第三部 神から授けられた正法
第三章 正法に生きる
正法の悟りとは、実践とは、流布とは。
備考 一考察
(一) 正法流布のこと
天上界メッセージを後の世代に伝える為に、
メッセージのエッセンスを纏めたものを残せたらいいのではと思い付いて始めはしましたが、
出版は絶望的状況で、他の手段も見当も付かずで行き詰っておりました。
ある時、私が天上界と同じ心持ちになれたとして正法を広めようと努力したのなら、
天は必ず、私の力になろうとするに違いないと、ふと思えました。
私が天の心に適って天に迎えられる者となったとして(例えです)、
この世で流布の為に天の助けを求めている曾ての自分のような者を、
それを知り得る天にあって尚も助けようとしないでいられるとは今の自分でも思えないのだから、
まして真に天の一員(神の法を伝えるという神の御意志に生きる)を自覚される彼等が
助けようとしないなどあり得ないことだと思いました。
(世の人々に、真の神を知らない者、知ることを拒絶する者、
真の神を否定し偽りの神を神と信じる者に、
真の神を知る者が、外なる悪に善を明らかにする勇気を失う、
内なる悪に負ける、そのようなことがあってはならない、
悪の前に沈黙してはならないと決意する時、
すべての善霊はその思いに生きてきたことを覚るのです。)
このような思いを持ったのは、私の心が彼等の思いに近付いたのか、
むこうから励ましにやって来てくれたのか知る由もありませんが、
きっと彼等の思いを感じたからに違いないと思いました(※1)。
天上界は今迄の歴史に於て、
如何なる犠牲をも顧みない救いの業を成し遂げられてきたにも関らず、
神の愛を受け取るだけで、誰もがその愛を与える人格、
精神の尊さに目覚めたのではありませんでした。
人類は神の思いに目覚めて、自らを救う者とならなければ、
人類は滅びるところまで来ていると伝えられました。
そのような状況にあって、今までのように神に心を預けることが、
神への信頼を表明する真の信仰のあり方であるといった考えでいるようでは、
神の御心を理解しようする思いへと、神の心を自らの心として生きようとする精神へと、
成長することは望みようがないのです。
破壊の限りを尽くすことに生きる、人類を滅ぼし、
自らが滅びようとも天を滅ぼさんとする邪心の、
偽我の塊りとなった悪霊に勝つ(この世に於ても、己が心に於ても)為には、
人類が神の御意志と一つになれないならば未来はない、
それが故に、信ずべき神は現天上界であることを証する為に、
彼等がこれまで為してきた救いの業、奇蹟について自ら世に現れて証されたのです。
それでもまだ神の救いの思いを信じないならば、人類は信仰を失ったということであり、
人類には神の思いを知る心を失ったことになるのです。
後は私達の信仰心に掛かっていることです。
神を信じられないのは、神の愛が、奇蹟が無いからではありません。
私達に神を思う心が無いからです。
(※1注。
天使から連想されたのか、天使が登場する映画を思い出しました。
映画監督のフランク・キャプラの作品で『素晴らしき哉、人生』という有名な映画です。
主人公が苦境のどん底に落とされ、最早これまでと自殺寸前に天使が現れます。
主人公がもしこの世に生まれていなかったら、
彼の周りの人達の人生はどうなっていたかを、天使が主人公に見せる話です。
人々が苦難に遭った時、彼等の苦しみ故に苦しみ、
自らを救う如く彼等を救おうとしたのは主人公の優しさと強さだけでした。
その彼がいなかった為に、彼のような人を知ることがなかった為に、
誰からも彼等の苦しみを思い遣る優しさを受けることなく自暴自棄になって破滅した人や、
人の心の優しさを知らないまま、冷たい心の中に一生を終えてしまうような人達を、
彼が愛してきた人々の見る影もない姿を、
彼は見るのです。
彼の優しさ、暖かさが人々を救った、今絶望にある主人公の前に、
彼と同じ優しさを持った、彼を救おうとする天使が現れたのです。
彼はそれまで自らを苦難に追いやってでも、人々の幸せを考えた人でした。
そして自らを犠牲にしてでもその心を捨てなかった。
そのような強い精神と愛を持った者さえも耐え難い苦境が訪れる。
そのような者を神が心に掛けない筈がない、救おうとされない筈がない、
キャプラの思いはここに表れています。
正法流布の話に戻しましょう。
もし正法(そして、今の世に語り掛ける神の思い)に出会っていなかったら、
私達はどうなっていたでしょう。
主人公に出会っていなかったらこうなっていたと天使が見せた人々の姿
(真の愛を知らずに生きる人間の象徴です)は
正法に出会う前の私(達)そのものだと思いました。
私達は、真の救いとなる真理(正法)を聞いただけではありません。
