天皇の存在
エッセンスの第二部、第二章、三節 現天上界と古代日本からの抜粋です。
〖備考1
ヘフジバ(天照大神)の合体霊はサリエル元大天使でした。
ヘフジバへの迫害に、彼女の心の中で、共に苦しみ、彼女を支えたのであり、
ヘフジバを迫害したダビデ(エル・カンタルーネ王)はサリエル様をも迫害していたのは
言うまでもないことでしょう。
サリエル(レイナ・エル・カンタルーネ)様は今生に於いてダビデの娘でした。
肉体に於ても霊体に於いてもダビデに迫害され殺されたヘフジバは、
サリエル様にとって愛する我が子そのものであったことでしょう。
神に愛され、神の御意志に生きた神々の娘を殺す者が、
親族故に天上界にいることは耐え難いことであったに違いありません(※)。
善を語って善を為さない(偽善)者を天上界は許されません。
職務であるところの義務に反することを為す者が許されないのはこの世ですらそうでしょう。
天にあっては申すまでもありません。
国民(仲間に対しても同じ)を守るべき立場の者が、その立場を利用して悪を為す、
国民に危害を加えることで、自らを利する。
そのような者は偽善者以上に許されざる者でしょう。
親が子供を迫害する、まして親に逆らえないような精神に追い込んでの迫害などは鬼畜の業です。
天上界は(人を導くに値しない)盲が、
(道に迷う)盲を(サタンの道へと、滅びへと)導くを許さない、
かつては人類を守ろうとした善霊が、ただ自分を守りたい一心(既に悪霊と変らない)から、
人類に地獄の苦しみを与えんとする悪魔に魂を渡す、
善なる神を裏切った善霊は、悪霊以上に罪が重い、救い難い魂であるのは当然でしょう。
(国民を守るべき自民党が、中共の利を計り、報酬を受け取る。
キリストを銀貨30枚で悪魔に売ったユダと同じことをしているのです。
悪魔に魂を渡した者は、見るに堪えないほど醜いことを為す。
己の魂に比べて無に等しいようなものを得る為に、
自らの魂を滅ぼそうとしていることも解らない、
悪に抗する力を、善を欲する心を失ったのでしょう。
(※注。
「天国の証」 天使の詩集より ガブリエル大天使
天 使 の 誓 い
「溶鉱炉の火となりし 天使の魂は 悪なる魂を焼き尽して止まん。
犯すべからずして 神聖なる 天上の国を 汚(けが)すものは誰ぞ
サタンの名にて 九次元を荒す その冒瀆の思いにて 傲れる心は
たとえ我等が父 エホバの 慈悲と許しあろうとも 我は許さじ
辛酸を嘗めし 数億年の思いは 我等の心を閉ざし至り
比ぶれば 遥かに ルシファーは 良き魂なり
ベー・エルデより 地球を己が王国にせんと来たり 善霊を操りしサタンよ
今汝は宇宙の屑となりしものなれど その思いはどこに向わんか
我等の国 光の天なる国は 二度と悪なる魂を許さず 容認せず 語ることもなからん
たとえ粒子の 微塵に砕けたる形にても 復讐を企みたるならば
その思いは 我が魂の 永遠なるエネルギーにて 破壊せん
戦いの戦士として 大天使の翼もて 汝の思いを探り 破壊せん
我が誓いの永遠なるを知るべし
善なる人々と 霊魂の幾千人を 犠牲にせしか
我等の正義の怒りは 溶鉱炉の火となり 塊となって 汝を追跡し
宇宙の果てまで 汝の企みを見破らん」
備考1終〗
〖備考2
皇室の祖は天照大神であり、女性でした。
しかもそれを立てられたのが唯一の神、ヤーウェ=エホバ神であられた。
天皇で在る前に彼等は神の僕であった。
彼等は民にとって手本であった。神を敬うその心が民に伝わったからこそ、
民は天皇を敬う心を育てることが出来たのだと思われませんか。
天皇が神のように思われたから、それとも権力を求め手にした権力者だから、
民は天皇を敬うようになったと思われるのでしょうか。
天皇とは神を見出し、神の導きに従った人々の王でした、
真の神の立てられた王でありました。
天国の扉で、サリエル様は本体である天照大神を通して正法を語られたと証言されました。
倭奴王国の女王であり、皇室の祖となられた天照大神が正法を伝えられたのです。
天照大神によって伝えられた神の教え、正法は、ヘブライ語と共に封印され、
今ではその心を知る者がいない神道、神によって導かれる道とは、正法のことでした。
