第一部 天の教え
第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー)
五節 イデオロギーの狂信者
「慈悲と愛」79年8月号29頁初出 千乃先生「愛を知らず」より
&「エルロイ(83年5月初版)」268頁
「現代の共産主義者、左翼思想の人々がそのイデオロギーを最高の理念と信じ込んでいるならば、
その人々は程度の差こそあれ乱を好み、平和を嫌い、黒を白と言い替えるのについて良心が痛まず、
人格的に高尚でなく(詰り人格の向上を望まない)、実はかなり非論理的で、
俯瞰的思考が不得手な単純人間の集団ではないでしょうか。
マルクス・エンゲルスやサルトルの考えた図式や思考過程を青写真のように写し取って、
その通りに幾ら語り尽くし、行動の限りを為しても、
それは所詮レールの上を何処までも走る列車の如しであって、主体性の欠片も無いのです。
人間とは記憶力のみ秀れていて、難解な書や理論を頭に叩き込んでも、
創造性に於て主体性を持ち、建設的でなければ、
大脳の三パーセントしか用いていないと天上界は語られます。
詰り判断、推理力はゼロに等しいということです(※)。
これだけマルクス理論が歪められてしまう迄、内部からの是正が叫ばれなかったことは、
即批判力欠如型の優等生が、習い覚えた理論を正確無比に繰り返してきた歴史であり、
実証ではないでしょうか。
如何なる思想、如何なる哲学、主義主張であっても、
宗教でさえ、特定の国に於て歴史の特殊条件下に発生し、
マルクス・エンゲルスの時代にはキリスト教の価値を認めながらも、
教義や啓示の解釈の非合理性に対する批判も高まり、
権威主義的キリスト教の歴史と基盤を踏まえてそこから脱皮する風潮があり、無神論的唯物思考も、
近代科学の発展、産業革命による工業化の過程で生じてきた資本家と労働者の種々の問題も絡み、
観念論哲学がより一層科学的、合理的へと派生していったのであるし、
エンゲルスの革命思想は別として、
その時代や社会構造を科学的に分析するマルクス理論が出ても不思議ではないのです。
それをすべて一から十まで、この科学文明の合理化され改善された社会に持ち込み、
些細な事に目くじらを立てて、
却って社会の合理的仕組みを破壊することになっているのに気付いていない。
科学的、世界主義的、民主的、ヒューマニズム、と
既に世界に確立されているものを唱い文句に
革命、詰り既成社会の破壊をのみ目指すのは、
全く時代錯誤も甚だしいのではないでしょうか。
彼等の言う所による帝国主義的全体主義的(実は世論を纏めるのに大変苦労している国ですが)
資本主義国家である米国では、共産主義者でない一般市民が身障者の福祉、貧民救済、
反戦運動などを行っているのです。
何千年も何百年も前の祭儀の習慣や用語を、そのまま強行する宗教教義も共産主義思想も、
少しも進歩しない人間の精神面の象徴としか思えません。
そしてイデオロギー批判を禁じられ、批判力を麻痺させてしまった多くの国の共産党員は、
恰(あたか)もソ連国籍の者である如くにソ連に盲従し、忠誠を尽くすのです。
言ってみれば、中庸を外れた過激思想に過ぎない"革命思想"というものは、
はしかの様に一過性のものであれば、国を救い、改善することも可能であるかも知れないが
(フランスや日本の明治維新のように)、
それが延々と何時果てるとも知れぬ肺病の様なものにしてしまうならば、
自由という医学知識を持たない国民は
只悲惨と死への恐怖と希望のない日々を迎えなければならないのです。
マルクスが余りにも理想的な革命理論の基礎を打ち立てた(彼はそう意識してはいなかったが)
からといって、エンゲルスの当時の社会批判まで無批判に受け入れる人々は、
無批判であるが故に幼児的で、幼児的であるが故に、
理想論が利用されているに過ぎないのであって、
独裁主義的、侵略主義的、軍国主義的、帝国主義的、全体主義的にならざるを得ない
社会主義国家という巨大な力に圧し潰されて、精神的支配を受け、
喜びの代わりに恐怖の半生を過ごさざるを得なくなるのです。
人間の精神に取って自由の喪失と批判を禁じられる(誤りであると判っていてもです。
正しい法を批判しそれを歪曲することは、却って精神の後退と荒廃を招きますが)、 詰り
思考力の活動を阻止され抑圧されること程、恐ろしいものはないということ ー
それが人間としての死であることを同志は教えてくれないのです。
民主主義の政治理念に第一義として唱われている
個人の自由なくして何の民主主義でしょうか。
キリストは愛を説き、
キリストに従った幼児である人達は同じ精神支配であっても恐怖ではなく喜びを得た。
そしてマルクスやエンゲルスは愛を強調しなかったという只そのことの為に、
社会主義国家に住む国民は自由を失ったのです。」
