第二部 神と人類の交流
第三章 神の心、神の愛
五節 この方を神と認められぬ者の信じる神とは如何なる人格を持つものか
「慈悲と愛」80年3月号20頁 千乃先生談話
「エル・ランティ様は霊視でお見受けすると、内気で礼儀正しく、ユーモアを解する、
しかしお笑いにはならない(ニコニコされるくらいの)紳士です。
いつもお話しする度に暖かいお心が感じられ、大好きな方です。
あまり背はお高くなく、中肉中背で、「天国の証」のプロフィル(霊視による肖像画)
は公式用の 瘦せた感じですが、実際は丸顔にも見えるしゃもじ型のお顔で
如何にも科学者といった感じなのです。こちらの方が本当のお姿だそうです。」
「ダビデは瘦せて、丁度イランのホメイニ師に似た細面で、
私はその二心を隠しての擬態に過ぎない話し方といい、印象といい、直感的に嫌い抜きました。」
「JI」82年2月号22頁 千乃先生談話
「これらの(天上界に反旗を翻し、消滅を宣告された)方々は戸張千恵子氏が
エル・ランティ様の合体で後継者だと言ったので、それを信じて集まりました
(勿論、背後に悪霊の跳梁があったのは言うまでもないことですが)。
エル・ランティ様は本当は、ダビデの責任を取り自殺されたのです。
天上界では動揺を避けて黙っておられましたが、真実はそうです。
エル・ランティ様の合体など(と言う者は)悪霊に決まっているのです。」
「JI」82年1月号表3頁 千乃先生談話
「天上界が動揺を憂い極秘にされた、
実はエル・ランティ様はダビデ消滅の為、共に燃え盡きられたという事実も知らない
(戸張氏はエル・ランティ様の本体であると名乗り、自分こそが真の後継者であると正法者を唆し、
千乃正法グループから離反させた)、悪霊の操り人形でしかないのです。
土田展子さんも以前"エル・ランティ"、"ブッタ"などと言われ、
後にそれがダビデの増上慢を狙う手段と判明しました。
名誉欲と権力志向の人間は戸張氏のように直ぐに信じたがるでしょうね。
消滅宣告者全員が賞賛願望と顕示欲と甘えの持ち主でした。」
「JI」82年2月号31頁 千乃先生談話
「エル・ランティ様が亡くなられたのは、『天国の証』に一章を書かれた時期ではなく、
実はその翌年、一九七九年の春に、サタン・ダビデが不死身の様に生き伸びていたのが、
東京の集いの霊能者を襲撃したことで判明しました。
その時共に燃え盡きられたのです。
再びその生存を許さない為に ー 天上界は失うべきでない方を失いました。
天の悲しみも知らずに売国奴である共産主義者とそのシンパと、
無責任なマスコミは言いたい放題やりたい放題!
彼等への裁きは、イエス様の十字架の死よりももっと長く続く苦しみと非業の死から、
永遠の死に繋がる地獄、希望無き未来の形をとるでしょう。」
「天の奇蹟 下巻(87年7月初版)」343頁
著者(岩間先生)の質問へのガブリエル様による解答より
「西澤徹彦様が日本の古謡と古文に託されたエル・ランティ様の膨大なメッセージを解読し、
ジェイアイ社から出版(『古代日本と七大天使』)されますから、是非読んで頂きたいと思います。
中野裕道の「日本神学誌」からエル・ランティ様のメッセージが締め出された時に、
"必ず他の場所で私達の意志を伝える機会を探すだろう"との決意を表明されましたが、
その強い御意志通りに古代日本に於て、エル・ランティ様御自身が、
天の正しい御方針を巧みに伝えるあらゆる場を捕らえて実行なさっておられたのを、
私達は少しも知らなかったのです。
世界中であれほど善と義なる意志を持たれ、賢明な方は居られない、
天の父として真に相応しいエル・ランティ様を、無策だと少しでもなじった私達は、
天上の愚か者の代表のような者です。
それを見るにつけ、私達元大天使は何をしていたのだろうかと ー
只、断腸の思いが募るばかりです … 。
〖備考
天地の統率者、天上界の王、この世には神として崇められた方が、
エル・ランティ様であることを現天上界は証されました。
それが認められない人々は、如何なる理由からなのでしょう。
元七大天使であったと名乗られた霊も偽りで、そのメッセージも創作だと考えるのでしょうか。
(そうであるなら、天を騙る悪魔の業ですが、
彼等に悪魔の業が見抜けるとはとても思えないことです。)
これらのメッセージを語られた者の真心を理解し得ない者には、
彼等の存在そのものが誰かの創作であれ、真実の存在であれ、意味のないことでしょう。
真心の受け取れぬ心は、神の心との接点がないのです。
彼等(イエス様やブッタ様も現天上界の神としてメッセージされています)が、
若しくは彼等のメッセージとして創作した者が、
真の神に成り済まそうとしていると疑っているのでしょうか。〗
"真なるものがある故にこそ偽なるものがある(パスカル)"
真の神が現れたから、偽りが、成り済まそうとする者が出るのです。
どちらが本物なのか、疑いの念から本物と信じることに躊躇する、
自己保身から臆病になるのです。
【米国が、ホメイニやフセイン率いる悪魔の国と戦っている時に、
米国に付けば戦争に巻き込まれると主張していた左翼は、
神の意志に背けば平和でいられると、そのように日本国民を誘導していたのです。
