第一部 天の教え
第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー)

七節 共産主義(悪魔のイデオロギー)の誕生
「JI」86年12月87年1月合併号初出 ガブリエル様メッセージより
「何故共産主義を悪とし、それを支える他のイデオロギー、社会主義やリベラリズムや中道という名の
容共思想も同一視するかというと、
これらは究極的に自然と動物界に破壊を齎し、世界の全国家と全人類を共産主義に隷属させ、
しかも国家の権力保持と、国民の不満を抑圧する為にのみ集中し、
種の繁栄や存続に留意する余裕がなくなる政治機構だからです。
 共産圏や社会主義国の現状を正しく把握し、
その中で人間の生命はおろか、動植物の健康も存続も羽毛の如く軽視され、
生殺与奪の権利を政府に握られている現実を見れば、
天がそのようなイデオロギーを悪魔と呼ぶことに異論があろうはずがないと思います。
 これこそ"聖戦"なのです。


(一)悪魔から伝えられた指令
 マルクスに共産主義思想を作らせるきっかけになった、
アルクスに宛てられた手紙があります。

「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」161頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「マルクス主義はマルクスが構築した論理だからマルクス主義と呼ばれている、
とこう解釈するのが当り前と考えられているようである。
 しかし現実には、マルクスにかくかくしかじかの虚構論理の構築を依頼した
注文主がいるのである。
 この注文主がマルクスに送った手紙、発注書ともいうべき第二次大戦前に世に出たのである。
 これは日本でも知られているようである。
 ただ、これがマルクス主義の源流であるとは全く理解されていないようである。
 次に紹介するのが、発注者のユダヤ人バリニッシュ・レヴィーのマルクスに宛てた
手紙の一部である。

 虚構仮説構築の依頼書
「メシアは団結するユダヤそれ自身である。
 宇宙の支配は他人種の統一に、各個独立主義の城壁たる国境及び君主国の廃止と、
ユダヤ人に対し随所に市民的権利を認むる世界共和国の建設によって保たれるであろう。
 全然同一種族でかつ全く同一の伝統的陶冶をうけているイスラエルの子孫、
しかも特殊国家を形成していないイスラエル子孫は、爾後(それ以来)地球の全表面に拡がり
この新しい人類社会の組織の裡に到るところ何らの抵抗なく指導要因となるであろう。
 殊に彼らの中のある学者の賢実なる指導を労働大衆に課するに至ったならば尚更のことである。
 世界共和国を建設したならば、
国家の統治権は無産者の勝利によって何らの努力を要せずしてイスラエル人の手に移る。
 ここにおいて私有権は到るところ
公共財産を管理するユダヤ人の支配によって廃止せらるるに至るべく、
かくてメシアの時代の到来せる時、
ユダヤ人は全世界の人民の財産をその鍵の下に掌握すべしという
ユダヤ伝統の約束は実現せらるるもの信ずる」

(注。この手紙こそ、サタンのメッセージであり、このサタンの声に心を開いた時、
マルクスは神を憎む悪魔の心を自分のものにしたのでしょう。
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」191頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「大英博物館へ通う生活を始めたマルクスについて、
極貧状態の中で『資本論』の執筆を続けたという神話が従来一般的であった。
 最近では、マルクスが女中に子供を宿し、
エンゲルスがそれを認知していたという事実が明るみに出てきた。
 これなど「神話」を信じ込んでいた人には信じられないことだろう。
 何故、極貧状態の中で生活しているものが女中など雇えるのか、という疑問が先ず出るであろう。
 だが、マルクスの実像はユダヤの組織から巨額の資金を得ていたのである。
(ユダが悪魔に魂を差し出した報酬に銀貨30枚を得た、その魂とどこが違うというのか)
 マルクスがロンドン時代に住んだソーホーにある住居は
現代流にいえば都心の高級マンションともいうべきものである。
 ソーホー地区は十九世紀時代は現代のそれと違って高級住宅地であった。
 マルクスは、このような恵まれた環境の中で悠々と(悪魔の意志を胸に)
民族の至上目的のため虚構仮説の創作にかかっていたのであった。
」注終)

