第二部 神と人類の交流
第二章 (霊道の開かれた)古代人類に証された神の顕現と御意志、
及び真実を封印されるのも、
その解かれるべき時にそれを為すのも神である。
預言されたものを成就するは神であることを、
神の証するに時があることを、
神が現れる時、人類は悟るであろう
三節 現天上界と古代日本
地球人類の誕生以前から地球に存在した唯一の霊の世界である太陽系霊団の王であられた方が、
地球人類誕生後は神という存在を以て地球人類に神の概念を理解し得る知恵へと導かれた。
神が人類を導くのは、人が神の心を育て得るのはその一生に掛かっているからであり、
その心を育て得る世にすることも、今を生きる人々に掛かっているからであった。
そして善なる心を持った霊が、その霊の世界を守る王が存在したように、
悪なる心を持った霊が、その霊の世界を支配する王が存在した。
日本人の歴史を遡る時、ある時期を境にそれ以前の歴史を
(日本以外の国に於て記録が残されているにも関らず)日本にあっては不明であるのは何故であるか、
その歴史を伝えるものの存在を消すのではなく、
その存在を、真実が如何なるものかを、ある目的を持って明らかにすべき時まで隠されてきた
(理解されないように機密文書の如くに暗号化されていた、
これは古代イスラエルにあっても同様な目的から黙示形式として伝達されたが、
その手段は全く日本独自のものであった)のであり、現代にあってその隠蔽を解き明かす、
それは神の命によるものであり、
それを封印した方法を知る者の介入なくして解き得ぬものであり、
古代日本歌謡、和歌集がその真実を封印された対象ですが、
それ等の文章がその文意とは何の関係もない真実を暗号化したものであること、
その日本語の発音が、ほぼそのままヘブライ語の発音であり、それをヘブライ文字にした時、
現れた文意が、数千年の間天上界に在って封印されてきたものが、
現天上界の存在と共に明らかにされたのでした。
『古代日本と七大天使』に、隠されてきた日本の歴史の真実が明らかにされ、
その封印が、そしてその解明が神によるものであり、
日本民族が真に神に導かれてきた証であることを、
(その封印と解明される時を告げられた)その理由を、
またその為に取られた方法(同時にどうやって解き明かされたか)も
天の光の下に明らかにされました。
その概要をお伝え出来ればと思います。
原典に当たられることでエル・ランティ様自ら伝えようとされた、
天上界の(人類救済の、救済の妨害者との戦いの)歴史を是非知られることを望みます。
(一)倭奴(ユダ)国(ヘブライ語)の封印、日本国(日本語)の誕生
"何故日本民族はユダヤ民族の末裔であることが隠蔽されたか"
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」165頁
「大和朝廷のヘブライ色隠蔽について
では何故、大和朝廷の前身、倭奴(ユダ)国は、
自国の持てるヘブライ色を国を挙げてまでして隠蔽しなければならなかったか。
その原因の一つとして、偶像仏教の導入が挙げられます。
聖徳太子(ラグエル元大天使の本体)の生まれる以前から、
仏教伝来の勢いは高まってきており、崇仏派と排仏派の対立がしばしば起こり、
排仏派の物部(もののべ)氏は崇仏派の蘇我(そが)氏によって滅ぼされたことは
日本書紀の語っているところですが、
この偶像仏教導入の勢いは、サタン・ダビデによって齎されたと、
千乃先生(天上界)は述べておられます。
そして、このまま進めばヤハウェ様の説かれた法は一体どうなるのか?
いずれ踏みにじられるだろうことは想像に難くない。
天上界ではそのことに憂慮され、聖徳太子を育てた、と想定されます。
聖徳太子が生まれた当時の大和朝廷(正式な国号は、倭奴(ユダ)国、
ヘブライ色隠蔽後の史書である古事記や日本書紀には当然この名称については述べられていない。)
には、霊媒(霊能者)を通じて説かれたヤーウェ様の法話を記したヘブライ文書が多くあった筈で、
偶像仏教が幅を利かして行く中で、
これらの文書の行末が案じられたのは言うまでもないことでしょう。
排仏派の護持するヘブライ文書を
サタンの息吹のかかった崇仏派が焼き打ちすることは目に見えている。
(注。ヤーウェ様の法話を隠蔽するとは、その法話を残すために隠すのであり、
その法話の内容のみならず、
過去より天上界が日本を導いてきたことが明らかにされるに相応しい環境となった時に、
天上界がその封印を切る能力を人に与えさえすれば、すべてが明らかになる、
それが封印するということだと思います。
このような考えの下に神の教えを隠蔽しようと考える者とは、
隠蔽したものの本来の姿を知る者であり、
如何なる方法、法則の下に隠蔽されたか知ることなくしては、解読は不可能であり、
それを伝えることの出来る存在、
即ち、そのような方法を過去から未来に掛けて、
知り得るのは永遠の存在である真の天上界以外に存在しない、
ヤーウェ様の法を蘇らそうと望む者もまた、天上界以外にあり得ぬことです。)
しかし何としても後世に、このヤーウェ様の説かれた法話を伝えなければならない。
これらの文書が正しく引き継がれ後世に伝えられるよう何らかの手段を講じなければならない。
そこで、当時の倭奴国の心ある人々と天上界が考えた末、一計を案じたのです。
仏教の導入を公式に認め、一切のヘブライ色を払拭し、新しく国を塗り変えること。
仏教を公式に認め、遣隋使等の留学生を派遣して外国の文化を大いに取り入れる。
この政策は功を奏し、崇仏派の圧力を緩和させることに成功し、
サタンの勢いを半ば、かわすことにもなったのです。
今日、仏教導入を公式に認めたのは、推古天皇と聖徳太子と言われており、
太子は法隆寺の聖徳太子、仏教の大家のように言われていますが、
けっして聖徳太子の本意とするところではなかったというのが事実なのです。
これまでの拙稿をご覧になられれば判るとおり、
太子はヘブライ語を理解し、ヤーウェ様の忠実な下僕だったからです。
次に、ヘブライ語で述べられたヤーウェ様の法話をどのようにして伝承するかが、
課題となった訳ですが、まず内容が判らないように極秘裡に伝えるのが条件となり、
これまでのヘブライ文字文を、漢字または仮名まじり文に、母音を操作して作り変える、
そして作り変えたものを、
神楽(かぐら)歌や催馬楽(さいばら)のような宮中雅楽の歌詞として、
また古事記や日本書紀の歌謡や、万葉集、古今和歌集のように、代々天皇の作成した歌、
或いは貴族や歌人の誦んだ歌とし、宗教とは無関係のものとして、
これらの歌集、歌謡集を編纂したという訳です。
そして、これらを確実に伝承させる為にはいかなる場合でも、
ヘブライ語であることが判ってしまってはならなかった。
その為には、この地の果ての島から、
ヘブライ語を一掃してしまう必要があったのです。
ヘブライ法話を歌集としたことにより、
神道と仏教の宗教的対立抗争からの安全圏に置かれた訳で、
この計画は成功したと言えるでしょう。
ましてや、仏足石歌のような、ヘブライ法話を仏教風歌謡にアレンジして、
薬師寺に石碑として建立させる等、人の意表をついたやり方は、感動さえおぼえます。
古人の苦心が伝わってくるかのようです。
ヤハウェ様のヘブライ法話が、はっきりそれと判るものであれば、
サタンの息吹のかかった者達に隠滅される恐れがあり、
またこれが仮に歌謡として隠蔽したところで、ヘブライ語の解る者に気づかれた場合、
疑念を呼び起こす可能性があるのです。
従って隠蔽する側からすれば危険きわまりないものだった
ということが言えるでしょう。
それ故に、神(ヤーウェ)の命により、当時の大和朝廷(倭奴国)は、
ヘブライ色を一掃し、ヘブライ法話を隠蔽し、
新しい国、日本国に備え、新たな国語を起したということが言えます。
そして、これらの総てが、完遂されるまでに、数百年を要したでしょう。
当時の大和朝廷(現在の天皇家)は、この神(ヤーウェ)の命に忠実に従い、
実行に移したのです。
(注。
紀元前1700年頃 ヨブ渡来、紀元前700年頃 月読尊、天照大神(ヘフジバ)渡来
日本に大和朝廷(倭奴国)を興したユダヤ民族は、
唯一神ヤーウェの教えをサタンの破壊から守る為に、
神の教えに生きる民としての証を守る為に、
真の神の民で在り続ける(神の御意志に生きる)為に、
倭奴(ユダ)国を、ユダヤ人であることを捨て、
日本国を興し、ヘブライ語を捨て日本語を作り出し、日本人になった。
神に生きる心を守る為であった。
それが神の民として生きることであった。
神のメッセージを伝える為であっても動こうとしない現代のこの国にあって、
かつてこの国に生きた民は、神への信義からその教えを隠蔽する、
神の御意志を真に理解し、神の教えを、神の存在を語るを忍んだということです。
悪(サタン)を知り、悪への怒りにあって、悪を許さぬ神の善への信義を通した、
神を見失うであろうこの民を必ず神は、神として救われると信じて疑わなかった。
この真実を知って、知らないでいる時のままに生きる、
そのような心に耐えられる者はいないと信じます。
世界中の国家の民族として生きるユダヤ人はその国民であることよりも、
ユダヤ民族の国家(建設)を優先した。
大統領(ルーズベルト)自ら率いたニューディール(共産主義者)が
ユダヤ民族であることを、ユダヤ民族の生きる国家を尊重し、
その為に米国が犠牲になることを顧みない心に生きたのです。
神に生きる心がどのようなものか伝えることが出来なくなった、
取り戻さねばならないのは国ではない、神の心であることさえも解らない、
このような心しか持たないのがユダヤ人だったのではなかったのです。
真の神の民が神の命に生きた時代があったことを知らされたのです。
何故知らされたのか、知らねばならない時が、天がそれを明らかにする時が来たからです。
そのような時を天上界が備えられたことを知らされました。
神に生きる民に帰る義務があると思われることでしょう。
神がこの国を導いてこられたことを知ったのですから。注終)
物部氏の後裔である藤原氏の日本書紀編纂の歴史観について、
物部氏を善、蘇我氏を悪とするとらえ方はおかしいと、指摘する歴史家もありますが、
そうではなく藤原氏の見方は正しかったということが言えます。
(ならば、蘇我氏の先祖でもあるとされる聖徳太子が、
蘇我馬子(そがのうまこ)と摂政に当たったことはどうなのか、
といった疑問が起こってきます。
しかし、太子がヤーウェ様と蘇我氏とどちらをとるかと、問われた場合、
勿論前者であったであろうことは想像に難くなく、
どの程度気を許し、国家機密を知らせたかは、
一万にも及ぶと推定されるヘブライ歌謡が今日、
解読されるのを待つべく現存している事実を見る時、
心では蘇我氏を敬遠していたと思わざるを得ません。
太子は蘇我氏の力を借用したのにすぎないのです。)
ヤハウェ=エホバ様の育てられた日本国に於いて、
偶像仏教を導入する必要など、まったくなく、
サタンの働きかけによって強引に持ち込まれたとしか、言いようのないものだったからです。
そして、このヘブライ色隠蔽政策は、最初は隠密裡に進められていたのですが、
隋へ留学生等の派遣と、交流が盛んになるにつけ、
これらの極秘事項は、留学生などによって隋に漏らされていたということです。
六、七世紀の古代中国の史書「隋書倭國伝」には、
史臣によって記された次の一文があります。
疎而不漏 簡而可久 化之所感 千載不絶
そして終わりの方に「兵志有之日」とありますので、
倭人の中で兵を志す者が話したと受け止められます。
「疎而不漏」は、倭人は、秘密を漏らさないが、しかし秘密を守るには疎(うと)い。
