第一部 天の教え
第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について

九節 中庸
現象テープ№12 「正法を学ぶ人のためにⅢ」より
 79年2月1日 ミカエル大天使長様現象
&「慈悲と愛」79年7月号初出
&「天上界メッセージ集」60頁

「(調和の執れた永続性を持つ自然環境が如何なるものかを証されて)
すべてに於て(他種間の)調和と(同一種が)過度に過ぎぬこと、
詰り
中庸が自然と宇宙の法則であり、
延いてはその宇宙に含まれる有機物・無機物、そして生態の法則でなければならず、
又そうすることを余儀無くされてきたのです。
 これを広義における善と言い、
人間に当てはめると同じような自然の法則に心身を従わせることになります。
 己の節制を図り心の有り方を律すること。
 それが大自然の中の一環である人間のなすべき務めであり又責任でもあるのです。
 その自然と同じ心の有り方を狭義に於ける善我の解釈にも用いて、善我は自然の成り行き、
即ち自然の法則と同じようなものであると、そう『天国の扉』で述べたのです。」

「JI」83年2月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」162頁

「あなた方は、義に完全であって、落度なき完璧な人格を持つよう努めるよりも、
人間性を学び、従って
互いに寛容であろうと努め、
思い遣りという優しい気持ちを互いに注ぎ合う
方が、
より幅のある、心にゆとりのある人物になり得ることを、ここで確認しなければなりません。
 中庸の徳
とはそれを言うのです。
 悪を許さぬ心は正しい心でありながら、そこに疑心暗鬼という偽我が忍び込む時、
病的に相手を悪と断じてしまうこと。
 相手のすべての行動を善意と寛容で観ずに、狭量と悪意で観て結論を下してしまうこと。

義人の陥る偽我は、不寛容の悪であることをよく心して頂きたいと思います。」

〖備考
 心理(交流)分析などで明らかにされた心の働きで「抑圧」などよく知られていますが、
無意識に行われている心の働き(すべて自我の安定を図ろうとするもの)は、
防衛機制と呼ばれているものです。
 色々な働きが解明されていますが、すべて人自らの性格に最も適した心(条件反射)が
無自覚であろうと機能しており、多様な性格にそれぞれ適した防衛機制を
自己保存なる心は作り出しています。

「抑圧」とは反対の働きをするものに「反動形成」というのがあります。
 例えば、偽善と形容される心の働きは、
自分は善人であると信じることで自我の安定を保てている者が、
心の奥底にうごめく邪悪が意識に知られないように(押さえ付けるのが「抑圧」です)、
逆の心を意識させようとする(深層意識の為す自己欺瞞という)ものが「反動形成」です。
 例えば人を見下す高慢の心を隠し持つ者が、
上辺の言動には、人を思い遣る優しい素振りを示そうとする心です。
 それによって自らを善人であると、神に愛されているのだと信じられて安心出来るのです。
(真に人を思い遣る心からではなく、
自己愛(人からよく見られることで満たされる)から出るに過ぎません)

 本人が善なる心と信じて生き続けさえ出来れば、
偽我を深層意識に持っていようとも、何ら問題ないものでしょうか。
 無意識の内に偽我を持つとは、偽我を容認する心だということなのでしょう。
 それが本性なのです。
 そのような隠された心が、自我を飲み込むまで力を蓄え続けているのです。
 本性を改めることが出来ないのは、
本性を偽る、人を騙す心を育てているということです。
 そして自らをも騙し、独善的に人を裁いているのです
(世の活動家、左翼を見れば納得されることでしょう)。
 人を、そして自らをも騙す自己欺瞞を、
悪を偽って善に見せる、悪に生きながら善を愛する者のように見せ、
人の善意を盗む、人の心を操る支配欲を深層意識に持つ。

 偽善者の心から徳に生きんとする思いは生まれません。
 偽善者に対して信義を持つことは無意味です。
 人を裏切るような者を信じるのは愚か者です。
 真理を偽るような者は、真理を貶める者です。
 そのような心を自らに許すのは偽我に他ならないのです。

