第一部 天の教え
第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー)
一節 共産主義とそのシンパ
「慈悲と愛」83年4月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」164頁
「人は美しい物よりも醜悪を好み、正しい物よりも偽りの言葉や企みを良しとするのは何ゆえか。
恐らく美しさも正しさも知らぬ環境に育った者が醜く偽りに満ちた対象をしか与えられず、
より良き物を求める本能も育たず、暗く悲しい世界 ー 即ち人の地獄を作る故でしょう。
共産主義教育を受けた者は"良心"を捨て去ることをのみ学び、
その"良心"は陽光を求める自然界の生命の仕組みであることを学ばず、
"自由"とはその陽光を求めて如何なる方向へも幹を伸ばし、地下には養分の水を求めて根を張る、
"生きることを許された自由"を言うのであることを知らず、
"生きる為に互いを抹殺し合う自由"のみ与えられた、光なき世界に住む者。
哀れな歪み育った密林の住人なのです。
サタンの支配する暗黒の黄泉の世界です。
あなた方正法者も、正法に接することを喜ぶ読者も、決して彼等の地獄や密林が、
自らの美しい自然と"自由"に満ちた光溢れる天の国と
(心の中であろうと、実生活であろうとそれは同じ事)
引き換えるに足る物と錯覚を起こしてはなりません。
地獄とは正に社会主義国の、虐げられた、
"罰されることを恐れ、それを逃れる為にのみ我が身の行く末を思う世界"なのです。
サタンの配下である(共産主義者であり、科学者であり、文化人の)
密林の腹黒き使者の偽りの言葉や夢を信じる時、
あなた方はすべて良き物を失うのです。
社会主義者とてあなたの真の友ではありません。
彼等は世の秩序や調和された社会を"権力"と罵り、
それを破壊することが正義だと思い込んでいるからです。
憎しみや怒りは共産主義者のそれと同じく、"光"とは何の関りもない、
悪魔の意志、"闇"から出る物です。
(注。
某民族の生き甲斐とする"恨"なる感情も、
その出所はあらゆる偽我(悪魔に繋ぎ止める心)に共通するナルシシズム
(神よりも自分を中心に考える心)であることを覚らず、
恨みを晴らそうとする、憎しみが成就するまで、
憎むべき対象がその報いで不幸になったと納得するまで恨み続ける
(憎くて仕様がない日本から出ようともしないのは、
そのような心から離れたくないからとしか結論し得ないでしょう)、
彼等は永遠に地獄に繋げられた魂として生きることを自ら望んでいるのです。
避けて通ることが無難でしょう。注終)
それをよくよくあなたの友人や知人に話して聞かせて下さい。
社会主義国の現状が彼等の言葉をすべて空しく、偽りの積重ねにしてしまうと。
宗教界の半分は既に彼等の術中に陥り、天と神を見失ったことも ー 。」
「JI」85年1月号初出 ウリエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集・続」47頁
「社会・共産主義化諸国の悲劇の歴史。
それらを理解しながら蜘蛛の網に捕えられた虫のように、自らを解き放てない人間の知性は、
人類という種の滅びを暗示するかのように見えます。
多くの善霊が殺され悪霊の跳梁する天の反映でもありながら、
世の終りが避けるベくもなく忍び寄る現実と、
それを来たらせるのは偏(ひとえ)に人類の無知と無自覚と無思慮な支配欲であると、
如何にすれば覚らせ得るのか。
善を喜ばず、悪に走る人類の業と言うべきでしょうか。
