第一部 天の教え
第一章 天の歴史

五節 天の指導と方針
 進化の中で心の座として獲得した前頭葉に宿る理性は未熟であり、
旧皮質の本能以上の力を持っていません。
 ヒトがホモサピエンスとなるための動物の持ちえぬ人間性
(理性が求めずにはおれない真理の観念)を獲得し得ていない前頭葉の未発達が、
人類はまだ進化し終えていないことを、進化を成し遂げた
(地球以外の惑星に生きた人類である)神々がその存在を以て証明されているのです。

 その為に、神々は人間の霊であることを、
地球人類は神々と等しくなるまでに向上し得る種であることを、
本能に生きてきた動物としての種から、
理性に於て自然との調和を可能にする種へと進化し終えないならば、
人類の心が本能から来る力に生きるか、理性による意志に生きるか
バラバラのままに、人類という種に於てすら調和に生きようと望まぬ種のまま、
自然の法を見出せない未熟な理性に留まるならば、
進化し終えぬ、自然の内に適応し得なかった種の道を辿るであろうことを告げ、
真の救いに、進化に向けて地球人類を鼓舞されているのです。

 (一) 天の指導
現象テープ№10 「正法を学ぶ人のためにⅠ」より
 78年7月10日 ミカエル大王様現象
&機関誌「慈悲と愛」78年11月創刊号初出
&「天上界メッセージ集」20頁

「魂に於てはもっと進んだ形での己を磨き鍛え浄化させることが必要となります。
 これは己について反省を日々行い改めねば達成されません(※1)。
 サタンの甘言と誘いと甘やかしに己の虚栄心をくすぐらせて喜んでいるような人間は、
正法を学ぶ資格さえないのです(※2)。」

「(悪魔による魂の永遠の存続を約束するという申し出に、
天を、己れの善なる心を捨てて従った多くの善霊は)
善悪の基準と共にサタンの何が誤りで不合理であるかを見抜く英智を養っていなかったのです。
 これは生前の暮し方によるものが大半で死後の天上界での魂の修行は身についていませんでした。
 悲しいことに生前に厳しく自己を鍛錬した者でなければ、
死後に徳を養うことが出来なかったのです。
 また生前の徳を保つことも出来ませんでした。

1注。
 昔、殿様が和尚に極楽と地獄について教えを乞われました。
 和尚は殿様をさんざん毒づいた。
 殿様は本人の気付いていない欠点を暴かれたのか、怒り狂って和尚を追いかけ回し、
叩き切ろうとした時、和尚は殿様に、それが地獄じゃと殿様を正気に返らせた。
 殿様は地獄を教えてくれと言ったが、
自分の心を地獄に変えてまでも知りたいとは思わなかった、
自らをも殺す所であった。
 地獄に落ちた心が如何に恐ろしいものか思い知って、和尚に深々と頭を下げた。
 和尚は、その心が極楽だと殿様に語ったという、本当にあったお話しでした。

"常に善意が悪意に先行すべく自らを矯め直し、厳しく鍛えてゆくのです(天上界の教え)"
 人を敬う気持ちは、人を傷付けたくない、人を生かしたい、救いたい、
人の中に謙虚な思いを感じる時、自らの内に同じ心の現れる者でありたい、
そのような思いと同じ心から生まれます。
 己を良く見せようとする、人に敬わせようとする、
己を人よりも高い者と思わせようとする高慢な心が、
人を傷付けても苦しめても痛みを感じぬ心を、行為を生むのです。
 正道を踏み外してしまう、悪しき感情に、怒りによって、
天と共に在った善我から地獄の意識に繋がる偽我に意識が支配されてしまう。
 天を裏切るような弱い精神に安住し、改めるよりも言い訳や言い逃れでごまかそうとする、
そのような偽我でいたくないと思うから反省によって善我への意識を高めようとするのでしょう。

 間違った行為や思いに動かされようとした時、善我こそ真の己であると自覚されたか、
善への熱意を失わなかったか反省する、善我を顧みんとする条件反射を強める、
偽我(悪霊の働き掛ける深層心理)に欺かれない、
神の知恵に生きる善我に目覚めていられるように為されてきた反省によって、
魂を研磨するのです。※1注終)

※2注。
 宗教組織に胡坐をかき、正法を理解した自分には人を導く資格があると、
従うべきは人であると思い上がる者を見たら、人は正法を知ろうと思うでしょうか。
 人を躓かせていることも解らないような者に
正法を学ぶ資格はないと天の言われる所以です。

「マタイ福音書 第二三章一三節から一五節」
「偽善な律法学者、パリサイ人達よ。あなた方は、災いである。
 あなた方は、天国を閉ざして人々を入らせない。
 自分も入らないし、入ろうとする人も入らせない。
 偽善な律法学者、パリサイ人達よ。あなた方は、災いである。
 あなた方は一人の改宗者を作る為に、海と陸を巡り歩く。
 そして、作ったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。」

 天の鏡に映る彼等の心を、彼等に理解し得る言葉によってイエス様は知らしめました。
 そのような偽善者に正法を教えようとする軽率な善人を天は戒められているのです。
 教える、愛する価値のない者に(神の教えを)与えてはならないということです。
 神を証する者、神に与る者と認めさせてはならないのです。
 真理に飢え渇く者とは、そのような苦しみにあっても、
偽りに、悪魔の甘言に満たされることのない神の心に生きる者です。
 真理を求めぬ者に真理を与えることは出来ないのです。
※2注終)

「慈悲と愛」79年7月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」54頁
「私が今ここに集い、天の波動に合う為、日々魂の修行をと決意を新たにして善に徹し、
心の浄化に努めていられる人々にお願いしたいのは、
個人の尊厳を意識し、互いに真の尊敬と、思い遣りを持って欲しい
ということです。
 魂の修行に励む人々を立派だとは思いませんか?
 もしあなた方の中に自分の修行の方が立派だと他を見下す人がいるならば、
それは天上人となる資格を持たぬ人です。

 またもや偽我の世界を自分で作り出し、
如何に心の立派な人々と交流し、最高の徳の教えに接し、善のみを実践しようと、
他の人々の徳が目に入らず、敬うべくを敬わず
※3
判断の基準を狂わせて偽りの対象を敬うならば、
あなた方は知らずにGLAの再現をしようとしているのであり、
私達は再びあなた方を離れてもっと真なる善我の世界を求めて出て行かねばならないでしょう。

 相手を敬う心を持つ事は、徳ある人となる為の初歩の心得※3であり、
その気持ちが無ければ互いを高め合うことなど出来ないのです。

 もし自分がなべて人を軽んじて呼ぶ資格があると思う人は、それだけで傲慢な心を持つのであり、
対する人の謙虚な言葉遣いや態度が、自分より弱者であるからなどと思う人は、
余りにも物事の表面をしか見抜くことが出来ず、
そのような人々を私達の"集い"に参加させているだけでも、天の恥となります。

 GLA内外であろうと、私達の"集い"であろうと、単なる読者であろうと、主宰をなじり、
千乃様を軽んじ、或いは善意を以て馳せ来たった正法者である仲間に、
魂の修行への暖かい思い遣りを持てず、敬意を払えない人は、
私から同じものを受けるであろうことを覚悟して頂かねばなりません。」

※3注。
「現代訳 論語(泰伯第八の十一)」下村湖人訳
「完璧な才能が備わっていても、その才能に誇り、
他人の長所を認めないような人であるならば、もう見どころのない人物だ
 孔子様は合体霊であるガブリエル様と同じ意識を持たれていたということは、
論語を読まれた方は理解されることと思います。
 孔子様はガブリエル様の声(言葉)を聞き取れる程の霊能力があったとは思われませんが、

孔子様は天から使命を与えられていることを確信されておりましたが、
自分以外にも同じ使命を天から与えられている者が
(顔回以外の)弟子の中にいるとは思っていなかったでしょう。
 天上界の計画によって、ガブリエル様が孔子様に合体霊として入られていたことも、
弟子の曾子様にラファエル様が合体されていたことも理解し得るものではなかったでしょう。
 孔子様は、自分の教えを真に理解し、後世に伝えて行けるのは顔回しかいない、
それほど顔回の心を理解しまた愛しておられましたが、顔回が孔子様に先立った時、
愛する者を失っただけではなく、
自分の教えを伝えて行くことの出来る唯一の後継者を失い、
「ああ、天、予(わ)れを喪(ほろぼ)すか。、天、予れを喪すか」と
その絶望の思いを論語は伝えています。

