第四部 天への思い

第二章 天を裏切る心の分析
「慈悲と愛」84年5月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」186頁

「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか?
 滅びと消滅を約されて生きる身となれば、絶望しかないのではありませんか?
 その為に私達天を偽物と断じなければ、自らの安らぎを覚えぬ程の不安を感じ、
天に背く者も、無視する者も等しく、千乃裕子を介して現われ、語り掛ける神 ー
即ち私達を悪霊や偽物と中傷して廻るのです。」

「慈悲と愛」79年11月号7頁
 千乃先生「天を裏切る心の分析」全文

「(高橋信次氏の裏切りは別として、中野裕道氏の周辺は言うに及ばず、
今回の上田照子氏の背反について、私の知る限りに於ては、このように)
天上界と密に交流のある人には、天上界も私も、正しい事は認め、
正しくない事は在るべき形を示し、公正に、そして努力に対しては感謝を以て、
敬意と親しみの心で常に接してきました。
 先月号で述べた縷衣香という女流画家にしても同じです。
 それにも関わらず、或る日突然に裏切り、そして裏切ろうと思うや否や、
言葉と行動を尽くして虚言、中傷、讒言(ざんげん)を狂気の如くに人に触れて廻る。
 その行為には少しの良心の呵責も窺えない。
 この感情の突然の変化と偽我の奔流は一体何が原因であろうかと冷静に分析して見ました。
 私達正法者は如何なる事象に対しても、正見・正思を、常に心掛けねばならないからです。

 これは悪霊の唆し以前に、偽我の塊になり易いヒステリー気質に加えて、
その生い立ちや人生観に問題があるに違いない。
 そしてこういった人々を分析して見ると、
一様に彼等は強運の持主で、裕福な家庭に育ち、身体が弱くて過保護であったか、
或いは厳し過ぎる親或いは配偶者の許で、
その厳しさに耐えられぬ思いを抑えて耐えてきた人々であって、
精神的支配を受ける相手にどうすれば容認し、褒めて貰えるか。
 叱責されずに済むかと顔色を見つつ過ごしてきた。
 或いはその延長や代償として、社会での賞賛をその一挙手一投足に求めてきた。


(過保護に育った人は、その我が儘な思いと欲求を、
抑えねばならない事態に直面した事が無く、我慢しなければならない、
他への思い遣りに自己を譲るといった心構えは只窮屈なだけなのでしょう。)

 詰り、厳しい精神の支配者
(親或いは夫、或いは中野裕道氏の場合は僧侶としての修行も加味されねばならないが)
から賞賛を得られない時に、何処かで自分を生かす、自己を肯定するものを求めているのです。
 それを世人に求め、好意を示してそれが得られる時は、対象が誰であれ、何であれ、
本人の人格や人生観や価値観が何であれ、只人から特別視されたい。認めて欲しい。
 好意を持たれたい。味方になって欲しいという切なる願望が育つのです。

 こういった人達に取っては、天上界であろうが、GLAであろうが、
神であろうが、悪魔であろうが、選択している心の余裕は無く、誰でも良い。
 優しく自分の行為を褒めて欲しい。言い分を通して欲しい。
 といった最もサタンの誘惑に脆い人格しか育たなくなるのです。
 彼等に取って自己保存は生きることそのものであり、
天上界と雖も、その脆いが、しかし死守しなければならない自我を

覗き見ることは許されないのです。
 真の意味に於ける内観も八正道も、彼等に取っては、自己破壊にしか繋がらない。


 高き意識や悟りは縁なきものなのです。
 彼等に取って内部は虚偽と虚栄の塊であっても良い。
 偽我そのものであっても、それを偽我と認めることは出来ない。
 他人も偽我だと評してはならない。
 一歩も譲らぬ必死の自己防衛の心しかないのです。
 その心の声は良心ではなく、"善も悪もすべてを許す絶対的な寛容の世界"であって、
こういった人々の夢見る世界は、母の手に委ねられた幼児の世界なのです。
 従って、天も裁くものであってはならない。
 只"よしよし"という天でなければならない。
 
その虚像と、現実の厳しく正道を教えられる天の正像との大きな食い違いが、
彼等の失望となって逆流し、天への反逆の道をまっしぐらにひた走るのです。


 これは、理由もなく厳しい親や配偶者の世界に閉じ込められて、自らの判断力も養えず、
人懐っこさと人恋しさを一つの渇望として保ち、そして自分の耐えている、
或いは耐えてきた環境との葛藤を上手く処理出来ず、只抑圧してきた人の、社会に於ける独自の、
又必然的な自己表現であり、自己確立の手段でもあるのです。

 詰り彼等の精神構造は歪められたものであって、半病人であり、
自らを正しいものと錯覚しているにも関らず、
その思い違いを正す人は、たとえ神であろうとも背を向けずにいられないのです。
 こういった人々に幾ら理を尽くして説いても無駄であること。
 彼等は、彼等の今生きている世界で心が一杯なのであって、天への背信ということも、
彼等の誤りについても、悟らせようとすることは無駄である
ことが判りました。

 事の善悪を弁えさせることも無理なのであって、
天の語る"慈愛の本質"というものについても、
ましてや真理とは何かということに関しても、
彼等には無縁の、只煩わしい世界であるに過ぎないのです。
 私は彼等に対して憎しみはありません。只哀れだと思う気持ちしか残らないのです。
 駄々をこね続ける幼児に対するように。
 しかしこの世には、如何にこの様な事の理を弁えぬ人が多いことでしょうか。
 だから、裁きがなければ世は乱れに乱れ、悪霊の思うが儘の地獄と化すのは必定なのです。
 霊の世界や天を無視して生きるのは容易いことです。
 しかし無視した積りであっても、