「簡而可久」は、倭人は覆うことに同意したが、それは書物の如きである。
「化之所感」、感ずるところ、これを化(ば)かしている。
「千載不絶」、(この書物は)後から載せることが多く、絶えない。
つまり、これらの記載が述べるように、ヘブライ法話の隠蔽は隋に知れており、
また見方を変えると、この記述は、一万にも及ぶと推定される古代和歌が
隠蔽されたヘブライ法話であることを裏付けるものでもある、と考えられます。
そして、隋書倭國伝は、その内容についても触れていますが、
サタンの霊示に関するものであり、詳細は別稿にて述べます。
六一八年、隋は滅び、唐が興ります。
そして、倭奴(ユダ)国は国号を日本国と改めたことを唐に承認させ、
唐書には、古倭奴国は、日本国として掲載されることになります。
六四五年、サタンに動かされた蘇我氏の滅亡と共に、大化の改新が叫ばれ、
この時から現在の国語が徹底され始めたと推定されます。
しかし、仮名文字が充分滲透するまでにはかなり歳月を要したであろうし、
しばらくは書庫で眠っていたかも知れません。
その理由としては、ヘブライ文字で造字したことが知られない為であるとも推察されます。
つまり国策は慎重に行われたのです。
その手始めとして、漢字文による文書、古事記
(七一二、一説には、平安時代、つまり七八二年以降に作られたとする偽書説がある)、
日本書紀(七二〇年)、万葉集(七五七頃)、のようなものを編纂させる。
そして続万葉集と呼ばれる平仮名で書かれた古今和歌集が、
醍醐天皇の勅撰和歌集とされたのが九〇五年のことですから、
その計画は年月を要したものであることが推察されるのです。
この計画故に、今日、仮名文字は平安時代に作られたということが、
通説になっているのです。
おそらく、或る期間を経過するまで、仮名文字は公開されず、
平安に入ってから、解禁されたと思われます。
このことは当時の天皇家にとっては機密事項であった筈であります。
この頃になると、ヘブライ文字のことは、すっかり忘れ去られ、
仮名文字は漢字から作られたとする説はゆるぎないものとなったのです。
解禁の為には、少なくとも百年は要したろうと、推察されます。
すべては、神の命、つまりヤーウェ様も含む現天上界の指令によって行われたのです。
「太古に文字はなかった」に、もう一度触れますと、
「隋書倭國伝」には、「始有文字」の一文があり、これは一般的には、
「始めて文字が有るようになった」と意訳されてますが、
大きな間違いであると言わざるを得ません。
文字を始めれば有るに決まってますから、
これは明らかに「始めは有った、文字は」の誤りなのです。
隋書の史官は、無駄な文字の使用は極力避け、
他の国々に於ける記載にも、文字の無い国については「無文字」で片付けておりますから、
文字を始めたなら、この場合「始文字」で充分だったのです。
隋書倭國伝の「始めに有った文字」とは、勿論ヘブライ文字を指します。
いずれにせよ、天皇家、大和朝廷(倭奴国)を指導した嘗てのその同じ神が、
この二十世紀、千乃先生のそばに来臨されておられることを理解し、
悟るべき時が今、来ているのです。」
「天の奇蹟 下巻(87年7月初版)」157頁
著者(岩間先生)の質問へのガブリエル様による解答より
「常にサタン・ダビデとその輩下に操られる弾圧者、圧制者の迫害を避ける為には、
信仰深き者の霊能を通じて、天の者達はどのようにしてでも
黙示形式の伝達と伝承が必要であったのです。
それは本書掲載の西澤徹彦様の解読された日本の古代文書や古謡
(主にエル・ランティ = ヤハウェ様のなされたお仕事)にもある通りです。
誰かが解読する迄は伝達、伝承した者にも判らぬように暗号化しました。
それによって、悪意ある者により歴史が書き換えられようとも、天の真理と真実は残り、
人類は究極のものとして何を求め、得るべきかを如何に時代が変ろうとも覚り得る為です。
幻や表象の形を取る黙示や預言は天が与え、或いは書き手の脳裏に働き掛けて、
必要な場合には、大天使が霊能を持つ著者や預言者に直接解明したり、解読させました。」
「天の奇蹟 下巻(87年7月初版)」169頁
「黙示文は捕囚期の頃に確立されており、それを変化させて伝えられました。
しかし事は単純ではなく、サタン・ダビデも片方で同じ人々に
天意を歪める霊示と黙示を与えました。」
「天の奇蹟 下巻(87年7月初版)」343頁
「西澤徹彦様が日本の古謡と古文に託されたエル・ランティ様の膨大なメッセージを解読し、
ジェイアイ社から出版(『古代日本と七大天使』)されますから、是非読んで頂きたいと思います。
中野裕道の「日本神学誌」からエル・ランティ様のメッセージが締め出された時に、
"必ず他の場所で私達の意志を伝える機会を探すだろう"との決意を表明されましたが、
その強い御意志通りに古代日本に於て、エル・ランティ様御自身が、
天の正しい御方針を巧みに伝えるあらゆる場を捕らえて実行なさっておられたのを、
私達は少しも知らなかったのです。
世界中であれほど善と義なる意志を持たれ、賢明な方は居られない、
天の父として真に相応しいエル・ランティ様を、無策だと少しでもなじった私達は、
天上の愚か者の代表のような者です。
それを見るにつけ、私達元大天使は何をしていたのだろうかと ー
只、断腸の思いが募るばかりです … 。」
"その封印が現代に解かれた訳"
現代に天上界が現れた理由と同じです。
最後の審判が真実であることを告げる、
善を守ろうとする者と善を滅ぼそうとする者が存在する、
そのどちらかに与せずして、存在することは不可能であるということを告知する。
如何なる宗教が本物であるか、神の認める宗教は何であるか。
そういった宗教で解決される問題なのではない、
自らの善を突き詰めて考えなければならない。
彼等の語る善が、真理が真の神の心から齎されるものか、判別せよ。
それしか自らの神の心を悪から守ることは出来ない、神はそう語られたのです。
自らが滅びようとも神を滅しない限り悪魔の王国を作ることは出来ない、
人類の心から神の心を滅し去る、
これから生まれて来る人間に善なる心を養う世界(観)をすべて破壊するを以て悪魔の王国を齎す。
彼等の魂は善を滅しない限り己の安心を失ったのです。
善に徹する存在に遭遇して、彼は自分を滅する者ではないと考える余裕など持ちようがないのです、
一人の心だけの被害妄想ではなく、彼等は皆その世界に生きている故に、
天上界は心の休まる日はないのです(平和があるのはこの世の平和主義者の頭の中だけでしょう。
ダチョウの頭と中身は変らないのです)。
常に自己保存からくる不安が破壊衝動に駆り立てられるのです。
サタン・ダビデの死によって、彼等の心の支え、
安心という心を完全に失った精神異常者が悪霊なのです。
神にも悪魔にも与しないなどという人間を悪霊が信用するとでも思うのでしょうか。
悪魔に従いさえすれば生かしてやると言われて、嘗ての善霊が悪魔に従ったのは、
自分を滅する力のある者を前にして、自分はどちらにも従わないなどと言って放任されると、
そういう人間を一人でも許せばどういうことになるか、
それが解らない馬鹿者が神に抗っていられる訳がないことを
嘗ての善霊で知らぬ者はいなかったからです。
左翼が戦争はいけない、軍隊はいけない、憲法九条を守れと言っているのは、
悪霊に憑依されているか、憑依されるまでもない馬鹿者であるかのどちらかに過ぎません。
天上界の救いに従わない心、善を愛する心を持たぬ心を神は救えないのです。
最後の審判で悪なる魂を滅するとは、悪魔の試み、誘惑から守るのは、
自らの善を愛する心しかないことを、
神に救えない魂は、悪魔に支配されないではいられないことを、
その魂、悪なる魂を滅しないならば、天は滅びることを、神は告げられたのです。
第二部 神と人類の交流
第二章 (霊道の開かれた)古代人類に証された神の顕現と御意志、
及び真実を封印されるのも、
その解かれるべき時にそれを為すのも神である。
預言されたものを成就するは神であることを、
神の証するに時があることを、
神が現れる時、人類は悟るであろう
三節 現天上界と古代日本
(二)解かれた封印から現われた、日本民族を導き続けた神の証
ー 神が真理を封印した(神の心に生きた人々が神に従って為された)手順を辿ることで、
神(に生きる人々)が何を守ろうとしたか明らかにされた ー
1.何が封印されたのか、封印されてどうなったか。
ヘブライ語で語られたエル・ランティ様の法話が、
ヘブライ語の音と似ているだけの、意味の全く異なる歌謡、和歌になった。
エル・ランティ様に導かれて南ユダ王国から日本(倭奴(ユダ)国)に渡来したユダヤ民族に
(霊媒を通して)伝えた神(エル・ランティ様)の教え(勿論ヘブライ語)を、
サタンに導かれ偶像仏教を導入しようとした崇仏派から、
エル・ランティ様の解かれた法話(の書物)を(焼かれないように)守る為に、
大和朝廷は仏教を承認し、攻撃をかわす。
そして神によってその民であることを明らかにする時まで、
真実を守る為に、南ユダ王国の末裔であること(及びヘブライ語によって明らかにされる真実)
が封印された。
大和朝廷の指導によって、ヘブライの神の民であることを知らない民族へと、
倭奴(ユダ)国から日本に国の名前が変えられ、
言葉もヘブライ語から日本語へと何世代に亘って変えられていった。
ヘブライ語による教えを、その発音が同じでも意味はその音の日本語の意味しかない、
ヘブライ語によって伝えられた意味を成さぬ日本語による歌謡、
和歌が天皇の指導によって作られた。
西澤先生はその歌謡、和歌(すべて漢文)からヘブライの発音とした場合、
ヘブライの文字(単語)を探り出すのですが、ヘブライ語の母音操作などが為されており、
その発音から言葉が掴めない、その原因が隠蔽の際、
ヘブライ語と日本語の両方を理解するものが、
エル・ランティ様の語られたヘブライ語の母音を操作していたことを発見、
正しい言葉の下に文章を読み取る。
更にその文章も暗号化されている為に、真意を掴み取る為に、何百という歌謡、和歌を通して
エル・ランティ様が伝えられた思いが明らかになるまで読み込まれ、
エル・ランティ様が用いられた黙示形式の法則性を掴むことが出来たのでしょう。
エル・ランティ様が語られたヘブライ語による法話の真意を理解することに成功されたのでした。
2.エル・ランティ様による封印の手順
その逆が西澤先生の取った解読の手順です。
西澤先生が『古代日本と七大天使』で解読を試みられた歌謡、和歌は二百五十首に及びます。
その一例を掲載します。
その歌謡に関して、法則性を判り易く示した図と、出典元の書物の写真を文末に添付します。
それは現代まで伝えられ、日本国家となった君が代です。
この歌を国家にされた日本人は神に導かれた者に違いありません。
これを伝えることが出来るのは、本当に素晴らしいことです。
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」35頁
「日本国家「君が代」に歌われるイエス
国家「君が代」は、「和漢朗詠集」の古謡に由来し、
三番まであるという事が以前「サンケイ新聞」に掲載されておりましたが、
そのヘブライ語の訳出を紹介します。
「君が代」は、「和漢朗詠集」の古謡をそのまま国家の歌詞としたのではなく、一部分、
「わが君は」のところを「君が代は」に置き替えられたものとされています。
「和漢朗詠集」は平安時代の歌人藤原公任によって、一〇一三年頃集成されたものです。
〈和漢朗詠集七七五〉〈古今和歌集巻七 - 三四三〉
27(本書の通し番号)わが君は 千代に八千代に さざれ石の巌(いはほ)となりて
苔のむすまで
