひどく嫌った。
 強制労働を終えた後、ユダの民達は、そのこと、現象の内容について論じ合った。
 島へ来たユダの民達に月読尊は役割を持たせた。
 月読尊の姉ヘフジバは、彼が何故に島に来たかを受け入れていた。
 月読尊は、ヘフジバを中心とすることを、望んだ。

 高次元の霊の霊現象は、ひどく体力を使い大変であることは、
大分以前に千乃先生よりお伺いしております。
 月読尊も同じであったのです。

 196 〈萬葉集巻十二 - 二九七八〉
(註釈)
 強制労働は、むなしい欠陥であり、行わせる者を私は批判するだろう。
 そして、神を忌み嫌う者、探らせる者、住居を突き刺させる者ダビデを私は批判させるだろう。
 先見の者、月読尊は海を崇めた。
(具体的に偶像崇拝のように海を崇めたという意味ではなく、)
嘆き悲しんで海ばかり眺めていたので、このように述べられたのだと思われるのです。
 そして、これが実は彼の名前となったということです。
 ツクヨミは、ヘブライ語で、「彼は海に叫んだ」の意味である
ツァクヤムの母音操作したものです。
 しかし、最初は、「彼は、彼らの神を叫んだ」の意味であり、
本来はこちらの意味なのですが、
イザヤ書に記す関係上、「海に叫んだ」に替えられたと考えられます。
 これは、ヤーウェ=エル・ランティ様が、定められたもの、と思われます。

 197 〈萬葉集巻十二 - 二九七九〉
(註釈)
 涙を流すだろうとは、月読尊らの強制労働の苛酷さを物語ったものでしょう。
 月読尊は、その虚しさを泣き悲しんだ。
 謙遜な者達は能力以上のものを果たされた。
 つまり、強制労働を、欠陥の生活として批判する、というものです。

 198 〈萬葉集巻十二 - 二九八〇〉
 まそ鏡見飽かぬ妹にあはずして月の經ぬれば生けるともなし
 犬馬鏡 見不飽妹爾 不相而 月之經去者 生友名師

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図198参照)
 胎であり、創造する者であり、先見の者であり、拠り所である彼は、私達を叫んだ。
 豊かな我が恵みの島は名付けた。
 彼は完了し、旅だった。

(註釈)
「異邦人としての強制労働」の意味であるこの和歌の場合の「まそ鏡」は、
月読尊について述べられていることを示す為の見出しです。
 胎、創造する者、先見者、拠り所、いずれも月読尊について述べたものです。
 島での彼の仕事は終わり、イザヤやヒゼキヤ王(或いは死後?)の居るユダ本国へ
帰還することになりました。
 島民は、ツァクヤム、「彼は彼らの神を叫んだ」と名付けたのです。
 何故、神を叫ぶことが、名前になるほど重要なのか、
ここには、後述するように月読尊のエピソードが込められているのです。

 201 〈萬葉集巻十 - 二三四九〉花に寄する
 202 〈萬葉集巻二十 - 四四八八〉
(註釈)
 そして、私は私達のユダ(現代日本人)を批判させるだろう。
 月読尊は、彼ら民の悪を静める為に神の名を叫んだ。
 その神の名とは、ヤハウェではない神、名前としてのヤハウェではないヤハウェ、
再臨の救い主として起つ方、助力者による王位ミカエルの名である。
 月読尊は、ミカエル、あなたを生きた。
 焼く力(贖う力)を。
 彼は同族の者達をせきたて、先住島民らを批判し怒り、泣き悲しんだ。
 彼は、耐え忍ぶ者に施し、貧しい者を嘆いた。

「名前ではないヤハウェ」とは、
そのヤハウェという動詞としての意味「彼は成らせるだろう」の彼が、
ミカエル様を指していることを示したものです。
 月読尊は、民の思いを静める為に、神の名を叫んだ。
 そして、月読尊が、十戒を唱えたことは、前述しましたが、本来、神の名を叫ぶことは、
十戒の中の「汝の神ヤーウェの名をみだりに唱えるべからず」に、背くことになります。

 そこで、月読尊はどうしたかというと、
ヤーウェ様の名を叫ぶ代りに、ミカエル様の名を叫んだのです。
 そこで、彼は、日本島において「彼は、彼らの神を叫んだ」の意味である
「ツァクヤム」と名付けられ、
六、七世紀の隠蔽政策の際、
「ツァクヤム」は母音操作されてツクヨミ、ツキヨミとして、日本書紀、古事記などに、
月読、月夜見、月弓と当て字され神話が付加され、記載されたのです。

"神を偽る者の霊言に惑わされてはならない(エル・ランティ様)"
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」245頁
「ところで、サタン・ダビデは月読尊に対してどのように思っていたか、
月読尊について述べたダビデの霊示がありますので、探ってみることにしましょう。

 207 〈萬葉集巻二十 - 四四五三〉
 秋風の吹き扱(こ)き敷ける花の庭淸き月夜に見れど飽かぬかも
 安吉加是能 布伎古吉之家流 波奈能爾波 伎欲伎都久欲仁 美禮杼安賀奴香母

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図207参照)
 売春を行う者としてのその時、彼は、書き込み、隠し、計り、私達神を敬わなかった。
 貴女が、留まるべく、彼は遠ざかった。
 彼は、私達の神()を叫び、反逆した。
 彼は、私達を押さえつけ立った。

(註解)
 ユダ王国が売春を行うような時、月読尊は書き込み、一部のユダの民を隠し、計り、
私達神(つまりはサタン・ダビデ)を敬わなかった。
 貴女(ヘフジバ)が留まるべく、彼は島から遠ざかった。
 彼は、私達の神を叫び、十戒に背き、反逆した。
 彼は、私達ユダの民を押さえつけて島へ立たせた。

 ダビデの述べたかったことは、ざっとこんなところだったと思うのですが。
 このダビデの証言から、月読尊は文字を書き、書記であったことが判ります。
 おそらく、イザヤ書の最初の執筆者だったろうと見当をつけております。
 月読尊が、イザヤ書に関与したからこそ、イザヤの長男として、
シャルヤシュブ(「残る者は帰る」の意)と記載出来たからです。
 月読尊は、ユダ本国に帰還の後、島々について証言したのです。
 ダビデは、エル・ランティ様の語り口や、やり方を真似て、霊示をしていますが、
エル・ランティ様のダビデへの批判の言葉を、
霊示を通じて、エル・ランティ様の愛する者へ返し、ぶつけていることが解ります。
 つまり目には目、歯には歯、による復讐です。

 エル・ランティ様は、月読尊について、「彼は彼らの神を叫んだ」として霊示した後、
このダビデの月読尊に関する霊示がダビデによって出されたのです。
 そして、その後、エル・ランティ様は、
「彼が叫んだ神の名はミカエルであった」として、前述の霊示を出したわけで、
つまり、ダビデは、エル・ランティ様の計略に見事ひっかかったわけなのです。

注。
 この霊示で神を騙るのはダビデであり、
他の霊示でエル・ランティ様が月読尊が叫んだ神の名はエル・ランティ様ではなく
ミカエル様であったことを証されていることをダビデは知らなかった、
ダビデは月読尊が叫んだ神がエル・ランティ様と思って、
ダビデはエル・ランティ様と偽り、月読尊は自分を敬わなかったと霊示したのですが、
エル・ランティ様の霊示の前に、その偽りが明らかになったのです。

 ダビデの偽りの神の霊示を隠蔽した歌謡をも残そうとされたのは
エル・ランティ様の御意志であった、それは新約聖書の毒麦の譬えにもあるように、
毒麦を見つけた弟子が抜き取るべきかイエス様に問うた時に、
毒麦と明らかに解る実を結んでから抜き取るように、
その前に抜こうとすれば、正しい麦も間違って抜いてしまうからと言われましたが、
人々が偽りの神の存在を忘れて、悪魔の甘言に騙されないように、
エル・ランティ様のお計らいであったのです。注終)

 要するに、ダビデは、月読尊を反逆者と見做したかったのです。
 最初、霊媒も、月読尊が叫んだ神の名を知らなかったのと、ダビデも知らなかったのです。
 ダビデは、エル・ランティ様の霊示によって、
その神の名がヤーウェ様であると勝手に思い込んだのです。

 また、ダビデは霊媒が知らないのをよいことに、この霊示を出したのです。
 エル・ランティ様がこのような計略を用いたのは、
一つには、霊示を出している神が二人であったことを明確にするため。
 ダビデの霊示は証拠として残す為に必要であり、欠かすことは出来なかったからです。

 勿論、白黒を明確にして、くじけさす布石でもあったことは、言うまでもありません。
 この霊示によって、ダビデの月読尊に対する態度は明確になったのです。

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」274頁
「イザヤ書第六十三章は、明らかに月読尊によって記されたものです。

(イザヤ書第六十三章一一節)
ー その時、民はいにしえのモーセの日を思い出して言った、
『その群の牧者を、海から携えあげた者はどこにいるか。
 彼らの中に聖なる霊をおいた者はどこにいるか。
 栄光のかいなをモーセの右に行かせ、彼らの前に水を二つに分けて、
みずから、とこしえの名をつくり、彼らを導いて、
馬が野を走るように、つまずくことなく淵を通らせた者はどこにいるか。ー
(イザヤ書63 11~13)

 十一節の海と、十三節の馬に注目して下さい。
 この海と馬は、月読尊の名前のヘブライ語の意味「彼は海に叫んだ」の海と、
素戔嗚尊の名前のヘブライ語の意味「牧場の馬」に、対応しているのです。
 そして、十二節の「自ら、とこしえの名をつくり」とは、
この二人の命名を示したものです。
 この十一節から十三節は、サタンを警戒し、黙示的手法を駆使して書かれたのです。
 これは島に行った二人について記しているものなのです。
 島のユダの民達の中に聖なる霊をおいた最初の人は、月読尊であり、
彼らを導いて、つまずくことなく島へ渡らせた人は、素戔嗚尊だったからです。

 十四節以下に、解説を試みてみましょう。( )内は、私が補足したものです。
 より一層解り易くなるでしょう。

(イザヤ書第六十三章一四節)
ー 谷に下る家畜のように、主(ヤーウェ)の霊は、彼ら(島のユダの民)をいこわせられた。』
 このように、あなた(ヤーワエ)はおのれの民を(島に)導いて自ら栄光の名
(再臨の救い主達による証言の場)をつくらせた。
 どうか、天から見おろし、その聖なる栄光あるすみか(天上界)からご覧下さい。
 あなた(ヤーウェ)の熱心と、大能とはどこにありますか。
 あなたの切なる同情と憐みとはおさえられて、私にあらわれません。
 例いアブラハムが我々(島のユダの民)を認めなくても、あなたは我々の父です。
 主よ、あなたは我々の父、いにしえからあなたの名は、我々の贖い主です。

(イザヤ書63 14~16)

 この十六節は、イスラエル、すなわち、ユダ本国を含むヘブライ民族が、
島へ渡ったユダの民を認めなくても、島のユダの民にとって、ヤーウェ様は父であることを、
月読尊によって切々と訴えられるものであったのです。
 サタン・ダビデの「島のユダの民達を"亡き者"にする」企図により、
島のユダ王国の建設は無視されるだろうことが、
既に危惧されていた
ことを示すものであった。

(イザヤ書第六十三章一七節)
ー 主よ、なぜ、我々をあなたの道から離れ迷わせ、我々の心をかたくなにして、
あなたを恐れないようにさせるのですか。
 どうぞ、あなたの下僕らの為に、あなたの嗣業である部族の為に、お帰り下さい。
 あなたの聖なる民が、あなたの聖所(ヤーウェの島々)を獲て間もないのに、
我々の仇(島での再建は無益であると吹聴した者達)は、それを踏みにじりました。
 我々はあなた(ヤーウェ)によって、いにしえから治められない者のようになり、
あなたの名をもって、唱えられない者のようになりました。ー
(イザヤ書63 17~19)

 このイザヤ書六十三章十四節から十九節までは、
万葉集の三五九九番の月読尊に関するメッセージの中の「彼はヤハウェを嘆き悲しんだ。」
を裏付けるものであるということです。
 四十七節が、ダビデのヘフジバに対する呪いの言葉として証拠となったように。」

 ④ ヘフジバ(天照大神)について
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」247頁
ー ヤーウェ神の励まし
 208 〈萬葉集巻四 - 七〇一〉
 はつはつに人を相見ていかならむいづれの日にか又外(よそ)に見む
 波都波都爾 人乎相見而 何將有 何日二箇 又外二將見

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図208参照)
 我がシオン、ヘフジバは、彼女の弟とかき集めた方である。
 揺らぐべく、私達のその時、彼らは身を隠した。
 私達の血筋である島は、あなたの天幕を張った。
 同族の者故の二番目の神の植え付けである。

(註解)
 我がシオン、ヘフジバは、彼女の弟、月読尊と素戔嗚尊と共に、一部のユダの民をかき集めた。
 ユダ王国が揺らいだその時、彼らは島に身を隠した。
 私達の血の流れを汲む島は、あなたの天幕を張った。
 神の導く証(しる)しの民としての、島へのヨブに次ぐ二番目の神の植え付けである。

 ここで、我がシオンとは、ヘフジバを指したものであることが解るでしょう。
 また、ヘフジバは、イザヤ書では次のように記載されています。

(イザヤ書第六十二章一節)
ー われシオンの義あさ日の光輝(かがやき)のごとくにいで、
エルサレムの救(すくい)もゆる松火(たいまつ)の如くになるまでは、
シオンのために黙(もだ)さずエルサレムのために休まざるべし。
 もろもろの國はなんぢの義を見、もろもろの王は皆なんぢの榮を見ん、
斯(かく)てなんぢはエホバの口にて定め給ふ新しき名をもて稱(とな)へらるべし。
 また汝はうるはしき冠のごとくエホバの手にあり、
王の冕(かんむり)の如くなんぢの神のたなごころにあらん。
 人ふたゝび汝をすてられたる者といはず、再び汝の地をあれたる者といはじ、
却(かへ)りて汝をヘフジバ(わが悦ぶところ)ととなへ、汝の地をベウラ(配偶)ととなうべし、
そはエホバ汝を喜びたまふ、汝の地は配偶をえん、
若き者の處女(をとめ)をめとる如く汝の子輩(こら)は汝を娶(めと)らん、
新郎(にひむこ)の新婦(にひよめ)をよろこぶ如く汝の神汝を喜び給ふべし。ー
(イザヤ書62 1~5)

 我がシオンとは、ヘフジバを指したものであることは、この章にも暗示されています。
 近年の聖書学では、ヘフジバは、
エルサレム南部の要塞であるシオンに当てられた象徴的な名称とされていますが、そうではなく、
ヒゼキヤ王妃ヘフジバは、エル・ランティ様により、我がシオンと唱えられたのです。

 新古今和歌集巻四 - 三五〇の中で、月読尊がヘフジバを預言し記したものが、
このイザヤ書六十二章でした。
 これは、エル・ランティ様によって、月読尊を通して行われた霊現象と察せられるものです。
 この六十二章を解り易くかみくだいてみることにしましょう。

