第四部 天への思い
第一章 天への信義
"天への信義を問う"
「 JI 」82年6月号 ガブリエル様メッセージ全文
&「天上界メッセージ集」150頁
「魂の研磨について以前に私は皆様に種々お教えしましたが、
そのこととは別に今あなた方にお伝えしたいのは、
正法者と一口に言っても色々な人があり、自らの生命を惜しむあまり、
天の意に背こうとどうしようと、隣人に自分を保護し、安全を計るよう
頼んで廻るような人もおります。
それも自分のやり方が拙くてそうなったのには何の反省もなく、
周囲の行動もストップして平然としているのです。
そして又、周囲の頼まれた方もその人を庇うのが慈愛だと思い違いをして、
天への信義について問うことは少しもしない。
却って私達にも同様にしてやってほしいと頼んでくるのです。
私は皆様も御存知のように天上のメンバーとして一際厳しく、
人の愚かを一々指摘し教え導くようなことは余りやらず、
その為人が躓き、天王の叱責を受けるまで放置しておくのが常なのです。
しかし目に余るこの愚かな正法者の行動を天は決して見逃しはしないと明言致しましょう。
その人の意を容れて、個人の為に天への義務と信義を疎かにした隣人は、
何と私達に弁明しますか?
流布活動の意義を忘れてしまったのですか?
あなた方の私達への忠誠は、天の意志も計画も挫折させて平然とする程、
いい加減な浅薄なものなのですか?
こういった人達の日頃の大言壮語は、只表面だけ天に諂(へつら)う言葉にしか過ぎず、
何の誠意も真実もそこにはないのです。
臆病なだけで次にどうすれば良いかという案も智恵もない。
何時も私達にどうしたら良いかと聞きにくるばかり。依頼心しか育ってないのです。
天の為に生命を棄てようと誓った正法者もおります。
生命を棄てるのは厭だからと流布活動も出来なくなった人も居ります。
そのどちらを私達は喜ぶと思いますか?
よく考えてごらんなさい。
私達は愚か者や臆病者を天に迎える為に地上に来たのではないのです。
そのような者を迎えれば、悪霊との闘いに天は何時も苦杯を嘗(な)めねばならず、
サタン・ダビデとの戦いと同じ経過を辿ることになるでしょう。
私達は信頼できる天のメンバーが必要です。
何時如何なる時も、その勇気と智恵と行動力に於て。
これは女性の場合も同じです。
素直であるなら、よく働くなら立派な正法者だと自惚れるのは本人の自惚れにしか過ぎず、
その人の愚かの故に正法活動に停滞を来し、
天に在っては悪霊の前に他のメンバーを危うくするような人は同じく、
正法者と自称する資格もなく、天に迎える人物ではないのです。
繰り返して言いましょう。
臆病で智恵なく行動力なきことは、
信義や正義や愛さえも自らの養分と成すことは出来ず、
従って天の求める徳を身に付けることは出来ないでしょう。
それは、私達の無用とする宗教人、イデオロジストにも劣り、軍人や愛国者にも劣り、
国や世界の滅亡を来らすものであるからです。」
一節 真の神に帰れ
「慈悲と愛」81年1月号17頁初出
千乃先生「正法者への伝言板」より
「世の中に歪みが少なく、正しい思想、教育、政治政党のみであれば、
私達は他教義、宗教宗派と同じく、のどかに美しい夢の世界を現実離れした言葉で語り、
音楽について語りましょう。
しかし末法の世にそれを為すならば、それこそ現実逃避、
世界の混乱に背を向けた卑怯な処世術そのものとなるでしょう。
世の乱れが激しければ激しい程、きれい事を並べるのは、
心の中で私達にはどうにも出来ない事柄だと投げてしまった無責任な態度なのです。
厳しく自分の心の中を見つめ、正しく分析なされば、そういう答えしか出てきませんでしょう。」
「善と正義と信義は三本の縒り合されたひもであり、
愛と信仰は、それによってもう二本加えたより丈夫なひも、というよりロープとなるものです。
その様な幅広い人格を持とうとするならば、与えて貰うのを只受けて、
"万象万物すべてはお恵みだ。心が清まった。有難い"
という受身の姿勢では到底我慢出来ないでしょう。
正義は歪みを嫌うもの。信義は卑劣な生き方を嫌うものです。善は悪心とは相容れません。
愛は自らにも厳しく、他にも厳しい。自他を損なわない為に塩味を有するものです。
信仰は天に己を合わせ信義で以て天と繋がる心。
天は世の歪みを許しません。
歪みや不正や卑怯なエゴイストを放置するような天は真の天ではなく、悪魔でしかないのです。
悪魔はすべての人格の価値を嫌い、意識の向上と錬磨を阻み、
要領よく妥協して上手く泳ぎ廻る人間を喜び、その名誉心と虚栄心をくすぐります。
それがお判りにならなければ、御利益宗教と正法の違い、
正法全体を把握することは不可能でしょう。
世を是正するのに比喩を用いては世人は判りません。
余りに虚偽とごまかしが横行しているので、ごまかしの理論に惑わされて知らぬ間に