〈雜歌・皇太神宮年中行事〉六月十五日贄海(にへうみ)神事歌
28 我が君の 御坐(おはしま)さむことは 細石(さざれいし)の 苔の生(む)すまで
和加君ノ 於波志万左牟古止者 左左礼石ノ 伊波保止奈利テ 古遣の牟須万天
〈雜歌・皇太神宮年中行事〉 右 同
29 我が君の 命を請はば 細石(さざれいし)の 苔の生(む)すまで
和加君ノ 命ヲ乞ハ 左左礼石ノ 巌ト成テ 苔(コケ)ノ生(ムス)万天
「石の」は、「私達のイエス」の意味である「イシェヌ」の訛ったものと考えられるのです。
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図27、28、29参照)
27 私は、あなたの立ち向う者(ダビデ)を批判するだろう。
彼はかならず、私を決めるだろう。
(同じ)血統であるところの私達のイエス。
あなたは完遂させたしるしに、告げるだろう。
私達のこのような証言による救い主。
28 私は、私達の立ち向う者(ダビデ)を批判するだろう。
彼を悲しませるような知らせは、私はさえぎるだろう。
(同じ)血統であるところの私達のイエス。
あなたは完遂させたしるしに、告げるだろう。
私達のこのような証言による救い主。
29 私は、私達の立ち向う者(ダビデ)を批判するだろう。
あなたは傷つけられ苦悩した。
(同じ)血統であるところの私達のイエス。
あなたは完遂させたしるしに、告げるだろう。
私達のこのような証言による救い主。
「私」とは、ヤーウェ=エホバ=エル・ランティ様を指し、
「私を決めるだろう」とは、証言の内容についてのことで、
エル・ランティ様についてイエス様は証言するということです。
この予言は『天国の扉』において成就されています。
「完遂させた」はイエス様の"茨の道から復活"を指しており、
「傷つけられ苦悩した」と合わせて、
この歌謡は天上界へ昇られた霊体となったイエス様を指していることは明白です。
「引き出す」とは、霊となったイエス様に霊能者を通じて証言させる、
つまりこの世、三次元の世界に引き出すという意味です。
イエス様がユダヤ人であったことは知られていますが、
「血統である」とは、このエル・ランティ様の霊言を語られた民が、
同じ血統であることを示唆しており、古代日本にユダ部族が居住していたことを示しています。
「救い主(メシア)」とは、この歌謡にあるように、
天上界善霊の方々の霊能者を通して出される証言によるものであり、
一人の生身の肉体を持った人間を指したものではないのです。
ところで、この三首の歌謡は、おのおの一部分のみ替えられ、あとは皆同じ内容です。
しかも、互いに独立しており、相互に矛盾しない。
このことは、これら三つの小文が、意図的に作られたことを意味しています。
勿論伝承する為の手段であったことは言うまでもありません。
これはどういうことかというと、霊媒を通じてエル・ランティ様が現象(霊言)した時、
ヘブライ語の書記が居たことを示すものであると思われるのです。
おそらく長いメッセージを、おぼえやすい短文に区切り、
一つ一つの短文が誰について述べているのか独立したものとして、
一人歩き出来るよう工夫されて作られたと推定されます。
それが数千に至る数作られ少し位消滅してもビクともしないように
配慮されたと考えられるのです。」
第二部 神と人類の交流
第二章 (霊道の開かれた)古代人類に証された神の顕現と御意志、
及び真実を封印されるのも、
その解かれるべき時にそれを為すのも神である。
預言されたものを成就するは神であることを、
神の証するに時があることを、
神が現れる時、人類は悟るであろう
三節 現天上界と古代日本(「古代日本と七大天使」より)
(三) 南ユダ王国後裔の日本渡来
紀元前七〇九年以降(「古代日本と七大天使」247頁)、
ヒゼキヤ王妃ヘフジバ(サリエル元大天使本体)はエホバ神(エル・ランティ様)の命を受け、
夫(セゼキヤ王)、子(マナセ王子)、父(預言者イザヤ)に別れを告げ、日本に渡来した。
神の法を伝え、天照大神と敬われ皇室の祖となられた。
彼女に従って助けたのは、イザヤの長男、シャルヤシュブ、すなわち月読尊(つきよみのみこと)
(ラファエル元大天使本体)。
イザヤの次男、マヘル・シャラル・ハシュ・バズすなわち素戔嗚尊(すさのをのみこと)
(ギリシャ神アレス本体、アレスはウリエル元大天使本体)。
〖神への信義を通す者と神に信頼された者、神が思いを掛けてこられた者が、
神の御心に生き、神の命と信じ、応える心を以て、神に選ばれた者になるのだと思います。
天への道とは人の心を神の心へと育てるものです。
その為に神の備えた苦難の道を、天の導きと信じて歩んだ者だけが、
天に迎えられるに相応しい研磨された魂であるということ、
神の救いに選ばれるとは、神に導かれた者だけが迎えられる、
その導きとは魂の研磨に他ならないのです。
苦難の中にあって神を信じる心を失わない魂を、
求めていると天上界が言われるのは、
苦難にあって正しい心を持ち続けることの出来ない者を、
天上界に迎えることは出来ないからです。
苦難に遭って神を信じる心を失うのは何故か。
苦難から神は守ってくれなかったと、
信じる心を否定する疑う心が神の心を見失わせるのです。
病んだ心とは信じるべきものも信じられなくなる心なのです。
精神を成長させることの出来なかった者は、
自分を成長させようとされる神の思いが理解出来なかった、
自分を守ってくれると信じていたに過ぎない、
自分に執着する限り、精神の成長はない、精神の自由はない、
自分に執着する心に愛は生まれない、神の愛は伝わらないのです。
神に救われるに値する人間になるように自らを律するしかないのです。
神に救われるか否かは、神の光りの内に生きているか、
分かりやすく言えば神の法に生きているかにかかっているのです。〗
"日本渡来の背景"
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」224頁
「(イザヤ書)二十四章は、明らかに、ユダの民の島々への移住成功を喜び、讃えたものです。
一部のユダの民の日本への脱出は、預言者イザヤの生存していた時、
ヒゼキヤ王の時代と推定されるものです。
ヒゼキヤ王のユダ王国は、アッシリア王、セナヘリブによって来襲を受け、
それが失敗に帰した為、セナヘリブはダビデによって命を奪われたことは、別述しました。
そして、そのユダの民の移住は、セナヘリブ来襲前後のことであったろうと推定されます。
北イスラエル王国が、アッシリア王シャルマネセルによって滅ぼされ、
駆逐されたのが、ヒゼキヤ王の治世第六年(BC七二一年)のことで、
南ユダ王国が、セナヘリブの来襲を受けたのが、ヒゼキヤ王第十四年(BC七一三年)の時、
と旧約聖書には、記されておりますから、この一部のユダの民の日本列島への移住は、
この時期の可能性が最も高いということが言えます。
準備は、それ以前から、かなり周到に行われていたでしょうし、
セナヘリブの来襲が、ヒゼキヤ王に、或る決心をさせたとも言えるかも知れません。」
"日本渡来の開始"
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」232頁
「まず月読尊は、日本列島への移住に関し、先陣を切った方であると同時に、
島に渡った一人の証人として、イザヤやヒゼキヤ王のいる
ユダ王国本土へ帰還した人であるということです。
その故をもって、イザヤ書には、イザヤの長男シャルヤシュブ
(「残る者は帰る」の意)として記されました。
すなわち、月読尊は、預言者イザヤの長男であったのです。
ー 「その時エホバ、イザヤに言い給ひけるは
今なんぢと汝の子シャルヤジュブと共にいでて
布をさらす野の大路(おほぢ)かたはらなる上池(かみのいけ)の樋口にゆきて
アハズを迎え之に告ぐべし」…
ー 「イザヤ書第七章三節」から…
アハズは、南ユダ王国ヒゼキヤの前の王ですが、この第七章によると、
イザヤと月読尊が、アハズ王にユダ王国の危機を伝えたというものです。
そして、ヒゼキヤ王の代になって、
北イスラエルは、アッシリア王のシャルマネセルに、南ユダ王国はセナヘリブの来襲を受け、
いずれもダビデの奸計によるものであったことは前述したとおりで、
このような中で、新たなユダ王国の再建が、イザヤ一族によって叫ばれたのです。」
"月読尊について"
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」234頁
「189 〈萬葉集第十四 - 三三五一〉
本書の採り上げた歌に付けられた通し番号、〈歌の出典元〉
歌詞とヘブライ語訳
(本意を暗号化、黙示形式化されたヘブライ文と、その発音から作られた日本語の歌)
の掲載は割愛しました。
(註釈) 歌から解読されたメッセージの内容
([天上界の意志に従い、大和朝廷は
エル・ランティ様によって語られてきたヘブライ語による霊言を黙示形式にした歌に変えた。
黙示形式の解読により古代日本歌謡、和歌から現われたエル・ランティ様のメッセージ]
の註釈)
月読尊は、ユダ王国の民達と別れを惜しんだ。
彼は、一緒に旅立つ者、移住する者を秘密にした。
彼女、ヘフジバは、あなたと別れを惜しんだ。
彼は遠ざかった時、十戒を復唱した。
天上界は、月読尊を任命し、彼は、天上界の意識を通して、おのおのメンバーを割り当てた。
原文には、十戒とは、書いてはありませんが、和歌や歌謡に時折出てまいります復唱とは、
ユダの民にとっては、十戒以外考えられないので、一応十戒の復唱としています。
移住メンバーの設定は、秘密裡に行われ、
旅立ちも、ヒゼキヤ王の項で述べられている如く、極秘裡に行われたようです。
或る決められたメンバー以外は。
そして、この移住は、モーセ様の時の出エジプト、
民族大移動のような大規模なものではなかったのです。
イザヤ一族が中心となって、移住メンバーが拡大されました。
そして、月読尊率いる第一陣によって、日本列島移住の第一歩が記されます。
190 〈萬葉集巻二十 - 四四九二〉
(註釈)
「月読尊は、日本島に上陸し、生活を始めた。
ユダ王国の刈られた後に残った株である彼は、先住の島民に調べられた。
島民は、私(ヤーウェ様)の贈り物であった月読尊をひどいめに会わせた。
彼は、泣き悲しみ、あなた(ミカエル様?)は怒り、月読尊を助けた。
謙遜な彼は、島民(の悪意)に打ち勝つことが出来た。
島への上陸第一歩は、月読尊にとっては、けっして生易しいものではなかった。
以下はその内容について述べられます。
191 〈萬葉集巻十五 - 三五九九〉
(註釈)
私の豊かに肥えた島で、私達の月読尊は、先住島民によって、
私達倭奴の民が噂に聞くように、そのグループを代表する生き神として調べられた。
そのことによって、彼はヤハウェを嘆き悲しんだ。
天上界の意志、計画と共に、月読尊は踏みつけられた。
聖徳太子の時代に於ても、勿論、月読尊についての様々な伝承があり、
移住当初も生き神のように思われ、調べられた。
そして、踏みにじられたことによって、同じく傷つき踏みにじられたヤーウェ様を思い、
そのことを月読尊は嘆いた。
そして、月読尊が、島に対してどのような期待を抱いていたかが次に述べられています。
192 〈萬葉集巻十五 - 三六二二〉
(註釈)
島の所有者、民を司るのはヤハウェである(注。神自ら語られたのです)。
月読尊は、島民にヨブ
(おおよそ紀元前千七百年に最初の日本島の王として、エル・ランティ様より使命を受け、
この島へ渡来した人であること。
それは、アブラハムの後裔、ヤコブの十二人(実際は十人)の子供ヨセフらが