彼等の魂を支配していた者が誰であるか明らかでしょう。
戦わないということは、生命を失わない為なら、善も信義も捨てる、何の為に生きるか問わない、
生命さえ生かして貰えるなら、言われるままに生きる、考えることを捨てるということでしょう。
共産主義に反発しない、左翼の言うことを鵜呑みにしてきた日本人の精神は、
信じるべきものが何か、何も考えない動物であっても、戦って死んでいった米国人よりも、
生きているから良しとする人間であることを自ら選んできたのではないですか。
肉体の生命以上の価値を見出す心への成長を奪われてきたのです。
本当の愛を見出していたなら、人の魂を生かしたでしょう、自らの魂を救ったでしょう。
魂の目覚めずして肉体の死を迎えた者が、この世に於ても、あの世に於ても、
魂を生かすことの出来た者は一人としていないのです。
真理を拒んだ者は、真理に拒まれるのです。
神の愛を、あらゆる良き思いを遮って、
人々に己が生命に執着する思いがすべてと、冷酷の魂の世界を信じさせる、
そのような世界に生きられて幸せであると信じさせることのできる者が
悪魔以外に存在するでしょうか。】
それが悪魔のやり口なのです。人間を愚劣にさせることで、目的を果たすのです。
天の証が現れなければ、悪魔の出る幕はないのです。
人が神を見出そうとするから、悪魔は神を偽って現れ、騙そうとするのです。
神を求める善なる心を堕落させる時、己が悪の力に酔いしれる、
神の愛する心を、汚すことに喜びを覚えるのが邪悪な魂の本性であるからです。
人が神(の心)を見出そうとしないならば、人は悪霊と変る所がないではありませんか。
その心の美しさから真の神と悟ることなき心は、
悪霊が抛(ほお)っておいても自ら堕落していくでしょう。
この世を悪霊の世界(地獄)であるなど思いもよらぬほど悪霊と同化した者ならば。
真が現れ偽りが明らかとされることで、
光が現れ隠されたものが明らかとされることで、
真なるものを偽りと騙す邪な心を本性とする悪霊の仕業であることが証明されるのです。
この天上界メッセージを偽りと言うならば、このメッセージより先に、
彼等が信じる神のメッセージが出ていなければならないのです。
このメッセージを悪魔のものとするならば、このメッセージが真似たであろう、
元となる神のメッセージが出ていなければならないのです。
でなければ贋のメッセージを出す意味がないのです。
神のメッセージに聞き従おうとする者がいないならば、妨害のしようがないではありませんか。
悪魔は彼が持ち得ない心を持つ者への嫉妬から、その心(神を愛する純粋さ)が、
悪魔の与える享楽の前に、神の心を失っていく過程を楽しんだと、天上界は伝えられました。
神を愛する純粋な心の者にサタン(ダビデ)は自らを崇めさせたかったのでしょう。
神の愛した美しい心を人々から奪い、神の失望とする、邪悪な心に変えることで、
支配欲を満たしたのだそうです。
純粋な心の、神を求める者を神が呼び集めた時、神の御意志(メッセージ)を伝える時、
悪魔は、彼等を堕落へと導く甘言(メッセージ)を語り掛けるのです。
神が呼び集めなければ(メッセージを伝えなければ)、悪魔の語り掛ける者はいないのです。
悪魔にとって、神を愛したことのない者、
神の導きにその救いの思いに、心動かされ聞き従うことなき者、
既に邪欲に溺れ、邪念に魂を侵された者など、彼にとって何の価値もなかったのです。
悪魔が永遠の生命を神の裁きから守ってやると言っても、
神など信じぬ者に、そんな誘惑が何になるのでしょう。
既に己を高しとする者を煽(おだ)てたとて、サタンの得られるものなど何もないのです。
神の前に謙虚な者から、謙譲の徳を捨てさせる、サタンの思いを心とした時、
サタンはその人の心の玉座を神から奪い取ることで支配欲を満たしたのです。
【(サタンの思いがそのまま人の思いとなって伝わる、思いのまま操ることの出来る、
偽我を人々が心とすることで)人類の心の中に、この世に君臨する為なら、
天上界の聖霊であり、神である親族の魂を滅することに躊躇するような良心は
捨て去っていたのです。】
自分がいなかったなら、兄エホバは、神の国をこの地上に作っていたであろう、
エホバと七大天使を滅ぼせば、サタンの王国をこの世に齎すことが出来る。
自分を妨害する力ある者が天上界にいさえしなければ、
天地を支配出来るとダビデは確信していたのです。
人類を、この世を、思いのままに出来る己が力を信じていたのです。
(天上界に席を置きながら、天上界を滅し去り、悪魔の王国を築こうと企んでいるとは、
神々ですら思いもよらぬことだったのです。
神を、兄エホバを憎み、己こそ神に相応しいと、
彼等を滅する計画を何千年も前から思い描いていた。
そのような者が、親族が、天国に神エホバ様の隣に平然と存在していたなどと、
善なる心のみの神々の誰に想像出来たでしょう。
己の心を誰にも見抜かれることなく隠し持つ、その憎悪が全く態度に、感情に表れることなく、
己が感情に動揺することの全くない、氷のような知性だけに生きた人格でした。)
私達が神や、ご先祖に祈るのは彼等が私達に対して力を持っていると信じるからでしょう?
