第一部 天の教え
第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー)

二節 国家を破壊する共産主義
「慈悲と愛」80年2月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」86頁

「(社会主義型共和制などの)中央集権制に於ては個人の権利について主張はするが、
人間性に関して一般的理解を持たない、詰り無学な人々に多くの権利を譲ったことになるのです。
 人道上の問題が生じても主義が先行すること、
又は無視されるというのが大勢の成り行きでしょう。

「資本主義制であるとはいえ、福祉国家を目指している自由民主主義国家としての
日本の貧困層や労働者や農民の生活レベルはどうでしょうか。
 多政党国家でもあるからでしょうが、年々改善されているはずです。
 彼等は知識層の豊かな人間研究によって、非人道主義に陥ることなく、
個人の自由の束縛も、自由民主主義に取って反体制側に当る右、左翼主義者も含めて
全国民層に平等な、社会的、法的なもののみに限定されているのです。
 たとえ経済的に不均衡で物価高に苦しむ現状ではあっても、
心と思考と言葉の自由が保障されているのです。これは素晴しい事ではありませんか。

「世界平和と秩序の破壊を目指す、悪霊の支配と謀略のみに因るものと断を下す前にもう一度、
共産主義思想に基づく社会主義国家が何ゆえ自由主義的民主制度に劣るかを、簡単に述べましょう。

 古代の君主制、王国に於て最大の課題であったのは、如何に良く国を治め、
国民の幸福と繁栄を図るかにあったのです。

 国民の福利が関心事とならず、自己の欲望や邪念の虜となった王なり君主は、
暴君として歴史に悪名を残しました。
 賢明なる王は必ず、その国の賢人、智者から倫理学並びに政治学を学び、
それを以て良く国を治めたのです。

 ところが群雄割拠麻の如く乱れる現代はどうでしょうか。
 立憲君主制国家、自由主義国家、社会主義国家、の三種類に大別出来る他に、
少しずつ変形した国家形態が見られます。

 学者によって論ぜられる国家の本質、特質と
政治家の、国家相互間の、或いは国民の望む国家の在り方は、
当然その理想と現実と譲歩により、
必ずしも一つの国家論を定石通りに当てはめることは、可能ではない場合が多く、
その為に実に少数の、国民の意識や知的レベル高く、健全な国のみが
さしたる国内紛争もなく存続し得るという現象が起こります。
 これさえも国力の大小、他国の野望と侵略、勢力拡張政策に遭えば、
単なる一国の国情安定如何がその国の安全を保障する必須条件とはならない場合も生ずるのは、
あなた方正法者も過去の歴史、戦争史を通して熟知しておられることと思います。

 その為の国家間の不可侵条約や、相互安全保障条約などの国際問題を解決する
国際連合や国際法の設立、制定が為されてきたのです。
 勿論如何なる場合も現在の自由社会の国々に見られる、多政党、イデオロギーの多様、
宗派的意見の対立が強く、内情の不安、経済の動揺、内紛にまで発展する場合は、

外敵の脅威に対して最も弱く

侵略政策を保持するソ連などの帝国主義に容易に屈する対象となるのは、
国際外交に長けた国家、政府であるならば充分認識するところでしょう。
 国家の安全と維持は、如何に良く世論を調整し、内紛を押え、
外敵の侵略、征服の脅威に対して国力を備え、
必要があれば軍事力の強化による国家の防衛体制を整えなければならないのは、

政治学の常識である筈です。
 これは社会に於ける個人の良識でもあり、
集団であるばらば、その集団にも適用され得るものです。

 ところが、この政治学の基本を知らぬ政治家が、
古代ギリシャに民主制が確立され、近代に於て、多数決の原理が重要視され始めて、
次第に増えて来たのは大変遺憾とせざるを得ません。

 その原因とする所は、権威が普遍化され、責任の分担が拡散されることにより、
心理的負担、義務の観念が薄れ、且つ十分政治に関しての知識を備えていなくとも、
又政治的手腕、才能を有せずとも、
民主的に議会の運営を行うという目的で、意見、発言の多様性を好むという、
衆愚政治の温床となり易い基盤が作られた)ことによるでしょう。

注。
 大衆を味方に出来さえすれば民主主義の世にあって、
左傾メディアには恐れるものなどなき故に、
責任感のない、飽きっぽい、刺激を求める、
どのような考えの者も好意的に迎えられる世の中が自由であると信じさせようとします。
 人々の思うがままに生きた時、如何なる世を、人の心を齎すか。
 未来の世に、人々の心に共産主義という地獄を、
堕落から逃れられぬ精神を齎すことを左翼は望んでいるのです。
 真に国の平和を、そしてそれを政治家に求める世の中を守る為には、
(ナルシシズムに溺れて顧みない)多様性などと、真理から目を被われ、
左翼に操られるがままの知恵なき者を、政治家にさせてはならないのです。
 そのような者が、左翼の支柱である(世界の共産化の旗手である)共産主義の大国から
自国の独立を守ろうなどと考える訳がないではありませんか。注終)

 ギリシャの賢人が国制の理想の第一にまず王制を挙げているのも、
まんざら論拠のないことではないのです。
 王が賢王であることが条件として望まれますが。

 こうして議会主義共和政(民主制による)が政治イデオロギーのみならず
経済イデオロジストによる安易な革命理論を生み、革命指導者による専制や独裁制
(理論的にそうではないものも、イデオロギーの純粋性を尊ぶあまり、
そうならざるを得ないのが現状でしょう) を招く結果とならざるを得なかったのです。
 この革命理念の純粋性、貫徹性による、国家の崩壊の原因は、
前述の政治理念である国民一人一人の幸福と繁栄を図るものではなく、
却って政府に異論を唱える者の追放と抹殺に徹した所にあるのは明らかで、
形態上からは、専制君主制、ファシズムなどと何等変りはないものとなるのです。

 権力闘争と明言して憚らぬ共産主義者の言う、
"ブルジョアジー"と"プロレタリアート"の権威、政権が交代したのみで、
全国民の安寧を図る理念ではなかったことが、社会主義国家の悲劇を生む主要因となったのです。
"プロレタリアート"の無知と、非倫理性と、革命指導者層の政治意識の欠如が

国家の真の文化的、経済的成長を阻害し、
個人の意識の成長をも制限する  即ち国家全体が魂の自由を奪われることになるのです。
 非科学的宗教の政治への介入も同じ結果を招き、
その極端な例が現在のイランであり、ホメイニ政権であるのです。
 共産主義国と同じ大虐殺の手段を用い、政府を批判するものを国外追放、
或いは抹殺したのです。」

このように、過激思想の立場しか表明出来ない共産主義も、イスラム教義も、
自由民主主義に取って代る重要性及び、何らかの発展性、

価値を持つものと錯覚してはならないのです。
 もしそう錯覚させるものがあるとすれば、
それは、悪魔と悪霊の惑わしであり、暗示、誘導に他ならないでしょう。
 八十年代は過去に於けるあらゆる政治の貧困と混乱と失敗は
該当国家とその行政機関が政治の根本原則を深く研究せず、
正しい知識に欠ける所から発していることを反省し、
種々の危機に対応しつつ、より理想的な政治形態、国家の体質改善を目指して
真剣に努力する機会を与えられたと考えるべきであることを、
日本は言うまでもなく、世界の良識に訴えたく思います。」

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法