 霊能力があれば、霊の言葉を伝える霊媒にはなれるでしょう。
 しかし善霊か悪霊かを見抜く真の賢者になれる訳ではありません。
 真の賢者に霊能力を与えられる場合は、
天上界の方が自ら名乗り出てメッセージを伝える場合だけです。
 天上界高次元の霊であると偽って騙ろうとしても悪霊であると見抜く賢者でなければ
神ばかりでなく、悪魔も神と偽って人々に伝えようとするのですから、
偽りの神と見抜けず信じてしまう人々は、悪魔に導かれる(天上界に背反する)ことになり、
人々を躓かせるような霊媒を通して天上界はメッセージをする訳にはいかないのです。
 合体されたミカエル様の指導により、賢者と天に認められ、霊道を開かれた方(千乃先生)を通し、
天上界の神々は二十世紀に於て初めて世にその姿を証すことが出来たのです

天上界の高い意識に生きた者に培われた知恵は、
真理に、徳に対して同じ理解を得ることが出来る
※4)ことを知れば、
天上界の波動が伝わる、自らの内に与えられている善我に心を向けさえすれば、
真の天と意識が繋がる、天の強い善なる意志に聞き従う真なる我を見出すことが出来るという
天の教えを確信されるでしょう。※3注終)

「慈悲と愛」79年11月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」75頁

(天の教えを理解する熱意の足りぬ主宰による集いでの指導が、
天の指針から外れたものであったことに関して)
「私達のメッセージに含まれる深い真理
(勿論天国シリーズで既に打ち出してあるはっきりした思想であり、主張でもあるのです)
を見落しておられるのでしょうが、
それを今後あなた方正法者の戒めとして、ここに改めて問題として取り上げるのは、
すべて私達がメッセージ、或いは法話として機関誌に発表するものは、
あなた方の批評や再検討を待って、その中に説かれている真理を、
再び三次元の偏見と誤謬に満ちた迷論や、
世論に媚びるような俗論に落としめんが為のものではないことを、
再認識して頂きたいのです。

 私達の述べる真理と同じ結論が出なければそれは私達に誤りがあるのではなく、
却ってあなた方の正見・正思・正定に誤りがあって
正しい真理に達したのではない※4)、
ということを今後は弁えて頂きたいのです。
 何の為にあなた方は天国シリーズが神理であり唯一のものであると
感動して集まり来たったのかを思い出し、
これら三巻の著書のどの箇所がそうであると感じて"集い"を開くまでの熱意を持つに至ったのかを
思い出して後、私達に何を求めているのか、何を私達と共に為したいか心の整理をして頂きたい。
 只天の為に働くならば、私達が天上界の一員として迎えると安心するのは大間違いです。
 天上界の一員となるにはそれに相応しい人格と、思考、判断力を身につけて頂かねばなりません。

 三次元に於て仲良く肩を叩き合って人間が住めば良いというものではないのです。
 そのような浅薄な考えしか持たぬ人は、それ相応の報いしか受けないでしょう。
 詰り、私達は天上界にそのような人を迎え入れたくないということです。

 又、そのような人々が築くユートピアは神の国ではなくて、
人間的な俗臭を持つ人間のユートピアでしかあり得ません。
それが如何に容易に毀
(こぼ)たれ、再び地獄と化すかは言うまでもない※5)でしょう。
 聖書の中の"エデンの園"の物語と同じことです。
 あなた方が我が身を振り返って、
私達天上の者より優れた識見と判断力を備えていると考えられるならば大きな誤りです。
 私達が義というものの本質について、どのように験され、鍛えられ、
年月を通じて正しい判断力を備えるべく教育されてきたか、

あなた方にはお判りにならないでしょう
※6
 それ無くして、巧妙な悪魔や悪霊に操られた人々のすり替えの理論や罠を見抜き、
三次元を正しく導き、或いは人の愚かさを教え、賢き道を歩ませることは出来ないのです。

三次元の歪みを正しくし、人々の心を正しい方向に向けることのみが
地球に平和を齎す唯一の方法であり、且つそれ以外にはない
ことも改めて述べておきましょう。
 これは主宰のみならず、協力者、講師、延いては参加者であり、
正法者たらんと努める方々すべてに与えられた義務即ち使命でもあるのです。
 これなくして只正法者の輪に繋がれているが故に天に迎えられる特権は己のものと考える
選民意識は、 愚かなクリスチャンと同じく、直ちに今日この場に於て捨てて頂きたいと思い、
又そう私はあなたに望みます。」

※4注。
 数億年に亘り天上界が自然の叡智から見出してきた真理、
その真理が理解され生きようとする意志こそ天上界の方々の心に培われた理性であり、
その指針(その心から現れる行為である徳)を、人類に伝えることで、
真理に生きる心(理性)の目覚めへと天上界は導かれたのです。
 神々が歴史を通して人類を悪魔の破滅から守護し、
悪魔を悪を見抜く知恵へと善に生きる心へと導いてきた思いを、
そして神々の齎された法を、私達の開かれた知性の前に明らかにされたのです。

 叡智(パニャパラミタ)とそれに素直に従う善我
(片方だけが維持されることはなく、片方だけでは無意味です)に生きる者同士なら、
互いの見出した真理が相反することはあり得ないのです。

 天上界の方々が合体された者は、たとえ正法の知識を持っていなかったとしても、
神々の強い善の意識の働き掛けを感じながら真理に生きたが故に、真理を見出したのです。
 知識となる前から神々の叡智に従う善我(神の心)に生きていたのです。
 天上界が、本能という自然の与えた知恵に素直に従う動物の心は、
真理についての知識があっても真理に生きることの出来ぬ偽我から逃れられぬ人間よりも
神の心に近いと言われる所以です。

 天上界の合体された方々が語る真理は、正法の教えそのものです。
 真理を見出した叡智と善我を持つ者は、正法に生きているのです。
 正法に生きていない者の正法の理解が、天上界の見識に反するならば、
その者が真理を見出す知恵を、真理に素直に生きる善我を得ていないからだと
ラファエル様は仰しゃっているのです。

 そのように言われて納得出来ぬ者は、
天上界を偽者と言って反旗を翻した背反者と同様、
自らの偽我を悟ることはないでしょう。※4注終)

※5注。
 共産主義と相反する民主主義国家の指導者が言うのなら信用すべきことになるのでしょうか。
 悪魔の蒔いた種が開いた(邪念によって心を育てた)社会・共産主義国家だけに
悪魔が働きかけているのではなく、民主主義国家の邪教の信者にも働きかけてきたのであり、
邪教に侵された(安倍氏やトランプ氏のような)政治指導者に導かれて、
共産主義独裁国家と戦ったとしても、サタンに操られてサタンの掌で戦うに過ぎないのであり
(戦う目的が同じ心から生まれた(エゴイズム、ナルシシズムに根差した)ものということです)、
人類の破滅へと導かれることになるのです。

 天上界が幼な児の如き心を愛すると言われたのは、
そのような(真理に対して)素直な心に、真理の種は開くのであり、
何十倍もの豊かな実りを齎すことが出来るのはそのような心しかないのです。
 天上界は常にそのような者に語りかけてきたのです。
 神を、神の心を軽んずる権力者や、大マスコミに(それらの力ある者に盲従する人々に)
己を高しとする者に神は語りかけないのです。
 聖なるものを犬にくれてやるなとイエス様が仰しゃったことです。

 神に導かれて、神(真理)への愛を、神の知恵を育てることの出来た者が、
この世に神の救いを、神の国を明らかにしてきたのはご存じのことと思います。
 神の心に生きる者が、悪魔の心に生きる者を見抜けない、
そのような者達を信じて天の救いの計画を妨げることに加担するようでは、
天上界の思いを全く理解して来なかった愚か者であり、
自ら(の神の心)を救えない者が人を神の救いへと導けると思っているのかと、
その自惚れを天の下に明らかにされるだけの者でしょう。※5終)

