第二部 神と人類の交流
第三章 神の心、神の愛

五節 この方を神と認められぬ者の信じる神とは如何なる人格を持つものか
「慈悲と愛」80年3月号20頁 千乃先生談話
「エル・ランティ様は霊視でお見受けすると、内気で礼儀正しく、ユーモアを解する、
しかしお笑いにはならない(ニコニコされるくらいの)紳士です。
 いつもお話しする度に暖かいお心が感じられ、大好きな方です。
 あまり背はお高くなく、中肉中背で、「天国の証」のプロフィル(霊視による肖像画)
は公式用の 瘦せた感じですが、実際は丸顔にも見えるしゃもじ型のお顔で
如何にも科学者といった感じなのです。こちらの方が本当のお姿だそうです。」

「ダビデは瘦せて、丁度イランのホメイニ師に似た細面で、
私はその二心を隠しての擬態に過ぎない話し方といい、印象といい、直感的に嫌い抜きました。」

JI」82年2月号22頁 千乃先生談話
「これらの(天上界に反旗を翻し、消滅を宣告された)方々は戸張千恵子氏が
エル・ランティ様の合体で後継者だと言ったので、それを信じて集まりました
(勿論、背後に悪霊の跳梁があったのは言うまでもないことですが)。
 エル・ランティ様は本当は、ダビデの責任を取り自殺されたのです。
 天上界では動揺を避けて黙っておられましたが、真実はそうです。
 エル・ランティ様の合体など(と言う者は)悪霊に決まっているのです。」

「JI」82年1月号表3頁 千乃先生談話
「天上界が動揺を憂い極秘にされた、
実はエル・ランティ様はダビデ消滅の為、共に燃え盡きられたという事実も知らない
(戸張氏はエル・ランティ様の本体であると名乗り、自分こそが真の後継者であると正法者を唆し、
千乃正法グループから離反させた)、悪霊の操り人形でしかないのです。
 土田展子さんも以前"エル・ランティ"、"ブッタ"などと言われ、
後にそれがダビデの増上慢を狙う手段と判明しました。
 名誉欲と権力志向の人間は戸張氏のように直ぐに信じたがるでしょうね。
 消滅宣告者全員が賞賛願望と顕示欲と甘えの持ち主でした。」

「JI」82年2月号31頁 千乃先生談話
「エル・ランティ様が亡くなられたのは、『天国の証』に一章を書かれた時期ではなく、
実はその翌年、一九七九年の春に、サタン・ダビデが不死身の様に生き伸びていたのが、
東京の集いの霊能者を襲撃したことで判明しました。
 その時共に燃え盡きられたのです。
 再びその生存を許さない為に ー 天上界は失うべきでない方を失いました。
 天の悲しみも知らずに売国奴である共産主義者とそのシンパと、
無責任なマスコミは言いたい放題やりたい放題!
 彼等への裁きは、イエス様の十字架の死よりももっと長く続く苦しみと非業の死から、
永遠の死に繋がる地獄、希望無き未来の形をとるでしょう。」

「天の奇蹟 下巻(87年7月初版)」343頁
 著者(岩間先生)の質問へのガブリエル様による解答より

「西澤徹彦様が日本の古謡と古文に託されたエル・ランティ様の膨大なメッセージを解読し、
ジェイアイ社から出版(『古代日本と七大天使』)されますから、是非読んで頂きたいと思います。
 中野裕道の「日本神学誌」からエル・ランティ様のメッセージが締め出された時に、
"必ず他の場所で私達の意志を伝える機会を探すだろう"との決意を表明されましたが、
その強い御意志通りに古代日本に於て、エル・ランティ様御自身が、
天の正しい御方針を巧みに伝えるあらゆる場を捕らえて実行なさっておられたのを、
私達は少しも知らなかったのです。
 世界中であれほど善と義なる意志を持たれ、賢明な方は居られない、
天の父として真に相応しいエル・ランティ様を、無策だと少しでもなじった私達は、
天上の愚か者の代表のような者です。
 それを見るにつけ、私達元大天使は何をしていたのだろうかと ー
只、断腸の思いが募るばかりです … 。

〖備考
 天地の統率者、天上界の王、この世には神として崇められた方が、
エル・ランティ様であることを現天上界は証されました。
 それが認められない人々は、如何なる理由からなのでしょう。
 元七大天使であったと名乗られた霊も偽りで、そのメッセージも創作だと考えるのでしょうか。
(そうであるなら、天を騙る悪魔の業ですが、
彼等に悪魔の業が見抜けるとはとても思えないことです。)

