第一部 天の教え
第二章 最後の審判

三節 天国の法律
「天国の証(78年8月初版)」85頁 ガブリエル様メッセージより
「一つの社会があれば、そこに自ずから互いに住みよくするため(※1)約束が出来、
規則が出来、法律が出来ます。それを破るのが罪なのです。
 天国にも上下の区別があり犯してはならぬ規則があります。
 高次元の霊に反抗することは許されておりません。
 低次元の霊が三次元で高次元の霊の名を騙ることも、申すまでもないことです。


 そして余程の奸計を用いぬ限り、その法の網をくぐることは勿論難しいのです。
 能力のある者、智慧の一際秀れたる者の集団ですから。
 最高権威に反して、その指示通り行わぬ者は想像し難い罰を与えられるのです。
 天上界は徳の高さにより次元が異なり、そして徳高き人の犯す罪は、
その罰も一際厳しく、極刑が科せられるのです。それは当たり前のことで
※2

「このように己に厳しき人の集まりであり、
互いに法を犯すこと無きよう厳しく律していられる方々ではありますが、
それだけにその慈悲と愛は一層大きく、豊かにその対象となる人々、動物、植物に注がれます。
 水の如く、太陽の光の如く。

※1注。
 地獄に繋がれた権力者が、人々の統治(心の支配)を容易にする為に、
人々が鎖に縛られている、逆らえないと思わせる為に、
従えない者を容赦なく裁く、独裁者の力を知らしめる為に作られた法律とは
正反対の目的です。※1注終)

※2注。
 天にあって、指示を与える高き地位の者は、常に善我に生きる者でなければなりません。
 それ故、その者の指示を疑い、反抗することは許されず、またその指示に従う者達
(にとって、その者に従うことが、天の神々に従うことなのですから)への責任からも、
高き地位の者が神に逆らうことは、極刑に値するものとされるのです。
 そうであるからこそ天が悪の想念から善を守り通すことが出来たのです。

 正法に出会い、正法に生きることを志しているつもりで、
サタンの甘言に自尊心をくすぐられる偽我に生きていたことも悟れない人々を
サタンは標的にしました。
 サタンに唆され天上界を裏切っていることも悟れなかったのです。
 共に流布活動を行っていた人々を繋ぎ止めてきた天への信義を裏切るだけでなく、
仲間であった者に天への不信の念を起こさせたのでした。
 天上界を求めた(自己保存の為か、虚栄の故か)が、
魂の研磨の厳しさに打ち克つまでの神への愛を持たなかったのです。
 故に罪に生きる偽我を悟れず天に対して大罪を犯しました。その為に消滅となったのです。

悪への憎しみに、怒りに勝る、如何なる感情にも支配されぬ理性を持ち得なかったが故に、
悪の前に理性を失い、悪への憎しみに駆られこの世の法を犯してしまう、
感情に負けて理性を、神の心を失い罪を犯し神に裁かれる位なら、
この世の言う悪を為しさえしなければ、罪を犯しさえしなければよいと、
善など求めるから、悪が邪魔なもの許し難いものと憎しみに怒りに心を奪われるのだと、
そのような心に平安はない、天国に迎えられるに相応しくないとでも思っているのでしょうか。
 悪を見て(それは悪ではないと)見ぬふりをする、悪を為しさえしなければ天国に迎えられると、
天国をそのようなものと考えているのでしょうか。

 サタン(ダビデ)がエホバ(エル・ランティ)様に対したように、
優れた者を嫉み、自分こそが相応しいと自惚れさえしなければ、
優れた者に匹敵する知能を、霊能力を持とうとさえしなければ、
神の愛の理解出来ぬ者の心をも掌握する、人の自由意志を捨てさせ、
力の前に拝する者に変える能力を持とうとさえしなければ、嫉妬することもないと、
善なる意志を持たなければ悪への怒りに支配されることもないと、傍観者でいられると、
そのような心でいれば人類は平和に生きられるとでも考えるのでしょうか。