 本能と理性のバランスを執るものが中庸の心であることを教えられました。
 理性とバランスが執られる時、健全な本能が生きるのです。
 共に存在しなければ人間は生きられないのです。
 故にバランスを執る理性がなくてはならないのです。
 本能を理性に背く偽我が利用し、欲望に生かしめるなら
最後には自我は破滅するのだから、
自己愛も、本能も救えず共に滅びることになるのが、偽我には悟れないのです。
 偽我はその邪念を満たす喜びに溺れるからです。
 自己研磨を、向上を、目指すべき神の心を理解出来ないからです。

 中庸とは、バランスを執る健全な精神に於て徳に生きる心の状態です。
 徳の見出されぬ心は中庸とは呼べません。
 極端を知り、退ける知恵は徳に生きぬ心には宿らないのです。〗

〖参考〗
「人望の研究(山本七平著)」119頁 祥伝社黄金文庫
「徳川時代には「コモン・センス」はもちろん、「常識」という言葉もなかったのだが、
では徳川時代の人間は「常識なき世界」に住んでいたのであろうか。
 もちろん、そんなことはない。常識のない世界などは、おそらく存在しないであろう。
 もっとも「徳川時代には権利という言葉がなかったから、日本人には権利主義はなかった」
などという人もいる。
 これがどんなにばかばかしい考え方かは、大木雅雄氏が『日本人の法観念』の中で論じ、
実に強烈な権利意識を持っていたことが指摘されていることからもわかる。

「常識」も同じことで、「常識」という言葉こそなかったが、
「常識」を意味したのが「中庸」であったと小林秀雄は言う。
 そして「中庸という言葉は、学者たちの手によって
『高遠隠微之説(こうえんいんびのせつ)』の中に埋没してしまったが、
本当は、何の事はない、諸君が皆持っている常識の事だ。
(伊藤)仁斎(じんさい)は、この事を、はっきり考え、はっきり説いた最初の学者です」
と記している。

"高次の常識人"にこそ人望が集まる
 私が少年のころには、「中庸」は「あ、あの人は中庸を得たまことに立派な人だ」というふうに、
この言葉はごく普通に使われていた。
 中庸は、もちろん孔子が初めて使った言葉だが、その原意はしばらき措(お)き、
私が少年のころに使われた日常語としての「中庸」を思い起こすと、
確かに「常識」と共通する意味があるが、
それ以上の何かもっと立派な人格的なものを意味していたように思われる。
 小林秀雄では「中庸とは常識」だが、私はむしろ
「中庸であることが常識」のほうが適切ではないかと思うのだが、これは大きな違いではない。
 ただ、「中庸を得た …… 」とか、「中庸を心得た …… 」といった言葉は、
けっして、「足して二で割る」「まんなかを取る」といった無原則な妥協的な意味ではなく、
「偏頗
(へんぱ)なき動かざる中心を持つ」といった感じである。
 字義から言えば、「中」は「中正(ちゅうせい)」、「庸」は「不易」(変わらぬ)であるから、
「中正、不易」という感じを受けるような人々に対して使われて不思議ではない。
 また、当時は儒教的伝統がまだ残っていて、国定教科書の国語には「孔子」という一章があり、
「中庸ハ徳ノ至レルモノナリ」という言葉があったことを今も記憶しているから、
「中庸」が、ごく普通の日常語として使われていたとしても不思議ではない。
 したがって私より年上の世代には「中庸ハ徳ノ至レルモノナリ」が常識であった。
 これが私のいう「中庸であることが常識だ」という世界である。

「中庸であることが常識だ」の世界では、「あの人は中庸を心得ていない」と言えば、
当然に非常識な人間を意味したから、両語に大きな共有部分があることは事実である。
 しいて言うなら、「中庸を得た人とは、単なる常識人でなく、もっと高次の常識人だ」
とは言えるであろう。そして、「中庸ハ徳ノ至レルモノナリ」なら、
高次の常識人とは、人徳があり、人望がある者の意味になる。
 ということは、「中庸こそ人望の不可欠の要件」だということである。
(中略)
「喜・怒・哀・懼(おそれ)・愛・悪(にくしみ)・欲」のない人間はいない。
 これが全部なくなってしまって、まったく無反応な土偶(どぐう)のような人間がいたとしたら、
それは人間ではなくバケモノであって、到底、人望の対象ではありえない。
 こう言うとまた矛盾になるが、「七情」は人間にあって当然であり、
それがなければもはや人間ではないことも事実なのである。
(中略)
 そこで『近思録』の前記の部分に目をやれば、そこには、
「覚者は其の情を約して中に合わせ使(し)め」とある。この「中」とは「中庸」である。
 いわば、「七情」はあって当然なのだが、これを野放図に激発させず、
抑制して自ら制御しつつ「中庸に合わせる」。そのようにすれば、それでよいということである。
 そうでなく「七情欠如」となれば、まったく、人間味のない人間になってしまい、
それではまた、人望なき人になってしまう。

