第一部 天の教え
第八章 宗教
三節 宗教の弊害
 曾て人の心を解放した宗教が、時代の進歩(によって解明された真理)から取り残され、
人々の精神を縛るドグマとなりました。

"宗教の弊害"
「JI」85年2月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集・続」49頁

宗教は結果的に共産主義を産み、普及に貢献し、教義自体に誤り易い箇所を多く抱え、
それを改めようとして居りません。
 改めるのは不可能でしょう。
 何故ならそれは人の知性がまだ低いころに与えられた指針であり、
進んだ文明社会には基準が低く、科学否定の教義は、
真理を探求し、進化する人類の意識を停滞させる要素を持つからです。

宗教が産んだ共産主義の弊害が、人々の意識を低下させ、
現代社会の正常化に何が必要なのかを悟らせる知性と感性を鈍らせています。

 宗教も共産主義も人類に必要ではないとするのはその点なのです。
 神を求めることは必要だが、それを阻んでいるのが宗教宗派と共産主義だからです。

真理に関して、あなたの知性と感性が鈍っているならば、
私の言葉は理解出来ないでしょう。 世人の愚もそこにあります。

 嘆かわしいことです。」

 (一) 真理に盲いて堕落していった宗教
「慈悲と愛」81年2月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」129頁

最初は、如何な天上界高次の者が始めようとも、時代が変れば、たとえ心を扱う宗教の分野でも、
全面的に通用することが難しくなります。


「最初の者達は皆、純粋で、高貴なる魂の持主が多く、
二代、三代と繁栄するにつれ堕落してゆきました。
 天上界は我が身を投げ出し、他人の幸せを天に祈り、
他人に尽す人にのみ助けを与えるからです。


キリスト教は、その非科学性を信仰の深さと勘違いして、
四千年も前の人間の地球観を振り回している宗教です
が、
情けないことに正法者は、その害が判っている筈でありながら、
キリスト教徒に強く進化論を否定されると、自分までも進化論は間違っているのだろうか、
と考えてしまうという気の弱さです。

 キリスト教徒に触れたことのある人なら、誰でもその非科学性と排他性に驚くでしょう。
 無論二つは個々には存在せず、非科学的である故に排他的であり、
排他的である故に非科学的なのです。
 その論法の進め方は大旨、共産主義と似ており、一つの思想や宗教に凝り固まると、
こうも眼が見えなくなるものかと、祈りのポーズとは裏腹に、
狂信というものに恐ろしささえ感じる人もいるでしょう。
 
 彼等キリスト教徒は羊のように大人しく、天に祈りを捧げますが、
その祈りは天には届きません。
 何故なら天の守護する者は、その時代に於て最善の務めを為し、
可能な限り、自分と環境を認識しようとする者なのです。

 又、そのような者でなければ、天の意図する計画の施行者たり得ないのです。

 この意味で狂信、盲信に安住するキリスト教徒は、
神の名を語ることさえ許されない人々です

 現代を生きるが故、現代の悩みを持ち、現代の方向を探らねばならない、
その為にはどうあるべきか。
 そして、天の守護すべき人物像を考えた時、
自ずと正法者(天の法に生きる者)の姿が出てくるのです。」

注。
 苦難に遭えば、何が為すべき正しい行為か顧みることなく自己保存に盲従する、
善なる心を忘れ、自分の救われることだけを考える、
その為に人が如何なる危害を受けることになっても顧みない偽我を恐れるが故に、
人が悪に、危害に遭って、人を思い遣る優しさの現れぬような心であってはならない、
己が悪に向き合わぬは善なる心なき偽善者であり、
神に導かれる者とは、神の心に繫がる、神の思いの伝わる者とは、
苦しみから逃げ、安楽を求めようとする心の現れる苦難の中にあって神を信じ抜いた者だけが、
邪心に、悪の誘惑に克って内なる神の心に立ち返ることが出来るのであり、
神が人を苦難に導くとは、それなくして人が神を求めることがないからです。

 人類という種が絶滅の危機を生き抜くことが出来たのは、
苦難に屈しない、生きる力(意志)を獲得した種となったからであり、
種の生存を、幸せを願う愛への憎しみから、
人類の滅びを願う、自らを焼き尽くまで、その邪念に生きる、
神(の心)に抗う魂が(悪魔のイデオロギーによって)造られたのだから、
人類を地獄に突き落とそうとする悪魔の導きから、人の心を、愛に生きる世を守る為には、
悪に屈しぬ善に生きる力を、理性に生きる心を獲得しなければならない、
そのご意志を神自ら伝え、天へと続く道を明らかにされたのです。