 神を求めたが故に消滅になった、そのような短絡的な考えしか出来ないが故に、
自分が消滅にさえされなければ、天国に行けなくてもいいと自己保存からしか考えられない故に、
真理を、神を求めない方がましだと考えるなら、天上界も関与されることはないでしょう。
 好きに生きればよいのです。
 ただし悪霊の甘言を、誘惑を見抜く知恵を、憑依を撥ね退ける善への強い意志を持たぬ為に、
彼等の邪悪に魂が染められるなら自業自得なのです。
(神の愛されるものを、美しい心を傷つける、
神から与えられた愛に、信頼に裏切りの心で報いる、悪魔に魂を渡す、)
天の警告、戒めを犯して悔いぬ罪に(まみれた心に)対して、
それまで自分を救おうとされてきた守護霊を合体霊を神に取り上げられる。
 己が魂は悪霊の邪念に蝕まれ、破滅するまで悪霊の傀儡と生きるに任せられる。
 自己保身から神を捨てた魂には、ユダのように神の救いを失った絶望すら理解することもなく、
己が心を、己が人生の末路を知ることもない。
 かつて善なる心に生きた記憶は残されていようとも、
自ら捨て去った善なる心を惜しむ知性はとうに滅んでいるのです。※2注終)

〖備考
 天上界の次元は、魂の価値、徳の高さが基準となっているということです。
 本当に素晴らしいことだと思います。
 三次元、この世の社会は、徳の高さを人格を基準として、
その組織を真に生かす者を正しく評価しているでしょうか。
 学校の校長がいじめを見て見ぬふりをする、
政治家が当選する為に法規を犯し証拠を隠蔽する。
 何よりも情けないのは、
その地位に相応しい者を選ぶ組織へと協力することこそ最優先とすべきであることも忘れ去り、
価値ある者を評価せず、
その地位に相応しくない者であることも認めることの出来ぬ者が居座ろうとする、
そのような組織が溢れているのは、この世が天上界の存在を知らない、
人間の真の価値を理解していないということなのでしょう。

 人々が自分にではなく他(の者)を望んでいることを知る故に、
人の望みよりも、人の望みを踏み躙っても自らの望みに生きんとする者が、
もはや人々の望みを叶えるどころか、応えようとする善なる心を失った者が、
己が地位を守ろうとするのでしょう。
 報われることがなくとも人々のために苦労することよりも、
自らに報いのあることを求める偽我に働きかける悪魔の甘言 ー 
優越感を、ナルシシズムを擽(くすぐ)る、
それに満ち足りる偽我に執着し、善我を顧みる心(条件反射)を失って行く ー
に弄ばれるに過ぎない魂が残される。
 かつて善なる心から事を為すを喜びとした心も忘却し、
能力も衰え、もはや改善出来なくなった者に残された道は、
この世を良くするために、為すことの出来る者達の道を奪うような悪を為す己を許さぬこと、
自己を律することだけが唯一己を救うことではないでしょうか。

 己が能力が高さに慢心する、己が未熟を悟れぬ若き心には得られぬ、
人生を通して魂を磨いた者、己の偽我に向き合い、
神々の愛を信じて、天の導かれる内なる神の心を信じて生きた心に宿る真理を愛する、
徳に生きる心を最後まで見失わなかった者が、天国に迎えられるべき者であると思います。
 偽我に(この世の与える欲望に、賞賛に)執着することを
己がアイデンティティと勘違いする偽我の愚を悟らしめる善我なる魂を明らかにするを
真に有終の美を飾ることではないでしょうか。

 欲望を満たす、一時の歓びを感じる心が偽我であることを、
人々の理性により下された判断の前に思い知る時、
己に残された自我は善我の崩れ去った廃墟であり、
そのような愚かを身を以て証してきた人々を知っているにも関わらず、
善我を顧みず偽我に生きんとする人間の愚かさを人ごとと忘却するナルシシズムを知る故に、
善なる心を、天の思いを見失う魂へと堕することを恐れるが故に、
苦しい魂の研磨を怠らないのではないでしょうか。

 現天上界は地球上で唯一の存在、即ち地球上のすべての霊を統治される存在ですが、
地上の組織は、統一された価値基準(正法)を持たない上に、
調和など思いも寄らぬ弱肉強食の世界を生き延びることしか考えられぬ者の
多くから成り立つからですが、だからこそ神の法(正法)を伝えずして、改善は夢のまた夢、
いつまで経ってもよい社会にはならないのです。備考終〗

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法