 これらのメッセージを語られた者の真心を理解し得ない者には、
彼等の存在そのものが誰かの創作であれ、真実の存在であれ、意味のないことでしょう。
 真心の受け取れぬ心は、神の心との接点がないのです。
 彼等(イエス様やブッタ様も現天上界の神としてメッセージされています)が、
若しくは彼等のメッセージとして創作した者が、
真の神に成り済まそうとしていると疑っているのでしょうか。〗


真なるものがある故にこそ偽なるものがある(パスカル)"
 真の神が現れたから、偽りが、成り済まそうとする者が出るのです。
 どちらが本物なのか、疑いの念から本物と信じることに躊躇する、
自己保身から臆病になるのです。

米国が、ホメイニやフセイン率いる悪魔の国と戦っている時に、
米国に付けば戦争に巻き込まれると主張していた左翼は、
神の意志に背けば平和でいられると、そのように日本国民を誘導していたのです。
 彼等の魂を支配していた者が誰であるか明らかでしょう。
 戦わないということは、生命を失わない為なら、善も信義も捨てる、何の為に生きるか問わない、
生命さえ生かして貰えるなら、言われるままに生きる、考えることを捨てるということでしょう。
 共産主義に反発しない、左翼の言うことを鵜呑みにしてきた日本人の精神は、
信じるべきものが何か、何も考えない動物であっても、戦って死んでいった米国人よりも、
生きているから良しとする人間であることを自ら選んできたのではないですか。

 肉体の生命以上の価値を見出す心への成長を奪われてきたのです。
 本当の愛を見出していたなら、人の魂を生かしたでしょう、自らの魂を救ったでしょう。
 魂の目覚めずして肉体の死を迎えた者が、この世に於ても、あの世に於ても、
魂を生かすことの出来た者は一人としていないのです。
 真理を拒んだ者は、真理に拒まれるのです。
 神の愛を、あらゆる良き思いを遮って、
人々に己が生命に執着する思いがすべてと、冷酷の魂の世界を信じさせる、
そのような世界に生きられて幸せであると信じさせることのできる者が
悪魔以外に存在するでしょうか。

 それが悪魔のやり口なのです。人間を愚劣にさせることで、目的を果たすのです。
 天の証が現れなければ、悪魔の出る幕はないのです。
 人が神を見出そうとするから、悪魔は神を偽って現れ、騙そうとするのです。
 神を求める善なる心を堕落させる時、己が悪の力に酔いしれる、
神の愛する心を、汚すことに喜びを覚えるのが邪悪な魂の本性であるからです。

 人が神(の心)を見出そうとしないならば、人は悪霊と変る所がないではありませんか。
 その心の美しさから真の神と悟ることなき心は、
悪霊が抛(ほお)っておいても自ら堕落していくでしょう。
 この世を悪霊の世界(地獄)であるなど思いもよらぬほど悪霊と同化した者ならば。

 真が現れ偽りが明らかとされることで、
光が現れ隠されたものが明らかとされることで、
真なるものを偽りと騙す邪な心を本性とする悪霊の仕業であることが証明されるのです。
 この天上界メッセージを偽りと言うならば、このメッセージより先に、
彼等が信じる神のメッセージが出ていなければならないのです。
 このメッセージを悪魔のものとするならば、このメッセージが真似たであろう、
元となる神のメッセージが出ていなければならないのです。
 でなければ贋のメッセージを出す意味がないのです。
 神のメッセージに聞き従おうとする者がいないならば、妨害のしようがないではありませんか。


 悪魔は彼が持ち得ない心を持つ者への嫉妬から、その心(神を愛する純粋さ)が、
悪魔の与える享楽の前に、神の心を失っていく過程を楽しんだと、天上界は伝えられました。
 神を愛する純粋な心の者にサタン(ダビデ)は自らを崇めさせたかったのでしょう。
 神の愛した美しい心を人々から奪い、神の失望とする、邪悪な心に変えることで、
支配欲を満たしたのだそうです。