エジプトへ移住した時と時期をほぼ同じくしていたのです(206頁)。)
を期待した。
島民は、月読尊を中心とするグループが異邦人である為に、不正をした。
月読尊は、立ち向かって行った。
月読尊は、島はヤハウェ様の所有するものであり、昔、ヨブが渡来したことを知っていた。
それ故に、先住島民達に、ヨブのような(神に忠実な)人間を期待したのだが、
ものの見事、それは裏切られた。
島民達は、月読尊らが、外者(よそもの)であることをよいことに、不正をした。
そのことに、月読尊は、立ち向かって行ったのです。
193 〈萬葉集巻四 - 六七〇〉湯原王の歌一首
(註釈)
先住島民達は、私達グループを、強制労働させるべくして調べた。
そして、天上界によって定められたものを踏みつけた。すなわち、彼等の神を。
月読尊は、我慢出来なかった。
先住島民は、所有者である私達天上界に代って、そのすべてを月読尊になすりつけた。
月読尊らは、島民にとって異邦人である故に、強制労働が決められた。
島民達は、その定められたことによるその不都合から、
天上界によって定められたものすべてを月読尊一人に帰した。
194 〈萬葉集巻十一 - 二八一一〉
(註釈)
再建する者(月読尊)は、私の贈り物である、霊聴、霊からの声をひどく嫌った。
島民達は、月読尊を屡々だました。
強制労働から離れて彼は泣いた。
或る日、月読尊は、私達天上界の霊示、現象を行い、告げた。
意外にも、現代日本に於て、霊現象を喜ぶヒステリー霊能者の多い中で、
月読尊は、霊からの声を嫌った(偽りの神に唆されるのを恐れるからです)のです。
195 〈萬葉集巻十一 - 二八一〇〉
(註釈)
証(しる)しとなる霊現象を月読尊は行った。
そして、私の声を霊現象する彼は、それをひどく嫌った。
強制労働を終えた後、ユダの民達は、そのこと、現象の内容について論じ合った。
島へ来たユダの民達に月読尊は役割を持たせた。
月読尊の姉ヘフジバは、彼が何故に島に来たかを受け入れていた。
月読尊は、ヘフジバを中心とすることを、望んだ。
高次元の霊の霊現象は、ひどく体力を使い大変であることは、
大分以前に千乃先生よりお伺いしております。
月読尊も同じであったのです。
196 〈萬葉集巻十二 - 二九七八〉
(註釈)
強制労働は、むなしい欠陥であり、行わせる者を私は批判するだろう。
そして、神を忌み嫌う者、探らせる者、住居を突き刺させる者ダビデを私は批判させるだろう。
先見の者、月読尊は海を崇めた。
(具体的に偶像崇拝のように海を崇めたという意味ではなく、)
嘆き悲しんで海ばかり眺めていたので、このように述べられたのだと思われるのです。
そして、これが実は彼の名前となったということです。
ツクヨミは、ヘブライ語で、「彼は海に叫んだ」の意味である
ツァクヤムの母音操作したものです。
しかし、最初は、「彼は、彼らの神を叫んだ」の意味であり、
本来はこちらの意味なのですが、
イザヤ書に記す関係上、「海に叫んだ」に替えられたと考えられます。
これは、ヤーウェ=エル・ランティ様が、定められたもの、と思われます。
197 〈萬葉集巻十二 - 二九七九〉
(註釈)
涙を流すだろうとは、月読尊らの強制労働の苛酷さを物語ったものでしょう。
月読尊は、その虚しさを泣き悲しんだ。
謙遜な者達は能力以上のものを果たされた。
つまり、強制労働を、欠陥の生活として批判する、というものです。
198 〈萬葉集巻十二 - 二九八〇〉
まそ鏡見飽かぬ妹にあはずして月の經ぬれば生けるともなし
犬馬鏡 見不飽妹爾 不相而 月之經去者 生友名師
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図198参照)
胎であり、創造する者であり、先見の者であり、拠り所である彼は、私達を叫んだ。
豊かな我が恵みの島は名付けた。
彼は完了し、旅だった。
(註釈)
「異邦人としての強制労働」の意味であるこの和歌の場合の「まそ鏡」は、
月読尊について述べられていることを示す為の見出しです。
胎、創造する者、先見者、拠り所、いずれも月読尊について述べたものです。
島での彼の仕事は終わり、イザヤやヒゼキヤ王(或いは死後?)の居るユダ本国へ
帰還することになりました。
島民は、ツァクヤム、「彼は彼らの神を叫んだ」と名付けたのです。
何故、神を叫ぶことが、名前になるほど重要なのか、
ここには、後述するように月読尊のエピソードが込められているのです。
201 〈萬葉集巻十 - 二三四九〉花に寄する
202 〈萬葉集巻二十 - 四四八八〉
(註釈)
そして、私は私達のユダ(現代日本人)を批判させるだろう。
月読尊は、彼ら民の悪を静める為に神の名を叫んだ。
その神の名とは、ヤハウェではない神、名前としてのヤハウェではないヤハウェ、
再臨の救い主として起つ方、助力者による王位ミカエルの名である。
月読尊は、ミカエル、あなたを生きた。
焼く力(贖う力)を。
彼は同族の者達をせきたて、先住島民らを批判し怒り、泣き悲しんだ。
彼は、耐え忍ぶ者に施し、貧しい者を嘆いた。
「名前ではないヤハウェ」とは、
そのヤハウェという動詞としての意味「彼は成らせるだろう」の彼が、
ミカエル様を指していることを示したものです。
月読尊は、民の思いを静める為に、神の名を叫んだ。
そして、月読尊が、十戒を唱えたことは、前述しましたが、本来、神の名を叫ぶことは、
十戒の中の「汝の神ヤーウェの名をみだりに唱えるべからず」に、背くことになります。
そこで、月読尊はどうしたかというと、
ヤーウェ様の名を叫ぶ代りに、ミカエル様の名を叫んだのです。
そこで、彼は、日本島において「彼は、彼らの神を叫んだ」の意味である
「ツァクヤム」と名付けられ、六、七世紀の隠蔽政策の際、
「ツァクヤム」は母音操作されてツクヨミ、ツキヨミとして、日本書紀、古事記などに、
月読、月夜見、月弓と当て字され神話が付加され、記載されたのです。
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」274頁
「イザヤ書第六十三章は、明らかに月読尊によって記されたものです。
(イザヤ書第六十三章一一節)
ー その時、民はいにしえのモーセの日を思い出して言った、
『その群の牧者を、海から携えあげた者はどこにいるか。
彼らの中に聖なる霊をおいた者はどこにいるか。
栄光のかいなをモーセの右に行かせ、彼らの前に水を二つに分けて、
みずから、とこしえの名をつくり、彼らを導いて、
馬が野を走るように、つまずくことなく淵を通らせた者はどこにいるか。ー
(イザヤ書63 11~13)
十一節の海と、十三節の馬に注目して下さい。
この海と馬は、月読尊の名前のヘブライ語の意味「彼は海に叫んだ」の海と、
素戔嗚尊の名前のヘブライ語の意味「牧場の馬」に、対応しているのです。
そして、十二節の「自ら、とこしえの名をつくり」とは、
この二人の命名を示したものです。
この十一節から十三節は、サタンを警戒し、黙示的手法を駆使して書かれたのです。
これは島に行った二人について記しているものなのです。
島のユダの民達の中に聖なる霊をおいた最初の人は、月読尊であり、
彼らを導いて、つまずくことなく島へ渡らせた人は、素戔嗚尊だったからです。
十四節以下に、解説を試みてみましょう。( )内は、私が補足したものです。
より一層解り易くなるでしょう。
(イザヤ書第六十三章一四節)
ー 谷に下る家畜のように、主(ヤーウェ)の霊は、彼ら(島のユダの民)をいこわせられた。』
このように、あなた(ヤーワエ)はおのれの民を(島に)導いて自ら栄光の名
(再臨の救い主達による証言の場)をつくらせた。
どうか、天から見おろし、その聖なる栄光あるすみか(天上界)からご覧下さい。
あなた(ヤーウェ)の熱心と、大能とはどこにありますか。
あなたの切なる同情と憐みとはおさえられて、私にあらわれません。
例いアブラハムが我々(島のユダの民)を認めなくても、あなたは我々の父です。
主よ、あなたは我々の父、いにしえからあなたの名は、我々の贖い主です。ー
(イザヤ書63 14~16)
この十六節は、イスラエル、すなわち、ユダ本国を含むヘブライ民族が、
島へ渡ったユダの民を認めなくても、島のユダの民にとって、ヤーウェ様は父であることを、
月読尊によって切々と訴えられるものであったのです。
サタン・ダビデの「島のユダの民達を"亡き者"にする」企図により、
島のユダ王国の建設は無視されるだろうことが、
既に危惧されていたことを示すものであった。
(イザヤ書第六十三章一七節)
ー 主よ、なぜ、我々をあなたの道から離れ迷わせ、我々の心をかたくなにして、
あなたを恐れないようにさせるのですか。
どうぞ、あなたの下僕らの為に、あなたの嗣業である部族の為に、お帰り下さい。
あなたの聖なる民が、あなたの聖所(ヤーウェの島々)を獲て間もないのに、
我々の仇(島での再建は無益であると吹聴した者達)は、それを踏みにじりました。
我々はあなた(ヤーウェ)によって、いにしえから治められない者のようになり、
あなたの名をもって、唱えられない者のようになりました。ー
(イザヤ書63 17~19)
このイザヤ書六十三章十四節から十九節までは、
万葉集の三五九九番の月読尊に関するメッセージの中の「彼はヤハウェを嘆き悲しんだ。」
を裏付けるものであるということです。
四十七節が、ダビデのヘフジバに対する呪いの言葉として証拠となったように。」
"ヘフジバ(天照大神)について"
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」247頁
「ー ヤーウェ神の励まし
208 〈萬葉集巻四 - 七〇一〉
はつはつに人を相見ていかならむいづれの日にか又外(よそ)に見む
波都波都爾 人乎相見而 何將有 何日二箇 又外二將見
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図208参照)
我がシオン、ヘフジバは、彼女の弟とかき集めた方である。
揺らぐべく、私達のその時、彼らは身を隠した。
私達の血筋である島は、あなたの天幕を張った。
同族の者故の二番目の神の植え付けである。
(註解)
我がシオン、ヘフジバは、彼女の弟、月読尊と素戔嗚尊と共に、一部のユダの民をかき集めた。
ユダ王国が揺らいだその時、彼らは島に身を隠した。
私達の血の流れを汲む島は、あなたの天幕を張った。
神の導く証(しる)しの民としての、島へのヨブに次ぐ二番目の神の植え付けである。
ここで、我がシオンとは、ヘフジバを指したものであることが解るでしょう。
また、ヘフジバは、イザヤ書では次のように記載されています。
(イザヤ書第六十二章一節)
ー われシオンの義あさ日の光輝(かがやき)のごとくにいで、
エルサレムの救(すくい)もゆる松火(たいまつ)の如くになるまでは、
シオンのために黙(もだ)さずエルサレムのために休まざるべし。
もろもろの國はなんぢの義を見、もろもろの王は皆なんぢの榮を見ん、
斯(かく)てなんぢはエホバの口にて定め給ふ新しき名をもて稱(とな)へらるべし。
また汝はうるはしき冠のごとくエホバの手にあり、
王の冕(かんむり)の如くなんぢの神のたなごころにあらん。
人ふたゝび汝をすてられたる者といはず、再び汝の地をあれたる者といはじ、
却(かへ)りて汝をヘフジバ(わが悦ぶところ)ととなへ、汝の地をベウラ(配偶)ととなうべし、
そはエホバ汝を喜びたまふ、汝の地は配偶をえん、
若き者の處女(をとめ)をめとる如く汝の子輩(こら)は汝を娶(めと)らん、
新郎(にひむこ)の新婦(にひよめ)をよろこぶ如く汝の神汝を喜び給ふべし。ー