 苦難の中に在って神を見失うことなく信じることが神への愛であると
イエス様は仰しゃいましたが、神を信じるとは、神に導かれていると信じることです。
 神の心へ導かれていると信じる、神が人を導くとは、人を生かす、育てるということです。

 神が人間(の心)であったと語られたのは、神が真に愛であるなら、
人が愛するように願う神が人を導くとは、人を神と同じ心に導かれるということ、
神を信じるとは、人が神と同じ心を持つなら、その心は真の愛以外にない、
愛は人を生かす、人を信じる意志であり、
人を信じる心は、人を疑う偽我から神の心を守るものです。
 苦しみを生む心、執着心を超えさせるもの、自分を忘れさせることの出来るものは、
人への、生き物への、愛するに値する(神の心を持つ)ものへ向かう真の愛だけです。

 真の神の愛の響かぬ心、真の神を偽りのものと拒絶する心、
何故そのような心になったのか。
 彼等がキリストの愛に生きてきたのなら、
今を生きるキリストの思いの伝わらぬ心とはならなかったでしょう。
 キリスト教会は、悪魔の心から天上界の計画に背いてきたことを、
天上界が明らかにされました。
 現天上界は悪魔(を心とした偽我に生きる人々)と戦い、
この世に平和を、神の国を齎そうとされた。
 キリスト教会は、自らの宗教(組織の権力者)によって世界を支配する、
人々を自分達に従わせる為に教義を信じさせ、信じぬ者、他の宗教信者を排斥した。
 宗教から共産主義が生まれ、宗教の信者が共産主義を信じている、
悪魔の邪念に繋ぎ止められているからです。
 現天上界を信じることの出来ぬ彼等の心が、この真実を証しているのです。注終)

現象テープ№20 「再び愛について」より
 80年4月6日 ミカエル大王様現象
&「天上界メッセージ集・続」87頁
「宗教者の中には、愛を慈悲をと言う者も多いが、その行為の中に、
果たして本当の愛が含まれているかどうか。
 私は、日本の宗教界でこれ程堕落しているにも関らず、
それを拝み崇める人達がいるのが不思議でならないのです。

〖備考1
 キリストの救いの教えは、自らの犠牲を厭わぬ他への愛が自らをも救うということを
知らない訳はないのに、人の心に潜むエゴイズムに、ナルシシズムに気付かせ、
その克服こそ真の救いを齎すことをキリスト教会の指導者は教えているのでしょうか。
 彼等は一体如何なる真理を以て、信者を教え導いているのでしょう。
 天国に導く真理に彼等自身が従っていれば、
偽我(エゴイズムやナルシシズム)に生きる限り、
彼等のように神の道を歩むことは出来ないと、教えないではいられぬ筈です。
 彼等の心の内に真の導きを見出したのなら、信者は人に伝えないでいられるでしょうか。
 世に真理が伝わってこないのは何故なのでしょう。備考1終〗

「天国の証(78年8月初版)」24頁 ミカエル大王様メッセージより
「(神の思いに、意志に生きんが為に、御心を知ろうとも、真理を悟ろうともせずに、
教義を理解しただけで慢心した宗教団体について)
 そこには神は最早無く、天上よりの光も無く、善霊の加護も無く、
私達に見放された群衆に媚び、或いは瞞着する宗教家、聖職者及び教祖などが
詐欺師のように横行し、悪霊の助けを得てこの世を地獄と化す為に繁栄するのです。

 そして再びこの世は闇となり、天上界よりの光は遠ざかり、
人々は地獄の日々と運命に操られ、只苦しみを耐えるのみに終るのです。
ー 戦争、宗教者の受難の時代、文明の暗黒時代などがそれに当り、
人々が精神的余裕と潤いの心を忘れた時、自然破壊、人類の滅亡、
そして地球は崩壊へと向うのです。結果は明らかです。」

現象テープ№20 「再び愛について」より
 80年4月6日 ミカエル大王様現象
&「天上界メッセージ集・続」90頁

「人類は英知を学び、文明を築き上げ、高度な物質文明を造り上げて来ました。
 しかしその反面、心の文明、つまり、あなた方が良心と呼び、道徳と呼び、神と呼び、
宗教と呼び、私達があなた方に呈示してきたもの、それらの発達が無かったのです。
 もし、あなた方がそれらのものをその時代に理解したならば、
それらの宗教は今残っている筈はないでしょう。

