"美しい心とは"
現象テープ№21 80年4月13日 ラファエル様現象より
「美しい心 ー あなた方は他人の幸せを願う時に、
自分で何か清々しい一種独特の飛躍的な気持ちになるのを感じたことはないでしょうか。
あると思います。
その心を常に失わずにいてほしいのです。
又それは思うだけであってはなりません。実行されなければならないのです。」
人の幸せを願うとはどういったことなのでしょうか。
例えば悪を為す人への怒りや憎しみが湧いた時に、
そういう人の幸せを願うことは心理としては不自然であると思いますが、
そのような人に苦しめられている者のことを思えれば、
怒りに自分を見失わない心を育てて行けるのではないでしょうか。
自分だけが厭な目に遭っていると思うような時でも、
人もそうであると人のことを気遣う思いを失わない心が、
自分は人よりも幸福ではないのだから、自分が人の幸福を願ってなどいられないといった、
自分を人よりも優先しようとする醜い心を嫌悪する
(そういった偽我を育てない、偽我の芽を摘む)心を育てることになると思います。
研磨するというのは、そういった意識(善を求め、愛する意志)が常に伴うものです。
自らの心を正しく育てるのはその意志に他ならないのです。
その意志がないならば、自己欺瞞、自分を有利に考えようとする心を許し偽善を為す、
それを以て善であるとする自己愛に満足する心に人を留めるのです。
そういった偽善を、自己欺瞞を許さない心を、真理を、善を愛する心というのであり、
そのような意識が真に人の幸福となる(人の偽我を満たすものではない)、
人の神の心を以て満たす真の善を為すのだと思います。
自他共に(人の神の心を損なう、人の心を不幸に導く)偽我を知り、
偽我を許さない善我に生きる意志を育てようとする、
それが魂を研磨する(偽我を失くす)ということであり、
神々でさえ今も研磨する心を忘れないもの、
その意志無くしては善に徹する心を持ち続けることは出来ないと、神々は仰しゃいます。
それが出来るのは人間だけである。
その意志を以て神々は人類に証されたのでしょう。
私達に出来るように、あなた方もそれが出来る、同じ人間であるからと。
「JI」90年10月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「そしてまた、目的がそういった崇高なものであれば、
たとえ戦火の合間にでも、兵士は泥土の上の進軍に、道端に咲く一輪の花を踏まずに通ったり、
家族からの手紙に涙したり、小鳥を愛でたり出来る心の余裕と人間性を保ち得るのです。
アフガニスタンやニカラグア他の自由の戦士達、延いては二つの大戦中の関係国(非共産国) ー
自由諸国の兵士達は真(まこと)にその通りです。
戦いが人を荒ませ、非人間性にするのではなく、
どのような目的と心で戦いに参加するかが大切なのです。」
明日戦場で死ぬかも知れない、
そのような状況にあって一兵士であっても、
このような美しい心を持つことが出来ることをミカエル様は語られました。
「現代訳 論語(子罕第九の二五)」下村湖人訳
孔子がいわれた。ー
「大軍の主将でも、それを捕虜にできないことはない。
しかし、一個の平凡人でも、その人の自由な意志をうばうことはできない」
如何なる力(恐怖で従わせる、欲望を叶えさせることで堕落させる)、
悪魔の力を以てしても屈することなき神の心を、
一兵士に、一個の平凡人(匹夫)に神は与えることが出来るということです。
勿論、一兵士、平凡人というのは、
この世の価値観によって与えられた規定(ランク付け)であって、
彼等の本質を表している訳ではありません。
彼等は神の子です。この世の権力者など足元にも及ばない人格です。
このような美しい心を貶めずにはいられない輩がいます。
国を、同胞を愛する者を、国粋主義者と貶め、
侵略者を防ごうとすれば戦争を起こす者(国民に犠牲を強いる権力者)とレッテルを貼る。
かつての社会党は、ソ連が攻めて来たら白旗を振って歓迎しようと言ったことでも
その本性が解りそうなものでしょう。
彼等左翼は日本国民ではなく、共産主義国家の同胞だった訳です。
左翼の本性というのは、目的を達成する為に、
敵(日本人のことです)に同胞であると信じさせる、
日本の平和を守る(戦争に巻き込まれない ー
善人が、義人が迫害されようが日本に何の係わりがあるか、傍観に徹する)
為に私達は戦争狂と戦っていると信じさせる、それは最初から日本人を騙す為なのです。
そういう心を悪魔の心というのです。悪魔が用いてきた常套手段です。
天上界の愛する心、同胞を守ろうとする心は、
天国の善良な魂を守ってきた天上界の心と同じであることが理解されることと思います。
美しい心を踏み躙ろうとする心は醜いのです。
そのような心を許さない思いを持たないなら、その者は美しい心を知らない者、
美しい心への愛のない、悪霊と変らぬ者です。
悪を悪と知ることなく、憎む心のない者は、
善を知らないのであり、善を愛する心を持たない者。
そのような者が、自らを善を愛する者のように人に信じさせようとする、
その心以上に善を貶める心はないのであり、
如何なる悪人にまして偽善者を天上界が憎むのはご存知のことと思います。(2026.7)