(イザヤ書62 1~5)
我がシオンとは、ヘフジバを指したものであることは、この章にも暗示されています。
近年の聖書学では、ヘフジバは、
エルサレム南部の要塞であるシオンに当てられた象徴的な名称とされていますが、そうではなく、
ヒゼキヤ王妃ヘフジバは、エル・ランティ様により、我がシオンと唱えられたのです。
新古今和歌集巻四 - 三五〇の中で、月読尊がヘフジバを預言し記したものが、
このイザヤ書六十二章でした。
これは、エル・ランティ様によって、月読尊を通して行われた霊現象と察せられるものです。
この六十二章を解り易くかみくだいてみることにしましょう。
我がシオン(ヘフジバ)の正義は、朝日の輝く如く出、
エルサレムの救いが、燃えるたいまつの如くになるまでは、
私ヤハウェは、我がシオン(ヘフジバ)のために、沈黙はしない。
エルサレムの救いの為に休むことはない。
諸々の国は、ヘフジバの正しさを見、諸々の王は、皆、貴女の島々の栄を見るだろう。
かくて貴女は、ヤハウェにて定められた新しい名、ヘフジバ(私の喜ぶところ)と呼ばれる。
また貴女は麗しき冠のようにヤハウェの手にあり、
王の冕(かんむり)の如く貴女の神の心の中にある。
人達は再び貴女を捨てられた人とは言わず、再び貴女の島々の地を荒れた者達とは言わない。
貴女を、ヘフジバ(私の喜びは彼女にある)と唱え、貴女の島々は配偶ある者と唱えられる。
ヤハウェは、彼女を喜び、ヨブの島は配偶者を得た。
若き者が乙女を娶(めと)るように、
ヨブ(汝)の子輩(こら)は、貴女(ヘフジバ)を娶った。
新郎が新婦を喜ぶように貴女の神ヤハウェは、貴女を喜ぶ。
エル・ランティ=ヤハウェ様の述べようとする意図は、
大体このようではなかったか、と思われます。」
(中略)
「「ヘフジバの正義は、朝日の輝く如く出る」。
これは、再臨の救い主達が島々に、朝日の輝く如く、千乃先生を通して現れたことを、
預言したものです。
「エルサレムの救いが、本物になるまで、ヤハウェは、ヘフジバの為に沈黙しない」。
この故を以て、エル・ランティ様は、ヘフジバを証言する和歌を残され、
私もエル・ランティ様の御意志を理解し、和歌の解説に力を注ぎ、
本書にヘフジバを取り上げている次第です。
「諸々の国は、ヘフジバの正しさを見」とは、島々が、証(しる)しとしてのユダであり、
この島々で齎される救い主達の証言の正しさを諸々の国は見るだろう。」
(中略)
「そして、この章から、ヘフジバという名称は、
月読尊が、ユダ本国へ帰還後に、与えられたものです。
ヘフジバは旅立ち後、ユダ王国では、捨てられた人と噂されたのでしょうか。
島々を荒れた者と呼んだのは、月読尊であったかも知れません。
彼が、先住島民にひどい目にあわされた人であり、島についての証言だったからです。
ダビデが、聖書に邪まな入力をした為に、
エル・ランティ様の意図が覆われてしまったことがこれでお解り頂けると思います。」
211 〈萬葉集巻二十 - 四三〇八〉
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図211参照)
私達のヘフジバ。
傷害による偽りの揺らぎに寄り私達は再建した。
彼は、私達の新開墾地を覆った。
彼は、あざ笑い、私達を激しく襲った。
そして、貴女を中傷した。
(註釈)
私達のヘフジバ。
ダビデの仕掛けた偽りの揺らぎにより、私達は倭奴(ユダ)国として再建した。
ダビデは、私達の島の新開墾地を覆い隠した。ユダ本国に於て。
ダビデは、あざ笑い、私達ユダの民を激しく襲った。
そして、ヘフジバを中傷した。
古代日本島に於ける、ユダ王国の建設はダビデが人為的に仕掛けた偽りの傷害から、
それが原因となって推進されました。
ダビデが仕掛けなければ、当時のユダ王国は、
危機に見舞われているというほどではなかったことなのでしょう
(注。南ユダ王国の危機を予見したのは、イザヤ一族による渡来開始の数十年前からであり、
天上界高次元がイザヤの子供達に転生し、
その間天上界による渡来計画が変更されなかったのだから、
南ユダ王国存続は油断できない状況下であったのかも知れません。)
旧約聖書を見る限りに於て、北イスラエルや南ユダの民達が
偶像崇拝と姦淫の民のような印象しか受けないのは、
ダビデの情報操作によるものと言えそうです。
旧約聖書を情報操作したのです。
実際に、セナヘリブがユダ王国後略に失敗して以来、
ネブカデネザルが来襲するまでには、百三十年程、経過しています。
シャルマネセルやセナヘリブは、ダビデの仕掛けさせた偽りの揺らぎだった、
ということでしょう。
列王紀略下には、セナヘリブ来襲の時、その記述の内容については少々問題がありますが、
天使がくい止めた旨の記載があります。
天上界が、働き掛け未遂に終わらせたのだと思われます。
後述する素戔嗚尊に関するエル・ランティ様の御証言からしても、
ユダやイスラエルの民は、
聖書に記述されているほど堕落した民ではなかったようにも思えます。
212 〈金槐和歌集巻上 - 二一五〉
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図212参照)
ヘフジバは、立った。
彼は、彼女の輝きを恐れ、隠し、旅立たせた。
彼は探った。ダビデは、先見の者をひどく嫌ったのだった。
(註釈)
ヘフジバは立った。
ヒゼキヤは、ヘフジバの輝きを恐れ、隠して旅立たせた。
ダビデは探った。彼は先見の明のある者をひどく嫌った。
隠して旅立たせた彼とは、夫ヒゼキヤ王のことです。
千載和歌集では、隠して旅立たせた優しい人としてヒゼキヤが述べられていますので、
この和歌の隠して旅立たせた身近な人とは、ヒゼキヤ王をおいて他にはありません。
「隠して旅立たせる」が、ヒゼキヤ王を示すポイントです。
イエス様やジャンヌ・ダルクの変貌と同様、
ヘフジバは、天から重大な使命を与えられると同時に、パワーも与えられ、
光り輝く人となったのです。
ヒゼキヤは、この光り輝く様を見て驚き畏れ、ヘフジバの言うことに聞き従い旅立たせた、
これが後に、ヘフジバはヒゼキヤに捨てられた者との風評が囁かれたのでしょう。
ー サタンの呪い
213 〈新古今和歌集巻四 - 三三九〉公猷法師
ふぢばかまぬしはたれともしら露のこぼれて匂ふ野べの秋風
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図213参照)
彼女は旅立った。(出発した。)
彼は探った、誠実なる王妃、我がシオンを。
彼は呪い、秘密にし、彼女らは覆われた。
このような、ちょうどその時、彼は私達を預言した。
(註釈)
彼女は島へ出発した。
誠実なる王妃、我がシオンを、ダビデは探った。
彼は呪い、ユダ本国で、彼女らを秘密にし覆い隠した。
このような時に、ダビデは、私達ユダの国の滅亡を預言した。
サタン・ダビデが、ヘフジバを呪ったその証拠として挙げられるものが、
実はイザヤ書第四十七章であるということです。
主なる部分を挙げ、解説を試みることにしましょう。
(イザヤ書第四十七章一節)
ー 処女なるバビロンの娘よ、下って、ちりの中にすわれ。
カルデアびとの娘よ、王座のない地にすわれ。
あなたはもはや、やさしく、たおやかな女と唱えられることはない。ー
(イザヤ書47 1)
(イザヤ書第四十七章二節)
「バビロンの娘」、「カルデヤの娘」は、いずれも「シオンの娘」とする筈のものを、
バビロン、カルデヤとダビデが変えさせた。
これは、ユダの血筋であることを暗に否定するため、
ダビデがトリノの聖骸布を偽物と決めつけたが如く、いわゆるダビデのウソなのです。
「ちりの中」、「王座のない地」、とは言うまでもなく、島々、日本列島のことです。
それ以下は、ヘフジバに対するダビデの呪いの言葉であることは判るでしょう。
ー 石うすをとって粉をひけ、顔おおいを取り去り、うちぎを脱ぎ、すねをあらわして川を渡れ。
あなたの恥は見られる。私はあだを報いて、何人をも助けない。ー
(イザヤ書47 2~3)
王妃ヘフジバに対し、かなり屈辱的な呪いを投げかけていることが判るでしょう。
(イザヤ書第四十七章四節)
ー 我々を贖う者は、その名を万軍の主といい、イスラエルの聖者である。ー
(イザヤ書47 4)
これは、ヤーウェ様を偽称するダビデ自身を述べたものです。
(イザヤ書第四十七章五節)
ー カルデヤびとの娘よ、黙してすわれ、また暗い所にはいれ。
あなたはもはや、もろもろの国の女王と唱えられることはない。ー
(イザヤ書47 5)
これは、旧約聖書結集の際、ダビデがヘフジバ達のことや、
イザヤ第六十二章(エル・ランティ様によるヘフジバについての証言)を、
前述したように覆ったことをも意味しています。
ヘフジバがヤーウェ=エル・ランティ様に従うことは、
ダビデの理屈からすれば、暗い所に入ることなのです。
(イザヤ書第四十七章六節)
ー 私はわが民を憤り、わが嗣業(しぎょう)を汚して、これをあなたの手に渡した。
あなたはこれに、あわれみを施さず、年老いた者の上に、はなはだ重いくびきを負わせた。ー
(イザヤ書47 6)
ダビデからすれば、偶像崇拝と姦淫の民を怒った。
そして、ヘフジバに一部の民を渡したが、これはダビデの嗣業を汚したというもの。
ダビデからすれば、ヘフジバ、イザヤ、月読尊、素戔嗚尊が率いた一部の民は反逆者です。
「年老いた者」とはイザヤのことでしょう。
イザヤを反逆者として、木鋸で両断させた後、
それを重いくびきを負わせた、としてヘフジバになすりつけているのです。
そして、ユダ本国に残ったイザヤに従った者達を、後述するように一掃した後、
これまたヘフジバに、あわれみをほどこさなかったとしてなじっているわけです。
ヘフジバに、島々に移住することを命じたのは、
エル・ランティ様、主なるヤーウェ様であって、ダビデは主ではないのです。
(注。事実を捻じ曲げる、真の神の愛された誠実な者に罪を擦り付け、
神が讃えた誠実な者が偽りの者の如くに、また彼等を罵る(悪魔)を神の心として記録に残す、
偽りの、捏造された歴史を伝える。
天の救いの歴史を消し去る。
天の真の思いを見失わせる、伝わらぬ心に留める。
神の預言書の中に悪魔の種を蒔き、偽りの神を神と証する。
神に導くべき聖書を以て悪魔に導くように聖書は書き換えてきたことを天が明かされた。
その証例の一つです。)
(イザヤ書第四十七章七節)
ー あなたは言った、「私は、とこしえに女王になる」と。
そして、あなたはこれらの事を心にとめず、またその終わりを思わなかった。ー
(イザヤ書47 7)
ヘフジバは、建国の祖としての女王であったし、天照大神として語り継がれてきているのです。
「これらの事、その終わり」とは、ダビデが起こす災害によって、ゴグ
(サタンを意味する言葉として旧約聖書では語られている)もろとも島を滅ぼすつもりでいた、
それを指しているのです。
(イザヤ書第四十七章八節)
ー 楽しみにふけり、安らかにおり、心のうちに
「ただ私だけで、私の他に誰もなく、私は寡婦となることはない、また子を失うことはない」
と言う者よ、今この事を聞け。ー
(イザヤ書47 8)
この節は、すなわち、ダビデがヘフジバを探ったという何よりの証拠となるものです。
ヘフジバの思い、意識を探ったのです。
「楽しみにふけり、安らかにおり」は、ヘフジバを観察していたということです。
ダビデの探っていた言葉など、聞くに耐えないものであることが解ります。
本書で紹介したエル・ランティ様の数々の霊示をご覧下さい。
人のあげ足をとるようなメッセージは何一つされていないということを。
ダビデだけは、サタン化した為に別格だったというべきです。
