はじめに
目次
"神(天上界の最高権威)からの呼び掛け"
「私はミカエルです。私は今までこのような大勢の人の前で現象することは憚ってきました。
何故なら現在まで霊現象といえば悪霊のみが持てはやされ
私達天上界の者の語る言葉は単なる霊現象として重く用いられてこなかったからです。
目の見える者は私の姿を見なさい。
耳の聞こえる者は私の言葉を聞きなさい。
不義の時代には徴(しるし)を求めると言いますが、一体この時代は何とした事でしょうか。
悪霊の徴を求め、言ったことには耳を傾け、
私の言った言葉には耳を貸さなかった人が大勢いるのです。
徴を求めなければ真実を知ることは出来ない、信じることが出来ない、
その様なことで正しく正法(神の法です)が行われるとお思いでしょうか。
この機関誌にも、天国シリーズにも真理の言葉が溢れていますのに、
文字だけでは真理を悟ることは出来ないのでしょうか。
徴を求め、徴を示さなければ真理を悟ることが出来なければ、
彼等は一生救われることは出来ないでしょう。」
(中略)
「いいですか、良く聞いて下さい。
今、あなた方を取り巻く環境がこうなったのは、誰の所為(せい)でもないのです。
必然的に人間の自分を甘やかし、許す心がこうしてしまったのです。
イエス様を始め、ブッタ様、モーセ様はその事を説いてこられました。
自分に優しくなるな、人に厳しくなるな、自分に厳しくなれ(※1)、このことです。
そしてあなた方にもう一度伝えますが、
自分自身を知れ、このことが正法を知り、自分を悟りへと導く唯一の道なのです。
自分を知る。何と難しい事でありましょうか。
すべての面に於て自分を知らなければ何にもならないのです。己を良く知りなさい。
これが私達があなた方に今伝えるメッセージです。解りましたか。
この様な状態にあっても決して負けてはいけません。
何故なら、天は何時も心正しき人の味方であり、
義に飢え渇き、世の不義に泣く人が私達の袂で泣くからです。
その為に私達があるのではありませんか。
世の不義に怒り、この場に集って来たのではありませんか(※2)。
私達の説く正法は、三次元の物質欲に溺れ、
そして名誉心、権勢欲に駆られる人々にとっては許し難いものでしょう(※3)。
それだからこそあなた方はここに集まって来たと私は信じます。
これでメッセージを終わります。」
(現象テープ№16 79年11月4日 ミカエル様現象)
(※1注。
人を裁いてはならない、人に罪の意識を押し付けてはならない
(原罪は人の心を歪めさせようと、サタンによって植え込まれたドグマです)。
真に罪があって罪の自覚がないのなら、愛を知らぬ心であり、
愛を知り得ぬならこれ以上の罰はありません(存在する価値なき魂だからです)。
罪がないのに罪があるが如く人を裁くのなら、裁く者が愛を知らぬ心です
(彼は神の愛を受けることも、欲することもありません。
己を高しとする自己愛の虚しさを悟ることの永遠にない魂だからです)。※1注)
(※2注。
苦しみに、神だけを求め、神の袂で泣く者を、救わんとする私達を、
神であるとあなた方は信じることが出来ないのか。
彼等を救い出し、彼等の心を癒すことが出来た者が誰であるのか、
その私達が何故あなた方の前に現れたか解らないのか。
神の心にのみ存在するすべての良き思いが、何も伝わらぬ、盲いた心で、
自ら神の救いに背を向けていることを知ろうとしない。
そう伝えられました。※2注終)
(※3注。
名誉(人から羨まれているとの思い)、
地位(天国は自分を評価される、相応しい者と迎えられるとの思い)、
財産(人の生かされるを喜びとする、自意識から自由を求める心を知らず、
足ることを、人の優しさに愛を、覚らず貪りに生きる心の糧)に惹かれる心とは、
そのような心に応える世界にのみ生きる心であり、
彼等にとって神の思いは許し難いものであろうとミカエル様が仰しゃったのは、
彼等の心に神を憎むサタンと同じ心を見られたからです。
彼等が神の愛を捨て自らの愛によって得たのなら、それが彼等の心を満たしたものなら、