悪霊は世の乱れを喜び、正しき心の人々や徳高き人々を迫害して楽しむのです。

 天はあく迄も正しき人々の側に立ち、
悪魔からも背信の徒からも守り抜くことを約束なさり、またその如く為しておられます。
 その為にも私達は勇気を得て、天の理に立って
強く在らねばならないのです。
 そしてお互いに天の求められる正しき心や人格を良しとし、その様な人々の側に立ち、
悪い意志を持つ人々から守りぬかねばならないのです。」

「全正法者へ天上界より緊急連絡」(消滅宣告)
「ミカエルですが、大阪の「集い」の元主宰であった上田照子が悪霊に心を完全に明け渡し、
この九月に天上界に反旗を翻し、
大阪の青年グループ及び他の「集い」の協力者を現正法者から引き離し、
これらの人々を罪に陥れようと計りました
 天上界の忠誠心を装い、意識の底に於ては、人々の賛美を求め、自らのメシヤ化を計り、
心正しき人々の讒言をのみ、千乃様に呈し、
その虚言と、被害妄想癖によって、事を計ってならず、
今、狂気の如く、天に弓引く者と成り果てました。
 従って最後の審判の意義を省みず、
その暴挙に出た上田照子は今日一九七九年十月十三日を以て消滅と定められました。
 同氏に準ずる者も同じく年齢を問わず、消滅と定められます
                                 ミカエル」

〖備考1
 魂の存続を、永遠の生命を保証するとの悪魔の申し立てを信じ、天上界を裏切った善霊は、
自分だけが救われることを考える、自分のことしか考えられなくなるということは、
自分を生かしてきたものが何であったか顧みられなくなる、
真に自分を救っているものが目に入らなくなる、
自分にしか関心が持てない心になる、
自分のことと認識される世界に於てしか感情が起きない、
余所で人が苦しもうが、迫害されようが反射する心がない、
自分に関わる世界が全てであり、檻の中に生きざるを得ぬ動物を何とも思わぬ心所か、
自ら望んで自分(自己愛)という檻の中に生きることを欲する、
これほど哀れな生き方があるでしょうか。
 己への執着心が、全ての生き物を生かす自然の知恵への理解を失わせる、
その知恵に生きぬものは、真理(自然の存続の知恵)を見失うものは淘汰される、
自然の愛に適応出来ないということでしょう。

 自分を救うことだけを考える、そしてその考えが、生き方が正しいと思うのは
自己肯定の偽我であるということなのです。
 自分は正しいと自分で下す判断が、如何に知恵なきものであったか、
誰しも経験したことではないでしょうか。
 その考えが正しいと思う、それに満足感を得る時、
本当にそれで正しいのか、真理を求める厳しさを失う時、
自己肯定(自分は誰からも非難されることはない、精神の安定した、自己愛の満たされた状態)
の偽我の前に判断停止(これをヒステリー性格と言うそうです)してしまうのでしょう。

 自分が救われる、永遠の生命を得ることしか考えられなくなった心は、
悪魔の力が神に勝ると信じれば、
悪魔が神のように信義を重んじることも、徳に生きる心もないことを失念する、
自分の邪念を満たす為に、如何に他を利用するか、
その為にはどうすれば騙せる(信じさせられる)かその悪知恵を磨いてきたのであり、
自分の側に付けば守ってやると悪魔の甘言が見抜けず、自分を守ろうとしてくれると、
自分の思い(考え)を理解し、その考えを実現させようと、
力ある者が自分の前に現れたと思い込めば(信じさせられれば)、
簡単に信じてしまうのが自己肯定に生きる偽我なのです。
 自分の都合の良い考えには、それが正しいものと思い込んでしまう、
それが願望という心なのかも知れません。

 自己保存という本能の前に、自己愛の前に、
愛、正義、信義、神、真理(理性を生かし育てる)を見失う、
そのような者が自分を救うことなど出来る訳がありません。
 種(子孫)を存続させる、それが生きるということであり、
その為に生きるのが自然から与えられた喜びであり、
それを捨てて得ようとする、自己愛を満たそうとする、
そのような思いは生き物には与えられていないのです。
 生後、人自らの意志で育てたのが他を顧みない自らへの愛、
自らを縛る執着心、自己愛という不毛の愛です。

 自然が、ありとあらゆる種が共存し得たのは、
すべて生き物の心に愛を本能として刻み込まれてきたからに他なりません。
 人類が本能に留まらず、本能を昇華させる、自己保存から齎される感情以上の、
高等感情と呼ばれる愛を、
自己愛の延長の自分の子孫だけを思う愛ではない、
自己愛を超えるからこそ現れる他への愛を、知恵を生み出す能力を得た、
精神の進化に踏み出したが故に、
本能の(愛の)衰退から、人類という種を救うべく、
本能の愛を理性の愛へと昇華することが、種の存続の条件となった、
その分岐点に人類は今立っているのです。

 人類を破滅に導く悪魔の本性を、その意志を天上界から伝えられました。
 それを悟らぬ者が、自己保存から神の愛を捨て去り、
神を裏切ることで、悪魔の心にまで落ちていったのです。

 共産主義思想を受け入れたユダヤ民族は、
共産主義思想を信じれば人格は堕落して行くことを、
人民が堕落すれば自ずと国家は崩壊することを理解していた、
悪魔の思想であることを知っての、
世界へ、他の民族へと共産主義を浸透させていったのであり、
それが悪魔に魂を渡す、神を裏切ることだと当然の如く解っていたのです。
 しかしユダヤ民族以外で共産主義を信じる者は、
サタンに魂を渡したと理解するだけの知性は皆無でしょう。
 一生悪霊に支配されるだけの者です。
 無論、自覚がなかろうと、悪を為し、神の愛するものを迫害する者が
神の許しに与れるなどあり得ないことです。
 しかしサタンをサタンと知って従った、神を神と知って裏切った善霊は、
真の裏切りものです。
 このような者を赦すなら天は滅びるでしょう。備考1終〗