(ヘフジバ(天照大神)は夫(ヒゼキヤ王)と子を南ユダ王国に残してこられたので、
現皇室は彼女の子孫ではありません。)
天皇が男性でなえればならないというのは、少なくとも神が決められたことではない。
これまで男性が天皇で在られたのは、天皇がそうしてきたのである。
男性でなければならないと神に言われたわけではない。
天皇がそうすることを神が許してきただけである。
神が許されている天皇のされること(人道に背くものでないこと)に、
国民が口を挟むのは神を軽んじる者です。
敬う心のない者に、神も天皇も存在しないに等しい。
敬う心があれば、神が、天皇が望まれるようになることが喜びになるのではないか。
天皇が皇位を誰に譲るかは自由(※1)
〖天皇家の血筋を守る意志によるものであるばらば。
そうでない場合がある、天皇と雖も悪魔から安全である保証はないからです。
王妃ヘフジバの子マナセ王をサタン・ダビデは悪魔に変え、
高橋信次氏の娘である佳子さんの合体霊は、女王卑弥呼
(王から天皇に名前が変ったのは聖徳太子の時代からだそうです)
であり勿論善霊であったのですが、サタン・ダビデから佳子さんを守ることも、
自分自身を守ることも出来ませんでした。相手がサタンでは無理からぬことでしょう〗
であるべきではないか。
仮に長男が自分より次男が(長女が)、いとこであろうと(血統が守られるなら)
人格が優れているから(それを尊ぶことこそ天皇家を国民を大切に思う意志の現れでしょう)、
天皇になるのが相応しいと、その性格を天皇家に遺伝していきたい(※2)と望まれるなら、
それを許さない人を指示することは絶対に天上界の御意志ではないと私は思います。
昔のように誰も天皇の御人格など知らないで済む世の中ではないのだから、
人望がなければ、天皇になる者も、天皇を戴く国民も不幸なことだと思います。
天皇が次の天皇を決めるのが相応しいのではないか、
そのような皇室を戴くことに不満を抱く人は皇室を信じていないのではないか、
天皇は男性でなければいけないという人が天照大神を、彼女を立てられたエル・ランティ様を、
その信義に生きられた真に高貴な御人格を愛する心があるのか疑わしく思われるのです。
現憲法が日本人の心を如何に規定したか。
天皇の自由を奪う権利が国民にあるとしたのであり、天皇は憲法の中に生きる自由しかない、
憲法を変える自由は国民が持つのであり、天皇には与えられていないではないですか。
国民の得た権利は、天皇よりも国民が上である、
そう規定した憲法に国民は同意しているのです。
天皇が象徴であることを望んだから法律で規定したのでしょうか、
規定することを天皇が望まれたのでしょうか。
何千年という歴史に於て象徴とされた天皇がこれまでいたのでしょうか。
象徴として存在することを規定された王が世界中に一人でもいたでしょうか。
天皇が象徴として存在することを望んだ日本人が嘗て一人でもいたのでしょうか。
少なくとも天皇を愛する者にそのような者は一人もいなかった、
現実の人格を愛する者がその者を象徴として愛する、
そのような心理が如何なるものか、理解出来る者がおりますか?
天皇を象徴する権威を貶める者が、象徴天皇などと法で規定している、
その偽善を国民自らが刻んでいることを恥ずかしいと感じないのでしょうか。
共産主義独裁国家になれば彼等は、我々国民は天皇の権力を奪い、
国民を解放したと憲法で謳うことでしょう。
共産主義者が自らを低くして高貴な者を敬うことはあり得ず、
共産主義者に堕落した国民の王となる、
真に高貴な天皇が共産主義者の王にまで自ら堕落させるなどあり得ないことです。
象徴天皇とされても、真に天皇を敬う日本人があることはまだしもです。
天皇は神の立てられた存在であることを伝えるなど、
悪魔の共産主義国家であっては不可能だったでしょうから。
(全くの架空の話ですが、共産党が与党になったとしましょう。
共産党は天皇を憲法から消そうとするでしょうが、
権力の味を占めて、天皇を外交などで利用することを考えるようになったとしましょう。
天皇を象徴などと在ってなきが如き存在に貶めた共産党に、
天皇に許されるような価値など全くない(神が許してはならないと仰しゃった)存在です!
