第四部 天への思い

第二章 天を裏切る心の分析
「慈悲と愛」84年5月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」186頁

「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか?
 滅びと消滅を約されて生きる身となれば、絶望しかないのではありませんか?
 その為に私達天を偽物と断じなければ、自らの安らぎを覚えぬ程の不安を感じ、
天に背く者も、無視する者も等しく、千乃裕子を介して現われ、語り掛ける神 ー
即ち私達を悪霊や偽物と中傷して廻るのです。」

「慈悲と愛」79年11月号7頁
 千乃先生「天を裏切る心の分析」全文

「(高橋信次氏の裏切りは別として、中野裕道氏の周辺は言うに及ばず、
今回の上田照子氏の背反について、私の知る限りに於ては、このように)
天上界と密に交流のある人には、天上界も私も、正しい事は認め、
正しくない事は在るべき形を示し、公正に、そして努力に対しては感謝を以て、
敬意と親しみの心で常に接してきました。
 先月号で述べた縷衣香という女流画家にしても同じです。
 それにも関わらず、或る日突然に裏切り、そして裏切ろうと思うや否や、
言葉と行動を尽くして虚言、中傷、讒言(ざんげん)を狂気の如くに人に触れて廻る。
 その行為には少しの良心の呵責も窺えない。
 この感情の突然の変化と偽我の奔流は一体何が原因であろうかと冷静に分析して見ました。
 私達正法者は如何なる事象に対しても、正見・正思を、常に心掛けねばならないからです。

 これは悪霊の唆し以前に、偽我の塊になり易いヒステリー気質に加えて、
その生い立ちや人生観に問題があるに違いない。
 そしてこういった人々を分析して見ると、
一様に彼等は強運の持主で、裕福な家庭に育ち、身体が弱くて過保護であったか、
或いは厳し過ぎる親或いは配偶者の許で、
その厳しさに耐えられぬ思いを抑えて耐えてきた人々であって、
精神的支配を受ける相手にどうすれば容認し、褒めて貰えるか。
 叱責されずに済むかと顔色を見つつ過ごしてきた。
 或いはその延長や代償として、社会での賞賛をその一挙手一投足に求めてきた。


(過保護に育った人は、その我が儘な思いと欲求を、
抑えねばならない事態に直面した事が無く、我慢しなければならない、
他への思い遣りに自己を譲るといった心構えは只窮屈なだけなのでしょう。)

 詰り、厳しい精神の支配者
(親或いは夫、或いは中野裕道氏の場合は僧侶としての修行も加味されねばならないが)
から賞賛を得られない時に、何処かで自分を生かす、自己を肯定するものを求めているのです。
 それを世人に求め、好意を示してそれが得られる時は、対象が誰であれ、何であれ、
本人の人格や人生観や価値観が何であれ、只人から特別視されたい。認めて欲しい。
 好意を持たれたい。味方になって欲しいという切なる願望が育つのです。

 こういった人達に取っては、天上界であろうが、GLAであろうが、
神であろうが、悪魔であろうが、選択している心の余裕は無く、誰でも良い。
 優しく自分の行為を褒めて欲しい。言い分を通して欲しい。
 といった最もサタンの誘惑に脆い人格しか育たなくなるのです。
 彼等に取って自己保存は生きることそのものであり、
天上界と雖も、その脆いが、しかし死守しなければならない自我を

覗き見ることは許されないのです。
 真の意味に於ける内観も八正道も、彼等に取っては、自己破壊にしか繋がらない。


 高き意識や悟りは縁なきものなのです。
 彼等に取って内部は虚偽と虚栄の塊であっても良い。
 偽我そのものであっても、それを偽我と認めることは出来ない。
 他人も偽我だと評してはならない。
 一歩も譲らぬ必死の自己防衛の心しかないのです。
 その心の声は良心ではなく、"善も悪もすべてを許す絶対的な寛容の世界"であって、
こういった人々の夢見る世界は、母の手に委ねられた幼児の世界なのです。
 従って、天も裁くものであってはならない。
 只"よしよし"という天でなければならない。
 