 この手紙の意味するところを概略すると、
自己のメシア思想の実現には先ず、
非ユダヤ人、つまりキリスト教社会の現状維持の砦である国家を転覆する必要がある。
 しかもその国家転覆の最大の障害は君主制である。
 これを実現して人類社会に新秩序を建設する。つまりユダヤ王国による逆転劇である。
 これだけでも十分と考えられるはずだが、さらにもう一つの考えが附随しているのである。
 それはユダヤ民族固有の唯物思想である。
 既存の秩序を転覆すれば協力者たるプロレタリアートにより
なんなく全財産がユダヤのもとに転がり込んでくるであろうという。
 しかも、そのことはユダヤ民族の伝統的約束であるということである。

(二)マルクスの認識とは
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」163頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「メシア思想」と「タルムード」がマルクス主義の源流
「さて、ここにはユダヤ的思考の最も大切な二つの要素が含まれている。
 一つは、メシア思想の基本パターンである。
 選民たるユダヤ民族が、異教徒との葛藤に勝利を収め、
至福千年王国を建設するという終末論である。これが唯物史観の原型である。
 選民とはプロレタリアートであり、異教徒がブルジョアジーである。
 これこそユダヤ的思考法の二元論の原型である。
 これに宗教的倫理観が加味されるので、善悪二元論と呼ばれるわけである。」
(中略)
「さて、もう一つの要素たるものは、ユダヤの民法ともいわれるタルムードの思想である。
 これはユダヤ人たるもの、生まれてから死ぬまで信念としているものである。
 タルムードは五~六世紀ごろ完成された実に膨大な法であるが、
また日本では戦後いろいろのユダヤ人、日本人によって紹介されているようであるが、
不思議なことに、何故かこの最も肝心なところが紹介されていないようである。
 肝心なところというのは、
「シュルハン・アルク ノショッツェンハミツバッド第三四八条」である。すなわち
「非ユダヤ人の所有する財産は本来ユダヤ人に属するものなれど一時彼らに預けてあるだけである。
 故に何ら遠慮もなくこれら財産をユダヤ人の手に収むるも可なり(※1)」
とするものである。

 これの意味するところは大別して二つある。一つは、
「一時預けてあるものであるから、何時なん時でも代償を払わずに取り返して然るべきものである」
ということであり、もう一つは
「ユダヤ人の財産は故なく非ユダヤ人に奪われたものである」ということになる。」
(中略)
「つまり、私有財産の奪取という思想はここから来ているのである。
 さらにもう一つの後者の解釈はマルクスの大作「資本論」の根本思想をなしているものなのである。
 つまり、「ユダヤ人の財産は故なく非ユダヤ人に奪われたものである」と教えているところから、
かの有名な剰余価値説が生まれているわけであり、「搾取」とマルクスが強調するものである。

(注。
 剰余価値とは、マルクス経済学における基本概念で、
労働者が労働力として提供した価値(賃金)以上の価値を生み出したものの、
その分を資本家が搾取することによって得られる価値を指します。
 具体的には労働者が生産する価値から、
労働者に支払われる賃金を引いた残りの価値が剰余価値となります。
 剰余価値は、資本家が利潤や地代などの所得源泉とするものですが、
マルクスはこれを搾取と捉え、資本主義の根幹をなすものと批判しました。注終)

 被害妄想の如き心から、
選民として神から得るべきものを奪った他民族への復讐心が生まれたのであり、
ユダヤ民族だけが選民なのだから奪い返すのが当然であると、
自己正当化する心にあって、神に対して罪を犯しているとは理解し得ない、
偽我の塊がマルクスの心でした。

※1注。
 イスラエルは自分達のものであるから、
自分達から奪ったローマ帝国とは何の関係もない人々が住んでいようとも、
彼等から奪い返すのは当然であるとイスラエル人はどうして思えるのか、
よく理解出来るのではないでしょうか。