それでも、ダビデへの思いが、時折顔をのぞかせるのです。
この八節は、ダビデのヘフジバへの憎しみのあまり、
彼女の悲しみに対しては、盲同然となっていることが解ります。
(イザヤ書第四十七章九節)
ー これらの二つの事は一日のうちに、またたくまにあなたに臨む。
すなわち、子を失い、寡婦となる事はたとえあなたが多くの魔術を行い、
魔法の大いなる力をもってしてもことごとくあなたに臨む。ー
(イザヤ書47 9)
「二つのこと、子を失い寡婦となることは、ことごとく臨む」とは、
前述の災害による日本島の壊滅を指します。
ヤーウェ様天上界は、ヘフジバを通して、何らかの奇跡を与えたのではないかと思わせます。
それをダビデは、魔術や魔法の所為にしてしまったのです。
(イザヤ書第四十七章十節)
ー あなたは自分の悪に寄り頼んで言う「私を見る者はない」と。
あなたの知恵と、あなたの知識とはあなたを惑わした。
あなたは心のうちに言った「ただわたしだけで、わたしのほかにだれもいない」と。ー
(イザヤ書47 10)
「自分の悪、あなたの知恵、あなたの知識」とは、
暗にヤーウェ様天上界を指したものと思えます。
「私を「見る者はいない」とは、明らかにヘフジバの悲しみの言葉です。
「ただ私だけで、私の他に誰もない」とは、
なるべくヤーウェ様や天上界に頼るまいとしたヘフジバの決意を述べたものでしょう。
(イザヤ書第四十七章十一節)
ー しかし、災いが、あなたに臨む、あなたは、それを贖うことができない。
悩みが、あなたを襲う、あなたは、それをつぐなうことが出来ない。
滅びが、にわかにあなたに臨む。あなたは、それについて何見知らない。ー
(イザヤ書47 11)
これは、ダビデが、災害や滅ぼしを企んでいることを述べたものです。
例のゴク(サタン)と共に。
(イザヤ書第四十七章十二節)
ー あなたが若い時から勤めて行なったあなたの魔法と、
多くの魔術とをもって立ち向かってみよ、或いは成功するかも知れない、
或いは敵を恐れさせるかも知れない。ー
(イザヤ書47 12)
これは、ヘフジバが、(霊能者)イザヤの長女であったこともあって、
若い時から、天上界の守護にあずかっていたことを述べたものでしょう。
天上界と共に、ダビデに立ち向かって見よ、ということなのかも知れません。
214 〈萬葉集巻十四 - 三三八八〉
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図214参照)
新開墾地は島故に、隠された。
彼等は唱えたように、彼女の島で大きくなった。
彼らは立った。彼らは清かった。
すなわち、島は植えられた。
彼らは、私達を相続した。
(註釈)
その再建の島新開墾地は、島である故に、隠された。
ユダの民達は、再建を唱えたように、ヘフジバの島で大きくなった。
彼らは立った。彼らは清かった。
すなわち、島にユダの民達は植えられた。
彼らは、私達ユダ王国を相続した。
再建は、ヘフジバ素戔嗚尊の時には、実現しませんでしたが、
子孫たちがそれを実現させ、古代中国史書「後漢書」等に、
倭奴(ユダ)国として記載されたことは前述したとおりです。
215 〈萬葉集巻十四 - 三三九二〉
筑波嶺の石(いは)もとどろに落つる水世にもたゆらにわが思(おも)はなくに
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図215参照)
あなたの島は揺らぎ、私達は減った。
彼は取り去った。降り懸からせる者は彼らを虐待した。
彼は、私達をなすりつけて隠した。
すなわち、私は批判させ、消え去らせるだろう。
私達は打ち倒された。
(註釈)
あなたの島は、事件で揺らぎ、私達、島のユダの民の数は減った。
ダビデが取り去った。降り懸からせる者は彼ら、ユダの民を虐待した。
ダビデは、私達に反逆者の汚名をなすりつけて、ユダ本国に於いて島を隠した。
すなわち、私はダビデを批判させ、消滅させるだろう。
ユダの民は打ち倒された。
ヘフジバの島は、ダビデがけしかけたことにより、揺れた。
おそらく、その時の争いで島へ移住したユダの民の数が減った。
また、ダビデのけしかけによって打ち倒された者が多く出たということです。
そして、その時の状況を記して、ユダ本国に宛てた、ヘフジバの書簡が、
実は、日本古謡「さくらさくら」でした。
事件の落着後、月読尊はユダ本国へ向かって島を離れますが、その時に、
この「さくらさくら」の書簡を、ヘフジバは月読尊に持たせたと考えられます。
但し、この書簡は、ダビデによって隠滅された可能性が高い。
(注。天上界が土田展子さんに口述筆記させ、現代の使徒と目された人々に宛てた
「最後の警告」が悉く紛失させられたのと同じです)
216
〈日本古謡〉さくらさくら
桜 さくら
弥生の空は
見渡す限り
霞か雲か
にほひぞ出ずる
いざや いざや
見に行かん
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図216参照)
彼らは、無益を偽りました。
ヤーウェよ、私達の島は、あなたを抜き取りました。
彼らは、減りました。
彼らは消え、離れ去りました。
イザヤの血筋の島々、砦の島々の住まいで、
王座はだれかあなたの起つ方の如きです。
とどまったイザヤは、注意して下さいますように。
(註釈)
(以前、『JI』誌で、「さくらさくら」の訳を紹介しましたが、
前述したように、当時の状況は、以前の訳出のような甘いものではなく、
より厳しい状況であったことが、改訳を決定させました。
単語の選び方が甘かったのです。)
そして、この「さくらさくら」も、他の和歌同様、倭奴(ユダ)国の隠蔽政策によって、
現行の歌詞に変えられたものであることも改訳の一因となりました。
その隠蔽の方法は、他のエル・ランティ様の数々の黙示である和歌、歌謡と同じであり、
その手段が適用されたのです。
ポイントとなるのは、「島」という意味の「い」についてです。
ヘブライ語文を隠蔽する際、単に母音の場合は省略されることが多いと述べましたが、
この島の意味である「い」に関しては、
その対象とならないことは、言うまでもありません。
省略したら、島を表現するすべを失うからです。
そして、ほとんど多くの場合、島の意味である「い」は、母音操作されず、
そのまま用いられています。
いは、三人称単数の未完了形動詞の接頭辞として用いられる場合もありますが、
これはきわめて稀なのです。
そして、この「い」は「さくらさくら」には、固有名詞のイザヤのイを除いて、三度出てきます。
これは、すべて、島を表わしたものなのです。
「さくらさくら」は、曲としても有名ですが、
歌詞は、本書で紹介したものの中では、最古のものです。
(ブライ語文による書簡の)内容は、女王ヘフジバ天照大神によって書かれたものですから、
紀元前七〇〇年前後のものと推定されます。
(中略)
そして、この「さくらさくら」の伝承が、二十世紀の今日まで、受け継がれてきたということは、
現日本国皇室が、女王ヘフジバの倭奴(ユダ)王国を継承してきたことを示す傍証となるものです。
仮に、為政者が交代すれば、「さくらさくら」は、遠の昔に隠蔽された筈のものだからです。
また皇室が、天照大神を祖としたことは、古事記、日本書紀に示され、
日本古代史の定説であり、常識となっています。
皇室が、その流れを汲むものならば、日本国民もまた同様です。
(中略)
それでは、「さくらさくら」の訳をかみくだいてみる(解読する)ことにしましょう。
彼らは、島での再建、建国が無駄であり無益であるかのように吹聴しました。
ヤーウェよ、私達の島は、あなたを抜き取ったのです。
島に渡ったユダの民の数は減りました。
(注。現代にあって亡国を目論む左翼は、労働に役立つからと、
彼らの仲間である破壊的シンパやテロリストを日本に迎えるべきだと主張しているのです。
ユダ民族がイスラエルから逃れざるを得なくしたのは、
神を憎み、神の計画を破壊することに賭けたダビデが、
他国の王にイスラエルの侵略をかしかけ、神の選民を迫害する為であり、
苦難に耐えて移住した土地に於ても迫害の手を緩めなかったのです。
そのことが神によって明らかにされて、神に生きた先人の心を知らされても、
(かつて日教組が子供の自由を、自主性を守れと言って、
精神の成長を奪い、彼らのようなエゴイストの蔓延る国にしたように)
似非平和主義者の左翼は日本国を破滅へと導こうとしていることにも気付かないでいる、
それが何を意味するのか、解らないのでしょうか。
世界が共産化されれば平和になると盲信し、
共産主義者の心には理解されようもない、先人達の信じ愛してきた、心の支えにしてきた、
あらゆる良きものを蔑視する、破壊しようとする。
その者達を支配してきた存在を、神が明らかにされたのです。
それでも自分がどうあるべきか判らないのでしょうか。)
彼らは、私達から離れ去り、消えました。
イザヤの血筋の島々であり、砦の島々のこの住まいで、
私の王座は、だれかあなたの起つ方(ミカエル様)のようです。
ユダ本国に留まったイザヤよ、注意して下さい。
これは、先住島民との争いだけではなく、
島へ渡ったユダの民の中での内わもめが起こったのだが、
その主な原因は、島での再建は無駄だと、吹聴した者があったからです。
その出所は、ダビデであって、
労苦の民に不平不満をつのらせ、その方向へ持って行ったのでした。
その民を抜き取ったことは、
ヤーウェ様(の意志)を(人々から)抜き取ったことに等しいのです。
「起つ方」とは、ミカエル様を指していますが、
「王座は、だれかあなたの起つ方の如き」とは、
前掲イザヤ書第四十七章一節の中のダビデの言葉、
「カルデヤびとの娘よ、王座のない地にすわれ」に対する返礼として、
エル・ランティ=ヤーウェ様が、敢えてヘフジバに書かせたものなのです。
ダビデが四十七章の霊示を出したことを、ヘフジバ自身は知らなかった筈だからです。
この四十七章は、紀元前七〇〇年頃、ヘフジバが旅立った後、
イザヤ以外の霊能者を使って、ダビデが霊示したものだからです。
「ミカ」は、「だれか~の如き」の意味ですが、
このミカは、「霞みか」の「みか」であり、ミカエル様のミカを暗示したものです。
それ故に、ヤーウェ様は、ヘフジバに
「王座は、だれかあなたの起つ方の如き」と表現させたのです。
(中略)
この島の揺らぎは、イザヤ書にも記されているのですが、
ダビデが覆った為に、一見して解らないものになっているのです。
(イザヤ書第六十三章七節)
ー 私は、主が我々に為されたすべてのことによって、主の慈しみと、主の誉れとを語り告げ、
また、その憐みにより、その多くの慈しみによって、イスラエルの家
(この名称はダビデによって変えられたもので、実は島のユダの家のこと)
に施されたその大いなる恵みを語り告げよう。
主は言われた、「まことに彼らはわが民、偽りのない子らである」と。
(ヤーウェ様が清い民と述べられておられることと合わせ、
この主とは、ヤーウェ様その方を指していることが解ります。)
そして、主は彼らの救い主となられた。彼らのすべての悩みの時、
主も悩まれて、そのみ前の使(天使)をもって彼らを救い、
その愛と憐みとによって彼らを贖い、いにしえの日、常に彼らをもたげ、彼らを携えられた。
ところが彼らは背いて(島の再建が無益でることを吹聴したこと)
その聖なる霊を憂えさせたので、主は翻って彼らの敵となり、自ら彼らと戦われた。ー
(イザヤ書63 7~10)
この情報は、月読尊によってユダ本国へ齎されたものであり、
この書記は彼だろうと考えられます。
これは、ダビデが島を覆った一例です。
何故に、イスラエルとしたかは後述します。