 我がシオン(ヘフジバ)の正義は、朝日の輝く如く出、
エルサレムの救いが、燃えるたいまつの如くになるまでは、
私ヤハウェは、我がシオン(ヘフジバ)のために、沈黙はしない。
 エルサレムの救いの為に休むことはない。
 諸々の国は、ヘフジバの正しさを見、諸々の王は、皆、貴女の島々の栄を見るだろう。
 かくて貴女は、ヤハウェにて定められた新しい名、ヘフジバ(私の喜ぶところ)と呼ばれる。
 また貴女は麗しき冠のようにヤハウェの手にあり、
王の冕(かんむり)の如く貴女の神の心の中にある。
 人達は再び貴女を捨てられた人とは言わず、再び貴女の島々の地を荒れた者達とは言わない。
 貴女を、ヘフジバ(私の喜びは彼女にある)と唱え、貴女の島々は配偶ある者と唱えられる。
 ヤハウェは、彼女を喜び、ヨブの島は配偶者を得た。
 若き者が乙女を娶(めと)るように、
ヨブ(汝)の子輩(こら)は、貴女(ヘフジバ)を娶った。
 新郎が新婦を喜ぶように貴女の神ヤハウェは、貴女を喜ぶ。

 エル・ランティ=ヤハウェ様の述べようとする意図は、
大体このようではなかったか、と思われます。」
(中略)
「「ヘフジバの正義は、朝日の輝く如く出る」。
 これは、再臨の救い主達が島々に、朝日の輝く如く、千乃先生を通して現れたことを、
預言したものです。
「エルサレムの救いが、本物になるまで、ヤハウェは、ヘフジバの為に沈黙しない」。
 この故を以て、エル・ランティ様は、ヘフジバを証言する和歌を残され、
私もエル・ランティ様の御意志を理解し、和歌の解説に力を注ぎ、
本書にヘフジバを取り上げている次第です。

「諸々の国は、ヘフジバの正しさを見」とは、島々が、証(しる)しとしてのユダであり、
この島々で齎される救い主達の証言の正しさを諸々の国は見るだろう。」
(中略)
「そして、この章から、ヘフジバという名称は、
月読尊が、ユダ本国へ帰還後に、与えられたものです。
 ヘフジバは旅立ち後、ユダ王国では、捨てられた人と噂されたのでしょうか。
 島々を荒れた者と呼んだのは、月読尊であったかも知れません。
 彼が、先住島民にひどい目にあわされた人であり、島についての証言だったからです。
 ダビデが、聖書に邪まな入力をした為に、
エル・ランティ様の意図が覆われてしまったことがこれでお解り頂けると思います。」

 211 〈萬葉集巻二十 - 四三〇八〉
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図211参照)
 私達のヘフジバ。
 傷害による偽りの揺らぎに寄り私達は再建した。
 彼は、私達の新開墾地を覆った。
 彼は、あざ笑い、私達を激しく襲った。
 そして、貴女を中傷した。

(註釈)
 私達のヘフジバ。
 ダビデの仕掛けた偽りの揺らぎにより、私達は倭奴(ユダ)国として再建した。
 ダビデは、私達の島の新開墾地を覆い隠した。ユダ本国に於て。
 ダビデは、あざ笑い、私達ユダの民を激しく襲った。
 そして、ヘフジバを中傷した。

 古代日本島に於ける、ユダ王国の建設はダビデが人為的に仕掛けた偽りの傷害から、
それが原因となって推進されました。
 ダビデが仕掛けなければ、当時のユダ王国は、
危機に見舞われているというほどではなかったことなのでしょう
(注。南ユダ王国の危機を予見したのは、イザヤ一族による渡来開始の数十年前からであり、
天上界高次元がイザヤの子供達に転生し、
その間天上界による渡来計画が変更されなかったのだから、
南ユダ王国存続は油断できない状況下であったのかも知れません。)

 旧約聖書を見る限りに於て、北イスラエルや南ユダの民達が
偶像崇拝と姦淫の民のような印象しか受けないのは、
ダビデの情報操作によるものと言えそうです。
 旧約聖書を情報操作したのです。
 実際に、セナヘリブがユダ王国後略に失敗して以来、
ネブカデネザルが来襲するまでには、百三十年程、経過しています。
 シャルマネセルやセナヘリブは、ダビデの仕掛けさせた偽りの揺らぎだった、
ということでしょう。
 列王紀略下には、セナヘリブ来襲の時、その記述の内容については少々問題がありますが、
天使がくい止めた旨の記載があります。
 天上界が、働き掛け未遂に終わらせたのだと思われます。
 後述する素戔嗚尊に関するエル・ランティ様の御証言からしても、
ユダやイスラエルの民は、
聖書に記述されているほど堕落した民ではなかったようにも思えます。

 212 〈金槐和歌集巻上 - 二一五〉
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図212参照)
 ヘフジバは、立った。
 彼は、彼女の輝きを恐れ、隠し、旅立たせた。
 彼は探った。ダビデは、先見の者をひどく嫌ったのだった。

(註釈)
 ヘフジバは立った。
 ヒゼキヤは、ヘフジバの輝きを恐れ、隠して旅立たせた。
 ダビデは探った。彼は先見の明のある者をひどく嫌った。

 隠して旅立たせた彼とは、夫ヒゼキヤ王のことです。
 千載和歌集では、隠して旅立たせた優しい人としてヒゼキヤが述べられていますので、
この和歌の隠して旅立たせた身近な人とは、ヒゼキヤ王をおいて他にはありません。
「隠して旅立たせる」が、ヒゼキヤ王を示すポイントです。
 イエス様やジャンヌ・ダルクの変貌と同様、
ヘフジバは、天から重大な使命を与えられると同時に、パワーも与えられ、
光り輝く人となったのです。
 ヒゼキヤは、この光り輝く様を見て驚き畏れ、ヘフジバの言うことに聞き従い旅立たせた、
これが後に、ヘフジバはヒゼキヤに捨てられた者との風評が囁かれたのでしょう。

ー サタンの呪い
 213 〈新古今和歌集巻四 - 三三九〉公猷法師
 ふぢばかまぬしはたれともしら露のこぼれて匂ふ野べの秋風

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図213参照)
 彼女は旅立った。(出発した。)
 彼は探った、誠実なる王妃、我がシオンを。
 彼は呪い、秘密にし、彼女らは覆われた。
 このような、ちょうどその時、彼は私達を預言した。

(註釈)
 彼女は島へ出発した。
 誠実なる王妃、我がシオンを、ダビデは探った。
 彼は呪い、ユダ本国で、彼女らを秘密にし覆い隠した。
 このような時に、ダビデは、私達ユダの国の滅亡を預言した。

 サタン・ダビデが、ヘフジバを呪ったその証拠として挙げられるものが、
実はイザヤ書第四十七章であるということです。
 主なる部分を挙げ、解説を試みることにしましょう。

(イザヤ書第四十七章一節)
ー 処女なるバビロンの娘よ、下って、ちりの中にすわれ。
 カルデアびとの娘よ、王座のない地にすわれ。
 あなたはもはや、やさしく、たおやかな女と唱えられることはない。ー
(イザヤ書47 1)

(イザヤ書第四十七章二節)
「バビロンの娘」、「カルデヤの娘」は、いずれも「シオンの娘」とする筈のものを、
バビロン、カルデヤとダビデが変えさせた。
 これは、ユダの血筋であることを暗に否定するため、
ダビデがトリノの聖骸布を偽物と決めつけたが如く、いわゆるダビデのウソなのです。
「ちりの中」、「王座のない地」、とは言うまでもなく、島々、日本列島のことです。
 それ以下は、ヘフジバに対するダビデの呪いの言葉であることは判るでしょう。
 
ー 石うすをとって粉をひけ、顔おおいを取り去り、うちぎを脱ぎ、すねをあらわして川を渡れ。
 あなたの恥は見られる。私はあだを報いて、何人をも助けない。ー
(イザヤ書47 2~3)
 王妃ヘフジバに対し、かなり屈辱的な呪いを投げかけていることが判るでしょう。

(イザヤ書第四十七章四節)
ー 我々を贖う者は、その名を万軍の主といい、イスラエルの聖者である。ー
(イザヤ書47 4)
 これは、ヤーウェ様を偽称するダビデ自身を述べたものです。

(イザヤ書第四十七章五節)
ー カルデヤびとの娘よ、黙してすわれ、また暗い所にはいれ。
 あなたはもはや、もろもろの国の女王と唱えられることはない。ー
(イザヤ書47 5)
 これは、旧約聖書結集の際、ダビデがヘフジバ達のことや、
イザヤ第六十二章(エル・ランティ様によるヘフジバについての証言)を、
前述したように覆ったことをも意味しています。
 ヘフジバがヤーウェ=エル・ランティ様に従うことは、
ダビデの理屈からすれば、暗い所に入ることなのです。
 
(イザヤ書第四十七章六節)
ー 私はわが民を憤り、わが嗣業(しぎょう)を汚して、これをあなたの手に渡した。
 あなたはこれに、あわれみを施さず、年老いた者の上に、はなはだ重いくびきを負わせた。ー
(イザヤ書47 6)
 ダビデからすれば、偶像崇拝と姦淫の民を怒った。
 そして、ヘフジバに一部の民を渡したが、これはダビデの嗣業を汚したというもの。
 ダビデからすれば、ヘフジバ、イザヤ、月読尊、素戔嗚尊が率いた一部の民は反逆者です。
「年老いた者」とはイザヤのことでしょう。
 イザヤを反逆者として、木鋸で両断させた後、
それを重いくびきを負わせた、としてヘフジバになすりつけているのです。
 そして、ユダ本国に残ったイザヤに従った者達を、後述するように一掃した後、
これまたヘフジバに、あわれみをほどこさなかったとしてなじっているわけです。
 ヘフジバに、島々に移住することを命じたのは、
エル・ランティ様、主なるヤーウェ様であって、ダビデは主ではないのです。

(注。事実を捻じ曲げる、真の神の愛された誠実な者に罪を擦り付け、
神が讃えた誠実な者が偽りの者の如くに、また彼等を罵る(悪魔)を神の心として記録に残す、
偽りの、捏造された歴史を伝える。
 天の救いの歴史を消し去る。
 天の真の思いを見失わせる、伝わらぬ心に留める。
 神の預言書の中に悪魔の種を蒔き、偽りの神を神と証する。
 神に導くべき聖書を以て悪魔に導くように聖書は書き換えてきたことを天が明かされた。
 その例証の一つです。)

(イザヤ書第四十七章七節)
ー あなたは言った、「私は、とこしえに女王になる」と。
 そして、あなたはこれらの事を心にとめず、またその終わりを思わなかった。ー
(イザヤ書47 7)
 ヘフジバは、建国の祖としての女王であったし、天照大神として語り継がれてきているのです。
「これらの事、その終わり」とは、ダビデが起こす災害によって、ゴグ
(サタンを意味する言葉として旧約聖書では語られている)もろとも島を滅ぼすつもりでいた、
それを指しているのです。

(イザヤ書第四十七章八節)
ー 楽しみにふけり、安らかにおり、心のうちに
「ただ私だけで、私の他に誰もなく、私は寡婦となることはない、また子を失うことはない」
と言う者よ、今この事を聞け。ー
(イザヤ書47 8)
 この節は、すなわち、ダビデがヘフジバを探ったという何よりの証拠となるものです。
 ヘフジバの思い、意識を探ったのです。
「楽しみにふけり、安らかにおり」は、ヘフジバを観察していたということです。
 ダビデの探っていた言葉など、聞くに耐えないものであることが解ります。
 本書で紹介したエル・ランティ様の数々の霊示をご覧下さい。
 人のあげ足をとるようなメッセージは何一つされていないということを。
 ダビデだけは、サタン化した為に別格だったというべきです。
 それでも、ダビデへの思いが、時折顔をのぞかせるのです。
 この八節は、ダビデのヘフジバへの憎しみのあまり、
彼女の悲しみに対しては、盲同然となっていることが解ります。

(イザヤ書第四十七章九節)
ー これらの二つの事は一日のうちに、またたくまにあなたに臨む。
 すなわち、子を失い、寡婦となる事はたとえあなたが多くの魔術を行い、
魔法の大いなる力をもってしてもことごとくあなたに臨む。ー
(イザヤ書47 9)
「二つのこと、子を失い寡婦となることは、ことごとく臨む」とは、
前述の災害による日本島の壊滅を指します。
 ヤーウェ様天上界は、ヘフジバを通して、何らかの奇跡を与えたのではないかと思わせます。
 それをダビデは、魔術や魔法の所為にしてしまったのです。

(イザヤ書第四十七章十節)
ー あなたは自分の悪に寄り頼んで言う「私を見る者はない」と。
 あなたの知恵と、あなたの知識とはあなたを惑わした。
 あなたは心のうちに言った「ただわたしだけで、わたしのほかにだれもいない」と。ー
(イザヤ書47 10)
「自分の悪、あなたの知恵、あなたの知識」とは、
暗にヤーウェ様天上界を指したものと思えます。
「私を「見る者はいない」とは、明らかにヘフジバの悲しみの言葉です。
「ただ私だけで、私の他に誰もない」とは、
なるべくヤーウェ様や天上界に頼るまいとしたヘフジバの決意を述べたものでしょう。

(イザヤ書第四十七章十一節)
ー しかし、災いが、あなたに臨む、あなたは、それを贖うことができない。
 悩みが、あなたを襲う、あなたは、それをつぐなうことが出来ない。
 滅びが、にわかにあなたに臨む。あなたは、それについて何見知らない。ー
(イザヤ書47 11)
 これは、ダビデが、災害や滅ぼしを企んでいることを述べたものです。
 例のゴク(サタン)と共に。

(イザヤ書第四十七章十二節)
ー あなたが若い時から勤めて行なったあなたの魔法と、
多くの魔術とをもって立ち向かってみよ、或いは成功するかも知れない、
或いは敵を恐れさせるかも知れない。ー
(イザヤ書47 12)
 これは、ヘフジバが、(霊能者)イザヤの長女であったこともあって、
若い時から、天上界の守護にあずかっていたことを述べたものでしょう。
 天上界と共に、ダビデに立ち向かって見よ、ということなのかも知れません。

 214 〈萬葉集巻十四 - 三三八八〉
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図214参照)
 新開墾地は島故に、隠された。
 彼等は唱えたように、彼女の島で大きくなった。
 彼らは立った。彼らは清かった。
 すなわち、島は植えられた。
 彼らは、私達を相続した。

(註釈)
 その再建の島新開墾地は、島である故に、隠された。
 ユダの民達は、再建を唱えたように、ヘフジバの島で大きくなった。
 彼らは立った。彼らは清かった。
 すなわち、島にユダの民達は植えられた。
 彼らは、私達ユダ王国を相続した。

 再建は、ヘフジバ素戔嗚尊の時には、実現しませんでしたが、
子孫たちがそれを実現させ、古代中国史書「後漢書」等に、
倭奴(ユダ)国として記載されたことは前述したとおりです。

 215 〈萬葉集巻十四 - 三三九二〉
 筑波嶺の石(いは)もとどろに落つる水世にもたゆらにわが思(おも)はなくに

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図215参照)
 あなたの島は揺らぎ、私達は減った。
 彼は取り去った。降り懸からせる者は彼らを虐待した。
 彼は、私達をなすりつけて隠した。
 すなわち、私は批判させ、消え去らせるだろう。
 私達は打ち倒された。