神ご自身の思いと共に伝えられたのです。私達は神と出会って信じたのです。
そのことを理解される方なら、
何としてでも正法を人々に伝えたいとの思いをきっと持たれるに違いない、
そう思ってこの映画のことを書くことにしました。
「何が正しいか解らず、何が間違っているか解らず、何が悪いか解らず迷っている人は、
天変地異に遭っている人と同じではありませんか。
ならばその人達に少しでも救いを、正しいことを教えてあげよう。
そうは思いませんか。」
このイエス様の言葉を聞いて、自分は救われたと思えないのでしょうか。
神も真理も何も解らないでいることすら解っていなかったのが自分なのだ、
それに気付かない者が、
この天上界のメッセージを伝えれば、
自分が救われたように、天上界メッセージを知った者は救われるに違いない、
そのような思いを抱くことのない者が、
天上界の思いの生きていない者が、
天上界のメッセージを伝えようと思う訳がないでしょう。
滅びに向かう自らの魂の絶望さえも分からぬ者に、
人の絶望がどうして分かるか、神の救いの思いが分かるのか。
まだ天上界のメッセージに確信を持てないでいるということは、
救いを見出していない、
間違った道に導かれていても解らないで彷徨っている人と同じである。
天変地異に遭って、滅びようとしている人と何が違うのか。
そのような人を助けようとしてきたのが神なのだと、
それを明らかにした現天上界こそ真の神なのだと、
イエス様は仰しゃっているのではないでしょうか。(2026.9)
「天国の扉(77年12月初版)」201頁 モーセ様メッセージより
「魂の修業をどの次元の者もさせられますが、
天使の修業が一番厳しく、特に人間に生まれ変わった時は、
九次元の光の大指導霊よりも厳しい人生を送らねばならぬ者もいます。
その中で悟りを得て、正法の助力者としての賢明な人格を持ち、陰の力になるのです。
美しい姿だからと憧れる方達は、この天使達の為すべき勤めや修行を知れば、
安易に天使になりたいとは思わないでしょう。」
「JI」83年12月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」177頁
「(イエス様は)伝道と癒しに集中しておられましたから、かなり多くの病者の癒しも可能でした。
しかしそれでもイエス様の到着が遅いとか、種々の不満が病人とその家族からよく出たものです。
金持ちにも自分の益となることしか望まぬ者も多く居り、過分の寄附をしたから、尽したから、
特別扱いをされねばならないという考えの者が居りました。
この人達の欲する物を得られぬ時は天を恨むという我が儘な思いに接する時、
イエス様ではなく私達天上の者が悲しい思いをしました。天上の者が奇蹟を行わしめたからです。
現代にも人の心は変わらず同様の人々が居ります。」
このような人達(人間の霊)がこの世の人々の心(魂)を救おうとされているのです。
彼等の私達を救おうとする思いの解らないことが、その思いを信じる心の無いことが、
救いから彷徨い出た魂なのです。
天の聖霊の思いが伝わる時、人はどのように変わるのかルターが言われております。
『ルター(ミカエル様本体)も言っている。
「この世の与え得る一切の財宝に事欠く困窮に際して、どのようにして人の心を満たし、
又慰めるべきかについては、理性は全く施す術を知らない。
ところが、キリストがやって来ると、
キリストは外的な、厄介なことはそのままにして置きながら、しかし人を力付ける。
そして臆病を大胆さに、小心を不敵な心に、揺らぐ良心を穏かな、静かな良心に変えてくれる。
だからそのような人は、世間がみんな腰を抜かしてしまうような問題に出会っても、
自若としてたじろがず、勇気に満ちてほがらかである。
これは死にあっても、罪の恐怖においても、
又この世の慰めと財貨ではどうにも出来ないあらゆる困窮に際しても、変わることはない。
これでこそ本当の不断の平和であり、
心がキリストを離れない限りは永遠に続く難攻不落の平和である。」
「希望と幸福(ヒルティの言葉)」秋山英夫訳編 40頁 』
「パスカル パンセ(B553)」より
「小事をも大事のように行うがよい。それらのことを我々の内で行い、
我々の生涯を生きられるイエス・キリストの御稜威(みいつ)のゆえに。
また大事をも、容易い小事のように行うがよい。彼の全能のゆえに。」
神(聖霊)と共にあると確信した者が、
神の思いに生きることについてこのように語りました。※1注終)
"真の神と共にあることに勝るものが、求めるに値するものが他にあると、
それは神よりもあなたの心を満たすものであると、
それがあなたの心からの望みであると思われるのですか?"