「希望と幸福(ヒルティの言葉)」182頁 (エピクテートスの『語録』より)
「何事につけ「私はそれを失った」と言ってはならぬ。
「私はそれを返したのだ」と言うべきである。
 息子が死んだのなら、それは返されたのである。
 財産が奪われたのなら、それもまた返されたのである。
 君の財産を奪った者は、たしかに悪人ではある。
 しかし、それを与えてくれた方が、誰によってそれを取りもどそうとも、
君に何の関係があろう。
 それが君の所有にゆだねられている間は、他人のものとして所有するがよい。

 通りすがりの旅人がその宿屋をそうするように。」

「慈悲と愛」80年1月号15頁初出 「質疑応答(千乃先生解答)」
&「続エルバーラム(82年12月初版)」201頁

「〈質問〉(天に背反した)上田氏が"三次元の幸福が伴わなければ正法ではない云々"
とか申したそうでございますが、法と富との相関は昔から問題にされており、
或る太霊の著述の中に
"富はこの宇宙に無限に存在し、我々は任意に取り出している ー
人はある程度の富がなければ生活出来ぬが故に富は必要である ー
富を求める者はそれぞれ某(なにがし)かの富を得るであろうが、
必要以上に求むべきではない。
 解り易く言えば、神よりどれだけ借りられるか?
という事であって、多く借りた者は多く返さねばならぬであろう
ー "とありましたが。

「〈解答〉その通りです。聖書にも"天に財宝を積め"とありますが、
"天にお返しするのですから"と滝村様はよく仰しゃいます。
 奉仕やボランティアも隣人への愛の手を伸べるというのが物質的にも観念的にも、
目的とする所であって、
それは天からの慈愛を天に返す代わりに人に尽くす。天に代わって人に尽くす。
 又は天と共に世に尽くし、人に尽くすという心から出たものです。
 すべてアガペーの愛から生まれるものです。
 自分の為だけに利害を計りつつ生きるというのは最も拙劣でエゴイストです。
 上田氏はエゴイズムを「集い」の正法者に説いたのでしょう。
 凡そ正法と言われる限りのものに於ては、今は宗教化してしまったものでも、
自分の利害を先に考えよ、とは決して教えませんでした。
 それが尤もだなどと思う人は、どうかしているのです。
 ここにもGLA教義の過ちがあり、訂正されねばなりません。
 詰り正法がそのようなエゴイストを育てるようなものであるならば、
それだけでも他宗教に対して恥ずかしいと思わねばならないものです。
 徳はエゴイズムからは生まれません。」

 神から与えられた者、神の愛を知った者が、自分に与えられたのだから、
神の愛を自分の所有物に出来るなどとと彼等が思っているとでも
あなたは思われるでしょうか?
 イスラエル人はそうは思わないのです。
 そのような心を神が愛するとは思わないでしょう?
 神の愛は神の愛を受けるに相応しい者に与えらえられる、
神の愛を捨て去った者に神の愛は与えられない、
神の愛が地に投げ捨てられる、天の徳が踏み躙られる、
高貴なものが取るに足りないものと同様に扱われる、神がそれを許すと思われるのですか、
そのような心を許したなら天は当の昔に滅び去っていたと
ガブリエル様は仰しゃっておられます。

 現イスラエルとは神から与えられた国(土地)ではありません。
 神の治められる国に生きることを許された者達だけが神の国であると言う資格があるのです。
 神の国の王として、神が自らの子を与えられた、その王(イエス・キリスト)を殺害した
(ユダヤ民族は今もイエス・キリストを神の遣わされたユダヤ民族の王であると認めません)時、
神の国に生きる資格をユダヤ民族は失ったのです。
 神の治められることを拒んだ民が、神の認められた国であると自ら騙るを偽善であると、
神エル・ランティ様は仰しゃいました。
「偽善とは、人 その価値を認めぬにて、自ら高しと 公言するものなり。」

(三)マルクスの目的とは
 ユダヤ民族を解放する、その目的の為に虚構仮説に過ぎない共産主義を信仰させる。
 国家を持たぬユダヤ民族が他国に生きながら、
その国民であることよりもユダヤ民族であり続けようとするのは、ユダヤ教の信仰故であり、
彼等がイエス様の人格をして神の子と認められないのは、
ユダヤ教を捨ててキリスト教徒になることが出来ない、
キリスト教徒の他民族と同レベルになることが耐えられないのでしょう。
 ユダヤ教を信じるのは神の心に生きているからではない、
ユダヤ教に神の心を見出すことが出来ない、
執着心に支配されていることが悟れない、
真理に目覚めることが出来ないのです。