〖備考2
 人々に神が見出されていたなら、信仰を教える宗教は役目を終えていたでしょう。
 愛が見出されて、人々が愛の心に生きていたなら、
愛が何時までも教えとして語られる必要は無くなっていたでしょう。
 常識になれば信仰は要りません。
 病気になったら、祟りだとお祓いなどせず、医者に行って治します。
 昔は神頼みするしかなかったことも、(原因が解明された為に)
病気が医者に直せるものとなった時、
祟りも迷信に過ぎなかったことが解るのです。
(誤りや悪を明らかにする)真理が齎されれば、盲信してきたものが真理ではなかったと覚り、
人々は正しい、真の救いの道を見出せるのです。

 ガブリエル様のメッセージから、障害者年というのを設けること自体が
障害者を差別していることをごまかす偽善であることを私達は教えられましたが、
先祖を大切にする為に、お墓や仏壇(に先祖の霊がいるのではないことを知っているのにです。
 勿論そのような場所でなければ思いが通じないということでもありません。
 偶像と同じで出所は悪魔の邪心です)が必要という考えも同じ心から来るものです。
 肝腎なのは、大切に思う心(自分が今在るのは先祖のお蔭であるといった)であって、
その心に導けない、その心を知らない、真の道を悟れていないにも関わらず、
如何にもそれが御仏の教えの如くに、盲人(似非宗教家)が盲人(衆生)を導いているのです。
 偽善を見抜けないのは、それが他を思う気持ちからか、
その人自身の自己保存(人に見られることを欲しない真の善行ではなく、
人に評価される為に見せようとする偽善による)からか考えようとしないからです。
 人々が同じ自己保存に生きているからでしょう。備考2終〗

「慈悲と愛」79年12月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」80頁

「不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、
あらゆる偽りの力と、徴と、不思議と、又、あらゆる不義の惑わしを、
滅ぶべき者どもに対して行う為である。
 そこで神は、彼等が偽りを信じるように、惑わす力を送り、
こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、裁くのである。
           (テサロニケ人への第二の手紙 二章九節~十二節)」
 今を生きる神の語り掛けに従わず、神が解体を命じられた宗教に従おうとする者に対して、
神(天上界)の御意志はこの言葉の中に明らかにされております。

〖備考3
 宗教は真理に生きることでしか満たし得ぬ心の渇きを癒すことも、
人の心を目覚めへと導くことも出来ない。
 真理を、神の御心を見出していたなら、自らが天の道を歩んでいたら、
如何なる(神から授けられた)宗教の門から入ろうとも、
心が盲いていては、人は天への道を歩むことは出来ないことを知っていたでしょう。
 地獄(この世)で信者を奪い合うことしか出来なかったのが宗教でした。

 宗教が人々から(神の心の)目覚めを奪っている、神の救いの妨げになっていることを、
天上界の神々によって告発されたのです。
 もし彼等が真の神ではなく、今の(堕落した)宗教を擁護している者が
唯一の神として存在している(と宗教家は信じているのでしょう)ならば、
宗教団体の指導者達は、それ(宗教を擁護している神)を証明しないでいるのは、
証明し得ないなら尚更、真理に生きているなど欺瞞に過ぎないと言っているに等しい
(ことも解っていないのでしょう)のです。
 彼等の信じる神は偽りの神、悪魔であると、現天上界の神々は告発されたのです。
 それに何ら反論出来ないならば、
彼等の宗教は人々を地獄に導くものであることを承認したも同然ではないですか。
 天上界の告発の誤りを指摘することが出来ますか?
 悪を悪と判断する理性を持っていると証明することが出来ますか?
 備考3終〗

第一部 天の教え
第八章 宗教
三節 宗教の弊害
(二) 誤った教義(迷信)

 ① 業(カルマ)
現象テープ№11 「正法を学ぶ人のためにⅡ」より
 78年10月16日 ミカエル大王様現象 
&「慈悲と愛」79年3月号初出
&「天上界メッセージ集」38頁

「仏教思想及び宗教思想では、個人の責任に呼び掛けても、
人々の意識や知的水準が低い場合には心掛けを変える事は出来ませんから、
前世の報いでこうなった、
だから今生ではその報いを来世に持ち越さぬよう一生懸命善事を為して、
その罪業の一つ一つを消して行きなさいと説き(※1)、
それが行き過ぎて、先祖を祀らないからその報いで一家が病気勝ち、
離散、事故に遭い、不運な毎日を過さねばならない、と言われるような、
新興宗教に口実を与え、喰物にされるような事になるのです。
 人々の未知の世界への恐怖心を掻き立てるのです。
 これは原始宗教と同じ性質を持つものですね。