君子と小人(しょうじん)を分ける「中庸」ある行ない
(中略)
「喜怒哀楽の未だ発(はっ)せざる、これを中(ちゅう)と謂(い)う。
 発してみな節(せつ)に中(あた)る、これを和と謂う」
 いわば、これが「中庸」の定義のようなものだが、赤塚忠(あかつかただし)氏は、
これを次のように註解しておられる。
「(さて人の行ないは、物ごとにふれて、感情の動きとなることに始まるが、その感情が)
喜・怒・哀・楽などとなって外に表われる前(に、心の平正(へいせい)さがあるべきである)、
それを中(ちゅう)という。この中が現われると(その行ないは)、
すべて物ごとの節度に合致することになる、これを和という」と。

 ただ、この場合の感情は意欲を含む感情で、荀子(じゅんし)では
「好(こう)・悪(お)・喜(き)・怒(ど)・哀(あい)・楽(らく)」の「六情」、
朱子(しゅし)では「七情」と考えてよい。
 人間には「七情」があるのだが、それを発する前に、
「心の平正さがあるべきだ」ということになるが、これがなかなかむずかしい。
 そこで、次のように孔子は言う。
「仲尼(孔子)曰く、君子は中庸をす。小人(しょうじん)は中庸に反す。
 君子の中庸や、君子にして時(とき)じく中(あた)る。
 小人の中庸や、小人にして忌憚(きたん)する無きなり、と。
 子曰く、中庸はそれ至れるかな。民能(よ)く久しくすること鮮(すくな)し、と」

 赤塚忠氏は、次のように註解される。
「孔子は言われた。君子(の行ない)は中庸である。
 ところが小人(の行ない)は中庸に違(たが)っている。
 君子の中庸は、君子の人柄どおりに、どんなときでもその節度にかなっている。
(ところが、)小人の(みずから)中庸(と称していること)は、小人の人柄のままに、
(目先のことに惹かれて)つつしみも、おもんばかりもないのである』と。
(そこで、また)孔子は、『中庸は、まことに至り深いことであるよ。
(されば、人はだれでもつとめ行なわなければならないのに、)
人々は、ほとんどこれをしとげようとしない』と言って(嘆かれた)」

 諸橋轍次氏は、これをむしろ、中庸でありうるか否かが、
君子と小人を分ける点だという意味とされ、「時じく中る」を「時に中す」と読んで、
その時と場合にふさわしい中庸を取ることとされている。
 だが、いずれにせよ、中庸に至るべく、常に努力しつづける人間は少ない。

「眼高手低(がんこうしゅてい)」では、人望は得られない
 では、どのようなことを努力しつづければよいのであろうか。
「言(こと)は行ないを顧(かえり)み、行ないは言を顧みる」
 諸橋轍次氏の註では、
「言葉を発する場合に、その言葉が平素の行ないに不一致ではないかと反省する。
 また、自分の行ないが平素の言葉と矛盾していないかと反省する」であり、
これを常に努力して継続していくことが中庸に至る道であり、
同時に、これを行なおうとすることが中庸なのである。

 ここで連想されるのが、『論語』の「中行(ちゅうこう)」である。
「中庸」と「中行」とがどう違うかはしばらく措(お)き、
「中行を得てこれに与せざれば、必ずや狂(きょう)・狷(けん)か …… 」
という孔子の言葉を考えてみよう。
 孟子によれば、「狂」とは、道を行なう志望ばかり大きくて、実行が伴わないもの、
いわば「眼高手低(がんこうしゅてい)」といった感じ、「狷」とは超潔癖で、他と交わらず、
したがって他人を善導することも、世の中に影響を与えることもできないものである。

 いわば「言(こと)は行ないを顧(かえり)み、行ないは言を顧みる」なら、
このような態度は取れないなずである。
 こう考えれば、「中行」とは「中庸」を行くもので、
志望を実行、内省と社会性ともに持つものということになるが、
これがすなわち「中庸」であろう。