※6注。
 死に物狂いで考えて、
それでも解らない者にしか教えたいと思わないと孔子様は言われましたが、
例えば真理に、正法について解っている者から見ると、
解ってないのに解っている気になっている者、真理に生きていないことも悟れない者が、
そのような者にも解る程度のものとして、
真理を語ることは許し難いことだと思うのは当然でしょう。
 天上界の愛する心、信念に生きる人々への冒瀆であり、
神の心を汚す悪魔の行為に等しいものなのです。
 ラファエル様の仰しゃるのは、そういった思いからではないでしょうか。

 私達のような者でも、天上界の方々のように何億年も厳しく魂の研磨を続ければ、
彼等のように真理に生きる者になれますよと聞こうと思えば聞けますが、
真理を明らかにされる神の御心を前にして、謙虚な心を持てず、
天上界は私のことを解っていないなどと、
天上界の善我に徹する心に打たれることもない者が、
悪魔の甘言に擽(くすぐ)られることなく、己を厳しく律するなど不可能、
早晩悪魔の道を転げ落ちてゆくことになるのです。※6注終)

「天国の証(78年8月初版)」77頁 ラファエル様メッセージより
「天上界の方々は、その啓示、警告、教訓に、歴史を通じての経験と叡智を含み、
善なる意志と救いを齎す人々として、謙譲なる心を持って謹んでその言葉を傾聴し、
(盲従せよとは申されておりません)良きことであれば従うことが賢者であり、
善我の持主であると言えます。」

「JI」82年5月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」149頁

「あなたの生活に於て何が一番重要なものとして視野に入って来るか ー
それによって天に仕えるか世に仕えるかは決まってくるのです。
 そして私達はすべてを常にあなた方の究極の幸せの為に計っているのです。」

「世の諸悪を一掃することが天の召命であるならば、
あなたの心の中に悪を憎み、天の聖戦に加わる決意と、
それを第一義とし、且つあなた一個人の責任に於ても、
それを為し得る勇気が無ければ正法者と呼ぶことは出来ず、
又、私達も天に迎えようと思ってはおりません。

 正法者は自らと他への責任に於て諸事を決定しなければならないのです。
"使命感に偽我や無理が伴わないように"と言ったことで、あなた方に弁明の場を与え、
甘やかす積りは毛頭ないことを明言しておきます。」

「JI」82年12月号初出 ウリエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」160頁

正法とは天の美しさを伝える以上に徳の厳しさによって導かれねばならぬ神の法であること。
 神の法であるが故に、そこには微塵も軽々しく、且つ俗的で、
視野の狭い考えが存在してはならぬこと。

 天が未来を語る時、それは常に永遠に連なる善と正義の予見が存在していること ー
それらをまず心に深く留めて、自らの洞察を養い、過ちを防ぐ努力をして頂きたいと思います。」

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五節 天の指導と方針

 (二) 天の方針
現象テープ№10 「正法を学ぶ人のためにⅠ」より
 78年7月10日 ミカエル大王様現象
&機関誌「慈悲と愛」78年11月創刊号初出
&「天上界メッセージ集」19頁

「(第一は)善霊の基準が大幅に変り確りした善悪の判断力を身に付けた方でなければ、
天上界に迎え入れることは出来なくなりました。

 微細な点に至る迄善悪の判断力がなければならないのです。
 又、勇気のある方のほうが、ない方よりも喜ばれます。
 人の為に進んで己を投げ出し、善の為、平和の為に、正法の為に尽す、
それが最も私達天上界の喜ぶところなのです。」

「(第二は)その人の一生が後の霊としての生涯を定めるのです。
 価値ある者か無き者か、優れたる者か、成長の止まれる者か、
本人が生ある間に如何にその脳細胞、大脳皮質に学習をさせたかによります。
 それによって全体の価値基準が決まるのです。誰もが同じレベルになる訳ではないのです。
 能力を開発させ思考訓練をしておかねば死して後に同じことは絶対に出来ません。
 霊体の仕事はただ人の一生の助力者として導き教えて行かねばならないだけです。
 他の人の指導をしなければならないのです。
 たとえ合体霊としてもその人を導いて行かねばならないのです。
 それが出来ない頭脳ならば最早、天上に籍を置く資格は無くなるのです。


「(第三は)今生に於ける正法流布の目的は人々をして迷信から合理的思考へと導き出し、
徹底的に霊の世界と三次元との関わり合いに於て不明の点を明らかにし、
即ち私達天上の者の知る限りの真実と真理を与え、
宗教という有名無実の却って人々の魂の修行の妨げとなり、
神についての知識を迷妄に導く宗派・団体を解散させこの世から去らせるものです、

この世から消え失せさせるものです。
 僧侶の解釈がある為に、牧師の説教と独断的解明がある為に、
どれだけ天上界と人々は遠きに隔てられ、理解を阻まれたことでしょう。
 世の中があらゆる分野に於て科学優先となり、人々の学習レベルが上がり、知的水準が高くなり、
私達の語るごく人間として当たり前であり、
常識的に物事を見極めてゆこうとする態度を理解して下さる迄に成長された、
それが故の私達の証です。

これは私達を低くする訳でも卑しめる訳でもありません(※1)

※1注。
 私達に伝える為に神々がこの地上に天上から降りて来られたという意味であって、
神々と同じまでに私達の知性が高められたが故に、私達は彼等を見出したのだと、
彼等の仰しゃったことをそのように聞くのなら、
これ程彼等を貶めていることはないのです。

 古代の人類の知性にあって、同じ人間とは見做し得ぬ知性を彼等に見るが故に神とされた、
その彼等の知性を同じ人間のものと判断出来るまでに私達が成長したとしても、
私達の前に現れた同じ彼等を仰ぎ見た古代人の、
神を神と知り、己を低くする心を持っていた古代人に私達が勝ることにはならない
のです。
 古代においては、天上界の方々が愛されたブッシュマンのような純粋な者が多かったことでしょう。
 現代文明の恩恵に心を奪われ、
魂の生きんとする真理の、神の救いの道に盲いていった魂がいた反面、
例えば医療関係者のように治療技術の向上に努め、人々に希望を、
救いを与えることに一生を捧げた人々は、人間の善なる心を証して来たのです。
 天の導きに従った、神の心に生きた人々です。※1注終

 教養と立派な人格、徳と知性とを備えた者のみを私達は今、選んでいるのです。

 それ以外は只人類を混乱と、破壊に陥れる者のみでした。
 善人であっても愚かであれば人の迷惑となり、全体の進歩を阻むものです。
 人々の全体の向上を低下させるものです。
 そのためにあなた方は、老いも若きも等しく向上し続けなければなりません。
 要するに精神的な成長を望むのです。立派な成人としての人格を望むのです。」

「JI」86年12月87年1月合併号初出 ガブリエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集・Ⅲ」65頁
「天の現在の方針とは『JI』誌に明記してある通り、
① 人間としての優れた特質である徳性や理性、愛をすべて言葉のみに空洞化し、
実はそれらを破壊して、人間の悪心のみを助長し、

それを以て国家権力に密告の形で奉仕させ、権力維持に利用しようとする、
最も悪質な、悪魔の申し子である、共産主義というイデオロギーへの戦いであることと、

② それに関連して、動物、植物を問わず、あらゆる生命を持つものを愛し、
健やかなれ、幸せをと祈る心を共産主義への戦いの原動力とせよということです。

 何故共産主義を悪とし、それを支える他のイデオロギー、
社会主義やリベラリズムや中道という名の容共思想も同一視するかというと、
これらは究極的に自然と動物界に破壊を齎し、世界の全国家と全人類を共産主義に隷属させ、
しかも国家の権力保持と、国民の不満を抑圧する為にのみ集中し、
種の繁栄や存続に留意する余裕がなくなる政治機構だからです。
 共産圏や社会主義国の現状を正しく把握し、
その中で人間の生命はおろか、動植物の健康も存続も羽毛の如く軽視され、
生殺与奪の権利を政府に握られている現実を見れば、
天がそのようなイデオロギーを悪魔と呼ぶことに異論があろうはずがないと思います。
 これこそ"聖戦"なのです。