人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ないと、
あなた方は果たして理解しているのでしょうか。」
「慈悲と愛」80年4月号初出 ウリエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」98頁
「親左翼の人々やマスコミに対して自由を愛するあなた方は何を為すべきか。」
「インドシナ難民の潔癖とイスラム教徒の頑固さを以て、
あらゆる共産主義思想家、活動家及び、亡国論、反国家論に過ぎない"非武装中立"論者である
社会主義者の非をなじり、その諸活動を阻止しなければならないのです。
何ゆえか。
彼等は人心、思想、言論の真の自由を失うことについて無関心で、
彼等の信奉するものこそ、世界制覇の力の源であると信じ、
意識するとせざるとに関らず支配欲、権力欲に駆り立てられているのです。
何ゆえにか。
彼等は自由社会に於ては言論を半ば統制された状態に押し込められ、
彼等自身の偏った人心と思想の自由を充分に見出し得ないからです。
彼等は狭い周囲としか語らわず、
無批判に吸収するものは彼等のイデオロギーに関するものに限定し、
従って切り売りする知識と思想と言葉は単一偏向性を持ち、
彼等はかくして自由世界に住める身であっても自ずからと
同志の人心、思想、言論の統制をしてしまうのです。
自由である真の祖国は異国であり、彼等は常に反体制側に在ることを意識しているのです。
そういう生き方に慣れ、且つ慣らされている彼等は、
その自由こそ資本主義社会のみにあるのであり、
共産・社会主義体制にもあるとの考えは一切誤りである
と言われても真にその非を認めず、認めたくない彼等は、
体制樹立と主権奪回にあらゆる策を練り、智恵を絞るのは、当然過ぎるほど当然の現れでしょう。
登山家はなぜ山に登るのか。そこに山があるからだ、というのと同じ単純な発想で、
彼等は自由社会が在るからその放逐に専念するのです。
それでは何故彼等は既存の社会主義国に住まないか。
そこに彼等の世界を覇する支配欲が存在し、
戦いの勝者となる為にのみ権力闘争と名付けるものが、現存する所以です。
如何に理を以てしても説得し得ぬ彼等は、
イラン国民の如く信念に関して狂信、盲信のエネルギーを内在し、
平静を装うとも、抑圧された集団ヒステリー的病的心理が厳存するのは、
客観的に彼等の動向と論陣を分析してみればはっきりと判るはずです。
即ち理論でも理屈でもなく、感情が彼等の活力及び持続力となっているのです。
イデオロギーを固持する為の感情的武具と表現するならば、
彼等は脅迫的に完全主義的にその路線に人々を従わせようとする結果、
論戦の生じる所は枝葉末節に拘るものであったり、非現実論を持ち出したり、
相手の持論や論拠を自分達のものであるかの如くすり替えたり、
挙足取りであったり、実に愚劣で幼稚な論戦にしか発展し得ないものなのです。
常に二者択一であったり、彼等のものか相手のものか、
基本的には協調点がなく、譲る所もなく、歩み寄りもない。」
「JI」85年4月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集・続」51頁
「人生の充実感は、平和時の殺人や略奪を容認する共産主義者には味わうことの出来ぬものです。
彼等は本能というものが生きる為の智恵であって、
欲望を追及する手段ではないことに気付いていない ー
実は本能に欠ける、性格破綻者であり、哀れな敗者 ー
愚か者の集団なのです。
愚か者は自分を救うことも他を救うことも出来ません。