彼等は真の神を、自らの神の心を捨てることで得たのだと、
神の心を捨てる者の得るは、悪魔の心なのだと、
それが解らぬ者に私の語るは耐え難いことであろうと仰しゃったのでした。※3注終)
"天上界の御意志"
「もし今、天変地異が起こって、あなた方の家族がバラバラになり、家は崩れ、
あなた方の生活が駄目になりそうになったとします。
その時あなたは何を考えますか。何をしようと思いますか。
あなた方はそう考えて、心の中に熱い思いが入ってきませんか。
是非助けてやりたい。残った人を助けてやりたい。死にかかっている人を助けてやりたい。
苦しんでいる人を助けてやりたいとそうは思いませんか。」
(中略)
「何が正しいか解らず、何が間違っているか解らず、何が悪いか解らず迷っている人は、
天変地異に遭っている人と同じではありませんか。
ならばその人達に少しでも救いを、正しいことを教えてあげよう。
そうは思いませんか(※4)。」
(現象テープ№37 82年1月10日 イエス様現象)
(※4注。
神を見失ったが故の苦しみであることを悟れないばかりに、
偽りの救いを、幸せを約束する悪魔(この世)を神と信じた人々の心に、
真の神の救いから零れて行く絶望を天は見られました。※4注終)
神に背を向けた一部のユダヤ教指導者(パリサイ派)は、イエス・キリストを殺害する為、
またキリスト教徒を迫害する為に、神を捨てローマ帝国に仕え、
ローマ帝国の属国となろうともイスラエルの支配者であることを選びました。
彼等は預言者(を通しての神)の警告に耳を貸すだけの祖国を思う心がなかったからです。
国を愛する魂の目覚めた多くのユダヤ人が神に導かれて立ち上がりましたが、
エルサレム攻城戦で全てのイスラエル兵士が殺され、やがてユダヤ民族は国を失いました。
今この日本で同じように共産主義の支配する中国に媚び、
日本が中国の属国になろうと(敢てそれを望んでのことなのでしょう)、
その時は自分達(企業)が贔屓されるであろうことを信じ、
今までの米国の立場が中国に代わることを望み、
国を売ることに手を貸しています(※5)。
国を失う(外から国が侵略されなくとも、内から人々の心が侵されれば同じなのです。
国を守るとは、外に於ても内に於ても支配を許さぬことです。)かも知れない時に、
あるべき自分に(誰に愛されてきたのか、自分は彼等にどうありたいか)目覚めぬ者は、
愛に目覚めぬ者は真の自分を失うのです。
侵略するような国はない、侵略されることはない(※6)と言いながら、
左翼(メディア)は日本を共産主義に隷属させる為ならば、
支配されることが解放になるのだと本気で信じているのです。
共産主義国家の支配者達との同じ立場に立つ日本の左翼は、
日本を共産主義化させる為なら、如何なる悪も顧みません。
そのような彼等を思い留まらせることが出来るのは、目には目を、
(国際法を犯す)罪には罰(法の施行)を、悪には、天敵である善が必ず立ちはだかることを、
(偽善を装う)悪は暴かれることを、悪の本性を明らかとする善が、
必ず悪に思い知らすであろう決意を私達国民が持たねばなりません。
善を持たない者は、悪に抗えない者は、悪とならざるを得ないのです。
己が命欲しさに悪に靡けば、同じ悪に染まり、真の我を失うのです。
戦う、抵抗する意思を持たない民族なら、虐殺されることはない、
生き延びることが出来るとは限らないのです。
戦争や虐殺を引き起こす原因をひとり人間の獣性や狂気や民族性の所為に思われていますが、
集団や国家的規模による悪には、必ず背後に悪霊の跳梁や憑依が働いていることを
天上界は警告されております。
【そして世人は、悪霊がどのような心を持ち、如何なる残酷を行う者か知らず、
その存在すら気付くことが出来ません。
残酷の限りを尽くす非情を見て尚、悪魔の存在を認識出来ない、
天上界の警告の伝わらぬ鈍き心には、
神 ー 善の行われることだけを望み、自らの知られることを、
愛の報いられることを求めぬ、ただ尽そうとする心をその本質とされる、