ならば何の力もない私達に天が語り掛けるとすれば、愛以外に何があると言うのでしょう。
神の救いの愛が現れる時、サタンはその邪悪な心に一層邪念が現れます。
サタンが踏み躙ろうとする神(の遣わされた預言者)の人類へのメッセージがあるから、
それを捻じ曲げることで、神のメッセージを無にするだけでなく、悪魔のメッセージが生まれます。
人々が真に神のメッセージであると、真の神の御意志であると心に受け止めた時、
悪しき解釈へと導き、人の悪なる心の糧にするのです。
サタンは神の教え、イエス様の教えだからと人々が何等疑いを持たぬ、
受け入れようと開かれた心に、邪悪な想念を伝えることは訳のないことだったでしょう。
人の内なる邪悪な心を呼び覚まし、
神の教えを、イエス様の教えを誤った解釈へと導いたのです。
サタンは神の心を持たぬ汚れた心に興味はなく、
美しい心、神に愛される心を神から奪い取ることを欲した、
神の教えに聞き従う正しい者を堕落させる為に、
彼等の聞こうとする神の言葉を以て、悪しき解釈を吹き込むことで邪悪な心に導いたのです。
神を求める者を、神の思いに生きんとする者を騙す為に、
神が与えられた救いの教えの中にサタンは破滅の種を蒔いたのです。
神を求める者を悪魔に従わせたのです。
キリスト教が神の愛を見失った時、社会主義が生まれました(※)。
(※注。
イエス様は愛によって、自由な意志によって人に与えることの素晴らしさを教えられました。
愛は人の苦しみを喜びに変えるものであることを。
社会主義は平等というイデオロギーの下に、
人が努力によって、徳によって得たことの価値を認めず、
持たぬ者が持つ者への妬む心から、結果の平等に価値を与えたのです。
持たぬ者が持つ者と等しくするすることで、
妬む心を、優れたものを引き摺り下ろす復讐心に生きる偽我(醜き心)を正当化したのです。
彼等は真の愛を信じられないのです。
持つ者が持たぬ者から奪っている(搾取している)と考えるのです。
自己愛からしか人を見られないのです。
持つ者とは慈悲を持つ心であることを知らず、
持たぬ者とは謙譲なる心故に、神の愛だけの満たし得る、
神の愛だけを求めるが故に、人の心を神の心へと導かれるものと信ぜず、
イデオロギーに従う彼等は強制によって(奪い取って)でも平等にする、
その為にはあらゆる徳も踏み躙ることを厭わないのです。
強制以上に許し難いことは、人の心から神の与えた愛の概念(愛は与えるもの)を踏み躙り、
(愛を顧みさせず、人は奪うものだと、奪われたのだから)力で取り返すのが平等なのだと、
愛を捨てイデオロギーに生きることを選んだことです。
社会主義はサタンが齎したものであることを理解されると思います。※注終)
本物があって、それを本物であるのか疑いを持たせる為に、
本物と偽物の違いが見出せない者に、本物の持つ価値に気付かせない、
顧みなさせない為に、贋物を出すのです。
トリノの聖骸布も同じです。
本物が元々無いならば、真似て贋物を作ることも出来ないし、作る意味もありません。
本物を疑おうとする心は、本物を拒む心から来ます。
本物を認めれば、拒む心を、偽りの内に生きてきた己が偽我を認めねばならないからです。
真理を貶める贋物を作る悪魔の意志を悟れぬのは、
人々が偽我(悪魔の心)に生きていることを悟れぬからでもあるのです。
"神の死"
偽りの神に従わせる為なら、その神の絶対的力を語ったでしょう。
もしこのメッセージが偽りであるなら、偽りの神に人々を従わせる為のものならば、
ヤハウェと呼ばれ、エホバと呼ばれた唯一の神、
真実の(人の霊としてその)名をエル・ランティ様と天上に於て知られた方が
死ななければならなかったことを伝える筈がないではありませんか。
偽りの神に従わせることを目的とするのであれば。
神(エル・ランティ様)は悪魔(サタン・ダビデ)を滅する為に、
自らを滅してでもサタン・ダビデをして逃れられぬまでの神の力を以て、
悪魔を永遠に亡きものとされたことが天上界から伝えられました。