「JI」87年3月号初出 ラファエル様メッセージ全文
&「天上界メッセージ集・Ⅲ」67頁

(ラファエル様のこのメッセージの2ケ月前にガブリエル様の発表なさいました
(上記)メッセージを通して与えられた天の方針から伺われる、
この世に浸透した悪魔の思想、考え方を受け入れた人々が如何なる行動を取っているか、
天の見識(正見)によって証され警告されました。)

「前月号で情報よれば、社会主義は悪魔教から由来したと読者連絡にありましたが、
社会主義から発展した共産主義を含め、それは正しい見方だと考えます。
 という訳は、
まず第一に、神とモラルを否定し、良心の声を無視する。
 第二に、社会を支え、国家を支えている法律、諸規則、習慣、伝統を
(守ろうとする理性を)破壊する目的を以て計画し、行動する。
 第三に、家族離散を企み、人間相互の唯一の繋がりである愛の価値観を歪め、
砂漠のような乾いて、冷酷な人格作りを目指す※2
 第四に、キリスト教の神によって定められた、一夫一婦制の価値を減じ、
動物と同じ乱婚、雑婚、離婚を当然視して、罪の意識を無くさせてしまう。
 第五に、生と死に無関心となり、女性や子供でさえ、殺人や虐待を何とも考えず、
容易に行えるような心理状態を社会に作り出す。

 現実にこういった意図で、
数々の文学作品や、テレビやラジオの放映、放送用ドラマやコマーシャル作品が絶え間なく作られ、
子供向けにマンガ化されて居ることは、誰もが否定出来ない社会現象です。

 そして第一から第五までを忠実に実行した人々はどのような状態で生活していますか?
 荒んでいる人(非行少年少女や、いじめ、凶悪犯罪者の増加)のみ増えて、
大らかに伸々と、希望に溢れ、美しいものを喜び、翳りのない笑いを持つ人や子供は
この国から消えています。他の自由主義諸国も同じ。

 共産主義、社会主義思想(第一から第五を計画し実行する思想)や
リベラリズム(第一から第五に共鳴し、自ら行動に移す人々)が浸透し、
浸食が進んでいる国は特にこの現象が著しいですね。

 この悪魔(の思想)が否定するものを分析すると答えは二種類しかありません。
 良心や愛は人間社会と種の存続の保護に繋がり、"種の繁栄と存続"を。
 性の乱れは犯罪と闘争と死に繋がり、"種の絶滅"を招きます。

 神は前者を望み、良心と愛と生命を人間の世界に齎しました。
 悪魔は後者を望み、闘争と死を齎そうとしているのです。

 私達を信じるあなた方も、信じず従っていない人々も生命と死のどちらを選びますか?」

※2注。
 夫婦別姓があたかも互いを束縛しない思い遣りの現われの如くに主張する。
 何故主張するのか。夫婦が同姓であることは、
一方が他方を束縛しようとの心からであると思わせたいからです。
 愛する心を、信じる心を捨てさせることから、自由を奪われている、搾取されている、
猜疑心を、被害者意識を植え込むことで心を歪めさせるのです。

「JI」83年10月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「今は滅びし同じサタン・ダビデが、曾て神の民に地上に神の国を築かせぬ為、
地獄をこの世に作らせたのです。
 その為には、神の与えた戒めのすべてをまず捨てさせること。
 神の前に明らかでなければならぬ良心を次に。

 そして地獄の中に人類の苦しみと滅亡を備えたのです。」

 同じ姓を名乗ることに苦痛を感じるという。
 相手への信頼、愛の生きる心が、そのようなことに苦痛を覚えるものでしょうか。
 その程度のものを愛であると理解しているのでしょうか。
 神々が生命をも擲って伝えてこられた愛が、その程度のものだというのでしょうか。

 何故、左翼の偽善を見破ることが出来ないのか。
 神はその真理を伝える為にどうされたでしょう。
 神の愛に生きた者に語らせられたではないですか。
 神の真理は、神の愛の波動を以て人々の心を目覚めさせたのでしょう。
 左傾メディアの言葉から、愛に目覚めた者がおりますか。
 憎しみの心を、不信の心を目覚めさせただけではないでしょうか。
 悪魔に操られ、その左傾メディアに操られ、その政治家(左翼政党)に操られ、
その国民は国を滅ぼそうとしていることを悟れないのです。※2終)」

第一部 天の教え
第一章 天の歴史
五節 天の指導と方針

 (三) 国を守る為に戦うということ
「JI」90年6月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「英国のサッチャー保守政権打倒に大いに左翼勢力(マスコミや野党)に利用された
反人頭税騒ぎも、辛うじて一部の賢明な英国市民によって歯止めが掛かり、
五月三日の地方議会議員選挙での致命的な保守派議員の減少という迄には至りませんでしたね。
 日本に於ける"反消費税"運動と衆議院議員総選挙の自民党安定多数選出と
似た経過と言えなくもないでしょう。
 勿論、英国では保守派が二〇〇議席も失ったのですが、地方財政の約二分の一を固定資産税で、
残りを政府助成に依存してきたのに、固定資産税を払わない国民が圧倒的に多く、
急増している自治体財政への市民の監視が行き届かず、歳出を抑制する力が弱い。
 英政府としては、民衆の税意識を高め、地方行政の肥大化を防ぐ狙いであったとのことで、
他に選択の余地がない代替案でしょう。

 米国民のベトナム派兵という形も、同盟国へのベトコンによる虐殺や弾圧を防ぐ為の軍事介入で、
"友の為に自らの血を流す"崇高な行為であった。
 このように、自由民主主義国に於いては、義務と責任とモラルの範囲を自覚する人々が
博愛に基づいて助け合うということが、よく見られます。

 米国民がベトナム戦争に参戦したことも、
年間一人当たり約三万五千円から約十五万五千円もの人頭税を、
所得がなくても納税するという英国民も素晴らしい人類愛、国家への忠誠心です。
 日本人も、たかが三%の消費税を拒否し、
イラン・イラク戦当時の自国の石油タンカーの護衛にさえ、
自衛隊の派遣を反対するというエゴを剥き出しの世論ばかりで、
他国に相も変わらず、自己愛しか持てない鎖国民かと
見下げられるような愚は謹んで貰いたいと思います。

 日本人の国民性と言うのか、戦後の容共教育の徹底の成果か、
なべて自分や家族の幸せな生活や夢ばかりを追う嫌いがあり、

そういった考え方に戦前・戦中派まで甘えが出て、
同じように、人の為に自らを犠牲にすることへの疑問や躊躇(ためら)いが出てくるようです。

 以前の背反事件でも、正法流布に打ち込んでいる間は天への協力、
人への愛に励む毎日でありながら、一旦報われていないと考え始めるや否や、
急速に離れてしまい、且つ周囲の人も天から疎遠にさせてしまう
ー 、
特にGLAから現正法に転じた人に、その傾向がありました。情ないことです。
 私達天の者が何の為に法を説き、あなた方の協力を求めているか、
理解していなかったのでしょう。

 私達はあなた方とあなた方の家族も含み、
全人類の幸福の為に悪魔の王国がこれ以上蔓延るのを阻止する為に、
天と地の協力を願ってきたし、今後もそう求めているのです。

 とかく目先のことに囚われ、楽な方にとばかり考えるのは無理からぬことです。
 しかし、それが自己愛に限定された生き方で、
国家や人類のことに関しては、"誰かに任せておけば勝手にやるだろう"式の考え方では、
日本民族は滅亡するしかないのです。

 市民の無自覚で無責任な生き方が、国を滅ぼしてしまった例は、
過去に遡
(さかのぼ)るまでもなく、
共産政権に国の政治を明け渡してしまった国々の総てに共通する所です

 賢明で、社会人として一国民としての義務や責任の所在が明確な人物であるならば、
左翼勢力の巧妙なデマに乗り、政府を安易に批判、中傷する、或いは保身の術に身を委ね、
国家の行末、世界の力関係など関知しないといった反正法的な生き方はしないでしょう。