(註釈)
 あなたの島は、事件で揺らぎ、私達、島のユダの民の数は減った。
 ダビデが取り去った。降り懸からせる者は彼ら、ユダの民を虐待した。
 ダビデは、私達に反逆者の汚名をなすりつけて、ユダ本国に於いて島を隠した。
 すなわち、私はダビデを批判させ、消滅させるだろう。
 ユダの民は打ち倒された。

 ヘフジバの島は、ダビデがけしかけたことにより、揺れた。
 おそらく、その時の争いで島へ移住したユダの民の数が減った。
 また、ダビデのけしかけによって打ち倒された者が多く出たということです。
 そして、その時の状況を記して、ユダ本国に宛てた、ヘフジバの書簡が、
実は、日本古謡「さくらさくら」でした。
 事件の落着後、月読尊はユダ本国へ向かって島を離れますが、その時に、
この「さくらさくら」の書簡を、ヘフジバは月読尊に持たせたと考えられます。
 但し、この書簡は、ダビデによって隠滅された可能性が高い。
(注。天上界が土田展子さんに口述筆記させ、現代の使徒と目された人々に宛てた
「最後の警告」が悉く紛失させられたのと同じです)

216
〈日本古謡〉さくらさくら
 桜 さくら
 弥生の空は
 見渡す限り
 霞か雲か
 にほひぞ出ずる
 いざや いざや
 見に行かん

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図216参照)
 彼らは、無益を偽りました。
 ヤーウェよ、私達の島は、あなたを抜き取りました。
 彼らは、減りました。
 彼らは消え、離れ去りました。
 イザヤの血筋の島々、砦の島々の住まいで、
王座はだれかあなたの起つ方の如きです。
 とどまったイザヤは、注意して下さいますように。

(註釈)
(以前、『JI』誌で、「さくらさくら」の訳を紹介しましたが、
前述したように、当時の状況は、以前の訳出のような甘いものではなく、
より厳しい状況であったことが、改訳を決定させました。
 単語の選び方が甘かったのです。)

 そして、この「さくらさくら」も、他の和歌同様、倭奴(ユダ)国の隠蔽政策によって、
現行の歌詞に変えられたもの
であることも改訳の一因となりました。
 その隠蔽の方法は、他のエル・ランティ様の数々の黙示である和歌、歌謡と同じであり、
その手段が適用されたのです。
 ポイントとなるのは、「島」という意味の「」についてです。
 ヘブライ語文を隠蔽する際、単に母音の場合は省略されることが多いと述べましたが、
この島の意味である「」に関しては、
その対象とならないことは、言うまでもありません。
 省略したら、島を表現するすべを失うからです。
 そして、ほとんど多くの場合、島の意味である「」は、母音操作されず、
そのまま用いられています。

 は、三人称単数の未完了形動詞の接頭辞として用いられる場合もありますが、
これはきわめて稀なのです。
 そして、この「い」は「さくらさくら」には、固有名詞のイザヤのイを除いて、三度出てきます。
 これは、すべて、島を表わしたものなのです。
「さくらさくら」は、曲としても有名ですが、
歌詞は、本書で紹介したものの中では、最古のものです。
(ブライ語文による書簡の)内容は、女王ヘフジバ天照大神によって書かれたものですから、
紀元前七〇〇年前後のものと推定されます。
(中略)
 そして、この「さくらさくら」の伝承が、二十世紀の今日まで、受け継がれてきたということは、
現日本国皇室が、女王ヘフジバの倭奴(ユダ)王国を継承してきたことを示す傍証となるものです。
 仮に、為政者が交代すれば、「さくらさくら」は、遠の昔に隠蔽された筈のものだからです。
 また皇室が、天照大神を祖としたことは、古事記、日本書紀に示され、
日本古代史の定説であり、常識となっています。
 皇室が、その流れを汲むものならば、日本国民もまた同様です。
(中略)
 それでは、「さくらさくら」の訳をかみくだいてみる(解読する)ことにしましょう。

 彼らは、島での再建、建国が無駄であり無益であるかのように吹聴しました。
 ヤーウェよ、私達の島は、あなたを抜き取ったのです。
 島に渡ったユダの民の数は減りました。

(注。現代にあって亡国を目論む左翼は、労働に役立つからと、
彼らの仲間である破壊的シンパやテロリストを日本に迎えるべきだと主張しているのです。
 ユダ民族がイスラエルから逃れざるを得なくしたのは、
神を憎み、神の計画を破壊することに賭けたダビデが、
他国の王にイスラエルの侵略をかしかけ、神の選民を迫害する為であり、
苦難に耐えて移住した土地に於ても迫害の手を緩めなかったのです。
 そのことが神によって明らかにされて、神に生きた先人の心を知らされても、
(かつて日教組が子供の自由を、自主性を守れと言って、

精神の成長を奪い、彼らのようなエゴイストの蔓延る国にしたように)
似非平和主義者の左翼は日本国を破滅へと導こうとしていることにも気付かないでいる、
それが何を意味するのか、解らないのでしょうか。
 世界が共産化されれば平和になると盲信し、
共産主義者の心には理解されようもない、先人達の信じ愛してきた、心の支えにしてきた、
あらゆる良きものを蔑視する、破壊しようとする。
 その者達を支配してきた存在を、神が明らかにされたのです。
 それでも自分がどうあるべきか判らないのでしょうか。)

 彼らは、私達から離れ去り、消えました。
 イザヤの血筋の島々であり、砦の島々のこの住まいで、
私の王座は、だれかあなたの起つ方(ミカエル様)のようです。
 ユダ本国に留まったイザヤよ、注意して下さい。

 これは、先住島民との争いだけではなく、
島へ渡ったユダの民の中での内わもめが起こったのだが、
その主な原因は、島での再建は無駄だと、吹聴した者があったからです。
 その出所は、ダビデであって、
労苦の民に不平不満をつのらせ、その方向へ持って行ったのでした。
 その民を抜き取ったことは、
ヤーウェ様(の意志)を(人々から)抜き取ったことに等しいのです。

「起つ方」とは、ミカエル様を指していますが、
「王座は、だれかあなたの起つ方の如き」とは、
前掲イザヤ書第四十七章一節の中のダビデの言葉、
「カルデヤびとの娘よ、王座のない地にすわれ」に対する返礼として、
エル・ランティ=ヤーウェ様が、敢えてヘフジバに書かせたものなのです。
 ダビデが四十七章の霊示を出したことを、ヘフジバ自身は知らなかった筈だからです。
 この四十七章は、紀元前七〇〇年頃、ヘフジバが旅立った後、
イザヤ以外の霊能者を使って、ダビデが霊示したものだからです。
「ミカ」は、「だれか~の如き」の意味ですが、
このミカは、「霞みか」の「みか」であり、ミカエル様のミカを暗示したものです。
 それ故に、ヤーウェ様は、ヘフジバに
「王座は、だれかあなたの起つ方の如き」と表現させたのです。
(中略)
 この島の揺らぎは、イザヤ書にも記されているのですが、
ダビデが覆った為に、一見して解らないものになっているのです。

(イザヤ書第六十三章七節)
ー 私は、主が我々に為されたすべてのことによって、主の慈しみと、主の誉れとを語り告げ、
また、その憐みにより、その多くの慈しみによって、イスラエルの家
(この名称はダビデによって変えられたもので、実は島のユダの家のこと)
に施されたその大いなる恵みを語り告げよう。
 主は言われた、「まことに彼らはわが民、偽りのない子らである」と。
(ヤーウェ様が清い民と述べられておられることと合わせ、
この主とは、ヤーウェ様その方を指していることが解ります。)
 そして、主は彼らの救い主となられた。彼らのすべての悩みの時、
主も悩まれて、そのみ前の使(天使)をもって彼らを救い、
その愛と憐みとによって彼らを贖い、いにしえの日、常に彼らをもたげ、彼らを携えられた。
 ところが彼らは背いて(島の再建が無益でることを吹聴したこと)
その聖なる霊を憂えさせたので、主は翻って彼らの敵となり、自ら彼らと戦われた。ー
(イザヤ書63  7~10)
 この情報は、月読尊によってユダ本国へ齎されたものであり、
この書記は彼だろうと考えられます。
 これは、ダビデが島を覆った一例です。
 何故に、イスラエルとしたかは後述します。
 そして、次の和歌は、その当時のユダ本国の状況を述べています。

 217 〈萬葉集巻十四 - 三三九三〉
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図217参照)
 そして、彼は私達を告げる者をつかまえた。
 彼らが見えなくなったことにより、彼は満たされた。
 彼は、彼らの島を覆い、彼らを服従させた。
 彼は、砦を全滅させた。
 彼は、私を飛び去り、計った。

(註釈)
 そして、ダビデは、私達天上界を告げる者イザヤをつかまえた。
 イザヤに従う者達が居なくなったことにより、ダビデは満足した。
 ダビデは、彼らの島を覆い(前出イザヤ63章(月読尊の項に記載)のように)、
イザヤに従う者達を服従させた。
 ダビデは、ユダ本国の我が砦を全滅させたのだ。
 ダビデは、私を飛び去り離れて計った。

 ダビデが、イザヤをつかまえると、木鋸で両断させたことは前述しました。
 そして、その後イザヤと共に隠れ山に籠っていたイザヤに従う者達を服従させたわけです。
 これはヒゼキヤ王亡き後のことで、十二歳で即位したマナセ王が、
即サタンの住みつく者となったことは、旧約偽典「イザヤの殉教と昇天」の記すところです。
 その臣下の者達までが、サタンの憑依する者となったことをも記しています。
 十二歳という年齢が、サタン・ダビデの試みや惑わしに、
打克てる年齢ではなかったことは言うまでもありません。
 イザヤの処刑を、ダビデは、マナセ王を通して行わせたわけです。
 こうして、イザヤ書を覆う下地をダビデはつくったわけです。
 また、五世紀キリスト教会の正典結集の折、
「イザヤの殉教と昇天」を典外書としたのはダビデの計いであることも判ります。

 218 〈催馬楽(さいばら)四二〉藤生野(ふぢふの)
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図218参照)
 彼女は、そのエル、高ぶる者の命令をひどく嫌った。
 そして、彼女は、神に相応しい人を生きる者をたてた。
 島がきせられたその時、彼は事を計った。
 彼は略奪し、押し広げた。
 彼は、私達を突き刺した。
 私は、神に立ち向かう者を指し通すだろう。

(註釈)
 彼女は、そのエルである高ぶる者ダビデの命令をひどく嫌った。
 そして、彼女は、神に相応しい人(ミカエル様)に生きる者(月読尊)をたてた。
 島が反逆者の集まりとして濡れ衣を着せられた時、彼ダビデは事を計った。
 彼は、ユダ本国を略奪し、勢力範囲を押し広げた。
 ダビデは、私達を突き刺した。
 私は、神に立ち向う者ダビデを突き通すだろう。

 ダビデは、ヘフジバにも屡々現われ命令を出したのです。
 そして、女王ヘフジバは、弟である月読尊を前に出し、たてた。
 ダビデは、島へ移住したユダの民を反逆者とし、ユダ本国で事を計った。
 島での再建に同意見の人達を略奪し、服従させ、勢力を広げたのです。

 219 〈萬葉集巻二十 - 四三六九〉
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図219参照)
 彼らは、彼のその子孫である私達を熟知した。
 ユダは、形造った。
 私達を襲わせる者は覆った。
 同族の者である彼らは、心に留めた。

(註釈)
 島のユダの民達は、モーセの子孫である私達を熟知し、ユダの国を形造った。
 そして、私達を襲わせる者であるダビデがユダ本国で島々のユダの民を覆ったこと。
 これらを、島のユダの民達は、心に留めた(記憶した)。

 220 〈催馬楽(さいばら)三〉 高 砂
 高砂(たかさご)の さいささごの 高砂の 尾上(をのへ)に立てる 白玉(しらたま)
 玉椿(たまつばき) 玉柳(たまやなぎ) それもがと さむ 汝(まし)もがと 汝もがと
 練緒(ねりを)染緒(さみを)の 御衣架(みぞかけ)にせむ 玉柳(たまやなぎ)
 何(なに)しかも さ 何しかも 何しかも
 心(こころ)もまたいけむ 百合花(ゆりばな)の さ百合花の
 今朝(けさ)咲(さ)いたる 初花(はつはな)に あはましものを さゆり花(ばな)の
  又説「あはましむのを」

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図220参照)
 私達の高慢なあなた(ダビデ)は襲わせるだろう。
 偽る彼は、私の園を略奪させた。
 すなわち、私達が待つべく、汚れた変質した者、災いのダビデである。
 彼は、戦いをいどみ全滅させた。
 麗しい者をひどく嫌った。
 名声の揺らいだ君主。
 だます者であるあなたは溶かした。
 灯、すなわち、証言に預かる方を。
 降り懸からせる者である貴女の声は、屡々彼らをだました。
 あなた方の島が揺らぐことにより、告げられる者としての立ったところの彼の子孫を。
 彼女は、私達の再建の火をともしたところの私達の再建の光である。
 労苦を語る彼女の王位。
 彼の子孫、ヘフジバである。
 彼女の祖父、モーセは、私達の再建の火をともしたところの彼女を証言する方である。

(註釈)
「溶かした」とは、別稿で、霊体の消滅を指すことは述べました。
 その霊とは、かつて灯であって、証言に預かる方である、
つまり、ヘフジバ天照大神のことです。
 私自身は、一九七九年~八〇年にかけての間に、
天照大神は、ダビデに消滅されて霊体としては、存在しないことを
天上界千乃先生から伺っておりました。
 この方は既に、六〇〇年頃の隠蔽政策の時期にはもう霊体としての存在は無く、
彼女の偉業を讃え、天照大神として伝承されてきたのです。

 サタン・ダビデに呪われ、命令をさせられ、挙句に殺される。
 霊体の消滅まで、その一生は悪夢の生涯だったとさえ思わせます。

(注。イザヤもまたダビデによって消滅されたことをミカエル様は伝えられましたが、
神々から愛される者に嫉妬し、神の愛するものを不幸に、破滅に追いやる、
神の愛の無力を知らしめることで、支配欲を満たしたのがダビデでした)

 ダビデがイザヤ書47章8節に「安らかにおり」と述べているところから、
幸せな一時を持っていたことは伺い知ることは出来ますが、
月読尊や素戔嗚尊が、彼女を嘆き悲しんだように、そして、ヤーウェ様が述べられているように、
それは、労苦と苦難の生涯だったことは間違いないようです。

 モーセ様とヘフジバの関係は、祖父と子孫であり、
その故をもって、モーセ様が、ヘフジバ天照大神を、
今世紀の再臨の救い主達の証言の一つとして述べられた訳です。
『天国の扉』のモーセ様の章を読者はご覧下さい。
 モーセ様が、天照大神について証言されておられます。
 すなわち、この歌謡の預言は成就されたことになります。
 ただし、『天国の扉』でのモーセ様の証言はサタン・ダビデが存命中のものでしたから、
警戒したことと、ダビデによる消滅は失敗であったと見せかけ、欺く為、
今もなお天照大神が居るかのように証言されたのです。」