その虚像と、現実の厳しく正道を教えられる天の正像との大きな食い違いが、
彼等の失望となって逆流し、天への反逆の道をまっしぐらにひた走るのです。


 これは、理由もなく厳しい親や配偶者の世界に閉じ込められて、自らの判断力も養えず、
人懐っこさと人恋しさを一つの渇望として保ち、そして自分の耐えている、
或いは耐えてきた環境との葛藤を上手く処理出来ず、只抑圧してきた人の、社会に於ける独自の、
又必然的な自己表現であり、自己確立の手段でもあるのです。

 詰り彼等の精神構造は歪められたものであって、半病人であり、
自らを正しいものと錯覚しているにも関らず、
その思い違いを正す人は、たとえ神であろうとも背を向けずにいられないのです。
 こういった人々に幾ら理を尽くして説いても無駄であること。
 彼等は、彼等の今生きている世界で心が一杯なのであって、天への背信ということも、
彼等の誤りについても、悟らせようとすることは無駄である
ことが判りました。

 事の善悪を弁えさせることも無理なのであって、
天の語る"慈愛の本質"というものについても、
ましてや真理とは何かということに関しても、
彼等には無縁の、只煩わしい世界であるに過ぎないのです。
 私は彼等に対して憎しみはありません。只哀れだと思う気持ちしか残らないのです。
 駄々をこね続ける幼児に対するように。
 しかしこの世には、如何にこの様な事の理を弁えぬ人が多いことでしょうか。
 だから、裁きがなければ世は乱れに乱れ、悪霊の思うが儘の地獄と化すのは必定なのです。
 霊の世界や天を無視して生きるのは容易いことです。
 しかし無視した積りであっても、

悪霊は世の乱れを喜び、正しき心の人々や徳高き人々を迫害して楽しむのです。

 天はあく迄も正しき人々の側に立ち、
悪魔からも背信の徒からも守り抜くことを約束なさり、またその如く為しておられます。
 その為にも私達は勇気を得て、天の理に立って
強く在らねばならないのです。
 そしてお互いに天の求められる正しき心や人格を良しとし、その様な人々の側に立ち、
悪い意志を持つ人々から守りぬかねばならないのです。」

「全正法者へ天上界より緊急連絡」(消滅宣告)
「ミカエルですが、大阪の「集い」の元主宰であった上田照子が悪霊に心を完全に明け渡し、
この九月に天上界に反旗を翻し、
大阪の青年グループ及び他の「集い」の協力者を現正法者から引き離し、
これらの人々を罪に陥れようと計りました
 天上界の忠誠心を装い、意識の底に於ては、人々の賛美を求め、自らのメシヤ化を計り、
心正しき人々の讒言をのみ、千乃様に呈し、
その虚言と、被害妄想癖によって、事を計ってならず、
今、狂気の如く、天に弓引く者と成り果てました。
 従って最後の審判の意義を省みず、
その暴挙に出た上田照子は今日一九七九年十月十三日を以て消滅と定められました。
 同氏に準ずる者も同じく年齢を問わず、消滅と定められます
                                 ミカエル」

〖備考1
 世の認める価値を有すると、自らの誇りの拠り所としたてきた如何なるもの
(自らのアイデンティティとした組織、その地位、名誉、愛着)も、
天の認める価値の前に雲散霧消する時、残されたものは魂(心)だけであり、
心の中の天の嘉されるものと忌み嫌う(悪魔の嘉する)ものが秤に掛けられます。

 自らの誇って来たものに何の価値もないとされた時、
誇りとした己自身が(真理に盲いた)偽我に過ぎぬものと、
自尊心さえ(偽我に立っての)己を高しとする増上慢の欺瞞でしかないとされた時、
この世の尺度に於て人に勝ると信じてきた者が、
天に於ては自分の見下してきた者よりも低きとされた時、
人は受け入れることが出来るでしょうか。
 受け入れられぬ者が悪魔の甘言(偽我に生きる人々を価値ある者と唆す)を信じ、
天に刃向う者へと堕ちて行きました。備考1終〗

