第四部 天への思い
第一章 天への信義
二節 天の声に聞き従う
「現象テープ欠番」より
83年12月24日 イエス様現象
「あなた方一人一人の心の中に法を守るという、そして、法の下に結束し、又、
私達と共にユートピア建設を実現させようとする決意をお持ちの方々は
一体何人おられることでしょうか。
魂の堕落というものは、己が身を安穏な所へ置くところから始まります。
我が身をより困難な所に、又、
そして、より知恵と勇気とこの法を生きる糧として生きようとしていく人の中で、
私達はその方達を守護していく者であることをここに断言致します。
法の如く生きようとする方々、あなた方は心を強くしなさい。
そして、今あなた方がその持っている決意、
そして、その信念を悪に決して譲り渡すことのないよう私達の前で誓いなさい。
私達は、その者達と共に今後又、歩いてゆくことをここに約束する者です。
いい加減な形で、又、
その場しのぎの形で法を論ずるのは止めなさい。
法が汚れるだけです。
私達天上界のものと
巷間で騒がれている偽正法的な論法と同一視されては天上界を侮辱するものです。」
現象テープ№21 「原罪について」より
80年4月13日 ラファエル様現象
「すべての人が理解を持ち、正法を実践し、神聖に目覚めなければならないのです。
それは古来の宗教で言われてきた神秘的な体験であってはなりません。
何故ならば、宗教に依る神秘的な体験などは、直ぐに感動が薄れてしまいます。
それはあなた方もよく経験することだと思うのです。
神秘的な体験の次に来るもの、
それは真の自分は一体どのようなものであったかという目覚めなのです。
人々はそれに当たった時、大変苦しみます。
私は何と自分勝手な人間なのであろうかと … 。
しかしその自分勝手な人間を、他人思いの人間に変えてゆくことが今の課題なのです。
私達はよく子供にも美しい心でいなさい、立派でいなさいと言います。
しかし美しい心と言われるものがどういう心なのか説明できますか。
美しい心というのは他人の幸せを願う心です。
不幸な人がいる時、或いは自分の愛している人がいる時、幸せになってほしい、
自分に望むように相手にも幸せを願うこと、それを美しい心と言います。
それが今の世の中のように、あなた方の善の進化を妨げ、悪へと助長させる風潮が強い時程、
その発達が望まれます。
美しい心 ー あなた方は他人の幸せを願う
(天上の波動と合う、神の想念が心に満ち溢れる)時に、
自分で何か清々しい一種独特の飛躍的な気持ちになるのを感じたことはないでしょうか。
あると思います。
その心を常に失わずにいてほしいのです。
又それは思うだけであってはなりません。実行されなければならないのです。
思うだけなら誰にも出来ます。
しかし、もしあなた方が危惧に陥っているように、食べ物はなくなり、人口は増え、
正に地獄の世の中へとなった時に、そうなることは避けたいのですが、そのような時に、
自分も一つのパンが欲しい、そう思った時に隣の人にパンを分けてあげられる、
そういう心になって欲しいのです。
あなた方は今日、家に帰ったら何を考えるか、今日ここで何を学んで帰ったか、
それぞれの胸に抱くことがあるでしょう。そういう心を大切にしてほしいのです。
向上心とはそういうことを言います。
そしてあなた方が常に人の幸せを願っていることを私達は望んで止まないのです。
何よりも自分が立派になろう、きれいな心になろうと(後回しに)することよりも、
(今を)きれいな心でいることを望むことです(※)。
自分はこうなりたい、ああなりたいと願うよりも、まず自分がそういう心でいること、
何よりも、何時も何時も他人のことを願う人間であってほしいのです。
そうすればあなた方は自ずと自己の性格の発展をも促していると気付く時があるでしょう。」
ブッタ様が仰しゃったように、
"善我に、自我に目覚める"までが大変なのです。
目覚めて動き出せば、そのように生きてゆけば、
自ずと精神も強められてゆくでしょう。
何故大変なのでしょう。
神様がやって下さる。
自分なんかよりももっと立派な人がやってくれる。
他人事なのです。
自分は神の御意志を知る者と(なれたらではなく)なった以上、