〖備考1
 ヘフジバの合体霊はサリエル元大天使でした。
 ヘフジバへの迫害に、彼女の心の中で、共に苦しみ、彼女を支えたのであり、
ヘフジバを迫害したダビデ(エル・カンタルーネ王)はサリエル様をも迫害していたのは
言うまでもないことでしょう。
 サリエル(レイナ・エル・カンタルーネ)様は今生に於いてダビデの娘でした。

 肉体に於ても霊体に於いてもダビデに迫害され殺されたヘフジバは、
サリエル様にとって愛する我が子そのものであったことでしょう。
 神に愛され、神の御意志に生きた神々の娘を殺す者が、
親族故に天上界にいることは耐え難いことであったに違いありません。

 善を語って善を為さない(偽善)者を天上界は許されません。
 職務であるところの義務に反することを為す者が許されないのはこの世ですらそうでしょう。
 天にあっては申すまでもありません。
 国民(仲間に対しても同じ)を守るべき立場の者が、その立場を利用して悪を為す、
国民に危害を加えることで、自らを利する。
 そのような者は偽善者以上に許されざる者でしょう。
 親が子供を迫害する、まして親に逆らえないような精神に追い込んでの迫害などは鬼畜の業です。

 天上界は(人を導くに値しない)盲が、
(道に迷う)盲を(サタンの道へと、滅びへと)導くを許さない、
かつては人類を守ろうとした善霊が、ただ自分を守りたい一心(既に悪霊と変らない)から、
人類に地獄の苦しみを与えんとする悪魔に魂を渡す、
善なる神を裏切った善霊は、悪霊以上に罪が重い、救い難い魂であるのは当然でしょう。

(国民を守るべき自民党が、中共の利を計り、報酬を受け取る。
 キリストを銀貨30枚で悪魔に売ったユダと同じことをしているのです。
 悪魔に魂を渡した者は、見るに堪えないほど醜いことを為す。
 己の魂に比べて無に等しいようなものを得る為に、
自らの魂を滅ぼそうとしていることも解らない、
悪に抗する力を、善を欲する心を失ったのでしょう。備考1終〗(2025.8)

〖備考2
 皇室の祖は天照大神であり、女性でした。
 しかもそれを立てられたのが唯一の神、ヤーウェ=エホバ神であられた。
 天皇で在る前に彼等は神の僕であった。
 彼等は民にとって手本であった。神を敬うその心が民に伝わったからこそ、
民は天皇を敬う心を育てることが出来たのだと思われませんか。
 天皇が神のように思われたから民は天皇を敬うようになったと思うのですか。
 天皇は神を見出していた、
神を知るとは神の心の美しさを理解したことに他ならないのであり、
神の心を知らずして、偉大な心を理解されずして、神を敬うことなど、
己の小ささを知って絶望することなく、神に近づこうという希望を持つことなど不可能なのです。
 そのような希望を見出しているでしょうか、象徴天皇を当然と考えている人々に。

(ヘフジバ(天照大神)は夫(ヒゼキヤ王)と子を南ユダ王国に残してこられたので、
現皇室は彼女の子孫ではありません。)
 天皇が男性でなえればならないというのは、少なくとも神が決められたことではない。
 これまで男性が天皇で在られたのは、天皇がそうしてきたのである。
 男性でなければならないと神に言われたわけではない。
 天皇がそうすることを神が許してきただけである。
 神が許されている天皇のされること(人道に背くものでないこと)に、
国民が口を挟むのは神を軽んじる者です。
 敬う心のない者に、神も天皇も存在しないに等しい。
 敬う心があれば、神が、天皇が望まれるようになることが喜びになるのではないか。

 天皇が皇位を誰に譲るかは自由(※1
〖天皇家の血筋を守る意志によるものであるばらば。
 そうでない場合がある、天皇と雖も悪魔から安全である保証はないからです。
 王妃ヘフジバの子マナセ王をサタン・ダビデは悪魔に変え、
高橋信次氏の娘である佳子さんの合体霊は、女王卑弥呼
(王から天皇に名前が変ったのは聖徳太子の時代からだそうです)
であり勿論善霊であったのですが、サタン・ダビデから佳子さんを守ることも、
自分自身を守ることも出来ませんでした。相手がサタンでは無理からぬことでしょう〗
であるべきではないか。
 仮に長男が自分より次男が(長女が)、いとこであろうと(血統が守られるなら)
人格が優れているから(それを尊ぶことこそ天皇家を国民を大切に思う意志の現れでしょう)、
天皇になるのが相応しいと、その性格を天皇家に遺伝していきたい思い(※2)、
天皇がその思いに同意されるのであれば、それで良いのではないかと私は思うのですが。

 昔のように誰も天皇の御人格など知らないで済む世の中ではないのだから、
人望がなければ、天皇になる者も、天皇を戴く国民も不幸なことだと思います。
 天皇が次の天皇を決めるのが相応しいのではないか、
そのような皇室を戴くことに不満を抱く人は皇室を信じていないのではないか、
天皇は男性でなければいけないという人が天照大神を、彼女を立てられたエル・ランティ様を、
その信義に生きられた真に高貴な御人格を愛する心があるのか疑わしく思われるのです。

 現憲法が日本人の心を如何に規定したか。
 天皇の自由を奪う権利が国民にあるとしたのであり、天皇は憲法の中に生きる自由しかない、
憲法を変える自由は国民が持つのであり、天皇には与えられていないではないですか。
 国民の得た権利は、天皇よりも国民が上である、
そう規定した憲法に国民は同意しているのです。

 天皇が象徴であることを望んだから法律で規定したのでしょうか、
規定することを天皇が望まれたのでしょうか。
 何千年という歴史に於て象徴とされた天皇がこれまでいたのでしょうか。
 象徴として存在することを規定された王が世界中に一人でもいたでしょうか。
 天皇が象徴として存在することを望んだ日本人が嘗て一人でもいたのでしょうか。
 少なくとも天皇を愛する者にそのような者は一人もいなかった、
現実の人格を愛する者がその者を象徴として愛する、
そのような心理が如何なるものか、理解出来る者がおりますか?

 天皇を象徴する権威を貶める者が、象徴天皇などと法で規定している、
その偽善を国民自らが刻んでいることを恥ずかしいと感じないのでしょうか。
 共産主義独裁国家になれば彼等は、我々国民は天皇の権力を奪い、
国民を解放したと憲法で謳うことでしょう。
 共産主義者が自らを低くして高貴な者を敬うことはあり得ず、
共産主義者に堕落した国民の王となる、
真に高貴な天皇が共産主義者の王にまで自ら堕落させるなどあり得ないことです。
 象徴天皇とされても、真に天皇を敬う日本人があることはまだしもです。
 天皇は神の立てられた存在であることを伝えるなど、
悪魔の共産主義国家であっては不可能だったでしょうから。

 現天上界の神々は人間の霊であることを歴史上初めて証されましたが、
彼らが高貴な魂にまで研磨されたのは、
高貴な存在(の魂)を人に見る心いうのは、人を敬う心というのは、
自らもそのような心に在ろうとする、そういう心に生きることで、
自らの魂を神に生きる魂へと育てていこうとするものです。
 彼等さえ、自らの意志を以て魂を研磨した、
その意志こそが神へと導いたのであり、
神の御意志と呼ばれるに相応しいものとなったのです。
 自らの意志以外に自らの魂を研磨することは出来ない、
それを望まない者はそのようにならざるを得ないのが人間なのです。
 神の道を歩む者に堕落した者がいるでしょうか。
 皆サタンの拵えた道を喜びながら、悪魔の心を満たしながら堕落したのではないですか。

 天皇自らが天皇で在るべき道を歩まれる御意志を尊重せずに、
天皇の何を尊重しようと言うのでしょう。
 天皇を戴くことを欲するならば、
天皇の御意志に協力することを欲するのが国民ではありませんか。
 それを望まないなら天皇が与えられるべき国民ではない、
国民に神が導かれた天皇を戴く資格はないのです。
 それが天皇を戴くということではないですか。

 神が神であるのは神の心を、神の知恵を、神の愛を持つからです。
 それを持たぬ人間が神に向かってどうしろという資格など人間にある訳がないではないですか。
 天皇を憲法で規定する、それも日本人ではない、
それも神の心の欠片もない共産主義者が天皇の力を奪うことを目的に作ったものです。
 悪魔の鎖で以て天皇を、神の民の心を支配している、
そのような憲法に同意している心自体が彼等に飼い慣らされてきた証拠でしょう。

(天皇を天皇と敬う心のない国民の心に天皇の存在などないのです。
 だから象徴などと人を軽んじる心から生まれたものであることさえも判らないのでしょう。
 神の心を捨てた者を救うことは神でも出来ないと言われている意味がお判りでしょうか。)
 天皇がどうあるべきか見出さなければならないのは天皇以外にないのであり、
自らを神の子、神の民とするのもまたその人以外にないのです。

 自分の為に、誰かに対してかくあらねばならないと主張する資格のある者は
一人としてないのです。
(自分を含めて義務を負うべきと考えず(自分を免除して)
人はかく在らねばならないなどと言うのは、自らの心を知らぬ左翼と変りません)

 自らよりも優れた人を認める心なくしては、優れた者と繋がることは出来ません。
 優れた者(の心)に対して謙虚な心になれないなら、
敬うべき者にも敬う思いを抱くことがないのだから、
優れた心と繋がることのない者なのです。
(高貴な者を敬うことなき者が)国民の望むように、天皇は(高貴な者は)かくあるべきとする、
それを象徴と呼ぼうと何と呼ぼうと、
卑しい(己を高しとする)心から生まれたものであるのは明らかではないですか。

 天皇を戴く国民に必要なものは、皇室を、神の民を導かれた天上界を敬う心であり、
日本人を導いてこられた神の思いを、知恵を理解することも出来ない者に、
自分の愚かさに目覚める知恵を得ることはありません。
 象徴として在る為に、天皇が神から与えられてきた権利も全て奪い取ったのが共産主義者です。
 天皇に対する敬愛を失わせる為に、象徴などという、人の感情を希薄にさせる言葉によって、
天皇に抱く国民の心を堕としめて行く。
 日本国民に高貴な者を敬う心を顧みない、人を思い遣る心を摘み取り、
冷酷な革命分子を育てる、それがニューディーラーがこの憲法の込めた悪魔の意志です。

 人の自由意志の内に(於てのみ)生きる法、人の心を導く真の指針は神の法です。
 人を神の法から背かせるものから、人の神の心を救うのもまた、神の法以外にない。
 如何なる国の法も、真の神に従うべきもの、人の心の幸せ、平和は神の心に於てしかない、
人の心を破滅から守るものは神の心しかないからです。

 神の法に生きるを以て、日本国民は神に守られてきた、神の心を見失わず生きてこれた、
神を敬う心を育てることが出来た。
 天皇を敬う心を通じて、神に繋がってこれたのが日本人ではなかったでしょうか。

 天皇は、(ユダヤ人共産主義者に操られて)国民(の代表)が作った法によって、
規定されるべき存在ではない。
 神の法によって生かされてきた、神の法に与るべき存在です。
 国民が神の法に生きることを望むならば、
日本国憲法を悪魔の法から神の法に従うものに作り替えるのは当たり前ではないですか。
 日本国憲法如きものが、神の法に与る天皇を規定している、
神に生きることなき者によって作られた憲法を
日本国民は押しつけられてきたことは歴然ではないですか。

 国民に与えられた権利が如何なるものか
(自らこそ神に相応しいと、真の神を引きずり降ろそうとしたサタンの心と何処が違うのか)、
そのような権力を行使している自分達の心さえ知らない。
 そのような権利を与えたのは誰か、何の目的があってのことか、
日本人はそれを望んできたことなのか。
 真に日本人が望んできた心を知っているのでしょうか。
 今の日本人の心がそうであると思っているのでしょうか。
 現憲法の与えようとした"自由"の内に育てられた心は、
その為に高貴な者の苦しみも理解しない、それを何とも思わぬ心を育てただけではないですか。
 自分の心がどうあるべきかも考えない者が、
天皇を立てた真の神の御意志を顧みることのない者が、神の御意志に従うことを望まぬ者が、
天皇はどうあるべきかと論じ合っているのです。

※1注。
「慈悲と愛」80年2月号初出 ミカエル大王様メッセージより
賢明なる王は必ず、その国の賢人、智者から倫理学並びに政治学を学び、
それを以て良く国を治めたのです。

(中略)
 ギリシャの賢人が国制の理想の第一にまず王制を挙げているのも、
まんざら論拠のないことではないのです。
 王が賢王であることが条件として望まれますが。」

 天上界が王の為に賢人を備えられたのであり、賢人の下に王を天上界は導かれました。
 イエス様をキリストへと導く為に、
ヨハネ(賢人)を備えられたことをガブリエル様は証言なさいましたが、
人に知恵を見出だす(人に神の業を見る、人を信頼する心を育てる)、
人から学ぶ(そのような謙虚な心、他を敬う心を通してしか神は知恵を授けられないことを悟る)
ことによってしか、真理に対する謙虚な心を育てることは出来ないからです。

 賢明な心を知る賢者を見出せぬような王が、皇位を継承するに相応しい者を見抜ける訳がない、
コーデリアの知恵を見抜けなかったリア王が、愚か者をに王位を譲ったが為に、王は王国は滅びた、
そのような王国があったのでしょう。
 そのような愚か者に付け入る悪魔が存在する限り、
真理に生きぬ者は自らの力(権力)を以て自らを破滅させることになる、
シェークスピアの作品が今も求められているのは、
何時の時代も変らぬ(人の心の)真実を伝えているからです。
 何時の時代も、真理に背く心が、善を愛する心を憎み、苦しめている、
その悪に打ち克つ心を求めずにはいられないからです。注1終)

※2注。
 慈悲魔なる愛を以て溺愛された子供は自らの心を愛する、
心の盲いた子は、自らの劣った事実を改めることよりも否定しようとする、
事実を覆そうとする、優れた人を貶めようとする。
 認められた人への妬みから引きずり降ろそうとする復讐心に駆られる心を嫉妬心と言いますが、
そのような偽我は許されないことを天上界は伝えられています。

 子を苦しめることになる事はわかりきっていながら、
悪性の遺伝子を持つ親が、自分の子を産みたいと、生まれて来る子がどうであれ、
自分が愛したいのは自分の子なのだと、それは本能からくる母性愛なのでしょうが、
生まれて来る子供の不幸から救いたい神の愛に背くものであることを、天上界は教えられています。
 そのような子供、社会に寄りかからざるを得ない、それを支えるのは愛ですが、
そのような愛を受ければ自らに負わされた十字架を、人を恨む心を克服し、
神の愛を見出すことが誰にでも出来るものでしょうか。

 それはヘレン・ケラーのような強い意志と、
彼女を育てた真の神の愛、父性愛を貫いたサリバン先生のような人が、
精神を成長させることの出来る幼い頃から、導くことでしか不可能なのではないでしょうか。
 真の愛は厳しいものと言われるのは、そのような愛を与えられる者がいて、
その愛を理解し、協力する環境があったからこそ、
ヘレンはその環境に自ら適応しようと、厳しい愛から逃げずに自ら立ち向かうことが出来た、
そのような奇蹟を為さしめた神の愛がヘレンを救ったのです。
 そのような愛を子供に与えられる者が、子供に十字架を負わ背ようとするでしょうか。