〖備考2
 多くの正法者が偽りの後継者を信じたことから、悪霊の跳梁は明らかでした。
 サタンに操られて自らこそ後継者と、千乃先生を引きずり下ろそうとしたものは、
女性ばかりでした。
 千乃先生が女性であったこともあったのかも知れません。
 高慢な者は些細な根拠でも自惚れます。
 知られずにいるだけの思い上がった者は多くいますが、
自己顕示欲の強い者は言動に表れますから、目立ちますね。

 政治の世界にも(酷いのが)目立つ女性議員はいますが、立憲民主党どろこではなかったのが、
れいわの女性議員で、死後生き延びれば悪霊の化け物となること必至でしょう。
(エゴ剥き出しの女性政治家で思い出される市川房枝氏は死後天上界によって消滅されました。)

 この方たちは人の欠点、罪を暴き立て、破滅させる行為こそ正義、
そのような正義は自らの内に何らやましいことがない故に出来る、自らをそうであると盲信する、
自らに勝る人の優れたところを認め、敬う謙虚な心を持たず、他を見下す心しか持たない、
自惚れが真の己を見る目を(己を知る知恵を)失わせていることを一生悟ることの出来ない者、
正に聖書に記されたパリサイ人の性格を受け継いだ人達です。
 このような人々が増えた要因を、作詞家の阿久悠氏が語っていますのでお伝えします。

 阿久悠著「清らかな厭世」252頁 二〇〇七年新潮社発行
"ようく思い出してごらん
 あなたの家庭に他人を褒める 
 習慣があったかどうか"
「困ったことにといおうか、悲しいことにといおうか、人間は他人を罵ることが好きなようである。
 指さして、その指を意志的に振りながら、侮辱の言葉を短く強く爆裂させると、なお嬉しい。
 おそらくは体内に鬱積していた不満が、シャンパンが弾けるように吹き出るのであろう。
 しかし、そうはいっても、よほどのことがない限り、
指ふるわせて罵るなどという行動は実行出来ない。相手がある。
 相手には罵り返す権利があるし、第一、それは相当に醜い行為であるという常識があるので、
どんなに本質的に好きなものであってもやらなかった。
 だから、社会も家庭も平安だった。要するに本音とか本質はロクなものじゃなくて、
抑え込んでちょうど世間で通用することなのだ。
 
 ところが、面罵することに恰好なものが登場した。
 面罵され、指さされるために作られたような物である。テレビである。
 この面妖な機械が茶の間にドンと座ったことによって、
人々の抑えに抑えてきた醜めの本心が解放されたのである。
 悪口の言い放題である。指さそうが、唾を吐こうが、自分の場の自分の物であるから構わない。
 大物政治家であろうが、天才歌手であろうが、罵り、こき下ろし、
しかもそれで家庭の連帯まで出来るのだから、こんないいことはない。
 どこの家でも極上の歓びとしてこれをやった。

 そして、月日が流れた。五十年の習慣が、一代二代と家風のように受け継がれ、
少々はしゃいだ鬱憤晴らしの茶の間タイムのおかげで、
他人を褒めるとか、敬意を払うということを忘れてしまったのである。
 生まれて物心ついてから、他人を悪く言って楽しむ快感に浸っていると、
自分以外の人間に敬意を払い、尊重するということは身につかない。

「ああ、凄い!」「ああ、立派な人だ、ああなりたい!」と感じるより、
「馬鹿だね」「アホかこいつら」「消えちまえ」と言う方が
何だか自分が大きく感じられるのである。
 実は真反対のことなのだが、人間は悲しいかな、他人を褒める自分の大きさより、
他人をやっつけることによって自分を大きいと思う方が楽なのである。

 さて、今、社会が壊れている。腐っていると感じる人もいるし、溶解していると書く人もいる。
 只事ではない。他人との共棲の心の技術を持たないで社会に出て来るのだから、
壊れもするし、腐りもするし、溶けもする。
 その原因はもしかしたら、生まれてこの方、ただの一度も家族そろって、
他人の生き方や才能に敬意を払ったことのない悪習慣の集積ではないかと思う。
 社会の大問題も、病理は他人にあるのではなく、しかも、実は小さいのだ。」