共産党政府を擁護するが如き政治活動は一切拒否して当然、
そのような邪悪な権力に従わせることを可能とするような憲法の存在を
許すような国民(そのような国民へと堕落させる為に作られたのが現憲法なのです)
であってはならないのです。
憲法が天皇に対して規定することが許されるとすれば、
法を以て天皇を規定することは許されない、といった程度で十分ではないでしょうか。)
現天上界の神々は人間の霊であることを歴史上初めて証されましたが、
彼らが高貴な魂にまで研磨されたのは、
高貴な存在(の魂)を人に見る心いうのは、人を敬う心というのは、
自らもそのような心に在ろうとする、そういう心に生きることで、
自らの魂を神に生きる魂へと育てていこうとするものです。
彼等さえ、自らの意志を以て魂を研磨した、
その意志こそが神へと導いたのであり、
神の御意志と呼ばれるに相応しいものとなったのです。
自らの意志以外に自らの魂を研磨することは出来ない、
それを望まない者はそのようにならざるを得ないのが人間なのです。
神の道を歩む者に堕落した者がいるでしょうか。
皆サタンの拵えた道を喜びながら、悪魔の心を満たしながら堕落したのではないですか。
天皇自らが天皇で在るべき道を歩まれる御意志を尊重せずに、
天皇の何を尊重しようと言うのでしょう。
天皇を戴くことを欲するならば、
天皇の御意志に協力することを欲するのが国民ではありませんか。
それを望まないなら天皇が与えられるべき国民ではない、
国民に神が導かれた天皇を戴く資格はないのです。
それが天皇を戴くということではないですか。
神の御意志に与る存在として、民が神を、神の御意志を見出だすべき存在として
与えられてきたのが天皇ではないのですか。
その天皇を民の法によって規定しようとしているのです。
何を以てそのような政治家を信じるに値すると判断されているのか。
神が神であるのは神の心を、神の知恵を、神の愛を持つからです。
それを持たぬ人間が神に向かってどうしろという資格など人間にある訳がないではないですか。
天皇を憲法で規定する、それも日本人ではない、
それも神の心の欠片もない共産主義者が天皇の力を奪うことを目的に作ったものです。
悪魔の鎖で以て天皇を、神の民の心を支配している、
そのような憲法に同意している心自体が
彼等に飼い慣らされてきたことを証明していると思われませんか。
(天皇を天皇と敬う心のない国民の心に天皇の存在などないのです。
だから象徴などと人を軽んじる心から生まれたものであることさえも判らないのでしょう。
神の心を捨てた者を救うことは神でも出来ないと言われている意味がお判りでしょうか。)
天皇がどうあるべきか見出さなければならないのは天皇以外にないのであり、
自らを神の子、神の民とするのもまたその人以外にないのです。
自分の為に、誰かに対してかくあらねばならないと主張する資格のある者は
一人としてないのです。
(自分を含めて義務を負うべきと考えず(自分を免除して)
人はかく在らねばならないなどと言うのは、自らの心を知らぬ左翼と変りません)
自らよりも優れた人を認める心なくしては、優れた者と繋がることは出来ません。
優れた者(の心)に対して謙虚な心になれないなら、
敬うべき者にも敬う思いを抱くことがないのだから、
優れた心と繋がることのない者なのです。
(高貴な者を敬うことなき者が)国民の望むように、天皇は(高貴な者は)かくあるべきとする、
それを象徴と呼ぼうと何と呼ぼうと、
卑しい(己を高しとする)心から生まれたものであるのは明らかではないですか。
天皇を戴く国民に必要なものは、皇室を、神の民を導かれた天上界を敬う心であり、
日本人を導いてこられた神の思いを、知恵を理解することも出来ない者に、
自分の愚かさに目覚める知恵を得ることはありません。
象徴として在る為に、天皇が神から与えられてきた権利も全て奪い取ったのが共産主義者です。
天皇に対する敬愛を失わせる為に、象徴などという、人の感情を希薄にさせる言葉によって、
天皇に抱く国民の心を堕としめて行く。
日本国民に高貴な者を敬う心を顧みない、人を思い遣る心を摘み取り、
冷酷な革命分子を育てる、それがニューディーラーがこの憲法の込めた悪魔の意志です。
人の自由意志の内に(於てのみ)生きる法、人の心を導く真の指針は神の法です。
人を神の法から背かせるものから、人の神の心を救うのもまた、神の法以外にない。
如何なる国の法も、真の神に従うべきもの、人の心の幸せ、平和は神の心に於てしかない、
人の心を破滅から守るものは神の心しかないからです。
神の法に生きるを以て、日本国民は神に守られてきた、神の心を見失わず生きてこれた、
神を敬う心を育てることが出来た。
天皇を敬う心を通じて、神に繋がってこれたのが日本人ではなかったでしょうか。
天皇は、(ユダヤ人共産主義者に操られて)国民(の代表)が作った法によって、
規定されるべき存在ではありません。
神の法によって生かされてきた、神の法に与るべき存在です。
日本国憲法如きものが、神の法に与る天皇を規定しているのです。
神に与るべき天皇を神の御意志から奪い、この世の法を以て従わしめてきたではないのですか。