現象テープNo16 「自由を齎すもの」より
79年11月4日 ウリエル様現象
「あなた方は、幸せに思わなければなりません。
この最後の審判に生まれたということは、
あなた方が一人一人その、私達があなた方に与えた数々の言葉の、証言者となれるからです。
何時の時代にも、私達の言葉を聞く者は少なく、私達を嗤う者の方が多かったことを、
あなた方は知っています(※2)。
ですが結局は、私達の言葉に従う者が最後には、勝ったということを
あなた方は又、知っている筈です。」
このように私達人類に語りかけられる現天上界の神々とは、
彼等の思いを受け止めることの出来る心には必ず伝えようとされるのが神である、
私達を信じられているとの確信を齎される、そうせずにはいられぬものが神の愛である、
真の神と直観させずにはいられないものです。
このような心をこそ神の心であると信じられないならば、
あらゆる宗教の信者は、真の神を見失った者に導かれてきた、
偽りの神を信じる心を植え付けられてきたに過ぎない。
真の神の心(言葉)を愛する心を育てることなく、
宗教組織の教義を信じる心を育てたに過ぎなかった人々であると思います。(2026.5)
(※2注。
正法が神の法であり、神ご自身が人類に齎されたものと、
私達が信じるように導かれたのは真の天上界です。
その天上界を、天上界を信じた人々を、
この世に飼い慣らされた人々は、その俗物に迎合する寄生虫
(俗悪で低劣な左傾メディア)は蔑み、貶めてきましたが、
貶めたのは己自身であったと悟る知性を得ることは永遠に不可能でしょう。※2注終)
〖備考
"徳は弧ならず、必ず隣有り(逆もまた真なり。)"
徳を汚す、真理を踏み付け悪徳に生きる社会は、
必ず力弱き者の犠牲の上に成り立っているのです。
そのような社会に目を瞑る心に善はありません。
既にそのような人間に人類は蝕まれています。
神の心に生きた先人は、神を愛せと言われました。
神を愛する心からすべてが始まるのです。
私達の心が弱く、未熟であってもその心のすべてを以て神を愛するなら、
神の道を生きるのだと言われたのです。
神の善とは、悪に生きる邪心を憎む、その犠牲となった者を苦しみから救わんとする愛に従う、
今この時を生き、働き掛ける心です。
天は常にその実行を以て、人々の心に神の愛を、神の実在を現わして来られました。
その神のこの世を救わんとされる心が伝えられたのです。
この世に神の国を作れと(悪魔は同じ言葉を使って、地獄を作ろうとしました。
この悪魔の言葉を聞いた為に、同じ言葉だからと、神に耳を塞ぐなら、
悪魔の笑いものとされるのが似つかわしいことでしょう)。備考終〗
流布活動は、生きているこの時しか出来ません。
この世を変えてゆくことは、今を生きている私達に掛かっています。
(そして私達が伝えねばならないものです。
天上界が力のない私達の善意に賭けられたのは、
真理を歪められることなく伝える為にはそれしかないからです。
メディアを通れば真理は必ず歪められます。
純粋な人(神)の心を知ると、嫉妬心に駆られ、汚さずにはいられない、
高貴な者を貶めるのを喜びとする低俗な世界に浸かった人々に支えられているのが、
左翼メディアだからです。)
ですから、神と呼ばれる偉大な霊が、
僅か数十年の人生経験しかない未熟な人類に尽くされているのです。
(無論、私達が偉いからなのではありません。)
私達が心に感じて動かないで、
未だこの世しか知らぬ者の心に天の思いをどうして伝えてゆけるでしょう。
何時の時代も、神に不服従の世も、神をも否定し自己を拡大しようと尊大に振舞う人類の、
絶望の心を否定せんとあがく心の表れに、
憐憫からの温情と救済の熱意を失わなかった神々の御心を、人類は知らねばなりません。
何ら評価されることを求めず、自らを表さず、
その信念に生きることを彼等を通して学ばずに理解し得た者など誰も居はしないのです。