その様な人生の敗者になりたくなければ、
左翼の虚偽を鋭く見抜き、知性の低さを嫌って避けて通るべきです。
気付かぬ人には忠告してあげるべきですね。
人生の喜びは共産主義の世界には存在しないことを ー 。」
「JI」86年2月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集・Ⅲ」39頁
「社会を病ませているのは他ならぬマルクス・レーニン主義者であり、
共産主義による世界制覇を信じ、殺人を容認する悪魔の超大国ソ連
(注。今もロシアに引継がれている)に精神的に支配されている、
病的性格の持主であり、集団なのです。
歪みや病的な生活習慣に慣れ親しんだ者が、共産主義の世界支配が実現した日から急に正常化し、
健康な精神生活に戻れる筈はなく、マルクス・レーニン主義を奉ずる者が自分達の無軌道な言動を、
主義主張の為の手段と考え、又、公言するならば、
それは自己正当化の為の誤謬、謬説でしかないのです。
同志の言葉を信じて無法行為を当然と思い込む者は愚か者であるし、
放縦な生活に抵抗を感じなくなった者は既に心が病んでいるのです。
反体制的言動に生き甲斐を感じる者は精神的に未熟であって、
一人前の社会人ではないことを、一般の人々は理解し、
クールな目でマルクス・レーニン主義を提唱、又はその精神に準じて行動する者を評し、
一線を引くべきであるとお教え致しましょう。
人々が同じ病に冒されない為に ー 。
自らを制する基準を持たぬ者は、正しい性格形成が行えず、徳とも無縁であるし、
幼児か病人のまま一生を終えることになるのです。
その様な者の説く理想など現実生活に役立つものではなく、虚構にしか過ぎません。
分析すればマルクス理論も一大虚構、盲説であるし、それに心酔する者は批判力を持たぬ幼児、
それを利用して主権を得ようとする者は精神的な病者に過ぎないということなのです。」
「JI」90年5月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集・Ⅲ」161頁
「ユダヤ民族以外のあらゆる民族の破滅を願って
人への憎しみと共に練り上げたマルクスとエンゲルスの合作、
共産主義理論には人間愛などあろう筈はなく、殺意と破壊の意図しか込められていないが故に、
それを「万人の自由と自主を望む」などと勘違いして信奉し、
家庭と体制と国家の崩壊に向けて、あらゆる破壊を試みた結果であるのに、
左翼評論家の詭弁として、 "マルクスの思想に基づく実験は袋小路に入り、
崩壊と再建(ペレストロイカ)の過程にある"に過ぎないから、
思想、言論の自由に基づき、日本人による"マッカーシズム(赤狩り)を戒めるべきだ"
との論調が台頭しているのは
頑迷と言うよりも、あれほどの史上に類を見ないイデオロギー殺人や破壊を何とも思っていない
人間愛欠如の性格を垣間見て、悪霊の予備軍として、肌寒いものを覚えました。
日本人と言わず、かくも頑迷な左傾論者や心情左翼の学者や文化人、
そしてマスコミ関係者は西側の自由先進諸国に(反体制論者が西側では殺害を免れてきた故に)
数多く居り、そして正にこの人々が間接的に、
共産圏や政権の国々の半数若しくは三分の二以上の人口の破壊に手を貸し、
殺人幇助(ほうじょ)とも言うべき罪を犯してきたにも関らずです!
米国のマッカーシズムや日本のそれが何時、
現実的に危険思想(注。共産主義のことです)を戒める以上に、
イデオロギーによる殺人やあらゆる反体制的な破壊を推奨し、教唆しましたか?
それをしたのはマルクス・レーニン主義者であり、それを支援した人々のみです!