〖備考2
 世の認める価値を有すると、自らの誇りの拠り所としたてきた如何なるもの
(自らのアイデンティティとした組織、その地位、名誉、愛着)も、
天の認める価値の前に雲散霧消する時、残されたものは魂(心)だけであり、
心の中の天の嘉されるものと忌み嫌う(悪魔の嘉する)ものが秤に掛けられます。

 自らの誇って来たものに何の価値もないとされた時、
誇りとした己自身が(真理に盲いた)偽我に過ぎぬものと、
自尊心さえ(偽我に立っての)己を高しとする増上慢の欺瞞でしかないとされた時、
この世の尺度に於て人に勝ると信じてきた者が、
天に於ては自分の見下してきた者よりも低きとされた時、
人は受け入れることが出来るでしょうか。
 受け入れられぬ者が悪魔の甘言(偽我に生きる人々を価値ある者と唆す)を信じ、
天に刃向う者へと堕ちて行きました。備考2終〗

〖備考3
 多くの正法者が偽りの後継者を信じたことから、悪霊の跳梁は明らかでした。
 サタンに操られて自らこそ後継者と、千乃先生を引きずり下ろそうとしたものは、
女性ばかりでした。
 千乃先生が女性であったこともあったのかも知れません。
 高慢な者は些細な根拠でも自惚れます。
 知られずにいるだけの思い上がった者は多くいますが、
自己顕示欲の強い者は言動に表れますから、目立ちますね。
 政治の世界にも(酷いのが)目立つ女性議員はいますが、立憲民主党どろこではなかったのが、
れいわの女性議員で、死後生き延びれば悪霊の化け物となること必至でしょう。

「JI」81年4月号初出 ガブリエル様メッセージより
「(背反した)猪飼るい子のようにミカエルやウリエルに対しても徹底して反抗し、
反逆の道を転げ落ちた者もおりました。」
「まことしやかな上品で完璧な言葉や挙措動作は謙譲の装いであり、
虚栄の裏返しにしか過ぎぬことが往々にしてあり、
上田照子のような恐ろしい偽我の怪物となるのです。」
(自らの正しさを証さんが為に、正義、正論をやたらと主張する者がいますが、
その言葉が正しくても、それを主張する者がそうであるとの証になる訳ではありません。
 自分に抗う者を正義に反する者と、人々に間違った判断へと導かんが為に主張する、
そのような偽善者もいるのです。)
「そういった人達の偽我は積もり積もって鱗(うろこ)のようになる」)
とガブリエル様は仰しゃいました。

 日本人の九割は地獄に落ちる魂であることを、嘗て天上界は警告なさいましたが、
共産党やれいわを指示する人々は、それでは済まない人達であろうと思います。
 執着という地獄から逃れられずに苦しんでいる者と、
この世に地獄を齎そうとしている者への神の裁きが等しい訳がないでしょう。
 共産党もれいわも正しいことを、良い政策を言うといわれるのでしょうか。
 それが悪魔の甘言なのであり、その言葉は知っていても、それ
(悪魔の甘言、その言葉を正しいと鵜吞みにする愚かな心へと、
人よりも自分の幸せを考える心へと、
己が為すべきことを以て人に繫がる責任感を疎んじ、
権利を主張し、自分の為に人を為さしめるを当然と考える心へと、
神の心を遠ざけ悪魔の邪念に満たされる心へと導く)が為されていることが見抜けない、
それに従っている自分の愚が悟れない。

 真理の言葉を知っているとの自惚れに、
実践出来ないでいる愚か者が真の自分の姿であると覚れない者、
謙虚な心を失った者は、
共産主義者やそのシンパと何ら変わらぬ増上慢なのであり、
そのような心は、神よりも己を愛する盲愛故に、
自己愛を満たさんとする偽我であり悪霊と同じ心故に、
悪霊の邪念が伝わる、悪霊に支配されるのです。

 善悪を正しく判断することの出来ぬ者を天上界は迎えないことが伝えられました。
 善悪の判断力を身に付ける術が魂の研磨であり、ブッタ様の悟られた八正道です。
 真理に生きる者か、理解に留まる、我執の壁を乗り越えることの出来ぬ者かは、
執着から解放された、真理に生きる自由を得た者にあって初めて知るものとなるでしょう。
 天上界の伝えてきたものは実践されて初めて真理となる。
 故に真理への愛なくば、真理に謙虚な心なくば無に等しい。
 魂の研磨とは、八正道とは実践すべきもの、
生きる指針なのであり、行動の内容を伝えるものです。
 それが解らない者はいないと思います。
 実践しているか自らの心を顧みる、反省する、
八正道が為されてきたか正定(反省)を以て、初めて八正道が、魂の研磨がなされていると、
神の心へ導かれているとの認識が許されるのではないでしょうか。

 偽善者は人の欠点、罪を暴き立て、破滅させる行為こそ正義、
そのような正義は自らの内に何らやましいことがない故に出来る、自らをそうであると盲信する、
自らに勝る人の優れたところを認め、敬う謙虚な心を持たず、自分の優位を認めさせようとする、
自己顕示の衝動から、善悪の判断(理性)なく突き進む、
己を高しとし他を軽んじる、悪魔の如き高慢(偽我)は、
自分に反する者を引きずり落すことも躊躇しない。
 自惚れが真の己を見る目を(己を知る知恵を)失わせていることを一生悟ることの出来ない者、
正に聖書に記されたパリサイ人の性格を受け継いだ人達です。