神の法に従う者が、神の御意志を理解する者が、
神の御意志の現れである法を以て天皇を神のものへと解放する為に
法を作ろうとしているとでも言うのですか。
誰が天皇になるかを規定する資格がこの世の人間にあると信じる、
その高慢が何処から来ているのか解っているのでしょうか。
神のものは神に、天皇のものは天皇に帰せよ、それが神の御意志ではないでしょうか。
天皇を立てたのは、これまで天皇を守ってこられたのは誰だと思っているのでしょうか。
神の天皇に与えられた自由(それは信頼に他ならない)を奪う権力を、
法を民に与えたのは誰であるか、なぜ知ろうとしないのか、それを何とも思わないのか。
神を敬う心なき者、天皇をこの世のものと考える者が天皇を敬うとは如何なる心からか。
天皇自らの御意志を尊重する心があるなら、
神の人を生かす愛、神を信じることさえ人の自由意志に委ねられた
神の人類への信頼、愛を見出せぬ筈はないのです。
(天の王国の王を誰に継がせるか、
それを法に定める権利が天国の住人にあると言う者がいるでしょうか。
天国に迎え入れられる人の基準は、神の法に生きる心であるか否かですが、
それを判断するのは、真の神の心以外にないのです。
神の叡智以上の智慧を持つ者はいない、智慧を愛する心はない。
神に生きる、神の治める国に生きることを願う心とは、
真の神への全き信頼以外にありません。
神への、神の愛される者(天皇)への信頼のない者達が、
天皇を継ぐべき者を天皇ではなく、国民によって決めようとしている。
彼らの高慢は己を神の位置にまで持ち上げている、
そのような人々に日本国民は従っているのです。
自分の跡継ぎを決める自由も奪われる、自分がそれを強いられたらどう思うのか。
人にされたくないことを人にしてはならないと、
それが神の教えであることも理解出来ないのでしょうか。
人の、国王の尊厳を踏み躙っていることも解らぬ者に、他を敬う心があると思われますか。)
日本国民は日本国憲法以外の如何なる法も、
その上に見出されるべき神の法の存在も理解出来ないでいます。
神の法はこの世の法に準拠すべきものであると考えているのでしょうか。
この世の法に従っていれば、それ以下である神の法に触れるなど、
この世が許している者を神の法が罰することなどあり得ない、
この世に生きる、数十年の人生経験しかない人間の作る法の定める善悪に従うのが神であると、
人の心に隠された邪悪をこの世は裁かないように、罪を犯しさえしなければ
(善を愛するという)神もそのような心を許し、天国に住むべき住人として迎えられると、
そのような存在が神であると考えるなら、人が神を顧みなくなるのは当然でしょう。(2026.5)
【人の作ったこの世の法が悪と認められないなら、神の善に相容れぬ悪も悪とされないなら、
神など無に等しいのであり、
この世の法に触れなかった悪に染まった魂がこの世から立ち去る時、
神の法の前にあって許されざる者であることを、
この世の法は魂を救うものではなかったことを思い知るのです。
数十年の人生を、この世を支配するのが現日本国憲法であり、
死後永遠に生き続ける魂を支配するのが天国の法、神の法であるならば、
神の法こそこの世の法の上位であるのは当然でしょう。
その魂である心を養うことが出来るのはこの世での人生しかないならば、
その魂を養う、神の法に生きる心を養う為に、この世は在るということであり、
その為にこの世の法を、人を神の法に生きさせるべきものにしなければならないのであり、
この世の法が神の法にあってのみ価値がある、この世の法は神の法に従うものであってこそ
法は人を生かすことが出来ることを悟られることでしょう。
自然の法を心に刻まれた生き物によって、自然は調和が守られている、
生き物の調和に生きる心が自然の世界を作っています。
この世に正義を平和を愛を齎すことが出来るとすれば、その心以外にありません。
人の生かされるを望む善の心だけが、人を信頼の心へと導くのであり、
真に平和を齎し得る知恵と意志は、他を守ろうとする心なくしては決して現れないのです。
(「人 その友の為に己の命を棄つ、これより大いなる愛はなし(イエス・キリスト)」
自らを守ろうとする思い以上に、苦しむ者を救いたいとの思いが勝る、
それが天上界の心に生きていた、天上界によって伝えられた、人の見出だした神の愛でした。
そのような愛が自分に向けられていることを信じる時、救いにあることを、
愛されていることを素直に信じられる思いになるでしょう。
そのような思いの伝わる心が神の心であると理解されるでしょう。
自分への愛を超えた心にしか、真の愛は宿らない。
真の愛は、自らへの愛に勝ることを知らしめるからに他ならない。
己の愛を誇る心に、真の愛は存在しない。
悪を許す心に、善への愛は宿らない。
この世の悪を許す心は、善を、神を愛する心なき者です。)
善の心を求めることなき心に繋ぎ止めて来たのがこの世であり、宗教でした。
他国を信頼すれば戦争をしようとはしなくなると、
そのような思想を植え込んだのが現憲法であり、
偽りの平和によって、真の平和を築こうとする心を奪われてきたのが
平和憲法を盲信する人々に他ならないでしょう。