現象テープ№31 81年9月10日 ガブリエル様現象より
「天上界の意見を申し上げるならば、
劣等の遺伝子を持っている場合、その遺伝子を持っていることが明らかな場合は、
その両親は子供を作るべきではありません。
 受胎してからはもう遅いのです。受胎してから子供を殺す権利は誰にもありません。
 生まれてこようとする意志があるから生まれてきたのです。
 そのような遺伝子を無くす為には、両親の強い理性が必要なのです。

 子供がほしいという気持ちは誰にもあります。
 しかし、自分の子供でなくても子供を育てることは出来るのです。
 劣等の遺伝子を持つならば、そして、社会のことを考えるならば
両親は子供を産むべきではありません。
 しかし育てることは出来るのです。

 よく、自分も人間であるから子供を産みたい、女であるから子供を産みたい、
という意見を耳にしますが、天上界はそれを自分勝手な意見としか受け取れません。
 生まれてきた子供はどうなるでしょうか。
 一生社会に対して寄り掛かって生きてゆかなければならないのです。

(注。自分の意志で自由に生きられない本人が一番辛いことでしょう。
 しかし神に依存しきった信者のように社会に依存することに慣れてしまったら
そうは思わなくなるかも知れませんが。)
(中略)
 天上界は劣等遺伝子を持つ者を迫害するものでも何ものでもありません。
 医学の進歩によって劣等遺伝が改良されてゆけば、それに越した事はありません。
 そして、それによる歪みも出てくるでしょう。
 しかし、あなた方人類が劣等遺伝子を無くそうという方向に一度動きかけたならば、
最後迄やってみるしかないのです。
 より良く生きてゆく為に、常に進歩してゆかなければなりません。
 人類は知性があるのですから、知性と理性を持つのですから、
如何なるものをも克服し得るのです。」

「JI」88年1月号 ミカエル大王様メッセージより
「最近エイズに感染した母親は妊娠や出産をすべきでない。
 或いは出産させるべきで、胎児の生命は奪ってはいけない ー
などの賛否両論が、新聞の投書欄をにぎわしているようです。
 私達の見解は、しかし、やはり責任ある社会人であり、父親と母親であるならば、
片方が保菌者と判っているなら、妊娠は避けるべきであるとします。
 みすみす病気との闘いと苦しみの連続であるエイズ感染者として赤子が誕生することは
哀れであるし、又その赤子の成長、成人までに関り合う周囲の人々の蒙る迷惑は、
母親としてやはり、考慮すべき事柄であり、自分本位の欲は慎むべきでしょう。」

 子孫を守る、人類という種の存続を望む自然の知恵に生きる者なら、
環境に適応し難い欠陥を持った遺伝子を継がせまいとするのは、真に健全な心の現れでしょう。
 種を守ることに繋がるもの求め、種を滅びへと導く真理に背くものを見抜き排除する。
 種の存続を願う心、これこそ真に子孫に遺伝されるべき、
自然の叡智が生き物の本能に遺伝子として、命と共に与えた愛であり、
それを失えば生き物は自然から淘汰される、
そして淘汰されていった心とは真の愛の伝わることのなかった心、
自らに注がれてきた愛に、愛を知る心の目覚めることなく、愛を与えた心を見出すことはない。
 自らへの愛に溺れ、真の愛へと精神を成長させることの出来なかった者、
成長した心に現れる真理を、真理に生きる心を自らに知ることはない。

 子孫を、国民を思う心こそ皇位継承者に継がれることを望まれる天皇の思いも理解されぬ者に、
皇室を如何に存続させるか、それを知るのは自分であるかのように語る者に、
神の御意志を知ろうとしている者は一人も居はしません。
 真理を、真の神を求める善我に生きていたなら、真の神を見出すまでは、
宗教を天皇を知ってそれで人類は救われると満足するようなことはあり得ないでしょう。
 それを知る神が、合体霊がそのような満足を与えることはありません。
 与えるとすれば偽りを信じる者に満足を与える偽りの神に過ぎません。
 宗教が、天皇が、真の神を見出していて、
彼等を通して現天上界が人類を救おうとしていると、
人々を神に目覚めさせようとしていると思われるのですか?
 現天上界を知る者は、天皇よりも、宗教よりも、真の神を理解しようとするのが、
神を、真理を求める心、善我であることを知っています。
 真の神の御意志を求めることなく、宗教を、天皇を信じ仰いでいる人々は、
真の神にではなく、自分達の信じる宗教に、天皇に心を向けさせようとしているのであり、
神の御意志に従う思いを抱かぬ者であり、盲である者が盲を導く、
人を神に背かせることに手を貸しているのです。注2終)
 備考2終〗(2025.9)


 ⑤ 素戔嗚尊(すさのをのみこと)について
 素戔嗚尊の合体霊は、ギリシャ神話のアレス、
素戔嗚尊の本体は、源義経(その兄にあたる頼朝の合体霊は、月読尊でした)、
そして土方歳三です。どちらも日本人であり、傑出した武人でした。
 月読尊の本体は源頼朝のみのようです。
 ヘフジバのようにダビデに殺害されているのかも知れません。

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」269頁
「229 〈新古今和歌集巻六 - 六一五〉
 笹の葉はみ山もさやにうちそよぎ氷れる霜を吹くあらしかな
 230 〈新古今和歌集巻十 - 九〇〇〉
 ささの葉はみ山もそよに亂るなりわれは妹思ふ別れ來ぬれば

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図229・230参照)
 229
 彼は、労苦であるところの事を計った。
 彼は、受け容れ、知らせと定められたものを漏らした。
 妬みであるところの彼(ダビデ)は呪った。
 230
 あなたの素戔嗚尊は、彼らの神ではない。
 救い主が、一族による私達の神である。
 私達は日に晒すだろう。すなわち、あなたのエル、同族の者を(ダビデを)。
 私は消え去らせるだろう。すなわち、ひどく妬み企む者を(ダビデを)。

(註釈)
 何故、この霊示が出され語られたかというと、
これは、六、七世紀の聖徳太子時代の倭奴(ユダ)国では、
素戔嗚尊が、かなり神格化された存在となっていたことを示したものです。
 キリスト教会に於て、イエス様が必要以上に神格化され、
人間ではないかのように盲信されているように、
素戔嗚尊に於ても、これと似た現象が起こっていたのです。
 後述するように、彼の武勇伝がそれを助長させる誘因となったろうことは
想像に難くないところです。
 移住の為のプロジェクトは、労苦を伴うものだった。
 携帯する食糧はどの程度必要か。急病やけがに対する処置はどうするか。
 部落を通る時、襲われた場合どうするか。武器は何を持つか。
 島へ渡る場合の舟はどうするか。等々 … 。
 そして、天上界によって定められたものを民達に素戔嗚尊は漏らすのですが、
それを知ったダビデは、彼らを呪った。
 この天上界によって定められたもの、とは、証しとしてのユダの再建を行ない、
ゆくゆくは再臨の救い主達が再建の島々で証言することを指したものではないか、
救い主達の末法の世での証言は、
既にこの素戔嗚尊がユダの民達に知らせる段階で定められていたものである、
それ故のダビデの怒りであり、呪いであったと推察することが出来ます。

 231 〈萬葉集巻十 - 二三三七〉
 小竹(ささ)の葉にはだれふり覆(おほ)ひ消(け)なばかも忘れむといへば
 益(ま)して思ほゆ

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図231参照)
 その一族は、彼を怒った。
 彼らは、彼女を覆った。
 彼らは、あなた方を預言した。
 そして、彼らは彼らを離れた。
 証(しる)しである島は、サタンから身を隠した。
 その神は同族の者である。

(註釈)
 この和歌では、島への極秘裡の移住についての理由が述べられています。

 素戔嗚尊の一族は、ダビデを怒った。
 彼らは、貴女ヘフジバを覆った。
 彼ら一族は、島に再建の倭奴(ユダ)王国を預言した。
 そして、彼らは、ユダ本国から離れ、島へ移住した。
 証(しる)しである島は、サタン・ダビデから身を隠した。

 ユダ本国から島への移住が極秘裡に進められたのは、
その計画がサタンの息吹きのかかった者達によって、掻き回され、
灰塵に帰することを警戒した為です。
 従って、天上界では、その可能性の少ない者達を、素戔嗚尊に選ばせたのです。
 ユダ本国に於いて。
 この作戦は成功し、移住は成し遂げられ、再建に向けて計画は着々と進んだのです。
 このことにダビデは怒った。
 移住プロジェクトメンバーの中には、ダビデに振り回される者が居なかったので、
ダビデはこの計画を破壊することが出来なかったのです。
 そして、ダビデは島へ移住したメンバーを探る。
 その後、ダビデは、移住者や同意見の者を反逆者と見做し、
無き者とするべくユダ本国に於いて企んだ訳です。
 島への移住者達によって、計画は徐々に軌道に乗る。
 そして、その計画が島で着手され、進んでいることを証言する証人として、
月読尊のユダ本国への帰国が決定すると、またまたダビデは怒ったのです。
 再建の移住者達を無き者とするダビデの計画が壊されるからです。
そして、ダビデの島での破壊活動は、
島へ移住したユダの民に、島での再建は無意味であるかのように吹き込み、吹聴させ、
島のユダの民達の分裂を計ったこと。
 そして、どうもこの時に素戔嗚尊は、武勇を発揮したらしい。
 その時の素戔嗚尊の証言が、月読尊によってユダ本国へ齎され、イザヤ書に記されたのです。

 232 〈金槐和歌集巻中 - 四四七〉
 うき沈(しづ)みはては泡とぞ成(なり)ぬべき瀬々の岩浪(いはなみ)身もくだきつつ

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図232参照)
 計画であるところのその時、彼はあなたを向かわせた。
 恐れられるあなたは望まれた。
 新開墾地は切り開かれた。
 素戔嗚尊は、欠陥から離れ、天幕を張った。
 彼は、翼である貴女にひざまずいた。

(註釈)
 計画の中の或る時期に、モーセは素戔嗚尊を島へ向かわせた。
 恐れられる素戔嗚尊は、島へ行くことを望まれた。
 島の新開墾地は、切り開かれた。
 素戔嗚尊は、諸々の性格上の欠点を矯し、島に彼の天幕を張った。
 彼は、翼である貴女(サリエル大天使(当時))にひざまずいた。

 素戔嗚尊は、その彼自身への能力を買われ、
天上界から、島への移住と再建を望まれた。
 そして、島へ足を踏み入れ天幕を張る。
 そしてヘフジバに合体していられたサリエル様にひざまずき、従うことを誓う。

 233 〈金槐和歌集巻中 - 四四八〉
 山川の瀬々の岩波わきかへりおのれひとりや身をくだくらん

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図233参照)
 野営する者としての日々、素戔嗚尊は彼らの天幕を張った。
 そして、あなたの声は怒った。
 彼は悩んだ。彼等の神、真新しい若枝を。
 そして、貴女にひざまずき、彼は滞まった。

(註釈)
 旅の途中で、素戔嗚尊は、同行のユダの民の天幕を張った。
 そして、あなたの声、ダビデは怒った。
 彼は悩んだ。
 彼らの神が居る真新しい若枝であるヘフジバの時折発するダビデの命令に。
 そして、彼はヘフジバにひざまずき、島に滞まった。
 素戔嗚尊が旅立った頃から、ダビデは妨害を始めており、
それは、屡々、ヘフジバ、月読尊、素戔嗚尊の声となって現れた。
 ダビデが、屡々ヘフジバに現れて、命令を発し、
月読尊や素戔嗚尊らを、戸惑わせ、悩ましたことは、
〖218〈催馬楽(さいばら)四二〉藤生野(ふぢふの)〗に述べられています。
 ダビデのその霊としての力が、個人の力で抗しきれるものではないことを、
示したものです。
 しかしながら、素戔嗚尊は、サリエル様が合体していられたヘフジバにひざまずき、
島に滞まることを決める。

 234 〈萬葉集巻十四 - 三三九〇〉
 筑波嶺にかか鳴く鷲(わし)の音(ね)のみをかなき渡りなむあふとは無しに

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図234参照)
 あなたの声は、彼を屡々打った。
 彼は、子孫達を憎んだ。
 すなわち、彼は彼女を妬んだのだ。
 そして、彼は、姉を告げた者を探った。

(註釈)
 あなたの声(ダビデの声)は、屡々素戔嗚尊を打った。
 ダビデは、モーセの子孫達を憎んだ。
 つまり、ダビデは貴女ヘフジバを妬んだのだ。
 そして、ダビデは、姉ヘフジバを告げた者月読尊を探った。
 彼らは、島に、ヨブに次いで二番目に天幕を張った人達である。
 
 ヘフジバや月読尊を通じて出てきたダビデの声に素戔嗚尊は、屡々打ち付けられた。
 これは、素戔嗚尊を贖い生かす打ちつけの言葉ではなく、彼を殺す言葉だった。」

第二部 神と人類の交流
第二章 (霊道の開かれた)古代人類に証された神の顕現と御意志、
    及び真実を封印されるのも、
    その解かれるべき時にそれを為す者(現天上界)も神である。
     預言されたものを成就するは神であることを、神の証するに時があることを、
    神が現れる時、人類は悟るであろう
三節 現天上界と古代日本(「古代日本と七大天使」より)

(四) 七大天使を証されたエル・ランティ様メッセージ
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」15頁
「古代歌謡には、ヤハウェをはじめとする元七大天使の方々の名前が随所に見受けられ、
嘗ての古代日本に、現在千乃先生のお側にある現天上界高次元があったことを裏付けるものです。
 歌謡の解説翻訳が進むにつれ、歌謡が古代ユダヤ人の用いたヘブライ語であること、
嘗ての古代日本の現天上界があり、古代のそれと現代のそれは同じであり、
現天上界が古来から存在した正真正銘のものであることが、
より確実に、明確になっていくものと思われます。」

ミカエル大天使長(当時)"
 1 〈日本書紀歌謡27〉
 尾張(おはり)に 直(ただ)に(む)かへる 一(ひと)つ松(まつ) あはれ 一つ松
 人(ひと)にありせば 衣(きぬ)着せましを太刀 佩(は)けましを
  烏波利珥 多駞珥霧伽弊流 比苔菟麻菟 阿波例 比等菟麻菟
  比苔珥阿利勢麽 岐農岐勢摩之塢 多知波開摩之塢

 「向かへる」が、霧伽弊流(ミカエル)となります。

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図1参照)
 すなわち、私達のそのエルである。
 ミカエル、あなたは私達を選び出すだろう。
 引き出される方は打ち砕く。
 私は怒り、源は打ち砕く。
 私達のその助力者は、エルである七人のことである。
 翼であり王位の救い主達であり、私の代りを定められた救い主達である。

 この歌謡は、最後の審判を予言したもので、悪霊の消滅を指したものです。
 古代歌謡は、これに関するもので、かなりを占めている考えられます。
 次に挙げるのは、
神楽(神楽)歌と呼ばれる神前で奏する楽舞に伴って唱和される歌謡のことですが、
ここに挙げる宮中神楽歌は、現在の「正法」にとってもかなり重要な内容を含んでおり、
見逃すことの出来ない歌謡でもあります。

 神楽歌に歌われる七大天使
 脱落、置き換え、誤伝が多く、一見判断困難と思えるものが多いのですが、
歌謡全体からとらえてゆくと、比較的しっかり伝承されてきたことが判ります。