 純粋な心の、神を求める者を神が呼び集めた時、神の御意志(メッセージ)を伝える時、
悪魔は、彼等を堕落へと導く甘言(メッセージ)を語り掛けるのです。
 神が呼び集めなければ(メッセージを伝えなければ)、悪魔の語り掛ける者はいないのです。
 悪魔にとって、神を愛したことのない者、
神の導きにその救いの思いに、心動かされ聞き従うことなき者、
既に邪欲に溺れ、邪念に魂を侵された者など、彼にとって何の価値もなかったのです。


 悪魔が永遠の生命を神の裁きから守ってやると言っても、
神など信じぬ者に、そんな誘惑が何になるのでしょう。
 既に己を高しとする者を煽(おだ)てたとて、サタンの得られるものなど何もないのです。
 神の前に謙虚な者から、謙譲の徳を捨てさせる、サタンの思いを心とした時、
サタンはその人の心の玉座を神から奪い取ることで支配欲を満たしたのです。


(サタンの思いがそのまま人の思いとなって伝わる、思いのまま操ることの出来る、
偽我を人々が心とすることで)人類の心の中に、この世に君臨する為なら、
天上界の聖霊であり、神である親族の魂を滅することに躊躇するような良心は
捨て去っていたのです。

 自分がいなかったなら、兄エホバは、神の国をこの地上に作っていたであろう、
エホバと七大天使を滅ぼせば、サタンの王国をこの世に齎すことが出来る。
 自分を妨害する力ある者が天上界にいさえしなければ、
天地を支配出来るとダビデは確信していたのです。
 人類を、この世を、思いのままに出来る己が力を信じていたのです。

(天上界に席を置きながら、天上界を滅し去り、悪魔の王国を築こうと企んでいるとは、
神々ですら思いもよらぬことだったのです。
 神を、兄エホバを憎み、己こそ神に相応しいと、
彼等を滅する計画を何千年も前から思い描いていた。
 そのような者が、親族が、天国に神エホバ様の隣に平然と存在していたなどと、
善なる心のみの神々の誰に想像出来たでしょう。
 己の心を誰にも見抜かれることなく隠し持つ、その憎悪が全く態度に、感情に表れることなく、
己が感情に動揺することの全くない、氷のような知性だけに生きた人格でした。)

 私達が神や、ご先祖に祈るのは彼等が私達に対して力を持っていると信じるからでしょう?
 ならば何の力もない私達に天が語り掛けるとすれば、愛以外に何があると言うのでしょう。
 神の救いの愛が現れる時、サタンはその邪悪な心に一層邪念が現れます。
 サタンが踏み躙ろうとする神(の遣わされた預言者)の人類へのメッセージがあるから、
それを捻じ曲げることで、神のメッセージを無にするだけでなく、悪魔のメッセージが生まれます。
 人々が真に神のメッセージであると、真の神の御意志であると心に受け止めた時、
悪しき解釈へと導き、人の悪なる心の糧にするのです。
 サタンは神の教え、イエス様の教えだからと人々が何等疑いを持たぬ、
受け入れようと開かれた心に、邪悪な想念を伝えることは訳のないことだったでしょう。

 人の内なる邪悪な心を呼び覚まし、
神の教えを、イエス様の教えを誤った解釈へと導いたのです。

 サタンは神の心を持たぬ汚れた心に興味はなく、
美しい心、神に愛される心を神から奪い取ることを欲した、
神の教えに聞き従う正しい者を堕落させる為に、
彼等の聞こうとする神の言葉を以て、悪しき解釈を吹き込むことで邪悪な心に導いたのです。

 神を求める者を、神の思いに生きんとする者を騙す為に、
神が与えられた救いの教えの中にサタンは破滅の種を蒔いたのです。
 神を求める者を悪魔に従わせたのです。
 キリスト教が神の愛を見失った時、社会主義が生まれました

注。
 イエス様は愛によって、自由な意志によって人に与えることの素晴らしさを教えられました。
 愛は人の苦しみを喜びに変えるものであることを。
 社会主義は平等というイデオロギーの下に、
人が努力によって、徳によって得たことの価値を認めず、
持たぬ者が持つ者への妬む心から、結果の平等に価値を与えたのです。
 持たぬ者が持つ者と等しくするすることで、
妬む心を、優れたものを引き摺り下ろす復讐心に生きる偽我(醜き心)を正当化したのです。
 彼等は真の愛を信じられないのです。
 持つ者が持たぬ者から奪っている(搾取している)と考えるのです。
 自己愛からしか人を見られないのです。