己が幸せだけを求める、欲望を解放することで満足を齎す社会に人々を繋ぎ止めて来たのです。
正しい法を齎し得るとすれば、真に正しい神の法を見出した心によって導かれるしかないのです。
正しい神の法を顧みさせぬ法に正義など、国民への愛などある訳がないのです。
現日本国憲法は、神が導いてきた日本人の良心を奪い去り、
共産主義に立脚した悪魔の心を、人間の獣性を解放することを目論んだのであり、
そのような者達が操ってきたことも悟れずに、
そのような邪悪な心から生まれた現憲法の見抜く知恵を摘み取られてきたのが
現代の日本人ではないですか。】
国民に与えられた権利が如何なるものか
(自らこそ神に相応しいと、真の神を引きずり降ろそうとしたサタンの心と何処が違うのか)、
そのような権力を行使している自分達の心さえ知らない。
そのような権利を与えたのは誰か、何の目的があってのことか、
日本人はそれを望んできたことなのか。
真に日本人が望んできた心を知っているのでしょうか。
今の日本人の心がそうであると思っているのでしょうか。
現憲法の与えようとした"自由"の内に育てられた心は、
その為に高貴な者の苦しみも理解しない、それを何とも思わぬ心を育てただけではないですか。
自分の心がどうあるべきかも考えない者が、
天皇を立てた真の神の御意志を顧みることのない者が、神の御意志に従うことを望まぬ者が、
天皇はどうあるべきかと論じ合っているのです。
天皇は神が立てられた王です。
天皇が神に背く心に生きるなら、天皇は神に見棄てられる者です。
その事実が明らかにされたのだから充分ではないでしょうか。
勿論それを語る資格があるとすれば、神の意志を明らかにする限りに於いてであり、
神の意志に徹する者であることが明らかである限りに於いてであると思われます。
そういったことを考えることよりも、
天皇を利用しようとする権力者や、
その権力者をコントロールすることが社会の木鐸であり、
自分達メディア(の持ち上げるコメンテーターも含む)と誇る夜郎自大から天皇を守ることこそ、
神の民の義務とすべきことなのではないでしょうか。(2026.3)
(※1注。
「慈悲と愛」80年2月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「賢明なる王は必ず、その国の賢人、智者から倫理学並びに政治学を学び、
それを以て良く国を治めたのです。
(中略)
ギリシャの賢人が国制の理想の第一にまず王制を挙げているのも、
まんざら論拠のないことではないのです。
王が賢王であることが条件として望まれますが。」
(神に従うか否かの判断は、自らの意志であり、誰にも強制することは出来ません。
王に従うか否かも又、同様です。
神に従わないということは、悪魔に従うことになるように、
王が神の意志に従う限りに於いて、
その王の意志を拒むことが悪魔の意志に従うことになるのも同様なのです。
憲法は、神への服従を規定するものではなく、
神の心(理性)に基づいて判断された善悪が法の基準になるべきものです。
そのような善に生きることで、自分のことだけに留まらない、国民を国家を守る為に、
悪に屈しない善なる意志を育てる、それが憲法に望まれるのは当然でしょう。
現憲法は悪魔の心に基づくもの、悪魔の心に導くものであることが明らかにされているのに、
それが解らないことが、悪なる心を育てられてきたことを証明しているではありませんか。)
天上界が王の為に賢人を備えられたのであり、賢人の下に王を天上界は導かれました。
イエス様をキリストへと導く為に、
ヨハネ(賢人)を備えられたことをガブリエル様は証言なさいましたが、
人に知恵を見出だす(人に神の業を見る、人を信頼する心を育てる)、
人から学ぶ(そのような謙虚な心、他を敬う心を通してしか神は知恵を授けられないことを悟る)
ことによってしか、真理に対する謙虚な心を育てることは出来ないからです。
賢明な心を知る賢者を見出せぬような王が、皇位を継承するに相応しい者を見抜ける訳がない、
滅びに向かう愚かさを見抜くコーデリアの智恵に善意を見ず、
己が心の虚ろを見抜かれ追従(甘言)を以て自己愛を満足させ騙そうとする、
その悪意を見抜けず悪に王位を譲ったが為に、リア王は、王国は滅びた。
そのような王国も現実にあったことでしょう。
そのような愚か者に付け入る悪魔が存在する限り、
真理に生きぬ者は自らの力(権力)を以て自らを破滅させることになる、
シェークスピアの作品が今も求められているのは、
何時の時代も変らぬ(人の心の)真実を伝えているからです。
何時の時代も、真理に背く心が、善を愛する心を憎み、苦しめている、
その悪に打ち克つ心を求めずにはいられないからです。※1注終)
(※2注。
慈悲魔なる愛を以て溺愛された子供は自らの心を愛する、
心の盲いた子は、自らの劣った事実を改めることよりも否定しようとする、
事実を覆そうとする、優れた人を貶めようとする。
認められた人への妬みから引きずり降ろそうとする復讐心に駆られる心を嫉妬心と言いますが、
そのような偽我は許されないことを天上界は伝えられています。
子を苦しめることになる事はわかりきっていながら、