 現代の科学的合理的な生活をする、
少なくとも文明圏に住む知的水準の高いあなた方が
二千年前や三千年前の考えに退行し、前世があるから、来世があるから、
祭儀を完全に取り行わねば、霊となった死者の気嫌を損じ、どんな報復を受けるかも知れないとか、 
三次元で所謂カルマを無くしてゆかねば、来世に持ち越し、困った事になるといった
幼児的考えは一切捨てて頂きたいのです。
 こういった考えを迷信的と申します。
 信仰の誤った道に迷い込んだ人々の形容詞ですね。

 理性的、常識的に考える時、
自己の責任に於て考え、行動をし、語り合い、
他に迷惑を掛けない、傷付けないといった考え方を生活に採り入れる時、
すべての人々がそう務めて生きる時、
業だとか、カルマだとか、因縁或いは宿命といった他力的な、
原因が他から来たといった被支配的な考えは、出てこなくなるでしょう。
 あなた方は神の前に平等であり、誰の奴隷でもなく、誰に屈従する者でもないのです。
 天災は仕方がないとしても人災は他から来るものではなく、自らが作り出すものです。
 業(カルマ)や原罪などという本人がどうにもならぬような印象を与えるものを
記憶に沁み込ませて※2悲観的な人生を生きるのは止めましょう。

※1注。
 来世に於て報われる為には、今生で善行をしなければならない。
 人が来世で良い報いを受けたいのなら、
天の教えである、愛を慈悲を善を行うこと。
 誰もが自分の為に、自分を愛する(本能を持つ故に)のであり、
(それでは来世は幸せになれないとの天の教えを信じる時)
天の教えである人に善を行う者が、天によって来世で良い報いを受ける教えが
人々の善我の支えになったのです。

 大切に思う心が自分に対してしか持てないのなら、
そこから始めるしかないのです。
 大切に思う気持ちが無ければ、何が善い行いなのか判らないでしょう。
 イエス様が自分を愛するように隣人を愛せと仰しゃったことと同じです。

 自分が良い報いを受ける為に行うなら、
それは善行ではなく、単にエゴイズムに過ぎないと、
現代の覚き者は思うでしょう。
 しかし思うだけで善行を為さない者よりも、
自分の為であろうと、人にとって助けとなる善行を行うことで、
人の幸せに役立つことで、善我は育ってゆくのです。
 人の喜びに生きることが自分を忘れさせ
(自意識から、我執から解放された、真の自由を知る)、
真の善我の目覚めを齎すことになるのです。※1注終)

※2注。
 日本を(悪魔の誘いに従った)エバの名を冠した名(エバ国)で蔑み、
罪の償わせる為との偽善の下に献金を強いたのが統一教会でした。
 未だに男尊女卑を当然の如く考える非理性的民族の下に嫁いでいった、
エバ国と蔑まれた日本女子の統一教会信者がどのように扱われたか。
 そのような世界から脱するだけの正気に戻れたなら、まだ救いはあるかも知れませんが、
真に奴隷根性を植え込まれたならば、精神を、魂を破壊されたに等しく、
邪教位で片付けてはならないでしょう。
(左翼メディアは、彼等の憎むべき反共の安部元首相が
統一教会の傀儡であることを知りながら、
統一教会を恐れて真実を公表することが出来なかったのです。
 共産主義者の信念(偽我)が(正義を貫く)理性にではなく、
自己保存の本能に根差していることを証明しました。※2注終)

第一部 天の教え
第八章 宗教
三節 宗教の弊害
(二) 誤った教義(迷信)

 ② 原罪
現象テープ№21 「原罪について」より
 80年4月13日 ラファエル様現象

"原罪"とは何を指すのか。
"罪"という言葉によってそれは悪いものであるというふうに見做されて居りますが、

それは少し違います。
 人間は何故"原罪"を背負うようになってしまったのか。
 それは人間が他の動物と分れ、知性を持ち、自然から半分独立したからです。
 それだからこその"原罪"なのでした。
"原罪"とは己で考えるが故に過ちを犯し、悪を犯してしまう。
 それ故に善の方向に向かわなければならないということ。
 悪の観念が生れた故に善の観念が生まれたということなのです。

 
 即ち、人間以外の動物には善も悪も存在しません。
 概ね生き方を見ていると、動物の生活史は善であると言うことが出来るでしょうが、
人間がそれを見て、野生動物はすべて善である、自然の法則に適い生きている、
だから人間は間違っているという議論は当てはまりません。
 人間には人間の生き方があるのであり、動物には悪が存在しないからこそ善が無いということ、
人間には悪が存在する故に善が存在するということ、これをしっかり考えねばならないのです。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法