(信じようとしない者、善を求めぬ者にはその存在を明かすことを望まれない)
人の善なる心の中に於てのみ見出される ー
を認識するのは至難の業でありましょう。
そしてその悪霊を引き寄せる原因となっている心とは、
操られても気付けぬまでに悪霊の心を自らのものと等しくする心とは、
自分(を在らしめる組織、民族)さえ良ければ、生きられればいいという
自分本位に生きる偽我(利己主義や自己愛)なのです。】
ブッタ様のお生まれになったシャキャ族は、ブッタ様が止めようとされたにも関らず、
ブッタ様に続こうと、国を守るべき武士階級(クシャトリヤ)の出家が後を断たず、
シャキャ族は隣国に侵略され、民族は皆殺しに遭い、国も民族も地上から消え去りました。
【神の救いの計画を妨害する為に、神の愛する者を苦しめる為に、
悪魔は神の民イスラエル民族(の預言者、メシア)やブッタ様のシャキャ族を迫害しました。
日本民族は神の民イスラエルの後裔であるが故に、神と悪魔が常に働きかけてきたのです。
(この末法の世に、天上界からメッセージが日本に伝えられたのもその為です。)
神に聞き従う者が、悪魔の心に生きる者と理解し合える、通じ合える訳がありません。
相手を信じるということは、相手の善悪の判断が信頼出来、
且つ善(真理)に対して謙虚である限りに於てしか成り立たないのです。
善を信じぬ者の信義を信じることは愚者のすることです。
悪に歩み寄れば、善を貫く意志は失われるでしょう。
効力の失った塩は、最早塩ではない、
捨てられるだけであるとイエス様も仰しゃっています。】
自由を奪われ精神を拘束されて、あなたは生きていけると思いますか、
生きたいと望めるでしょうか。
そのような世界で何を信じて生きていくのでしょう。如何なる希望が持てるのでしょうか。
希望が何も持てないで生きるということを、そのような心を想像出来ますか。
この共産主義とは、悪魔と心を同じくする、人々の魂を、生命を、自由を失う恐怖で縛り付け、
自己保存という動物の心に人が生きることで維持する、悪魔の心を信念とするのです。
共産主義が人間の精神を、理性を破滅させることはお解りでしょう
(それを認めぬ者は理性がないのです)。
滅びようとしている国を、同胞を守ろうと自分を擲(なげう)つ人々の心は
天上の神々と同じ善を愛する心です。
このような魂は、天国のすべての善霊と一つとなって、神の意志が表れるのです。
それが真実であることをメッセージを通して天上界は証されております。
己が国が、己自身が滅びに向っても尚、心の目覚めぬ者が、
己を知らぬままに滅びに任せるは忍びず、救いの手を差し伸べられてきたのが現天上界です。
心の目覚めた者なら、このイエス様の、ミカエル様のメッセージは伝わるものと信じます。
真の己(神の心)を知る時、自らを救うであろう。
そのような者達が自らを擲って国を守るであろう。
その愛がなければ神の国は築けないのだと天上界は伝えられました。
己を知れ、己を救え、国を救え、神の国を作れ、
これが現天上界高次元に在します神々(聖霊)の御意志です。
(※5注。
天に導く立場にある者が、信じて従った信者の信頼を裏切り、
彼等を地獄に、悪の心に導いた宗教指導者の方が、
(盲いて悪に従った信者よりも)罪が重いと聖書にも書かれています。
互いの天への信義を信じる仲間を唆して天に背反させた者の、
また神々に愛され信頼されて神々の高次元に在った者の裏切りには
極刑を科すと言明された現天上界の、正義を天国を悪から守らんとする御意志は、
聖書の伝える神のそれと変る所はありません。
日本共産党や公明党よりも中国共産党(悪魔)に魂を売った自民党議員は罪が重いのです。
【真理を知ることなく、闇の世界に、共産主義国に育った共産主義者よりも、
共産主義の悪を知らしめる民主主義の、真理を知る自由の下に育つことの出来た者が、
真理を愛する心を育てることなく、共産主義に共感する非情な心を育てた者の方が罪が重いのです。
真理を知っていようといまいと、真理に素直に生きる心を天上界は愛されます。