 神の愛に疑問を抱き、悪魔に同胞を売り渡すなど以ての外です。

 悪を容赦したり、放置することは悪に加担するのみならず、自ら善を滅することになるのです。
 
悪魔 サタン・ダビデの手に掛かり、生命を落した多くの高貴な魂を思い出し、
その天の人々の為にも、正法者であるあなた方も、新たに参加する人達も
茨の道を共に私達と走り続けてほしいのです。

「JI」90年10月号初出 ミカエル大王様メッセージ全文
「八月初めに隣国の王政の小国クウェートを不当に侵略し、
しかも歴史上クウェートはイラクの領土であったなどと、
国際法を踏み躙る暴言を繰り返し(注。日本の某隣国のことではない)、
当時双方に居住または滞在中のあらゆる外国人と大使館員を
人質同然の軟禁と軍隊の監視下に置いた、
サダム・フセインのその人もなげな、ゲリラ戦と同様の暴挙に
立腹した米、英国が両国を含む多国籍軍を配備したり、
イラクとクウェートの経済封鎖や艦隊によるペルシア湾封鎖など、
中東ペルシア湾岸危機の為に米ソ首脳会談まで開いて、
その解決策に苦慮しているというのに、サダム・フセインはまるで悪魔の如く、
"正義と公正の為に西側諸国への聖戦を"などと、自己正当化の宣伝声明を発表したり、
"経済封鎖をするならば、人質の食料は保証しない"とか
幼児がその為に餓死寸前だとか、
イランのホメイニも言わなかったような卑劣な脅しを掛けています。

 これは人類史上例を見ない卑劣な方法で、
しかもスターリンやチャウシェスク同様、
反対する閣僚はその場で射殺して口封じをしてしまい、独走する。
 国民は軍隊も含めてフセインに処刑されるのを恐れて、
如何なる非道な圧政も見ざる・聞かざる・言わざるを通し、ただ服従に甘んじ、追随する

(キューバのカストロとて同じこと)。
 そして西側に協力する国、サウジ・アラビアやエジプトの政府転覆を計るよう呼び掛ける。
 "盗人猛々しい"このフセイン氏は
"中東の蛇"とも"何時裏切るか判らない人物"とも言われて嫌われ、恐れられていますが、
こういった横紙破りの独裁型は社会主義国に共通で、
しかもマルクスがリーダーの条件にしたように、
貧農の出であり、教育はイデオロギーの洗脳以外
あまり受けていない。

 共通して情緒に欠け、
前思春期までの子供の残酷さをそのまま持っている性格の人物であるようです。
 こういった情緒欠如型の人間は、自分以外の人間の感情も痛みもまるで判らず、
だから次々と平気で拷問や大量虐殺を行えるのです。

 中国の文化大革命もカンボジアのポル・ポト政権も同じ。
 直接射殺しなくても、収容所で拷問死させるのも餓死させるのも同じ。
 そういった独裁政治は、ベトナム、北朝鮮、アフリカの社会主義政権と、
総てはマルクス・レーニンの非人道性に遡るのです。

 貧農の出であるから、勿論、
裕福な者や、インテリ階級への偏見と嫉妬を自らの活力として生き、
広範囲の学問や教養を身に付けている訳でもなく、先人の精神から学ぼうとする姿勢もなく、
ましてや哲学にも人生にもまるで無関心であること。
 大脳の前頭葉部位の未発達は野望を遂げる以外に用いることのなかった為であり、
良心の麻痺した理性は無感覚となり、
自らを弁護し、口実を駆使して
あらゆる悪行を正当化してしまう雄弁にのみ働かせ、
誇大妄想にも似た大義名分を振り回す
人物です。

 サダム・フセインやホメイニの如き人物は、
"神の掟"の第一の戒め"汝殺すなかれ"を平気で破り、人殺しの人生を送るにも関らず、
国民や部下には貧しさと飢えからパンを盗んだだけで手を切り落とす。
 無防備な国を侵攻し、非武装の国民を殺す。
 そのような施政は、神の前に通ずる筈がありません。

 彼等は悪魔の思想に共感し、悪魔に仕えているだけです。
 "聖戦"などと言う資格もありません。


 アラブの国民はこのことだけにでも、真実を悟るべきなのです。
 一国を何の予告もなく、内乱があった訳でもなく、ただ侵攻して、王政を破壊するのと、
それに抵抗して(アフガニスタンのように)侵略者と戦う"聖戦"とは全く質を異にします。
 敵国と交戦して、祖国を敵の侵略から守る為に、
又は侵略された国の国民から(政府から)助力を求められて援軍を派遣するのとは、
まるで理由が異なります。

 そしてまた、目的がそういった崇高なものであれば、
たとえ戦火の合間にでも、兵士は泥土の上の進軍に、道端に咲く一輪の花を踏まずに通ったり、
家族からの手紙に涙したり、小鳥を愛でたり出来る心の余裕と人間性を保ち得るのです。

 アフガニスタンやニカラグア他の自由の戦士達、延いては二つの大戦中の関係国(非共産国) ー
自由諸国の兵士達は真(まこと)にその通りです。

  戦いが人を荒ませ、非人間性にするのではなく、
どのような目的と心で戦いに参加するかが大切なのです。
 "人間性を失うこと"は"人間がけもの以下になること"なのです。

 マルクスとレーニンは、ユダヤ民族以外の民族が総て"けもの以下"に堕落し、
互いに殺し合い、滅し合うことを望んで、あのイデオロギー理論を完成させたのです
※1

 このメッセージを今まで理解していなかったことに気付けたのは、
サタンに魂を渡した(比喩ではない)一部ユダヤ人によって、共産主義のみならず、
(ワイマールや現日本国)憲法の中に、魂の堕落、人格の破壊へと導く悪魔の指針が
埋め込まれていたことが、
その心を育てた人々の内に、
悪魔の蒔いた種(イデオロギー)によって、
悪魔の心を育てられた事実が明らかにされたからに他ありません。

 ミカエル様のメッセージがどれほどの悪への怒りが込められたものであるか
その張本人のサタン・ダビデを哀れと言われたミカエル様の思いは
どこから来るものなのか、私は全く理解されていませんでした。
「天国の証(78年8月初版)」
 "天使の詩集"ミカエル大王様「二十一世紀」より

「ああ我等が父の御計らいの
 深さを知ることなく、
 いとも容易く欺かれし人の群よ。
 サタンは父の身近にありて、
 真の救いの光をも破壊の道を辿らせ、
 遂にその配下となさしめた。
 父の慈悲と愛を拒みしこの人も哀れ。
 サタンの惑わしに偽りの栄光を夢見し人ぞ哀れ。
 そは悲しき生涯よ。」

「JI」84年4月号 ミカエル大王様メッセージより
「あなた方を含め、全人類をモーセ様出エジプト以来、イエス様ご誕生の時より更に、
どれだけ私達天があなた方に愛の手を差し伸べ、救いの言葉を掛け、
あなた方迷える人類の虚ろな心に悲しみの涙を流したことか。」

 悪魔の破壊し尽くそうとする狂気に、
自らの生命を失うまいとする執着心に、
怯むことなき理性を、他への愛を持たねばならなかった。
 人の心の唯一の希望であり、真にあらゆる心に勝利するものは、
真理への愛、そして生きとし生けるものを永続させてきた
自然の叡智、生きものへの愛だけであると、
生命のある限り真理を、福音を伝えてこられた、
その真理の前にダビデは滅び、エル・ランティ様は勝利された。
 生命の続く限り彼等の愛は変ることはない。

 私達の心の中の一番強い思い、心の底に根を張る自己愛にサタンは働きかける、執着させる。
 自己愛に縛られた、真に自由を求める心を解放する為に、
天上界は自らを魂の研磨に掛けて得た、真理に生きる自由な魂を以て、
人類の心を目覚めさせる真理を知らしめられました。