そして、次の和歌は、その当時のユダ本国の状況を述べています。
217 〈萬葉集巻十四 - 三三九三〉
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図217参照)
そして、彼は私達を告げる者をつかまえた。
彼らが見えなくなったことにより、彼は満たされた。
彼は、彼らの島を覆い、彼らを服従させた。
彼は、砦を全滅させた。
彼は、私を飛び去り、計った。
(註釈)
そして、ダビデは、私達天上界を告げる者イザヤをつかまえた。
イザヤに従う者達が居なくなったことにより、ダビデは満足した。
ダビデは、彼らの島を覆い(前出イザヤ63章(月読尊の項に記載)のように)、
イザヤに従う者達を服従させた。
ダビデは、ユダ本国の我が砦を全滅させたのだ。
ダビデは、私を飛び去り離れて計った。
ダビデが、イザヤをつかまえると、木鋸で両断させたことは前述しました。
そして、その後イザヤと共に隠れ山に籠っていたイザヤに従う者達を服従させたわけです。
これはヒゼキヤ王亡き後のことで、十二歳で即位したマナセ王が、
即サタンの住みつく者となったことは、旧約偽典「イザヤの殉教と昇天」の記すところです。
その臣下の者達までが、サタンの憑依する者となったことをも記しています。
十二歳という年齢が、サタン・ダビデの試みや惑わしに、
打克てる年齢ではなかったことは言うまでもありません。
イザヤの処刑を、ダビデは、マナセ王を通して行わせたわけです。
こうして、イザヤ書を覆う下地をダビデはつくったわけです。
また、五世紀キリスト教会の正典結集の折、
「イザヤの殉教と昇天」を典外書としたのはダビデの計いであることも判ります。
218 〈催馬楽(さいばら)四二〉藤生野(ふぢふの)
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図218参照)
彼女は、そのエル、高ぶる者の命令をひどく嫌った。
そして、彼女は、神に相応しい人を生きる者をたてた。
島がきせられたその時、彼は事を計った。
彼は略奪し、押し広げた。
彼は、私達を突き刺した。
私は、神に立ち向かう者を指し通すだろう。
(註釈)
彼女は、そのエルである高ぶる者ダビデの命令をひどく嫌った。
そして、彼女は、神に相応しい人(ミカエル様)に生きる者(月読尊)をたてた。
島が反逆者の集まりとして濡れ衣を着せられた時、彼ダビデは事を計った。
彼は、ユダ本国を略奪し、勢力範囲を押し広げた。
ダビデは、私達を突き刺した。
私は、神に立ち向う者ダビデを突き通すだろう。
ダビデは、ヘフジバにも屡々現われ命令を出したのです。
そして、女王ヘフジバは、弟である月読尊を前に出し、たてた。
ダビデは、島へ移住したユダの民を反逆者とし、ユダ本国で事を計った。
島での再建に同意見の人達を略奪し、服従させ、勢力を広げたのです。
219 〈萬葉集巻二十 - 四三六九〉
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図219参照)
彼らは、彼のその子孫である私達を熟知した。
ユダは、形造った。
私達を襲わせる者は覆った。
同族の者である彼らは、心に留めた。
(註釈)
島のユダの民達は、モーセの子孫である私達を熟知し、ユダの国を形造った。
そして、私達を襲わせる者であるダビデがユダ本国で島々のユダの民を覆ったこと。
これらを、島のユダの民達は、心に留めた(記憶した)。
220 〈催馬楽(さいばら)三〉 高 砂
高砂(たかさご)の さいささごの 高砂の 尾上(をのへ)に立てる 白玉(しらたま)
玉椿(たまつばき) 玉柳(たまやなぎ) それもがと さむ 汝(まし)もがと 汝もがと
練緒(ねりを)染緒(さみを)の 御衣架(みぞかけ)にせむ 玉柳(たまやなぎ)
何(なに)しかも さ 何しかも 何しかも
心(こころ)もまたいけむ 百合花(ゆりばな)の さ百合花の
今朝(けさ)咲(さ)いたる 初花(はつはな)に あはましものを さゆり花(ばな)の
又説「あはましむのを」
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図220参照)
私達の高慢なあなた(ダビデ)は襲わせるだろう。
偽る彼は、私の園を略奪させた。
すなわち、私達が待つべく、汚れた変質した者、災いのダビデである。
彼は、戦いをいどみ全滅させた。
麗しい者をひどく嫌った。
名声の揺らいだ君主。
だます者であるあなたは溶かした。
灯、すなわち、証言に預かる方を。
降り懸からせる者である貴女の声は、屡々彼らをだました。
あなた方の島が揺らぐことにより、告げられる者としての立ったところの彼の子孫を。
彼女は、私達の再建の火をともしたところの私達の再建の光である。
労苦を語る彼女の王位。
彼の子孫、ヘフジバである。
彼女の祖父、モーセは、私達の再建の火をともしたところの彼女を証言する方である。
(註釈)
「溶かした」とは、別稿で、霊体の消滅を指すことは述べました。
その霊とは、かつて灯であって、証言に預かる方である、
つまり、ヘフジバ天照大神のことです。
私自身は、一九七九年~八〇年にかけての間に、
天照大神は、ダビデに消滅されて霊体としては、存在しないことを
天上界千乃先生から伺っておりました。
この方は既に、六〇〇年頃の隠蔽政策の時期にはもう霊体としての存在は無く、
彼女の偉業を讃え、天照大神として伝承されてきたのです。
サタン・ダビデに呪われ、命令をさせられ、挙句に殺される。
霊体の消滅まで、その一生は悪夢の生涯だったとさえ思わせます。
(注。イザヤもまたダビデによって消滅されたことをミカエル様は伝えられましたが、
神々から愛される者に嫉妬し、神の愛するものを不幸に、破滅に追いやる、
神の愛の無力を知らしめることで、支配欲を満たしたのがダビデでした)
ダビデがイザヤ書47章8節に「安らかにおり」と述べているところから、
幸せな一時を持っていたことは伺い知ることは出来ますが、
月読尊や素戔嗚尊が、彼女を嘆き悲しんだように、そして、ヤーウェ様が述べられているように、
それは、労苦と苦難の生涯だったことは間違いないようです。
モーセ様とヘフジバの関係は、祖父と子孫であり、
その故をもって、モーセ様が、ヘフジバ天照大神を、
今世紀の再臨の救い主達の証言の一つとして述べられた訳です。
『天国の扉』のモーセ様の章を読者はご覧下さい。
モーセ様が、天照大神について証言されておられます。
すなわち、この歌謡の預言は成就されたことになります。
ただし、『天国の扉』でのモーセ様の証言はサタン・ダビデが存命中のものでしたから、
警戒したことと、ダビデによる消滅は失敗であったと見せかけ、欺く為、
今もなお天照大神が居るかのように証言されたのです。」
〖備考1
ヘフジバの合体霊はサリエル元大天使でした。
ヘフジバへの迫害に、彼女の心の中で、共に苦しみ、彼女を支えたのであり、
ヘフジバを迫害したダビデ(エル・カンタルーネ王)はサリエル様をも迫害していたのは
言うまでもないことでしょう。
サリエル(レイナ・エル・カンタルーネ)様は今生に於いてダビデの娘でした。
肉体に於ても霊体に於いてもダビデに迫害され殺されたヘフジバは、
サリエル様にとって愛する我が子そのものであったことでしょう。
神に愛され、神の御意志に生きた神々の娘を殺す者が、
親族故に天上界にいることは耐え難いことであったに違いありません。
善を語って善を為さない(偽善)者を天上界は許されません。
職務であるところの義務に反することを為す者が許されないのはこの世ですらそうでしょう。
天にあっては申すまでもありません。
国民(仲間に対しても同じ)を守るべき立場の者が、その立場を利用して悪を為す、
国民に危害を加えることで、自らを利する。
そのような者は偽善者以上に許されざる者でしょう。
親が子供を迫害する、まして親に逆らえないような精神に追い込んでの迫害などは鬼畜の業です。
天上界は(人を導くに値しない)盲が、
(道に迷う)盲を(サタンの道へと、滅びへと)導くを許さない、
かつては人類を守ろうとした善霊が、ただ自分を守りたい一心(既に悪霊と変らない)から、
人類に地獄の苦しみを与えんとする悪魔に魂を渡す、
善ある神を裏切った善霊は、悪霊以上に罪が重い、救い難い魂であるのは当然でしょう。
(国民を守るべき自民党が、中共の利を計り、報酬を受け取る。
キリストを銀貨30枚で悪魔に売ったユダと同じことをしているのです。
悪魔に魂を渡した者は、見るに堪えないほど醜いことを為す。
己の魂に比べて無に等しいようなものを得る為に、
自らの魂を滅ぼそうとしていることも解らない、
悪に抗する力を、善を欲する心を失ったのでしょう。備考1終〗
〖備考2
皇室の祖は天照大神であり、女性でした。
しかもそれを立てられたのが唯一の神、ヤーウェ=エホバ神であられた。
(ヘフジバ(天照大神)は夫と子を南ユダ王国に残してこられたので、
現皇室は彼女の子孫ではありません。)
天皇が男性でなえればならないというのは、少なくとも神が決められたことではない。
これまで男性が天皇で在られたのは、天皇がそうしてきたのである。
男性でなければならないと神に言われたわけではない。
天皇がそうすることを神が許してきただけである。
神が許されている天皇のされることに、国民が口を挟むのは神を軽んじる者です。
敬う心のない者に、神も天皇も存在しないに等しい。
敬う心があれば、神が、天皇が望まれるようになることが喜びになるのではないか。
天皇が皇位を誰に譲るかは自由
〖天皇家の血筋を守る意志に基づいて為される限りに於いてです。
そうでない場合がある、天皇と雖も悪魔から安全である保証はないからです。
高橋信次氏の娘である佳子さんの合体霊は、女王卑弥呼
(王から天皇に名前が変ったのは聖徳太子の時代からだそうです)
であり勿論善霊であったのですが、サタン・ダビデから佳子さんを守ることも、
自分自身を守ることも出来ませんでした。相手がサタンでは無理からぬことです〗
であるべきではないか。
仮に長男が自分より次男が(長女が)人格が優れているから、天皇になるのが相応しいと、
その性格を天皇家に遺伝していきたい思い、
天皇がその思いに同意すればそれで良いのではないかと私は思うのですが。
昔のように誰も天皇の御人格など知らないで済む世の中ではないのだから、
人望がなければ、天皇になる者も、天皇を戴く国民も不幸である。
天皇が次の天皇を決めるのが相応しいのではないか、
そのような皇室を頂くことに不満を抱く人は皇室を信じていないのではないか、
天皇は男性でなければいけないという人が天照大神を、彼女を立てられたエル・ランティ様を、
その信義に生きられた真に高貴な御人格を愛する心があるのか疑わしく思われるのです。
備考2終〗
"ヘフジバ(天照大神)について"終
"素戔嗚尊(すさのをのみこと)について"
素戔嗚尊の合体霊は、ギリシャ神話のアレス、
素戔嗚尊の本体は、源義経(その兄にあたる頼朝の合体霊は、月読尊でした)、
そして土方歳三です。どちらも日本人であり、傑出した武人でした。
月読尊の本体は源頼朝のみのようです。
ヘフジバのようにダビデに殺害されているのかも知れません。
「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」269頁
「229 〈新古今和歌集巻六 - 六一五〉
笹の葉はみ山もさやにうちそよぎ氷れる霜を吹くあらしかな
230 〈新古今和歌集巻十 - 九〇〇〉
ささの葉はみ山もそよに亂るなりわれは妹思ふ別れ來ぬれば