真理を拒む邪悪を知らぬ美しい心を天上界は愛されます。
真理を知ることのなかったが故に真理に生きることのなかった者も、
神を求める心を棄てない限り、神に見捨てられることはありません。
真理を愛する者を知ったが故に、その者を妬む、
真理を知ったが故に真理を、善を憎悪する心に自らを任せた者に、
悪を許さぬ善への意志が、神の正義が臨むのです。
「彼等が私を知らなかったら罪はなかったが、
私を知って(真理を知ったが故に)真理を拒んだ彼等の罪は逃れようがない」
とイエス様の言われたことはそういうことです。
神の慈悲を拒む魂に救いはありません。
神によって明らかにされた、全ての者が死後、神の前に立つことの意味することは、
神の真理が人に臨む、神の前に在ってその光が人の心を貫く時、
この世の誰をも、自らをも騙してきた邪悪が、本性が表れるのです。
神が裁かれるのは、それまで隠されてきた本当の心、魂なのです。】
自民党は日本を、日本国民を守る義務を担った、国民からの信頼を受けた党であり、
その党の一員でありながら、その義務を捨て去った者は、
天上界を裏切った善霊と変る所がないのです。
悪霊よりも天上界を裏切った善霊の方が天に対して罪が重いのです。
【腐敗した政治家の風当りは厳しいものですが、
真の政治家の理想を、嘗ては胸に抱いて政治家を志した者の堕落ほど
(自覚せずにこれまで生きてきた者にとって、それを思い知った時)、
人の絶望は計り知れないものかも知れません。
神の如き善なる業をも為せたであろう、自らに与えられた力の前に、
善の思い、人を善に生かそうとの思いは、人を従わせる支配欲に取って代り、
人の従うは、人の望むは欲望の満たされることであると、
利益に生きる心以上に信じるに値する心はないと互いを堕落した心に繋ぎ止めて安心する、
互いに悪に生きれば裏切られることはない。
嘗ては国民の僕として尽くさんとの志を抱いたとしたら、
誠に高貴な者の堕落ほど耐え難いものはないでしょう。
嘗て天使が堕落した時、悪魔にまで堕ちたという。】
それにしても利権を行動指針の第一にしているような者や、邪教に魂を奪われてしまった者や、
己を高しとする者の常で、出世欲や権力欲に憑りつかれたような者が、
自民党に増えたようです。
しかし自民党がダメだから政治家がダメになったのではなく、
人間としてダメになったから自民党がダメになったのでしょう。
ダメなのは自民党だからで納得している人は、
器に相応しくない権力を得たばかりに(欲に駆られた取り巻きの邪心も見抜けず)堕落し、
破滅していった政敵、また党を、嘲笑う心しか持たぬなら同じ轍を踏む者でしょう。
神に生きる心を知らず、天へと導いてきた神の思いも伝わらず、
神の思いを感じないは、鈍き心故であることも気付くことなく、
堕落する心の弱さを自らに認める謙譲を持たず、己は正義を貫く者と信じる、
神を見出す(神の思いの伝わる)ことなき心でありながら
自らは真理に従う者と慢心する、
そのような心にあって、真の神に繫がり得た者が一人でもいるでしょうか。
自民党を叩くことで高慢な思いに繋がることは出来ても、
互いに善なる心に働き掛ける、善なる心の目覚めることはないでしょう。
日本が共産主義独裁国家という外からの脅威に晒されているのみならず、
この国自らが、真の救い、真理から人の目を奪う、
人の心を損ねる思想や宗教や偽りの幸福によって侵されてきたのであり、
自分を助けてくれるのは誰であるか、その指導者に依存するように、
依存心からの成長を奪われてきたのです。
自分がどう生きるべきか、自分を知ることが、
真に人の求めるべき良心が天に繋がると知ることが、
真に(自己保存、虚栄心、邪念からの)自由を齎すという天の導きを奪われてきたのです。
徳を学ばず、欲望に生きるを自由と謳歌する社会観を信じて
日本人は堕落してきたのではないでしょうか。※5注終)
(※6注。
人類の歴史は、国家主導による外に向けられた破壊、略奪によるものであろうと、