神の御意志に生きる者であらねばならないのです。
それが神を信じるということだと思います。
天上界の教えを、思いを理解出来たから、
それで自分も天上界と同じ心を持てたと、天上界に愛されているとでも思うのでしょうか。
その思いを為そうとする意志にならなければ、
それをしようとしない(今までと同じ)心に操られているだけだと思われませんか。
正しい心が何であるか解っても自分のものに出来なくて何の意味があると思われますか。
自分が間違っていたと本当に反省されたのなら、その反省が正しい心から現れたのなら、
間違いを生んだ心に在ることを許してきた、善なる心を見出せずにきたことを覚ったのなら、
正しいと思ったことを実行する心へと思いを強めて行くことが、
真の反省なのではないでしょうか。
例えばあなたが天上界に愛されるような心になりたいと思ったとしても、
そのように思う今の心の内に、神の愛以上にこの世に求める思いを隠し持っているとしたら、
本当に神に愛されることを望むなら、
その思いに相容れぬ偽我に生きようとしていることが判らない訳がないのです。
偽我を愛して偽我に生きて、神に愛される善我を持ちたいといった思いを抱くとすれば、
明らかに偽善であり、自己欺瞞の心に生きているのです。
あのようになりたいという思いの表れは、
実はそれを望まぬ相反する醜い心を認めまいとする自己欺瞞
(自己肯定の安心感)に安住しているのです。
真実の自分の心を知るには、今掴むことの出来る正しい心を逃してはならないのです。
天上界がそうあってほしいという心から目を奪っているのが、
人から羨まれるを知る故に、あのようになりたい、なれたらという、
人の賞賛を求める心、自己愛を満たす為に生きる心です。
天上界がそうあってほしいという心があなた自身の心に在るのであり、
在るが故にその心へと向かわせまいと、今のままに留まらせようと、
自己保存の心によって私達の心は飼い慣らされてきたのです。
天上界の愛される心になれたらと、善を求める心であることに自己満足し、
自らに厳しい内なる神の心に従うことを拒んでいることを悟れないのです。
選挙になると必ず、一人一人が投票に行かなければ、世の中を変えることは出来ないと
そのように言わずにいられぬ御仁が現れますが
(そういった方が神の御意志を知って、自ら行動を起こさずにはいられぬまで
神の思いを受け止めるだけの神への愛を持てるかどうか判りませんが)、
要するにそういうことです。
誰を選んだらよいか迷うことはありません(偽りに騙されぬ知恵がなければなりませんが)。
相手は真の神様です。皆さんが選ぶのではなく、選ばれたのです。
政治家が国民の僕であることを望むならば、皆さんがまず神の僕であらねばなりません。
皆さんが政治家に劣る者であっては、政治家が皆さんの僕となるなど不条理です。
そうは思われませんか("汝らの義、学者・パリサイ人に勝らずば、
天国に入(い)ること能(あた)わず"とイエス様も仰しゃっております)。
野党は、国家(与党)が国民への義務を怠っていることばかり論(あげつら)ってますが、
多くの国民の最も強い意志が国家の意志になる
〖独裁者も一国民であり、独裁者の意志に勝る意志を持つ
(強い力を持つ者に頼ろうと、依存しようとしない)国民がいなかったからに他ないでしょう〗
のだから、国家が国民にすべきなどと言うのではなく、
同胞に対して自ら為さんとする意志が最も多くの人々の意志となっての力が
与党に結実したのだから、
それが間違っていると思うなら、野党がそれに勝る意志を持たねば、
自らが何を為そうとするのか、その意志を同胞に働き掛けられないなら、
それは野党としてすら存在する価値はないと思います。
一人一人が同胞への思いを持たぬ限り、世の中は変えられないでしょう。
国家の批判をするだけで、与党に勝る意志を持てぬ者は政治家の資格はないのだから、
党を問わず、そのような者を選ぶ者にも非難する資格はないと思います。
天上界は、世を救うのは救世主ではない、
一人一人が互いを認める善なる思いで繋がる時、世を変えて行くのだと、
神様が何とかして下さると安易な思いでは何時になってもユートピアは出来ないと