マッカーシズムが最大の悪のように書き立て、中傷したのは左翼勢力なのです。」
「机上の空論と権力欲に取り憑かれた彼等に取っては、太陽も自然の恵みも、
ましてや中国の民主化のリーダーである柴玲さんと封従総氏の夫妻が逃避行三百日の後、
無事に西側に脱出し、香港のテレビインタビューで
『民主化の犠牲者のことを思い、自由への道は非常に困難で(現在の中共では)遠いが、
その実現の為に努力する。民主化万歳。自由万歳 … 今はこれしか言えない』
と語った万感こもごものその思い、夫妻の固い絆、
そして無残にも殺され続けた数多の共産政権の犠牲者への人間愛 ー
それを理解することなど、到底出来ないでしょう。
神が不在である国と人に取っては、権威への野望しか人生の目的がないのです。
しかもサタンと同質の極限の悪心しか有していない人々です。」
「JI」92年1月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集・Ⅲ」202頁
「人としての良心を捨て、何をしてもイデオロギーの為には許されるとしたレーニン自身、
明らかに自己の暴挙、非法を正当化した偽我の塊であるし、
それに準ずるすべてのマルクス・レーニン信奉者も、
知能が未発達或いは歪められて異常性格者であると言えます。
天の法や正義、ましてや平和をユートピアとする者とは何の関りも無いのです。
そういった者(神を恐れず、人も恐れない心情の持主であり、
犯罪者よりも自己の犯すあらゆる罪を正当化してしまう人格欠損者)
に社会の一員としての権利を与えることすら、人間の社会としては大いなる誤謬であり、
愚かしさの限りであることをまず、人は認識しなければなりません。
神はこれら共産主義者は、切り捨てる裁きと消滅の対象としか見てはおりません。
この者達の為すことをよく見るべきです。
彼等の行為こそ偽我そのもの。偽我とも言えないほど低劣な心情であり、悪の心なのですから。
しかし、偽我とは己の為す悪の行為、悪の思いを正当化する(所謂天の背反者が何時も行う行為)
のみならず、虚栄心や劣等感を隠す為の虚言、ごまかしもあります。
他に軽んじられない為と、競争心や虚栄心で己を拡大してみせる行為で、
他には被害は与えられない(左翼や背反者の嫉妬心並びに報復的な衝動は考慮しないとしても)
けれども不愉快なもの。
それは自他に何の益も齎さず、正法者である限り、止めるべきものです。
次に、段階的に正法者の中で、
より危険な人格の表れとして、自己を厳しく研磨する試みを怠った者に顕著な、
言わばレベルの低い自己防衛の行為ですが
(左翼の性格破綻に次ぐもの、背反に繋がる心情として非常に危険な傾向です)、
人を説得し、自己の主張に従わせようとするに虚言と詭弁を用いる ー
これほど拙劣で未熟なものはありません。
更に、それが天から他を離反させる為の手段となるならば、
それのみで充分断罪の対象となります。」
「JI」90年6月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「私達はあなた方とあなた方の家族も含み、
全人類の幸福の為に悪魔の王国がこれ以上蔓延るのを阻止する為に、
天と地の協力を願ってきたし、今後もそう求めているのです。
とかく目先のことに囚われ、楽な方にとばかり考えるのは無理からぬことです。
しかし、それが自己愛に限定された生き方で、
国家や人類のことに関しては、"誰かに任せておけば勝手にやるだろう"式の考え方では、
日本民族は滅亡するしかないのです。
市民の無自覚で無責任な生き方が、国を滅ぼしてしまった例は、
過去に遡(さかのぼ)るまでもなく、
共産政権に国の政治を明け渡してしまった国々の総てに共通する所です。」
"マルクス主義は「ユダヤ民族解放」のための虚構仮説だった"
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」156頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「戦後の日本の混乱に最大の責任があるのはマルクス主義である。
マルクス主義の害毒といった場合、普通は表面に現れたもの、
例えば安保闘争の如きものとしか捉えず、日本共産党の民主連合政府綱領を見て、
革命というマルクス主義の現実的脅威はなくなったと考えるかも知れない。
だが、問題はそんな生易しいものではない。