悪性の遺伝子を持つ親が、自分の子を産みたいと、生まれて来る子がどうであれ、
自分が愛したいのは自分の子なのだと、それは本能からくる母性愛なのでしょうが、
生まれて来る子供の不幸から救いたい神の愛に背くものであることを、天上界は教えられています。
そのような子供、社会に寄りかからざるを得ない、それを支えるのは愛ですが、
そのような愛を受ければ自らに負わされた十字架を、人を恨む心を克服し、
神の愛を見出すことが誰にでも出来るものでしょうか。
それはヘレン・ケラーのような強い意志と、
彼女を育てた真の神の愛、父性愛を貫いたサリバン先生のような人が、
精神を成長させることの出来る幼い頃から、導くことでしか不可能なのではないでしょうか。
真の愛は厳しいものと言われるのは、そのような愛を与えられる者がいて、
その愛を理解し、協力する環境があったからこそ、
ヘレンはその環境に自ら適応しようと、厳しい愛から逃げずに自ら立ち向かうことが出来た、
そのような奇蹟を為さしめた神の愛がヘレンを救ったのです。
そのような愛を子供に与えられる者が、子供に十字架を負わせようとするでしょうか。
現象テープ№31 81年9月10日 ガブリエル様現象より
「天上界の意見を申し上げるならば、
劣等の遺伝子を持っている場合、その遺伝子を持っていることが明らかな場合は、
その両親は子供を作るべきではありません。
受胎してからはもう遅いのです。受胎してから子供を殺す権利は誰にもありません。
生まれてこようとする意志があるから生まれてきたのです。
そのような遺伝子を無くす為には、両親の強い理性が必要なのです。
子供がほしいという気持ちは誰にもあります。
しかし、自分の子供でなくても子供を育てることは出来るのです。
劣等の遺伝子を持つならば、そして、社会のことを考えるならば
両親は子供を産むべきではありません。
しかし育てることは出来るのです。
よく、自分も人間であるから子供を産みたい、女であるから子供を産みたい、
という意見を耳にしますが、天上界はそれを自分勝手な意見としか受け取れません。
生まれてきた子供はどうなるでしょうか。
一生社会に対して寄り掛かって生きてゆかなければならないのです。
(注。自分の意志で自由に生きられない本人が一番辛いことでしょう。
しかし神に依存しきった信者のように社会に依存することに慣れてしまったら
そうは思わなくなるかも知れませんが。)
(中略)
天上界は劣等遺伝子を持つ者を迫害するものでも何ものでもありません。
医学の進歩によって劣等遺伝が改良されてゆけば、それに越した事はありません。
そして、それによる歪みも出てくるでしょう。
しかし、あなた方人類が劣等遺伝子を無くそうという方向に一度動きかけたならば、
最後迄やってみるしかないのです。
より良く生きてゆく為に、常に進歩してゆかなければなりません。
人類は知性があるのですから、知性と理性を持つのですから、
如何なるものをも克服し得るのです。」
「JI」88年1月号 ミカエル大王様メッセージより
「最近エイズに感染した母親は妊娠や出産をすべきでない。
或いは出産させるべきで、胎児の生命は奪ってはいけない ー
などの賛否両論が、新聞の投書欄をにぎわしているようです。
私達の見解は、しかし、やはり責任ある社会人であり、父親と母親であるならば、
片方が保菌者と判っているなら、妊娠は避けるべきであるとします。
みすみす病気との闘いと苦しみの連続であるエイズ感染者として赤子が誕生することは
哀れであるし、又その赤子の成長、成人までに関り合う周囲の人々の蒙る迷惑は、
母親としてやはり、考慮すべき事柄であり、自分本位の欲は慎むべきでしょう。」
子孫を守る、人類という種の存続を望む自然の知恵に生きる者なら、
環境に適応し難い欠陥を持った遺伝子を継がせまいとするのは、真に健全な心の現れでしょう。
種を守ることに繋がるもの求め、種を滅びへと導く真理に背くものを見抜き排除する。
種の存続を願う心、これこそ真に子孫に遺伝されるべき、
自然の叡智が生き物の本能に遺伝子として、命と共に与えた愛であり、
それを失えば生き物は自然から淘汰される、
そして淘汰されていった心とは真の愛の伝わることのなかった心、
自らに注がれてきた愛に、愛を知る心の目覚めることなく、愛を与えた心を見出すことはない。
自らへの愛に溺れ、真の愛へと精神を成長させることの出来なかった者、
成長した心に現れる真理を、真理に生きる心を自らに知ることはない。
子孫を、国民を思う心こそ皇位継承者に継がれることを望まれる天皇の思いも理解されぬ者に、
皇室を如何に存続させるか、それを知るのは自分であるかのように語る者に、
神の御意志を知ろうとしている者は一人も居はしません。
真理を、真の神を求める善我に生きていたなら、真の神を見出すまでは、
宗教を天皇を知ってそれで人類は救われると満足するようなことはあり得ないでしょう。
それを知る神が、合体霊がそのような満足を与えることはありません。
与えるとすれば偽りを信じる者に満足を与える偽りの神に過ぎません。
宗教が、天皇が、真の神を見出していて、
彼等を通して現天上界が人類を救おうとしていると、
人々を神に目覚めさせようとしていると思われるのですか?