 このような人々が増えた要因を、作詞家の阿久悠氏が語っていますのでお伝えします。
「清らかな厭世」252頁 阿久悠著 二〇〇七年新潮社発行
"ようく思い出してごらん
 あなたの家庭に他人を褒める 
 習慣があったかどうか"
「困ったことにといおうか、悲しいことにといおうか、人間は他人を罵ることが好きなようである。
 指さして、その指を意志的に振りながら、侮辱の言葉を短く強く爆裂させると、なお嬉しい。
 おそらくは体内に鬱積していた不満が、シャンパンが弾けるように吹き出るのであろう。
 しかし、そうはいっても、よほどのことがない限り、
指ふるわせて罵るなどという行動は実行出来ない。相手がある。
 相手には罵り返す権利があるし、第一、それは相当に醜い行為であるという常識があるので、
どんなに本質的に好きなものであってもやらなかった。
 だから、社会も家庭も平安だった。要するに本音とか本質はロクなものじゃなくて、
抑え込んでちょうど世間で通用することなのだ。
 
 ところが、面罵することに恰好なものが登場した。
 面罵され、指さされるために作られたような物である。テレビである。
 この面妖な機械が茶の間にドンと座ったことによって、
人々の抑えに抑えてきた醜めの本心が解放されたのである。
 悪口の言い放題である。指さそうが、唾を吐こうが、自分の場の自分の物であるから構わない。
 大物政治家であろうが、天才歌手であろうが、罵り、こき下ろし、
しかもそれで家庭の連帯まで出来るのだから、こんないいことはない。
 どこの家でも極上の歓びとしてこれをやった。

 そして、月日が流れた。五十年の習慣が、一代二代と家風のように受け継がれ、
少々はしゃいだ鬱憤晴らしの茶の間タイムのおかげで、
他人を褒めるとか、敬意を払うということを忘れてしまったのである。
 生まれて物心ついてから、他人を悪く言って楽しむ快感に浸っていると、
自分以外の人間に敬意を払い、尊重するということは身につかない。

「ああ、凄い!」「ああ、立派な人だ、ああなりたい!」と感じるより、
「馬鹿だね」「アホかこいつら」「消えちまえ」と言う方が
何だか自分が大きく感じられるのである。
 実は真反対のことなのだが、人間は悲しいかな、他人を褒める自分の大きさより、
他人をやっつけることによって自分を大きいと思う方が楽なのである。

 さて、今、社会が壊れている。腐っていると感じる人もいるし、溶解していると書く人もいる。
 只事ではない。他人との共棲の心の技術を持たないで社会に出て来るのだから、
壊れもするし、腐りもするし、溶けもする。
 その原因はもしかしたら、生まれてこの方、ただの一度も家族そろって、
他人の生き方や才能に敬意を払ったことのない悪習慣の集積ではないかと思う。
 社会の大問題も、病理は他人にあるのではなく、しかも、実は小さいのだ。」

 テレビ界とは、人の虚栄心、自己顕示欲に支えられた、
それなくしては人をテレビ界に繋ぎ得ぬものです。
 何故ならテレビ界を跋扈する悪霊が人を地獄に繋ぎ留める想念が、
虚栄心、自己顕示欲であるからです。
 テレビ局から放たれる邪念を、人々はテレビから浴びせられているのです。
 人々の偽我が刺激されれば、左翼政党の女性議員のような、
悪霊に心を支配されたような人間に育つのは当然ではないでしょうか。
 テレビ界のみならず、インターネットの世界も悪霊の跳梁は歴然です。

「天の奇蹟 下巻(87年7月初版)」342頁
 著者(岩間先生)の質問へのガブリエル様による解答より

「ユリ・ゲラーを演出させた悪霊はテレビ局の電力を利用
(したのは電力ばかりではないのですが)しました。
 テレビの前のスプーンを曲げるのは、各家庭に潜り込んだ悪霊が、
別の霊達が局から流した強い電流を感じた人の前で曲げて見せただけなのです。
 霊の数が多ければ大規模な現象が可能です。」

 天上界は、私達と直接繋がることを願っておられます。
 天上界は宗教を必要としていません。
 宗教はサタンに導かれ、神の救いの妨害者と成り果てているからです。
 天上界の福音、現正法を広める為に、天上界は自ら私達の前に立って伝えられました。
 天上界の御意志を理解せぬ者が、神を偽るサタンを見抜けぬ者が、
真の天上界の御意志を遮り、歪めて伝えることを許してはならないからです。

 天上界は現正法を伝える為にマスメディアを求めませんでした。
 マスメディアは、現正法を新興宗教の如くに扱いました。
 悪霊に支配されたマスメディアが現天上界を貶めようとしたのは当然であったでしょう。
 そのマスメディアは多くの信者を持つ宗教から援助されていたのです。
 彼等に神を語る資格などありません。
(神の心に目覚めた者が、真の神に懸けて、
神の真理(まこと)を人の神の心に伝えんとする熱意以外に何が足りないと思われるのでしょうか。
 メディアの力ですか。そのような力に神への愛が及ばぬものとでも思われるのですか。)
 そのようなメディアの介入を許さない天上界こそ真の神であることがお判り頂けると思います。

「JI」90年6月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「国家や人類のことに関しては、"誰かに任せておけば勝手にやるだろう"式の考え方では、
日本民族は滅亡するしかないのです。」

 日本民族が日本国土を失った時、国土を失っても民族のアイデンティティー
(ヤハウェ神への信仰に生きる)を失わなかったユダヤ人のように誇るべき民族の信念
(彼等は神に従って、国を守る為に最後まで戦った故に
その誇りを持ち続けることが出来たのです)を見出しているでしょうか。
 国民が堕落すれば、国防意識を疎んずれば国土を失うだけではない、
民族も滅びるのです。シャキャ族のように。

