第一部 天の教え
第四章 天上界に愛される人格

五節 天上界に迎えられる、天のメンバーとして求められる人格とは
「JI」82年6月号初出 ガブリエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」151頁

私達は愚か者や臆病者を天に迎える為に地上に来たのではないのです。
 そのような者を迎えれば、悪霊との闘いに天は何時も苦杯を嘗めねばならず、
サタン・ダビデとの戦いと同じ経過を辿ることになるでしょう。
 
私達は信頼できる天のメンバーが必要です。
 何時如何なる時も、その勇気と智慧と行動力に於て。


 これは女性の場合も同じです。
 素直であるなら、よく働くなら立派な正法者だと自惚れるのは本人の自惚れにしか過ぎず、
その人の愚かの故に正法活動に停滞を来たし、
天に在っては悪霊の前に他のメンバーを危うくするような人は同じく、
正法者と自称する資格も無く、天に迎える人物ではないのです。

 繰り返して言いましょう。
 臆病で智慧なく行動力なきことは、
信義や正義や愛さえも自らの養分と為すことは出来ず、
従って天の求める徳を身に付けることが出来ないでしょう。

 それは私達の無用とする宗教人、イデオロジストにも劣り、軍人や愛国者にも劣り、
国や世界の滅亡を来たらす者であるからです。」

「天国の証(78年8月初版)」93頁 ラグエル様メッセージより
「私達は初めて知りました。最後の審判に於て何を基準とすべきであるかを。
 その基準とすべきは次のようなことなのです。
 又これは今後、天上界(天国)に迎え入れられる基準にもなるでしょう。
 最後の審判に於て与えられる永遠の生命は、如何に生きる人に与えられるものであるか、
又天国に迎え入れられる人とはどのような人であるか。

 イエス様の山上の垂訓により証せられた人々による善人の基準を外れては勿論駄目です。
 しかしそれ以上に光(善)を求めなければならないということです。
 植物も動物も生き伸びる為に太陽の光を求め、その光の当らぬものは死を迎える。
 自然淘汰してしまう。
 そのように人間もあらゆる事をして神の恵みと光を求めなければ、神は光を与え給わない。
 恵みを与え給わない。
 その恵み(永遠の生命)はしかし、太陽の光と同じく光が当る所におりさえすれば降り注ぎ、
与えられるものであり、自然に得られるものでもあります。
 
 しかしこの光(善)は只求めるだけでは駄目なのです。
 善の為に戦い、善なる心に徹すること。
 それが如何に困難なことであるかは、密林の中の木々が曲がりくねって太陽の光を求め、
根はうねりにうねって水を求める。
 それは死闘さながらのものを思わせます。
 それ程"善に徹して生きる"ことは難しく、又天上界に迎え入れられるものも数少なし、
ということを私は皆様に改めてお知らせしたいのです。

 この度天上界の戦いで出た半数の人の裏切りに加えて、
高橋信次氏の生前のあれ程の善行と徳行にも関らず、天上界に於て天上界を裏切り、
悪魔とも見える行為を為した。
 それが天国の規約を一層厳しいものにし、永遠の生命を一層数少ないものにしました。」

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法