現天上界を知る者は、天皇よりも、宗教よりも、真の神を理解しようとするのが、
神を、真理を求める心、善我であることを知っています。
真の神の御意志を求めることなく、宗教を、天皇を信じ仰いでいる人々は、
真の神にではなく、自分達の信じる宗教に、天皇に心を向けさせようとしているのであり、
神の御意志に従う思いを抱かぬ者であり、盲である者が盲を導く、
人を神に背かせることに手を貸しているのです。※2注終)
備考2終〗(2025.9)
"神の法を阻むこの世の法"
天上界メッセージから伝わる天上界の御心は、真理の生きる心です。
真理に生きる心に触れて尚、その心に真理を見ることが出来ぬならば、
真理の息づく自然に生きようとそこから真理を見出し、自らの心を真理に従うものに律する、
天上界の方々のような意志を持つに至ることなど考え難いことです。
真理に生きる心が人の心に真理を実らせる、真理に生きる心を育てるものです。
天上界の御心は、真理の根であり幹です。
その幹に繋がる者は、良き枝であり、
良き思いを、考えを生む心、良き実を、良き言動を生むものです。
人の心を顧みる優しさ、思い遣る心を捨て去らせる為に、
人の心から愛を生む精神の自由を、柔軟性を奪う、
人の心を縛り付ける、死者のように硬直させる、
その為にサタンが齎した社会、共産主義というイデオロギーに犯された心は、
光の当たることなき闇に生きる悪しき大木、
そこに繫がるこの世の考え、風習、法を通して偽りの善を植え込まれた者は、
真理を憎む心を育てます。
悪しき心の結んだ実が、現日本国憲法であり、皇室典範です。
そのような悪しき法を以て、人の心から自由を奪う、自由なき心に育つ悪の観念を育てる、
それがサタンの導きであることは、
神の法をこの世に齎そうとしてきた天の御意志を、
計画を阻むサタンに従う心を育てたことからも明らかです。
かつて神を知る者は、神がその御意志を伝えた者は、その成就を託された者は、天皇であった。
神が霊媒を選び、霊媒を通して語りかけられたのも天皇であった。
今、そのことが神に導かれてきた日本民族にすべてを明らかにされた。
それは真の神の民となるのは、一人一人の自らの意志にかかっているからであり、
自ら神の民となった者だけが、天の意志に生きる者として、天の仲間に相応しいものとして、
彼等に迎えられる者となるからです。
かつて天皇が神の御意志を知り、天皇に従う民が、神の国を守ってきた。
神を忘れた民が、神の守護に生きることが出来たのは、
神が愛される心をこの民は自ら守ってきたからです。
今メッセージを伝えられたのがこの民であったのは、
天がそれを知るに相応しい民であるように守ってこられた、常にその導きがあった、
日本が変らねばならぬ時に、天の意志を自らの意志とした者が常に現れたのは何故か。
天上界高次元の方々が彼等に転生された、彼等の心に神々の意志が生きていたからです。
それらの人々を私達は愛してきた、敬ってきたではないですか。
そのような心をこの民は守ってきた、天の意志をそうと知る心を守ってきた、
そのような心を知るからこそ、神の意志が実現される為に、
真の神がこの世に降りるこの時を、この民が見失ってはならない、
その為に神は天の善霊をこの民の一人一人の心の中に送られました。
今、神の御意志を知った人々と、
かつて神の意志を実現させていった人々と何か違うでしょうか。
彼等はそれが神の御意志であることは知らなかった。
ただ自らそれを望む心があった。
そのような心に生きてこなかった者も、この世を救おうとされる神の心を、
その為に私達が必要であると呼び集める神の思いを理解する時、
彼等のように神の心に目覚めるであろう、
自らの意志として生きるであろう、
愛に応えようとする心を知るであろう、
神の思いを自らの内に知るであろう。
信義を重んじられる神の御心が理解されるに違いありません。
今、天皇が真の神に生きる自由を奪われていることを、
そしてそれを奪ってきた者が、天皇を利用する為であったことを、
神によって明らかにされたのです。
それを知ったのは、知らされたのは、天皇ではなく、
天皇の自由を憲法の名を以て奪ってきた国民であった。
神の民であることを忘れ去った国民であった。
それを知った国民は神の民に帰ろうと、
神のもの(天皇)を神に返さねばならないと思うのは当然ではないでしょうか。(2026.6)
天皇は神の立てられた王です。
神の導きに従う限りに於いての王であり、もし王が神の思いに背くサタンの心を許した時、
神は王にそれを明らかにする為に、神自ら立てられた預言者を以て王に悟らせようとされた。
それが神の法であり、神自らその法に生きられるが故に、
人はその法に生きることで神の心、法に生きる心を育てることが出来るのだと思います。
神の愛される者が、神を見失う、その時神が為されるのは、
王を救おうとする愛が神の意志であることを明らかにされる(※)のであり、
その愛を神の意志と知っての拒絶するその心が、サタンの心であることが明らかになった時に、
神は裁くのです。
それが神の法の善悪の基準、人が善を求めているか悪を求めているか、
その心を明らかにする基準であり、神の法に人の裁かれる基準であると思います。
サタンの為したことを見れば明らかなように、
イエス・キリストを悪魔と罵り、十字架に付けさせようとしたパリサイ派は、
バラバかイエスのどちらかを許そうと提案したピラトに、
バラバを許してイエスを十字架に付けるように民衆を扇動した。
また現代では病にあったパーレビ国王をイランに連れ戻して、
王を(キリストのように)血祭りにすることで自らを最高権力者になろうとした
ホメイニの如き扇動者達は、明らかにサタンの心、怨念の力の前にあらゆる良き心、
優しい心を自ら滅し去り、サタンの心を自らの心とした者であることが理解されると思います。
その神の立てられた王が、神の道に背いた訳でもない、神に導きにある王を、
神の意志に従わせるのではなく、人の、権力者の意志に従わせようと、
人の作った法に従わせようとしてきたのが、戦後の日本の権力者(自民党)なのです。
このように天皇を自分たちの法に従わせようとするのは、
天皇を、天皇の善なる意志を信じていないからに他ならない。
そして天皇に従うより、天皇を国民に従わせようとの思いがなければ
このような法を国民によって作ろうなどという考えを当然の如くに思える訳がないのです。
これは決して神を認めようとしなかったサタンの高慢と何処が違うでしょう。
そのようなことも何とも感じないようになったのが、日本国民であるならば、
日本民族は真に地に墜ちた民族であると思います。
本当にこのようなことを許して平然としていられるのですか?