 持つ者とは慈悲を持つ心であることを知らず、
持たぬ者とは謙譲なる心故に、神の愛だけの満たし得る、

神の愛だけを求めるが故に、人の心を神の心へと導かれるものと信ぜず、
イデオロギーに従う彼等は強制によって(奪い取って)でも平等にする、
その為にはあらゆる徳も踏み躙ることを厭わないのです。

 強制以上に許し難いことは、人の心から神の与えた愛の概念(愛は与えるもの)を踏み躙り、
(愛を顧みさせず、人は奪うものだと、奪われたのだから)力で取り返すのが平等なのだと、
愛を捨てイデオロギーに生きることを選んだことです。
 社会主義はサタンが齎したものであることを理解されると思います。注終)

 本物があって、それを本物であるのか疑いを持たせる為に、
本物と偽物の違いが見出せない者に、本物の持つ価値に気付かせない、
顧みなさせない為に、贋物を出すのです。
 トリノの聖骸布も同じです。
 本物が元々無いならば、真似て贋物を作ることも出来ないし、作る意味もありません。
 本物を疑おうとする心は、本物を拒む心から来ます。
 本物を認めれば、拒む心を、偽りの内に生きてきた己が偽我を認めねばならないからです。
 真理を貶める贋物を作る悪魔の意志を悟れぬのは、
人々が偽我(悪魔の心)に生きていることを悟れぬからでもあるのです。


"神の死"
 偽りの神に従わせる為なら、その神の絶対的力を語ったでしょう。
 もしこのメッセージが偽りであるなら、偽りの神に人々を従わせる為のものならば、
ヤハウェと呼ばれ、エホバと呼ばれた唯一の神、
真実の(人の霊としてその)名をエル・ランティ様と天上に於て知られた方が
死ななければならなかったことを伝える筈がないではありませんか。
 偽りの神に従わせることを目的とするのであれば。

 神(エル・ランティ様)は悪魔(サタン・ダビデ)を滅する為に、
自らを滅してでもサタン・ダビデをして逃れられぬまでの神の力を以て、
悪魔を永遠に亡きものとされたことが天上界から伝えられました。
 悪魔から、悪の思いから、人類を、善の心を守ろうとされました。
 真の天上界が語る真実であることは疑いようがないではありませんか。

 このままでは人類は滅ぶと天が警鐘を鳴らしている。
 人類は生存の危機を迎えても、神が語り掛け、救いの手を差し伸べているとは悟らない、
神に依存しきった心が危機をも悟れなくしています。

(神に救われるに相応しい魂を自ら養うことでしか
神の救いに与る魂とすることが出来ないと天上界から知らされました。
 魂の救いとは、自らの神の心に生きるということです。
 神の心の生きる世界とは、神の国以外にないのです。
 この世が悪に染まっていようとも、天国に、善なる霊に繋がっているから、
善なる心を信じてゆけるのです。
 天国が滅びれば、善なる霊の思いも伝わらず、悪霊の邪念の中に生きるなら、
人の神の心は滅びるのです。
 心(魂)はこの世の人生を通して作られるのだから、
この世に於て真理(神の心に生きるあらゆる善き観念)を見出すことも、
真理に生きることも、真理を信じることもなく、神の心の育つことが無くなれば、
この世に於て人は偽我(悪霊の魂)に生きるしかなくなれば、
この世は地獄であり、地獄に生きた人間の魂は、あの世に於ても地獄しか作れないのです。
 悪魔に率いられた悪霊は、神、善なる霊と相容れることは決して無いのであり、
善なる心(霊)の生まれない世となれば、天国も滅ぶしかないのです。
 人が神の心に生きる、この世に神の国を作る為の指針が宗教を通して伝えられましたが、
宗教は神を見失いました。)

 今を生きる神を見出せない宗教は、神に、救いに導くものではないと、
神の意志を実現するものではないと証言する天の聖霊を名乗られる彼等こそ、
真に神のご意志を託された、人類を救いに導いて来られた方々です。


"悪魔(サタン・ダビデ)の存在とその死"
 今日まで天上界は人類への愛から、自らの犠牲を伝えようとされなかった。
 神の慈愛を養分に、神の心へと成長することだけを願うが故に、
彼等は自らの苦しみを、犠牲を人類に伝えたくなかったのだと思います。
 彼等の伝える愛は、そのような自らの苦しみに決して負けてはならない、
他を育てる愛、すべての生き物に大自然の与えた愛がそれであるように、
真の愛は、生まれ来る生命を育てる愛、それだけであり、
その為になら、その為であるからこそ、
すべての生き物は自らの犠牲を顧みぬ真の愛を持てたのであり、
真の愛があるから苦しい時にも自分を顧みようとする弱い心に負けることがない、
真の愛を見失うことがないのです。