というのは、マルクス主義とは単なる「革命理論」ではないということである。
マルクス主義の戦後における影響の最たるものは、
この稿でとり上げる戦後の病理、虚妄性、日本歴史の真の構築を阻む
跛行(はこう)性をつくり出したということにあるといわねばならない。
これらを具体的にいうと、国家・民族意識、愛国心の去勢、
道徳観の失墜、拝金主義の培養、家族制度の崩壊、その他、
戦前の日本が世界に誇った冠絶した長所を失墜せしめたことにあろう。
マルクス主義はこの病理の精神的支柱になっているのである。
これは根拠のないことではない。
何故ならば、日本共産党は戦前の日本の長所をすべて「絶対悪」として否定するものである。
そして、日本共産党はマルクス主義を唯一絶対の世界観として信奉する政党である。
戦後の病理のすべてがマルクス主義と密接な関係があることはわかったが、
これらはただ単に散在していただけではこれほどの影響を及ぼせたかどうか疑わしい。
それにはやはりこれらをひとまとめにパックして、
しかも日本国民に強制する力を持った何ものかがなければならない。
それがアメリカ占領軍のニューディール派であり、
その所産である日本国憲法とその擁護者としての日本共産党なのである。
"共産主義者の論法とは"
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」67頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「日本共産党の存在根拠は二元論のみに存する
日本共産党が現在も存在していること自体、二元論のおかげなのである。
それはどういうことかというと、
後述するごとくマルクス主義の唯物史観は虚構仮説なのである。
しからば、本来、日本共産党の存在根拠はないのである。
しかるに何故日本に今日でも存在可能なのかというと、
二元論の押し付けによるわけである。
論理的には二元論により無から有を生じるのである。
大企業、自民党政府といったものを絶対悪として設定する。
そうすると当然、その対応物として絶対善というものが浮上してくることになる。
本来、虚構の上に立つ妖怪にすぎないものでも、
こういう二元論的手法を用いることにより自己を具現化できるわけである。
絶対善とは勿論、日本共産党のことである。
つまり、あるものを極点に設定すると、その対極点というものが自然に設定されることになる。
(右翼なる観念も共産主義者が、自分達が善玉であると信じさせる、
その為に対極する悪玉として右翼なる存在をでっち上げたものです。)
これはあくまで極点でなければならない。
しかも、中間というものは絶対にないとしなければ意味がない。
そうすれば、おのずと対極点というものが浮上してくることになるわけである。
論理的に無から有を生じさせる唯一の方法がこれなのである。
この場合、最も効果的なのは「極点」に倫理的色彩を加味することである。
つまり「善玉」と「悪玉」とすることである。
これは第一に大衆にも分かり易いのである。
日本共産党はすべてこの二元論を自由に駆使することにより、
自己存在を顕在化しているのである。(中略)
階級闘争論も然り
次に、日本共産党が選挙の時などに必ず持ち出す二元論は
「大企業からもっと税金をとれ」といった類の大企業性悪説である。
この世の中、大企業さえなければすこぶる幸福であるといった類の論法である。
唯物史観が虚構であれば、日本共産党の存在根拠は根こそぎ無くなる。
それでは飯の食いあげである。
したがって仮想悪玉をしつらえ自分をその対応物として顕在化させる。
まこと上手い方法ではないか。
これは勿論唯物史観の階級闘争史観の応用であることはいうまでもない。
今日の日本の政治的混乱の原因は一にかかってこの二元論的思考にその原因がある、
ということを理解してもらいたいのである。
平等の概念も、二元論に立脚して初めて問題提起されるものである。
自然の摂理として平等など決してあり得ない。
だからこそ「理想」、つまり「現実」でないからこそ人々の心を誘うものである。
これは理想と現実という二元論に立脚して、初めて提起される概念である。(中略)
"東京裁判の論法とは"
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」96頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「東京裁判の論法はすでにたとえ戦争責任については逆転されたとしても、