 雀一羽でもその命を軽んじ奪う冷酷な心は、
自らの生命の為なら、神の御心(また自らの神の心)に、愛に手向かう者です。
 神は生きとし生けるものの生命を愛する者、生命以上に大切なものはない
(生命を守ってきた愛こそ真に価値あるものであることを見失わせる)と、
(神から)永遠の生命(魂)を守ることが出来るのは、
救いの手を差し伸べる者は自分(サタン)である唆された、
かつて神に救われた善霊達は、神を裏切り、天国を真の善霊を善なる人々を滅ぼそうとした。
 人の自分さえ救われればよいという思いが、
天国を窮地へと、真の神からその生命を奪うまでに追いやったことを知らされました。

 そのような偽我が人類を生存する価値なき者
(あらゆる生命に与えられてきた真の愛を捨てる)、地獄の住人、悪霊に貶めるのみならず、
生命を存続させてきた自然の法則、本能を拒絶した種は淘汰される、
さもなくば地球そのものが生命の存続を許さぬ死の星になることも知らされました。備考3終〗

〖参考
「JI」82年2月号より
 嘗ての仲間を背反から引き戻そうと説得にあたった人々の証言から、
神に背反した心が、悪霊に憑依された心がどのようなものか
知っておくことは無駄ではないと思います。

天に背反する者(証言その1) 「JI」82年2月号 P4
「(前略)
 彼等(背反者)の集まりの部屋に入ると、
十六畳くらいの居間に二十五、六人が輪になっていました。
(中略)
 西沢(主宰)様から指示のありました、天上界のご意志を伝えました。
・このままだと全員消滅になるからすぐさまここから離れるよう。
・皆だまされて、恥ずかしくないのか。
・この者(戸張氏)からは(悪霊にも言える)メッセージ以上のものは出ないこと。
・正法は理証・現証・文証がなければならない
(それらに裏付けされたものであるという)こと。
・この場を去って、真の天上界の連絡会へ私と一緒に出てほしいこと。
を伝えました。

 それに対する彼等の反応は次の通りです。
「ええ、消滅で結構、消滅するならして下さい」(村中、大塚聖美氏)
「千乃先生のやり方はおかしい」(厳しいと言いたかったようです)
「浦山さんが出版社へ最後に来た時の、皆の態度が冷たすぎる。
(消滅宣告を受けて、出社するなと言われたのに出社したんですよ ?! 千乃)
 正法者はそんな態度では良くないんじゃないですか」(女性・二十代後半)
「あなたのその態度はありますか。部屋に入るなり一方的に言うばかりで、
こちらさんの意見を聞くのが礼儀ではないのですか」(三好氏)
「こっちの言い分(消滅宣告者)も聞いてよ。一方的に判断するするんじゃなく、
もっと理性を働かして判断してほしい」(浦山氏)
(理性をねー。千乃)
「まるで共産党のようだ」(若者・二十歳位)
(共産党員はもっと狡猾です。千乃)
「後継者はもう変わっている。千乃先生ではなく西岡(?)様です」(浦山氏)
「西岡とは誰のことですか」(私)
「私です。旧姓戸張です」(戸張氏)
「後継者とは、誰ですか」(私)
「私です」(戸張氏)
「何を以て後継者と公言するのか」(私)
「私の合体霊はエル・ランティ様です。
 エル・ランティ様といったらどのような方かお分かりですか。
 最高のものなのですよ。これ以上のものはいないのですよ」(戸張氏)

「何を以てそういうのか。メッセージのどこにそうあるのか。
 自分でそう言っているだけであろう。
 この者に何ができるのか。単に霊現象だけであろう。
 そんなものに惑わされてはだめだ。この者に人は救えない。
 正法には理証・現証・文証がある」(私)
「この者に騙されてはいけない。私と一緒にここから出て(ジェイアイ出版のある)
パインクレストで行っている集まりに行きましょう。
 このままだと全員消滅です。
 どなたか私と行く人はありませんか」(私)
 誰もいませんでした。
 その後、気の変わりそうな人(馬越氏、山村氏)に呼びかけ、
また何の為に正法を一緒に学んできたのか訴えましたが、効果はありませんでした。
 あとは、私と一緒に真の天上界の下に行われている集いに行きましょうと
再三のお願いをしました。
 来ている人の表情は、戸張・浦山・大塚・赤坂・村中・馬越各氏を除き、
皆一様にトローンとした表情だなと感じました。
 
 しまいに、何回言うんだ、同じ事を、くどいと言われ、私に説得する力はないと思い、
帰る旨伝えました。すると、
「こっちの言い分も聞きなさい」「落ち着いて話し合いましょう」と言い出し、
このままいると私自身も危ないと感じた為これで帰ることにしました。
 玄関で浦山・村山各氏に引き止められ、玄関を出たあとも浦山氏がついて来て
「まあ、こっちの話を聞いてよ」と言い張ります。
 さらに大塚(夫)、島田、赤坂、村中各氏がついてきて引き止めます。
 もとにもどらないことがわかると、私が無礼であった事を言われました。
 さんざん非難を聞かされた後、やっと腹がおさまったようです。
 離してくれました。暴力は一切ありませんでした。

 特に表情なのですが、戸張氏は最初集いで見た時には暗く、精彩のない感じでしたが、
今日見た表情は全然違っていました。
 ホメイニ氏にも似て、目からくるエネルギーや体から出るエネルギーで、
悪霊からのエネルギーを相当受けているのではと感じました。
 目は冷たく温かみのない目です。
 浦山氏は顔色さえず、前と違い病人のようです。

 この二人の変化には少しおどろきました。(後略)」

天に背反する者(証言その2) 「JI」82年2月号 P10
「関口さんに対しては、去る二十二日、説得に出向きましたが、徒労に終わりました。
 私の懸命の説得も確信に触れると聞こえない、私の口だけがパクパク動いているといって、
目を見開き一心に聞き入ってくれますが、遠くで聞こえるけど音声に過ぎずと言い出す始末、
私は声を張りあげ、向こうは涙流さんばかりに聞き取ろうとしてくれましたが、
その内、頭が痛いと様子がおかしくなり、途中で打ち切りました。
 これは悪霊のパワーによるものでしょうか?