 彼等は神の子になる、天の王国を見ることが出来ず、
この世にあって彼等の国家に生きることでしか、神の国と認めることが出来ない。
 この世にユダヤ民族だけの神の国を得ること、
その為に他民族を滅ぼす、それが彼等の目的でした。
 その為にとった手段が、階級闘争という革命による内部崩壊であり、
戦争によって疲弊した国家を共産主義へと改革することでした。

「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」170頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「レーニンが帝国主義論」を書いた目的は、
戦争というものがユダヤ民族の解放事業に最も有効な手段であるということにつきる。
 十九世紀のマルクスの持ち出した内部抗争による国家の転覆という手段よりも、
ずっと手っ取り早い手段が戦争なのである。
 戦争で国家が疲弊したどさくさが一番の変革、解放事業のチャンスであるということである。
 日本の戦後改革もこのパターンである。

(四)マルクスの(復讐の目的の為に取った)手段とは
 ① 他民族を獣へと堕としめ、国家を崩壊させる
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」80頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「ドイツのゲッペルス宣伝相は、ドイツ国民に与える警告として
次のような内容の文書を一九三四年に公布している。
 それは、非常に強大な超国家的(共産主義)勢力が、
文明の破壊にもつながる心理戦、神経戦を挑んできている。
 これに対してドイツ国民は十分に警戒せねばならない。
 この心理戦、神経戦の目的とするところは、
人間の純度を落とすことにより現存する国家を内部からむしばんでいこうとするものである。
 ゲッペルス宣伝相が挙げたこの超国家的勢力の狙いとする心理戦、神経戦とは
次の如き大要である。

「人間獣化計画」
 愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追及、道徳軽視、
3S(Sports Sex Screen)政策事なかれ主義、無気力・無信念、義理人情抹殺、
俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、
享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定

 以上の十九項目をつぶさに検討してみた場合、
戦後の日本の病巣といわれるものにあてはまらないものがただの一つでもあるだろうか。
(中略)これらは正常な人間の頭で判断すれば
人類の文明の破壊につながるものであることは一目瞭然である。
 人間の純度を落とし、本能性に回帰させようというものである。

「JI」90年10月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「戦いが人を荒ませ、非人間性にするのではなく、
どのような目的と心で戦いに参加するかが大切なのです。
 "人間性を失うこと"は"人間がけもの以下になること"なのです。
 マルクスとレーニン(両者共にユダヤ人)は、
ユダヤ民族以外の民族が総て"けもの以下"に堕落し、
互いに殺し合い、滅し合うことを望んで、
あのイデオロギー理論を完成させたのです。」

「JI」84年12月号初出 ガブリエル様メッセージより
「只末世、世の終わりを来たらせるもう一つの要因として、人々のエゴイズムがあります。
 ソ連や共産国の野望や非道のみならば、それは世界の一部に限られ、
人類の生存を脅かすことはないでしょう。
 しかし他の自由諸国の人々(あなた方を含め)が巧みに呼びかける
悪霊の如き共産主義思想のユートピア作りに賛同し、
企業を潰し、学問を歪め、国家と経済を崩壊させ、
自由思想や資本主義打倒への闘争と労働なき報酬、
努力なき豊かさと道徳否定により犯罪を肯定し、
良心の責(せめ)なき人生を送ろうと望むならば、
当然の結果として世の終わりは来るのです。
 国や社会というものは国民の協力や秩序なくしては保たれず、
諸国が崩壊と無法の巷と化し、共産政権による個人の破壊、
人命軽視が結果的に人類の破滅を招くのは火を見るよりも明かなことでしょう。」

 左翼は、義務の観念、社会への信頼の現れである義務感を敵視し、
持つ者が持たぬ者に義務を強制していると、
彼等の欲する支配欲を持つ者への嫉みに駆られ、
持つ者は奪い取った者、彼等から奪い返すことが正義であると左翼は自らを正当化し、
世の人々を邪念で侵してきたことは皆様のよく理解される所であろうと思います。