「希望と愛と光」82年6月号初出 ガブリエル様メッセージより
「私達がこの地上を神の国、ユートピアにする為に、
あらゆる方法と人物を通して語り続けてきましたが、あなた方現代に住む人々にとって、
最早私達の真なる心からの呼びかけにも関らず、何故か功を奏する所少なく
そればかりか却って正法を一宗教視し、挙句の果ては、私達天上界に対して畏敬の念さえ失い、
三次元に住む俗人と何等変わらぬ態度で接し、千乃裕子様に対しては取りも直さず、
これ以上の侮辱はないと思われる程の有様です。」

 天上界の思いが伝わらなくなった、そのような心になったと言われているのです。
(そのような人類を神は救おうとしないことを伝えているのではありません)
 救おうと導いているその思いを伝えなくしている、
神の愛を拒む心になったのは何故なのか、その心の悲しみが何故解らないのか、
そのように仰しゃっているのではないでしょうか。
 神の思いの伝わらぬ心に、(霊能力を与えられた者を通して)
神自ら語られる言葉をもって、神自ら証された姿をもって、
今を生きる神の思いを伝えられました。

「現象テープ№16 79年11月4日 ミカエル様現象」
「目の見える者は私の姿を見なさい。
 耳の聞こえる者は私の言葉を聞きなさい。」
 耳で聞いて目で見て知る者となったのです。

 真理であることを、真の神であることを人類が理解し得たのは、
神自らそれを為してこられたからであり、
今初めて、神自らそれを人類の前で証されたのです。
 神に抗った者は、真の神であることを知る、神を憎む心であったことも。

「彼等は私と私の父とを見て(知って)、憎んだのである。」
とイエス様が言われた(悪魔に従った)パリサイ人になるか、
(彼等に立ち向かった)神の子になるか、
天上界のメッセージを知った以上、どちらかに定まるのです。

現象テープ№7 ①「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」より
77年12月1日 ミカエル大天使長様現象
「どんなに厳しい試練が待ち構えていても、どんなに厳しい目に会っても、
決してあなた方は挫けてはいけない。
 あなた方は一度正法という光を目にしてしまったのだから、決して道を逸れてはなりません。

"善を信じる心(誰もが持って生まれてきた、この世の悪に染まる前の、素直な心)、
光の中に生きるということ"

人間の心というのは、だいたい、善我なる心でしかないのです。
「自然の心は調和である。善も調和である。
 だから、善は自然と同じ(それを理解することが出来るか否か)であるということですね。」
「天国の扉」より ミカエル大天使長様

「慈悲と愛」80年1月号11頁 (天上界の教え)
「そして善意を持つこと。
 常に善意が悪(意)に先行するべく自らを矯め直し、厳しく鍛えてゆくのです。

 善我には如何なる虚栄も、我欲も、我執も、嫉妬も、優劣を競う為だけの競争心も
(これは顕示欲と深く関り合っています)、存在してはならないのです。
 それが出来ないようでは義人とは定義付けられません。」

「JI」83年6月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「人を信じることは、疑いながらその言葉を聞くのではなく、
真直ぐな心で受け入れることなのです。
 これは正法を知り、学ぶ者として心しておかねばならぬことです。
 人が偽りを言い、欺こうとする時、それに気付くのは遅くても構いません。」

 このような考えが、心の持ち方が、正しいか否かを考えようとする者は、
彼等の思いが伝わることもなく、どのような思いからこのように語ってこられたか
考えずにはいられぬ心さえも持たない者なのかも知れない。

 このような善を信じる心が天国を、天国に至る道
(人が如何に生きれば神の心が、神の愛が持てるか。
 神と同じ心に立って、共に天国の平和をこの世に齎そうとする意志が持てるか)を、
人の善なる心を守って来ました。
 彼等はそのような心が正しいと理解して、そうあろうと努力したのでしょうか。
 自らを滅ぼす道であると知って尚、
その道から逃れようとする意志を失ってしまった人々の悲しみを、
そのように人を貶めることを喜びとする悪(なる心)を見て、
悪を(自己保存の心に屈することを)許さぬ心が、
善なる心に徹する意志が現れるからに他ならないからでしょう。

 人は善なる心を持って生まれてきたと彼等の言われるのは、
自ら善を捨てる時、善を憎まずにはいられぬ心しか残らぬからではないでしょうか。
 悪を見て、人の立ち返るべき善を知る、善に生きるを人の生きる道と知るを知恵と、
知恵なくば人は滅びると伝えられてきました。
 悪なる思い(怒り、憎しみ、心を損なわせる悩み苦しみ)からの解放を、
善を信じる心を、善を求める心を人が見出せる為に、どうすべきか、何をしてあげられるか、
心に真が在れば必ず人に伝われものです。
 その思いのない、偽善は人の善なる心には伝わらない、偽我は偽我にしか伝わらないものです。
 自分に関わらねば、悪に無関心な者、自己愛から人の賞賛を得んがために善を行う(偽善)者、
彼等に人の苦しみに自ら苦しむ心なく、天上界の言われる善なる心を知らぬ者、
自らを救う善を知らぬ者、天の教えに聞き従う心なき者、
人に天を見失わせる為に、悪魔に唆されても、自らを恥じる心なき者です。

 神の教え(神の与えた真の宗教)を学びながら、
神の心を養うことができなかった。
 神の言葉を曲解させ、偽りの道に導く悪魔の魂胆を見抜けず、
悪魔の種の実りである共産主義思想に魂を支配された。
 今神自ら神の知恵を伝え聞いても、真理であると覚れない、悪魔の心を以て神を拒絶する。

「天の奇蹟・上巻(天上界への質問と解答)」ラファエル様解答より
「勿論この聖典(旧約・新約聖書)を伝えた民族が文化が低く、大部分が稚拙な表現や、
ヘブル人特有の民族性、習慣を通じて伝えられたものであろうとも、
私達天の与えた真理は永遠のものであって、
私達がそれを否定する者では決してないことは、
イエス様が旧約の律法を否定される立場になかったと同様のものであると
理解して頂かねばなりません。」

 真の神の教え(宗教)を理解されてしていたなら、
今人類が直面している危機から救い出さんとされる、
神の思いが、叡智が理解されたことでしょう。
 その真理を被ってきた人間の間違った解釈を取り除いた、
神理、神の法である、神自ら証された正法が理解されたことでしょう。

「JI」84年12月号初出 ガブリエル様メッセージより
「ただ末世、世の終わりを来たらせるもう一つの要因として、人々のエゴイズムがあります。
 ソ連や共産国の野望や非道のみならば、それは世界の一部に限られ、
人類の生存を脅かすことはないでしょう。
 しかし他の自由諸国の人々(あなた方を含め)が巧みに呼びかける
悪霊の如き共産主義思想のユートピア作りに賛同し、
企業を潰し、学問を歪め、国家と経済を崩壊させ、
自由思想や資本主義打倒への闘争と労働なき報酬、
努力なき豊かさと道徳否定により犯罪を肯定し、
良心の責
(せめ)なき人生を送ろうと望むならば、
当然の結果として世の終わりは来るのです。

 国や社会というものは国民の協力や秩序なくしては保たれず、
諸国が崩壊と無法の巷と化し、共産政権による個人の破壊、
人命軽視が結果的に人類の破滅を招くのは火を見るよりも明かなことでしょう。」
(第一部、第六章、十節 (二)エゴイズム) 

 現日本国憲法を平和憲法と呼ぶ者がいます。
 侵略者に尻尾を振る者に齎されるを平和と、
自ら生きる自由無く、与えられることでしか生きる自由のない、
奴隷故に与えられるを平和と、
そのようなものを平和と呼んで保証する憲法を、平和憲法と信じられる者とは、
そのような平和を人に強いる特権階級の立場にあると信じる者でなければ、
出てこない考えでしょう。
 そのような平和を平和と思う人間に、尊厳などあろう筈がない、
それさえも解らないのでしょうか。