仰しゃいました。自分の国をよくしたいとの思いも同じではないでしょうか。
(※注。
「希望と幸福(ヒルティの言葉)」41頁
「何かいいことをしようという気が起こったら、たとえそれがどんなに小さなものでも、
即刻その気持ちに従って、実行に移し、
折角の気持ちを変えないように、先へ延ばさないようにしなければならない。
ー 同様に悪いことをしたくなったら、直ちに心の中で抵抗しなければいけない。
さもないと、いいことをしようという気持ちが次第に弱くなり、稀になると共に、
悪事に向かう気持ちの方は抵抗を受けない為に益々強く、頻繁に起こってくることになる。
善悪何れに於ても先へ進むということは、我々が普通考えている以上に
小さなことから成り立っているもので、その両者のどちらが習慣になるかによって、
人はその生涯を決定的に勝ち得たり、或いは決定的に失う結果になるのである。」〗
正法を、神の法を伝えようとされたのは天の愛であり、
神御自身から聞くという幸運を、愛を与えられながら、受け止めない、
愛に生きようとしないのはどうしてなのでしょう。
神を見、神の声を聞き、神の在すこのメッセージの伝えられた場に
(何時如何なる時でも、神の声に耳を傾ける時、
今を生きられる神々の思いはその者と共にあります)、
天の愛に導かれて、たとえそれまでは相応しくない者であったとしても
神の愛を確かなものとひとたび感じ取った時から、
今迄がどうであろうと、神に応えたいとの思いを抱かずにはいられないでしょう。
(自らの内に神の心を見出した時、
その心に喜ばぬような者がいるでしょうか。
清々しい神の心に立つ者は、
執着心から求めてきたものは、自らを苦しめてきただけであることを覚るでしょう。
天から伝わる善の、愛の波動は、
自分に囚われ、苦しんできた空しさを思い知らせるでしょう。
天の思いを素直に受け止める心は、
過去の愚かしい己への劣等感や卑屈さに甘んじる
歪められた精神、自意識、我執から解放されることでしょう。
人を裁く心しか知らぬ者は、自らを高み(悪魔の心)に置くものと悟らぬ限り、
天の思いを感受する心とは一生無縁に終るでしょう。)
今この時に神の思いを、
神の愛を感じられないような人間でありたくないと思うのなら、
自らの内に神の思いの伝わる神の心があると信じたなら、
今その心に立つ以外にない。
(それとも、その心を自らの心にすることを、
真の己自身になることを望まぬ何か理由でもあるのでしょうか。)
己が魂の永遠に生きることを、己が未来をのみ思うような者に、
生ける神(の心)を受け止める時は今この時以外にないと、
今を神の心に生きようと努めぬ者に、
神の愛に生きる時の訪れることはないでしょう。
自己愛に生きる己が心に何の価値があると思うのでしょう。
そのような心であり続けねばならないことに耐えられますか。
今正しい道に立つ心だけがその道の先に、
すべての善なる心が願い求めて来たユートピアの現れることを信じることが出来るのでしょう。
正しい道を共に行く者同士以外に誰と正しい未来を築けるのでしょう。
経験や知識の乏しい未熟な心であっても、天に目の向けられた、善を正義を抱いた心である限り、
正しい道を見出せるのであり、その道を歩くことなく正しい心の成長もあり得ないのです。
常に最善を求め、尽す思いの中に、神の御意志が、
神の国(のあらゆる善き観念)が現れるのであり、
光(真理)に盲いた心に善きものが生れることはありません。
愛を必要としているものに気付く心が愛の現れるに相応しい心なのであり、
愛に従うことを差し置いて他を優先させるものであってはならないのです。
愛の為には如何なる困難にも屈しない時、愛を裏切らない心と言えるのであり、
愛に準ずる、愛に満ちた人々の心と繋がるのでしょう。
今、心が愛に生きているなら、愛の生きる未来を作ってゆくでしょう。
愛のない心の描く世界は、(今愛に生きていない者の)頭の中だけで作り出したイデオロギーと
同じで、愛することも、愛されることもない人々の心が齎す地獄しか出来ないでしょう。※注終)
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様