 ② 階級闘争史観を植え込み、憎しみの地獄にあって互いに滅びるまで滅し合う
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」91頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「マルクス主義の階級闘争史観は、
すべての歴史は支配階級と被支配階級の間における階級闘争の歴史である」

 プロレタリアートとブルジョアジーの立場へと人の認識を支配し、
憎しみの感情こそ闘争の原動力と、同民族によって互いに滅ぼし合うことを望む、
憎しみという苦しみに突き落とす、苦しみを与えることに喜びを覚えるサタンの業そのものでした。

 プロレタリアートがブルジョアジーか何れかの立場にあると信じ込ませる、
プロレタリアートがブルジョアジーを滅ぼした時、
資本主義世界に替わるプロレタリアート(選民)による社会、
共産主義の世界が生まれると信じさせる、それが階級闘争史観でした。

「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」189頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
 マルクスが『経済学批判』を書いた目的は、現状の変革をより有機的に信じ込ませることである。
 現状、つまり資本主義たるものを共産主義に変革せよと使嗾(しそう:けしかける)
するだけでは充分な説得力あるものとはいえないと考えたわけである。

 そのためには資本主義を固定したもの、静止したものと考えられてはまずい。
 これを流動的なもの、必然的に変わる流れの中の一時期であると説くことが有効である。
 そのために考えたのが「社会発展段階説」なるものである。
 原始共産社会→古代奴隷制社会→封建社会→資本主義社会→共産主義社会というものである。
『資本論』で用いている言葉でいえば"変態"ということになる。
 これはユダヤ神話のパターンである。最初に調和を保った神代の時代があり、
これが異教徒により崩されたが最後にまた調和の保たれた自己だけの時代に至るというものである。

 これをマルクスは、原始共産制社会と最後の共産主義社会の間に
三つの階級闘争のある社会を挟んで「社会科学」として売り出したものである。
 これだと資本主義社会は階級闘争の渦中にある一段階として映り、流動的に映る。
 したがって、変革は必然と説得しやすい。」

 世界中に共産主義という悪魔の種を撒くことで、世界を地獄にする、
そのような世界に於て君臨することを望んだユダヤ民族は、
真に悪魔の導きによる悪魔の王国を作ろうとしてきたのでした。

〖備考
 サタン・ダビデは、ナチスを利用し、神の選民をこの世から抹殺しようとした。
 サタンはユダヤ民族を迫害し、神の民だから迫害されるのだと、
それを許しているのがお前達の神だと唆し、
苦しみから逃れる為なら神を憎むことが自らを救うと信じる、
その怨念によって培われた悪魔の思想を以て人類を悪魔に繋ぎ止め、
その人類に君臨する民へとユダヤ民族を導いた。
 もはや神の民としての心を捨て去ったのがユダヤ人共産主義者であった。

 悪魔の民と悪魔の思想によって破滅の道を行く人類を救う為に、
神自らがメシヤとして名乗り出るより他に、人類を滅びから救う道は残されていない、
天上界のメッセージから神の御意志が伝えられた。

 悪魔の人類を破滅させんとする意志と、
悪魔と戦いながら常に人類を救いへと導いてこられた神の御意志が初めて明らかにされました。
 天上界メッセージとは道徳や倫理などについて神が教えられているのだろうと
そのように捉えている方もいることでしょう。
 天上界が彼等と同じ心を人類が持っていることを語られました。
 神の心に目覚めない者に、どうして天上界の思いが伝わっていようか、
天上界の思いを受け止めていないことすら解っていない、
そのように伝えられるまで彼等の苦しみが理解されてこなかったのが
この世に生きる心であることを知らされたのでした。
「光は何時も心素直な者にあり、栄光は心豊かな者にある。
 願わくば、人の子皆イエス・キリストの再臨の時に目覚め、集まり来ることの出来るように。
 一九七七年一月八日 天上界からのメッセージ"最終の警告"より」

 備考終〗

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法