カンボジアやフィンランドやアフガニスタンの二の舞を演じる様な国ならば、
正法は必要なく、神の言葉も要らないのです。
天は愚かな人々を好まれないのですから。
ブッタ様は古代インドのカースト制を改めさせようと人々を導かれました。
イエス様は邪教と因襲と形式主義的祭司連を鋭く批判、
人の心の汚れと堕落を一掃しようとなさいました。
モーセ様の十戒は人の愚かと罪を賢明な生活へと教え導くものでした。
世直しとは世の歪みを正し、正道に戻そうとする動きです。
正道を誤らせ、邪道へ引きずり込むものは世直しではなく破壊です。
具体的に世事に即して教え導けぬ者は、
自らを供し、諸人の先頭に立って善事を為さぬ者は、
百万遍の読経と同じく、ミミズの戯言にしか過ぎません。
現正法は神より与えられているものです。
現在神々の居られぬ、自己の安泰のみを願う俗宗派と同列に置いて、
無思慮に批判の目を向けないで頂きたいものです。」
「宗教団体など無くても生活に支障を来たさないのに、
何かの見栄の様に、タブーの様に宗教宗派とその眷族(けんぞく)を温存しておきたがるのは、
やはり宗教は精神の象徴、という様な錯覚が迷信的な固定観念となっているのでしょうね。
宗教的な建物や雰囲気が無ければ精神活動も始められず、
神についても思い出すことも出来ない。
良心もぐらついてばかり居る ー 何という人格の怠惰と未熟さでしょうか。
人間性が高尚な人格の熟成を示したのは古代ギリシャの一時期、
善志向の哲学が学問をリードした時期のみではありませんか。
神を知ることと、僧職、宗派に隷属することとは全く別次元。別の世界であるのに。
正法というのは堕落した宗教界を離れて、真の神に帰れ、という啓示なのです。
"今属している宗派、教義の何処が悪いのか、
納得出来れば(あなた方の主張される)神に従いましょう。"
という質問が大なり小なり私に届きますが、
神と宗教団体と両天秤に掛けて迷うとは、一体その人は何を求めているのか、私は判断に苦しみ、
何度も愚問が襲来すると堪忍袋の緒を切らしてしまいます。
誤りは教義の細目にあるというのが絶対の理由ではなく、組織、教団の在り方なのですから。
教義の誤りは『慈悲と愛』誌に充分説かれております。」
「先日もサンケイの取材で東大寺管長との談話が紹介されておりましたが、
大仏は偶像ではない、とどのような根拠があるのか確信しておりました。
そもそも偶像とは木や石などで(など、ですから青銅でも銅でも同じ)作った像、とあります。
古代ギリシャ、古代インド、古代エジプトでの礼拝の対象はこの偶像であって、
偶像崇拝が連綿と続くので、モーセ様の前に現れた生ける神ヤハウェ(エル・ランティ様)が、
像を拝むことを禁止されたのです。
仏像は偶像ではない、というのはこじつけと言い逃れであって、
像を作って拝むから、祈祷文を結び付けたり、水を掛けたり、
お賽銭を賽銭箱に入れる手順を踏まねばならなくなったり、
多額の奉納をすれば願い事が叶うという錯覚を起こしたり、
段々とエスカレートして、迷信の対象となってしまうのです。
こういった所が儀式、形式主義の誤りなのですが、誰も敢てそれを指摘せず、
何故宗教法人に金銭がダブつき、大建築建立を容易に行えるのか、
その原因究明が出来ずにいるのです。
現行のままの宗教組織団体を容認、再建など以ての他です。
神が禁じておられることを堂々と行って、神、仏について語る資格は一つもありません。」
〖備考
真なるものと偽なるものを見分けることの出来る真の知恵を得た者なら、
人類は神と共にあったことを信じる者なら、
偶像など目もくれないでしょう。
偶像とは、神が心の盲いた人類の為に、目に見えぬ神の代りに崇める為に、
神が作った訳でもない、神の与り知らぬ物です。
神を求めるならば、何の価値もない物です。
神の思いが届かない所に私達の心がある故に、神の思いが解らないのなら、
私達の心を神の心へと近付けなければなりません。
それが私達に出来る唯一のことであり、神を愛するということではないでしょうか。
偶像崇拝をして、それで神を信じていると満足するのは、自己欺瞞です。
しかも神はそのような【神の心を知らぬが故に(知っていたら偶像など作りません)
作り得た】偶像を、神ご自身の代りに崇拝することを忌み嫌っておられるのです
(至極尤もなことだと思います)。
生ける神の心を、神の愛を伝える繊細な波動を遮る偶像
【物でなくとも、教義の押し付ける神の概念も同じです。
真の神を見失っていることに気付かせないものを崇めるなら(神の与り知ることのない)
偶像なのです。】を何ゆえ神を差し置いて求めるのか。
人々に語り掛けられている神が何故、偶像を必要とされていると考えるのか。
(悪魔ならいざ知らず神が偶像を通して人々に語り掛けるなど絶対にありません!)