 3 〈神楽歌61〉 早 歌(そうか)
 あかがり踏(ふ)むな 後(しり)なる子(こ)(本)
  安加々利不牟奈 志利名留古
 我(われ)も(め)はあり 前(さき)なる子(こ)(末)
  和礼毛女波安利 佐支奈留古

 4 〈神楽歌62〉 
 舎人(とねり)こそ憂(う) 後(しり)こそ憂(う)(本)
  止祢利古曾宇 志利古曾宇
 我(われ)こそ憂(う) 後(しり)こそ憂(う)(末)
  和礼古曾宇 志利古曾宇

 「(め)はあり」は、女波安利(ミハエル)となり、
ドイツ語のミハエルに似たミカエル様の名です。
 ヘブライ語のミエルのは、にも似た音なのです。

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図3、4参照)
 3  信任が告げられた贖いの時、君主の継承が確定される。
   彼らのエル、ミカエルと我が群の継承が確定される。
 4  彼の王位の方々とは、炉であり、籠(かご)であり、彼らのエルであり、
  評価する方々である。
   彼らのエル、ミカエルと我が群の継承が確定される。

(註釈)
 再臨のメシア達であり、高次元のエルは、悪を焼き尽くす溶鉱炉であり、
救われた者を入れておく籠であり、批評眼の研ぎ澄まされた方々であり、
この方々が王位に就く。
 最後の審判の際には、七人の方々が贖い主、つまり救い主となって現れることは、
既に古代日本に天上界が置かれていた時に、
ミカエル様の王位継承の決定と共に発表されていた
ということです。

 当時の天使は、周知の通り現在の天上界では、
前天王ヤーウェ=エル・ランティ様の後を受け継ぎ、
一九七八年七月一日以来現ミカエル大王となっておられます。
 七人の方々が名乗り出ない天上界は、天上界として考えられないということは、
現天上界の置かれた千乃裕子先生から伺ったものですが、これで明確になった訳です。」

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」23頁
神楽歌について
 神楽歌は古くは、カミクラと言ったことについて、研究家の意見は一致しています。
 日本神道では、濁点を記載しない習慣があるので、これはカミグラでもよい訳です。
 カミグラにヘブライ語を当てはめると、
「贖い主は起(た)つ」という意味のものになります。

 つまりは、神楽歌は、いずれ救い主が現れることを歌っているのです。
 ガブリエル様の一九八四年六月二十九日付メッセージに於て、
「真のメシアは私達と共にあり、
私達がいまメシアとしてあなた方を救おうとしているのです。」と述べられましたが、
神楽歌ではその通りのことを歌っています。
 内容は、救い主達の名が全部述べられ、その内容、両に於て、エノク書、或いは聖書はおろか、
旧約外典偽典の比ではありません。
 それは、神楽歌のそれが、催馬楽、仏足石歌、風土記、萬葉集にまで及んでいるからです。

 萬葉集に歌われるミカエル現大王
 前述したことの一つの表われとして次の歌謡を挙げます。

 13a 〈伊勢風土記逸文〉
 大夫(ますらを)の 幸矢(さつや)手挾(たばさ)み 向(む)かひ立(た)ち
 射(い)るや的形(まとかた) 濱(はま)のさやけさ
  麻須良遠能 佐都夜多波佐美 牟加比多知
  伊流夜麻度加多 波麻乃佐夜氣佐

 13b 〈萬葉集巻第一 - 六十一〉
 大夫(ますらを)の さつ矢(や)たばさみ 立ち向かひ射(い)る円方(まとかた)は
 見るにさやけし
  大夫之 得物矢手插 立向 射流圓方波 見爾清潔之

 この二首の歌謡はおのおの違う歌として分類されていますが内容は全く同じもので、
違いとなったのは、語順の転倒と脱落によるものです。
 伊勢風土記の"向かひ立ち射る"は、"立ち向かひ射る"にならなければなりません。
"濱"は"濱る"となるべきだったのです。

 一方、万葉集の"円(まと)"は"円(まと)"となるべきで、
二首合わせて完全なものとなります。

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図13参照)
 彼の悪の懲らしめ。
 正道を踏みはずす者、彼は嫌悪されるだろう。
 ミカエルは、私の代りであり聞き入れる。
 彼らが罪を犯した時、彼らは揺らぐだろう。
 同情し、引き抜くべく彼は厳しくされるだろう。

(註釈)
「向かひ射る」は、牟加比伊流(ミエル)になり、
カヒは、ミエル様の名のをよく表現していることは前述しました。
"向かひ立ち射る"のように、転置されているものがかなり多いようです。

 ヤマトはヘブライ語に音訳すると、「神の民」という意味ですが、
これで大和
(ヤマト)民族の古来から言われてきている神国日本の意味が、
歴然としてくる
というものです。

 現ミカエル大王を長男として証言するヤーウェ=エル・ランティ
 古代日本の歌謡のほとんどがエル・ランティ様の霊示によるものですが、
次の歌謡は現在の正法を立証するうえに於てかなり重要な示唆を含んでいます。

 14 〈風俗歌35〉 出羽風俗(ではのふぞく)
 最上川(もがみがは) 上(のぼ)れば下(くだ)る や 稲舟(いなぶね)の
 否(いな)にはあらず や 暫しばかりぞや あの
  毛加見加者 乃保礼者久太留 也 以奈布祢乃
  以奈尓者安良須 也 之者之者加利曾也 安乃
みがは」は、「見加者(ミカエ)」のが脱落したものです。

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図14参照)
 エルによって私達のミカエルは踏襲する。
 彼は一族の長男として指名された。
 彼は私の息子であることを証言し、(王位)を移すだろう。

 彼は、私、そのエル、この神を証言するだろう。
 証言するこの神、エルのように彼ら七人は結合するだろう。

 このヤーウェ様の証言、予言は、今世紀に於ける現天上界ミカエル様の『希望と愛と光』誌
一九八一年三月号のメッセージによって成就されています。

 ミカエル様は、日本の神社では「三毛入野尊(みけいりのみこと)」として祀られておりますが、
このミケイリノは「私達のミカエル」の意味である「ミカエレヌ」の変えたものと考えられます。



ガブリエル大天使(当時)"
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」19頁
 7 〈神樂歌13〉 篠(ささ)
 篠分(ささわ)けば 袖(そで)こそ破(や)れめ 利根川(とねがは)の 石は蹈むとも 
 いざ河原(かはら)より いざ河原より
  佐々和介波(バ) 曾天古曾也礼女 止祢波乃 伊志波布無止毛
  伊佐加波良与里 伊佐加波良与里

 波をバと読ませ、加の代りに賀が用いられていることは、
加波良は賀波良であり、カハラはガバラと読んでいた可能性があります。
 従って、加波良与里はガブリエルとなります。

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図7参照)
 六人の正しさは立証されるだろう。
 彼らに代って起こるところの貴女の協議。
 私達を引き出す証(しる)しの証言をする方。
 彼は救うだろう、島に隠されたその彼らを。
 すなわち、その一人ガブリエルである。
 彼、ガブリエルは救うだろう。

(註釈)
 現天上界の一九八四年六月二十九日付ガブリエル様のメッセージ、
「私達が今メシアとしてあなた方を救おうとしているのです」。
 実はこの一言が、私のヘブライ語解読の理解を大幅に拡大し、
それまでに続けていた訳文が一新され、(浅学も大いに原因していましたが)
かなり解読の助けになったのです。次に述べることと合わせて。
 次に挙げる神楽歌もより重要なのですが、
加波良与里(ガブリエル)の当て字を理解して頂くために、後にしました。

 8 〈神樂歌71〉 得選子(とくせにこ)
 得選子(とくせにこ)が閨(ねや)なる や 霜結(しもゆ)ふ檜葉(ひば)を 
 誰(たれ)かは手折(たを)りし 得選子(とくせにこ)や たたら濃(こ)き日(ひ)よや
 誰かは手折りし 得選子
  得銭子加祢也名留 也 志毛由不比波乎 
  太礼加波太乎利志 得銭子也 多々良古支比与也
  太礼加波太乎 利乃 得銭子

 この歌謡の原文では、前出の加波与里(ガブリエル)が
加波乎利(ガブ(リ)エル)となっており、に変わっています。
 良()が太()に訛ることはよくありますが、
これは和文が「誰かは折り」では解りにくい、解らないとされ、
これは檜葉を手で折ったことを言っているのだ、と解され、
「誰かは手()折りし」と変えられたと推定されます。

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図8参照)
 あなたは踏襲するだろう。
 彼は二番目を定められるだろう。
 私達の異邦人である彼は受け継ぐだろう。神の名、ヤハウェの遣わすべく。
 すなわち、証(しる)しはエル、ガブリエルである。
 そのあなたは神としての二番目を踏襲するだろう。
 あなたは順番を望むだろう。
 彼はあなたを待ち望むことだろう。
 神は告げる。
 証
(しる)しはエル、ガブリエル。
 そのあなたは踏襲するだろう。
 彼は二番目を定められるだろう。

(註釈)
 ガブリエル様が、次期王位継承者であることは、現天上界メッセージで既に明らかですが、
このことも既に古代に於て決められ、発表されていたのです。
 次期王位継承者についてのミカエル現天王の最初のメッセージは
一九八一年一月二十二日付のものですが、
この得選子(とくせにこ)の古代ヘブライ語訳出解読は一九八六年一月十七日に始め、
同月十八日に完了したことを明記しておきます。
(注。解読以前にこの事実を明らかにした者は現天上界だけであった。
 そしてその解読へと導いたのも現天上界であった。
 現天上界以外に天上界は存在しないことが証明された。)

 これらの訳出は、『JI』誌と本書で発表されるのが初めてですから、
事実については天上界以外は誰も知らない筈です。


 9 〈風俗歌49〉 體 源 抄 伊豫湯
 伊豫(いよ)の湯(ゆ)の さらはに立ちて 見渡せばや
 たけの郡(こほり)は 手に取りて見ゆや

「郡(こほり)は」は、「こほりは(ガブリエ)ル」のルの脱落したものです。
 元七大天使方の名で末尾のルが脱落したものが結構見られるのは、
lがrに比べて、巻き舌だけの弱い音であるということにも起因しているかも知れません。

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図9参照)
 私達を焼くべく私達の神である彼らは証言するだろう。
 闇の終わりには、神であるあなた方は誓うだろう。
 ガブリエル、あなたは私達を批判するだろう。
 彼は律法を復唱させた。
 神は彼の諸々の潔白さである。

(註釈)
 今世紀の最後の審判に於けるこの最後とは、
終末、世の終わり、地上の絶滅等を指すのではなく、
エル・ランティ様の述べる終わりとは、
闇の終わり、つまり悪霊の大掃除を指している
ということです。
闇の終わり、つまり悪霊の大掃除を指しているということです。
 今日オカルト的大予言として騒がれている
地上の最終戦争によって人類の大半が滅びるという終末思想は、
サタンによって齎されたものであり、
サタンの首脳が消滅された現在、この終末思想の予言は成就されないということです。

 但し、ガブリエル様の今世紀のメッセージに於て「人類は神の手から離れた」
と述べておられるので、もし最終戦争らしきものが齎されるとすれば、
それは人類のエゴ、サタンが起こしたマルクス共産主義によって齎されるということです。
 サタンが残した怨念が続く(怨念によって悪魔のイデオロギーを伝搬する者が存在する)限り、
可能性は皆無とは言えず、現天上界では絶えず警告を発しておられるのです。

 サタンは地上に最終戦争を起こして人類を滅亡に追いやるつもりで
最終戦争の予言をしたのですから、
もしエル・ランティ様の弟であるサタンと化したダビデが消滅されず生きていたら、
これら地上の最終戦争の予言を成就させた筈です。
 私達人類は、身を犠牲にしてまでサタン・ダビデを消滅させた
愛が或いは憎しみが自らの命をも顧みず、
愛の心を守る為に、或いは愛を踏み躙る邪念を満たす為に、
戦いを指揮する天国の総大将と地獄の総大将が決するを、
戦争反対論者は、戦争は悪であるその一言を以て、
平和の為に戦われた神の御心も否定し去るのでしょうか。
 その為に最終戦争になろうとも戦争は悪だと言いさえすれば、
悪魔の為すことにも為されるがままで満足なのでしょう。
 彼らが同類であるのは証明済みです(核兵器反対を米国に向かって非難した
(それが正義であると左傾メディアは国民に信じさせた)べ平連はソ連の回し者でした)。
エル・ランティ様に大いに感謝しなければならないのです。
 天上界では、サタンが齎したイエス様の悲劇を二度と起こらせまいと、
固く誓われておられます。

第二部 神と人類の交流
第二章 (霊道の開かれた)古代人類に証された神の顕現と御意志、
    及び真実を封印されるのも、
    その解かれるべき時にそれを為す者(現天上界)も神である。
     預言されたものを成就するは神であることを、神の証するに時があることを、
    神が現れる時、人類は悟るであろう
三節 現天上界と古代日本(「古代日本と七大天使」より)

(五) モーセ、ブッタ、イエスを証されたエル・ランティ様メッセージ
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」56頁
 46 〈神樂歌44から45〉 薦 枕(こもまくら)
 天(あめ)に坐(ま)す や 豊岡姫(とよをかひめ)の や あいそ(し) 
 誰(たれ)がその贄(にへびと)ぞ 突(しぎつ)き 小網(さで)し下(くだ)る 
 網下(あみおろ)し 小網(さで)さし上(のぼ)る

「坐(ま)す」は、「万須(モーセ)でモーセ様のこと。
「いそ」「いし」は、「以會(イシュ)」「伊志(イシェ)」で、イエス様のこと。
「人(びと)」、「鴫(しぎ)」は、いずれも「比止(ブッタ)」、「志支(シャカ)」となり、
ブッタ様のことです。

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図46参照)
 神であるモーセは私達の同族の方であり、
神である私達を紛糾させるべく迫害に、さ迷った方である。
 そして、イエス。待つべく彼が研ぎ澄まし、あなたは批判するだろう。
 釈迦であるところのブッタ、あなたは集めるだろう。
 悪魔の群れである子孫、エルによって私達が追い払うべく、悪霊を身につけた我が民を。

「さ迷ったモーセ様」とは、出エジプトを指しています。
「彼が研ぎ澄ますイエス様」の彼とは、ミカエル様を指したものでしょう。
 この歌謡でブッタ様は、
「仏陀(ブッタ)」と「釈迦(シャカ)」の二つの名で述べられています。
 そして、ここでは「集める方」としての使命、その内容をより明確にしています。
 末法の世の民は、群れとなるほどに悪霊化し、ブッタ様が集める時には、
民に憑依し、その憑依された民を集めるだろうと予言されたものです。
 高橋信次氏の講演会に於て、ブッタ様はたびたび、
集まった方々には悪霊が憑依していることを高橋氏に告げさせ、
実施として憑依者から悪霊を追い出すことをやっています。
 その中には、漫才もどきのものがありますが、
千乃先生によると、動物霊などと称するものは皆サタンの配下の霊が芝居をしたとのことです。

(サタンが?)人を沢山集める為には、面白おかしくやる必要があったということです。
 キツネやタヌキの霊が喋ったというので、
物珍しさも手伝って多くの人が集まったとも言えるかも知れません。
 一つの方便であったということです。