※1注。
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」103頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
(GHQのニューディーラーが日本国憲法を作成するにあたり、
手本としたものは同じユダヤ人共産主義者の作ったワイマール憲法でした。)
「このワイマール憲法の作者ユダヤ人プロイス以下のユダヤ賢哲達(賢人と哲人)は、
教条主義に陥っていたといわねばならない。
 ワイマール憲法の最大の目的はユダヤ人にとって自己の中世以来の差別を撤廃し、
平等権を確立することであった。この点は、以下に見る如く全てにわたって成功している。
 プロイスはそのへんまでで止めておけばよかったのである。
 とにもかくにも、ドイツ国民と平等な権利を獲得したのだから。
 しかしプロイスは、ここでちょっと色気を出した。
 それは、ユダヤ民族の反撃戦のプログラムの要諦ともいうべき要素の指示するところを
盛り込んでしまったのである。
 それは簡単にいえば、十九世紀のプログラムであるマルクス主義から
一歩飛躍した闘争方針の要諦を指示するものといえよう。
 その一歩飛躍した闘争方針というのは、マルクス主義が経済的闘争
(搾取するのが資本家であるから、倒さねばならないといった闘争史観)
の道具であるのに対して、
これは神経戦、心理戦を主とした闘争の道具とするものといえよう。
 簡単にいうと、「人間の純度」を落とすことを狙いとしたものである。
 人間を闘争本能丸出しの動物的なものに回帰させるのを目的とするものであり、
それにより既存の国家を内部から崩壊させようとするものである。

 それに対しては後にゲッペルス宣伝相がドイツ国民に警告する文書を交付している。

 この計画の手段となるのが、フランス革命の時用いた「自由」「平等」である。
「自由」「平等」のスローガンは、またもや役に立つことになったのである。
 ただし、今回はフランス革命当時の如き、
素朴に「自由が欲しい」、「平等が欲しい」といったものではない。
 この違いは、十八世紀の未成熟社会と二十世紀のドイツの如き成熟社会との差によって生じる。
 成熟社会における「自由」「平等」は調和を崩し
(このような言葉が自然に表れる心に触れると、
左翼の偽善を、その性根の醜いまでのエゴイズムを嫌悪する魂は、
天上界と心が繋がっているとの信頼を抱かれるのではないでしょうか)、
国内を収束のつかない混乱に導くものである。

 さらに「自由」と「平等」の二つの概念の非両立性により
その矛盾、混乱は幾何級数的に増大する。
 我々ユダヤ人は「自由」「平等」という言葉の裏に
かくも恐ろしい毒素を含んでいたことをはっきり知らなかったのである。
 全く頭が悪いといわれても仕方がない。
 プロイスは、これをワイマール憲法に盛り込んでしまったのである。
 これはまさしく、教条主義的態度であったといえよう。

 ワイマール体制というのは、
すでに自分達ユダヤ人がとにもかくにもレーテ(権力)を握っているのである。
 自分達が直接君臨している国家では、
敵(非ユダヤ人)に国家を突き上げる「自由」「平等」を吹き込むことは、
上を向いてツバするが如き自己撞着であるはずである。
 つまり、自分達の政府の下で「自由」「平等」をかざして突き上げが起こっては、
困るのは当然ではないか。

 しかるにプロイスはこれを盛り込んでしまった。
 これは信じ難いほど頭が悪いといわねばならないだろう。
(破滅していく他の民族の姿が、勝利者たる己が姿が妄想されたことでしょう。)」

「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」80頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「ドイツのゲッペルス宣伝相は、ドイツ国民に与える警告として
次のような内容の文書を一九三四年に公布している。
 それは、非常に強大な超国家的(共産主義)勢力が、
文明の破壊にもつながる心理戦、神経戦を挑んできている。
 これに対してドイツ国民は十分に警戒せねばならない。
 この心理戦、神経戦の目的とするところは、
人間の純度を落とすことにより現存する国家を内部からむしばんでいこうとするものである。
 ゲッペルス宣伝相が挙げたこの超国家的勢力の狙いとする心理戦、神経戦とは
次の如き大要である。

「人間獣化計画」
 愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追及、道徳軽視、
3S(Sports Sex Screen)政策事なかれ主義、無気力・無信念、義理人情抹殺、
俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、
享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定

 以上の十九項目をつぶさに検討してみた場合、
戦後の日本の病巣といわれるものにあてはまらないものがただの一つでもあるだろうか。
(中略)これらは正常な人間の頭で判断すれば
人類の文明の破壊につながるものであることは一目瞭然である。
 人間の純度を落とし、本能性に回帰させようというものである。

 ゲッペルス宣伝相が警告を発した第二次大戦前の時点で
どれだけの人がこれを真に人類の文明への挑戦として脅威的に受け取ったかは分らない(※2)。
 しかし第二次大戦が終わってみると、日本へはこれら一連の風潮が忍者の如く忍び寄って
完全ともいえるほどに定着してしまっていたのである。
 これらを戦後日本へ持ち込んだのは一体何者なのか。
 また、これらがこれほど完全ともいえる状態で日本に定着したのは何故か。

 話を戻してみよう。精神衛生面の虚無性が何故に経済の高度成長バックアップするのか
という疑問も前述の一九項目を見ると直ちに理解されると思う。
 これらが日本人の間に巣食ってしまうと、
楽しみはただ「カネ」ということにならざるを得ないであろう。
 つまり、すべてを「カネ」のために、という思想が強烈なものにならざるを得ないのである。
 いわゆるエコノミックアニマルの徹底ぶりである。
 ここにエコノミックアニマルと、「アニマル」なる語が使われているのは、
ゲッペルス宣伝相の警告にあった「人間獣化」と一致していて面白い。
 エコノミックアニマルという言葉は、
パキスタンのブット外相(のち大統領)が言った言葉だが、急所を突いていると思う。
 高度成長のほとぼりもさめた今日、日本人が真剣に取り組まなければならないのは、
この精神衛生面の虚無性である。
 志ある人々は皆、日本はこのままでいいのかと憂いている。
 何故、前述のゲッペルス宣伝相の警告にあるような風潮が今日の日本に定着してしまったのか。
 また一体誰が巧妙に持ち込んだのか。
 持ち込んだ時期は終戦後のどさくさにまぎれてのことであるのは誰にでも分かることだが …… 。

 さらに、忠実な残置諜者(敵地で情報を収集する諜報員)とでもいうべき、
これら病巣をタブーとして固持、培養している勢力は何か。
 その勢力とこの勢力を持ち込んだとの関係は如何。
 今日の日本にとって最も大切なことはこれらを解明することではあるまいか。
 さらに、これらのこれらの病巣の残置諜者たる勢力が
金科玉条としている日本国憲法の作者は誰か。
 この日本国憲法の隠された狙いとは如何なるものか。そのルーツは。
 これらの諸問題にメスを入れることは
今日の日本にとって焦眉(しょうび)の急といわねばなるまい。

 これらの病巣のコーディネーターの役割をしているのが日本国憲法であることは
何ら疑いを入れない。しかしもう少し考えてみると、
この日本国憲法を持ち込み残置諜者(日本共産党)を利用してタブーの網を張り、
信仰という宗教的呪縛性でもって、あたかも千古不磨(せんこふま)
(途絶えることなく伝わり続けること)の大典の如く日本国憲法を最大限に活用している勢力は
一体何なのか。

※2注。
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」78頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「開戦前、近衛内閣の外務大臣・松岡洋右(ようすけ)は、
対独戦参加を焦るアメリカのルーズベルト大統領に対して野村駐米大使を通しての書簡の中で、
大要次のようなことを言っている。
「もし仮にアメリカが戦争により日本を撃破したとしても、
その時にはソ連は満州へ進出し、中国も完全に赤化されるであろう。
 そして何よりも日本は、たとえ撃破されたとしても、
ものの三十年を出ずしてもと通りになるであろう」
 つまり、日本との間に戦争を始めてもなんの利益もないことを諭しているわけである。
 しかし、何よりもこの予言の見事な的中ぶりには驚かざるを得ないのではないだろうか。
 皮肉にも、ソ連の進出を促したのがルーズベルト自身というパラドックスを生むところなど、
松岡洋右とルーズベルトの国際感覚の差を見せつけるものである。」

 当時、共産主義に毒された者の本性(魔性)を見抜く知恵者が、
独逸や日本の政治家にいたのです。
 一世紀を過ぎて尚、このような偽善者(共産主義者)を見抜けないのは、
毒する者にこの世が支配されてきたからに他ならない証拠でしょう。※2注終)」
 ※1注終)