悪魔から、悪の思いから、人類を、善の心を守ろうとされました。
真の天上界が語る真実であることは疑いようがないではありませんか。
このままでは人類は滅ぶと天が警鐘を鳴らしている。
人類は生存の危機を迎えても、神が語り掛け、救いの手を差し伸べているとは悟らない、
神に依存しきった心が危機をも悟れなくしています。
(神に救われるに相応しい魂を自ら養うことでしか
神の救いに与る魂とすることが出来ないと天上界から知らされました。
魂の救いとは、自らの神の心に生きるということです。
神の心の生きる世界とは、神の国以外にないのです。
この世が悪に染まっていようとも、天国に、善なる霊に繋がっているから、
善なる心を信じてゆけるのです。
天国が滅びれば、善なる霊の思いも伝わらず、悪霊の邪念の中に生きるなら、
人の神の心は滅びるのです。
心(魂)はこの世の人生を通して作られるのだから、
この世に於て真理(神の心に生きるあらゆる善き観念)を見出すことも、
真理に生きることも、真理を信じることもなく、神の心の育つことが無くなれば、
この世に於て人は偽我(悪霊の魂)に生きるしかなくなれば、
この世は地獄であり、地獄に生きた人間の魂は、あの世に於ても地獄しか作れないのです。
悪魔に率いられた悪霊は、神、善なる霊と相容れることは決して無いのであり、
善なる心(霊)の生まれない世となれば、天国も滅ぶしかないのです。
人が神の心に生きる、この世に神の国を作る為の指針が宗教を通して伝えられましたが、
宗教は神を見失いました。)
今を生きる神を見出せない宗教は、神に、救いに導くものではないと、
神の意志を実現するものではないと証言する天の聖霊を名乗られる彼等こそ、
真に神のご意志を託された、人類を救いに導いて来られた方々です。
"天上界の思い"
現天上界は仰しゃいます。
"神にご利益を求める(偽りの宗教に毒された)者には、現天上界は耐え難いものであろう。"
"私達があなた方に与えるものは艱難、苦難しかない。"
"この地球を、生きとし生けるものを守る為に、己が生命を惜しまぬ者になって欲しい。"
人々に神の愛と正義を通して神の心を教え、
神の御心への愛が生まれた者に、信義という善なる思いで、天に繋ぎ止められました。
天上界の聖霊は万人から生命を奉げられるのではない、
万人のために生命を擲(なげう)たれてこられた方達です。
現天上界は、己の生命を擲ってまで、善に愛に生きるように教えられるのか。
そのような愛だけが、天国を破滅から、悪から守り抜いたからです。
何故、永遠の生命を失ってまでも、善霊は神への信義を貫くことが出来たのか。
(他への)愛があるから人間は幸せを感じることが出来るからです。
愛を失った魂にとって、永遠に生きるとは、永遠の地獄に繋ぎ止められることに他ありません。
生命を失っても、愛を通そうと決意した魂は、悪と相容れぬ心を得たのです。
内なる悪に抗せぬ良心では、何時神を、何よりも己自身を裏切ることになるか、
そのような不安に生きて何処に幸せがあるというのでしょう。
これまでの宗教は、自分の永遠の命を求める心に応えるものでした。
そのような自己愛から、己が生命への執着心に、宗教(団体)は支えられてきたのです。
"自分の命を救おうと思う者はそれを失い、
私の為、福音の為に、自分の命を失う者は、それを救うであろう。"
とイエス様は仰しゃいましたが、自分を忘れるまで、真理に、神に生きる者は、
既に救われた者であると言われているのだと思います。
これまで通りの宗教に生きるか、
それとも真の神と同じ心に生きようとする、
神のご意志に従うこと、神の思いに沿うことで、
天の善霊と、その魂(合体霊)を宿す善なる人々と共に生き、善の波動(想念)に共鳴する、
神への信義に生きんとする、揺るぎない善なる心に臨まれる、生ける神と共に生きるか、
どちらを選ぶかは自らの意志に委ねられています。
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様