(注。まさか天上界がやらせた訳ではないでしょう。
 それは天上界の心から出るものではありません。
「慈悲と愛」1979年3月号
「エルバーラム」224頁 質疑応答 ラファエル様

「大体"心"というのは、心臓、ハート、ヘルツのことですが、
それを魂や感情と同義語にしてしまったところに人類の自然科学上の未開発の悟りが定着し、
医学や生理学が進歩して"心臓は血液の洗濯機のようなものである(に過ぎない)"
ということを新しく受け入れようとしない頑迷さというものが、
人類が末法の世を常に招くに至る要因でもあり、
まだまだ知性、理性面に於て、未熟であることの証拠でもあるのです。

 それゆえ、私達は科学の進歩、発達、およびそれから得られる知識を素直に柔軟に受け入れ、
常に知識の面に於ても前進してゆかなければ、
いつまで経っても地球人類は幼稚なままで終わらねばならない。
 これでは地球外星人に(もちろん太陽系には住んでおりません)侵略されれば
ひとたまりもないであろうと私達は心配するのです。」
 天上界の方々はこのような助言を以て人類の知性に働きかけてこられましたが、
知的なユーモアも兼ね備えておられます。
 千乃先生が何処かで書いていられたことで、その内容は正確には記憶していないのですが、
GLAの講演会だったか、心に関する話の時に、多分高次元の方でしょう、
ハート(トランプのハートです)をポッと出したのだそうです
(その記載を見つけたら正確な文に修正したいです)。
 何と言うか微笑ましい(数年後にハルマゲドンが待ち構えているとは想像も出来ない)
時代でしたが、それを真に受けて心は心臓にあると、
そのころの正法者は信じてしまったということなのでしょうか
(その心を試されたのか、その心を知っていておからかいになったのかも知れないですね)。
 天上界に教えられなければ、何も判らない。
 サタンの邪念に侵されれば、天上界から正法を聞いて信じた善我を失ったことも解らず、
歪められた偽りの正法を信じる、サタンの波動に生きる偽我にあっては、
千乃先生を通して伝えられた真の正法を理解することは出来なかったのです。
 真理を求めていても、一旦偽りを受け入れてしまった心は、真理への謙虚な心を失い、
自分は真理を理解したと慢心してしまうのでしょうか。そこで考えることを止めてしまう。
 真理の理解を深めて行こうとする真理への熱意を失ってしまうのでしょう。

 真理を求める心があっても、真理に背く心を研磨しないならば、真理を見失うのであり、
共産主義や邪教を受け入れる者は、偽我の求めを満たそうとする者であり、
偽我に満足する者が真理を見出すことはあり得ないことは言うまでもないことです。
 (2025.10)注終)

「悪霊の群である子孫」とは、今世紀のラファエル様のメッセージにおいて、
「厳正な徳の秤りにかけて裁かれ、
全人口の九〇%が地獄に落ちる国と高橋信次氏を通して警告を与えたその国」と告げられ、
「悪霊の群と化す子孫」の予言は、悲しいかな成就されていることになります。
 この裏には、多くのサタンの息吹きがあった所以であると考えざるを得ません。
 ご自分の弟をくじけさすとまで言われたエル・ランティ様は
よくよくのことであったに違いないからです。
 この六世紀から七世紀までに於てサタン・ダビデは相当の悪事を重ねていたというべきでしょう。
 法の目をくぐって犯罪を重ねる極悪の犯罪者にも似て、何らかの手段、
つまり今日のおとり捜査のようなものを講じる以外方法は無いと判断されたのでしょう。
 それ故に、くじけさすとまで言わしめたのです。

第二部 神と人類の交流
第二章 (霊道の開かれた)古代人類に証された神の顕現と御意志、
    及び真実を封印されるのも、
    その解かれるべき時にそれを為す者(現天上界)も神である。
     預言されたものを成就するは神であることを、神の証するに時があることを、
    神が現れる時、人類は悟るであろう
三節 現天上界と古代日本(「古代日本と七大天使」より)

(六) 悪と戦うことなくして善の心はなく、神の愛はなく、神の平和はない
   (悪と戦うことから逃げる心に善はなく、愛の生まれる心はない)
 この世で善と悪の争いがなくならないのは、神に従う者と悪魔に従う者がいるからです。
 神に従う者と悪魔に従う者がいなくなれば、この世から争いはなくなるでしょうか。
 その時人間の心は向上する意欲を持つことが出来るでしょうか。
 堕落を喜ぶ心を拒絶する真理を求める心があるでしょうか。
 善を求めた者が神になり、悪を求めた者が悪魔になったのです。
 求める心を失えば、何が平和であるかを理解する心を、
真の平和を作り出す、真の平和を愛する心を失うでしょう。
 悪を憎む神の心を見失う、悪を認識する知恵を失う。
 戦争を放棄した憲法を戴いて、悪に苦しむ心がなくなりましたか?
 戦争を放棄した心が、人を苦しめる悪さえ戦おうとしない心を正義とする、
悪霊の如き神に背く心を育てただけではありませんか。

 善を求める、人の幸せを願う、愛の心に生きることのない心にあって、
自らを破滅させる悪を認識することも出来ない平和を喜ぶ心とは、
自らの破滅も知ることの出来ない、悪を知る知恵の無い、
悪魔の平和さえ喜びとする痴呆にとっての平和に過ぎません。

 戦うことが悪ではない。悪を滅ぼそうとするのが善である。
 悪を滅ぼそうとする善を失えば、悪を悪とする善の観念を失うであろう。
(生存)本能を失い、理性をも失った時、人類は滅び尽くすであろう。
 それが真実であることを悪霊が証明している。

 善と悪が互いに相容れないのは、
神が人に善を為そうとし、悪魔が人に悪を為そうとする、
神は人に自由を、魂の解放を齎そうとし、
悪魔は人から自由(意志)を奪い、精神の隷属を齎そうとするものだからです。
 どちらも他の一方を滅ぼそうとするのが善と悪であるからです。

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」296頁
「ダビデは、失われた北イスラエル十部族を島々(日本)へ割り込ませたのです。
 己の預言成就の為に。
 勿論、エル・ランティ様がその民を排除するわけはなく、
"私達"と述べているように、受け入れられたのです。
 従って、北イスラエルの民が、日本に移住したのは確かですが、
天上界が導いて連れて来られたわけではないので、
天上界千乃先生は、アブラハム子孫の二つの流れと証言され、エル・ランティ様は、
"ヨブ(古代日本の初代王)とユダ(王国)"として証言されておられるのです。

 そして、ユダに関しての証言の中で、二番目の植えつけ、と何度か述べられておられるのは、
この北イスラエルが、ユダ王国の民が渡来した後に、移住してきた民である
ことを示しているのです。」

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」297頁
「北イスラエル十部族は島に住みついた後、
ダビデの指示に従って秘密にしたこと。
 この移住は秘密裡に行われたので、
エルサレムに戻ったバビロンの捕囚から解放されたユダヤ人にも知られることなく、
ダビデもまた、彼らに教えなかった。
 そして、歴代志略に記されたのを最後に、世界史から完全に姿を消したのです。
 そして、姿を消した十部族であるにも関わらず、
エゼキエル書には、パレスチナの地、現イスラエルに戻って来ると記されている。
 現イスラエルのユダヤ人にとって気になる存在となったのは当然と言えば言えるでしょう。
 ユダヤ教の神が、失われた北イスラエル十部族の子孫を連れて来るというのですから。
 熱心なユダヤ教徒にとっては、無関心でいられる筈がないのです。

 251 〈古今和歌集巻十五 - 七五四〉 よみ人しらず
 花がたみめならぶ人のあまたあれば 忘られぬらん かずならぬ身は

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図251参照)
 = サタン・ダビデの霊示 =
 高慢な彼女らは天幕を張った。
 彼女は、彼らを汚した。
 私達の罪人を私達は増やすだろう。
 私達は混血の民を移らせるだろう。
 私達のイスラエルは滞まった。
 あなたから離れた私達の新開墾地の恐れられる者として。

(註釈)
 高慢な彼女ら北イスラエルは島に天幕を張った。北イスラエルは、ユダ王国を汚した。
 私達の罪人偶像崇拝者を私達(天上界を騙るダビデとその配下のサタン)は増やすだろう。
 私達(同上)は、混血の民イスラエルをパレスチナの地に移らせるだろう。
 私達の北イスラエルは島に滞まった。
 あなた(エル・ランティ様)から離れた(ダビデのエル・ランティ様に対する返礼)
私達の島の新開墾地の恐れられる者として。

 この預言により、その成就として、
この日本列島に、仏教系の宗教団体を雨後の竹の子のように、増やしたのです。
 ユダヤ教に於ては、"一神教"を固く守らせるダビデだが、
この和歌の霊示に於ては、エル・ランティ様の語り口に従わなければならないので
(エル・ランティ様に成り済ましているからです)、
さしものダビデも"私達(天上界の神々)"という表現を用いているのです。
 これは、コーランに於ても同様でした。

 エル・ランティ様のこの和歌へのメッセージ隠蔽は、
絶対にエル・ランティ様に従わないダビデを従わせる唯一の方法だったのかも知れません。
 これは、ダビデが、エル・ランティ様の言うことを絶対に聞かなかった何よりの証拠なのです。
(ダビデは老人性痴呆症に罹っていたのかも。私の母も同様の反応を示しますから ー 。千乃)
 和歌隠蔽は、ダビデを従わせ、矯正に向ける一つの手段でもあった。
 何度、「ダビデを消え去らせる」と言っておられるか、
これは言うだけで済ませることも出来たのです。
 和歌隠蔽は、いかなる方向から検討してもエル・ランティ様の智恵勝ちだったことを、
その内読者は知るでしょう。
 いかにダビデが、手の内にはいったか。」

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」304頁
「ダビデは、現天上界の証言が、その再臨を証(あか)し出来ないように覆い計り、
己れの預言がいつかは理解されるようにその足がかりにしてしまったのです。
 そして、実際に北イスラエル十部族を日本移住させることにより、
己れ自身の証しの民としたわけです。
 そして、前述の和歌の中で、エル・ランティ様は、ユダの民が証しの民であることを
素戔嗚尊が理解したことを述べておられますが、
この"証(しる)しの民"とは、言わば天が堅く守護する民であり、邪神ではなく、
邪神ではなく、正しい神、天上界を求める民のいことです。

 周知のように、北イスラエルは、ダビデを崇めたのであり、
"証しの民"としては不適格であったということです。
 そして、南ユダ王国は、エル・ランティ=ヤハウェ様を求め、天も守護を与えた。

(注。日本民族は、神に従った南ユダ王国の民の唯一の末裔であり、
日本は彼等が自ら作った国家であったのです。
 この国に生きる心もまた彼等の心を引き継いできたのです。
 共産主義者の作った現日本国憲法を押しつけられ、その心を受け入れてしまうまで。
 天上界を見失いながらも、神の愛される心を見失わないでいる日本人はいたのであり、
彼等に真の神の民であることを証され、彼等が真の神の御心を、神の法、正法を受け止め、
世界に伝えるものと信じて語りかけられました。)

 ダビデが、神々の天使の群を、
二つに引き裂いたことをエル・ランティ様が証言しておられますが、
これは言うまでもなく、導かれる民の側にも影響を与えました。
 それが、ソロモン王亡き後の古代イスラエルを、北イスラエルと南ユダ王国に分裂させた、
とも考えられるのです。
 すなわち、古代イスラエルを二つに分裂させた直接の原因は、
ダビデにあるということです。」

 天上界に於ける神と悪魔の戦いが、彼等の心に繋がった者、
善を為そうとする者と悪を為そうとする者が対立するのは当然なのですが、
その当然が解らない人々は、悪に加担していることが解らないのです。
 善を為す(悪を滅ぼす)者のことを、戦争を為そうとする悪であると、
善を拒絶する心は、理性なき者、善の観念が滅びようとしていることも解らない者、
悪霊に容易く支配されるのが当然の成り行きなのです。

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」282頁
 241 〈新古今和歌集巻十四 - 一二七一〉 太上天皇
 忘らるる身を知る袖のむら雨につれなく山の月は出でけり

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図241参照)
 イスラエルは崇めた。
 すなわち、変質した者、悪霊を。
 彼は、災いを告げた。
 私達の同族の者であり、使者である彼は、私達の日々、不和となった。
 彼は、ユダ、あなたを窮乏に陥れ、閉じ込めた。

(註釈)
 ダビデは、災いを降り懸からせることを預言させ告げた。
 私達(ベー・エルデ星の方々)の同族の者であり、使者ケルプであるダビデは、
或る日、私達と不和になった。
 ダビデは、ユダの民を窮乏に陥れ、バビロンの捕囚とした。

(注。
"わすら(え)る"を聞いて、(母音操作などの細工を見抜き)"いすらえる"
(平安時代から鎖国の解けるまでの近代日本にあって、
イスラエルという言葉すら知られていなかったのではないか)の音を聞き取り、
和歌の日本語の語りにヘブライ語の語りを聞き取る、
しかもその文意(エル・ランティ様が伝えられたメッセージ)
即ち真理を聞き取る(知恵を持つ)など、
その語られた背景の理解される(ように導かれる)ことなくしては解読不可能、
また解読すべき隠された真理があることなど知る由もないと思います。)

「イスラエルの崇めた神がダビデであることは、
別の和歌でそのダビデの名を挙げています。
 バビロンの捕囚は、神の罰ではなく、
ダビデのユダの民に対する憎しみから、ダビデが仕掛けたものであったということです。
 千乃先生は、正法の発足当初、「現天上界と聖書の繋りについて」に於て、
「ヤハウェの罰」として記しておられましたが、
この時はまだ、本稿に述べていることが明らかにされる時期ではなかった為、
そのように記されたのだということです。

 仮に、千乃先生が、あの正法講座(一九七九年七月号『慈悲と愛』)を書かれた時、
ダビデがやった、と記しても、受け入れた人がどれだけあったか、はなはだ疑問の残るところです。
(その通りです。ミカエル様の御指示により、ダビデの事は明らかに出来ませんでした。千乃)」

 日本人の祖先はイスラエルの神の民であった。
 神に従う民の作った国が、日本に渡来しての倭奴(ユダ)(王)国であり、
サタンによる破壊から守る為に神の導きの下、
全く新しい国を、民を、民族の言葉を創造したのでした。

 ユダヤ民族の末裔であることが隠蔽されました。
 ユダヤ民族から日本民族に変わっても、変わることなく真の神によって導かれました。
 神への信仰は、神の与えられた徳(日本人の道徳観)を愛する心の内に守られてきました。
 神への信仰は、神に従った天皇を戴く心に守られてきたのです。

 日本民族がユダヤ民族の末裔であったことは、
日本語の中に隠されたヘブライ語がユダヤ人に指摘されるものでしたが、
南ユダ王国が真に天上界の導いた神の民であり、
日本民族は彼等の末裔であった、真に神の民であった。
 真の神の民である為に、神に導かれた皇室
〖を守る南ユダ王国の人々、ヤーウェ神に従う彼等は、
ユダヤ教に縛られることなくイエス様を信じた(君が代はイエス様を証している)のは、
ヤーウェ=エル・ランティ様自ら彼等を証されたからです〗
自らが神の霊言(教え)を守る為に、神の御意志が、神を求める心によみがえらせる為に、
その時まで悪魔の破壊から守る為に、隠蔽されました。