彼等は神の語り掛ける声に聞き従うことを本当に望んでいるのでしょうか。
真に神の思いに生きたいと望んでいる者が
何ゆえに本当の神に向き合おうとせずに沈黙の偶像を崇めるのか。
偶像を崇めるなと言われた神の思いを考えたことがあるのでしょうか。
【イエス様を十字架に付けた同じサタンが、人々に十字架を崇めさせているのです。
サタンは、イエス様の様な自らを犠牲とすることが、
神が喜ばれる"神の愛"である(サタンが神の子を迫害する為の口実にしているのです)と、
信仰を十字架に縛り付けるのです、サタンが心を束縛しようとするのは、
人類から自立心を、自ら考える意志を奪う為です。
人類が(サタンによって齎された)神の概念に縛られてきたことに、
自らの神の心、知恵に生きることに目覚めることなく、
サタンの支配下に生きるべきものであり続ける為なのです。
人類を自ら考えさせず教義に盲目的に従う者とする、
神に依存させようとするのがサタンなのです。
そして神に依存する者を神を偽るサタンが滅びに導き、神の思いを踏み躙るのです。
真の信仰は自由な心からしか生まれません、
自由な心からしか神を見出すことが出来ないからです。
神が喜ばれるのは犠牲を厭わぬ愛であって、犠牲が目的なのではありません。
犠牲によって滅びることではなく、神の愛を見出して自らを救うことです。
犠牲が、苦しめることが目的なのはサタンです。
残酷な十字架の苦しみにも耐えた神への愛を、イエス様は伝えたかったのではありません。
神を信じ、神の愛に生きる時、
悪(偽我)から、我執から自由な心(善我)を得ることを、
魂の解放を、人は神の救いにあることを伝える、神の救いの福音なのです。
十字架はそれを踏み躙ろうとしたサタンの残酷以外の何物でもありません。
天上界の神々は
イエス様の十字架に手を貸し、神を捨て悪魔に従った人類の残酷を感じることなく、
生贄(十字架)を欲したサタンの冷酷を悟ることなく、
己が憐憫の心に溺れ、十字架像を崇める信者の心に、真の愛が宿ることはない、
神の真の愛を理解することはないと見ておられるのです。
真に天上界の伝えんとされる福音の理解を阻んでいるのが十字架なのだと、
天上界は仰しゃっているのです。
真の神、天上界の聖霊が十字架を望んでいなかったと伝えられたのです。
これでもまだ神の愛とは如何なるものであるのか理解することが出来ないのでしょうか。】
神を見出せないから、偶像崇拝をする。それで何が満たされるのでしょう。
神が見出せたでしょうか。
神を見出せなくて安心出来ないのなら、見出せるまで安心してはならないのです。
目に見える偶像でごまかしてはならないのです。
あなたは神を愛しているのではないのですか?
その神の心が解らなくてどうして安心してしまうのですか。
イエス様ですら、十字架を目の前にしての神の思いが伝わらなくなった時、
死ぬほど苦しまれてゲッセマネで祈ったのではないですか。
沈黙する神の御心を理解された時、十字架を受け入れても、生命に代えても、
神の耐えられている思いに応えようとされたのではありませんか。
本当に神を愛したいのなら、その愛に応えられてきた神の愛が分からないでいられる、
そのような愛でよいと思えるでしょうか?
神の御心を知らねばならないのです。
そしてそれ以上の知るべきことはなく、それ以上の喜びはありません。
神の御心が解らないのは、私達が神から離れているからです。
"天に在る神々の意志と計画のみが人類を救う"
偶像を崇めてはならないのは言うまでもなく、
真のメシヤを偶像視してもいけないとイエス様は語られています。
ご自分を、そしてブッタ様もモーセ様もメシヤとして崇め奉ってはならない、
(メシヤが)個人である場合には人を救う神とはならない
(彼等が自らの内に神の心を見出したのは、
天の導きがあったからであることは忘れようもないことだからです。
何故なら彼等は今、その神々の一人として、彼等を導いた神々と共に、
自らの生命を賭けて私達を救おうとされているからです)、
天に在る神々の意志と計画のみが人類を救うからである
とイエス様は『天国の証』で証されています。
ユダヤ教徒であろうとキリスト教徒であろうと、自らの心から神の心を締め出しておきながら、
モーセ様を、イエス様を信じると言う信者
(己が宗教を信じる者だけが救われる、他の宗教を信じる者は救われないのが当然と考える、
神の愛を踏み付けて自己愛に生きている)を天上界が信じられるとでも思っているのでしょうか。
イエス様が仰しゃっている天上界の御意志がこの世を救うことを悟らぬ者が、
己が宗祖を崇拝して、天上界(すべての聖霊)の御意志(想い)を感受出来ぬ
尊大な心(偽我)が己であることを悟らぬ者が、
天に信用されるなどあり得ぬことです。備考終〗
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様