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図229・230参照)
229
彼は、労苦であるところの事を計った。
彼は、受け容れ、知らせと定められたものを漏らした。
妬みであるところの彼(ダビデ)は呪った。
230
あなたの素戔嗚尊は、彼らの神ではない。
救い主が、一族による私達の神である。
私達は日に晒すだろう。すなわち、あなたのエル、同族の者を(ダビデを)。
私は消え去らせるだろう。すなわち、ひどく妬み企む者を(ダビデを)。
(註釈)
何故、この霊示が出され語られたかというと、
これは、六、七世紀の聖徳太子時代の倭奴(ユダ)国では、
素戔嗚尊が、かなり神格化された存在となっていたことを示したものです。
キリスト教会に於て、イエス様が必要以上に神格化され、
人間ではないかのように盲信されているように、
素戔嗚尊に於ても、これと似た現象が起こっていたのです。
後述するように、彼の武勇伝がそれを助長させる誘因となったろうことは
想像に難くないところです。
移住の為のプロジェクトは、労苦を伴うものだった。
携帯する食糧はどの程度必要か。急病やけがに対する処置はどうするか。
部落を通る時、襲われた場合どうするか。武器は何を持つか。
島へ渡る場合の舟はどうするか。等々 … 。
そして、天上界によって定められたものを民達に素戔嗚尊は漏らすのですが、
それを知ったダビデは、彼らを呪った。
この天上界によって定められたもの、とは、証しとしてのユダの再建を行ない、
ゆくゆくは再臨の救い主達が再建の島々で証言することを指したものではないか、
救い主達の末法の世での証言は、
既にこの素戔嗚尊がユダの民達に知らせる段階で定められていたものである、
それ故のダビデの怒りであり、呪いであったと推察することが出来ます。
231 〈萬葉集巻十 - 二三三七〉
小竹(ささ)の葉にはだれふり覆(おほ)ひ消(け)なばかも忘れむといへば
益(ま)して思ほゆ
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図231参照)
その一族は、彼を怒った。
彼らは、彼女を覆った。
彼らは、あなた方を預言した。
そして、彼らは彼らを離れた。
証(しる)しである島は、サタンから身を隠した。
その神は同族の者である。
(註釈)
この和歌では、島への極秘裡の移住についての理由が述べられています。
素戔嗚尊の一族は、ダビデを怒った。
彼らは、貴女ヘフジバを覆った。
彼ら一族は、島に再建の倭奴(ユダ)王国を預言した。
そして、彼らは、ユダ本国から離れ、島へ移住した。
証(しる)しである島は、サタン・ダビデから身を隠した。
ユダ本国から島への移住が極秘裡に進められたのは、
その計画がサタンの息吹きのかかった者達によって、掻き回され、
灰塵に帰することを警戒した為です。
従って、天上界では、その可能性の少ない者達を、素戔嗚尊に選ばせたのです。
ユダ本国に於いて。
この作戦は成功し、移住は成し遂げられ、再建に向けて計画は着々と進んだのです。
このことにダビデは怒った。
移住プロジェクトメンバーの中には、ダビデに振り回される者が居なかったので、
ダビデはこの計画を破壊することが出来なかったのです。
そして、ダビデは島へ移住したメンバーを探る。
その後、ダビデは、移住者や同意見の者を反逆者と見做し、
無き者とするべくユダ本国に於いて企んだ訳です。
島への移住者達によって、計画は徐々に軌道に乗る。
そして、その計画が島で着手され、進んでいることを証言する証人として、
月読尊のユダ本国への帰国が決定すると、またまたダビデは怒ったのです。
再建の移住者達を無き者とするダビデの計画が壊されるからです。
そして、ダビデの島での破壊活動は、
島へ移住したユダの民に、島での再建は無意味であるかのように吹き込み、吹聴させ、
島のユダの民達の分裂を計ったこと。
そして、どうもこの時に素戔嗚尊は、武勇を発揮したらしい。
その時の素戔嗚尊の証言が、月読尊によってユダ本国へ齎され、イザヤ書に記されたのです。
232 〈金槐和歌集巻中 - 四四七〉
うき沈(しづ)みはては泡とぞ成(なり)ぬべき瀬々の岩浪(いはなみ)身もくだきつつ
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図232参照)
計画であるところのその時、彼はあなたを向かわせた。
恐れられるあなたは望まれた。
新開墾地は切り開かれた。
素戔嗚尊は、欠陥から離れ、天幕を張った。
彼は、翼である貴女にひざまずいた。
(註釈)
計画の中の或る時期に、モーセは素戔嗚尊を島へ向かわせた。
恐れられる素戔嗚尊は、島へ行くことを望まれた。
島の新開墾地は、切り開かれた。
素戔嗚尊は、諸々の性格上の欠点を矯し、島に彼の天幕を張った。
彼は、翼である貴女(サリエル大天使(当時))にひざまずいた。
素戔嗚尊は、その彼自身への能力を買われ、
天上界から、島への移住と再建を望まれた。
そして、島へ足を踏み入れ天幕を張る。
そしてヘフジバに合体していられたサリエル様にひざまずき、従うことを誓う。
233 〈金槐和歌集巻中 - 四四八〉
山川の瀬々の岩波わきかへりおのれひとりや身をくだくらん
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図233参照)
野営する者としての日々、素戔嗚尊は彼らの天幕を張った。
そして、あなたの声は怒った。
彼は悩んだ。彼等の神、真新しい若枝を。
そして、貴女にひざまずき、彼は滞まった。
(註釈)
旅の途中で、素戔嗚尊は、同行のユダの民の天幕を張った。
そして、あなたの声、ダビデは怒った。
彼は悩んだ。
彼らの神が居る真新しい若枝であるヘフジバの時折発するダビデの命令に。
そして、彼はヘフジバにひざまずき、島に滞まった。
素戔嗚尊が旅立った頃から、ダビデは妨害を始めており、
それは、屡々、ヘフジバ、月読尊、素戔嗚尊の声となって現れた。
ダビデが、屡々ヘフジバに現れて、命令を発し、
月読尊や素戔嗚尊らを、戸惑わせ、悩ましたことは、
〖218〈催馬楽(さいばら)四二〉藤生野(ふぢふの)〗に述べられています。
ダビデのその霊としての力が、個人の力で抗しきれるものではないことを、
示したものです。
しかしながら、素戔嗚尊は、サリエル様が合体していられたヘフジバにひざまずき、
島に滞まることを決める。
234 〈萬葉集巻十四 - 三三九〇〉
筑波嶺にかか鳴く鷲(わし)の音(ね)のみをかなき渡りなむあふとは無しに
[ヘブライ語訳] (語文、発音は図234参照)
あなたの声は、彼を屡々打った。
彼は、子孫達を憎んだ。
すなわち、彼は彼女を妬んだのだ。
そして、彼は、姉を告げた者を探った。
(註釈)
あなたの声(ダビデの声)は、屡々素戔嗚尊を打った。
ダビデは、モーセの子孫達を憎んだ。
つまり、ダビデは貴女ヘフジバを妬んだのだ。
そして、ダビデは、姉ヘフジバを告げた者月読尊を探った。
彼らは、島に、ヨブに次いで二番目に天幕を張った人達である。
ヘフジバや月読尊を通じて出てきたダビデの声に素戔嗚尊は、屡々打ち付けられた。
これは、素戔嗚尊を贖い生かす打ちつけの言葉ではなく、彼を殺す言葉だった。」
"エル・ランティ様からのメッセージ"について(特に重要と思われるものを掲載する予定です)
(エル・ランティ様に導かれた霊能者を通して伝えられた)
メッセージを如何にして隠蔽するか、
その為の方法とは、メッセージをある法則の下にまったく別の意味の文章に変える、
勿論その法則も見破られるものであってはならない。
その法則が理解されれば、元の文章に戻すことが出来る。
その法則を知る者は、天上界の下その隠蔽作業に導きに従った、
ヘブライ語と日本語を理解した者だけであり、
ヘブライ語が日本から一掃されてからは、この日本にその事実
(エル・ランティ様のメッセージが存在したこと、それを守る為に隠蔽した理由)
を知る者はいない、それを知るのは過去から生き続ける現天上界だけであり、
その封印した内容、その事実をこの世から消し去られ、
誰一人それを知る者がこの世にいなくなっても、
永遠を生きる天上界から消すことの出来るものはいない、
天上界に隠蔽され守られてきたものが、再びこの世に齎される、
隠蔽された遠い昔に残されたメッセージであることは、
その為に変換されたメッセージであるところのものが、
歌謡であり和歌(萬葉集や古今和歌集、その他)であることから、
古代日本人に語られたものであることが証明されるのです。
歌謡、和歌の内容から、エル・ランティ様の本来のメッセージに蘇らせる、
その法則を伝えるべき人が天上界によって選ばれ、天上界によって解読を導かれ、
エル・ランティ様のメッセージはサタンに歪められることなく、
天の下に導かれた人々の知るところとなる。
日本民族が現天上界に守られてきた、神の心に生きる民であることを、
神の国を作る為に神と共に立ち上がるべき時が来たことを知る為です。
西澤主宰が、エル・ランティ様のメッセージを解読されたのは、
エル・ランティ様が自らの生命を以てダビデを消滅されてからのことであり、
自ら解読を試みられてきたことは『古代日本と七大天使』で明らかにされていますが、
聖書に於ける黙示形式を知る天上界の方の働き掛けはあったことでしょう。
ヘブライ語を日本語に変えたのですから、日本語に長けた人たちであったのは間違いありません。
天上界の高次元の方々は、自らが古代日本に於て合体された方が多く、
そうでない方も、二十世紀の日本に於て日本語でメッセージをされており、
今生においては日本語など知る由もなかった方が、霊体になってから学習されたのでしょうが、
その知能の高さはずば抜けていることが解ります。
『古代日本と七大天使』を読もうとされない人にも、
知っておいてほしいと思うメッセージを選んで、転載する予定です。
(尚、西澤主宰の解読の鍵となったその隠蔽の法則ですが、
十分に理解した後、解り易く表現できるものとなったら、記載したいとは思っています。)
(2025.8 続く。)




天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- エッセンス・目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義者とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 二節 国家を破壊する共産主義
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 三節 共産主義に洗脳されたイスラム教は、宗教とは名ばかりのテロである
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 四節 共産主義の本質
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 五節 イデオロギーの狂信者
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 六節 イデオロギーと精神
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 七節 共産主義(悪魔のイデオロギー)誕生の背景
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の許に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様