深甚なる影響を日本の戦後史に与えてしまっている。
まず第一に、日本の社会へ階級闘争を持ち込んだことである。
これは、続く日本国憲法へ実体法のカテゴリーに属する条項を挿入することによって、
確固たるものとして定着させられてしまっている。
この階級闘争もさることながら、より大きい病巣は宗教性の呪縛であろう。
前述の東京裁判式の論法は、善玉・悪玉論理をはぐくむことになる。
戦争責任はあげて一握りの支配階級たる天皇制軍国主義者にある、
大部分の国民はむしろその被害者であるとする論法は、
先ず第一に戦争責任者を国外に求めることを忘れさせる効果をもつ。
また、これにより旧敵国がいかにも雅量のある物分りのいい寛大な存在に映り、
以後の占領政策をやり易くする効果をもつ。
しかしこれらよりも大切なことは、
支配階級というものは常に悪玉であるとする思潮が生じることである。
それに対して自分達は被害者、すなわち善玉なのだと信じ込ませる作用をもつ。
ここにユダヤ教的善玉・悪玉の二値論理が持ち込まれることとなる。
こうして、悪玉、すなわち「天皇制軍国主義者」に「支配」された戦前の日本は
すべて悪であるとする観念が生じる。
逆に自分達を被害者=善玉と規定してくれたアメリカ占領軍の以後の政策を
すべて善と感じるであろう。
さらに、支配階級というのは常に悪玉であると教え込まれると、
戦後の政権担当政党も支配階級の代弁者であるから当然悪玉である。
故に、これにことごとく反対することは善玉の崇高な使命であると信じ込まされることになる。
今日みる如く政権担当政府のやることには何でも反対する思潮は、
このようにして東京裁判を通して巧妙に持ち込まれたのである。」
野党は与党のすることに反対するだけで、
国民の為になる政策を自ら実行しようとしないと批判されることがありますが、
彼等は政治の場で闘争する為に送りこまれた闘争家であって政治家ではないのです。
闘争家に政治をしろと言うのが無理なのです。そのような者を国民が選んだだけです。
"日本国憲法の論法とは"
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」126頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「日本の戦後占領体制はユダヤ人の君臨しないワイマール体制
ワイマール憲法と日本国憲法は、
イデオロギー性については全くといっていいほど同じものである。
しかるにただ一点、ワイマール憲法下のドイツと日本国憲法下の戦後日本とでは
根本的に異なる点がある。
それは、ワイマール憲法下のドイツは
直接ユダヤ勢力が君臨するものであったということである。
日本にはユダヤ人は存在しない。ワイマール体制というのは、
少数民族たるユダヤ人が権力を初めて握った時代であるということである。
一方、戦後日本では一時期占領軍(これを事実上支配していたのはユダヤ勢力 ー
もっとはっきりいえばニューディール派)というものがオールマイティであったが、
これは日本国内に永久に存在する勢力ではない。
いわば国際的ユダヤ勢力である。占領が終れば、引き上げざるを得ない。
そこにケーディス以下の焦慮(焦って苛立つこと)があったわけである。
だが現実には自分達は引き揚げても、
己のエピゴーネン(亜流・継承者)を養成して残していった。
それが日本共産党である。
このエピゴーネンは真に忠実に主人のために働き、
戦後三十余年たった今日でもケーディスの心配を吹き飛ばすかの如く
日本国憲法には一指だに触れさせていないのである。
第九条のルーツ ー マルクス主義国家論
第九条の「戦争の放棄」という言葉の意味するところは「武装解除」に外ならない。
マルクス主義国家論にみる如く、国家を転覆させるのを至上目的とするなら、
国家破壊の最大の障害物となるのは軍隊であり警察力である。
したがって戦争反対、平和に名を借りて「軍縮」を唱え始めたのも、
第一次世界大戦後のユダヤ勢力に外ならない。
軍縮という耳ざわりのいい言葉だが、これの狙いとするところは、
列強への武装解除への第一歩でしかない。
かくの如くしてユダヤ勢力は第一次世界大戦後列強の武装解除を目指して
あらゆる蠢動(しゅんどう)を始めたのである。
シカゴのユダヤ人弁護士ソロモン・レーヴィンソンはその中心人物であった。