 神の愛に導かれた、神に愛された人々が、心正しき霊が、
サタンの、悪霊の破壊の犠牲となる時、神々の愛が踏み躙られる時、
神の心には、愛を奪う者への怒り、守り育ててきた者を失った悲しみ以外にないのです。
 人に彼等と同じ愛があったのなら、彼等の愛が真の愛であり、
彼等こそ神であることが判らない筈がないのです。
 真の神々の思いの伝わらぬ自己愛に生きる者に、目覚める時があるなら、
彼等の語ったわずかな言葉の内に、
天の真実を、彼等の思いの真の愛であることを知る時なのかも知れません。

「JI」84年5月号初出 ミカエル大王様メッセージより
しかし私も数え切れぬ美しい魂を、多く多く失いました。
 悪魔とその配下の為に、
不本意に失ってはならぬ人々を次から次と失い断腸の思いをしました。

 正法の為に生命を捧げられた方達を含め、
改めて善を抹殺する悪の邪心に怒りを覚えるのです。」

「天国の証」天使の詩集 ミカエル大王様「二十一世紀」より
「ああ我等が父の御計らいの
深さを知ることなく、
いとも容易く欺かれし人の群よ。
サタンは父の身近にありて、
真の救いの光をも破壊の道を辿らせ、
遂にその配下となさしめた。

(注。ユダヤ教、キリスト教の神の教えを信じた者が、共産主義の偽善に騙されていった)
父の慈悲と愛を拒みしこの人も哀れ。
サタンの惑わしに偽(いつわり)の栄光を夢見し人ぞ哀れ。
そは悲しき生涯よ。」

「天国の証」天使の詩集 ガブリエル様「天使の誓い」全文
溶鉱炉の火となりし
 天使の魂は
 悪なる魂を焼き尽して止まん。

犯すべからずして 神聖なる
天上の国を 汚(けが)すものは誰ぞ

サタンの名にて 九次元を荒す
 その冒瀆の思いにて 傲れる心は

たとえ我等が父 エホバの
慈悲と許しあろうとも
我は許さじ

辛酸を嘗めし 数億年の思いは
 我等の心を閉ざし至り

比ぶれば 遥かに
ルシファーは 良き魂なり

ベー・エルデより
 地球を己が王国にせんと来たり
 善霊を操りしサタンよ

今汝は宇宙の屑となりしものなれど
その思いはどこに向わんか

我等の国 光の天なる国は
二度と悪なる魂を許さず
容認せず 語ることもなからん

たとえ粒子の 微塵に砕けたる形にても
 復讐を企みたるならば

その思いは 我が魂の
永遠なるエネルギーにて 破壊せん

戦いの戦士として
大天使の翼もて 汝の思いを探り
破壊せん

我が誓いの永遠なるを知るべし

善なる人々と 霊魂の幾千人を
 犠牲にせしか

我等の正義の怒りは
溶鉱炉の火となり 塊となって
汝を追跡し

宇宙の果てまで 汝の企みを見破らん」


天上界の思い
 現天上界は仰しゃいます。
"神にご利益を求める(偽りの宗教に毒された)者には、現天上界は耐え難いものであろう。"
"私達があなた方に与えるものは艱難、苦難しかない。"
"この地球を、生きとし生けるものを守る為に、己が生命を惜しまぬ者になって欲しい。"
 人々に神の愛と正義を通して神の心を教え、
神の御心への愛が生まれた者に、信義という善なる思いで、天に繋ぎ止められました。
 天上界の聖霊は万人から生命を奉げられるのではない、
万人のために生命を擲(なげう)たれてこられた方達です。

 現天上界は、己の生命を擲ってまで、善に愛に生きるように教えられるのか。
 そのような愛だけが、天国を破滅から、悪から守り抜いたからです。
 何故、永遠の生命を失ってまでも、善霊は神への信義を貫くことが出来たのか。
(他への)愛があるから人間は幸せを感じることが出来るからです。
 愛を失った魂にとって、永遠に生きるとは、永遠の地獄に繋ぎ止められることに他ありません。
 生命を失っても、愛を通そうと決意した魂は、悪と相容れぬ心を得たのです。
 内なる悪に抗せぬ良心では、何時神を、何よりも己自身を裏切ることになるか、
そのような不安に生きて何処に幸せがあるというのでしょう。