 魂を乗っ取られている可哀そうな初心者を前に
悪霊を追い払うことも出来ぬ無力な自分に歯がゆい思いをしました。
 彼女が涙ながらに訴えたことー

 天からみれば西も東もわからぬ小さな子が、
幼さゆえに脇見をしただけで消滅というのは、無常すぎる。
 長い人生の一瞬の過ちで、永遠の魂を天はそんなに簡単にとりあげられるのですか(※文末)。

(こちらの警告も聞き入れず、偽メシヤを先頭に、千四百人もの正法会員に、
こちらに天はいないと、呼びかけることは、脇見と一瞬の過ちですか?

 自分が躓くだけならまだしも、
他の人も背反の道に誘い込むのは、消滅になっても当然ではありませんか。
 この世の法律でも犯罪教唆の方が罪が重いですよ。
 しかも反省し、戻って来るチャンスはあるのに、
消滅にするならしてみろと天にうそぶいたことは、そんなに軽い罪ですか。千乃)


 異常状態で聞き出したことなので信ぴょう性は薄いと思われますが、
十二月二十日背反者の集いの模様は次の通りです。

(以下は、背反者による言葉をそのまま伝えるものです)
①集いは戸張さん中心、三好先生は余り先導的ではなかった。
②戸張さんの現象に出たのは、(無論偽物の)エル・ランティ様、イエス様、ガブリエル様、
その他お一人? その都度音声、話しぶりが変った。
(では土田さんは同じだとでも言うのですか? 千乃)
 イエス様は十字架にかけられた時のことをお話しになった。
 色々と質問に答えて下さった。
(誰でも知っているようなことは知能犯の悪霊なら言えます。演じます。千乃)
③ポカポカととても暖かい雰囲気で楽しかった。
(悪霊も私達の霊体の能力についての発表により、色々なことをやります。
 暖かいから善霊と思うことがそのそも躓きの元になるのです。
 私の体験の時よりずっと悪霊は進歩しています。
 色々と『JI』誌を通して学んだ結果。千乃)
④仲間どおしの心の触れ合いは、私共の集いの比ではない。
 ボーッと暖かい状態になる。
(これも悪霊! 残念ですが極め手になりません。暖かくするのも現象の一つ。
 つい十月頃に天上界は現象を出さず、悪霊を見分けて消滅なさるから、
現象が少しでもあれば言うように伝えた所です。こちらでもすぐ暖かくなさいます。
 とするとどうやって見分けるのですか、真の天上界を? 千乃)
⑤今後の運営方針的な話はなかった。
⑥集いは二回目のようだった。(本人参加は初めて)
(戸張、大塚氏が"いい事がある"と騙して呼んだのです。
 真の天上界なら何故秘密にしたのでしょうね? 千乃)
⑦集いの中で、大阪の(真の天上界の下での)クリスマスの集いでは
イエス様はじめこちらに来てらっしゃるので現象は出なかったとの
(ウソの)報告がなされた(明らかに騙しにかけたのです)。
(そしてこちらの大阪に出席した人達の証言を聞こうとはしない。
 これはどういうことなのでしょうね? 千乃)
⑧ボランティアで出版社に出掛け、たびたび三好先生のお話を聞き、
個人指導を受け、畏敬の念を深めていった、そういう方が多いようだった。
(上田照子もそうですが、人に自分が立派だと印象付ける完全主義者は、
反面他の人に掛けている迷惑に気付かないものです。
 何故千乃には独善、独断を許さないと常に反撥し身構え、
このような人は、こういった(三好氏のような)人々の独断や意志の支配には
心酔するのですか?
 私がニコニコして、砂糖菓子とハチミツの言葉を吐かないからでしょう?
 御機嫌を取らず、愚かな言葉には厳しいからでしょう?
 それの何処がいけないのか、伺いたいものです。
 しかし反面、人間としての思い遣りは充分表明していますよ。
 田中氏は色々な人に西沢様、土田さん、私が消滅になると中傷文を送り付けていますが、
一体何のゆえに? 千乃)
 以上、電話でのコンタクトも含めやっと聞き出した要旨です。
 私と話しはじめると、子供のようになってしまいます。
 脳が麻痺されているように感じました。お気の毒です。
(後略)」

「神から授けられた正法」をMicrosoft Bingで検索すると、
並んで「大山ねずの命(祇命)神示教会」が表示されますが、
同じ「JI」82年2月号の背反者の特集の中に
悪質な宗教(悪霊憑依)団体であることが指摘されているのを見つけました。
 光には陰が付きまとうと言われますが、
再び正法が広まろうとしていることを悪霊が嗅ぎつけたのでしょうか。
 天に愛される者への嫉妬から、
天に導かれようとする者が自分に劣る者であることを示さずにはいられぬ、
心のねじ曲がった悪霊が、神の道に立ち塞がり、
偽りの道へと引きずり込もうとしているようです。

 天が千乃先生と共に正法を広められた時代から、
天に刃向かう悪霊の傀儡となった邪教団体の、
今また神に刃向かうという悪霊の本性に目覚めたのかも知れません。
 神の正法を貶める似非正法団体が、神の正法の場に割り込む、
四十年前から悪霊に侵され続けた、真の正法とは何の関わりもない邪教です。