また、国際連盟なるものも創設されたが、これの本質はユダヤの世界政府に外ならない。
この国際連盟が力を入れたことは軍縮と労働運動の強化であった。
これはマルクス主義の階級闘争論の各国への持ち込みに外ならない。
このユダヤ世界政府たる国際連盟は満州問題で日本と真向から衝突し、
松岡全権の劇的脱退により世界連盟から単なる欧州連盟に下落し、崩壊する。
国際連盟の詳しいことを記するのがこの章の目的ではないが、
要するに国際連盟の掲げるスローガンは列強の武装解除と階級闘争の持ち込みによる
国家弱体化であった。
すなわち、マルクス主義国家の実践である。
日本国憲法第九条のルーツはこのへんに求めなければならない。
この他ケロッグ・ブリアン条約も同様なユダヤ人による
列強の武装解除を目的としたものであることはいうまでもない。
基本的人権は被害者意識の発露
これからいよいよ各条項別に検討していこう。
まず第一条の基本的人権の問題について述べよう。
この「基本的人権」という言葉からまず読み取れることは、
被害者意識から出発した概念ということである。
長年、差別、迫害されてきたユダヤ人の血の出るような要求であったのだ。
第十二条の「自由の保障」と第十四条の「平等」については、
これこそ憲法作成者の主眼目であるので別に述べる。
第十三条における「個人として尊重される」というのは、
個人主義思想の導入が目的であることは論を待たない。
個人主義というものは国家崩壊の第一歩と考えられているものであり、
特に君主制打倒の捷径(しょうけい)であると考えられている。
これは第十二条の「自由」と密接に関係ある問題である。
また第一条の基本的人権とも関係あるものである。
個人主義に自由をプラスし無限大に追及させればどういう結果になるか、
国家内部の不統一、混乱を助長するものであることは説明の要はあるまい。
第十三条は訳語が正確でないようだが、
「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」とあるが、
これは「生存権と自由権及び幸福の追求」とする方が
この作者ユダヤ人の意を忠実に表現していると思う。
この訳文だと「生命に対する権利」といことだが、
これだと生命という言葉から人為的な加害行為は除かれているように聞こえる。
不可抗力な事故による死、あるいは寿命に関するものの如くに聞こえる。
ユダヤ人作者がここで考えているのは、
そのような「生命」の危険、寿命といった非人為的原因によるものではなく、
明らかに人為的要因による「いのち」のことである。
つまり、虐殺をくり返してきた過去の歴史、その被害者たるユダヤ民族にとっては、
「生存権」こそ最も切実な望みであった。
日本語としても、「生命の権利」というのはおかしいであろう。
その問題はそれとして、日本へそのようなものを持ち込んでもピンと来ない。
次にある「幸福追求」という言葉もトートロジー(同義語反復、類語反復)である。
何も言っていないに等しい。
ところがユダヤ人にとってこれすら充分に、否、
全くといっていいくらい追及できなかった過去の歴史がある。
(中略)
日本国憲法にはユダヤ人の願いが込められている
第十八条に移る。
「何人も、いかなる奴隷的拘束もうけない。」
マルクスはメシア思想をパターンとして
唯物史観という虚構ハイポセシス(Hypothesis 検証されるべき仮説)を構築したが、
「経済学批判」の中で社会段階発展説なるものを創造し、その中で原始共産制社会から
初めて階級闘争社会としての古代奴隷制社会というものを捏造している。
このような社会がなかったわけではないが、日本の歴史には全くない。
また欧州ではスカンジナビア諸国の歴史にも皆無である。
むしろ最近のカンボジアあたりこそ原始共産制社会と古代奴隷制社会の混合したものと
いえまいか(ポルポト政権のことを言っているのでしょう)。
「奴隷的」というからには必ずしも奴隷制社会のことではないというかも知れないが、
ユダヤ人はこれほど同様な扱いを受けていたわけである。
第十九条は広い意味の「自由」の中に含まれるものだが、
特に思想の自由というのは元来は宗教思想の自由からきているものであり、
十九世紀以後なら当然マルクス主義信仰の自由も入るわけであろう。
「良心の自由」とはもっともらしいが、これもユダヤ思想の善玉・悪玉理論の結果である。
ここでいう「良心」とは、ユダヤ人が「善」と考えることに他ならない。
信教の自由も然り