たとえ死後天上界に迎えられても、私達に出来ることは、魂の研磨と、
(合体霊や守護霊として)この世の人達を善導するしかありません。
その時、私達が導かんとするこの世の人々が天を信じているか、
天のメッセージを、御意志を知っているか否かで、その成果は大きく違ってくるでしょう。
勿論、その時の私達の生き甲斐も、喜びも。
正法を広める為に役立てられる時は、生きている今しかないのです。
天上界のメッセージは、神々の存在の証です。
人類の魂を天国に導いてこられた、救いの、愛の証です。
今、心に止めなければ、二度と目覚めることはないであろうと、
目覚めた者は、正法を伝えなければならないと天上界は仰しゃいました。
真にその通りであると思います。
現象テープ№17 ①「愛について」より
79年12月23日 イエス様現象
「私も又普通の人であった。
そして普通の人として生を受け、そして神により、三十歳になった時に啓示を受けてから、
神の子であると自覚しました。
神の子であるというのは、神より法を授けられた者、
地上に法を広める者としての自覚なのです。」
"正法の伝えられるべき者"
現天上界の神自ら語られた真理を認めない者、
その御言葉を以てしても神の思いを拒む者が、救い得るものであるか。
彼等が信じる偽りの神が悪魔であることを理解させることが出来るものであるか。
愛するに値しない者を愛するのは愛ではない、
愛の伝わらぬ者に愛を注ぐは、愛を知らぬ者、愛を貶める者です。
悪魔の想念が伝わる、同じ波動の邪念が自らの思いとなる、
そのような心の条件反射が強化される。
人(霊も)からの想念は物事を認識する時に現れるだけでなく、
無意識にも心に伝わっているのであり、
心(性格)とは、それに反射して現れる考え、思いの繰り返しによって強化されたもの、
強化されると、理性によって判断する前に条件反射によって作られた想念によって
判断が導かれてしまう、すぐにカッとなって他人を裁く人は特にそういう傾向が強い人でしょう。
心の独自性、性格とは理性によって、善我という神の心によって作らなければならない、
神に愛される(心を作る)ためには、真理に生きなければならないと、
昔から言われてきたことの意味するところは同じではないでしょうか。
私達が真理を、正法を伝えるとは、未来の人類に真理の種を蒔くということです。
悪の種を摘み取って行くことです。
それを妨害する者は、救うべき者ではない、
倒すべき者、神の前に倒されるべき者であることを知らしめねばならぬ者です。
私達は神の御意志を見失うことなく、
神の救おうとされている人々に神の(救いの)御意志を伝えていかねばならないのだと思います。
「中野裕道の「日本神学誌」からエル・ランティ様のメッセージが締め出された時に、
"必ず他の場所で私達の意志を伝える機会を探すだろう"との決意を表明されましたが、
その強い御意志通りに古代日本に於て、エル・ランティ様御自身が、
天の正しい御方針を巧みに伝えるあらゆる場を捕らえて実行なさっておられたのを、
私達は少しも知らなかったのです。」
そのようにガブリエル様は語られましたが、現天上界はエル・ランティ様の御意志の下に、
真理、救いの道を示されると共に、神の人類の救いの思いを伝えられたのです。
神を見出せず、偽りの神に従って滅びようとしている、六千年に亘り救わんと導き続けた人類が、
神の心に、神の愛に生きる心を育てることのないままに滅びようとしている、
人類の滅びを求める悪魔の存在を、その意志を明らかにされました。
何故人類が滅びの道を歩んできたのか、
それを理解しなければ、悪と戦う心なくしては己の善を失うことを、
神の心を自らの心に育てることなくしては、人類は神を拒み悪を求めるまでに堕落する、
それが人間の心であることを教えられたのです。(2025.12)