 その事実は、私達が神の民であると言っているのではありません。
 彼等が神の御意志に従ったが故に、彼等は神の民であった。
 その証を知ることが出来たのは、
すべて神の御意志と、神に従う民が在って初めて実現できるのであり、
今現天上界が証されたのです。
 神が現れたのに従おうとしないなら、日本人は神の民ではありません。
 神を知らずとも、共産主義に侵されることなく、
神の心に生きることの出来た嘗ての日本人こそ神の民です。
 共産主義者が嘗ての神に生きることの出来た日本人の心を理解出来ず、
貶め、愚弄するを以て自己満足していられるのは、
神を憎む悪魔の心に侵されているからなのでしょう。(2025.9)

第二部 神と人類の交流
第二章 (霊道の開かれた)古代人類に証された神の顕現と御意志、
    及び真実を封印されるのも、
    その解かれるべき時にそれを為す者(現天上界)も神である。
     預言されたものを成就するは神であることを、神の証するに時があることを、
    神が現れる時、人類は悟るであろう
三節 現天上界と古代日本(「古代日本と七大天使」より)

(七) 解読された神による日本建国への導きと、サタンによる神の計画の破壊に関しての
    エル・ランティ様の証言

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」213頁
 174 〈金槐和歌集巻上 - 三十〉
 年ふれば(ど)宿は荒れにけり梅花花(うめのはな)はむかしの香に匂へども

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図174参照)
 彼は激しく襲い、あなたのユダを支配させた。
 私達は、エルとして泣き、悲しんだ。
 私達の欠陥である彼は嫌われていた。
 彼は、あなたを復興し、襲わせ、憎んだ。
 私達は妬まれた。
 彼は、流血(殺人)を覆った。

(註釈)
 サタン・ダビデは激しく襲わせ、あなたのユダ王国をネブカドネザルに支配させた。
 私達天上界は、天の使いとして泣き、それを悲しんだ。
 私達天上界の欠陥であるダビデは嫌われていた。
 彼は、ユダ王国を復興させると、バビロニアに襲わせ、民を憎んだ。
 ユダの民はダビデに妬まれたのだ。
 彼は、バビロニアのユダの民殺害を隠蔽した。
 戦争には通常、殺人はつきものとなっていますが、
よほど非人道的なことでもやらない限り、普通隠したりはしません。
 それでも、なおダビデは、殺人を隠したと、この和歌では述べるのです。

 175 〈金槐和歌集巻中 - 五五五〉
 里はあれて宿は朽(くち)にし跡なれや浅茅(あさじ)が露に松むしの鳴く

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図175参照)
 あなたの正道を踏みはずす者に、貴女は嘆き、悲しんだ。
 あなたのユダ、我が旗は終わりである。
 彼は、神に代って、私達を着た。
 彼は、皮を踏みつけた。
 我がシオンは引き出される。
 私達のモーセ、彼は屡々批判した。

(註釈)
 ダビデの悪事に、彼女は嘆き、悲しんだ。
 日本国を誕生させることにより、ユダ王国は終わりである。
 サタン・ダビデは、私達天上界を着て、神に代る者であるが如きにふるまった。
 ダビデは、抜けがらを襲った。
 私の天照大神は引き出される。
 私達のモーセは、屡々批判した。

 当時は、酒舟でぶどうを踏みつけて、ぶどう酒を作りましたが、
ダビデは皮を踏みつけたのと同様だった。
 南ユダ王国の主要メンバーが、東の島へ移動した後だったからです。
 バビロニアが来襲したのは。
 
 176 〈金槐和歌集巻中 - 五五一〉
 草ふかみさしも荒れたる宿なるを露をかたみに尋こしかな

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図176参照)
 彼等は隠した。
 天使の名であるところの彼らは、立たせた。
 彼は、新開墾地のユダとシオンと少しの任じられたこの部屋を探った。
 隠された彼らは、形造った。

(註釈)
 天使達は一部のユダの民を隠した。
 天使達は、その民達を東の島々に立たせた。
 東の島々へ隠された彼らは、建国再建に力を注ぎ、形造った。
 サタン・ダビデは、島々のユダの民達と、天照大神と、天上界を探った。

 真の神々、ヤーウェ様率いる天上界を慕うユダの民達を秘かに集め、
極秘裡に東の島々へ移動させました。
 紀元前七〇〇年以前のことだろうと推定されます。
 彼らは、東の島へ到着すると、早速ユダ王国を名乗り、古代中国史書「後漢書」
(後漢記一下三十一"東夷倭奴国王")には、「倭奴(ユダ)国」と記載されたのです。
 隠す、とは、この場合、秘かに抜け出させるということですから、その為には、
極秘裡に集会が持たれ、主な対象となったメンバーには極秘裡に伝えられ準備されたのです。
 この「倭奴(ユダ)王国」は、聖徳太子の時、
紀元六七〇年頃まで続いた、と推定されるのです。
 ちなみに、「後漢書」や「魏志倭人伝」に、記された「邪馬臺國」「邪馬壹國」は、
いずれも「倭奴國」の別称、或いは倭王の都であり、
ヤマタイ、ヤマイトゥ、はいずれもヘブライ語で、「神の民の島」という意味ですから、
当時の島の民は、魏に対し「神の民の島国」と呼ばせていたことになります。
(ヤマトとしても「神の民」の意)
 正式名称は、倭奴(ユダ)王国であり、
「新唐書」には、「日本は古の倭奴(ユダ)也」と記されました。
 これは唐には、邪馬臺国の名が別称であること、
単に都名にすぎないことが知られていた為と考えられます。
 また、王国に関して言えば、推古天皇以前の天皇は、すべて大王であったことが、
今日の日本史では、通説となっており、
天皇の名称は、推古天皇からであるというのが一般的な説です。

 倭奴王国隠蔽政策の発案者は、聖徳太子ですから、
推古天皇の代行執政者としての聖徳太子が、隠蔽政策発案と同時に、
この名称を大王から天皇に変えることを奨めたと考えられます。
 この改称と同時に、倭奴(ユダ)王国の終わりが決定され、
当時の神の声を伝える為に、ヘブライ語が隠蔽され、他は慣習や習俗を除いて一掃されたのです。
 次に、倭奴国についてですが、私は倭奴(ユダ)と読んだわけですが、
これまでの通例では、倭をワと読ませています。
 大字典によると「ワ、ヰ」となっており、
通説では、日本の使者が古代中国へ渡った折、「わが国は」と言ったことから、
古代中国では、日本国を「ワ国」というようになったというものですが、
これなどは、こじつけの最たるもので、当時(前漢、後漢、或は三国志の時代)の古代日本には、
「我が国」などという日本語は、まだ無かったと知るべきです。

 そして、倭は、ユではなく、ワかヰではないかという詮索も、
木を見て森を見ず、の例えに等しく、あまり意味はありません。
 中国人達は、私達日本人が考え及ばないほど、
多少の母音や子音の発音の違いなど、お構いなしに外来語を漢字に当て字してしまうからです。

 これは古代に於ても同様でした。
 この考え方は、古代日本にも受け継がれ、それ故、ニホンを日本と当て字したわけです。
 倭のニンベンを取った委(ヰ)は、
志賀島(しかのしま)の」金印に刻られた「漢委奴国王」の委ですが、
これは日本国では、「委(ユダ)ねる」と当て字されています。
「ユダネル」とは、ヘブライ語で「新開墾地のユダ」の意味です。
 或いは「灯のユダ」の意にもなります。
「新開墾地のユダ」の意味であるヘブライ語「ユダネル」を、
「委ねる」と当て隠蔽したことにより、「委ねる」という日本語の動詞が誕生したのです。
(ちなみに、「委ね」は、「私達のユダ」の意味)古代日本人、倭奴国の民達は、
倭も委も共に、ユダ(「奴」を付けなくても)と読ませるつもりでいた
ことを窺わせるものなのです。
 このことは、古代中国が、ユダを倭奴と当て字したことを暗示しています。
 その経緯を次に述べましょう。
 前漢書地理誌には倭の音に関して次のような記載があり、
この記述はこれまで研究者によって見落とされてきたものの一つです。

 師古曰 倭音一戈 反今猶 有倭國
「漢書巻二十八下地理二十三」から

 この文のおおよその意訳は次のようになります。
  古(いにし)えに師曰くには、倭の音に関しては、
  一つの論争を生んだ。
  猶である故に、倭国有るところこれを変えるようにと。

 つまり、古代中国の伝承では倭は本来、猶であったものを変えたものであるということです。
 猶奴(ユダ)ということです。
 猶の語義は「大猿の属種」であるので倭奴国人はこの猶を嫌ったと考えられます。
 そして、漢に対し、猶を改めるよう要請を重ねた結果、倭に改められたと推察されるのです。
 また、ユダヤ教を漢字に当てると「猶太教」であり、
古代中国でも、ユダは猶太であった筈です。
 しからば、何故に漢は改める際に倭奴と当て字し倭太としなかったのか?
 太を奴にしたのは、倭奴国人が猶を倭に改めさせたことに対する報復であるということです。
 バビロンの捕囚としてのユダヤ人が、或いはヘブライ民族が、
かつては奴隷の民であったことを漢の役人はよく知っていたということです。
 それ故に、奴を当てたと考えられるからです。
 すなわち、倭奴は猶太を改めて当て字し直したものであるという結論になります。

(こういうのを差別と言うのではないでしょうか。
 こういった一連のやり取りの生々しさから真実であると直観されると共に、
記録が古代中国にあって、古代日本に見当たらないことを以て、
倭奴王国のヘブライ隠蔽工作によることも又、間違いないことを直観されるものです。)」
(中略)
「倭国は最初、古くは倭奴国と呼ばれていたのだが、いつのまにか呼ばれるようになった。」
(中略)
「その推移を追ってみると、「後漢書」に記された以後、
それはちょうど卑弥呼以後の時代から、聖徳太子の現れる直前まで、
倭奴の名称は、古代中国史書には記されていません。
「後漢書」は「三国志」の後に、記述されたものですから、
その忘れられた期間は四○○年頃から五三〇年頃まで。
 すなわち、倭国が朝鮮半島を踏み破り、任那日本府が滅び去る頃まで、となります。
 これは、ダビデが預言成就の為に島々をけしかけた時期と時期をほぼ同じくしています。
 襲わせることによる戦慄を尊ぶ邪な軍神ダビデは、己が興した密儀宗教ミトラ教が、
四〇〇年、キリスト教徒によって根絶やしにされるその直前から、
今度は古代日本に邪な軍神としての矛先を向けたと言えます。
 その時期は、倭国兵が出兵し、任那を領有、任那日本(倭)府が成立したであろうとされる
三六九年頃に始まり、その滅亡の五六二年頃までの間。
 その隆盛は倭の五王が挙げられ、知られた時代です。
 任那への出兵は、明らかにダビデの預言偶像仏教導入の為に
ダビデの起こした侵略戦争なのです。

 ここで、一つの疑問が沸き起こってくるでしょう。
 たかだか仏教を導入するだけで、何故に、このように大がかりに、
しかも二百年近くもかけて行わなければならなかったのかと。
 これは仏教導入のみならず、他にも何らかの思惑があったことは想像に難くありません。
 乗っ取り、勢力範囲の拡大です。
(天上界に対してのダビデの思惑が、という意味です)

 まず考えられるのは、偶像の導入など、天上界が許す筈がないということです。
 それを押し切ってまでして偶像を持ち来たらす為には、
並みの方法では駄目だとダビデは考えた筈です。
 すなわち、多勢の民を国ぐるみで煽動し動かし、
その勢いによって、天上界が制御出来ないようにすること、
そのことによって嫌が上にもエル・ランティ様や天上界を承服させること。
 島という交流不活発な地理の関係もあり、
しかも預言成就の為に国ぐるみで改宗させなければならなかったこと等が挙げられます。

 朝鮮半島のほとりを踏み破らせたダビデは
その軍神としての力を遺憾無く発揮したに違いありません。
 それが島々の民をして倭奴(ユダ)の名と共にその使命を忘失させたと言えます。
 倭奴の名は、当時の史書にも記されることは無かったのです。
 その忘れられた倭奴国名を再び思い興させたのは聖徳太子であったのです。

 177 〈金槐和歌集巻下 - 六七七〉 大嘗會の年の歌に
 黒木もて君がつくれる宿なれば萬世ふともふりずも有(あり)なむ

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図177参照)
 貴女の企む者は揺らいだ。
 高ぶる立ち向かう者は叫んだ。
 神による新開墾地のユダを漏らした者を。
 潔白なヤハウェを消滅させる者、
 彼は、エルが告げた計画を怒った。

(註釈)
 貴女の企む者、サタン・ダビデは揺らいだ。
 高ぶる立ち向かう者、ダビデは、神のすすめによる新開墾地、
島へ秘かに移住させたユダの民について漏らした者の名を挙げて叫んだ。
 ユダの民を島々へ、秘かに移住させたのは、潔白であるヤハウェが行わせたのだ。
 ダビデは、エル・ヤハウェが、ユダの民に告げた計画を怒った。

 サタン・ダビデが、ユダの民の秘かなる移住を、ヤハウェ様が進められたことに対し、
妬んでいたことについては、前述しましたが、そのことによって、島々を災害によって、
ゴグ(悪霊)もろとも滅ぼそうとしたことも、別項に於て詳しく述べました。
 ユダの民の秘かな移住に対し、ダビデは怒り、イザヤ書に、島々の民に向け、
「あなた方は無き者だ」、とした意図がこれで判ろうというものです。
 この和歌では、エル・ランティ=ヤハウェ様御自身が移住させたことを述べていられるのです。

 そして、島へユダの民が移住したことを漏らした者とは、
預言者イザヤのことだろうと思われます。
 おそらく、イザヤは老身故に、東の島移住を断念し、カナンの地に留まる。
 そして、脱出と移住を助けた者として、ダビデの怒りを買い、
漏らしたことを口実に処刑させるようマナセ王に促したと思われます。
 旧約偽典「イザヤの殉教と昇天」には、サタンに憑依されたマナセ王(ヒゼキヤ王の子)が、
その唆(そそのか)しによって、イザヤを木鋸で両断したことが述べられています。

〖備考
 生命を懸けて神に従ったのが南ユダ王国の民であることを、
その民に神として語りかけてきた証拠を守ってきたのは、
日本人が彼等の末裔であったことを証する時に備えてのことでした
(それが隠されたのが万葉集であり日本書紀であったのは、
それ以前からの神の御意志として在ったことは覆しようがない真実と理解されるからです)。

 天上界はその御意志を伝えようと再びこの国の民の前に現れました。
 天上界から権威を与えられた者がサタンに唆され、天上界は発言の場を奪われ、
サタンと戦いながら、天上界を信じる者の心も練り上げられて行ったのです。
 神の大いなる救い、神の法、正法を授けられるを以て正法者として目覚め、
神の救いの現れるこの時まで神が導いてきた、
かつて神の導きに従った真の神の民の末裔であることの証を以て、
神に従う日本の民の心を目覚めさせました。
備考終〗(2025.9)









天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法