邪教、思想(イデオロギー)による人の心の破壊、即ち国の内部からの崩壊であろうと、
常に悪魔と(その手下であり、その邪悪を本性とする)悪霊が働き掛けてきたものです。
近代に於て、天上界の指導により、神の愛とは理性である
〖たとえ遺伝により優しい心を、感受性を与えられた者であっても、
知性、大脳の開発がなければ、悪霊の邪念(憑依)、
即ち念波という物理的な力に屈することのない善の意志(神の心の持つ善なる波動)を持てない〗
と理解されるまで人類が導かれた、
そしてその理性 ー
神の教え(徳)を理解することで獲得される ー を破壊する、
人類の心を、真の神の思いをも拒絶する心とする為に、
悪魔の邪念の結晶であり、人の心に悪魔の心を作り出す、
悪魔の神への、神の心への憎悪の念から生まれた共産主義が人類の心を侵して行ったのです。
その破壊力は、悪魔の心を自らの心としたと言えば、納得されるでしょうか。
共産主義者の亡霊が天上界を、善霊を滅ぼそうとするほどの悪魔の心を得たのです。
人類は古代の野蛮な人種ではない、理性を獲得したのだから、
(共産主義の独裁国家であろうと)国家による侵略などない、虐殺など起きない、
そのようなことを信じる者は右翼であるというメディアは、
悪魔の共産主義国家の傀儡であり、
悪魔に魂を売った者であると納得されるのではないでしょうか。※6終)
"自己を愛することから自己を知ることへ"
良心の咎めも知らない、盲目な自己愛から踏み出そうとしない心は、
殻の中で温まっている雛(井の中の蛙とも言われる)の如き未熟な精神です。
成長した精神が如何なるものか知ることのなかった者です。
守られることにしか関心を持たない、守りたいとの思いを向ける他を見出すことがない。
自己の内なる世界だけに生きる者は、外なる世界に、他者に働きかける愛のない心であり、
人からの愛を受けても、愛に応えようとする心を知りません。
自分の心がどのようなものであろうと問おうとしない自己愛にあって、
保身が脅かされれば、その為に義を損ねようとも意に介さず、簡単に人を裏切る。
それを恐ろしいと思わない心に、神も真理も伝え得るものは何もありません。
どのような心を自分は愛するのか、
その人(の心)を裏切らない心を自らのものとする為に、どうすればよいのか。
良心に生きるということは、人の良心を信じること、人からの信頼を裏切らないこと、
人と良心に於て繋がろうとすることです。
人を生かす、人から生かされる自分とする為に、自分を知らねばならないのです。
今ここに生きている自分を知ることは、
自分を含め自分の関わっているものを生かす為に何をすべきか、
何が出来るかを考えない者には出来ぬことです。
周りに迷惑を、不快を与えても気にも止めない自己中心主義に生きる者は、
自己愛の中で認識する自分(偽我 ー 真の愛に従わぬ心)を本当の自分(真我)と盲信する時、
自己保存の本能は、偽我を自己として守ろうとします。
自己に執着した(自己弁護の)心から離れることが出来ない為、
偽我に生きていることが解らないのです。
執着から離れることをブッタ様が言われたのは、
そこから離れることで真我を見出されたからでした。
自分が何によって生かされてきたのか、真に己が心を支えてきたものは、
己しか愛することの出来ぬ自己愛ではありません。
自己の内に在って、導き続けた他者(合体霊、そして守護霊)による愛であることが、
初めて天上界によって証されました。
神の心に生きる合体霊(善霊)の心を宿しながら彼等の声が、
思いが盲いた私達の心に伝わりませんでした。
(私達は自分にも、人にも見えるこの世だけが生きる世界と互いに認め合って、
信じ合って生きることで安心するのです。
あの世も、神も存在すると信じる者も信じない者も、真実を知ることは出来ないものと、
皆がそう思うことで安心してしまうのです。)
合体霊の思いの、善なる波動の伝わらぬ心に生きるならば、
同じ善なる心、波動である神の思いも伝わることはありません。
良心の声を聞けと言われてきたのは、神はその思いを天からの遣いである、