 私個人のことですが、参考になると思えるので(そうでないかも知れないですが)
書くことにしました。
 能力次第でいくらでも稼げる、他との収入の差も歴然としてくるタイプの仕事に携わっていますが、
人の能力への嫉妬か、人のエコノミック・アニマルぶりへの嫌悪か、
不快な思いを抱くことがよくあったのですが、私自身も仕事に忙殺されることが多く、
ある時、ひょっとすると私自身がエコノミック・アニマル化していることに、
守護霊達の抱く嫌悪感が伝わって来たのではないかと、
そう思った時、もやもやした気持ちがなくなりました。
 そういったことはただの気持ちの変化に過ぎないのかも知れませんが、
変化することなく荒んでいくのも困りますでしょう。
 守護霊の気持が伝わったかどうかなど解りませんし、私が善我を見出したのかも知れません。
 善我を見出すとは、今まで偽我に捉われていたことに気付くことに他ならないでしょう?
 その逆に、善我を見失っていく時、それに気付く心も失って行くのであり、
(文字通り)魔が差すようなことを仕出かすまで気付かなかった事例を
知らない人はいないでしょう。

 善我を見出すことは、善なる思いの波動の前に、悪の波動は弱まり消失して行くでしょう。
 その逆に、善我を見失えば悪なる波動は強まり、偽我の感情に執着して行きます。
 善我の思いや偽我の思いを、そうであると意識することが容易になれば、
罪を犯す偽我が自分を飲み込もうとしている、
それでも善我が目覚めないということは防げるのではないか、
善我が飲み込まれること自体が、自我の破滅に他ならないのだから、
自分の思いがどの心から来るか意識されると良いし、
偽我の思いを深く理解して行けば、
その感情が現れて気付かないということはなくなるのではないでしょうか。

〖備考1
 善が悪に勝つのは、悪にその敗北を悟らしめるのは、彼等の信じる力に於てしかありません。
 その力とは真の知性であり、知性を齎すのは科学的な思考(それが正法です)なのです。
 悪に対抗するには知性に於て勝らねばなりません。
 天上界が仰しゃるように、
武力で向ってくる者に対抗し得るのは武力しかないことも悟る知性なき者とは、
(話せばわかるのだから)外交が平和を齎すのだと言う者とは、
ソ連が攻めて来たら白旗を揚げて迎えようと言った政治家(社会党)と変わりません。
 今も同様な政治家を信じる知性なき人々が、
左翼の偽善に騙されていたことに気付いてから目覚めた時には、
日本が地獄になっているのです、私達の子孫に地獄を残すことになるのです。
 今のロシアや中国の政治家に神の心があるとは思われないでしょう。
 彼等は世界を制覇する、他の民族を支配することしか考えていない地獄の住人であることは
解り切っているではありませんか。
 神の心を、天の徳を踏み躙って生きた者がのし上がって国家権力を手中にしているのです。
(左翼は国家権力を悪の如く言ってますが、
自分達のものである権力を奪われていると考えるから、
保守(真の民主主義)という悪に悪用されていると信じるが故に
国家(保守)権力を罵るのでしょう。
 そのような国で恵まれた人生を生きている者が、
国の認める、受け入れる人格が如何なるものであるか、
自由な、真の民主主義国家の日本に生きて来て悟れない筈はないでしょう
(勿論例外はいるでしょう)。

 悪から逃げるとは、自ら善なる心を捨てるということです。
 国を悪から守る、悪と戦うことから逃げることで、
たとえ(戦って死んだ)人より長くこの世に生きることが出来たとしても、
その魂は、神の心を捨てた魂は、永遠に神の心を失うのです。
 永遠に神の心に、神の愛に生きる喜びを知ることはありません。
 神の思いを受け止めた人々、神と共に戦った人々、神から愛される人々を妬む、
憎しみに支配された魂(悪霊)が残されるのです。
 それがあなたの求める幸せなのでしょうか。

94年7月18日 ブッタ様メッセージより(未出版)
「私はこのメッセージを受け取る人々に
もう一度"正法者"と成られる為のチャンスを与えたいのです。
 あなた方をこれまで導くために努力され、
そして天上の戦いにおいて無念にも亡くなってしまわれた人々の想いに気付いてほしいのです。
 一言の言葉も交わされる事無く、只、あなた方お一人ずつの意識に呼びかけられ、
誕生の時より共に苦楽を味わわれた方々なのです。
 その方々の意志を受け継ごうとは思われませんか。」備考1終〗

〖備考2
 2008年2月19日、海上自衛隊のイージス艦「あたご」が漁船「清徳丸」と衝突した事故で、
当時の石破防衛相は、全責任は自衛隊にあるとして自衛隊幹部を解任した。
 自衛隊(員の国防意識、祖国愛)を憎む、
左傾メディアは一斉に自衛隊の責任であるとミスリードした。
 漁船の船長による事故の要因(飲酒その他)は問わず、
左傾記者はエリート意識から自衛官を右翼と軽んじ、
彼等の判断の根拠を理解しようとせず、左傾した判断の正しさを押し通した。

 当時の防衛大臣の石破は、左傾マスコミを恐れたか、自身が左翼だったか、
自己保存だけに生きる小心者だったか知りませんが、
全責任を自衛隊に負わせ、自衛隊幹部を一方的に解任し、自分は責任を取ったとした。
 左傾マスコミは、事故の原因は堕落した自衛隊にあると、
彼等を処分した石破を自分達と同じ(善悪の)判断基準に立つ者と評価した。
 全ての自衛官がそうである訳ではないでしょうが、
多くの自衛官は国民を守ることを誇りとし、自らの人生を捧げている。
 彼等の思いの信じられぬ者に、国を愛する心があろう筈がないのです。
 左翼が愛を知っているとでも言うのですか?
 自ら自衛官の長となった者は、何よりもその思いを守る者でなければならない。
 その思いに生きる自衛官への信頼を自ら捨てる以上の裏切りがあるでしょうか?
 国を守る思いに生きる彼等を誹謗する者から守る意志なき者に
その長となる資格などある筈がないでしょう。

 国民を守ろうとの自衛官の思いに応えようとする、信じる心を簡単に捨てる去り、
自衛隊の罪を漁船の船長に擦り付けようとしていると、
自衛官の思いの中に見出してきた筈の自己犠牲の精神まで否定する
己が自己保身の醜ささえ気付かず、一方的に断罪する。

 神に勝る力を持つ者と信じ、神を裏切り、悪魔に従った、
自己保身から愛を見失った、小心者の善霊などよりも、
部下に全ての責任を押し付けた、自衛隊の長である防衛大臣の罪の方が
遥かに大きいことは当たり前でしょう。
 地位高き者の裏切りは、極刑に処すと、
それは当然であるとガブリエル様は仰しゃったことが理解出来ないのでしょうか。

 そのような者を吾が国の長と選んだ日本国民は、
同じ国民なのに、自衛官が国民を守り、国民は自衛隊に守られるのが当然と考える、
たとえ国民の愚か故であろうと、国民が自衛隊に傷つけられたとすれば、
許し難い行為と非難されるのは当然であると考える。
 人間と変ることのない(実は同じ人間故の)感情を持たれる存在であることを
知らされてきたにも関わらず、
神は自らの犠牲を顧みず(神にとって大切なのは愚かな人類のみで、
神と共に闘う聖霊が人類の為に生命を落としても
神は痛める心などないとでも思っているのでしょうか)、
人類を守るのを当然と考える心と同じではありませんか。

 堕落した魂は高貴な魂を憎む、
左翼が、自らを擲(なげう)って人を守ろうとする軍人を、自衛官を憎むのは、
悪霊から、邪念から人々を守ろうと、善を愛する心が、
悪魔の邪念に屈することなく立ち向かう勇気を、人を守ろうとの熱意を齎してきた神の、
神の心だけが持つ力であることを明らかにしてきた神を、神を愛する人々を憎み、
高貴な者を貶めるを喜びとする、邪心を満たす、
驕り高ぶる心が何処から齎されるものかお判りになることでしょう。
 備考2終〗

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法