第一部 天の教え
第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について

六節 理性
「JI」81年8月号初出 ガブリエル様メッセージ全文
&「天上界メッセージ集」140頁
「理性についてお話ししましょう。
 天上界の秩序、正しさは、愛と義からなっています。
 愛と義は何処から来るのか。
 透徹した理性による判断力から来ます。
 理性は如何なるものか。

 正しく認識しよう、或いは理解しようという姿勢からなります。
 その姿勢の基本となるものは、

やはり人の幸せの為という愛、真理を通す為という義なのです。

 理性と愛と義は表裏で一枚となる布のようです。
 無論、最初から誰にでも備わっているものでもありません。
 偽我の多い人はそれだけ苦しまねばなりませんし、
皆の幸せの為、真理を求める人は見出すのが早いでしょう。

 理性というのは血の通わぬ推測、氷のような心をいうのではありません。
 執着を捨てた感情も又、理性と言います。
 その意味で、理性の真の姿を捉えた人は、
物事の本質、行末、過去を推し測ることが出来、しかも拘ることがありません。

 義は理性の怒りであり、愛は理性の抱擁の姿です。
 皆様も賢い目を養おうとするならば、物事の表層を眺めるだけではいけません。
 その底になっている考え、心情、思想は何か、何を欲し求めているのか、
それから推測して未来はどうか、と常に考えねばならないのです。
 社会、共産主義思想、諸宗教を何故排撃せねばならないか、深く考えてみることが大切です。
 何故私達がそうするに至ったかを思い起こさねばなりません。
 理性も愛も義も、一朝一夕に身に付くものではありません。
 度重なる失敗と真理を求める姿勢、努力の積もった結果です。」


 自然が美しい(と感じる)のは、土は水へと根を導き、陽光に満ちた天が幹を、枝を導く、
種の存続を助けようと動物が愛を振りまく、
その関係の中に人のあるべき姿を見出だす心に立ち返ることが出来るからではないでしょうか。

 欲望に生きることを教え込まれた心。
 自分のことだけを、自分の満たされることだけを考える、
その為に人の心が苦しみにあるその時に、人の苦しみも、自分の醜い心も何も感じないなら、
優しさも愛もなきに等しい心です。
 自分に余裕がある(欲望が満たされた心の)時に善行をして、
それで自分は善人と考える、それを偽善者であると、
神の心とは何の関りもない人間であると天上界が言われるのはそういうことです。
 欲望の心を以て突き進む。
 欲望が満たされた時、それに満たされないでいる心、
欲望に生きる心によって自ら損なわれている心、自然の中に共存を求めている心
(生かし生かされる心が素直な心なのであり、自然は循環する、自然に生きる心もまた、
愛を受けたら愛を与えようとするものであると天上界は教えられました)に立ち返り、
(人の苦しみを苦しみとする、人が信じられる心とはそういうものでしょう)
安心する心こそ人の生きるべき善なる心でしょう。

 神の、自然の与えた心を蝕むように、エゴイズムを満たすことが幸せのように、
その心に立って、欲望を主張することが権利である、
利権を貪っている者と相手が悪であると決めつけることで、
奪い返す自分達は正義であると信じる偽善者が共産主義者です。
 人の幸せを願う心など知らず、悪者を見つけては憎しみの標的にする。
 復讐を正義と信じ、破壊衝動に駆り立て、
憎しみを糧とする、悪魔の心を人類に植え付けているのです。

 利権を貪っている者は自ら滅びるでしょう。
 そんなことよりも、一人でも真の愛を以て人類を救おうとしてきた神の思いと一つになって、
この世を、これから生まれて来る人類の魂を救うことを考えましょう。
 世の中が真理に目覚めれば、
邪悪に生きる、貪りに生きる者など哀れな存在としか思われなくなることでしょう。
 悪魔の甘言に騙されない神の知恵に結びつくしか、
人類は自らを救うことは出来ないのです。(2025.8)

〖備考
 共産主義や誤った宗教の教義を刷り込まれた者が生涯その呪縛から解かれないのは、
その教義に生きる偽我は理性を阻害し、自己保存の本能に生きようとする
(理性は、理性の生きる健全な世界を築こうとし、
自己保存は盲目的に自らの生きてきた世界に容認されることだけを考える)
ものであることが理解されるのであり、
若い時に正法に出合いながら、自然の調和を為さしめている法を理解する理性が養えず、
正法の、理性の、真理の中にこそ生きる善我に目覚めることなく、
正法を、正法に生きる善なる人々を、天上界を見失っていった者を知ると、
理性の内に生きない者に、正法は理解されないのだろうと思われるのです。備考終〗

〖参考〗
 カリール・ジブラン著「預言者」 至光社刊
 「理性と情熱について」より(抜粋)

理性と情熱、それは海を渡って行く魂の舵(かじ)と帆。
 舵であれ帆であれ、どちらが傷んでも、あなたがたは波のまにまに漂うか、
広い海原
(うなばら)にじっと風を待つだけ。
 なぜなら、理性が支配するだけなら、そこには抑制しかなく、
情熱があるだけなら、自分を焼き滅ぼす炎しかない。
 それゆえに、あなたがたの魂をして、その理性を情熱の高みへと高めさせなさい。
 理性がそこで思うままに歌えるように。
 そしてさらに、理性によって情熱を導かせなさい。
 そうしてこそ、情熱は日々新たによみがえり、
不死鳥のように、自分の灰の上に起
(た)ち上がって行きます。

 私の望みは、あなたがたが分別と欲望とを家に招いた親しい客とみなすこと。
 そうすればひとりを他(ほか)のひとりより重んじたりはしないでしょう。
 なぜなら、どちらかのひとりに殊更(ことさら)に気をつかえば、
ふたりの愛と信頼を同時に失ってしまいます。

 白いポプラの木陰(こかげ)に坐(すわ)り、
目の前に開けた田畑と草原を眺めながら平和と静寂を味わう時
あなたの心に、沈黙のうちに言わせなさい。
「神、理性のうちに休
(やす)らいたもう」と。
 嵐が吹き、西風が森を揺るがし、雷鳴と稲妻が天空の威厳を告げるとき、
あなたの心に、畏怖のうちに言わせなさい、
「神、情熱のなかに動きたもう」と。
 あなたがたが、神の息吹の一息
(ひといき)、神の森の一葉(ひとは)であれば、
あなたがたもまた理性のうちに休
(やす)らい、情熱のなかに動かざるを得ないのです。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法