私達の内に存在する善霊を通して伝えようとされたからです。
彼等の声(意志)の伝わる者だけが、神の声に聞き従う心を持てるのです。
合体霊の存在を知らなかった人類は、それを良心の声と呼びました。
良心の声(善霊の思い)が伝わらない者、拒んでいることの判らない者は、
善霊の波動と異なる悪の想念(偽我)に生きる者です。
己を生かしてきた、自分に向けられた思いを知る者となる時、
(救われる為に)どうあるべきなのか、どう生きることを欲するべきか、
真の望みを知るでしょう。
本当の望みを知ることは、真我を見出して、その心に生きようとする、
神の心に目覚めた者です。
真に己を知ったなら、心の目が開いたなら、人にどう思われたいとか、思わせようといった、
虚栄心は無くなるでしょう。
人の心の中の偽りの自分として生きようとするのが虚栄心です。
真実の己を知ることを望まず、偽りであろうと良く見られれば、
自己満足出来れば良いとする心です。
人の目に映ずる見せかけの、繕った己が姿にのみ心に掛け(※7)、
人の目には、己自身にはごまかせても、神の目から逃れることのない本当の自分の姿(※8)
を認めようとしないのが虚栄心です。
自分のことを一番知っているのは自分自身です。
人を真我(人の知るべき真の自我)から、内なる神の心から遠ざけているのは、
偽我に生きる己自身を悟らせまいとする虚栄心です。
人に良く見られたい、好意的に扱われたい(自我を傷付けたくない)、
羨ましがられ己を高しとする自尊心を満たしたいといった、
自意識に縛られていることが解らないのです。
自意識から解放された心というものが、
人の幸せが自らの幸せになる心というものが
存在するということを想像出来ないのかも知れません。
偽りの光であることが解らず、虚栄に惹かれてゆくのでしょうか。
自分自身を繕う、騙そうとする虚栄心なる心は、偽我から来るものです。
虚栄心の現れは、自らの心が偽我であることを知る故の自己保身の現れでありながら、
偽我を隠さんとするあまり、己が心を直視することが出来ないのでしょう。
露見への恐れから嘘を吐く衝動に駆られるように、
真理に生きられぬ己が心の本性を認めることに耐えられず、
自己欺瞞なる偽我に逃げ隠れるのでしょうか。
悪に負けない善なる心を、悪魔の甘言に騙されぬ知恵を
得ようと自らを研磨に掛けることなく、
愚かな心に相応しく、自らを、神をも騙そうとしている虚栄心を悟れないのです。
(※7注。
何故、人に良く見られたいと思うのでしょう。あなたがその人を愛しているからでしょうか。
ありのままの自分を知ったら、愛してくれなくなると思うのでしょうか。
人を信じる意志を持たない内は、人の愛を疑う心に生きる内は、
人からの証を、愛を求め続けます。
人に認められないと自分を信じることが出来ない、人の心を支えに生きようとするのです。
真に自由であることを望むなら、自らの意志で立つことからしか始まりません。※7注終)
(※8注。
オスカー・ワイルドの描いた「ドリアン・グレイの肖像」は、己が心の醜悪を知る
(真実であると受け止めた)時、人はどうなるかを語るものでした。
誰も、人の心を見ることが出来ないならば、文学以上のものではないでしょう。
しかし天は、人の心のすべてを知るのです。
合体霊、守護霊が見てきたからです。
天の審判の場ですべてを知る彼等にその心を証される時、
今まで目を背けてきた真の己が心に向き合うのです。
心の価値を定める天の法(常に天の伝えてきたもの)に依って測られた時、
己が心(魂)に救いのないことが解った時、
絶望に耐え得る如何なるものも人間には持ち得ないことをワイルドは表しました。※8注終)
虚栄心に生きる者は自分が愛すべき存在であると信じられることが生きる目標となる、
それを脅かすものは、それが真実であれ、真の己の姿であれ、
そのようなものは、自我を崩壊させるに過ぎないものです。
自己保存にのみ生きようとする醜い、悪魔の如き心を天の光の下に明らかにされる時、