 これらを念頭に置けば「知者は之(こ)れ(中庸)に過ぎ、愚者は及ばず」は当然で、
「智に働けば角が立つ」は当たりまえのこととなる。
 孔子自身、人から知者と言われた。しかし、彼は自らを次のように語っている。
「子曰く、人皆予(われ)を知なりと曰(い)う。
 駆りて諸(これ)を罟(こ)・獲(かく)・陥阱(かんせい)の中に納(おさ)むるに、
而(しか)も之(これ)を知りて避くる莫(な)きなり。人は皆予(われ)を知なりと曰う。
 中庸を択(えら)び、而(しか)も期月を守ること能わざるなり、と」
 赤塚忠氏は、次のように註解されている。
「世上の人々は、みな、わたくしを知者であると言う。
(だが、わたくしは、)狩場でかりたてられて、
あみわなおとし穴やに追いこまれるのに、
それをさとって逃げ去ることのできない
(獣と同じで、人々の意見にまどわされて、不正を避けるすべを心得ていない)。
(まことに)世上の人々は、みなわたくしを知者であると言っている。
(だが、わたくしは、)中庸を択びとりながら、
わずか一ヵ月の間さえ守り抜くことができないのである」

 孔子ですら一ヵ月もたない。では、凡人はどのようにすれば、「中庸」でいられるのか。
(中略)
 では、どこからはじめ、どうすればよいのか。
 これは言い換えれば、「九徳」を活用し、「七情」を「中庸」に沿うように抑制できる状態は、
どのようにすれば可能なのかということである。
 ここでまた、はじめに戻ることになるが、「克伐怨欲(こくばつえんよく)」があり、
また「矜(プライド)」を保持しようとすれば、
人間は到底「中正・不易」ではいられないことは事実である。
 そこで、まずこれを棄て、「中庸」という状態に常にありうるように、
「力行(りきこう)して以て至らんことを求む」の自己訓練をつづけること以外にない。

(中略)
自己を統御し、「中庸」の世界に入るために
 仁斎は、「人、皆、予(ワレ)ハ中庸ヲ択(エラ)ブコトヲ知ルト曰(イ)ヘドモ、
期月(一ヵ月)守ルコト能(アタ)ワザルナリ」を取り上げる。
 いわば、文字から得た知識としての「中庸」は、「中庸であることが常識」である世界では、
だれでもすぐわかることなのである。だが、一ヵ月この状態を維持することはむずかしい。
 仁斎はこの言葉を
「君子ハ知ヲ以テ知ト為(ナ)サズ。(ヨ)ク守ルヲ以テ知ト為(ナ)と註している。
(中略)
 そして、「中庸ハ徳ノ至レルモノナリ」ならば、そうなって ー
ということは、けっして完成して卒業しての意味ではなく、
それ(中庸)を継続していることによって
はじめて、「徳」を、徐々に獲得できるということである。
『近思録』によれば、自らを訓練すればだれでも聖人になれる可能性を持っているのだから、
この能力、すなわち「人望の条件」は、だれでも獲得できるのである。

(注。
 共産主義思想に毒される以前の日本民族は、
このような中庸の教えを学ぶ機会が与えられていたということです。
 しかし、その教えを理解し、そのように生きる心を見出せなかった者が、
己が「七情」を認めまいと、神の教えを以て自らを飾る偽善の、
自らを騙さんとの欺瞞の心に生きてきた人々が、
悪魔のイデオロギーの邪悪を見抜く知恵なき者が悪魔の心へと、
「七情」を、獣性を解放した、悪魔に支配される心へと堕したのでした。

 ユダヤ人がサタンの力によって世界の支配者となる為に、
他の民族の精神を破滅せんとの呪いから蒔かれた悪魔の種が共産主義でした。
 悪魔の思想を受け入れた中国人は神の齎した教え(論語)を捨て去った。
 戦前まで論語を学んできた日本人から孔子の教えを奪ったのは、共産主義者でした。
 穏健派であろうと共産主義者は、神の心とは相容れぬ、神の御心を理解し得ない、
悪魔に繋がれた人達であり、戦後日本は神の心を見失ったままであることに気付いていない。
 注終)