(※注。
"理に適った思考が脳を開く"
「清らかな厭世(2007年10月出版)」64頁 阿久悠著
"問題と答をワンセットで
いくら完璧に記憶しても
想像力は生まれない"
「風が吹けば桶屋が喜ぶ」という言葉がある。「桶屋が儲かる」ともいう。
さて、風の一吹きから桶屋の欣喜雀躍まで、どういう連想で繋ぐか、これ、一つの推理である。
条件と結果を提出しておいて、途中の展開は自由、
とにかく、突風と桶屋の大繁盛が論理的に繋がると満点という問題の出し方をしたら、
きっと子供たちの脳は開く。
こんなことを考えるのも、ある世代から下の日本人の想像力のなさと、
短絡的行為を危ぶむからである。
どういうことかというと、問題と答がワンセットになる記憶が勉強だと信じた結果が、
襞のない思考になっているのではないかと思えるからである。
それは、「風が吹けば桶屋が喜ぶ」を丸暗記して、
問題から結果へのプロセスを省略したのと同じである。
勉強とは、問題でも答えでもなく、その入口から出口までをどう辿ったかである。
この暗闇の中での出口への推理を重大なことと考えなくなったため、想像力が欠如した。
問題と答をワンセットで記憶し、それ以外は間違いだと教えられた子どもたちは、
答えが記憶通りにならないと、ヒステリーを起こす。時には問題自体を破壊する。
他に答えがあるかもしれないとも、別のアプローチが存在するとも考えないのである。
それが、その後の子どもたちの生き方を支配していると、思えてならない。
子どもたちが、問題よりも答よりも、解くこと、推理することに価値があると考え、
また、そのように大人が教えていたら、少なくとも短絡の悲劇だけはなくなる。
そして、間違いなく社会の中での、他人に対しての成熟度に繋がる。
「風が吹けば桶屋が喜ぶ」を解釈するつもりはない。目的でもない。
しかし、風に始まって桶屋が喜ぶで終るまでに、
砂ぼこり、目病み、三味線弾き、猫、鼠と連動していき、そして、猫がいなくなって鼠が増え、
その鼠が桶をかじりまくり、桶屋が商売繁盛という双六(すごろく)が作られているのである。
これを、鼠と問えば桶屋と答える式に勉強しても何にもならないということである。
さて、ぼくはかなり前に、子どもたちがせめてもう三語、
自分の思いを伝える言葉を持っていたら、人を刺したり殺したり、
また、自分自身を傷つけることもないだろうと書いたことがある。
会話のラリーが途絶え、「てめえ」「うるせえ」「知るか」と逆上する前に、
もう三つ、出来れば五つ、見失った答に代わる言葉を持っていたら、
状況も、大きくいえば人生も変わるはずである。
推理とは謎解きだけではなく、迷うことを楽しみに変えることでもある。
答が出ないことに苛立つのではなく、その謎の深さとつきあうことである。
この習慣がたぶん子どもたちを救う。
「清らかな厭世」92頁 阿久悠著
"人間の評価を
二つ以上の条件で考える
すると心豊かになる"(抜粋)
「あの人は金儲けは下手だけど、立派な人です」とか、
「あの人は成績は悪いけど、頭はいい人です」とか、
「あの人は流行には無頓着だけど、お洒落な人です」とか、
「あの人は不実だけど、心のやさしい人です」とか、
人間の価値を二つ以上の条件で評価しようということである。
「金儲けは下手」「成績は悪い」「流行に無頓着」「不実だ」だけを見て、
「立派」「頭はいい」「お洒落」「やさしい」という下の句を、
誰も考えなくなったことが、諸悪の根源だと思っている。
"日本の偏向教育の成果"
「JI」84年4月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」184頁
「理性を働かせて、科学的に冷静な目で事象に対処することが文明人の智恵であり、
迷信や盲信、はたまた狂信的な人格とは異なるあり方であると、私達は幾度お教えしたことか。
しかし理性と科学的な判断力を培えない現代の日本の教育法では、
そこで育った若い正法者も、共産主義者や年長の宗教的人格と同じく、
迷妄の域を出ない人が多いのは止むを得ないかも知れません。
すべては左翼である日教組の為した破壊現象であるとしても、日教組を排除する智恵なき親と、
老獪(ろうかい)なマスコミの洗脳活動の狭間(はざま)にあって、
自由な国に住みつつも、子供達や若者は既に社会主義の犠牲になってしまったのでしょう。
民主主義という虚名の下に、弊害のみと知りつつ、
誤った思想の教育団体や政治・宗教・文化団体を擁護しなければならぬ民主政治の仕組みは、
自由競争と人格の錬磨の場を与えてはくれてもその利点に関しては
時に疑いの念が湧くのを防ぐべくもなく、最近は焦慮することしばしばです。」※注終)
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様