天に抗う新興宗教(証言その3) 「JI」82年2月号 P21
「(前略)
 以前、主宰に「ヘンな霊能者や団体を見つけたら知らせるように」と言われていましたが、
最近それらしきものにぶつかりました。
 大山祇命神示教会本部
というものです。脱会者は神に復讐される、などと公言しているようで、
(注。ある正法者の質問に
「正法、正法と拘り過ぎてしまっているならば、一度正法から離れてどらんなさい。
 そうすれば又、否応なしに自分から正法に戻りたくなる時がやって来ます。
とガブリエル様は仰しゃいました。)
かなり悪質な団体と見受けられます。

(創価学会、霊友会でこの類の引き留め策をしておりますね。
 現正法とは違って、心霊治療や教祖の身辺の奇跡を売物に、
理屈ではなく盲信、狂信を強いる団体ほど離反すると天罰が当るといって脅すようです。
 死後の消滅がこういった悪霊の支配する団体の教祖と、
信じて疑わない信者を待ち構えているのも知らずに ー 。
 桐山密教阿含宗などといって、龍神がごまの火を操作したり、
火を龍の形に見せたりすることで大会館を建立する、といって
"瓦何枚"の寄進をさせておりますが、最近大変隆盛で、
水子教に次いで、先祖崇拝、守護霊について勧めております。
 救世教の出鱈目さ加減については、
前月号の天上界の病気治療証言にこの野口正様が書いておられます。
 会館建立、先祖崇拝 ー 実際面にあまり役に立たない事に財産を注ぎ込ませる教団も、
悪霊として判断の目安になります。
 これなども"偶像を拝み、まじないをする"部類で、第二の死を与えられるべき団体です。
 勿論、真の現天上界から目を逸らせるすべての新興、既成宗教・思想団体は、
すべて"いのちの書"に名を連ねていないのです。
 天を"信じないもの"ですから。千乃)(後略)」
 参考終〗

※文末注。
〖参考〗
「ハムレット」の物語は、
ハムレットの挙動を怪しみ警戒するクローディアス王の忠臣ポローニアスが
壁掛けの陰に隠れてハムレットを盗み聞きするところをハムレットは刺し殺すことで
結末へと収束して行きます。
 ポローニアスの息子から復讐されることを心配しての名目から、
クローディアスはハムレットをイギリスへ追い出す。
 その船の中でデンマーク王からイギリス王への親書を見つけたハムレットは、
封を切ってその奸計を知る。
 ハムレットが自分達にとって如何に危険な存在かを伝え、
その場で首を奪うように謀ったものであった。
 その親書をハムレットは偽造し、
この親書を齎したローゼンクランツとギルデンスターンを殺すべく書き換えた。
 そのやり取りを、ハムレットはホレーシオにこう語っている。

 ホレーシオ するとギルデンスターンとローゼンクランツは?
 ハムレット そう、このやとわれ仕事に惚れて心中したのだ。
  あの二人のことで良心のとがめはない、好きこのんで
  手を出したばかりにみずから招いた破滅だ。
  大物同士がいのちがけで斬り結ぶなかに、
  小物が飛び込んでくるのは危険きわまりない話だ。

 知らないだけなら罪はなかったが、
知らない(正しいことを知らない、為さない)のに
知っている(自分は正しいと、正しいことを為している)と言い張るところに
罪があるとイエス様は仰しゃいましたが、
悪魔と神が戦っている、悪魔はその勝利の為に、
神の計画の妨害を甘言を以て人に為さしめる。
 邪教やイデオロギーの知識だけに留まる、それが誤りであることが解らない、
考えようとしないなら、人の心の善に働きかける意志も能力も持たぬだけかも知れない。

 悪が何故為されるか知らないなら、(悪についての)知識(記憶力)があるだけで、
理性(善悪の判断力)がない、
悪を行う心へと変える悪の力を、
内なる悪を知らしめ悪に立ち向かう善の力を知らない、
悪に生きる心(人)を知らぬなら善に生きる心(人)も知らぬだけかも知れない。

 神がそれら(邪教やイデオロギー)の誤りを、
人の心を悪へと導いていることを明らかにされたのみならず、
誤りを明らかにする真理を伝えられました。
 その真理を伝えなくするする為に、悪魔が邪教を、イデオロギーを広めている。
 彼等は神の教えを、神の法を知っていたら、
邪教に従い、悪を為さなかったと言うのでしょうか。
 その人が知らなくても、その人の仲間は、指導者は知っていて神を拒んだのであり、
その人達に惹かれてきたのではないですか。
 彼等を信じ、彼等の為すことを見習ってきたではないですか。

天上界の善霊は、正法を伝える為に、邪念に満ちたこの世に降りてこられたことを、
また魂の研磨、正義を唱え、善人の如く振舞う者が、
真の自分の心・偽我を見ようとしなかった者が、
悪魔の甘言に唆されて神を裏切った(偽善、欺瞞の自覚なき)善霊がいたことを、
正法者は知らされてきたのです。
 何も知らない、悪魔のずる賢さもしらない、
堕落を堕落とも判らない者が天上界に背を向けたのではない、
人々を救う為に犠牲を厭わなかった善霊の存在を知る正法者が、
天の仲間を、神々を裏切ったのです。

(人の希望を、神への信頼を破壊することに喜びを見出す、
人を不幸に、苦しみに突き落とす)悪霊の企みから人を守ることにすべてを、命を懸ける
善霊の存在を知りながら目覚めることがなかった者が、
神を、天上界のすべての高貴な善霊を裏切り、消滅宣告を突き付けられて、
悪魔に唆されて人を神から離反させる、人の魂を死に追いやる大罪を犯しながら、
良心の呵責も起きずして目覚めることのなかった者が、
己が生命の執着心、自己保存の本能からくる危機感故に目覚めた者を、
自らの犯した罪の犠牲者への痛みすらなき者を赦せと言う者は、
真に同情すべき存在の理解出来ぬ者であり、真の同情心なき者に過ぎない、
きれいごとによって自らの邪悪を覆い隠そうとする偽善者、
自らの自覚なき罪に怯えての、神の裁きさえ、
慈悲なきものと批判しないではいられぬ小心者なのです。

