第一部 天の教え
第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について
 世にあって歪められてきた、本来は天により齎された徳と、
徳を理解出来ぬ偽我から生じる観念について、神々自身によって、正しい意味が与えられました。

「JI」81年1月号初出 ラグエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」128頁

悪霊の狙う良きもの、美しきもの、
とは地上に生けるあなた方の心の内にある善や自己犠牲、正義の観念なのです。


「善きものの心は磨かねば、磨き続けなければ光らなくなるのです。
 良き魂を持った人でも心の醜い人間の中におれば
(善き観念を留めることが出来ず)、 やがてはそれに染まるのと同じなのです。
 悪に対して無防備、無抵抗で(いられるのは神の心ではありません)、
神の裁きを待つ、というのでは、何時までも地上に神の国の平和は来ないでしょう。
 神が裁いて下さる、と安易に問題を考えてはならないのです。」

一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
「JI」83年12月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」177頁

揺るがざる信念がなく、エゴイズムや打算で毎日を過ごしてきた人は
他への思い遣りや感謝、奉仕や犠牲、忍耐や謙譲、人格の強さや正義の怒り、
(これらの徳の観念)を言葉で理解しても、実際にどのように振舞えばそうであるのかを知らず
自らの思いを通す為には雄弁で礼儀を知った者の如きでありながら、
それが中々叶えられぬ時は、掌を返した如くになる。
 そのように成りたくないと思う人には、再び教えましょう。
 幼児から大人になることは難しくはないのです。
 天の為に何かしねければならぬと思う時、まず人の為に何かを為して見なさい。
 無償の心で人に奉仕をしたり、思い遣りを持って接することで愛を悟り、耐えるとは何かを知り、
打算とエゴの衣を脱ぎ捨てられます。
 智恵を持ち、賢明であれとは、打算に長けよということではないのです。
 その積重ねで私達の説く法が一つずつ理解され、体得されるでしょう。」

〖備考
 理解するだけでは、理解してそれで満足するのでは、それで終わってしまいます。
 神から真理を聞くことが出来て、
"自分の求めているのではない人生を生きていた、
求めながら見出せないでいた生き方が今解った"、
そういった共鳴もなく、何時の日か心の目覚める時が自分に訪れるものと
思われているのでしょうか?

 自らの破滅を悟らぬ偽我を、偽りの道を行く盲いた心を明らかにする、
闇にあって支配してきた心を明らかにする光を齎さぬ真理など、只の言葉に過ぎません。
 心が闇でどうやって真理の道が歩めるのでしょう。
 天上界が苦労から逃げてはいけないと言われる時、
私達が盲いて生きていて苦しいと思わないで、
どうやって目覚めることが出来るのでしょう。
 間違った生き方をしていて、
"そうじゃないのだ、どうしてそのようにしか生きられないのか"と苦しむこともなく、
どのような世界の内に心の目覚めが待っていると考えられるのでしょう。
 安穏と生きる生活の中でそのような目覚めが訪れると思われるなら、
そのような思いの者に天が望まれるものなど何もないことも理解していないということです。
備考終〗

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法