天を憎む、天に反逆する者とならざるを得ないのです。
天の法に生きる者だけを救われる神を認めない者、
天の法を犯しても罰されるとは考えない者、
天の法も、法を守る神の存在も、己が善なる心も顧みずに生きてきた者、
罪に身を任せて自ら滅びようとしていることも意に介さず安穏としている者、
天の救いが、救いに与る心が、如何なるものか理解しようともせず、
自分が天国に迎えられるのが当然の如くに思ってきた者は、
天の救いの手を、天の慈悲を自ら拒んできたことを知りません。
自らを救えと、その為に自らを知らねばならないのだと天は伝えられるのです。
己を知らぬ者とは、自らが滅びようとしていることを悟らぬ魂です。
真なる自我を滅ぼそうとしているのが、盲いて偽りに生きる己自身(偽我)です。
天上界が伝えてこられた自らを救えとはこの事です。
偽我とは如何なるものか理解せずに、己が偽我を悟ることは出来ません。
(天上界はメッセージの中で、悪について、偽我について詳しく教えられました。
真の知恵が如何なるものか、このように語る方を誰が聞いたでしょうか。
彼等は聖書に記されている七大天使を名乗られます。
彼等が真の神の使いであるか否か、私達に判別せよと、
その為の智恵を持たねば彼等の伝える真理は理解出来ないであろう、
そして偽りの天使をも見抜くことは出来ないであろうと仰しゃっているのです。)
自らの内に神の心が在ることを、その心に立てるのだと知らされることがなかったら、
真の自分を知ることが出来たでしょうか。
偽我を、偽善を、自己欺瞞を見抜き、相容れることなき真我に目覚められたでしょうか。
神の心を持つことを知らないで生きてきた人々に、
良心こそ生ける神の心、思いであると理解されたのは、
神への愛に生きる魂(合体霊)が、人々(合体者)の良心となって導くように
天より遣わされてきたからでした。
良心に生きることで、神の心を自らのものにすることを、
自らが神の愛に生きることを天上界は願われておられます。
〖備考
自己保存の本能に従うことで心は、その人独自の癖
(性格でもあり、環境に適し易い条件反射)を作り上げます。
自我が、不安や恐怖心から危険を覚えた時、
自己保存(危険を回避しようとする)の本能が強く意識を支配します。
その時の行為が、良心に適わない行為であろうと、
自己保存に従って生きることを選び取ってきた心には、
自我が傷付きさえしなければ良いと、他の非難を、己が良心の呵責を受けなければ良いと、
偽善に、自己欺瞞に生きようとします。
真の自分の心が如何なるものか問わぬ、
ただ自分の存在を守るのが善という価値に生きる心(条件反射)を作っているのです。
自我を守ることを善と信じ、自分を優位にする為に吐いた嘘の為に人を苦境に陥れようと、
良心の呵責から逃れる為に、嘘を心から消し去ろうと、
真実(が何かなど問題ではない、自分が有利にするものが真実である)だから言ったのだと
本気で思い込んで行きます。
これなどは防衛機制と言われる心の働き(自己保存)です。
自己保存の本能に従うことしか意識されない心は、
良心に立って、自らを善悪の判断に従わせることは出来ない事です。
自己の誤り、過ちを認める意識を奪う、自己肯定の意識(偽我)しか持たない者は、
嘘や論理のすり替えを無意識に行うのです。
このような心は悪霊と同じ心(善霊の思いを受け付けません)ですから、
容易く悪霊に侵入を許します。
その時、偽我(良心を顧みない自己保存の心)は更に強められ、悪霊と変らぬ心になります。
(自己保存、自己愛の思いからの)感情や考え方を、理性に基づくものとするには、
従うべき法(真理)に生きる指針を見出した時から、
今までの(間違った)条件反射を無意識に繰り返そうとする心の傾向に打ち克つ
強い意志を持つと共に、正しい条件反射を築いてゆく、
その時、真我へと真の心の成長に向って歩み始めることになります。備考終〗
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様