 テレビ界とは、人の虚栄心、自己顕示欲に支えられた、
それなくしては人をテレビ界に繋ぎ得ぬものです。
 何故ならテレビ界を跋扈する悪霊が人を地獄に繋ぎ留める想念が、
虚栄心、自己顕示欲であるからです。
 テレビ局から放たれる邪念を、人々はテレビから浴びせられているのです。
 人々の偽我が刺激されれば、左翼政党の女性議員のような、
悪霊に心を支配されたような人間に育つのは当然ではないでしょうか。
 テレビ界のみならず、インターネットの世界も悪霊の跳梁は歴然です。

「天の奇蹟 下巻(87年7月初版)」342頁
 著者(岩間先生)の質問へのガブリエル様による解答より

「ユリ・ゲラーを演出させた悪霊はテレビ局の電力を利用
(したのは電力ばかりではないのですが)しました。
 テレビの前のスプーンを曲げるのは、各家庭に潜り込んだ悪霊が、
別の霊達が局から流した強い電流を感じた人の前で曲げて見せただけなのです。
 霊の数が多ければ大規模な現象が可能です。」

 天上界は、私達と直接繋がることを願っておられます。
 天上界は宗教を必要としていません。
 宗教はサタンに導かれ、神の救いの妨害者と成り果てているからです。
 天上界の福音、現正法を広める為に、天上界は自ら私達の前に立って伝えられました。
 天上界の御意志を理解せぬ者が、神を偽るサタンを見抜けぬ者が、
真の天上界の御意志を遮り、歪めて伝えることを許してはならないからです。

 天上界は現正法を伝える為にマスメディアを求めませんでした。
 マスメディアは、現正法を新興宗教の如くに扱いました。
 悪霊に支配されたマスメディアが現天上界を貶めようとしたのは当然であったでしょう。
 そのマスメディアは多くの信者を持つ宗教から援助されていたのです。
 彼等に神を語る資格などありません。
(神の心に目覚めた者が、真の神に懸けて、
神の真理(まこと)を人の神の心に伝えんとする熱意以外に何が足りないと思われるのでしょうか。
 メディアの力ですか。そのような力に神への愛が及ばぬものとでも思われるのですか。)
 そのようなメディアの介入を許さない天上界こそ真の神であることがお判り頂けると思います。

「JI」90年6月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「国家や人類のことに関しては、"誰かに任せておけば勝手にやるだろう"式の考え方では、
日本民族は滅亡するしかないのです。」

 日本民族が日本国土を失った時、国土を失っても民族のアイデンティティー
(ヤハウェ神への信仰に生きる)を失わなかったユダヤ人のように誇るべき民族の信念
(彼等は神に従って、国を守る為に最後まで戦った故に
その誇りを持ち続けることが出来たのです)を見出しているでしょうか。
 国民が堕落すれば、国防意識を疎んずれば国土を失うだけではない、
民族も滅びるのです。シャキャ族のように。

 雀一羽でもその命を軽んじ奪う冷酷な心は、
自らの生命の為なら、神の御心(また自らの神の心)に、愛に手向かう者です。
 神は生きとし生けるものの生命を愛する者、生命以上に大切なものはない
(生命を守ってきた愛こそ真に価値あるものであることを見失わせる)と、
(神から)永遠の生命(魂)を守ることが出来るのは、
救いの手を差し伸べる者は自分(サタン)である唆された、
かつて神に救われた善霊達は、神を裏切り、天国を真の善霊を善なる人々を滅ぼそうとした。
 人の自分さえ救われればよいという思いが、
天国を窮地へと、真の神からその生命を奪うまでに追いやったことを知らされました。

 そのような偽我が人類を生存する価値なき者
(あらゆる生命に与えられてきた真の愛を捨てる)、地獄の住人、悪霊に貶めるのみならず、
生命を存続させてきた自然の法則、本能を拒絶した種は淘汰される、
さもなくば地球そのものが生命の存続を許さぬ死の星になることも知らされました。備考2終〗

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法