第二十条は、ユダヤ人にとっては死活問題である。
「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」。
これはワイマール憲法のまる写しであり、これの意味するところは
ワイマール政権下のドイツにおけるユダヤ人の権利に関係している。
つまり、当時のドイツで一%にすぎないユダヤ人がドイツ人と同等の権利を確保、
維持するためには「国教」があってはならないとしているのである。
国教ということになると、どうしても九九%のドイツ人の宗教である
キリスト教がその地位を得るのは当然すぎるほど当然である。
しかしユダヤ人としては、それだけはなんとしても抑えなければならない。
より勢力が強くなれば、あるいはロシア革命の如く完全に権力を奪取すれば別であるが、
ワイマール政権の当時の力関係からすれば、両方の宗教を五分の力関係に置くのが関の山であろう。
これでも過去よりはましであることはいうまでもない。
こんなものを教条主義的に日本に持ち込むのはユダヤ人の知的水準の低さ示す以外の何物でもない。
しかるに日本では、これに捉われて首相の靖国神社参拝が議論されるのであるが、
その度にユダヤ人としてはずかしい思いをする。
「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」。
この問題について一言するならば、
問題はすべてキリスト教、ユダヤ教等のもつ極端な排他性にある。
八紘一宇の思想を基調とする神道、あまない(和)を基調にする仏教とは
自ずと次元が異なるものである。
憲法に持ち込まれたこの条項は、ユダヤ教のもつ排他性のしからしむるところである。
排他性のない高度に理性的な日本の宗教界に本能的、
動物的な他の宗教が強引に割り込み宗教の次元を下げていることに他ならない。
この点は、日本の宗教問題の専門家に一日も早く神道と他宗教の次元の相違を論理的に解明し、
他宗教の妨害行為を断固排撃してもらいたい。
(中略)
男女平等の悪影響
第二十四条、ここでまた「平等」を吹き込んでいる。
今度は男女間に拡大しようというわけである。
この「男女平等」は戦後真に大きな悪影響を及ぼしていることは周知の通りである。
もともと第二十四条は男女同権といっておらず夫婦同権を謳っているだけなのだが、こ
これがマスコミその他によって男女同権にまで知らぬまに拡大されてしまった。
人間は自然の摂理として両性は全く異なった天分をもたされているに拘らず、
これを単純に平等に扱おうというわけである。
これは自然の摂理に対する冒瀆である。
この問題に関しては先例がある。
それはロシア・クーデターの後ユダヤ勢力は
ソ連においていわゆる「婦人国有」政策を押しつけている。
これはどういうことかというと、
生殖作用の成熟した年齢より四十二歳までの女は男に対して肉の要求を拒むことができない、
而して生まれた子供は家庭の手をわずらわさず国家が引き取って養育するというものである。
女は家庭に縛られることなく一定の夫に貞操を守る義務がなく、
子供は国家が養育してくれるのであるから母として世話する必要もなく、
労働に男と同権で参加できるというものである。
今日、ソ連で女が男と全く同様の重労働に精出しているのはこの名残りである。
婦人国有の如きアナクロニズム、というより極端な動物回帰政策は
さすがに日本では当時のニューディーラーの強権をもってしてもできなかったのであるが、
姦通罪を外すことにより巧妙に性風俗の低下に拍車をかけ、
家族制度の破棄を加速化したのである。
本来、夫婦同権とすれば家庭的に相譲らざる二人の権力者が出来、
その調和を乱し家族制度の破壊に導くことができるとする考えがあったのであろうか。
第一章でも述べた如く、このため昔からユダヤ人の間では医師、
弁護士になることがすすめられていたのである。
これは社会的存在によるものではなく、
これら二つの職業が家庭内秘密にタッチする機会のすこぶる大きいものであり、
これが家族制度の破壊のため有力な武器となるという計算づくのことであったのだ。
家庭内の調和が乱れると、核家族化現象も促進されよう。
子は親の面倒を見なくなる。
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の許に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様