(※注。
神の救いを失った魂が、破滅の絶望を人に見るを喜びとする悪魔の魂に出した時、
神の裁きを自らに招くということ。
「天国の証」ラファエル様メッセージより
「現代の末法の世に於ては、そういった神の人への近寄りが却って害となり、
人は神への敬意を失った。
持つべき畏敬の念を持たなくなった。
それが最後の審判を決定せしめるに至った一つの大きな要因であり、動機でもあるのです。
それまでにもこの二十世紀に於いては神を無視し、冒瀆し、
戒律(モーセ様の十戒、イエス様の戒律)を平気で破り、
人間としての魂は悪魔に売り渡されてあった ー
その為に最後の審判は必至のものであることは天上界に於て決議されておりました。
しかし最後の赦しへの機会として、高橋信次氏を通し、ミカエル佳子譲の現象を通し、
(昨年一九七七年三月半ばまでで、それ以後は天上界はこの方を離れGLAを去りました)
又千乃裕子様の編纂せる私達のメッセージを通し、中野氏主宰の日本神学誌を通じ、
或いは人々に送った高橋信次氏の現象テープ、これは土田展子嬢がなさいました。
ミカエル様の現象テープ ー 同じく土田展子嬢によるもの、
そして『天国の扉』に表された私達並びに九次元の方々の各章毎のメッセージ、
如来界より唯一の方として選ばれた高橋信次氏の章
(ブッタ様の合体された方であるので、権威と特権を与えられたのですが、
普通は如来界、菩薩界の方は正法を説く機会は与えられないのです。
太陽界以高の次元の方のみに許されています。)を通し語りかけましたが、
却って人々が私達の言葉に慣れてしまい、度重なりと共に、新たな感激を持たず、
メッセージに含まれている意義深い警告、予言、などに注意を払わなくなったのです。
「JI」88年2月号 ガブリエル様メッセージより
「規則に厳しいだけが正法者ではなく、常に慈悲と愛の心を忘れてはならないのです。
或る熱心な正法者が規則を破ったのは何が原因なのか、
せめてその集いの中に一人の寛容な心の持ち主があれば、
個人的に会って話し合い、その中から解決法を探り出し、
厳し過ぎる仲間を宥(なだ)めるだけの公正さを持って欲しいものです。
明らかに天に背き、法に背く人は糾弾すべきであっても、
小さなことを針小棒大に言い立てるのは、心身の疲れ以外に
嫉妬心という偽我に駆り立てられて一人の人を責めていると判断せざるを得なくなります。
悪霊も充分に働きかけているでしょう。
表面だけに捉われて正しい人の内面の悩みが見抜けないようでは、
正法者と呼ばれる資格はないと言えましょう。
私達に背を向けた知能高く、熱心な働き手であったその人と同じ失望を、
反って人民裁判のように裁いた集いの幹部の人々に、私自身が感ぜざるを得ません。
"つまらないことで、どうしてあのように責め合うのだろう。
責める側が人の躓(つまず)きになっているのが判らないのだろうか" ー
こう感じるのは、私のみでなく、
正しく正法を理解し、行っている人達が一様に口にした感想でもあるのです。
規則に反した人を責めるべきであるなら一人の人が直接会ってそうしなさい。
教師でさえ優れた子供を叱る時はそう配慮します。
子供が非行の故に人前で咎める時は、他の子供の影響を考えて、
正しい言葉で正しい叱り方をするよう心を配るでしょう。
闇雲に大勢で一人を責めるのはリンチと呼ぶべき無謀な行為であり、
良い結果は得られません。
正法の為に共に働く仲間を小さなことで追い立てるのは、
八正道に沿った行為ではないのです。」※注終)(2026.8)