 これまでの宗教は、自分の永遠の命を求める心に応えるものでした。
 そのような自己愛から、己が生命への執着心に、宗教(団体)は支えられてきたのです。
"自分の命を救おうと思う者はそれを失い、
私の為、福音の為に、自分の命を失う者は、それを救うであろう。"
とイエス様は仰しゃいましたが、自分を忘れるまで、真理に、神に生きる者は、
既に救われた者であると言われているのだと思います。

 これまで通りの宗教に生きるか、
それとも真の神と同じ心に生きようとする、
神のご意志に従うこと、神の思いに沿うことで、
天の善霊と、その魂(合体霊)を宿す善なる人々と共に生き、善の波動(想念)に共鳴する、
神への信義に生きんとする、揺るぎない善なる心に臨まれる、生ける神と共に生きるか、
どちらを選ぶかは自らの意志に委ねられています。

"神の愛"
 現天上界の神々が、真の愛を(即ちこのような愛を持たぬ者に神を名乗らせてはならぬ故に)
神の愛と呼ばれた愛を持つに至ったのは、
地球人類と同じ種でありながら、地球人類の誕生する遥か以前より進化の過程を、
自己克己の長き道のりを経ての、獲得されたものが真の愛であるならば、
万能の神が創造されたのだから人類は完全なものであると、絶対神への盲信から、
神に程遠い己が心を完全なものと安住するならば、
永遠に神の真の愛を理解する能力を失うでしょう。

 真の天へと、神の心へと導かぬ、導けぬ宗教は、真理の道ではない、
盲いた者を導くサタンの道であるが故に、神は宗教団体の解散を命じられたのです。
 神の法、正法を人類の知恵の前に、人類の神を求める善なる心の前に、
神自ら齎された、その教えを拒み、正法の流布を妨げる如何なる宗教も、盲が盲を導くもの、
そのような宗教と、正法のどちらが真の神が今導かれているか、
自らを救おうとしている己が神の心に立ち返って、
真理を、神の救いの手を掴む事のなかった者は、
サタンの甘言に乗ぜられ、弄ばれ、あざけりの内に虚しく去っていったのです。
 神が救おうとされている思いの伝わらぬ者とは、
自らが破滅に向かっていることも悟ることなき者であったのです。

 悪霊が人に憑依し悪を為す、悪を為すは悪霊の意志であって、
悪に抗う善の意志が本人になかっただけであっても、
悪霊の意志に無抵抗の心が自分に残される、
悪を為す喜びを、悪がなされて人の苦しむを何とも思わぬ無常を心に刻むのは己自身である。
 悪を為すことでいい思いができる時、善を為せば苦しい思いをする時、
悪を為す、それに満足する心であるからです。
 己が魂を悪に委ねたのであり、神に敵する者となるのです。

 善なる霊は、善を為す為に人の心を支配しようとはされない。
 そうすれば善が為し得る場合であっても。
 何故なら人を善なる心に導く、善なる心を育てることが救いであり、
人が自らの善への意志を持たずして、人を救うどころか己自身さえ救えないからです。
 あなた一人救えなくて何の正法であるかとイエス様が仰しゃったのはそういうことです。
 天上界が私達に自らを救えと言われてきたことも、
善を為すとは、人自らの善なる心から現われるもの以外にない。
 強制によっても、善霊が人を憑依して為さしめても、
決してそのような目的を正当化すれば如何なる手段も許すような心は、非情な心であり、
そのような心の信じる善は偽善以外にないのです。

 人の意志を尊重する、人の心が正しく育つを願わずば愛ではない、
人の神の心を犠牲にすることさえ解らない、そのような心は偽善に生きる心でしかない。
 その行為から真の善が人の善なる心へと、神の心へと伝わることはないのです。
 天上界の愛が真のものであると知る者は全て神と同じ心に目覚めたが故に知ったのです。
 その救いなくして如何なる救いが人を善に目覚めさせるか。
 悪に屈しぬ善を持つことが出来るのでしょうか。
 その心なくして神の国などあり得ないのです。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法