 それまで真の神であると理解していた心が、そのように思わなくなった、
真の神への愛に溢れていた心から愛が失われた、神を神と思わなくなった、
神を裏切るというのはそういうことではない、
それは自らに在った神の心を失った、理性を失った、
本能の条件反射である感情しか残されていないヒトに還ったに過ぎない。

 神を裏切るとは、神を神と知っており、神を愛する心が憎む心に変った、
神に抗うを本性とする悪霊と何も変わらない存在なのです。
 そのような悪霊の心に堕さない為に、神を信じなければならない、
真の神の心を理解しなければ、知恵なくば、偽りの神の甘言も見抜けずに、
偽我を育てることになると言われてきたのです。

 神を信じるのも信じないのも、本人の自由意志であるというのは、神の心を育てる為に、
苦難に遭っても善を貫こうとするか、
内なる神の心を顧みることなく自分の有利な道を、楽な道を選ぼうとするか、
如何なる条件反射を育てるか、その選択の自由はあるが、
その結果(どのような心になるか)は、すべてその者だけが負わねばならぬということです。
 偽我(悪霊の心)を育てたものが、偽我の本性である自己保存に徹する、
神に抗うのは彼等にとって相応しいものでしょう。

 嘗て神を愛したことも忘れたが故に自らに絶望することもなく
自己保存に徹することが出来る魂なのでしょう。
 悪霊故に消滅されたで十分なのですが、今私達が神を愛しているのなら、
その心を育ててきたのは神であることを心に刻むこと、
神に愛された者が神の愛を失う、そのように働きかける悪魔に隙を与えないように、
厳しく自らを律する決意を神は望まれる、
神の裁き(消滅)を恐れてピューリタンは自己保存の心に縛られたのであり、
自己保存からの解放を、自由を願うのが真の神である、
内なる悪(自らを縛る自己愛)を恐れよ、
人を破滅させるのは自己への執着であり、自己愛を克己した神の愛を見失ってはならない、
自らの神の心を裏切るとは自ら神の心を殺した者です。

 神への愛を捨て、神への憎しみに生きる、神を裏切った自らを愛する魂に、
かつて神を愛した者と認められる神の優しさを思い知ることができないのでしょうか。
 神を裏切る者と、神に言われた者に、消滅以外の救いがあるでしょうか。
 ※文末注終)

 神が自ら語られた言葉から神の叡智と判断する知性がない、
生ける神の愛の波動が伝えられても、神の存在を感受する心がない、
神を、神の心を知らない、信じられない心とはそういうものではないでしょうか。
 
 神の心が伝わった時、憎悪に、敵対心に駆られ、神を悪魔としか理解出来ない、
人の善なる心に確信を齎す、真の神の善なる心を明らかにする波動が伝えられる時、
神を否定する、拒絶する思いが現れる、
神の愛が伝わる時、憎しみが現れる、それは悪魔の心と変りません。
 善を知ることがなかった者も、悪なる心に屈した者も、変りません。
 あらゆる良き観念を破壊せずにはいられぬ悪魔の心です。

「『もし私が来て彼等に語らなかったならば、彼等は罪を犯さないで済んだであろう。
 しかし今となっては、彼等には、その罪について言い逃れる道がない。
 私を憎む者は、私の父をも憎む。
 もし、他の誰もしなかったような業を、私が彼等の間でしなかったならば、
彼等は罪を犯さないで済んだであろう。
 しかし事実、彼等は私と私の父とを見て、憎んだのである。』」
「ヨハネによる福音書 第15章22節」

「生存」 1986年5月号掲載 ジェイアイ出版
「大石内蔵助とマルクス ー 新共産主義批判 ー」野沢健治(評論家)

絶望者の祈り(マルクスの詩より)
 神が俺に、運命の呪いと軛(くびき)だけを残して、
何から何までとりあげて、神の世界は、みんな、なくなっても、まだ一つだけ残っている。
 それは、復讐だ!

 俺は、自分自身に向かって、堂々と復讐したい。
 高いところに君臨しているあの者に復讐したい。
 俺の力が、弱さのつぎはぎ細工であるにしろ、
俺の善そのものが、報いられないにしろ、それが何だ!

 一つの国を俺は樹てたいんだ。
 その頂きは、冷たくて巨大だ。
 その砦は、超人的なもの凄さだ。
 その指揮官は、陰欝な苦悩だ!

 健やかな目で、下を見下ろす人間は、死人のように、蒼ざめて、後ずさりをするがいい。
 盲目な死の息につかまれて、墓は、自分の幸福を、自分で埋葬するがいい。
 高い氷の家から、至高者の電光が、つんざきでて、
俺の壁や部屋を砕いても懲りずに頑張って、また建て直すんだ。

(原註。
(この詩で、憎しみの対象を「神」とはっきり書いていることからも分るように、
ユダヤ人であるマルクスが無神論者である道理はない。
 彼は神の存在を知りながら神を憎み、神を屠殺しようとした
あえて名づけるなら「殺神論者」なのである。
 原註終)

 説明の必要はあるまい。この詩のうちに鮮明に表明されているように、
自分をいわれなく孤独と絶望のどん底に追い込んだ西欧キリスト教文明に対しての、
二千年に及ぶユダヤ人の苦悩と屈辱の歴史を、その背に負ったマルクスの、
骨髄に徹する怨念

それを晴らすために、一生を賭けて書きおろした壮大な虚構(フィクション)、

それが『唯物史観』であり、『資本論』なのだ。

(第一部 第九章 六節 共産主義が人間の精神に齎したもの)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法